5月31日。
今までの睡眠環境とのギャップが最大の理由だろうけど、驚くほどぐっすり眠れて、アラームで起きた。自分にとっては奇跡のような出来事。
浴衣から着替えた。スパッツはまだ履いていなかったけどほとんど歩き遍路の格好で朝のお勤めへ向かう。
階段を上がると掃除をしているお寺の方がいて、お勤めですか?と聞かれた。はいそうですと答えると、では本堂の方へお上がりくださいと。
スリッパは無礼だろうと靴で行ったけど、結局本堂に上がる際に脱いだ。
You bring light in…You bring light in…
お寺へはかなり余裕を持って早めに向かったけど、自分が到着したときにはもう先客が2人いた。
恰幅のいいお坊さんに本堂の中へと案内されて座った。他の宿坊宿泊客も着いた人から続々と中へ、とはいっても十人前後だったけど。
先程のお坊さんも含めて袈裟を着た若い僧(皆30代以下だと思う)が3人で本尊に対して凹の形で読経を始めた。お坊さんの中にもやはり読経の上手下手があり、中央にいた恰幅のいい人が太い声で伸びもあって一番上手だった。コーラスのように他の僧の声も重なるから、こういったお勤めは初めての体験だったので、静かに始まって徐々に迫力を増していくその神秘的な空間に完全に引き込まれた。
自分の位置からはよく見えなかったんだけど、途中から入ってきた4人目の方(この人は3人に比べると年を重ねていた。住職かもしれない)が奥で護摩焚きを始めた。
和太鼓や鈴、シンバルみたいな楽器(それぞれ妙鉢だとか正式な名前があるんだけど割愛)も加わりながらお経は読まれた。ライヴといったら一気に軽く感じてしまうけど、それでも目の前で鳴らされる楽器と三人の声で重なるお経はその場の空気を震わすような厳かな雰囲気があり本当に圧倒された。
読経の終盤で参加者はそれではお焼香をどうぞと勧められた。真言宗は3回焼香をすると調べたんだけど、3回したのは自分だけで、え…調べたのに…?となったけど、それぞれ宗派によって回数は違うし、人が多い際は1回に短縮することもあるらしいから、どうだったんだろう。皆知らなかったのか、知っていてそうしていたのか。
とりあえずは、自分がくべた抹香がその空間で煙として上がっていく様を見ているとなんだか感動した。
読経の最後の現代日本語?の部分では参加者の道中の安全等を祈願していただいた。
読経が終わるとずっと取り仕切っていたあの恰幅のいいお坊さんから法話があった。色々と説得力のある話をしてくださったけど、弘法大師がそうしたように、お願い事をする際は自分や自分の周りのことだけでなく、視野を広げ、世界平和等、全体的なこと(つまり宇宙そのものである大日如来を意識し)もお願いしてほしいという言葉が印象的だった。
その法話が終わると、最後に本尊の目の前でもう一度お焼香の機会があった。本当に間近で拝むことになった。貴重なことでありがたかったけれど、畏れ多かったというのが正直な感想。
本当に素晴らしい体験だった。30分だったけど何事にも代え難い30分になった。
お寺に行って大仏を見た。等では到底経験することのできない、仏教という宗教の儀式的で聖なる部分に触れることができた。参加して良かった。
お勤めが終わり本堂から出るとおっちゃん2人に話しかけられた。自分より先にお寺に着いていた島根からのおっちゃん2人。少しだけ話をしてそのまま皆で朝食へと向かった。
食事の際、後ろでまた声が聞こえたけど歩きのおばちゃんは、6時ちょっと前に来たらしいけどもう始まっていたとのこと(遅れてきたことで焦っていたんだろうけど、勝手な行動を一人でしたりと可哀想だった)。
隣の席で食事をしていた島根の車遍路のおっちゃん2人とまた少し話した。
なぜ歩こうと思ったのかと聞かれて、家族の供養ですと答えると重いかなと考えて、元々熊野古道とかああいう巡礼の路を歩くの好きなんですよと返した。
この旅で旅を始めたきっかけを聞かれた際はだいたいそう答えた。嘘ではないし、わざわざ重たい空気にするのもあれだから。まあ、どちらの理由も話した人も多いけど。
ちなみに他のおっちゃんがご飯を食堂までおかわりしに行ってたので、おかわりができるということを知って、僕も食堂までご飯をおかわりしに行った。多分昨日の夕食もできたんだと思う。
部屋に戻ると準備をした。どうしても荷物を詰める作業が毎朝生まれる。こういった場所じゃないと難しい爪を切ったりということもした。
歯磨きをしていたら出発する歩きのおばちゃんと話をする機会があった。今回が2回目の遍路で、2週間で28番の大日寺まで行く予定らしい。
