4月28日。
二段ベッドから下りて、携帯の時刻を確認しに行くと6時39分だった。気温は毎朝寒すぎる。
韓国のおばちゃんが躊躇いなく電気をつけた。ナイスだ。部屋内の照明は2つあって、もう片方もつけた方がいい?とジェスチャーを送ってきたので、同じようにサムズアップを返した。
下段のアレマンヤおばさんは部屋が明るくなるとすぐに起きてハローと挨拶をしてくれた。彼女は常に笑顔だ。
片方の耳栓どこだ…全然ないぞ…と探し続けていたが、最終的に床に落ちているのを見つけた。でもアレマンヤがズボンを着替え始めたのですぐには取りに行けなかった。
マメに通していた裁縫糸は寝ている間に取れていた。歩くときにないんじゃ意味がない…。どうせ水は溜まっているだろうし、今日の宿に着いてからまた処置をしようか。次はもっと糸の長さを長くして結んだりすべきだろう。どうするにしても、また取れてしまいそうな気はするが。
知らないおっちゃんが突然部屋の電気を消した。なぜ…。しかし救世主アレマンヤがすぐにつけてくれた。感謝感激を朝からジェスチャーで現すマン。
多分、今日で400kmに到達する。距離的には前半終了でいいだろう。
7時半頃に外に出ると寒っ!!と驚いた。それもそのはず、温度計は3℃を示している。
ドイツの下ネタおっちゃんは煙草を吸いながらスタートした。あれ、ゲリンダと一緒じゃないのか。まあ、同国の繋がりってあるもんな。彼女が先に建物を出て、外で待っているのかと思っていた。
気温は上がってくるのだろうが、今はライトダウンを着ていても困らないくらいの寒さだ。手もとても冷たい。
オスピタレロの男性が歌いながら歩いてきたのですれ違った。「アディオス、ブエンカミーノ!」 「グラシアス!」
明かりがついている店がある。巡礼者がいるのかな。
店の手前にあった自販機を見てみると…
ジバニャン…!ポケモンの人気は想像がつくが、妖怪ウォッチはどれくらい浸透しているんだろうか。海外で人気とは聞いたことがないが。
二軒のカフェバーが営業していて、左側のお店に入った。
例のごとく韓国人なのだろうが、初めて見る4,5人のグループがテーブルを囲んで朝食を食べていた。やっぱり韓国は多いな。
でもこのグループは、中年の親世代はいかにも韓国人らしい顔をしているのに、若者は日本人寄りの顔をしている。どういうことだ。
想像以上に小さかった。これだけではお腹は満たされないけど、まあ、あるよねそんなときも。
店を出ると島村さんがいた。何人かと一緒にいて、道に迷っている様子だった。どちらの道に進めばいいかとその集団に聞かれたので、宿への道はカミーノの道から逸れていたことを思い出し、This way!と大きな声で教えた。
はい、正解。
韓国親娘を追い抜く際にアニョハセヨーと挨拶すると、カンコク~~と聞こえたからジャパンだよと返すと、母親の方がジャパンデスヨネ~みたいなことを言っていた気がする。そのまま先に進んだが、もしかすると日本語が少しできるのかもしれない。
隠れる黒猫。
星の付いた杖のような物を手に持ち、逆向きに歩いてきたおっちゃんからWhere are you from?と聞かれたが、その後はすべてスペイン語でまくし立てるように喋り続けられた。最初は乞食かと思ったが何者だったのだろう。勝手に解釈するしかないので、神よ!天のご加護をこの青年に!的なことを言ってくれた人と捉えよう。
目的地のカリオンまでは18km。あっという間だ今日は。
それにしても本気で寒いぞ。でもライトダウンを着たらすぐ暑くなるし、体を動かすしかない。動かしてるけど。
歩きながらチョコのお菓子を食べた。カミーノを制すものはスイーツをも制す。ワインは制せない。
ヒゲマリオのおっちゃんを追い越す際に少し話した。先日車で運ばれていたからリタイアしたのかと思っていたので普通に歩けているようでよかった。ブエンカミーノ!と言うと、ありがとう、君もねと返してくれた。紳士的で優しい男性だ。
色使いのチロルチョコ感。
敷地が広すぎて建物がよくわからなかった。
町の外れにあるような小さな教会が好きになりつつある。
アレマンヤみたいなカカシ。
