スペイン観光 Parte 4 ーバルセロナ編ー

そしてバルセロナ到着。

サングラスをかけて街を歩き始めると、今まで感じてこなかった高揚感を感じた。ヨーロッパ最後の街だからか、このバルセロナという街特有の何かなのか。
シエスタでどうなるかはわからないが、飲食店はいくらでも、無限に、存在している。やはり大都市は違うな。

宿まではもうすぐ。この交差点は何回通るんだろうなと思いながら歩いた。

女の子たちに続いて中へと入った。

フロントで中年夫婦の後ろに並んで待っていたら、対応していない方のスタッフから「リオ?」と名前を呼ばれた。日本人っぽい自分を見て、予約リストを確認して呼んだのだろう。
彼は自分のパスポートの本籍地OITAを見て、NagasakiやHiroshimaの近くかい?と聞いてきた。どうやら秋に日本旅行をするらしい。おすすめ?とも聞かれたので、いぇあ、温泉が有名だよと返した。
宿泊費は現地支払いだったので、楽天カードを出したら反応があった。そうだよな、この街の象徴(FCバルセロナ)の胸スポンサーだもんな。知らないわけがない。

それでは部屋へ。

野戦病院かな?

ベッドメイキングをしながら、隣上の(カミーノで出会ったマルティン似の)男性のオラを返したら、エスパニョール話せるの?と聞かれた。ハ、ハロー…(笑)

お腹が減っているから何かを食べたい。観光地へと向かいつつ飲食店を探そう。

適当にお店に入って、馴染みがありすぎるメニューばかりの中からハンバーガーを頼んだ。ハンバーガーには外れがあまりないのです。

バルセロナといえば彼の建築ですよ。あれは明日の朝一に取ってるけど。

あ…。君もまだです…。

下の写真はH&Mだけど、有名ブランドの店舗や看板も沢山あるし、白人観光客の割合が高いし、地元の人たち(特に若者)も洗練されている印象を受けたし、うーん、オシャレだ…と感じた。いろいろ見栄えが良くて何を撮ればいいのかもわからなかった。

そしてカサ・ミラに到着。 バルセロナでは世界遺産でもあるアントニ・ガウディの作品群を中心に回っていく予定。

現地に着いてから可能な限り自由に動きたかったから、日時指定なしのチケットを買っていたんだけど、スタッフの女性にチケットを見せると、これはプレミアムチケットだから大きな入り口から入ってと指示された。
そちらのメインエントランスに回って受けた扱いはまさにVIP待遇だった。細かい部分はチェックしていなかったのだが、恥ずかしいくらいにエスコートされての優先入場だったし、ちょっとした写真集のようなビジュアルガイドも貰えた。

まずはエレベーターに乗って屋上へ。オーディオガイドではキテレツな音楽が流れた後に、どこかで聞き覚えのあるおっさんが喋り始めた。


カサ・ミラは100年以上前にペレ・ミラの邸宅として建設された賃貸マンション。当時は一般職人の月給の約10倍という価格設定とこの目立ちすぎる外観のせいで売れなかったので「3世代に渡って値上げなし」という条件でやっと借り手が見つかったらしい。
世界遺産になった現在も家賃は月15万円という、このバルセロナの街中ではありえない価格になっていて、実際に4世帯が住んでいるとのこと。魅力的ではあるが、毎日ひっきりなしに世界中から数多の観光客が来るというのはどうなんだろう…。

あ…もうサグラダ・ファミリア見えちゃった…。
それにしても何だろうなこのドキドキは。ただの観光なのにな。ガウディファンの母親の遺伝子が体の中で反響しているのかもしれない。

無駄な装飾ではなくて、必要なもの(ここでは煙突や換気口など)を芸術的に創り上げるガウディ。この直線がまったくない建築からは自然からの強い影響を感じさせる。

やっぱり東アジア人観光客多めで、日本人もちらほらいたよ。という動画。



最上階はエスパイ・ガウディという博物館になっている。

ガウディファンはたまらない空間。ファンでない人がどうなのかはわからない。

ここからは住居部分。この建物での暮らしが想像できる。

これらは使用人の部屋や、

子供部屋だけどね。

トイレをちらっと使ったんだけど、その後に中国人のおばちゃんから「日本の方ですか?」と話しかけられて、「さっきトイレ間違って入っちゃってごめんなさい」と謝られた。出る直前だったし一切迷惑はかけられていないんだけど、流暢な日本語で真摯に謝罪されたので、「大丈夫ですよ!わかりにくかったですもんね」と返した。
中国系グループ4人くらいと一緒だったが、わざわざ謝るなんて律儀な人だなと感心した。中国人もいろいろなのですよ、皆さん。

