四国歩き遍路の旅 3日目

5月26日。
4時半過ぎに目を覚ますとウグイスをはじめとする鳥の鳴き声が聞こえた。山の中で早朝に聞く鳥の鳴き声。悪くない。
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上から見た小屋。鳥の鳴き声を除けば、山の静けさと薄い霧に包まれている朝5時。
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昨日から話してたんだけど、ひかる君から誘われて、一緒に行動することに。
焼山寺まではまだ距離もあるし、何より自分の山登りのペースに自信はなかったけど、でもきっと楽しそうだと思ったからOKした。

6時出発予定にしていたから、ひかる君もぼちぼち起きて準備して、準備体操を二人揃ってしてから時間通り出発した。
ペースメーカーどうぞと言われて自分が前を歩くことに。良いんですか?ともちろん返した。
でも今考えてみれば、完全に山慣れしているひかる君と2000m未満の山しか登ったことのない自分が一緒に登るわけだからそりゃ自分が前の方が良い。
でもペース合わせてくれて助かった。最初迷惑かけたら悪いからと少し飛ばしてたけど、話してから少しペースを緩めた。本当に自分は登山が遅いと伝えていたけど、緩めてからもこのペースなら早い方ですよと。まあ、遅すぎないなら良かった。
ひかる君は優しく敬語で話しかけてくれてたのが印象的。そして、ここではあまり地図はいらなかったけど、詳しく標高や距離を調べていて、この先どのくらい登りが続くのかとかそういう情報も教えてくれて本当に助けられた。
雨が降りそうな感じだったし寒さもあったからレインウェア着て歩き始めたけど、わりとすぐに脱いだ。降らなかったし。

写真をほとんど撮ってない…。山の中ということはわかる…。
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アップダウンというか複数の山を登ったり下りたりする感じで、バテてからはちょっと立ち止まるということが増えた。
それでも迷惑かけないようにと立ち止まる回数は抑えてたから、普段はもっと止まっていてそれで時間が掛かるんだろうなあ。
出発前は平地でのトレーニングはしてたけど、もっと山でもしておけばよかったと悔いた。やっぱり山登りの体力作りは山登りでしないと。

柳水庵から2kmほど進んだ浄蓮庵では杉の巨木の前に大師像が立っていた。
この大師像、正面から撮ったら階段の先に大師像と一本杉があってかっこいいんだけど、撮ってない、うん。
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下山して、次の山への途中にあった集落。こういう集落を見かけるたびに、いったいどんな生活を送っているのだろうと考える。グッとくるものがやはりある。
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そしてまた山の中へ。登山道は撮っていなくてこういう休憩のときに見下ろした写真が数枚あるだけ。ブログ的には残念だけど、でも上へ上へと伸びるキツい道がある光景は自分の瞳に焼き付いている。
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そして登っては下りて、下りては登って、緩やかな坂道になって、砂利道を抜けると、第12番札所摩盧山焼山寺へ到着。8時20分過ぎだった。
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境内はロウソク台を整理しているお寺の人以外は誰もいなかった。山の上にある聖域という言葉が似合うお寺。そこに自分達だけ。鳥の鳴き声と砂利を踏む足音だけが聞こえていた。
息を呑むような神秘的な空間だった。きっと出発前はこういうのを求めていたんだろうなという感動があった。

鐘楼堂。ひかる君が鐘を突いていた。ここで初めて突いたらしい。
自分も突いてみた。重たい音で響いて、その余韻も含め、清められたような気持ちになった。
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本堂。本尊は虚空蔵菩薩。本尊までかっこいい。
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大師堂。
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神社も横にあったけど、まったく違和感がなかった。山岳信仰の対象にもなりそうな場所だったから。実際に昔から修行の地として修験者が集ってたらしいし。

西暦701年~704年の間に開山したのは修験道の開祖とされる役小角。そして後に弘法大師がお寺の建立に関わることになる。ある伝説を残して。
この山には昔、神通力を持った大蛇が棲んでいて、火を吐いて農作物や村を襲ったりして、村人を苦しめていたらしい。
弘法大師がこの地に巡りその話を聞いて、退治する為に向かうも、大蛇は山を焼いて抵抗した。
大師は摩盧(水輪)の印を結んで進んだが、大蛇は山頂の岩窟に閉じこもり抵抗を続けた。
そこで大師は虚空蔵菩薩や三面大黒天に祈願して、岩窟の中に大蛇を封じ込めることに成功した。
そのお礼に建立したのがこのお寺という伝えがある。だから山号も寺名も弘法大師のこの伝説と関係がある。