ミッキーマウスやパンダのぬいぐるみなんかもあったが、磔というか串刺しというか、とりあえず拷問っぽかった。
左へ曲がり、町を抜ける道を進む。
いや、どっち。
バス停で待ち構える(多分)韓国人のおっちゃん。
突然、モンベル(日本のアウトドアメーカー)の服を着た若い男性が後ろから来て「日本人よね?」と話しかけてきた。反射的にレナスから教えてもらった情報を思い出し「もしかして、ケイ君?」と聞き返すと、その通りだった。
バンダナかネックウォーマーっぽいもの(後から見ると普通にニット帽だった)を頭に巻いた長谷部誠+野田洋次郎ってな感じの男性で、なんと同い年の25歳。ゆるい関西弁を話す兵庫県民だけど(兵庫の田舎だからわりと標準語に近いとは言ってたけど、イントネーションがもう完全にそれ)、大学時代は長崎市に4年間いたとのことで、「~やけん」などの方言について少し話した。
リトアニアのレナスから聞いていたので存在は知っていたよと伝えたが、それ誰だっけという感じであやふやな様子だった。名前を覚えるの苦手と言いながらレナスのことをメモしていたので、自分もメモしてるけど、増えてくるといつの誰のことだかわからなくなるよねと笑い合った。
ヘンドリックスの方が覚えていて、彼というか、オランダ人は自己主張が強いだとか、外国人の特徴についてお互いに観察している部分などを話していると率直に面白いなと感じた。同世代の日本人の男性が、何をどんな風に感じながらカミーノを歩いているのかというのもまた非常に興味深かったし。
体調とかどう?と聞くと、日本にいるときより良い、快便だしと言うので笑った。
意外にも生活ペースは普段と変わらないらしい。確か生産工場だったっけな、そういうところに勤めていて、毎朝5時半に起きて10時には寝ていたからと。
でも今はカミーノが現実だから、日本での現実に戻るのが怖いと話していた。確かにそうだよな。
典型的労働者だったけど、仕事を辞めてカミーノに来たらしい。どうせ辞めるんだからとカミーノ後はヨーロッパも回るとのこと。素敵じゃないですかと言うと、素敵でしょうと返ってきた。
Wi-Fiとか不安定だよねみたいなネット環境の話題になると、ノートパソコンを持ってきたけど写真の入れ方がわからないとか、SIMカードも持ってるけど使い方がわからないといった感じで、なんだか良い意味で適当な感じが関西人らしい青年だなと思った。
英語以外などのわからない言語で話しかけられたときは日本語で返すらしい。それを聞くと、適当というよりは度胸を感じた。自分は身振り手振りも使ってなんとか理解しようと、してもらおうとするから。
和歌山の熊野には(観光で)行ったことはあるみたいだけど、カミーノ以外の巡礼路を歩いたことはないらしい。自分はあるということを伝えると、熱心やねと言われた。
彼が今まで出会った日本人は5人。31歳の女性は10日間休みを取って来たらしく、その人はカトリックだけど、熊野も歩いた模様。
お互いに島村さんには会っているていで話していたけど、ケイ君が思い浮かべているのは吹田に住んでいる男性だと程なくしてわかった。島村さんは埼玉の人なので、別なおっちゃんもいるようだ。「(島村さんは)国際経験豊富だから~ry」「そのわりにあんまり人と絡んでなかったな」「うーん、おとなしそうな人だからかな…」アンジャッシュのコントですわ。
久しぶりに日本語を話した。日本人には1人も会わずに、道中も1人で歩くもんだと思ってた。というようなことも言っていた。
宿に着いてからは毎日のように乾杯して、外国人のおっちゃんにビールを奢ってもらうこともあるらしい。今日は短いから飲み放題だ、と少し嬉しそうに喋る彼の様子を見ていると、アルコール好きはカミーノをもっと楽しめてそうだと感じた。自分は飲まないから飲みの場は楽しめない。
距離の関係もあるし、自分は今日はわりとゆっくり歩いていたが、結構ゆっくり歩くんやねと言われた。早く歩いて、いっぱい休むのが彼のスタイルらしい。自分も同じような感じではあるけど。
今日で確か2週間とのことなので、自分より早いペースで歩いているのは間違いない。ええ、自分は過去の巡礼の経験から余裕を持って優雅に歩いております。窮状にある肩はそのテーマとはかけ離れているけど…。