売店はなぜかミュシャが多かった。

乞食が街の規模のわりには少ないな…と観察しながら、次はカサ・バトリョ。

建物のモチーフは竜だという説や、海をイメージしているとする説など様々。ガウディもダ・ヴィンチのように謎が多いよね。

カサ・ミラとほぼ同じ条件のチケットだったが、午後5時前ということもあって一般列もそこまで長くはなかった。まあ、現地で購入する手間が省けたのは間違いないが。

オーディオガイド兼ARのスマホ画面ではガラスから亀が現れて、空中を泳ぎ始めた。

暖炉に火が灯ったりと、スペインに来て初めて近代的なテクノロジーにやるやん…と上から目線。ARが用意されてある場所で、演出が始まるポイントを探すのは忙しかったけど…(照)

カサ・バトリョでガウディが依頼されたのは改築。ちなみにこの吹き抜けの青い壁はグラデーションになっている。

うん、海だな。深海と同じように濃い青を下に持ってきてもいい気がするが、それは凡人の発想なのだろうか。

また屋上へ。何に見えるでしょうか。屋根を帽子に見立てた謝肉祭説もあるようですが。

午後6時前に見終わった。カサ・ミラ派かカサ・バトリョ派かで分けられると思うが、個人的には後者の方が強く印象に残っている。

イニエスタ…日本に来てくれて本当にありがとう…。メッシも来ないかな…。

次はカタルーニャ広場に来てみた。


でも広場って基本何もないよね。大量の鳩はいたけど。

露天商はやはり黒人やインドとかそっち系の、要は肌が黒めの人たちばかりだった。売っている物はバルサのユニフォーム率が高かったが、それ以外のバリエーションも豊富だった。


様々な店が立ち並んだランブラス通りを歩いていると観光地だなあと強く感じた。「Coffee shop?」とやたらと声を掛けられたのは謎。


通りからの入り口を見逃し、裏側まで回ってしまったボケリア市場。


正式名称はサン・ジョセップ市場らしいが、地元の言葉で胃袋を意味するボケリアという通称の方が一般的なようだ。

レモンジュースが美味しかった。手がべたべたになったけど。(ジャパニーズ除菌シートグラシアス)

えりこさんにオススメされていた目玉焼きの看板のお店を見つけたが、時間が時間なので閉まっていた(他の店も閉めているところが多かった)。明日また来よう。

ではカテドラルへ行こう。

写真撮影を頼まれたカップルの女性は、貸し出されいてる羽織ものを着るように警備員に言われていた。

このサンタ・エウラリア大聖堂に入った瞬間に、美しい!と心から思った。今まで自分が見たゴシック建築の中で一番好きかもしれないとも。

ちょうどミサが行われていて、綺麗な歌声が聞こえてきたのも素敵だった。

大丈夫かこれ…?と不安になるくらい古いエレベーターに乗って上へ。

左の緑色の何かがエレベーター。

このときバルセロナにいたんだなと、写真を見て思い出す。

帰りのエレベーターはワンウェイブでは乗れなかったが、前に並んでいた家族が赤ちゃんのために、皆できらきら星を歌っていて微笑ましかった。

一つ一つ彫刻などに説明があったので助かった。 




地下の納骨堂には聖エウラリアの棺が安置されているのだが、この雰囲気ある場所で老人夫婦のどちらかが5秒くらいの勢いある放屁をして、周りにいた若者たちは苦笑いだった。
ちなみに聖エウラリアとは、ローマ帝国によるキリスト教徒迫害で殉教した少女で、彼女が亡くなった13歳という年齢にちなんで、回廊には13羽のガンが飼われているとのこと。(回廊の写真は残念なのばかりだから無し)


良いカテドラルだった。それでは宿に戻りますかね。

ホテル前だったっけな、女性が荒ぶっていた。

普通に問題ない距離だったのに、道路を渡る際にこの旅初のクラクションを鳴らされたことより、バルセロナで食べたいものが特にないという方が問題。
シエスタなのだろうが、さっきより営業しているレストランも減っている気がするし、食事の場所を探すのがいつも面倒だ。国内旅行ではコンビニ弁当でも構わない人間だし。

