5月28日。
例のごとくアラームより前に目が覚めた。いつもきまって4時半頃。
起きたと同時に気付いたのはこの休憩所が宿泊禁止だということ。まじか…とは驚くことは出来ても、もう泊まってしまった後なのでどうしようもない。
着いたのがもう夜暗くなってからだったのでこの注意書きが見えなかった。昨晩自分が着替えているときにウォーキングしていたママさん2人組は見てみぬふりをしてくれていたわけだ。
巡礼をしている身だけど自分には特に願い事がないから、せめてもの償いとして近隣住民の方の幸福でも願おうとこのとき思ったけど、効果があったかはわからない。小さな良いことでも起こってくれていますように。
未記入だけど一応納め札を入れておいた。
小雨が降っていたけど、すぐに止んでくれた。
夜明けのブルーとなぜか主役に躍り出た電信柱。
昨晩の宿になってくれた休憩所と早朝の国道。
トイレに行っとくかと駅の方へと歩いたけど、駅にはなさそうだし、公園っぽいとこもないから、引き返して無駄歩きになった。
車も人も増える前に早めに着替えた。別に匂いはしてないけど、タイツそろそろ洗いたいなあと思いながら。
昨日いただいたパンを朝食として食べる。
荷物をまとめていつでも出発できるような態勢で、ひかる君が起きてくるのを待つことに。
待っていたら眼鏡をかけたスポーティーな感じの男性が歩いて来て、挨拶をしたら休憩所の中に入ってきた。
その人は二周目らしく、今回は国打ち(県ごとに区切って回ること)で回っているとのこと。35歳。別格を回っている方と一緒に行動していると話すと、その人は別格だけを回ったこともあると発覚。杖がかなり短くなっていて自分のと比べさせてもらった。1日で0.5cm削れるって言ってたかな。
煙草を吸いながらその人もひかる君が出てくるのを待ってたっぽいけど、出てこないからそれじゃあと先に出ることになって見送った。
でもその人スマホを置き忘れれてて、数分後にそのことに気付いて走って追いかけたら、その人も気付いて戻ってきていた。わりと早めに気付いて良かった。
この辺りになればもう遍路コミュニケーション慣れというか、どういう風に話せば打ち解けやすいのかを理解して、会話もとてもスムーズになっていたと思う。
挨拶をして今までお世話になったお礼がしたいだけだったんだけど、7時前になってもひかる君は出てくる様子がなかった。
前日に済ませておけば良かったなあとか、こういうの一人だと気楽なのになあと思いながらも、今日はゆっくりと行動するということは知っていたし、時間に縛られる仕事ありきの日常から離れているから(ちょうど仕事は辞めて、その合間に来ていると話してた)早起きするのもあれかなみたいなこと話してたし(元々朝はゆっくりしたい派らしく、8時頃?に起きて行動したいと言っていた)、まあ仕方ないかと。
でもまあ自分は今日も行けるとこまで行く予定だったから、準備体操をしながらちらちらとテントの方を見るということを繰り返していた。
さすがに起きてから2時間半以上も経っているので、7時にテントの方に近付いて行くと、動いている気配があったからテント越しにおはようございますと話しかけると返事があったので、さっき来た人のこととか少し雑談してから、先に行くということを伝えた。
お礼を言うとお礼が返ってきた。ひかる君も楽しかったと言ってくれて嬉しかった。またどこかで会うような気がすると言われたので、多分すぐ追い越されますよと僕は笑いながら言った。
まだゆっくりするつもりだったろうに申し訳なかったなあと思いながら、でもちゃんとお礼が言えたから、とても清々しい気持ちでまた一人の旅に戻った。ほんの少し降る雨の中で。
一人になった直後にまた誰かと共に行動することはあるのだろうかと考えた。こういった出会いは珍しいことなのか、頻繁にあることなのか。
歩き始めてから万歩計アプリのスタートボタンを押すのを忘れていることに気付いた。歩き旅あるあるだ。