カミーノ出発前に本格的に一式揃えようと入ったのがモンベルの店だったので、装備のほとんどはモンベル製らしい。シャツとかはたまにしか洗ってないと言っていたが、でもモンベルは洗わなくてもあまり臭わない優秀な製品ばかりなので、そこはあまり問題ないのだろう。自分もいくつか持っている。
みんなあんまりちゃんとコミニュケーションを取ってないんだなというのが彼の印象らしいが、その話は自分にとっては意外だった。ポルトガル人のおっちゃんがポルトガル語でフランス人のおっちゃんに話しかけて、次は逆にフランス人がフランス語で返していたが、お互いに内容は理解してないはずなのに、でもなんか意気投合しているという場面を見たらしい。
日本人については仕事や車の話をよく聞かれると言っていた。「日本人は何時間働くんだ」「8時間」「8時間は一緒だ」「でも残業が2時間あったりする。残業代はきちんと出る」「いや、それでも10時間はクレイジーだ」というような流れがあったと。普通の職業に就いている日本人はそういったことを聞かれるんだな。
今朝はよく会う韓国人たちと(自分と同じお店で)朝食を食べていたらしい。日本人っぽいなと思ったけど、やっぱり日本人だったわけだ。自分が挨拶をした女性たちから日本人がいるよと教えてもらったので急いで前を追ったとも言っていた。意味のあるアニョハセヨだったわけだ。
その食事を一緒に取っていた中の1人であろう、ネットゲームの強い中村獅童ってな顔(悪い人ではなさそうだけど、遍路だとお接待はほとんど貰えないタイプ)の韓国人男性に追いついて、自分もちらっと話した。福岡は多くの韓国人が行っているよと言っていた。知っています。
いくつか覚えた韓国語を彼に披露すると驚いていた。「なんで知ってんの?」「チームメイトが韓国人だったのさ」
ケイ君が彼と話して歩きだしたので、自分は一瞬で溜まった日本語の会話によるメモをまとめることにした。
教会にコウノトリ(正確にはシュバシコウ)の巣があることにケイ君は感動していた。彼の地元は日本で唯一繁殖に成功しているらしい。ふとしたとこで日本との繋がりを感じると感慨深いよねと自分は言った。
カフェを発見。前の2人と同様に寄ることにした。
ボールで遊んでもらうゴールデンとかいう可愛さと癒やしの二刀流金メダリスト。
陽気な店主は歌ったり踊ったりしながら接客をしていた。そのせいか列に並び順番待ちをする人は多かったけど。
グリーンティーに砂糖を持ってきてしまった狂気。
ヘルスケアを確認するとまだ7kmだった。微妙な距離だ。
全然可愛くないミッキーも描かれていた壁の落書き。
トイレの鏡の枠に大量の漢字が彫られていたので撮っといた。
昨日、電車の駅についてオスピタレロに質問していた韓国おばちゃんも来た。歩いていたとはビッグサプライズだ。
同じく韓国の若い3人も来た。背の高い男子がシンジュもいるよと教えてくれたのは、いつの間にかシンジュに会うとふざけてサランヘヨ!と言う流れができているから。背の高い男子にリーはどこかと聞かれたので、バスに乗ったから30km先くらいにいるんじゃないかな、彼はズルしてんだよと言うと笑っていた。今までの知り合いはだいたい前にいるので、やっぱり元からの知り合いに会えると嬉しい。
隣に座っていたのは見覚えがある程度の若干アジア系の血が入っていそうな女性だった。ここWi-Fiある?と話しかけられてから少しだけ会話をした。途中彼女が落とした携帯は自分の足にも当たった。
ケイ君は先に出たが、その際に手を上げてくれた。多分あのブルゴスで会った日本人夫婦については、うるさかったからほとんど話さなかったと言っていたし、人間関係はあっさりしてるんだと思う。でもそれが一番気楽だし、賢い。(でも今考えてみたらブルゴスの夫婦はバスに乗ると言っていたから違うか…)
自分が出る頃に島村さんが来た。どこまで行くかはフランス人夫婦とオーストラリア人男性と一緒だからわからないとのこと。