カミーノTシャツを着たおっちゃんがいたバーには寄らずに、はい、悪ノリジャパニーズレストラン入店。しかし店員はオールチャイニーズの家族経営というトラップ。


そうなればもう悪ノリメニューを頼むしかないでしょ。

自分の知っているみそ汁とは大きくかけ離れていたが美味しかった。

寿司が一番だったかな。

焼うどんは微妙で、豚は普通だった。まあ、うん。お腹いっぱいになれたし満足。

明日の食事はどうなることやら。

スーパーで水を買うついでにレモンのチョコレートも買った。珍しいし。

パンツ姿の女の子が見れたのはいいことだが、バスルームのドライヤーはけたたましい音が鳴るし、同じベッドにいるカップルなども見ていると、ここはアルベルゲか?と錯覚しそうだった。

明日はサグラダ・ファミリアに行く。母親をバルセロナに連れて来てガウディの建築物を見せたいと思う。親孝行というのも難しい。

グエル公園は早朝に行けば無料らしいが、近くにあるわけではないし、有料エリアには入れないみたいなので、普通にチケットを購入することにした。その有料エリアの入場時間は迷ったが13時に。
グエル邸は予約をしない。まあ、なんとかなるだろう、あれもこれも。

23時過ぎに消灯したが、自分のベッドはドア付近なので困る。出入りする人は絶えないだろうし。


5月30日。
限りなく深夜に近い早朝に荷物を持って部屋を出る人たちがいることに気付いた。やっぱり大きな空港がある街は都合が違う。

朝食付きのホステルですので。

しかし右側のオレンジが出る方の機械は故障中だったし、こちらのCacaoも何かよろしくないものが混ざっているような味がした。

コーティング技術のおかげかパンは悪くなかったのでセーフ。


8時20分頃に出発。今日もまた長い1日になるだろう。起きた頃に降っていた雨は今は大したことなくてよかった。

距離が近付くにつれドキドキが増しているというのに、歩き煙草はやめてほしい。んで普通にポイ捨てもするし。

Matsuri。日本食に限らず、日本の文化が海外に浸透しているようで嬉しい。もっともっと広まってほしい。

見えた。

この黄色いリボンのマークも独立運動のシンボル。スペインの今だ。

サグラダ・ファミリア広場(公園)を抜ける。

近付いてみると想像していた以上にガウディ要素が濃いなと感じた。こちらは西側にある受難のファサード。最後の晩餐からキリストの昇天まで受難の時が表現されている。

持ち上げられるアルファベットのMっぽい何か。最近テレビの特集で詳しく説明されていたが、要はまだ建設中なわけですよ。

地下鉄から地上に出るとサグラダ・ファミリアをいきなり見上げることになる、と聞いたことがあったけど、この出入り口から出たらそうなるだろうな。ホステルが近いから自分は歩いてきたけど。

反対側に回ってみる。

東側は生誕のファサード。キリスト誕生から初めての説教までが表現されている。

こちら側にはガウディ広場があり、池越しのサグラダ・ファミリアを見ることができる。

9時前に行列に並び、チケットの確認や荷物検査を受けた。

入場を待ちながら見上げて、よくこんなの創るわ…と唖然とした。間違いなくこれはガウディが設計した教会だ。


いよいよ中へ。ちなみにこの慈愛の門の扉を手掛けたのは日本人彫刻家外尾悦郎氏。

聖堂内は森をイメージしていると言われているが、自分は宇宙船の中にいるような印象を受けた。

ステンドグラスも他の教会とはまったく違う。

地下礼拝堂はミサの最中。

サグラダ・ファミリアを日本語に訳すのなら聖家族教会。このおそらく世界一有名な教会は石の聖書とも呼ばれ、聖書の世界観が建築や彫刻を用いて表現されている。
着工は1882年で、130年以上が経過した現在もなお建設中。ガウディ存命中には4分の1しか完成されておらず、数十年前ですら完成には300年以上掛かると言われていたが、IT技術等の進歩により今の完成予定はガウディ死後100年にあたる2026年になっている。つまり、10年以内にもう完成が迫っているということ。

ちょうど入るタイミングで雨が強く降り始めたので塔へは上がれなかった。だがまったく問題はない。


何枚でも撮りたくなったし、何枚でも貼りたくなる。


典礼への道。

このような展示スペースもあった。

最後は外に出て、受難のファサードを間近で。オーディオガイドの同じ説明をリピートしながらずっと見上げていた。

これはサグラダ・ファミリアの魔法陣。各列の数字を足すと必ず33になるように作られている。33というのはキリストの亡くなった年齢。

鳥が止まっているのも自然を愛したガウディは嫌がらないだろう。

もう一度聖堂内へ入って、そしてサグラダ・ファミリアから離れた。
修復と同時進行で制作が行われている古くて新しい教会は、ガウディの未完作品であり、彼から意志・夢を受け継いだ職人たちにとってもライフワークなのだろう。
スペイン内戦によりガウディ自身の設計図は失われているが、担い手たちが第二・第三のガウディとなり、今こうして完成を目指しているということに果てしないロマンを感じた。
完成前に来られて本当によかったと思う。完成したらまた訪れたい。

