5月27日。
4時半の空はもう暗くない。
川の向こうが小さな山のようになっていたから、木々で寝ていた鳥たちが目を覚まして鳴き始めていた。
数匹が鳴くなら素敵だけど、何百匹、何千匹が一斉に鳴くもんだからもう鳴き声がひっきり無しに聞こえていた。完全にカオス。
寒かったから寝袋の中でまるまって朝食を食べた。目の前の鮎喰川や上ってくる朝日を眺めながら。
ソーラーバッテリーで充電してたり(ほとんどできてない)、杖を物干し竿代わりにしてハーフパンツ干してたり(ほとんど乾いていない)。
食べ終わってからもまだ肌寒かったけど、どうしても川を散歩したくて下りてみた。
寒さはあってもそれでも新しい朝は心地良かった。
空き缶や空きペットボトルが落ちていたから両手いっぱいに拾って、自販機の横にあったゴミ入れに捨てた。
ひかる君について行き、別格にも寄ることにした。何にも役には立ってないけど喜んでくれているように感じて嬉しかった。
湿っているスパッツを履く時間は毎回不快。でも履かないと1日が始まらないから履く。
7時10分に出発した。
88箇所だけを巡る人は通らない道を通って、自分にとっては初めての四国別格二十霊場の寺院へ。
小さな山を切り開いたような道を歩き、新童学寺トンネルを抜けると、徳島市街が視界に飛び込んできて感嘆の声を上げた。
しばらく山や川に囲まれた田舎道を歩いていたから、都会的な光景に「建物いっぱいあるーwwお街ーww」と。
トンネルを抜けるとそこは平成だったというとても失礼な冒頭文が思い浮かぶような喜びがあった。その喜びというのはお店も自販機もいっぱいあるんだろうなというその手のもの。
トンネルを抜けたあとは緩やかな下りの道。その下りの道を進むと童学寺と書かれた看板がありそこで左へと曲がった。
藤の看板を見つけたひかる君が藤が見られるかもしれないですよと教えてくれたけど、すぐにいや…もう散ってるかと。関東では見頃かもしれないけど、5月下旬だったから九州と同じように四国も藤の見頃は終わっていた。
トンネルからの道と並行して伸びている道を真っ直ぐ(方向的には戻るように)歩くと、貯水池?を左手にして、目の前には童学寺。
別格第二番札所東明山童学寺。本尊は薬師如来。
幼い頃の弘法大師が学問所としたという理由から童学寺と称されるようになったらしい。でも個人的には佐伯真魚(空海の幼名)は生まれた讃岐国で学んだと思う。よくわからないけど。
別格にも本堂と大師堂があるのだと知った。納め札を入れる箱もあった。
別格20は88箇所に入ってなくても番外霊場として人々の信仰を集めてきたらしいけど、時間が8時前後だったということも関係あるのか、他の参拝客は誰もいなかった。
住職さんの奥さん?の車がどこかへ行って帰ってきただけ。子供の送り迎えとかかな。
ただ静かな境内には木々が沢山あって、ウグイスのさえずりが聞こえていたり、風を音ともに感じられたり、人がいないからこそ癒されるような時間を過ごせた。
境内を撮った一番まともな写真がこれ。よくわからない。どれもこれもただ撮っているだけだ。
せっかく来たからここでも納経をしてもらった。自分が持ってる納経帳には90カ寺の寺院のページの後ろにいくつか空白のページがあったからそこに書いてもらった。
納経をしてもらうと88カ寺以外のお寺でも、遠回りをしたという感覚が消えた。
意味がある歩行に思えたと書くとまるで札所以外のお寺に来るのが嫌なように感じてしまうけど、そうではなく、モチベーションが普通に歩いているときと変わらずに維持されたという意味。本来寺社巡りは好きな人間だし。
納経をしてもらう際にどちらからですかという会話の流れで、地震の心配をしてくれた。納経中に一言、二言会話を交わすことは多いから、この先も似たような内容を話すことになる。福岡は余震も1週間で収まったので被害はほとんどなかったんですよと何度言っただろうか。もちろんそういった心遣いに不快な想いなど微塵も感じなかったけれど。