ブルゴスで朝会ったという30代女性の話も聞いた。ケイ君も話していた人だ。彼女はこれからバスに乗って、サンティアゴに着いたら今度はポルトガルの道を歩くと言っていたと。ポルトガルの道の方がフランス人の道より楽らしいけど、そんな慌ただしいプランを組むくらいなら、全部フランス人の道に使うという選択もありだったのでは…?とツッコミたくなるが、まあ、いろんな人がいる。そのプランからも伝わってくるように、なかなかユニークそうな人みたいだから会ってみたかったな。バスに乗ったのならもう無理だろうけど。
同じくカリオンを目指す韓国3人にSee youと告げてから去った。最後はアレマンヤが来ていた。
カフェから少し進んだところで、昨日のお昼に花とプールがあるレストランでも会話を交わしたおっちゃんがまた話しかけてくれた。
22日目という彼の今日は、足が痛くて長い日らしい。スタートは同じサンジャンから、素敵な町だったよねと語り合った。でもパンプローナやログローニョから歩き始めた人もいると言うと、ブルゴスからもいるさ、沢山の人がね、と。静かに自然を感じながら歩くの好きと話していたので、それは自分も同じだと言った。
上記の会話などではわからないと思うが、他にもいろんな人がいるのに、彼は本当に自分を気にかけてくれているということが伝わってきて嬉しい。
あなたと会えて嬉しいと心からの本音を伝えた。何度も言ってきたブエンカミーノにも特別な想いが込もっている。相手の旅の無事も祈るような、首にかけ続けているネックレスを通じて、届けたい想いがある。
一人でいるとこういう深みのある繋がりが生まれるので良い。誰だって複数の人にはなかなか話しかけづらいわけで。
遍路ではリヤカー等を引いている人は見たことがあったが、カミーノでもいた。
追い越すときに、たまに肩が痛むからこれ欲しい!と言ったら、インターネットにあるぜと。もしかしたらいじられ続けてうんざりしてるかもしれないが、どうしても言いたくなるよね。
いつの間にかあと6kmになっていた。余裕やん。
ケイ君と韓国女性たちが休んでいた。3人にアニョハセヨと笑いながら挨拶して先へ。
419km。正確には今日を終えても800kmの半分には届かないのか。
今朝のカフェでもすれ違った気がする背の低い女の子が歩いているのが見えた。背が低い人自体あまりいないし、年齢も若そうだったので目立っていた。分かれ道を挟んで、距離も後ろへと離れていったので、これから絡むことがあるのかはわからない。
バックパックの後ろに太極旗(韓国の国旗)を付けた男性を追い越す際にオラ、アニョハセヨーと挨拶をしたが、彼はうつむいて歩きながらイヤホンで音楽を聞いていた。
それからイヤホンを外したので、改めてアニョハセヨーとお互いに言った後に笑い合った。後ろから熊野のお守りを見て日本人だなとわかっただろうか。髭を少し伸ばした彼の顔はまったく韓国人顔じゃないので、国旗がなければ出身地を聞いていたと思う。
その先には宿が一緒だった韓国のおばちゃん。電車乗らなかったんだねと言っても通じなかったから、ノートレイン?と聞くと、イェス。歩くのですね、どこまでかはわからないけど。
その次は白人の男女がいたのだが、最後の最後で譲ってはくれたけど、複数で広がって歩いているときに後ろが来たら、道を譲るのはマナーだよなと思った。わざわざExcuse meと言うほど急いでもないし。
誰のことも気にしなくていい完全に1人の状態だと本当にすいすいと歩けるし、いろんな人を追い越していく。スマホを手に持ってないときは、たまに腕をしっかり振って。
雲行きは怪しいから雨が降るかもしれない。できればその前に目標の町に着いておきたい。
11時40分頃、道の向こうに町らしき光景が見えてきた。なんだか大きそうだ。
右を見ても雄大な景色。あの小さな山のような場所の頂上には何があるのだろう。
12時前にカリオンに突入した。正午前とは素晴らしい。
中心部まではまだ1kmと書いてあるが、お昼到着については文句のつけようがない。洗濯物を干すには微妙な天気だけど。
アルベルゲはよ!知り合いカモン!と思っていたら、教会の横を通るときにちょうど鐘が鳴った。どうやらアルベルゲもあるみたいだし、呼ばれてるんだこっちに。
でも人の気配を感じられず、入りづらかったのでやめた。次。
