5月30日。
5時前に寒さに耐えていた。防寒具を送るのは失敗だった。そのとき着ていた服も多少湿っていたから余計寒さを感じた。
iPhoneの画面内部はまだ曇っている。
朝食を食べているときに、ふと足元を見たらムカデが這っていた。ほんとムカデはやめてほしい。蜘蛛や蟻とは大違いの恐怖感。
あれもこれも水分を吸ったままで重い。靴の中にテイッシュを詰めてはいたけど効果はなかったようで濡れたまま。仕方がないからそのまま履いたら、一瞬で新しい靴下まで浸水。まあ気持ち悪い。
出発前荷物をまとめる際に、自分のもの以外のゴミも袋に入れサイドバッグに詰めた。
お遍路さんの中にもみっともない人間は沢山いる。まあ菅直人や清原もしてたんだからそんなことはわかりきってはいたけど。
でも実際にそういった無責任な行為を目の当たりにするとイラッとくる。栄養ドリンクのゴミを捨て歩く人間なんて、もう最初から歩かない方がいい。
とはいっても、地元の人への恩返しも込めて自分が片付けた。誰かが拾うだろうではその誰かの負担になるから。問題に気付いた人間が(可能であるならば)その問題を対処すべきというのは常日頃から思っている。
(なにかこのゴミうんぬんのメモを読み返したらやたらと強い言葉で非難していた。機嫌が悪かったのだろうか。疲労も原因かもしれない)
7時3分に出発した。
疲れから準備を進める速度が遅かったというのもあるけど、今日は進む距離が短いから少しはゆとりがある。
トンネルを抜けて進んでもいいんだけど、車通りが多いとストレスだから、遠回りにはなるけど弥谷観音の方へと進むことにした。
自分を追い抜いていった軽トラの荷台に柴犬が乗っていて目が合った。可愛かった。
弥谷観音に着いた。
元はこの場所より下方で焼失して廃寺となっていた妙法院という寺院を、福井ダムの工事に伴い観音堂を再興してこちらに移設したらしい。
小さなお寺だった。水場もトイレもないなとこのときは判断したけど、実は下に数百メートル進むと公園があってそこに水道もトイレもあるらしい。(確かにここへ来る際に観音堂への道の案内看板があった)

お堂を撮っていないからこのゆるぎ石をどうぞ。弥谷観音七不思議の一つとのこと。

誰もいなかった納経所。でもプレハブというのが良い。
平等寺の奥の院ではあるらしいけど、納経は真光寺というお寺でもらうみたい。この納経所はもう完全に使われていないのだろうか。

先へ進む。23番札所へと。
緑の道で美しい。こういう場所は落石が多いけれど。
多分これは福井川。
この辺りで分かれ道があった。一つは山を切り開いて作ったような何もないところを通る道(元々の道はこちらだから?旧道コースも選択できる)。もう一つは由岐という町や海岸を通る道。
前者を選んだ。お店等はなさそうだけど、距離はこちらの方が短いから。
この選択はきっと正しかった。
絆創膏はすぐに剥げた気がしたし、足裏の痛みはもちろんあったけど、その個人的な痛みを別にして考えれば、とても良い道だった。
比較的(再?)整備されてから新しいのか、道は綺麗に舗装されていて歩きやすかった。何より車通りがほとんどなかったから、山道のように静かに歩けた。
ガイドマップにはR55と書かれていたこのストレスフリー道路。この旅の中で(足の痛みは置いといて)最も気持ち良く歩けた道の一つだと思う。やはり静かに歩けるのは良い。
たまに家屋が見えた。
8時に足の状態を確認する為に一瞬だけここで休憩を取った。ガイドマップには休憩所マークがまったく載っていなかったけど助けられた。
このとき握力が弱まっているというか、ずっと杖を握り続けているので手の疲労も感じた。考えてみれば連日10時間近くも握って歩いていれば疲れるのも当たり前。
ひたすら一本道を歩く。