境内からお寺の外を見るということ。
位置的にここから13番に戻るのはかなり遠回りというか、長い距離を逆戻りをすることになるから、まずは17番を目指しそこから一時的に逆打ちをして13番まで歩くというプランに。
もちろん頼れるひかる君の提案。この13番から17番までは合わせても10kmないくらいの距離だからできたことだけど、でもとても良いアイデアだと思ったから賛成した。
順打ちで始めたけど別に数字通りに回るというこだわりもなかったから一時的に逆打ちになるのもまったく気にしなかった。
というか実際にこの後、逆打ちで歩いているときに「この区間で大師様に会っちゃえば逆打ちのご利益もいただきですね!」的なことを言うくらいには逆打ちを楽しんでたのが、そう、この僕です。
序盤でのこういう変則的な回り方をしたからこそ、後に生まれるアクシデントや効率的な回り方にも意固地にならず、柔軟に対応できたのだと思う。
ひかる君に出会えたおかげで得たことが本当に沢山ある。その得たものでこの先もなんとか旅を続けることができた。このときはまだ一緒に歩くけれど、でも本当に感謝している。
そして17番へと歩いていく。県道20号線になると両端にお店が立ち並ぶようになった。パスタやケーキバイキングという文字を久しぶりに見て「おしゃてぃ徳島!!!」と叫ばずにはいられなかった。いや、叫んではいなかった。
ひかる君が朝食なんか食べ足りないということで、あのうどん屋が開いてたら寄りますねという流れに。でもうどん屋は開いてなくてその先にあったマクドナルドへ寄った。
マック自体は好きだけど朝マックのマフィンはそこまで惹かれないから、自分はアイスティーとホットケーキを頼んだ。主食はスイーツ勢()歓喜の瞬間でした。
ただクーラーが真夏のそれと同じで効き過ぎていて少し寒かったし、お店を出たら無駄に暑く感じた。
それから歩いていたら、日本一周中404日目と書かれたボードを後ろにつけた自転車の男性を見かけた。一周するだけならそんなにかからないだろうから、もう至る所というか、全ての市区町村を回ってるのかなという予測で落ち着いた。
快晴故のかんかん照りの日差しでとても暑かった。雨の日も大変だけど、晴れの日もまた大変。この時期は。
10時10分頃、第17番札所瑠璃山井戸寺に到着。
大師が水不足で苦しむ村を、一夜にして井戸を掘り、救ったことが寺名の由来。
本尊は七仏薬師如来で聖徳太子作と伝えられている。
女子大生ぐらいの二人組と納経所で一緒になった。車遍路だとは思うんだけど、同世代の女の子がいることに驚いた。御朱印ガールというかそういう感じで楽しんでるように見えた。きちんとお参りもしていたけど。
手水場前のベンチで休憩をしながら、団体の読経を聞いていたら、声を荒げている男性に気付いた。多分読経についていけないから腹を立ててわざとそうしていた。読経が終わると先達さん(ガイドのような存在)に早かったですかね?でもこれも修行です。となだめられていた。
ハーフナー・マイクっぽい外国人男性が来たので挨拶をしたけど、こんにちはの発音が完全に日本人のそれだった。もしかしたらハーフナー・マイク本人だったかもしれない。
そして逆打ちの始まり。少し来た道を戻り、次のお寺への2.8kmを歩く。
ちょうど井戸寺に着いた1時間後の11時10分過ぎに、第16番札所光耀山観音寺に到着。
88箇所のお寺の中でも最小クラスの小さなお寺で、町の中に溶け込んでいるような印象を受けた。
本尊は千手観音菩薩。
母親か祖母と一緒に車でお参りしている20代後半くらいの女性がいた。若い男性は皆無に近いけど若い女性ならいるみたい。ほとんどは年配者ばかりなんだけども。