日のメニュー。
部屋。
地元の女の子と挨拶をしてまだ先へと進む。
サンタマリアというアルベルゲに行こうか。
しかし見逃したのか、なかなか目的の宿が見つけられなかった。
どこだ…。今日もかよ…。と町には着いているのに宿をすぐに見つけられないという既視感にストレスを感じた。でも子供や赤ちゃんが多くて、町の雰囲気は良かった。
うーん、戻ろう。わかりにくいの困りますほんと。って自分のミスなんだろうけど。
逆走して、結局元の案内看板辺りまで戻ってきてしまった。ようやくアルベルゲを見つけたら、入り口の前にケイ君がいた。本日も抜いてきた人々に追い越されるスタイル。
さっきの国旗の男性が、自分の名前はJKだと自己紹介してきて、握手を求めてきた。韓国からとも言っていたが、それは知ってるよ、バックパックのフラッグを見たからと伝えた。
ケイ君は韓国人の知り合いが多くて、夕食を作るのも誘われていた。一方自分は西洋人が多めで、白髪のスウェーデン女性や、教会にスタンプがあるよと教えてくれた男性などがいた。
ウェルカムドリンクはシスターたちからの甘いお茶だった。
受付には若い男性が2人いて、ハメス・ロドリゲス似の方が用紙に記入したりという手続きを、デビッド・ボウイみたいな目(片方が見えてない…?)をしたハーフナー・マイクがベッドの番号を指定していた。どうやらシスターたちによる歌やミーティングといったイベントがあるらしい。
部屋いっぱいに二段ベッドが置かれているので、通路も狭くてバックパックを背負ったまま通るのが困難だった。
自分のベッド番号は16。
知り合いが僅かしかいなくて、やっぱり寂しい気持ちになった。でもここから何日かで仲良くなった人たちともレオンで同じ現象が起こるんだよな。レオン出発以降だな、最後の感動を分かち合う相手は。
いつぞやの会話を思い出しながら撮ってみた太もも。
シャワーは宿に(男女それぞれ)1つしかなかった。自分の前はケイ君。どうだった?ホットシャワー?と聞くと、ときどきめっちゃ熱くなったり、冷たくなったりする、つまりいつも通りと。
自分のときはずっと温かいままだったのはよかったが、次に待っている人の気配もあったので焦りながら浴びて、人生で最も短いシャワーだった。残念。
洗濯物を洗っていたらシャワーの順番待ちをしているおっちゃんが、下に干せるとこがあるよと教えてくれた。他にもちらほらとバスルームに来ていたが、シャワーが1つあるだけだと知るとみんな驚いていた。初めてシャワー1つのアルベルゲに泊まるよと自分は言った。
島村さんたちも来たが、どうやらぎりぎり間に合ったらしい。島村さんたちの次の人でフルになった様子。
自分のプラグに誰かがモバイルバッテリーを挿している。でも悪いね、ベッドに行くよ。他の人も使いたがっているみたいだから。(シャワー前JKに、コンセントは部屋にない?と聞かれて、ないと教えると、Oh…という反応だった)
マレーシア夫婦がWi-Fi繋がる?と聞いてきた。繋がるよ、パスワードは知ってる?と返したけど、なんか電波のわりに…いや、繋がってないぞ…。シャワーを浴びる前は少しは繋がっていたのに…。
マメに開けた糸の穴から排出されていたのか、水は溜まっていなかった。でもなんだか痛みはある。これはあれだ、破けてしまうパターンだ。
洗濯物を干した。雨が降りませんように。
お昼を食べに行くことにした。入り口にいたハメス・ロドリゲスの妹らしき子供がとても可愛いらしいということ、韓国親娘だと思っていたのが親子ではなく、韓国女子ズだということに気付いた。
アルベルゲを探しているときにも来た広場の近くで、パスタの良い匂いがしたけれど、どこの店かはわからなかった。パスタの店自体は広場に来る前に見かけた気もするけど。
パスタ屋さんではないがカフェに入って、カルボナーラを頼んだ。パンはいかが?と聞かれたので、パンとそしてコカコーラも追加した。おっちゃんウェイターがとても感じが良い。
マリオおっちゃんも来た。彼からのボナペティが聞き取れなくて、え?っていう反応をしたら、改めて言ってくれたのでメルシーと笑いながら言った。みんなボナペティ好きすぎぃー!
