18才の青春18きっぷの旅

全都道府県制覇まであと4県となったのは去年の夏で、満を持してといった感じで(何かしらやることあって余裕がなかっただけ)、1年後のこの夏に全クリしてしまう予定なんだけど、
多分”旅をする若者”になったきっかけは、18才なりたての高校生の夏休みに、青春18きっぷを使って日本横断(?)旅をしたことだと思う。
当時僕は福岡市の高校に通う3年生で、まあ、今よりずっと若くて、大学には行かないと勝手に決心したぐらいの頃で、きっとここではないどこかへ飛び出したいような気分だったんだろう。

旅の内容を端的に言えば、鈍行列車で福岡からひたすら北上して北海道まで行って、札幌からは夜行列車で上野へ。しばし千葉に住む従兄弟の家に滞在して、博多へと戻るといった行程だったかな。帰りはあっという間だった。
もう9年前のことだし、予定なんて一切組んでいない行き当たりばったりの旅だったから、印象的なエピソードを中心にかいつまんで話そうと思う。

始発の電車でスタートした初日は、宮島に寄って、広島市内もちょっと散策して、岡山までたどり着いて、ネットカフェに泊まった。
本当は四国で泊まるつもりだったんだけど、瀬戸大橋線でたどり着いた四国の駅前(坂出駅だったかな?)は、ジョイフルしかねえ…これは泊まれないぞ…と焦って岡山まで戻った。
でも岡山駅に降りてみると、ホストとキャバ嬢の大行進みたいな謎の集団が歩いてるし、ガラの悪い男たちのグループの中にいたおっさんが、薄汚い犬を強引に掴んで噴水に投げ入れてて、犬の嫌な鳴き声聞こえてるし、岡山ってヤバいとこだ…と焦ってネットカフェまで移動した。
途中、地下道からストリートライブの音が聞こえてきて気になったけど、とにかく今日の宿を確保しないと…とビビりながらね。

んでそこに泊まれたはいいんだけど、朝になって顔洗ったりなんだりしたいのに、トイレ汚いし、どこか水道のある公園でも探すかーと出てみたわけですよ。
でもなかなか見つからなくて、岡山城の近くにある公園が大きそうだし、ここならあるだろう…と橋を渡っても、5時前だったからか時間が早すぎてかなんだかで入れそうになくて、ここも駄目なのか…もう引き返すしかない…と駅方面へと橋を戻ろうとしていたら、
橋の向こう側から何かが猛スピードで近付いてきて、
え…?何…?何だあれは…?ええ…?えええ…!!!!
と、近付いてきたそれは自分の横を通って、公園の奥の方へと消えていったんだけど、まあ、それが何だったかというと、
「自転車に乗って、セーラー服を着た、全身毛むくじゃらの、デブのおっさん」だったわけですよ。

後に知り会った岡山市民にそのことを話したら、一応知ってる人もいたから、まあ有名人っちゃ有名人なんだろうけど、その時の僕は当然その人の存在は知らないし、
まさか、曙色の空の下で、ライトアップされている美しい橋の向こうから、セーラー服を着た全身毛むくじゃらのデブのおっさんが猛スピードで自転車でこちらへと迫ってくる、とは想像してなかったから、とにかく衝撃的で、ええええ………と驚くことしかできなかった。
(撮影はガラケーのSH-01B。懐かしい。動揺してたのかブレてるけど)

それから結局水道のある公園を見つけられて、早起きしたアパートの住民から見下されながらも、顔を洗ったり、歯を磨いたりはできたわけだけど、
その公園は何年か後に、トイレに住み着いているホームレスが、小さな子供の頭をフォークで刺したっていう事件の舞台になる公園で、テレビの中継に映ったタコの遊具を見て、この公園知ってる…!!!とこれまたサプライズだったわけです。
やべーよ岡山。

そうして始まった2日目は、まず日本全国探しても関西でしか味わえないだろうなって感じのおばちゃんのマナーにドン引きして、
名古屋駅前に降り立つと、名古屋ってこんな都会だったっけ…?と建物の高さに驚きつつ、ポイ捨てされてる尋常じゃない量の煙草の吸い殻に、もう道が煙草で埋め尽くされてるやん…どんだけ汚い街なんだここは…とまたまたドン引きしながら、最後は繁華街の中にあるネカフェに泊まったわけです。
店員の男女は多分奥でいちゃついてたし、その夜は近所で火事も起きてて危うく死ぬとこだったけど、まあ、なんとか。

3日目は、長い長い静岡を抜ける間、前日にお風呂入ってないからと、汗だくになりながらわけのわからない場所で温泉を探したりして、
(ピントそっちじゃなーい!!!!!)