納経を貰って、その納経所前のベンチに座り、地図を見ながら今日のコースを確認していたら、納経をしてくれたおじさんが栗どら焼きをくれた。とても優しそうな人で、お寺を出る際に改めてお礼と会釈をしたら、笑顔で見送ってくれた。
どら焼きは袋に入っていたから食べてしまうとゴミができてしまった。しかし自分のハーフパンツの左ポケットを簡易ゴミ入れにしていたから問題はなし。ひかる君も手に持ったままだったから受け取ってポケットの中に入れて珍しく貢献。(ひかる君のハーフパンツは完全にランニング用でポケットとかついてないタイプだった)
そして次のお寺へ。距離は1.8kmと短かったけど、真っ直ぐと伸びる国道192号線を歩いたから体感はそれ以上に感じたし、何よりお寺付近で入り口とは逆側に回ってしまって、入り口どこ…?と戸惑いながらほぼ外周をぐるりと回らされてなかなか強敵だった。逆打ちだと目印が少ないからこういうことがよく起こる。(という熊野古道経験者のぼやき)
第16番札所薬王山国分寺。四国各県にある国分寺の一カ寺目、阿波国分寺。
本堂とおじいちゃんと一緒にいる子供を撮りたかったからこそのこの構図。本尊は薬師如来。
大師堂へのお参りも済ませ、納経も終わると、自転車遍路の方に話しかけられた。歩きですか?と。
その装備からして…、と聞かれたので、野宿もしていると伝えると、すごいなあと言われた。
話が終わるとお気をつけてと言われたから、お互いに頑張りましょうと返した。
遍路ではお気をつけてと別れ際に言ってくれる人が多かったんだけど、同じように頑張っている歩きの人や自転車の人にありがとうございます。とだけ返すのは何か違和感があったから、どう返せばいいんだろうと悩んでいた。
でも考えた末に、お互いに頑張りましょうで落ち着いた。この先もその言葉を発する機会はある。
次へと向かおうとしていたら、同じく次へと向かおうとしていた団体の参拝客たちにひかる君も自分も囲まれるという事態に。
その団体の中の一人のおばさんに、若いのに偉いねえとこの旅で言われまくった言葉をかけていただいた。
歩き遍路の人間を見かけることがあった場合、彼らにとって若者の方が気軽に接しやすいのかもしれないなと感じた。年配の歩き遍路の人は話しかけづらい雰囲気の人がいるというか、中には職業遍路というホームレス同然の人も混じっていたりするから。
他の団体がどうしているのかはわからないけど、この団体は本来はバスで逆打ちという今年最も多い回り方をしながら、この15番から14番までの0.8kmは歩きで移動していた。
1kmに満たない距離だからいちいちバスに戻ってまた移動するよりも歩いた方が楽という考えなのか、ちょっと歩いとけば歩きでも回ったよ!と言えちゃうからなのか()
先に団体さんがお寺を出たからわりとすぐに追い越すことになって「やっぱ若者は早いわ!」みたいなことを言われた。
でも自分たちは自販機を探していた(日差しの影響でかなり喉が乾いていた)から駐車場にあった自販機で止まったので、また団体さんの方が先を歩くことになった。
その後また団体さんを追い越すことになるのかなと思っていたけど、直線ってわけでもないし距離も短かったから、歩きを再開してからは次のお寺に着くまで前を歩く姿は見られなかった。
思わず撮ってしまった神仏コラボ。右は八幡神社。山門からではなくこちら側から歩いたので、本堂横から入ることになった。
第14番札所盛寿山常楽寺。
88番の中で唯一弥勒菩薩を本尊とするお寺。弥勒(みろく)菩薩は釈迦の次に現れるとされている未来仏。
未来に現れる存在への信仰って純粋に面白いなあと思う。仏について調べてるだけで(例えばwikipediaとか)楽しくて時間がぶっ飛んでいく。ええ、神話や宗教は奥深いし、物語性があるのでとても危険です。