お寺には自販機があって助かった。値段が高いとかそういうこともなかったし。
休憩がてら納経所付近のベンチでカロリーメイトを食べたのを覚えている。動物のモニュメント?が目の前にあった。ちょうど木々のない開けたところで少し山を見下ろすような場所だった。
ブランコも設置されていたけど、親のお参りについてきた子供用だろう。小さな子供のときにこのお寺に来たことを覚えていたりするものだろうか。車で連れられてきたことをかすかに覚えていて、その後自らの足で登って記憶を再現するなんてことがあったらそれはとても素敵だと思う。自分は小さなときには来ていないから不可能だったけど。
結局自分達が境内にいる間他の参拝者は誰も来ないままだった。お寺を出る際に仁王門の下にある階段で一組の夫婦(例のごとく定年退職直後くらいの年齢)とすれ違ったぐらい。
人が大勢いるときとこのときのような状況では感じるものも変わっていたかもしれない。恵まれていた。柳水庵に泊まったのが正解だった。
ひかる君もきちんと読経していた。友達からはこだわるなら足元は足袋が良いんじゃない?と言われたらしい。さすがにそれはと軽登山靴で来たみたいだけど。

下山はひかる君に前を歩いてもらった。下るのはそこまで苦手じゃないから問題なし。でもこの靴じゃなければもっとスムーズに歩けるのに…とは思い続けていた。
想像していたよりはずっと楽に歩けた下り道。登りもあったはあったんだけど。
焼山寺への行きの道とは違い、車道を歩くことも多かった。それも楽に歩けた理由の一つかもしれない。楽しく話しながら歩けたというのももちろんある。

こういう寂れた(というと失礼だけど)村にあるプールとかほんと素敵。
この辺りから集落がまたあって、少し先の橋のそば、田中食堂の手前にベンチがあったから少し休憩することに。
すると食堂からおばちゃんが出てきて、ブラックコーヒーとミルクキャンディーをお接待でくれた。
ちなみにこの付近にはすだち館という1泊2食付き4000円の善根宿(お遍路を善意で安く、または無料で泊めてくれる宿)がある。利用してはいないけど、他の人のブログを読んでみるとご主人が温泉やホタルの名所に連れていってくれたりする親切な方というのがわかる。わりと有名っぽいのは藤井寺スタートで朝から登り始めたら1日20km未満の人とかにはちょうど良い位置にあるからかな。
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実は焼山寺から次のお寺へは分岐があって、すだち館の先辺りから山を抜けるコースと神山という町へ一度降りるコースがある。自分たちは物資補給をしたくて後者のコースを選んだ。
県道43号という完全に舗装道を歩いたからウォーキングシューズの自分にとっては歩きやすかった。山を下るように流れる川、その川を沿うように伸びる道で景観も良かった。夏は川遊びで人が集まりそうな川だった。