東京に着いて、秋葉原に泊まろうとしたんだけど、都会になると身分証明とかもきっちりしてて、後になって考えればいくらでもパスできたんだけど、当時は焦るばっかりで、なぜか、今日の限界まで北上するしかない…!とまた電車に乗って、終電で宇都宮駅に到着した。でもこの宇都宮という町もカオスな町だったわけです。

多分駅から出た方面が悪かっただけなんだけど、この駅付近も泊まれるネカフェとかなさそうだな…ってかさっきみたいに追い払われるかもしれないしな…とナーバスになってて、野宿できそうな公園を探しました。ええ。
んでたどり着いた公園で靴下とか下着とか手洗いして、ベンチで寝ようとしたんだけど、なんかやたらと夜中でも人が来るハズレ公園で、
小太りのニート風の男が現れたかと思ったら「薬とかやってる?」って聞いてくるし、チャリンコに乗った学生集団も騒ぎながら通り過ぎるし、ああ、ここじゃ眠れないわ…と移動しようと公園を出た瞬間に、
原付に二人乗りしたヤンキー風な男たちが「こんちゃーす」ってニヤニヤしながら挨拶してきて、え…なんだろう…と思いつつも挨拶を返したら、突然写真を撮られて、すぐに逃げられた。
え…なに…と最初は戸惑いしかなくて、今起きた出来事が理解できてなかったけど、徐々に理解できるようになると、なんか写真撮られたな…仲間内で回されたりすんのかな…とか考えてたら無性に腹が立ってきて、
まあ相手が去ってるからどうすることもできなかったんだけど、駅へと戻る道すがら、宇都宮って本当に最悪な町だな…!!クソみたいな町だ!!!としか思えなくて(汚い言葉は普段全然使わない元おぼっちゃんなのに…)、何年か前餃子食べに行って少しはマシになったけど、それまでの間、宇都宮は日本で唯一嫌いな町でした。はい。
今も別に好きではないけど。

駅まで戻ってみると、まさかのまさかで、ベンチで寝てる(終電を逃したのであろう)サラリーマンとか普通にいたから、自分もそうするか…とベンチで寝ようとするも、茂みからgkbrわんさか出てくるし、寝れるわけがない…と近くをふらふら歩いてたら、まだ宇都宮は宇都宮のままで、
歯がほとんどないようなホームレスのおっちゃんが近付いてきたと思ったら「お兄ちゃんお兄ちゃん、あっちには行かん方がいいぞ。あっちでなー、ヤクザの男がな、うんこしよったからな!うんこを!」と言ってきて、
他の人はどうかは知らないけど、初対面の人にいきなり、あっちでヤクザがうんこした、とか言われた経験それまでなかったから、宇都宮すぎる…と思いつつも、「うんこですか…?それは危ないですね…!」と優しく返してあげたの。九州の男の子は優しいからね。本州恐ろしいとこ本当に。

まあ、結局その晩は一睡もできなかった。音楽を少し聞いていたり、ベンチのある場所から見下ろせるキャバクラ?から出てきて、客の男に手を振り続けていたかと思ったら相手が見えなくなった瞬間、はい業務終わり、ってな感じで即座に手を下ろす夜の女を見ていたり、どうせ眠れないからとまた歩いてたら、ホテルから出てきた男女の後ろを歩くことになり、なんかやたらと男が女の尻を揉むのを見せられたり、そういう夜でした。
始発で去ったけど、濃いよね。今も北関東の人たちに抱くイメージはおっかないけど、実際おっかないと思う。