(※斜めになったりしてる写真多いけど全て無修正でお送りしております。加工して偽りの美を演出するのではなく、この目に映ったありのままの風景をそのまま届けるというスタンスです。まあ、修正するのが面倒くさいだけなんだけど)
ここで初めて思ったわけではないけど、納経を書いてくれる方が2人以上いると本当に助かった。団体さんと重なったときは下手したら長時間納経待ちしないといけなかったから。(大半は団体さんの途中でもちょっと先に書いてくれたりするんだけど)
次のお寺へと向かう道で、池を挟んで常楽寺の隣には保育園のような建物があった。
今調べたらそこは保育園ではなく、昭和30年に戦争孤児の為に設立された社会福祉施設らしい。今は1歳から18歳の子どもたちを収容している四国霊場のお寺が運営するただ一つの養護施設とのこと。
鮎喰川に架かる一の宮橋という長い橋を渡る前に自販機で飲み物を買った。多分今までの自販機ではなかったアンバサウォーターを買った。
田んぼの中、団地の横、工事現場の前を通ったりして、2.3kmの大日寺への道を詰めていった。
お寺の前に着いた。けど先にご飯を食べようということで宿坊の隣にある飲食店へ。14時ぐらいでラストオーダー時間ギリか少し過ぎているぐらいだったんだけど入れてもらえることに。先に食べようと提案したひかる君のナイスな判断、もちろんお店側のご厚意にも感謝。
カレーライスを食べた。美味しかった。冷たいお茶も火照った体には最高の補給になった。
お客さんが一人残っていて、頑張ってねと声を掛けてくれてからお店を去っていった。お店の奥さんも親切にしてくれた。
改めて、第13番札所大栗山大日寺へ。
道路の反対側には阿波国の総鎮守だった一の宮神社。
本堂。
本尊は大日如来と見せかけて、長宗我部元親の兵火でお寺が焼失したりといろいろとあって、現在は行基作とされる十一面観音。(空海作とされる大日如来は脇仏になっている)
このお寺はなんだか評判の悪い噂があるみたいだけど、まあ88もお寺があれば一つくらいはそういうお寺もあるでしょう。仕方がない。
実はさっきの飲食店の中から姿は見てたんだけど、ひかる君が初日に出会ったという外国人グループと対面した。
日本人女性っぽい人がいたからその人が話すのかなと思いきや、白ひげを蓄えた白人のおじさんがめちゃくちゃ流暢な日本語でひかる君と話し出して驚いた。
タイツとハーフパンツという格好が僕とひかる君は一緒だったから、同じ格好してるじゃん!と言っていた。お仲間を見つけたんですねとも。
二家族ぐらいいたのかな。でもその男性がずば抜けて日本に詳しそうな感じだった。大師様が~とか普通は言わないし、合掌する姿も様になってたし。日本人以上に日本を~の類の人な匂いがした。
今日はここまでということでグループで宿坊に泊まるために中へと上がっていた。その白ひげ男性は明日からは一人で参ると話していた。
休憩がてら明日のプランを考えた。別格3番の慈眼寺に行く為にひかる君は明日はセーブするというようなことを言っていた。
別格1番も参っていたら僕も一緒に行こうかと考えただろうけどもう既に飛ばしているから、慈眼寺を往復するのに1日費やすとのことで、そこまでの余裕は自分にはないと判断し、寂しいけど明日からは別行動ということに。
それでもまだ今日は一緒だから、今日の寝床へと歩いていく。
自販機で徳島を味わう。このすだちソーダまだ暑さの残る中で飲んだというのもあるけど、なかなか美味しかった。一緒に歩きながら飲んだ。
歩き続けていたら、実はかなり探していたコインランドリーを見つけた。
このプレハブのコインランドリーは蛾?が無数にいて、虫嫌いの自分にとってはかなり気持ち悪かった。
でも着替えはもう残りストックがなかったから本当に恵みの時になった。コンセントも使えたから充電もできたし。
ゴミを捨てに行っただけで終わったけど道路の反対側にはファミリーマートもあった。