国道を真っ直ぐに歩いていくと、道路沿いにある屋根もない高速バス乗り場に人が並んでいた。キャリーバッグを持っている女性と目が合った。こういった遠くへ行ける場所はどうしても自分が同じように遠くへと行く想像をしてしまって、自然と楽しい気分になる。
セブンイレブンに寄った。ちょうど通勤時間だったのでトイレが混んでいた。男性用は一つしかないのに、前に入っている人がやたらと長かったのが原因。
一人の切羽詰まった表情の男性は女性専用の方に入っていった。我慢できなかったんだろう。
国道から反れて恩山寺へと向かう。
近付いていくと、お寺からは少し距離があるが突然仁王門が現れた。ここから車道と別れて歩き遍路の道が伸びている。自分が車だったら降りて歩きたくなっていたと思う。
小高い山にあるとはいっても、標高100mに満たない本当に小さな山。でも登りの道はやはり息が荒くなってしまって、体力ないなあと思いながらも登った。
道の途中にあった修行大師像。
そして第18番母養山恩山寺。
弘法大師がこのお寺で修行をしていたところ母が讃岐から尋ねてきた。しかしお寺は女人禁制だったために、大師は滝に打たれ女人解禁を祈願し、成就した。その後、大師の母である玉依御前はこのお寺で出家したとのこと。山号と寺名は大師が現在のものに変えたらしい。
大師はいろいろな伝説があって、現代から見ると本当かよ!と突っ込みたくなる逸話(伝説)が沢山あるけど、母親との逸話は人間臭いものが多いというか、女人禁制のとこに母親を入れてあげる為に修行をしたりと、とても母親想いな人だったことがわかる。そういう人間味を感じられる話はなんだか実際に生きていた人だったんだなと身近に思えるから良い。
本尊は薬師如来。大師堂にある大師像は大師自らが彫刻したとのこと。自刻像を作っちゃうとこもまた人間臭いとこかもしれない。
18番から19番へ。4kmを歩く。
牛舎の横を抜けて。
竹林を抜けて。
蚊が大量にいるということは蚊に刺されるということ。
突然舗装道を外れこんな場所を横切ることに。
車が騒がしいアスファルト道よりこういう道の方がよっぽど楽しい。この道は黒猫のガイド付き。
一人の時間に戻り、この旅で初めて落ち着いた心境で一人で歩くという状況に。
祖母のことを思い出した。このときは寂しさをあまり感じなくて、その理由は葬儀の別れ花の際に流した大粒の涙でもう吹っ切れているのかもしれないと予想した。
自分が抱いていた愛情がその程度だったというわけではなく、使い終わった煎茶の茶葉のように、もう流しきっているから涙は残っていないのかなと。確信ではなかったけどそんな気がした。
いなくなってしまったことはもうどうしようもない事実だから、後はその死を悼み、向こうでもどうかお元気でと祈りを捧げることしかできないのかもしれないと。
でもそれは違った。葬儀の日を除けば、死の知らせを聞いてから通夜を含めてこの日も、ずっと抑えこんでいたのだと後に知ることになる。
このときはまだそれに気付かず、ただ祈りの道を歩き続けている。
一歩進むたびに足の裏に違和感を感じるようになって、これはキズパワーパッド貼るの早過ぎたなと思った。実際は早過ぎではなく、その場所に貼ること自体が間違いだったんだけど。
高速に関わる工事?をしている現場があって、そこには写真に写っているように遍路向けの休憩所があった。(この先も遍路道で工事をしている企業はこういったプレハブの休憩所や仮設トイレを設置していることが多かった)
でも使えるのは平日の8時から17時までっぽいから、今日土曜だし使えないなあと歩きながら思っていたら、警備のおじさんに「休憩所ですか?」と声を掛けられた。
反射的にいいえと返した。はいと答えてどんな対応されるかはわからなかったけど、無理に使わせてもらうほど疲れてはなかったし。
お気をつけてと見送られた。
花火を作るメーカー。ちょっとだけ見学したかった。
遍路道沿いには様々な休憩所があるけど、これは徳島出身の建築家が始めた「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」といボランティアで休憩所・仮眠施設を四国を一周するように88箇所+1箇所作ろうというプロジェクトで作られた小屋の一つ。地元の方の協力もあって、今現在は55号まで完成しているらしい。