地元の人は冬のような格好をしていた。そりゃ寒いもんな。サンダルなんて自分や巡礼者だけだ。でもケイ君曰く、午後から雨らしいが一応今は晴れている。
シンジュたち韓国3人、いやおばちゃんが1人増えていた、4人が店の前の道を通った。眼鏡を掛けていてもみんな自分に気付く。眼鏡姿も見慣れている人は見慣れているだろうけど。
思い返せばリーはいつも誘ってくれていたな。なんか可愛く思えてくる。この場にいないからなおさら。
支払いを済ませ、食事を運んでいるから手が空いていないウェイターのおっちゃんのためにドアを開けてあげて、そしてお礼も言った。
夕飯はどこで食べようかな。あの看板に日本語が書かれていた店でもいいかもしれない。
flanはカスタードプリンっすね。昨日のは美味しかった。
人口は2400人ほどらしいが、教会が12箇所も存在し、お店も充実している印象を受けた。
宿付近、教会前のベンチでは白人イケメンがいた。ベッドも隣だし、今日はたびたび会う。話してはいないけどアイコンタクトは取っているような距離感。
自分もベンチに少し座っていたが、寒いので宿に戻ることにした。フルでもう泊まれないと言われた人たちとすれ違いながら。
宿では韓国人たちとケイ君が食事をしていた。JKがランチは食べた?と聞いてきた。ナイスガイだ。食べてなかったら誘ってくれたのだろう。
ベッドに座っている中年女性数人はノートに何かを書き込んでいた。多分日記だろう。
ベッドの上で変な体勢で寝転がっていたら横を女の子が通って笑った。その後お互いにっこりと笑い合ったのは多分あの背の低い子だ。
それからちょっとだけ昼寝をしていたが、一階にいる子供たちの声がうるさかった。扉は閉まっているけど天井付近は吹き抜けになっていたので意味がなかった。
さっき笑い合った小さいが安産体型の女の子は、音量は小さくしているがスマホの音を垂れ流していた。日本人にもいるけど、なんでイヤホンつけないんだろうな。
ベッドで休んでいる人はみんな寝袋の中に入っていた。朝晩はもっと寒そうだ。寝袋から出ていることが自分は多いけど、今日はブランケットがないので死んでしまう。気をつけよう。
Wi-Fiがもっと繋がればいいのになとも思った。多くの人が使うから回線が混雑していて、結局みんな自由に使えないという状況なので、あれだったら時間制、交代制にしたいくらいだ。
ふくらはぎは筋肉痛だ。歩いているときは特に感じないけれど、こうして休んでいるときに感じる。
ドイツ人のあるおっちゃんはさっきの女の子に何か話しかけていて、その老若男女問わず交流している様子を見ると、日本にもこういう旅があればいいのになと改めて感じた。遍路が一番近いんだろうけど、宿は決められていないというか、そもそも野宿も少なくないし。交流… 難しい…。九州に作ry
午後5時半前にアルベルゲの横にある教会の方へと向かった。5分前くらいに着いたがあまり人がおらず、ここで合ってるのかな…と不安だったが、スウェーデン女性とハーフナーがいたから安心した。
そして行われたのがヴェスペレ(晩課)と呼ばれる晩に行われる典礼。聖書の詩などを詠んだり、歌ったりするような儀式なのだが、それがあまりに美しかった。
シスター6人による歌や演奏に心を揺さぶられ、最初のハレルヤなんて感動しすぎて涙が零れそうになるくらいだった。
始まる前に写真を撮った自分が言うのもあれだが、動画を撮りまくっている白人おっちゃん2人は残念だった。
でも歌詞を知らないのに自然と口ずさんでるような、美しい音色に酔いしれる時間は素晴らしいものだった。心から感動した。
こういった音楽やクラシックが一般的だった時代から、ポピュラーミュージックがそのままの意味でポピュラー(大衆音楽)へと変わる転換期って、いろいろな意味で衝撃だったろうなと思った。抵抗があった人もさぞ多かろう。
ヴェスペレに参加していた人は、最初は地元の人20人くらいに宿からは5,6人といった感じだったろうか。宿の巡礼者は後からちほらと増えてはいたが、ハーフナーが全員に教えているはずなのにもったいないなと感じた。こんなに素敵な儀式だと知っていればみんなが来ただろうけど。