大きな洗濯機・乾燥機だったからひかる君と一緒に使ってお金も節約できた。複数で行動するとこういうメリットがある。
洗濯の間は時間があるから、任せっきりだったプランニングを明日の為にしたり、横長の椅子に寝転がって体を休めたりした。ひかる君は仮眠を取ってた。
洗濯・乾燥が終われば荷物を詰め、また歩き出す。
この辺りの中学生(上八万中?)は挨拶がきちんとできてるなと感じた。してきたのはみんな女の子だったけど。逆に挨拶には定評のある野球少年はしてこなかった。
ひたすら真っ直ぐ歩いた。
西光寺橋で振り返ると夕暮れを感じた。
右を見ればこんな感じで、
左を見ればこんな感じ。
直進を続けて、久しぶりに道を(左へ)曲がる前に、コインランドリーがまたあった。こっちの方が綺麗そうだったけど今は用はない。
コインランドリーはネット検索してもなかなか出てこないし、ガイドマップにもほとんど載ってないから、この先も運とタイミング次第だった。結構洗濯はシビアな問題だというのに。
(熊野古道のときは民宿の水道で手洗いが多かったけど、この時期に水洗いだけはちと厳しい)
徳島市街は通らず、徳島県文化の森総合公園の近くの道を通って進んだ。
園瀬橋を渡っていると河川敷でリフティングをする少年が見えた。数回しか続いていなかったけど別に小さな子供というわけではなかった。心の中で応援した。
県道203号線の下にある細い道を通った。住宅街や八万南小学校の横を歩いて、それから短い橋を歩いてまた園瀬川を渡った。
この夕方は足は比較的楽だった。足裏の痛みはあることはあるけど。登山がなかったから平気だったのだろうか。
ただ振り向くと死にそうなほど痛かったのは、肩の痛みが首まで達していたから。きっと荷物の重さのせい。
杖を握る右手も疲労を感じた。でも弱く握るとカバーだけ持ち上げてしまうこともあるから、調整が難しい。
歩きながらこの先一人で大丈夫かと少し不安になった。
歩き遍路の人が持っているガイドマップは枠ごとに東西南北違ったりするから、ひかる君が小さなコンパスを駆使して歩いていたりするのを見るとさすがに不安を感じてしまった。スマホのアプリはあるけど自分はコンパスなんて持ってすらいないし。
他にもガイドマップをきちんと透明なレインカバーのようなものに入れて首からぶら下げていたりと、経験の差や準備不足を思い知らされた。
とはいっても一人で歩き始めた旅。先は長いといっても、経験もまったくないわけではない。遍路マークがあれば目印となるし、いざとなればスマートフォンだってある。不安にはなっても、でもなんとかなるだろうと思うことにした。
歩き進むと、コンビニも近くにあって、広めの待合室の中には電気も机もトイレもあって、窓も閉められそうな「法花回転場」というバス停があった。長いベンチもテントを張れそうなスペースもあったので、ここで寝れるかも…と。
でも、外にベンチもあるし、待合室に入ってくるのはトイレを利用する人ぐらいだとしても、まだ利用客もいる時間。ここで泊まったというブログ等を探すけど出てこない。だから夜は完全に鍵を掛けてしまう可能性を否定できない。
近くの自販機でカルピスソーダを買って、炭酸飲みまくりだなと反省しながら、ここは諦めて、次なる寝床候補先へ進むことに。
空は徐々に暗くなっていく。
後ろについていくだけだったから負担が少なかった自分。歩きで疲れは溜まるわけだから、手持ち無沙汰というわけではないけど、自分にできることをしようと、こちらを見る人全員に会釈をしていた。
地元民の反応というのも様々で、ご苦労様ですと声をかけてくれる人もいれば、普通にこんにちはと挨拶してくれる人、チラ見だけする人、完全に無視をする人、いろんな人がいた。
それでも根気良くその挨拶運動を続けていたら、ついに努力が実った。(という書き方はなんだか不純か。別にそれ目的で挨拶していたわけではないけど)
