くてーた沖縄 2日目

10月24日。
この日のテーマは「戦争」です。オリオンビール飲んで騒ぐだけが沖縄観光じゃないのさ。

まあ、元気チャージしたのに朝から乗るバスを間違えて全然違う方向に行っちゃったけどね。なんか沖縄のバスわかりづらかったな。会社がいくつかあるからなのか、表示方法なのか、10分遅れもざらにあって、慣れるまではちと困った。慣れた頃には帰ることになるわけだけど。

反対側来ちゃってるし…どうしよう…戦争とは関係ないこっち側のチェックしてる場所に行くか…?いやでも…と元SB島袋の母校興南高校近くで降りて、発想の転換で、そこからしばらく戻って、

「よし、クーポンを使って朝食を食べよう!」とTSUTAYAに併設されているT’s Style Coffeeへ。
このカフェがクーポンに対応してることは昨晩調べていたんだけど、行きたい場所の近くにはないから寄ることもないだろうと思っていたのに、なんか来ちゃったし。クーポンはどんどん使っていかないと余っちゃいそうだから結果オーライ。

 

 
タコライスを選びたかったけどメニューからなくなっているようなのでガパオライスと、沖縄ぜんざいの黒糖わらびもちぜんざいにした。

混んでいない店内は優勝。優雅な午前を過ごしている主婦くらいの年齢の女性がほとんどだった。ぜんざいは不味くはなかったけど、同じ味がひたすら続くのはちょっと堪えたかな。

この時いたのが那覇新都心というエリアで、なんだろうあの建物…?と給水タンクが目立っていた丘がシュガーローフという沖縄戦の激戦地だったので上ってきた。

防御側に有利な地形と迫撃砲等を駆使した守備で、最終的にはアメリカ軍が占拠したものの、おそらく日本軍並かそれ以上に損害を出した場所。

そんな激戦地だったなんてまったく感じない平和な風景。

この道から出られるのかなと思ったら、

一周回らされて柵を越えるしかなかったという。

続いて、住宅街を抜けて、

シュガーローフの裏にある琉球八社の一つ、安里八幡宮へ。

境内には保育園。

琉球八社の中で唯一の八幡宮。他七社では熊野権現が祀られている。

歩いて、安里駅までたどり着くも、目の前でゆいレールを逃した。

トリビアの泉か何かで遥か昔に見たことがあったけれど、漫湖公園は沖縄だったか。良い名前だ。ずぶ濡れになるまで泳ぎたい。

安里駅→奥武山公園駅と移動して、そこからバスで豊見城市にある旧海軍司令部壕を目指してやってきた。

戦争とはまったく関係ないんだけど、以前Master Of Epicというオンラインゲームをやってた時に、同じFS(チーム)で仲良くなった人が豊見城の女性で、自分の中では沖縄は豊見城のイメージが強い。沖縄の成人式を恥じていたのを覚えている。

日米本土で唯一の地上戦が行われた沖縄には慰霊の塔がいくつも建っている。そしてちょうど今年本土復帰50年を迎える。

見晴らしの良い場所に作ったわけだから、そりゃもちろん見晴らしがいいわけだけど、この海軍壕公園からの景色もまた感慨深かった。

吹く風も気持ちよく。

個人的に、沖縄県以外の訪問者・沖縄戦について知りたい人達には、この大田實中将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報の現代語訳を読ませるのが一番響くものがあるんじゃないかと思う。

ビジターセンター・資料館を見学し終わると、戦後十年近く経っても数千人の遺骨がそのまま残されていた旧海軍司令部壕の中へ。

撮影許可されている場所は大概撮りまくる人間だけど、幕僚が手榴弾で自決した幕僚室には手榴弾の痕跡がそのまま残っていて、これは撮れない…と辛すぎて撮ることができなかった。

壕から出た後も先程のように現在の沖縄の風景が広がっていて、平和って素晴らしいと片付けるのは簡単だけど、その平和のためにどれだけの犠牲があったかを想像すると当然辛く悲しい気持ちになった。でも今回最も訪れてよかったと感じた場所。
まあ、今は平和だから良いよねとならないのが一番残念な部分だろうな。現在進行系で海外では戦争が続いていて、沖縄を含めた日本の領土を狙う国も平気で存在しているわけだから。決して今が戦後とは限らず、戦前かもしれないと考えると一瞬で恐ろしくなる。日本人が将来のためにすべきことは明確だとは思うけど。