それから近くのショップに行ったが、レジは愛想のない太ったおばさんで、お釣りも投げるように渡された。そんな彼女の丁寧すぎる接客で商品も裸のまま渡されていたので、やっぱりショップの袋が欲しいなと、隣の若い女性に英語で対応してもらったがそちらは問題なかった。

店を出るとサグラダ・ファミリア前の観光客が尋常ではないほど増えていた。朝一という選択は正解だったようだ。

ガウディ通りを歩いて、次の場所へ移動。

地元のおじいさんが街路樹の方へ痰を吐いたが、土には届かず舗装の上にべちゃっ。

そしてサン・パウ病院到着。


20世紀初頭から2009年まで利用されていたこの病院もまた世界遺産だが、ガウディではなくリュイス・ドメネク・イ・ムンタネーの設計。(同じく世界遺産のカタルーニャ音楽堂も彼)

病院というよりはどこか駅のように感じた。


カタルーニャ版アール・ヌーヴォーとも言えるモデルニスモの建物群が広い敷地内に48棟も立ち並ぶ。

中へと入られる建物がいくつかあって、基本的には資料が置かれていた。こちらはかつての病室が再現されている。

あ、さっき買ったやつです。もう旅の終わりも見えてきたからお土産も買っちゃう。


サグラダ・ファミリアからガウディ通りをまっすぐ歩いてくればこの病院にぶつかる。

中国人のおっさんが突然、しっかりと鍵が掛けられてある扉をわざわざ開けて写真を撮っていたのだが、自力では閉められなくなってスタッフのお姉さんが大困りしていた。
こういう他者への迷惑を考えない行動が平気でできる民族ばかりの東アジア人に生まれたことへの不幸を感じた。結局は西洋人からすれば、日本人と中国人や韓国人との違いなどわからず、同類に見られるわけだし。

どんどん次へ行きます。次は30分ほど徒歩移動です。

登り続けながら。

iPhoneの中には入ってるけど、今はMogwaiの気分じゃねーな。

そうです、グエル公園へ向かってます。

12時20分に正門前到着。

飲み物を買い忘れていたので飲み物を、暑すぎるからアイスを購入。

水を売っている人たちは多いけど、明らかに冷えてなさそうだし。

まずは無料のエリアから回っていく。

楽器を演奏する人もちらほら。

ひたすら登ってきたおかげで、バルセロナを一望できたりする。

ちなみにグエル公園はガウディとグエル伯爵の構想(自然との調和を目指した総合芸術)を元に作られた分譲住宅。しかし2人だけで楽しくなりすぎたせいか、そのコンセプトは誰にも理解されず、60軒作る予定だったのに結局本人たちが買った2軒しか売れなかったというオチ。ガウディが一時住んでいた方は現在はガウディ記念館になっている。

独創的な建築物がない場所以外は、言ってしまえば、普通の公園。

カミーノの貝殻をつけていたのは中国人女性だった。

禁じられた遊びを弾いていたおっちゃん。その演奏中の奏者の前に立って写真を撮る人は初めて見たがコリアンカップルだった。

有料エリアの入場時間が迫ってきたので並んだ。事前に予約していなければ次のセッションは17時と表示されていたので事前予約は必須だ。

制限時間はないけど一度出たら戻れないからねと注意を受けてから中へ。

ダリやミロが「タルト菓子のようだ」と評したお菓子の家。行列ができているが中ではガウディ作品の説明ビデオが流されている。

バルセロナのシンボルでもある大トカゲ。この子の置物買っちゃいました。めっちゃ小さくて安いやつ。

波打つベンチに腰掛けて少し休憩していた。

目の前の広場にはちびっ子たち。可愛い。

グエル伯爵の方の住居は現在は小学校になっている。グエル公園の小学校に通う子ども…かっこいい…。

30分増えとる。

ワンユーロお水売りおじさんたちをすり抜けて、駅へと移動。

ちらっとお土産屋にも寄ったけどね。

はい、戻ってきました。ボケリア市場。

営業中だが席が空いてない。それぞれの席の後ろで待つパターンだ。自分の食事中は後ろが気になりそうだなと思いながら待った。

近くで待っていたカップルの提案で、3つ席が空いたらここ(角)を取ろうというような協定を結んだ。まあ、自分はどこでもいいんだけど。
話を聞いているとカップルではなく男の方がこちらに遊びに来ている感じだった。まあ、どういう関係でもいいんだけど。