先程のバス停の先にあるファミリーマート前の道で、中年女性に挨拶をしたら、挨拶が返ってきてから少し間を置いて、お接待させてくださいと言われた。
こういったことは初めてだったので、最初は僕らも戸惑ったけど、そのご厚意に甘えることに。
今から食べる夕飯(僕はオムライスにした)と飲み物を選ばせてくれて、後はその女性が選んだパンを明日の朝食用に。という至れり尽せりなお接待を受けた。
その女性は歩き遍路経験者で、既に結願を果たした人だった。88番なんて泣きそうでしたと語る姿が本当に結願した人なんだなと感じさせる何かがあった。
嬉しかったけど、ここまでしてもらっていいのだろうかという申し訳なさもあった。でも一番強く感じたのは、(ここまでしてもらったのだから)頑張らないといけないなという気持ち。感謝の気持ちは「ありがとうございます。ここまでしていただけるのは初めてです」という言葉では伝えきれないのはわかりきっていたから。
人の大きな優しさに触れ、心が洗われるような気持ちになり、本当に泣いてしまいそうだった。
お接待を受けたらお礼として納め札を返すという習わしがあるみたいなんだけど、でもタイミングとかもあるから休憩所等に置くのとは違って、対人では今まで一枚も渡せていなかった。でもここでひかる君が納め札を渡していたので、僕も急いで取り出して渡した。(でも大雑把に筆ペンで名前を書いてるだけだったから後悔した。もっとちゃんとしておけばよかったと)
コンビニを出てからもその女性が帰る方向は同じだったので、もう少しだけ話をしながら3人で歩いた。
ガイドマップで見る限り次の高知県は休憩所とかも少なそうなんですけどどうでしたか?と質問したら、本当に少ないらしい。
この4日間で感じた徳島の人の優しさを伝えると喜んでいるのが表情でわかった。お世辞ではなく本音だったから、喜んでもらえて素直に嬉しかった。
それではと別れてから、ひかる君と2人でここまでしてもらえるなんて…と改めて優しさからの感動を分かち合った。
博愛記念病院前で、もう人目もはばからずチュッチュッチュッチュッと高校生カップルがイチャついていた。自転車に乗る彼氏に対して女の子が「見られたよ?」と言っていたのが印象的。まあ思いきり自分たちが歩いている道路上にいたから「見たよ?」と伝えたかったけど、伝えなかったよ?
なっかなか着かない小松市前原町にある休憩所。
大松川橋の手前でどう進む迷っていたら、またまた挨拶運動が実った。ゆたか屋という鮎料理を出す料亭のようなお店から出てきた調理服を着た男性から「恩山寺に行くの?」と聞かれた。今日はこの先にある小屋まで進むということを伝えると、ここを真っ直ぐ行くと国道55号線に突き当たるので、その道を右に曲がってずっと真っ直ぐ進めばその小屋はあるとのこと。
やっぱり挨拶はするものだ。徳島の人の自主的な優しさがあるからこその助け舟になるのだけれど。
空は完全に暗くなった。
勝浦川橋という長い橋を渡り終えると、車が一台レオハウス前の車道ではないスペースに停まっていて、そこで一人の男性が待っていた。
その男性が近付いてきて、お接待を貰った。そのお接待はなんと現金だった。1000円札を前にいたひかる君が受け取ったので、後で500円玉で僕も受け取った。
現金のお接待もあるとは事前に知ってはいたけど、いざ実際に貰ってみるとかなり驚いた。でも使い途という点では自由だからいろんなことに使えて助かる。
この夜道の間に、ひかる君が腰付近にぶら下げていたハンドタオルを落として無くしていた。
何回か落としていたからその度に拾ってはいたんだけど、今回は街灯に照らされていない暗闇や草が生い茂っている場所で落ちたのか、後ろにいた僕も気付けなかった。拾ってあげたかった。
国道なので車通りは嫌というほど多かった。疲れ切った状態での車の騒音は結構ストレスになる。まだかまだかと思いながら歩き続けた。歩くしかないから。