それぞれ制作順に数字が付けられていて、ここは48号。ちなみに初日に泊まった小屋は44号。
休憩所はそのプロジェクト以外では、四国のみちという長距離自然歩道(かなり遍路道と被っている)に東屋がわりと沢山あったり、他には企業が敷地内の片隅に、個人が民家の庭先に作っていたりする。
この休憩所は自販機が入り口にあった。歩き遍路の人を助けてくれるというのは間違いない。
結婚相手探してる方は是非…。
赤い橋の先にお寺らしき建物が見えてきた。
立江寺に到着。
歩いて行くとちょうどこの門に突き当たったんだけど、今朝小屋で出会った男性がいたから、おおーどうもー!ってなノリでここから入っていった。
そしてすぐに、あ、ここ山門じゃないや…と入り口を間違えてることに気付いた。
ってことで一回出て山門から入り直し。
その男性はベンチに座って最初何かを食べてて、それから煙草を吸っていた。 さっきはありがとうとスマホを持っていったことのお礼を言われた。
彼が次のお寺へと向かうまで少しだけ話をした。別れ際にはお気をつけてと言われた。
第19番札所は橋池山立江寺。高野山真言宗の別格本山で、「四国の総関所」として四国八十八ヶ所の根本道場と言われている。
でも特別大きいお寺だとかそういうわけではない。見た目はね、うん。
本堂。本尊は地蔵菩薩。
左が大師堂で、右奥に見えているのが多宝塔。
納経を貰いに入った寺務所が一昔前のオフィス感がかなりあった。デスクの並び方やパソコンや固定電話が置いてあるその光景が。まあ実質オフィスに当たる場所なんだけども。
休憩で僕もベンチに座って少し食事を取った。人馴れしている鳩も何か食べていた。
次までは山道を含めて13km以上の距離があるけど、頑張ろう。
MuseのAbsolution感があるアンテナ群。
鶴林寺まで20分になっているけど、もちろん車の目安時間。絶対行けないことは理解しつつも、ホタル祭りが気になった。
カーブを歩くということ。
更にカーブを歩くということ。
休憩所はなかったけど、歩道も自販機もある道だったから、まあ歩きやすかったは歩きやすかった。
でも当然歩いていれば疲れは溜まるわけで、ローソンの駐車場の奥のスペースに座り込んで小休憩を取った。
気温表示板には22度と表示されていた。歩くにはとても快適な気温。
たなか屋といううどんや丼物・鮎料理等を出す食堂があって、お遍路さん大歓迎とも書いてたから寄ろうかと思ったんだけどまあまだ11時半だしこの先でいいかと一度通り過ぎた。でもそのすぐ先で立ち止まってどうしようか迷った挙句に、お腹減ってるから食べようとお店まで戻った。そしてドアを開けようとして気付いた。開いてない。
足裏の違和感が増していくのに、なかなか休憩するとこがないから確認出来ないというジレンマ。
そして県道16号から歩道が消えて、生比奈小学校の辺りはとても歩き辛かった。
車通りは多いので当たらないように道の端ぎりぎりまで寄って慎重に歩かないといけなかったから。
そして道の駅ひなの里かつうらに到着。へんろ小屋もあった。
空腹を感じていたけど、これで今から登山大丈夫なのかというほど足の裏(+かかと)が痛かったのでベンチで状態を確認することに。
土曜日のお昼時で飲食店付近は人が溢れていた。ベンチの数はあったけれど靴を脱いで足を確認する人間は目に入って嬉しいものではないだろうと、うどん屋「みやこ家」の裏にあるベンチに腰掛けた。
そして靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、確認してみた。すると両足とも人差し指と中指の下に大きな水膨れができていて、こんなに人間は足に水を溜められるものなのか…と衝撃を受けた。
もうめちゃくちゃ水溜まっているからとりあえずこの水を出さないと痛みはなくならないはずと、対処をすることに。
