スヌーピースナフキン菩薩

年の瀬ですね。実感はなくても確実に、年は暮れていき、そしてこれを書き始めた今、外は雪が降っています。
個人的に、仕事というか、やりがいを感じられない作業に関してのモチベーションが著しく低下し、順調の真逆の状態ですが、まあ、生きてはいます。
このブログでわんさか稼げたら、わんさか更新するんだろうけど、わんさかではないので、久しぶりの投稿。今思っていることを書こうかなと。

二十歳になるかならないかくらいの頃からかな。「スヌーピーのように考え、スナフキンのように暮らす」なんてことができたらいいなーとは思ってきた。
本気ではないけど、でもわりと本気で意識してきたような、いや、まさかそれはないだろうけど、いや、でもまあまあガチめで。

まず、スヌーピーのように考えるというのがどういうことかと言うと、
「You play with the card you’re dealt…Whatever that means(配られたカードで勝負するしかないのさ…それがどういうものであれ)」とか
「Keep looking up…That’s the secret of life…(上を向き続けるんだ…それが人生のコツさ…)」みたい言葉がスヌーピーさんの名言でして、
単純に見た目も可愛いんだけど、実はナルシストの犬だし、思考が哲学的というか、ポジティブなニヒリズムって感じで大好きなんよね。

んで次に、スナフキンのように暮らすってのが、
スナフキンさんは、自由と音楽を愛する孤独な旅人で、大抵の人のことは嫌ってるけど極一部の人のことは好きで、持ち物は楽器とテントくらいで、暖かい場所や季節を求めてどこへでも旅をするような感じ。
ミニマリストと表現すると安っぽくなるけど、家も持たず、多くの物事に執着しない姿勢はクールな男として映る。どことなくスヌーピーに似ている気もするけど、こちらの方が口は悪い。でもそういうところも好きかな。人によっては無愛想な浮浪者に見えるだろうけど。

まあ、二人とも?一人と一匹?はフィクションの登場人物であり、現実には存在しない。
その現実はウンザリするようなことだらけ、面倒くさい奴らばかり、と自分は感じる。
現代のヒューマンレースの本質はマウントの取り合いなんじゃないかと感じることもある。見栄の張り合いや、不必要な比較ね。
実際にそういった無駄な争いで疲れ切っている人がどれだけいるだろうか。きっと少なくない。

くだらないと思う。何もかもバカらしいと思う。
顔が良いとか悪いとか、身長が高いかどうかとか、バストが大きい大きくない、どこに住んでるだとか、どんな仕事をしてるだとか、どれだけお金を持ってるとか、家族がどうだとか、ペットがどうだとか、もうありとあらゆるものが、どうでもいいと思う。
しかし、そうは思っていても、人は心のどこかで意識をしてしまう。勝手に比べてしまう。どうでもいいことは、どうでもいいことじゃない。

個人的に、①いずれ失うものを恐れるべきではない。 ②すべてのものはいつか必ず失うもの。
この2つを広域に捉え、忘れないようにと努めてはいるんだけど、上手くいかないよね。仏のように執着は捨てられない。煩悩だらけだ。
いつも似たような悩みにぶつかっては、忘れて、またぶつかっての繰り返し。堂々巡り。

でも強くありたい、強く生きたいと願う。人生は上手くいかないことばかりだし、絶対に完璧にはいかないことはわかってるんだけど、それでも、わかっていながらも、できる限りそうでありたいと願う。
今年も理不尽なことがいくつもあった。ムカつく人もいたし、自分に失望することも何度もあった。人に裏切られたりもした。きっと自分が傷付ける方でもあった。
どう足掻いても、悟りや涅槃にはたどり着けない。でも、スヌーピーやスナフキンっぽく生きることなら多少は出来るかもしれない。

本気で悟りを目指そうとする修行僧の心情はわかる。
何もかもを捨てて田舎で小屋暮らしを始めるような人たちの気持ちもわかる。
豊かさを求める姿勢を放棄すれば、マウント合戦から離れれば、豊かである必要はなくなり、結果的にそれが心の豊かさに繋がる。

でも自分はそういった生き方がしたいわけではない。心理的には身近なものを感じるし、否定する気もさらさらないけど、ちょっと違う。(最近溢れている)心に余裕がなく何にでも噛み付く連中より遥かにかっこいいけど、ちょっと違う。強制参加のレースを下りる決心が出来ず、生きる屍になってしまう方でもないけど。
今年かな、去年かな、いつ頃からかな。「自分にはこれがあるから」というような存在を持つ人は本当に強いと感じるんだよね。自分もそういうものを見つけたい、手にしたいと思う。
醜いままでいいから、不格好なままでいいから、何かの確信を持って走っていきたい。別に歩きでもいいけど。自信はないんだけど。
これから、いずれ必ず、なくすものを、そばに置いて、抱きしめていたい。完全な孤独はさすがのスナフキンも耐えれないだろうしね。

大跳躍への長い助走なのか、ただの後退りなのかわからないような日々が続きますね。悪いニュースは尽きない。それは自分だけじゃないはず。でもみんな頑張って生きてるんだろうな。
相変わらず無垢な子供と犬以外はあんまり好きじゃないです。いやでも、甘い物は好きか。音楽もアートもスポーツ観戦も好きだった。ハイキングやトレッキングも楽しい。最近はポケモンも加えていいな。結構いっぱいあるのかもしれない。
楽しくないなと思う日はいくらでもあるんだけど、新鮮さを失った楽しさに実は救われてるみたい。サンキューだ。

うん、安心なんてどこにもないけど、落ち着いたらまた旅に出ようぜ。
たとえ幸せなことがなくても、幸せでいようね。
来年はきっと良い年になる。そう願いながら生きていこう。

おしまい。これを読んでくれた人の2021年が超最高な年になりますように。良いお年を!


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