神山という町に入る前にここを通った。めちゃくちゃこっちを見ていた猪たち。捕らえられてここにいるのだろうか。ならばあとは食べられる運命か。
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神山に11時頃着くと、付近にあるという食堂に入ろうとしていたけどよく位置がわからなかったからサークルKサンクスへ寄った。駐車場の奥にいくつかテーブルとベンチがあって、そこで温めたご飯を食べた。雨が一瞬降ったりしたけど、かなりお腹減ってたから美味しかった。
食べていたら近くの高校の生徒が来た。城西高等学校神山分校という高校らしいけど分校っぽさは感じなかった。でも造園土木科という科があるらしく、ビニールハウスがあったりする特色はあった。
ここでしばらくのんびりして登山の疲れを回復させた。1時間近くいたかもしれない。
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そしてまた歩き出し、ひかる君の提案で温泉に行くことにした。時間的には温泉に行った後も歩かないといけないことはわかっていたけど、出発以来お風呂に入ってなかったからもちろん賛成。
温泉の里神山という名前の道の駅があったから、もしかしたら道の駅に温泉があるかもと期待したけどなかったので、ホテルや民宿等がある少し奥の方へと入り、神山温泉に到着。
ちょうど26日、風呂の日で少し値段が安くなっていてラッキーだった。でも受付のおばさんが無愛想というか、自分たちの荷物は大きいからどこか置く場所はないかと聞いて、置ける場所は教えてくれたんだけど、明らかに着替えとかタオルとか出しているのに無駄に急かされて少々不快だった。そのときは別に他の客がいたわけでもないのにあんな対応を取る必要はあったのだろうかと疑問。
複数のお風呂があったけど神山温泉の特徴はトロットロな感じのお湯、美肌になっちゃう系の温泉。久しぶりのお風呂というのもあり最高に気持ちよかった。サウナは入らなかった。体力消耗しそうだから。
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温泉から上がると二階の休憩所に行ってアイスを食べた。テレビが複数ある広めの畳の部屋でコンセントがあったから本体とモバイルバッテリーを充電した。(野宿旅だったから旅の間は使えるコンセントを見つけるとそれだけでテンションが上がった)
脱衣場で体重を測ったら3キロほど痩せていて61キロ台になっていた。どうせ痩せてしまうからと出発前に意識的に貯肉()していたのがもう減ってきていて驚いた。
荷物の重さを測ってみようかということで測ってみた。意外と重さのある水やモバイルバッテリー等を別の場所に置いて測って9キロほどだったから、普段は10キロ以上。ただでさえ筋肉少ない方だし特に上半身はないから、カメラ等減らしといて本当に良かった。ひかる君は13kg以上あった。
この先自分の荷物はやむなく増えるけど(常備する水増やしたり、テント買ったり)やっぱり野宿組の荷物が重くなるのは仕方ない。中には自炊道具を持って20kg越えの人もいるらしい。宿組の一桁台の重さの荷物で歩くのとは肩や足への負担も大きく違う。要はお金の方が軽いということ。
その荷物測定をしていたら自分たちの周りに地元のおじさん・おじいさんたち(みんな裸)が集まってきた。菅笠とかも持ってたからすぐに遍路とわかったみたいで、自身の体験を含めたへんろ話に花が咲いて、もう止まらない!って状態だった。でもなんか嬉しかった。二人の若造よ、頑張れよー!みたいな微笑ましい雰囲気がそこにはあった。
ひかる君より先に建物から出て玄関先のベンチで靴を履いていたら、おじいさんに話しかけられた。この旅をする自分に対して、いいことあるよと言ってくれた。

まだ旅は始まったばかり。先へと進む。
国道438号線には歩道がない区間もあって、ちょうどその歩道がない区間を歩いていたら後ろからトラックが猛スピードで自分たちを追い抜いていった。本当にスレスレの距離を一切スピード緩めることなく飛ばしていったから、吹き飛ばされるかと思うような風圧で、あぶねーwwwと笑い合った。

途中、小雨だった雨がかなり激しくなり、さすがにマズイなということで地図には載っていない小さな東屋でほんの少し休憩する間にレインウェアを着た。
そのレインウェアを着ることによってそれから外も中もびしょ濡れという、温泉で入らなかったサウナを路上で味わうという事態が発生するけど、でもまあ仕方がないこと。別に嘆くようなことではない。

養瀬トンネルというトンネルに突入する前にひかる君からバッグを開けてライト取り出してくれない?と頼まれたから、立ったまま、自分と同じ青いバックパックの上の方を開けて小さなライトを取り出して渡した。
基本的にルートとかも全部決めてくれて、ずっと自分はついていくだけだった。申し訳ないなあと思いながらも後ろを歩いた。

この午後の道は、自販機がずっとなくて、休憩する場所の数も(今までと比べて)少なかった。
そして途中から足首の違和感も感じ始めた。でも誰かと一緒に歩いているわけだから休憩のタイミングってあるし、そもそも休憩する場所があまりなかったから休憩自体取らなくて、ちょっと待ってもらっていいですかと一瞬止まってもらって、足首回したりするけどまあそれで治るわけもなかったからそのまま歩いた。長い休憩を取ったところでこの違和感が消えるとも限らなかったし。