グリーンラインというありがたい取り組み。この緑のラインが道案内の役割を果たしているところは他にもあった。
なぜこのトンネルの写真を撮ったのかと聞かれれば、トンネルの名前がクールだったからと答えよう。星越トンネル。
廃墟と化したラブホテル跡。
歩いていたら、初めて臀部(左側だけ)にも痛みを感じた。連日の疲労が痛みとして現れている。
監獄の囚人…?元ネタは何なんだろう。
昨晩泊まった休憩所のとこには同じ看板で11kmと書かれてあった。そこから絶対に何キロかは進んだのにこうして10キロと書かれてあって、おかしくない…?と。
でも冷静になって考えればこれは車向けの看板で、休憩所のそれは多分高速道路を用いての距離。
こういう道沿いにあるお店は基本潰れている。どのくらい昔に作られて、そしていつまで営業していたのか。
長い道で数少ない(もしかしたらここだけだったかも)自販機。でもせっかくあったのにゴミ箱がなかった。飲み物のゴミもずっと持ったまま。
グッときすぎてる橋。こういう人工的な素材でできた橋が緑(自然)の草で覆われていると、どこかジブリを彷彿とさせる。
ここは飲食店っぽい店だったかなあ。やってなかったけど。
休憩所と呼んでいいのかどうか。バス停っぽいけどバス停は近くにはなかった気がする。
歩いていると、突然ロッジのようなカフェが現れた。クローズ状態(月曜の9時過ぎ)でカーテンが閉まっていたから中がどんな風かはわからなかったけど、とてもいい雰囲気。
こんな車通りの少ない場所だからお客が沢山来るわけではないはず。多分大きな利益は求めてなくて、気ままにカフェ経営って感じかな。
実にスローライフ的で素敵だと思った。店舗の面積を考慮するとここに住んではなさそうだけど、ドライブがてらの客や遍路相手に手作りロッジ風のカフェで接客。悪くない。(お店の名前がわからないから詳しくは調べていない。現在営業しているかどうかもわからないから勝手な想像)
休憩所も設けられていたので少し休憩をした。ゴミ箱もあったのでようやくゴミを捨てられた。ありがたい。
また歩きを再開してしばらくすると自転車に乗った男性とすれ違った。白ひげが印象的な人だった。
たまに車が通った。自分とすれ違う車と自分を追い抜く車。
日差しが強くなって汗をかくようになった。気付かない間に色々と濡れていたことは気にならなくなっていた。歩きながら自らの体で天日干し。
一ノ坂トンネル前の橋から見下ろした川。
この手作り感溢れる休憩所の小さな水車の先で水が飲めた。こういった日差しのある日はタオルを濡らして体に当てるととても気持ち良い。
道中で落ちているところが時々あって、その都度思うんだけど、大量発生している虫っぽい。
10km近くあるR55の遍路道も残り少なくなってきた。
ガイドマップに「ドライブイン海賊船」という名前とお店の場所は載っていたから、この辺りにお店が存在することは知っていたけど、建物がこんな造りをしているとは想像していなかった。
なんていうか、船だ。海賊船だ。
クーラーは効いてるだろうからちょっと体冷やしたいなと、あれだったら冷たいものでも頼もうと店内に入ろうとした。
でもドアに鍵が掛かっていて、なんだやってないのかと離れたら、すぐにすいませーんという声が後ろからして店員のおばちゃんに入れてもらえた。
おみやげとも書いてたから、レストランが付いてる道の駅的なとこかと想像していたけど、店内を見渡す限りなんか海産系のガチの食事処っぽい。
お食事ですか?と聞かれた。でも食事をするつもりじゃなかったから、いや…と戸惑っていたら、お手洗いならあっちですと言われ、席に案内され休憩していってください〜と。