注文は紙に記入していくスタイル。

要はまあ、海鮮パスタとピリ辛ポテト。
patataって最初はこのメニューのことを指してるんだと思ってた。ってか久しぶりにこれ食べられたな。あのスロベニアのハネスがいるカフェで食べたんだよな。もう懐かしい。

午後3時頃に食べ終わった。自分の側を対応してくれていたイケメン店員が優しくて助かった。グエル邸へ行こう。

あるレストランの店先に出ていた店員に、君はジャパニーズだよね?アリガト!と言われた。どうも、雰囲気ジャパニーズの日本人です。

グエル邸は予想通り予約は必要なかった。待ち時間なしでチケット購入完了。

日本語のオーディオガイドは女性の方がおばちゃん学芸員ってな感じだった。男性の方もそうだったが、人名だとかの横文字を噛みまくっていたのが印象的。別に構わないんだけど。

グエル邸はその名の通り、グエル氏の邸宅として作られたガウディの建築物。

親と一緒に来ている日本人女性とほぼ同じペースで回ってたな。

地下には厩舎があった。車が一般的ではない時代はそりゃ馬車だよね。

自分も豪邸に住みたいというどストレートな想い。

ここからはいつもの屋上。初期の作品だから控えめなのかなと感じていたが、屋上はやっぱりガウディだった。

午後4時過ぎに見終わった。途中で男性ガイドがいきなり早口になったのには笑ったが、収録時間が足りなくなったのだろうか。

時間的にゴシック地区のウォーキングツアーに行けたが面倒臭くなったのでやめた。

何しろ陶器のお皿を探し続けていたので、グエル邸近くの小さなお土産屋にも入ったのだが、インド系の店員が「I am gay, show me your di●k」と迫ってきて、やべえとこに入ってしまったぞ…と焦った。
自分が日本人だとわかると、トモダチー!見せてくれー!と更に迫られたが、もう1人の同じくインド系店員が「あいつふざけてるんだよ」とフォローしてくれた。でも笑かしてくれてありがとう。
と思っていたら「いや俺は本気だ。実はあいつもゲイなんだ」とさっきの男がまた調子に乗り始めた。まあ、確かにふざけてる。

この写真は別の店だけどね。

再びコロンブス。奥に見えているのはロープウェイ。


一人でビーチに行っても仕方ないよなあと、海方面へは行かず、ゴシック地区散策中。

からの陶器屋。大きいと持ち運びづらくて割れちゃうかもだし…とかいろいろ悩みまくってしまったけど、丁寧に包装してくれる良いお店だった。

カタルーニャ音楽堂は後日見学予定。

パエリアと飲み物だけでいいからさっと食べたいな。Tシャツとか買いたいけどお土産以外で荷物は増やしたくないな。というような心の中。

凱旋門付近は日本感が強かった。

足の疲れと首の日焼けを感じながら凱旋門到着。まあ、パリに比べたら小さいよねそりゃ。写真を撮って門をくぐれば満足だった。


そしてマイディナータイム。

はい、パエリアにありつけました。シーフードではなく肉が入っているバレンシア風パエリアを頼んだ。ノータッチと注意されたのも納得の熱々状態で運ばれてきた。

ではホステルへ戻ろう。

立ち寄ったスーパーで変わった味のファンタを調達。

しかし部屋のルームキー(タッチ式のカード)が反応しなくて、フロントでカードを更新してもらう必要があった。
自分の前には、足を怪我した女の子がタクシーについて質問していたが、旅先で怪我ってショックだろうな。こっちまで悲しくなる。

シャワーを浴びてからはのんびりと過ごしていたが、Facebookの知り合いかもにレカ経由でアマンダやポップが現れて面白かった。
明日、5月最終日は山へ登るので、トレッキングシューズを久しぶりに出した。