目線を道路から移すとこんな景色。
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どしゃ降りの雨に打たれながら、安らげる場所もないまま、ただただ何時間も歩き続けた。
二人で歩いていたとしてももちろん体力は消耗するから、無言でただ歩き続けるという時間も当然増えた。

夕方になって空の暗さも増してきたころ、上から降る未だに強い雨と横から来る車の水しぶきに耐えながら、歩道がない車道の端を歩いていた。
突然隣に紺色のワゴン車が止まった。なんだ?と思い車の方を見ると、窓を開けて男性が「乗っていくかい?宿までのせていくよ」と言った。疲れていて無心で歩き続けていたから、その想定していなかった自体にすぐには言葉が出なかったけど、結局は「すみません、歩いているので…。でもありがとうございます」と断った。
これもお接待の一種なんだろうけど、こんな雨の中明らかにずぶ濡れの人間を乗せていってくれようとする人がいることに驚いた。いや、驚いたじゃない。衝撃の後には感動があった。

この日の最大のハプニングは別に強い雨が降り続けていたということではない。食事をする場所がなかったということ。
○○食堂とかラーメン屋とかいろいろ飲食店の建物はあるんだけど、どこもやっていなかった。五、六軒はあったと思うんだけど道沿いにある店は一つ残らず全滅。
飲食店の数自体そう多くないし、コンビニやスーパーもなくて、もうここらへんの人達はいったいどうやってご飯食べてるんだ…?と。
ペンションアンドレストランやすらぎも一切やすらぎを与えてくれなくて、ひかる君もがっかりしていた。
ここは2つ飲食店が並んでいたけど、どちらもダメだった。
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どうしようもないからなんとか見つけた製菓店、阿津満屋製菓に寄ることにした。ういろうがメインの製菓店ではあったけど、地元の小さな商店っぽい役割も担っている感じだったから、今日の夕飯にカップラーメンを、明日の朝食にはパンを買った。
買い物がてら今日泊まろうとしていたこの先の休憩所について聞いてみた。するとこの先にある小屋は宿泊禁止だと教えてもらった。川の向こうにある東屋なら泊まれると。水少なければそのまま川は渡れるらしいけど、とても渡れそうにないから、進行方向的には少し戻るような形になった。

進行方向戻ることになるときって結構精神的にしんどくて足が重くなるけど、でもまあ歩くしかないから、歩いた。18時前に今日の寝床に到着。
全景を撮れよって感じだけど、雨だからね、うん
わりと綺麗な公衆トイレも横にあり、自販機も目の前にある場所。良い感じ。
屋根もベンチ?も広めだったから、ひかる君はベンチの横にテントを立てて、自分は広めのベンチの上で寝ることに。
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お参りしたのは一カ寺だけになった今日の歩きを終えて少しくつろいでいると、一人の男性が自販機の前に車を止めて何かを購入していた。
この辺り間違いなく自販機の数そう多くはないから結構自販機の前に止まる人が多かった。そのときはサンダルに履き替えたりしてたんだけど、そのおっちゃん自分たちの方に寄ってきて、これどうぞとジョージアプレミアム微糖を一本ずつくれた。
お接待してくれる人への気持ちは言葉で伝わっているのかと不安になることがあった。このときもそうだったかもしれない。お接待を受ける度にありがとうございますと心から思ってはいたけれど。

今日の寝床はこんな感じになりました。
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ひかる君がお湯を沸かしてくれて、徳島ラーメンを食べることに。
しかしここで気付いた。お箸がないことに。さっきのお店で割り箸貰えば良かったと後悔した。
仕方ないからひかる君が持っていたアウトドア用のフォークを食べ終わった後に貸してもらった。本当にお世話になりっぱなしで、迷惑かけてばかりで申し訳なかった。そうやって謝るたびに大丈夫ですよという言葉に救われた。
ラーメンはスープまで一滴残らず飲み干した。雨で濡れていた体をあたためてくれた。
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びしょ濡れにしてしまった地図を見ながら明日のことを考える。
明日はひかる君は別格に寄るらしい。
詳しく別格について調べていなかったけど、漠然と自分の体力的に別格とか寄っていて平気なんだろうかという不安があったから随分迷った。どうすべきなんだろう。ついていくべきなんだろうかと。
一緒に歩くのは楽しいし、ひかる君は優しいからいろいろと助けてくれる。けどどうすべきなんだろうと。
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ラーメンを食べ終え、歯を磨いてたらトイレに男性が入ってきて会釈をした。その後その男性は車に戻ったけど、もう一度自分の方に近付いてきたと思ったらチオビタともう一本栄養ドリンクをくれた。冷えてはいなかったから車に置いてあったものだと思うけど、こういう栄養ドリンクとか本当に助かる。ありがたかった。当然一本はテントの中にいたひかる君に渡した。