コーヒーでも入れましょうかとお接待を受けた。何か頼んだ方がいいだろうとメニューを見ていたらまだ食べ物の準備は出来てないから〜と、わたしのおやつから…といくつかあるパンの中から選ばせてくれた。
ちなみにパンはこの先にある道の駅日和佐で買ったものと言っていた。そこには足湯もあるよと教えてくれた。あと2キロだという残りの距離も。
普段アイスコーヒーはほとんど飲まないけど(ガムシロップ入れたら甘くなって飲みやすかったし)冷たくて美味しかった。小腹が空いていたからパンもその場でいただいた。ありがたかった。
お世話になったおばちゃんに見送られた後、自販機で飲み物を買いに行くと、そこまで若くない自転車乗りの白人がいた。
海賊船を主に写真を沢山撮っていた。ナタデココの入ったホワイトソーダを買っていると、なんかこの人すごいお遍路姿撮りたそうだなという位置でずっとスマホを構えていて、頼まれたら良いよと答えようと思ってたんだけどリクエストは来なかった。
自分からHey,YouはMeの写真が撮りたいのかい?と聞くのは違ったとき恥ずかしいから()、もう彼の為にソーダを飲みながら出発した。そして、やっぱり写真撮ってるなと。
海賊船の前をきちんと通るというなかなかのサービスショット。彼のSNSにはジャパニーズクレイジーストレンジ建物の前を通るお遍路姿の僕が写っているに違いない。見かけたら是非いいね!をお願いします。
さあ、気を取り直して、徳島最後のお寺へ。
11時25分前にお寺へ到着した。
中央左に見えている建物が宿坊かなと予想したけど違った。1階には確か売店があったから寺務所的な役割は果たしているとは思う。
第23番札所、医王山薬王寺。
立江寺、鶴林寺と同じく別格本山の寺。その三カ寺以外に四国にある別格本山は65番の三角寺だけ。
真言宗についてよくわかる説明板。
厄除けのお寺として全国的に知られる薬王寺。そしてこの日参拝したのが厄年の自分。
厄除坂を上った先にある本堂。本尊も薬師如来だから前の札所の平等寺と共通点が多い。
大師堂。
これにて「発心の道場」である徳島県(阿波国)の霊場は全て終了。
まだまだ先は長いけど、ちょっとだけ達成感を感じられた。
札所間の距離が書かれてある道標。でも次へ90kmはおかしい。前から43kmもおかしい。平等寺からは約20kmほどだったのに。
道標の種類が違えば距離が違うことはよくあるけど、一体何を基準としているのだろう。一本道ですら前に見た残り距離が伸びていることもあるし。
宿坊のチェックインにはまだ早いから道の駅へ向かった。
適当に歩いているとベンチに座っていた怖いくらい迫力のある遍路のおっちゃんに話しかけられた。
大きなバックパックを持ったその男性は(テントや折りたたみ式のマットレスを持っていたから完璧に野宿をする人)、もし休むならあそこ遍路公認やからと物産館の中にある畳のベンチのことを教えてくれた。
どこからかという話から、100リットルのザック持った福岡の若い子(逆打ち)と昨日一緒やったよという話を聞いた。でもすれ違ってはいない。その人は由岐コースを歩いたんだろうか。福岡からということよりも100リットルに何を詰めているかが気になるから会ってみたかった。
雨の日は歩かん方がええ、とも言っていた。乾かすのに丸一日かかるからという理由だったけど、まあ一理ある。でもこれからは雨季なわけで、雨が降ったら休むというのもそれはそれで大変そうだと感じた。
別れ際には、ここ(トイレ近くのベンチ)にいるから何か聞きたいこととかあったら聞きにくるといいと言ってくれた。その後そこを通ったときはおっちゃんベンチに横になって寝ていたけど。
歩き遍路の中には明らかにベテランを越えたプロっぽい人が稀にいる。聞かなくてもいろいろと教えてくれようとするのは話好きなんだろうか。単純に親切心で教えてくれる人もいるだろうけど。