5月31日。
6時に鳥のさえずりアラームが鳴り始めたが、その当人がずっと起きなかったので鳥は鳴き続けていた。誰かのアラームで起きる生活から早く解放されたい。

バルセロナに来てから「Bikini」ってどんなメニューだ?と疑問に思ったのだが、わかりやすく言えばスペイン風ホットサンド。この朝は自分でビキニを作った。
それを食べていると隣に褐色美女が来たのだが、豪快に鼻をかみ始めたし、食後に自分は洗剤も使ってお皿を洗っているのに、彼女は水洗いだけで済ませていたという理不尽さに勝手に敗北した。
それと食事前にカフェ・コン・レチェを押してもレチェ(ミルク)が出てこなかったので、続いてレチェのボタンを押したら溢れそうになって危なかった。死ぬかと思った。

2リットル近くのペットボトルに水を入れるとやっぱり重いな…と感じながら出発。

地下鉄の車内には飲まない方のヨーグルトをそのまま手に持って飲んでいる女性がいた。
空いてる席に座ろうとするとインド系の男性に足をぶつけてしまったのだが、お互いに笑顔でごめんなさいみたいな空気になって爽やかな時間が流れた。

スペイン広場駅に着いてからは目的のホームまではオレンジ色のサインがあるのでわかりやすかった。まあ、券売機の方に行ったら係員にオフィスに行ってと言われ、オフィスの方ではここではケーブルカーは買えませんとたらい回しにされたが、券売機でも自力で正確に買える下調べはしていたから問題はなかった。

人が多くないといいなと願いつつ、でも絶対多いだろうなという諦め。

学生集団とかにぶつからなければまあ…。

ちと車内は狭いが、車窓を眺めている時間は最高だ。特に美しい光景などなくても。

見えてきましたモンセラット。遠目で見てもう「これは人集まるわ…」と思うかっこよさだった。とりあえず左側に座ったのは正解。

雲で隠れてしまったが雄大だ。

電車を降りて、次はロープウェイ。

電車からは先頭で移動したが、既に行列ができていた。

自分の前の男女は片方が中華系の女性で、『歓迎再来』と書かれてあるボードを指差して、隣の白人男性に「あれWelcome backって意味よ。weirdだわ」という風に笑いながら話していた。ホステルで知り合ったばかりってな距離感の2人だった。

出発前にパーカーを着てこようかと悩んだが、着て来ればよかったかもしれない。既に寒くてライトダウンを着た。

途中から霧でほとんど何も見えなかったけど、まあ山の上が勝負ですよ。

モンセラット到着。

遠くに十字架が見える。

雲の上。

貝殻マーク反応しちゃう病患者。

モンセラット(ギザギザな山という意味)は山の上にある聖地。黒いマリア像や少年合唱団が有名で、バルセロナから約1時間で来られるというアクセスの良さもあり人気の観光地。



ガウディも通った場所らしいですよ。

霧の中を進んで修道院へ。

よくわかんないけど、沢山の人が並んでいるからこれが黒マリアへの行列だろうと自分も並んだが、像の前でみんな立ち止まるからか何なのか、全然進まなかった。

でも門を通って雲が流れ込んでくるのは幻想的だった。

10時半で一旦閉じるようだ。順調に進めばいいが…もう10時10分前…。

さっきからカミーノ臭がするので、貝殻つけてくればよかったなと。

ジーパンにトレッキングシューズというシュールさ。ブーツに見えてたら万々歳。

29分、残り1分でぎりぎり入れた。あぶねええええ!!!と冷や汗はかいたが、後ろにツアーがいたので大丈夫そうな気はしていた。

いよいよと対面のときが迫ってわかったが、一列で進んでいるから誰かが写真を撮っていたら列の行進も止まるわけで、そりゃ進まないわ。

宇宙を意味する球体を右手に持ち、我が子(イエス)を膝の上に抱いた黒いマリア像。絵画などで見かけるマリアや幼きイエスとは別人のような顔立ちだが、スペインのマリア信仰の象徴的な存在でもある。
元は白かったという説もあるが、山の中腹で光る何かに気付いた司祭が、洞窟の中でマリア像を見つけ、麓の村へ降ろそうとしたが重たくて動かなかったので、その場所に教会を建てたというのが黒マリア伝説であり、この大聖堂の由来。

像は会衆席の方から見上げるように設置されているので、後ろを振り向くとなんだか偉くなったような気分になれる()

これは裏側の部屋。

40分頃に上の部屋からも退出するようにと指示されたので大聖堂から出た。

しかしマリア像見学が終了なだけで、大聖堂の中には入っていいようだったので入ってみた。
毎日多数の観光客も訪れているだろうし、人里離れた場所にあるという表現が正しいかはわからないが、そういった立地だからこその神聖な雰囲気を感じた。お寺ではよくあることだが教会では珍しい。
ちなみにこの場所は江戸時代初期、九州から派遣された天正遣欧少年使節団が訪れた場所でもある。
ここにはまた後で聖歌隊を見に来る。座席はすぐ埋まるだろうから早めに来ないとな。