水膨れはちょうどパワーパッドの下に被っていたから、まずは右足のパッドを剥がそうと思ったけど、これが粘着力があってなかなか剥がれない。
ゆっくりと剥がしていた。皮まで剥がさないようにと慎重に剥がしていた。でも皮が水のせいで薄く、または脆くなっていたのか、結果としてパッドを剥がすと同時に皮も破いてしまった。
皮が剥がれた部分を見てみると、内側の皮膚が露わになっていた。一枚どころではなく何層もまとめて剥がれていて、血が出ていないのが不思議なくらい真っ赤な状態。
零れた水分をティッシュで拭きながら、失敗したと溜息をついた。皮が剥げたことによる新たな痛みも増えたことがすぐにわかった。何もしなくてもじんじんと痛んでいたから。
逆足はパッドを貼ったまま水を出せるだけ出した。もちろんこのやり方ではパッドの下付近にある水がまだ大量に残っていたけど、でも後の回復を考えれば断然こちらの方が良かった。
心から憂鬱な気持ちになった。
とりあえずこの先のことを考えた。キズパワーパッドは止めるにしても、このままでは痛すぎるし衛生的にも悪い。でも絆創膏が足りなくなっていたので少し先にあるコンビニに買いに行った。そのコンビニへと歩く間、痛みがひどくて右足を地面に置くのがもう辛すぎた。後悔と痛みで泣きそうな精神状態になった。完全に対処を誤ったと。剥がし方の前に、まず貼ったのが間違いだった。
コンビニから戻って憂鬱な気持ちのまま、うどん屋の手前にある喫茶オレンジに入った。
カレーラーメンとミックスジュースを頼んだ。人気No.1らしいカレーラーメンは美味しかったけど、フルーツいろいろ入ってるならと頼んだミックスジュースがバナナが入っていて、ミックスジュースには苦手なバナナ入ってること多いのにまた馬鹿なことしたなあと思いながら、スマートフォンを充電しつつしばし休憩を取った。
痛みはあっても歩くしかないから先へと進む。
道の駅によくある物産品や野菜等を売っている館の前で話しかけられた。福岡から来たと話すと日本全国歩いていると勘違いされて、そういうわけではないです…と笑いながら返した。その福岡から~を聞いていた違う人がその次に話しかけてきて、歩いてここまで来たのかいと驚きながら質問されて、そういうわけではないです…(笑)と連続で。
最初に質問してきた夫婦の奥さんからは、お坊さんになるの?と質問された。まさかこの短時間で、そういうわけではないですをここまで連発するとはと面白かった。
先程絆創膏の為に行ったコンビニにこれからの食料を買い足す為に再び寄った。でもおにぎりがほとんど売り切れていたのでパンを買った。店員さんがおしぼりを多めにくれてありがたかった。
多めに買った飲み物等も含め、荷物は重くなったけど山越えだから仕方がない。この先に買える場所もないし。
コンビニを出た直後、真言宗京都~~の会と書かれた大型バスから黒い格好をしたお坊さんが数人降りてきた。彼らはいったい今までどんな修行をしたのだろうと気になった。
雨が止んでたのにまた少し降ってきた。
山の方へと歩いて行き、登り口左300mと書いてある看板付近で迷っていたら民宿鶴風亭にいたおっちゃんが道を教えてくれた。
ちょうど自転車に乗った高校生集団が間を通ったので少し大きめの声で会話をした。(この先は)食べ物ないぞと言われたので、調達してきました!と返した。どこで泊まるん?との質問には今日泊まる予定にしている小屋のことを伝えると、5時までには行けると言ってくれた。
休憩で止めていた万歩計アプリを再開させるのをまた忘れていることに気が付いた。
雨が強くなったので一度止まって、民家のガレージの軒下でザックカバーだけした。
そして山登り開始。序盤は登山道というよりは濡れたアスファルト道だった。今の足裏の状態ではどんな道でも痛むけど、かなり急勾配だったので痛みに並ぶくらい疲れもすぐに感じるようになった。
登っていく途中にあった茅葺きの遍路小屋。
ベンチがあってその上にはメガネ(JINS-PC)の落し物があった。もしかして今日出会ったあの男性のでは…?と持って上がることにした。