宿に戻るとケイ君や韓国人の若者たちはお酒とおつまみタイムだったが、まあ、いろんな過ごし方があるんだなと思った。
写真は教会前でサッカーをする地元の少年たちと巡礼者の男性。間接的に少し彼のエピソードは知っているが書くかどうかはわからない。とりあえず、サイコパスというか、結構ヤバイ男性らしい。
次のミーティングは、どうせ話す系だろうから、もう胸はいっぱいだし、別に行かなくていいやと思っていたけど、JKが行こうよ!と熱心に誘ってくるから会場の1階へと下りた。
写真は始まる前のものだが、人がいっぱいで階段に座って参加することになった。自分の後ろ(上)にも10人以上いたと思う。全部で40人はいただろうか。正確にはわからない。
話す系かと思いきや、歌詞が書かれた用紙が皆に配られ、先程のシスターたちを中心にみんなで歌を歌ったりするという類のイベントだった。
自己紹介(のコーナー)では突然泣き出す韓国女性がいた。中国人の女性がいることにもみんな驚いていたが、近くにいたオーストラリア人のお兄ちゃんが、Korea?とふざけて言ったら、シスターから柔らかくやめなさいと注意されていた。(残念ながら韓国人が多すぎて他のアジア人にしわ寄せが行く問題は共通のようだ…)
何か一言を話す人もいたけど、基本的に名前と出身をみんな述べていくという形だったのが、その2つだけじゃ味気ないけど、何か話すのも恥ずかしいなと、コニチワ!をつけたら、アニョハセヨ!やアリガトウ!の流れが生まれた。アリガトウはもちろんケイ君。
JKはI wanna go to westみたいなネタで爆笑をかっさらっていた。すぐに目が合ったから、やるねえ!と笑いながら指差しといた。オーストラリア人もNice oneと。
島村さんは自己紹介のときに最後に現れたが、え…どんな流れ…?自分…?と戸惑っていたので、オーストラリア人からWho are you!とツッコまれていた。
音楽が聞こえてから参加した人はもっといたかな。ベッドルームにいても確実に聞こえる状態だったし。
巡礼者だけでなく、シスターも世界各国から集まっていたが、中心となっていたのはドイツからの女性で、終始彼女が演奏するギターを軸に歌っていた。
歌詞を見ながら皆で歌う曲がほとんどだったのだが、じゃあ次はジャパニーズソングを歌ってもらおうかしら?というドイツシスターからの突然の無茶振りがあった。彼女は「上を向いて歩こう」のメロディを口ずさんでいた。
韓国人たちからケイ!ケイ!と声が飛んでいたけど、ケイ君は恥ずかしがってそれをガン無視。自分もあれだな…どうしよう…と思っていたら、直前に自分の隣に来ていた島村さんが皆から見える位置に座っていたので犠牲になった()自分もちょっとは加勢したけどね。
でも曲自体は他の国の人も数人がメロディを口ずさんでいて、本当に日本を代表する歌なんだなと実感した。
韓国は1人のおばちゃんが独唱みたいな形で歌った。オーストラリア人のお兄ちゃんは他の人を茶化しまくっていたのに自分の番になると恥ずかしがって頑なに歌わず面白かった。
You Raise Me Upは世界中の人が知っているので皆で歌った。ドイツの歌はメインシスターとドイツ出身のおじいちゃんで。おじいちゃんは歌い終わった後に感動して泣いていた。
ハンガリーの歌は自分の後ろにいた女性とハンガリー出身のシスターで。その後ろの女性はとても美しい歌声だった。(レカの歌声も聞いてみたかったけど超絶シャイガールなので歌わない可能性も高かったかな)
突然、ギターを弾いてもいい?と中国人女性がシスターからギターを借りて、弾き語りを始めた。そして中国の歌を歌うのかと思いきや、簡単な英単語を並べたオリジナルソングで、まあなんていうか、声も震えていたし、音程もかなり外れていた。とても上手いとは言えないけど、その勇気が凄いなと恐れ入った。ストリートライブだとまったくお金は入ってこないクオリティだったけど、こんな状況なのでみんなも聴くしかないよね。かなり長かったけど…。(以前丘の下で追い越して、東アジア人ではないかもと思った女性だった)