雲が晴れている。

学生集団も来ている。

駅から出てきた日本人3人組は昨日サグラダ・ファミリアでも見た人たちだった。綺麗やねと話しているのが聞こえた。

少年合唱団までは時間があるので歩きます。





ケーブルカーの始発駅かな。でもこの駅に利用客の気配はない。(普通に利用はされてるっぽいけど)

当初はあの十字架も目指すはずだったが、この道は完全に別ルートだったので結局たどり着けなかった。

あの十字架があるのはサン・ミゲル展望台という場所らしい。まあ、行きたかったけど、下調べ不足。仕方ない。

何人かと何体かの彫刻とすれ違いながら下っていった。歩いているうちに当然暑くなってきたが、下り続けで膝を痛めそうだと不安だったことと、写真撮影で忙しいことを除けば、楽しい時間だった。

この十字架を背負うキリストの辺りからは登り。ライトダウンは脱いだ。

大聖堂などの建物はだいたい標高700m辺りに建てられているようだ。

何枚彫刻の写真貼るんだよって思ってるでしょ? 実はこれガウディの作品なんですよ。

そしてたどり着いたのはサンタコバ。

訪れる人はあまり多くない場所なようで、建物の中には白人のおばちゃんが1人いるだけだった。彼女が去ってからは自分1人になった。

この場所は伝説の始まりとなった黒マリア像が発見された洞窟。仏教の例えになってしまうが、奥の院的な存在だろう。

置かれてある(現在はレプリカの)黒マリア像は我が子を抱きながら、その成長した息子の姿を見ているようだった。 磔状態だけど。

岩の形が不思議で、ただただ壮大な景色。

雲行きが怪しくないか…?

モンセラートのチョコをお土産にするってのも洒落てるなと帰りに購入した。

黒マリア像見学の列がエゲツないことになっている…。やはり昼間は多い。

約45分前に着席して下の写真の位置に座れた。20分前にはもう完全に満席になっていて、座れない人たちは端で立ち見という形になっていた。
荷物が邪魔かなと移動させようとしたら右隣のおばあちゃんは大丈夫よと微笑んでくれた。左隣はブルガリア語のグループで、男性が変な鼻歌を歌いながら足を広げていてとてもマナーが悪かったが、前にバッグを引っ掛けられるフックがあることを気付かせてくれてありがとう。その後イヤホンをつけたままイチャつき始めたけど。

夜から朝にかけて途中で起きないことってまずないから、このときも眠たかった。
しかし12時50分にライトが点灯してオオオ!とコンサート開始前のような歓声が上がって、まずは大人の聖職者(?)が各国語で挨拶や注意事項の説明があった。

そして13時、ヨーロッパ最古の少年合唱団であるエスコラニア少年合唱団が現れた。

約10分間というほんの短い歌唱時間だったが、本当に天使の歌声だった。大人では絶対に出せない美しさ、声変わり前の少年が持つ、次の瞬間には壊れてしまいそうな儚さを感じさせる歌声だった。
あの歌を聞けばたとえ10分間でも、世界中の人がこの大聖堂に集まる理由は充分に理解できるだろう。

大聖堂から離れるとケーブルカーへ。

下ではなく上へ。

ここから1時間登るのか。凄そうだな。

プチトレッキング前にゃんこ。

それでは行こう。

謝謝!謝謝!(省いているエピソードはいくらでもあるのに、東アジア人とブルガリア人のこっち系の話での登場が多いのはなぜか)

無事追い抜けましたとさ。

ブラタモリで特集してくれないかなここ。

ロッククライミングをする人たちも結構いた。ロッククライマーにとっても聖地なのかもしれない。

どこまで道が続いているのかはわからないがひたすら進む。人がいなくなった代わりに虫が増えたが。

そんなに険しい道ではないとはいえ、スニーカーを履いてるとはいえ、ベビーカーで来るとはチャレンジャーだ…。

子どもたちの声が聞こえたが下にいた。

この何人かが休憩している場所辺りに分かれ道があって、子どもたちが下っていた道もその一つだったが、ここからの登りは一段とキツくなった。

綺麗なところであってほしいし、天気も持ってほしい。

着いたか?と思ったが、もう少しだった。

天国への階段と呼ばれていても不思議じゃないな。

到着。

 
 