うん、シーサー君でも貼っとくか。

糸満市へと移動するバスの運転手が、営業所で降りてからも自主的に詳しく教えてくれたのがとても嬉しかった。他社のバスなのにね。出発しようとしている他のバスの運転手も自分に対して、これに乗らなくても大丈夫?と合図してくれたし、沖縄の人達の優しさを感じた。

国道331号線を走るバスを待つ。青空も綺麗で、風は少し強いけれどそれがまた心地良かった。

と思ったら、昨日降った雨が風に乗って攻撃を始めた。

オーマイ!すぐ乾くけどさ。

到着。

ひめゆりの塔。

その奥に建つひめゆり平和祈念資料館へ。

無数の千羽鶴。

土日じゃないから人の数はマシだろうと予想していたら、平日は修学旅行生が多いというね。そして修学旅行のノリというのは、国際通りですれ違うならまだいいんだけど、こういう場所では正直迷惑でしかない。楽しくなっちゃうのは理解できるんだけどね。
でも資料館を進んでいくにつれ、関西弁のうるさいおっさん達も、「この子可愛い!今でも通用するよね~」なんて話してた女子達も、徐々に資料に見入って静かになっていくのは興味深かった。
犠牲になった女学生達、個人の経歴やエピソードがそれぞれ書かれていて、自然と感情移入してしまうような作りがそうさせたのだろう。

資料館から出てベンチに座っていると、1人の女の子が「私もう1回ここ来たいな。またちゃんと見たい」と友達に話していたのがとても印象に残っている。大抵の生徒にとっては修学旅行で訪れなきゃいけない罰ゲーム的素通り時間でも、彼女のように心を寄せている子にとっては時間制限があるので真剣に学ぶことは難しかっただろう。
うん、ひめゆりは初めてだけど大人になってそれをしてるのが自分とも言えるので、彼女もまたいつか沖縄を訪れて何かを感じることになるのだろう。

ひめゆりの向かい側にある優美堂という店でクーポンが使えて、なんか高校生に間違えられたりしつつ、かぼちゃ入りサーターアンダギーを購入した。言うほど揚げたてではなかったけど。(今回揚げたてサーターアンダギーを食べるのが目標の一つだったけど、今揚げました!ってな店はなくて叶わなかった)


またバスに乗って、今度は沖縄県平和祈念資料館へ。

ここでも修学旅行生と一緒になってしまったわけだけど、先程の学校と比べるとまあ酷くて、死体の写真の前で、男子は「うわ!これエグいて~!」と大笑いしてるし、女子は「いや~ん!こわ~い!」といった感じでね。
自分の10代を振り返っても、猿並の知能しかなかったと思うから、まあ猿と一緒に過ごしてたと考えればいいんだろうけど、この時間が台無しにされた感覚はあった。仕方ないけどね。行ったことはないけど、高校生の修学旅行なんて楽しくて仕方ないだろうし。

それに、一連の展示の文章を書いている人の思想が出過ぎているというか、沖縄が被害者なのは間違いないし、避けられた犠牲だったとも思うけど、戦争反対というよりは琉球から日本へのヘイト助長というか、沖縄と内地だけでなく、沖縄の中でも分断や分裂を招くような偏った文章に感じて、
こういう場所は中立であるべきだし、戦争の悲惨さを伝えるだけの場所でいいのにとは思った。
これもまた個人的意見だけど、ただ可哀想でしょう可哀想でしょうと一点張りよりは、(美化するわけではなく)感動エピソードを少し組み入れたりすると、より平和の尊さが伝わるのではないかと思う。大事なのは、より心に響かせて、「二度と戦争をしない」という目標を実現し続けることにあるわけだから。