撮影禁止と言われていたんだけど、口臭のあるアジア系カナダ人男性や、オーストラリアもハンガリーも結構撮っていたから、うん。
途中参加もいたので階段の上には溢れるような人数がいた。中には今日が誕生日の人もいて祝われていた。
無愛想というか、いつも塩対応な60代くらいの夫婦はイタリアからと知った。このミーティングが終わったあとに奥さんが笑顔を返してくれたので正直驚いた。心が洗わられるってあるよね。
最後はメインシスターが弾き語りしながら、2人のシスターが祝福と星のサインを与えてくれた。目を閉じると額の上で十字架を切ってくれた。
このアルベルゲに来た際から掲示板の中にも見つけたりしていたので、何の星なのか気になっていたけどこれだったのか。紙だから何かに貼ったりはできないので財布の中に入れた。
JKに誘ってくれてありがとねとお礼を言ってから、小雨が降ってきたので洗濯物を取り込んで、例のレストランへ向かった。
別に日本語メニューがあるわけではない。端から要らないけど。
あの島村さんと出会った日に酔っ払っていたトレジャーハットのドイツ人おっちゃんを久しぶりに見た。
店内の様子。ウェイトレスは2人いたがどちらも忙しそうで、とてもじゃないけどWi-Fiのパスワードなんて聞けなかった。まあ日本と連絡取るにはもう遅すぎるけど。
ガーリックスープにはハズレがない気がする。
ポーク・フィッシュ・ラビットから選べたがポークを選んだ。ウサギはちょっと食べられない…。限りなく透明に近いブルーで肉が硬いイメージあるし。
このアイスならフランがよかったな。
バルみたいなとこではなく、普通のレストランだったからか、味は昨日の50倍は美味しかった。(デイリーメニューは11€だけど、他のメニューは、一品物だけでそれ並かそれ以上の値段だった)
でもそれゆえ巡礼者以外の一般客も夕食で来るし、徐々に混んでいったのでレシートを配るのも追いついていなくて、自分以外にも他に待っている人たちがいた。
最終的に応対してくれたアン・ハサウェイ似でモデルみたいに可愛いウェイトレスは、聞いてないのに朝は7時からと教えてくれた。彼女はいないだろうけど。
ドイツ人のシェーバーを忘れた男性もいたが1人だった。ゲリンダはソロだったんだな。もうどこにいるかわからないけど。
と思いながら店を出たら、そのゲリンダと顔馴染みの背の高いおばちゃんが一緒に歩いていて少しだけ話した。おばちゃんもドイツ人なんだろうか。
実はミーティングの途中に1人男性が来ていたのだけど、(空気が空気だったので?)その人は追い出されず、最終的に写真のように、マットレスを部屋の外に敷いていた。
コンセントを確認していたら、このUSBは使えるんじゃないか?とその男性が教えてくれた。おじさんの物なのかもしれないけど、実際のタコの足の本数くらいあるのではという勢いのタコ足コンセントだった。
明日は26.6km。天気予報も見れてないけどまあなんとかなるでしょう。これまでもなんとかなったんだから。祝福も受けたのだから。
JKにチャルジャヨ(おやすみ)を言おうとしたら既に寝ていて、やたらと面白い顔をしているおっちゃんの韓国人に言っただけだった。
エキストラベッドのおっちゃんがタブレットで音楽の映像等流していることに一抹の不安を感じた。寝るときはやめてくれよな!これから寝るんだぞ!それ部屋の方にも聞こえるんだぞ!
思いがけず、音楽の力で特別な日になった。教会をただ尋ねたり、ミサを見学したりするだけでは得られない感動があったし、巡礼を通しても最も感動的な1日だったと言っても過言ではない。
8時41分にスマホを置いてベッドへと移動した。何時に起きるかはわからないけど、どうせ真っ暗で寒い朝だろう。
今日の歩み
Frómista – Carrión de los Condes / 19.3km