21時前後にようやく着いた。高架橋の上に瓦屋根の小屋がぽつんと一つだけ立っていた。下は阿波室戸シーサイドラインの線路。トイレや水はない。
わりかし新し目で綺麗な小屋だったけど、すぐ下に庭園のような場所があり植物も多かったので虫の数も当然それに比例していた。お出迎えスタッフは床を這っていたムカデ。
この休憩所には扉有りと何かで読んだ気がしていたのに、勘違いだったのか扉が閉まらないというか、存在しないから蚊に刺されまくりで、椅子に座ってもまったく落ち着かなかった。
街灯はあるけど明かりは机のとこまで届いていないから、ヘッドライトを頭につけて、お接待で買ってもらったオムライスを食べた。
ひかる君はすぐ近くの駐車スペースにテントを立てて寝るということで、ご飯を食べてこの小屋から離れていった。
大量の蚊にうんざりしながら体を汗拭きシートで拭いてから着替えた。
足の裏にマメが出来ていたので深く考えず持っていた靴ずれ用のキズパワーパッドを貼った。
そして股擦れが痒すぎた。長距離を歩き続けているわけだから仕方がないのだろうけど、痒みが我慢出来ないレベルに達していた。
この先も股擦れには苦しみ続けるけど、なんか何度も書くのはちょっとあれかなという問題だから経過と結果をもうここに書いておく。
スパッツで蒸れた状態だから悪いのかとこのときは考えていたけど、結局原因はわからない。スパッツ履かずに下着だけで歩いてみてもあんまり変わらない気がしたし、肥満が原因でもないはず。下着なしでスパッツを履くのは衛生的に嫌だったから試してないけれど、それも違うような気がする。
どんな対処をしたかというと、基本的には絆創膏を左右二枚ずつくらい貼ってテーピングで止めるという状態を続けていた。だけど部位的に剥がれやすいから、もっと粘着力があってサイズが大きいキズパワーパッドも貼ってみたけど、それだと貼っていない部分の痒みで死ぬほどしんどかった。
ひかる君もなってると言っていてテーピングで対処していたからそれを真似してみるけど上手くいかなかった。
ポリベビーやオロナイン等のクリームも試してみたけどそれらも駄目。本当に様々なものを買って試してみたけど、どれも良い解決法とはならなかった。
結局問題を解決してくれたのは、松山市にあるレディ薬局というドラッグストアで買ったステロイド入りのオイラックス軟膏というもの。それを塗り続けていたら気付いたら痒みは無くなっていて、それ以降は股擦れで苦しむことはなく歩けた。
ステロイドって長期的(2週間以上?)使用するのはマズイと聞くけど、まあ3県目まで進んでるしここから最後まで2週間も掛からないだろうということで使った。
でも正直なところもっと早くこの解決法にたどり着きたかった。結局松山に着くまでずっと苦しみ続けていたわけだし、使い始めてからは2週間も掛からずに効き目は現れて、途中からはもう使わなくても問題なくなっていたから。
話を現在に戻す。虫だらけの小屋の中で寝ようとする自分に。
最初は横長のベンチで寝ようとしていたけど、ベンチの幅が寝るには狭い(寝返り打てないどころか半身しか入らなかった)し、どちらを頭にしても街灯がちょうど目に入るし、国道沿いだから仕方ないけど車の音が耳栓つけてもうるさくて眠れず。
いろいろと試行錯誤するけど、このベンチで眠るのは無理だということで、奥の座布団を積んであるベンチで寝ようと移動した。そしてそこで五、六枚あった座布団を一番上だけ持ち上げてみると、ゴキブリがいて、自分に見つかった瞬間に高速で移動していった。
もうそれだけでここで眠るのが嫌になって、さっき寝ようとしていたベンチに腰掛けて溜息をついた。
最終的には地面に直接マットを敷いてその上に寝袋で寝ることにした。枕元にはムカデやゴキブリがいるわけで、いつ顔を襲ってくるかと怯えていながら、また騒音と戦いながら4日目を終えた。