嬉しい気持ちになりながらも、不思議に思った。
お接待は、巡礼をできない人達が巡礼者に対して接待をすることで、自分の代わりに…という意味があることは事前から知っていた。
でもそういったお接待をするメリットがあるからといって、ここまで出来るものだろうかと。
この先も四国の人たちのお接待には驚かされ助けられ続けた。これはおもてなしという一言ではきっと説明できない。
旅やその他の用事で普段行かない場所に行くと、一部の人たちの(悪い・不快な)行いで、その地の全部が悪く見えてしまい嫌な印象を持ってしまうけれど、四国は他の地域と逆で一部の人たちの行い、その影響でそこに住む人たちが良い人に思えたり、その地域が良い地域に思えるなとこのとき感じた。
大多数がノータッチだとしても、こういう人たちがいると、強い好感を抱くことになる。目立って嫌な人たちがいたわけでもないし。

話は少しそれるかもしれないけど、自分が生まれ育った大分県の宇佐市にもお接待という文化があった。
四国のお接待とは違い、子どもたちが赤いのぼりが掲げられた家に小銭を持っていくと、めがね菓子や駄菓子を沢山くれるというお祭りっぽい行事だった。
調べてみると、空海が遣唐使として唐へ渡る前に航海の安全を祈願して宇佐宮にお参りしたらしく、また東寺の山号は八幡山であり境内には八幡宮がある(宇佐神宮は八幡宮の総本社)。そういった縁もあってか、弘法大師が入定した(旧暦3月)21日を縁日として、4月の21日(もしくは20日)に弘法大師祭としてその「おせったい」というお祭りが行われている。
小さな子供の頃、大きな袋を持ってお菓子を大量に集め回ってた家々の縁側には大師像が置かれていた。そして大きくなった自分が大師の足跡を辿る旅をした。
気付いていなかったからまったく意識はしていなかったけれど、これもまた縁なのだと思う。自分に関わることだから大きな声では言えないが、素敵な話ではないだろうか。

はい、野宿話に戻ります。数多の虫が街灯に集まっております。何千匹いるんだよっていうえげつない量。
ムカデもいた。ちょうどひかる君が自分が寝る予定のベンチの下にいることを見つけてくれて、杖で遠くに飛ばすことにした。ひかる君のスネに杖が当たるというハプニングがあって平謝りしたけど、なんとかムカデは遠くへ(っていってもすぐ戻ってくるような距離だったけど)行った。でも寝袋だから顔まで上がってこないだろうかと不安で仕方がない夜になった。
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川の向こうの道路の車通りが多いことは知っていたけど、こちらの道路も住宅街の近くということもあり、帰宅を急ぐ車が多く、夜になっても(ひっきり無しというほどではなかったけど)走行音は聞こえていた。
でも自販機やトイレ目的の人たちは、自分たちに気付くときちんとエンジンを切ってくれたり、離れる際は静かに運転してくれたりという気遣いをしてくれる人たちがいて、優しさを感じた。もちろんそうじゃない人たちもいたけれど。

虫が近くにいるからしっかり入っていた寝袋の中で汗だくになっていたのを思い出す。
でもふと目が覚めた12時過ぎには、雨が止んで涼しくなっていた。空には星が一つ浮かんでいた。

街灯が思いの外明るく、また虫に囲まれているという環境であったという影響はあるけれど、それでもぐっすりとは眠れないそういう体質なんだろうなと改めて思い知らされる夜だった。
疲れているのに、長い時間眠ろうとしても眠れなかったし、眠りに入ったとしてもそのたびに起きてしまった。

空が明るんで来た頃、眠りを目指し始めた頃とは打って変わって、寒さを感じた。
月が空を降りているのが見えた。


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