 
 
 
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いや…嘘だろ…と呟きたくなるくらいの衝撃があった。360度どこを見渡しても雄大な自然が広がっていて、遥か遠くまで続くこの景色に言葉を失ってしまった。
この場所に自分が立っているということに、果てしない爽快感を感じていたのだが、同時に自分の拙い文章や写真で誰かに伝えられるだろうかと不安になった。パノラマ写真ですら今この瞬間の感動を伝えるのは難しいと思ったから。
あまりにも衝撃的だったので、地球って凄いな…とさえ感じた。



あるおじさんが来て、アスタラーダ(カタルーニャ独立旗)を柵に結びつけていた。他国のことだからあれこれと述べはしないけど、それが彼らの目指すものなのだろう。

サン・ジェロニ(Sant Jeroni)は標高1,236m。モンセラットの頂上がここということだ。
自分より先にモンセラットに来ていたえりこさんから、結構本格的なトレッキングをしたという写真は送ってきていて、てっきり自分も同じ場所に着くものだと思っていたが、多分向こうはサン・ジョアン祈祷庵の道だ。
この場所の動画を見た彼女が「そこは見落とした」と言っていたが、別ルートだったという話。ちなみに所要時間はサン・ジョアン祈祷庵までは20分で、こちらは1時間。向こうは向こうで素敵に見えたが、でも約1時間掛けて頂上に来たかいがあった。多分この感動は頂上でなければ味わえなかっただろうから。

あの石はなんだろうと少し危険を冒して移動してみたのだが、特に何も刻まれてはいなかった。高所が苦手すぎる人だと卒倒するような場所なのに。(自分も一応高所恐怖症ではある)

たまらん。軽い気持ちでは来れないだろうけどモンセラットに行くならオススメ。

帰りたくないけど帰ろうかな。もうあの十字架はいいや。今更人が多くて、ここより低い場所に行っても、そこまで胸が熱くなることはないだろうし。

そんなに寒くなくてよかったな。上半身裸の男性グループも来るくらいだし。
ベルトが無くてちょいずり下がってくるジーパンでも難なく歩けたのは、カミーノ後もほぼ毎日15kmほど歩いていたからかな。



行きの道で追い越したのに、帰りの道でも会わなかった人たちがいたが、多分途中で引き返したのだろう。

ケーブルカー(フニクラ)の駅に到着したのは16時前。少年合唱団も聴けたし、ほぼ完璧な過ごし方ができた。このトレッキングでもHola!を返してくれる人もいたし、とても良い気分だ。


ケーブルカーの汽笛でスタッフ同士が楽しんでいて、陽気なスペイン人をまた目にすることができた。

お土産屋には小さな黒マリア像が大量に置かれていたし、いろいろと魅力的なお菓子等も揃っていた。

下の展望台で写真を撮っていたら美少女グループの1人がピースサインしてくれたから載せとこ。

周りの人たちに触発されて気付いたらジェラート屋に…。

ブルーハワイ系かと思いきやハチミツ感の強い味だったが、美味しくてコーンは大きい方でもよかったなと思った。この味はメニューが埋まっていて見えなかったのにラッキーだ。

ロープウェイにも登山電車にも乗りたかったのさ。

さよならモンセラット。

ここでバルセロナ行きの電車に乗り換え。

みんなそわそわしながら待っていた。ほぼ全員が初めて訪れる観光客だから。

席に座れたはいいが狭めのボックス席だったので、次のロープウェイの駅から乗ってきたショーパンで生足を出しまくった女子3人組に囲まれてからはちと窮屈だった。でも不満はない。何でだろう。何でだろう…。
窓が汚くて車窓という点では減点。でも隣の子以外が疲れていたのかすぐに寝て、その起きている子が口を開けて寝ている友達の写真を撮ったりして面白かったから良しとしよう。太もも祭りだったし。

ディナーはバスターミナル近くのバー・レストランに行った。店員は中華系。イカリングは途中で飽きた。

この世に存在する大抵の動物は交尾がしたいからしょうがない。僕だってしたいからね。大目に見るよ。

ホステルのシャワーは温水が出るまでめちゃくちゃ時間が掛かって、バルセロナですらこれってどういうことだよ…。シャワーで温かいお湯が常に出るようになってから独立しても遅くないんじゃないか?そのくらいできないと後先困ると思うぜ…?と正直イラッとした。

はい、バルセロナ観光はもう一記事分あります。


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