その次の日(もう当日だったけど)4日目は、震災半年前の東北を走り抜けた。仙台で降りて、青葉城何もない…とショックを受けても、仙台駅で買った牛タン弁当は美味しかった。新幹線とかとは違うから、車内で駅弁を食べるのが恥ずかしくて、早く食べないと…とそわそわしながら降りたんだよね、松島で。
この日だったような気もするし、静岡くらいだったような気もするけど、終点でおばちゃんから起こしてもらうという場面もあったな。着いたよーって。その前に話をしてたとかじゃないんだけどね。
その夜泊まったのは盛岡のネカフェ。20時以降の方が安くなりますよと、女の子の店員が教えてくれたけど、10席もないような小さなところだったから、この間に埋まったらどうしよう…と不安になっていたことと、チェアで寝たのを思い出す。

半年後の震災で悲しみを強く感じたのは、松島を含めて、自分が実際に見た場所や町が、津波や揺れで破壊されていたから。
あの時、同じ空間にいた人たちも、もしかしたら津波に巻き込まれたかもしれない、と考えるとただただ辛かった。

18きっぷの最終日である5日目は青森まで上がって、フェリーで函館まで移動した。
(写真が縦長すぎる…)
 
まあ、北海道のデカさをナメていて、当日中に札幌まで移動するとは決めていたものの、特急等に乗るしかないと気付いたときにはもう夜は迫っていて、
連絡していたバスの次の便かな、その運転手のおじさんに事情を話したら、まだ出発する時刻じゃないから通りでタクシーを拾った方がいいとのことで、通りで探すけれど見つからず、
とぼとぼと(しかしバスの時刻も迫っていたので急ぎながら)フェリー乗り場の方へ戻っていたら、もうバスは出発してしまった。

と見せかけて、先程のバスが、絶対通らないであろう道を通って、自分を拾いに来てくれた。タクシーならまだしも、バスがだよ。
駅までは誰も乗ってこなかったので乗客はずっと自分一人という車内で、運転手のおじさんの優しさに泣きそうになっていた。それが初めての北海道でもあったんだ。
そして、遅くはなったけど無事札幌にも着けて、例のごとくネカフェに泊まった。

翌日は、まずクラーク像を探し始めたけど、ガラケーのしょっぼい地図だかなんだかで出てきたクラーク像は北海道大学の敷地内を指していて、え…あれってもっと草原みたいなとこじゃなかったっけ…と困惑した。(当時は2つ以上あるとは知らなかった)
大学への通勤通学の人々の流れに邪魔にならないように、えーっと…どうしよう…と地図を見ていたら「(目的の場所は)わかったかい?」と声を掛けてくれるおっちゃんもいて、おっちゃん2人のおかげで北海道の人は優しいという印象を抱いた。
自分が間違えていることにはもう気付いていたので、恥ずかしくて、大丈夫です!ありがとうございます!と返したけど。

それから調べ直して札幌ドーム方面に向かった。どっちのグラウンドが出ていたかは忘れたけど、その天日干しされてる場所の奥に広がる景色からは、雄大な大地であることが感じられて、やっぱ北海道ってすごいな…と思ったのを覚えている。

目的のクラーク像もちゃんと見れたしね。羊はいなかったけど、ソフトクリームも食べたよ。
帰りの地下鉄のホームではリボンナポリンを爆発させてしまったけどね…照

まあ、そんな感じかな。
あと印象的だったのは、帰りの夜行列車でわりと若い女性と車掌(?)が、自分に気付かず道を塞いで話をしていて、その女性が(どんどん合理化して)夜行列車がなくなっていくような時代の流れを嘆くように「無くならないでほしいです」と話していたのを聞いたことかな。
結局夜行列車はその後の廃止の流れに逆らえなかったけど、ななつ星などの豪華寝台列車(観光列車)のブームは到来したので、需要は無くなってはいないということだろう。良かったさ。

もう来年で10年前ってことになる旅の記憶で、もはや震えるほど懐かしく思う。
この旅に限ったことではないけど、愛おしいよね。自分が触れた物事だけでなく、当時の幼い自分ですらね。そういえば自分も10代だったんだ、と。

今夏の旅については後々記事にする予定。そこで、あれから9年という記述があれば、この旅のことを指しますよ。というお話でした。


Scroll to top