その場でしか食べられないものを食べるというのは旅の楽しみの一つだとは思うけど、徳島で食べた徳島っぽいものってほとんどすだちばかりだった。
これもすだち味のソフトクリーム。日和佐の町の花がさくらということでさくら味もあった。
テレビを見ながらここでしばらくゆっくりしていた。さっきのおっちゃんが言うにはこの場所に泊まれるようなイメージを受けたけど時間になれば閉まるっぽいし、遍路公認要素?はどこにもなかった。
テレビでは神宮林についての番組がやっていた。トラック運転手がバックの警報音を切っていたら、飼い主と盲導犬が亡くなった事故で有罪判決が出たというニュースもやっていた。
お昼だったので昼食を食べに近くのうどん屋へ。
道の駅にも食べ物が売ってるお店は色々とあったけど、薬王寺付近で厄除けうどんってなんかそれっぽい…!ということでこちらのお店へ。
外観からじゃわからないけど「手打ちうどん やすらぎ」という店名らしい。
看板メニューのやくよけうどんを頼んだ。店内は12時半頃というお昼どきだったのでほぼ満員だったけど、焼き餅が入っているのが特徴のこのうどんの味はなんだろう…。なんて言えばいいのか…。
ま、まずくはなかった…。でも感動するほど美味しくもなかった…。うん、そんなに美味しくはなかった…。そんなに…。
隠れうどんどころの福岡に住んでいる自分からすると…、ユニークではあった…。
うん、まあ、香川に着くまでうどん食べるのはやめようかなって感じだった。うん。うどん好きなんだけど。
チェックインは15時だったかな。まだまだ時間があったので道の駅に戻った。初めてこの旅で時間を潰すというような過ごし方をした。日常で時間を潰していると人生を無駄にしているような気がするけど、旅先ではそこまで深刻には感じない。
足湯に行ってみた。もちろんお湯を汚さないように絆創膏を剥がしてから、しっかりと水で洗ってから入った。
ここでゆったりと過ごそうと考えていたけど、そうはいかなかった。傷口と言える例の足の裏の皮膚が足りない箇所がしみたから。
お湯にちょこんとつけては…、うおおおおおおおおーwwwwww つけては…、んんんんんんんーwwww つけては…、はぁはぁ…はぁはぁ…と自分でも馬鹿なんじゃないのと思うような格闘を繰り広げていた。
当然上記の叫びは無言ではあるんだけど、正直こんなにしみるとは想像していなかったからもう笑うしかなかった。
他の利用客は、共産党のビブスを来た60代くらいの男女?と20代後半か30代前半のカップルが来たくらい。そりゃまあこれだけ暑いのに熱い足湯を利用する物好きはなかなかいない。片足だけでも汗を少しかいた。
普段はもっとエグいけど、この写真はわりと綺麗?な状態だし、正面からではないから載せてしまおう。例の箇所です。
ノーコメントで。
瓶コーラの自販機。美味しそう。
これが正しい次までの距離。正しい距離。いや、この距離はおかしい。数日費やさないと着かないなんて。
15時ちょうどにフロントに着くように移動した。大した距離ではない。
宿坊に泊まろうと思ったのは純粋に今まで一度も泊まったことがなくて泊まってみたかったから。というのもあるし、出発する前からこの旅では仏教的体験をしたいなーと考えていたから。(宿坊に泊まれば朝のお勤めに参加できる)。まあ、一国制覇したご褒美でもあったかな。
いろいろと説明を受けた最後に、朝6時からのお勤めに参加しますか?と聞かれたので、はい。と答えたけど、なんだか未知なるものすぎて不安というか既に緊張を感じた。
いったい何をするんだろう…と。無礼なことをするのも、恥をかくのも嫌だったから、いろいろとググりまくった。お焼香をさせてもらえるみたいだから、真言宗のお焼香の作法等。