平和博物館的施設を比較するのもあれだけど、展示はひめゆりと重なるものも多かったし、どちらかに行くのなら、ひめゆりの方がよっぽどいいと感じた。

でも、ギーザバンタという絶壁も見える海の光景は素晴らしかった。ほとんどの修学旅行生はこの海しか記憶に残らなさそうだけど。
 
平和の礎には沖縄戦戦没者の名前が全員刻まれているらしい。あまりに多すぎる。

さて、那覇へと戻ります。

二巡目っちゃ二巡目に入ったわけで、今まで日本のいろんなところに行ったなとふと感じた。でもまだ行きたいところが沢山ある。次々増えていくからキリがない。
何度も感じているけど、それは笑える時間がこの先も続いているなら希望だ。最近はあまり将来のことは考えないようにしていて、今回も現実逃避の旅になっちゃってるけど、でも希望だと思う。

帰りのバスではイヤホンをつけて音楽を聞いた。その時の音に耳を澄ませるのも好きだけど、その旅先の地に似合う曲を聴くのも好きだ。

はい、国際通り。

ポケモンのマンホール「ポケふた」ってのが設置されている街が日本全国にあって、それを見に行くのも面白いかもしれない。福岡市もないし、ない地域の方が多いからもっと増えてほしいんだけどね。実はポケふたはこの那覇のウインディで初めて見た。

ガチャガチャに「ポケモンご当地ピンズコレクション」ってのがあって、今年京都で初めてその存在を知って、福岡のはコンプリートしたし、今回の沖縄滞在でも結構大きな目的だったのに、販売開始から知るまでが遅すぎて、どこを探してもなくて残念だった。どこかにはまだ売れ残っているんだろうけど。
もうポケふたに切り替えようかな。ポケふたも最近知ったから、ニアミスがいくつもあるんだけどね。

夕食はもう沖縄に関係なく「十割そば 山楽」の京鴨汁そばを。海老フライ2本はクーポン2000円へ近づけるために注文した。いやー、美味しかったな。

忌まわしきドラマちむどんどんやん…。

なんか可愛い映え。

君も可愛い。沖縄の至るところにピカチュウいたな。

そこはかとないりゅうちぇる感。

ちょっと1人ではお店に入れなかったからコンビニで買ったブルーシールアイスクリームのバニラ味と、沖縄バヤリースソルティシークヮーサーと、かぼちゃ入りサーターアンダギーがお夜食。

基本バス移動なのに、バス停と目的地まで徒歩で距離があったり、そもそも10月後半の沖縄をナメてて日射対策してないし、しばらくちゃんと運動してないから体力低下も著しいしで、今日もとてもとても疲れた。でも15km歩けるようになったんだからかなり怪我も治ってきただろう。明日も歩くけど。

バスターミナルにもゆいレールの駅にも近いホテルを取ったのは悪くないアイデアだったと思う。

今回いくつかの戦争遺構を訪れて、それが改めて学び直すきっかけにもなった。
自分が育った地元も宇佐航空隊が置かれていた場所として、家(会社)の敷地から航空隊関連の物が掘り出されたり、母校の柳ヶ浦小学校の塀には今も米軍の戦闘機による銃弾痕が残っていたり、おそらく地域によっては一生見ることのない掩体壕も残っていたり、川を越えた先には防空壕もあったりと、平成になっても太平洋戦争の面影を残す町だった。
それ故、沖縄県民と同じように、あるいは一部の沖縄県民以上に、そういった戦争の爪痕を日常的に感じながら育ってきた。平和とは対極にあるそれにまったく触れずに育ってきた子どもとは想いも違う気がする。

まあ、個人にできることは限られているし、いろんな想いはあるんだけど、昔に比べて多くのことが改善したように見えて、馬鹿げたほんの数例だけでも、レジで無意味に立ち続けていたりとか、店員が水を飲んでいたらクレームを入れたりだとか、そんなどう考えても頭のおかしいことが令和の今も普通に存在し続けていて、昭和初期の精神から何も変わっていないんじゃないかと感じることはある。
上のお達しを深く考えず従ったり、そもそも歯向かうこともできなかったり、ってのも溢れているはず。

いや、今社会に対して特に言いたいことはない。ただ自分の周りのおかしいと感じることは、正しい形にしていきたいと思う。それだけ。


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