突然何を語り出すんだと思うだろうけど、まあ、読んでいってくださいな。
端的に言えば、自分で巡礼路考えちゃったって話だから。宇佐神宮への道をね。
そして、宇佐神宮自体の人気を復活させたいっていう内容だから。
とは言っても、何から語ろうかな。どうせ長くなるだろうけど。
よし、宇佐神宮についてにしよう。
現代を生きる大半の人々が知らないことだけど、かつては伊勢神宮を超える信仰を集めて、最も権威ある神社だったのが宇佐神宮。
その理由は、神仏習合が当たり前だったかつての日本で、御祭神である応神天皇が、戦いの神(武神)や鎮護国家の仏である「八幡大菩薩」として多くの武家たちに崇められたから。
皇室の宗廟として皇室からの崇敬も集め、信頼されていたという点も挙げられる。八幡神が、先代の天皇や神々を差し置いて選ばれていたのは、(崇敬対象として)現実的な皇祖神だったからだと思う。
もちろん(応神天皇の祖でもある)天照大御神、その天照大御神が祀られている伊勢神宮が最重要なことには変わりないけど、 古の存在すぎて、あるいは高貴すぎて、信仰とはちょっと違うような感じだったんじゃないかな。言葉で説明するのは難しいけど、日本人ならわかるよねきっと。
宇佐神宮には、主神である八幡大神以外の御祭神も二柱いて、それは比売大神と神功皇后。
比売大神は、諸説あるけど、基本的には海や道の神である「宗像三女神」とされている。
神功皇后は応神天皇の母。お腹に子(応神天皇)を宿したまま三韓征伐を率いたりした、実質日本初の女帝。
この三神を合わせた「八幡三神」が、全国の八幡宮や八幡神社に祀られている。御祭神で分類すれば全国一位の数となるらしい。
そうです。約4万社ある八幡様の総本宮が、大分県宇佐市にある宇佐神宮というわけです。
宇佐の地は磐座信仰が元になっているだとか、元宮は福岡県にあるとか隣の中津市にあるとか、歴史の古い神社故にいろんな説があるけど、
とりあえず、国家の危機を救う神託を受けるために、都から遠く離れた九州にある宇佐まで朝廷が和気清麻呂を走らせたりと、宇佐は日本国最高レベルの権威ある地だったということだけ覚えといてもらえれば充分です。都が奈良や京都に移っても、宇佐は偉大であり続けたというわけです。
上には書かなかった様々な理由も含めて、宇佐神宮は伊勢神宮に唯一匹敵する最強の神社と解釈してもらえれば結構です。ええ。そういう歴史があるので。
うん。わかってるよ。じゃあなぜ人気が落ちちゃったの?って気になるよね。
それは、もう戦いの時代じゃないし、宇佐は東京や大阪から遠いし、神社も寺院も今となっては、パワースポットがどうだとか周辺のグルメがどうだとか、宗教施設ではなく観光地としての評価をされるようになってしまったから。
神社として見ても、ご利益ばかりが重視されて、その中でも縁結びや恋愛だとかがそりゃ現代人には人気なわけです。まあ、わからんでもないけど、ねえ。
でもね、ご利益一つを取ってもね、みんな忘れてるんですよ。恋愛だとか仕事だとか、全部ひっくるめて、人生は、生きることは、戦いであるということを…!
そして、宇佐神宮は戦いの神を祀る最も価値ある神社であり、過去の偉大な方々は勝負事の運を求めて、八幡神を信仰していたということを…!
そうですよ。良い人生を送りたいなら、人生で一度は宇佐に来ないといけませんよ。宇佐に来ないで他の神々に祈るってのも考えてみればおかしな話ですよ。
ええ、この日本という国の中で最も訪れるべき場所が宇佐なわけです。それに気付いていない人の多さたるや!嗚呼!
とまあね、国宝でもあるし、それなりに多くの参拝客は来てるけどね、僕は最強だった宇佐神宮を再び復活させたいわけです。
それはなぜかと言うとね、宇佐・宇佐神宮と自分は無関係じゃないと思うから。
八幡神と秦氏と宗氏の関連等を語ってもいいけど、それは自分の名字について書いた以前の記事に留めておくとして…
単純に、自分が宇佐市に生まれ育って、宇佐神宮に(遠いけど)親戚もいたりして、
宇佐から離れた後に、いくつかの巡礼路を歩いていくうちに、あの宇佐神宮がある故郷宇佐への巡礼路がないことを嘆き、
存在しないのならば、宇佐神宮への巡礼路を、いつか自分が作りたいと思っていたから。
ええ、私が令和の御師として、宇佐神宮への巡礼路を、ここに提唱します。
その道の名は「宇佐新道」
全部で七つの路です。
筑紫の路
宇美八幡宮から始まり、博多や北九州を通る路。
豊の路
柞原八幡宮から始まり、別府を通り、国東六郷満山霊場を巡る路。
肥前の路
千栗八幡宮から始まり、日田や耶馬渓を通る路。
肥後の路
藤崎八旛宮から始まり、阿蘇や九重、由布院を通る路。
山国の路
大分八幡宮から始まり、英彦山を越える路。
日向の路
鹿児島神宮から始まり、宮崎や大分を通る路。
薩摩の路
新田神社から始まり、八代や菊池、玖珠を通る路。
この巡礼の道の特徴は、神仏習合の巡礼路であること。
九州本土のほぼ全方面から、道中の重要な神社仏閣へ寄りつつ、宇佐神宮を目指していくという道になる。
7つもあることはあるけど、どうせ書くのは(生半可な覚悟では痛い目に遭うし、いろいろと労力の掛かる)歩き旅だし、正直自らの足で歩きたいと思うのは上2つ。
八幡大神だけでなく、上記した和気清麻呂や、この巡礼路を考えた自分自身のルーツや縁のある場所を巡りながら歩いてみたいなと思う。
では残りの5つは何なの?ってな話になるけど、5つの路のスタート地点はすべて九州五所別宮という九州の五大八幡宮からということを書いておこう。
多くの巡礼路のルートがそうであるように、その方面から向かう人々にとってはその路が最も重要であり、またどの路にもその路でしか行けない場所があり、それぞれの良さがある。
あれだったら海路を使えばもっと路は作れるけど、うん、キリがなくなるからやめておこう。7つですべて。
歩き旅になるとはいっても、通しで歩かなければ!という変なプライドはないから、刻みながらでも別にいいかな。
どの道を選ぶとか、どの寺社に寄るとか、まだいろいろと考えて、決めないといけないことは山積みだからね。大変ですわ。
とりあえず、ここに書く上では、読み物としてきちんと楽しんでもらえるようにしないといけないね。
御宝号があるのなら「南無八幡大菩薩」ということになるんだろうけど、まだ構想でしかない巡礼路だし、もしこの先も続くのなら、歴史が自然と作るものがあるはず。
はい、やたらと仰々しい記事でした。個々の細かい部分はこれから練りに練って、完成させていきます。
とりあえずは、以上です。