自分が泊まるのは300Aという部屋だった。この日は隣の部屋に宿泊客はいなかったけど、多分宿泊人数が多ければその隣の部屋(300B?)と繋げて広くできる部屋。とはいっても、この300Aだけでも1人で泊まるには充分広い。
部屋は見ての通り畳の和室。トイレや洗面所は共同だけど館内はきちんと清掃がされてあるから不便はなかった。
窓を開けると景色が素晴らしかった。薬王寺が見渡せる。
宿坊の隣には温泉がある。実は宿坊に泊まる人はこの温泉が無料で利用できるので、もちろん利用した。(写真は事前に撮ったもの。宿坊とは駐車場を経由して通路で繋がっている)
体重を量ってみたら64kgだった。まさかの増加。別にいいんだけど。
お湯の数は少ないけど、久しぶりの入浴はやはり癒された。でも足の裏がしみるから、右足を上げてなければいけないというのは辛かった。
浴衣の楽さに改めて気付いた。はだけると公然わいせつになるという危険があるけど、素晴らしいものだ。
浴衣様を着ていたので今まで洗えてなかったスパッツ等を含め、温泉の裏口付近にあるコイン式洗濯機に洗えるものはすべて詰め込んだ。量が多くて、程良い袋なんか持ってなかったから運ぶのにバックパックが必要だったのは内緒。乾燥が30分じゃ足りなくて17時41分からもう30分追加した。乾燥も終わって乾いた洗濯物に触れたとき最高に幸せな気分になっていた。人は洗濯で幸せな気持ちになれるらしい。
部屋に戻ると外を女子学生集団が歩いていたけど、地元の子たちだったのかな。修学旅行生とかではないと思うけど。
まだ寝ないけど布団を敷いて寝転がってみた。こんなにくつろげるのはいつぶりだろうという感動にボコボコにされた。
夕飯は2階の「お食事処 仁」にて18時から。この食堂のような場所で宿泊客みんな同じ時間に食べる。
外はまだ普通に明るい。この時間は歩いていることの方が多いのに、お風呂も済ませ、席についてご飯を食べるという状況と比べると、野宿はほんとサバイバル。
食事を運んできた男性からビールかなんかいります?と尋ねられた。まさかの質問にいや…と戸惑ったらすぐに、じゃあご飯持ってきますねーという流れに。ビールorご飯…?なのかと錯覚する。
精進料理ではないのは知っていたから肉や魚があることには驚かなかった。アルコールとかも出すわけだし、宿坊とはいってもガッチガチではない。観光客向けにそういう風に変貌していったのだと思う。
味は、美味しかった。うん、美味しかった。
もうちょい食べれるけどご飯とお味噌汁がおかわりできるのかがわからなかった。ご飯だけでも…うーんと迷ったけどわざわざ調理場まで行くほどではなかったのでおかわりはしなかった。
後ろのおっちゃんとおばちゃんが話している内容が耳に入ってきた。どうやら二人とも歩いていて、今日は同じルート(R55)を通ったみたいだ。
部屋に戻ってくつろぎムードで過ごした。布団に寝転がりながら明日の予定を考えたり。
夜になって窓を開ければ、ライトアップされる瑜祇塔(ゆぎとう)が見えた。
今日進んだ距離は短いけど、そんなに切羽詰まってもつまらないし、とりあえず徳島の札所は終わった。県で分ければ4分の1が終わったことになる。少しは進んでいることは事実。
足の裏にトラブルは抱えているけど、また明日も歩いて行こう。先は長いけど一歩ずつ、今度は高知県を目指して。
久しぶりの布団で随分とくつろげてすぐに眠気が襲ってきた。
布団で寝れるということ、壁があって虫がこないということ、コンセントがあって充電を気にせずできるということ。
普段の生活では一切気にしないような当たり前のことが心から幸せに感じた。
野宿ではかからない宿泊費がかかったけれど、疲れの溜まっていた心身には良い休息になったと思う。