この辺りは阿波遍路道として、一部区間が国史跡に指定されている道だった。
水呑大師。
車道と遍路道が重なる残り900mの場所で中年夫婦と出会った。下は運動靴だったけど結構普通の服装をしていて歩き遍路っぽさはなかった。奥さんは日本語普通に話していたけど目がエキゾチックな感じで東南アジアとかそこらへんの人なのかもしれないと感じた。
自分が今登ってきた道を指してここを登ってきたの?と二人は驚いていた。舗装道を歩くより車道を歩く方が疲れないよね?と聞かれたので多分そうだと思いますと答えた。別れるときに奥さんからよーいどんしようかと言われて笑った。
この時もそうだったけど「どこから?」と質問された場合は、今日のお寺のことなのか、住所のことなのかわからないときがあった。この時はお寺を指していてご夫婦が逆打ちだということがわかった。でも地元の人から聞かれる場合は住所(都道府県)についてのことが多かった。言葉というのもなかなか難しい。
この日は首筋が痛むだけでなく、ピリピリと痺れることが続いていた。
想像していたよりは足裏は痛くなかったけど登山はやはり大変だった。この道は遍路ころがしの一つでもあったし。
石畳がぼこぼこしていて、今の足裏の状態的には最高にアンハッピーだった。でも涼しいことは救いだった。
そして、軽く霧がかった山頂にあるお寺に到着。20番札所、霊鷲山鶴林寺。
長命の巨木に囲まれた境内は神秘的だった。山を登り切って荷物を下ろし、ベンチに座り、そういった空気の中で時を過ごすことは、たとえ息が切れていても、いや、疲れているが故に圧倒される。
この時は団体客もいなかったから境内が静かだったのも良かった。
先に着いていた先程の夫婦はタクシーを呼んだらしい。それが賢い選択だろう。
息が整ったらお参りへ。本堂、本尊は地蔵菩薩。
大師がこの山で修行をしていたら雄雌2羽の白鶴が舞い降りて、小さな黄金のお地蔵さんを守護していたことから、今のお寺の名前になったとのこと。
山号の霊鷲山は釈迦が説法をしたインドの霊鷲山に似ていたことから。以来、歴代天皇や源頼朝等の帰依も厚かった様子。
お参りが終わると、さっきとは違う別の夫婦と会話をした。どちらからと聞かれ福岡と答えると私たちも福岡ですよ!と。話を聞くと飯塚の方だった。
前回はバスツアーで回っていたけど、物足りなくってねえってと今回は自家用車で回っているらしい。物足りなくってねえと言っていたので僕が歩きですか?と尋ねたときは、(体力があったら)最後は歩きがいいねと。
頑張ってとお接待で千円札をいただいた。 奥さんからは風邪引かないようにねと温かい言葉をかけていただいた。(そのとき自分は山の上で髪の毛までびしょ濡れだった)
お札渡したほうが良いのかなと迷ったけど、がさごそと取り出していろいろ記入する間待ってもらうよりは、丁寧にきちんとお礼をした方が良いだろうとこのとき思った。名前も知らない青年ってのも悪くないだろうし。
若いのに偉いねって言われると読経をしてないことがやはり気になる。今に始まったことではないけれど。
山の上ではあるけど、こんな建物もあった。宿坊ではない。
タオルで髪の毛乾かそうとはしてみたけど、さすがに濡れた体で山の上に居続けるのは冷える。風邪を引かないことを願いながら下山をすることに。
下山を始めるとすぐにお寺の気配が消えたことに驚いた。車の音は少しの間聞こえていたけど。
好きだったはずの下りが足裏の痛みで苦痛の道に。下りはしっかりと一歩一歩足を地に着けて歩くからより痛みを感じた。一段下りるたびに苦悶の声が漏れた。本当に痛かった。
大量の落ち葉で道がわからない場所があった。山の中では秋じゃなくても秋らしさに出会う。
この下り道ですれ違ったのは一人だけ。中年男性だった。そんなに話はしなかったけど、雨のなか大変ですねと声をかけてもらった。状況は一緒なのに、頑張ってくださいとも言われた。間違いない。前にも歩き遍路の経験がある先輩なのだ。
とこのメモを打ってるときにiPhoneを落としてしまって小さい岩にちょうど液晶から落ちて人生初の画面割れ。蜘蛛の巣にはなっておらず、小さな切り傷のようなもので済んで良かった。気をつけようと強く思った。
四国遍路は修行道。
遍路道の途中で車道を横切るだけということがこの先もある。
唐突過ぎてわけがわからないけど、この時、自分は人が好きなんだなと感じた。
家族や親戚が、友人が、彼女になってくれる人が、挨拶をしてくれる人が、自分に話しかけてくれる人が、自分を好きになってくれる人が、好きなんだとそう感じた。
ブレた写真越しに土砂崩れを見つけるという訓練素材。
山から下りて木々の傘が無くなると、天候が大雨になっていることに気付いた。
下りた先に東屋があったので休憩を取った。カロリーメイトを食べながら、鳥も鳴き止むくらいに一段と激しく降る雨の中、きっとこの瞬間を忘れることはないだろうなと思った。
誰かと話したい気分だったけど、同行二人なのだから寂しさを感じる必要はないのだろう。山の中で人の気配がすることがある。それは大師様の気配だと言う人もいる。
誰かのおかげでここで休めている。誰かの意志によって自分はここにある。その誰かは自分が一番よく知っている。
雨の中ではそんなことも考えた。
靴はさすがに忘れないような気がするけど忘れられている。ここまで綺麗に揃えられていると少し怖い。
東屋からはどう進めばいいか少し迷ったけど、選んだ道は当たっていて良かった。
今日の寝床予定の小屋は廃校になった小学校の付近にある。そしてその学校の裏に着いた。
ここもまた土砂災害。回り道をした。
犬小屋の中の犬。ドラム缶の中では何かを燃やしていた。
そして東屋に到着。17時16分。
ベンチを見る限りどう寝るか迷うけれど、驚くことに奥にはソファーがある。このソファーで寝ようと決めた。
スヌーピー可愛い。空いている椅子は濡れた服や笠を干す為に使った。
結局朝の男性とは会うことはなかった。でもメガネを取り出すとその眼鏡がレンズなしだということに気が付いて、まあ問題なかったかと。
後になって考えてみたけれど、眼鏡を掛けている人が歩いている途中に眼鏡を忘れることなんて早々ない。
着替えを持って小学校の方へ行くことに。空のペットボトルに水を汲んだら便利かと少し歩いて気付き、取りに戻る間に弱まっていた雨がまた強くなったので、今度は折りたたみ傘を差して歩いた。
廃校と聞くとホラー要素があったり、汚いイメージだけど、この大井小学校はきちんと地元の方によって清掃され続けていて、トイレも綺麗だった。
休校中という位置付けではあっても体育館等は今も実際に地元の方が使用されている雰囲気があった。というか多分普通に使われている。
体育館の前の水場を使った。水もちゃんと出る。
正直、最高だった。人もいなかったから体もタオルでしっかり拭くことができた。環境的にシャンプーもできたけど風邪引きそうだからそれは止めておいた。
洗濯というか水洗いもやろうと思えばやれたけど、でもこの霧が出ているような湿度の高さでは絶対に乾かないことはわかっていのたでこれも止めた。ありがたいことに物干し竿は休憩所近くに置かれているんだけど。
集落は霧に包まれている。
寝床をソファーの上に作った。マットは使わずに、寝袋だけで簡易ソファーベッド。すぐには寝てないけど、最高の寝心地だった。堅い場所で寝続けていたから、もうふかふかでたまらなかった。もう一度書いておこう。最高の寝心地だった。
今日もまたお接待を受けて、受け取った願いと共に必ず結願をしないといけないなと強く感じた。
足の裏は痛むし、明日もまたどこまで進めるかはわからないけれど、臨機応変に行けばいい。
グーグルマップを見てみたら鳴門から結構進んでるなと思えた。結構とはいってもまだまだ先は長いんだけど、でも少しは進んでいるんだなと。
夜になって霧は消えるどころか更に深くなった。霧の中で眠るというこの旅の中でも最も印象的な夜の一つだった。
車通りは少しだけあったけれど、夜通し走行音が止まない国道沿いに比べれば屋内で寝ているようなもの。ソファーと寝袋のおかげもあって快適に眠れた。