いつもなら出発してる時間にお勤めや食事があって、もう時間がそれなりに経っていたからなんだか準備も身が入らなかった。部屋にいるだけで暑いというのもあったけど。
とはいっても今日も歩くわけだから準備をしてチェックアウトをした。
出発前に宿坊の玄関で撮った自撮り。何人かの女の子の知り合いからは「完全に女子」とdisられたけど、荷物をまとめきれていない等の機能性を無視すれば、ちょっとオシャレも楽しんでる山ガール的なスピリットを持った歩き遍路感が出てないこともないこともないこともなry。
とりあえずまあこれなら遍路とわかるからそれでいいのです。はい。
8時20分に出発した。次のお寺までは果てしなく長い。
室戸岬を目指すというのに、海どころか、今はまだ山しか見えない。
車通りがそう多くない日和佐トンネルを歩くのはとても気持ちよかった。なぜなら杖が固い地面に当たる音と杖に付いてる鈴の音がトンネルに反響していたから。
この700mほどのトンネルだけでなく、他の静かなトンネルを歩くのも気持ちよかった。杖の音が響くのを聞くたび自分が遍路旅をしているのだと気付かされた。歩き遍路の人であればきっと共感できると思う。
今考えてみれば、たったそれだけでも非日常的だ。普段杖や鈴の音を響かせながらトンネルを歩くことなんて皆無だ。
雑草処理班ことヤギさん。
サッカー日本代表の横断幕?が男女ともに掲げられているという不思議な田んぼ。多分サッカーが好きなんだろう。
阿波尾鶏という洒落のきいたブランド鶏のお店。
そしてそのお店の横で飼われていたポニー。
ずっとこっち見てて最後は寄ってくるくらいだったのに、写真は恥ずかしいのかそっぽを向かれた。
げんきなおばあやんたちのしゃべり広場という休憩所。建物もあるけどこちらは使われてなさそうだった。
ちなみにこの辺りに来るまで泊まれそうな休憩所が意外とあった。
ここは山の水が引かれていて、その水がとても冷たくて、タオルを濡らすと肌がひんやりして最高だった。この頃にはもうだいぶ暑くなっていたし。
煙草をポイ捨てる人が多いというのは、喫煙者には功徳積みアイテムを無償提供してくれる人格者が多いということだと思う。
グッとくる鉄橋。
トラックが真横を通り過ぎた後の風はいつも強敵。来てるな…とわかると笠の紐をぎゅっと握って歩いた。
牟岐町に入ってから後ろを向いて撮ったウェルかめ。さよなら美波町。
雲はあるけど快晴と表現したい青空。きっと春や秋はこんな空の日が多いだろう。気温も快適だろうし、歩くのも心地良いと思う。
でも梅雨や夏に歩くことにもメリットはある。修行感が増すというメリットが…。
ずっと一本道(55号線)を歩いていたから危うく見落とすとこだった本来の遍路道。まあそのまま歩いていてもまた55号線に戻るは戻るんだけど。
でもこういった道の方が楽しいわけで、
奥には辺川駅という無人駅もあるわけで、
やはり歩きやすい歩き遍路道は最高なのです。
突然岡崎商店という名前のお店が現れた。コンビニのような豊富な品揃えでありながら、商品の値段が安いという完璧なお店だった。
横には休憩所が併設されていて、その裏にはトイレもあるようだった。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲むということ。こんな暑い日のクーリッシュやオロナミンCの蘇生アイテムっぷり。生き返った。
近寄れば隣に休憩所があることは一目でわかるんだけど、買い物を済ませたら、そちらに休憩所あるので休んでいってください~と店員さんが優しく声をかけてくれた。
この先もこんなところがあればいいのにと願ってしまうような素晴らしい場所だった。
歩きを再開すると、四国電力が工事をしていて、作業をしていた人たちに挨拶をすると、高知まではようけ距離ありますよと教えてくれた男性がいた。
もしかすると、ここは国打ち等だと人によっては歩かない区間なのかもしれない。
牟岐橋の辺りは風が快適だった。温度計でも22度という気温が表示されている。 日差しがあっても風があれば歩きやすい。
橋を渡りきった辺りで正午を迎えた。
街に近付いてきたのにこの辺りでオオカミの遠吠えのような鳴き声が聞こえた。多分犬のものなんだろうけど、犬にしてはとても野性的だった。
牟岐という街に着いた。コンビニに寄って昼食を買ったけど、この辺りはお店が沢山あるから喫茶店等でもよかったかもしれない。
牟岐トンネル前にあった遍路小屋に行くと、おばちゃん2人が休憩していた。わたしたちはこれから出るんでどうぞ座ってくださいと席を開けてくれた。少しお話をして、いってきまーすと出発したから、初めて自分がお気をつけてという言葉で見送った。
ここにはお接待所があるみたいだけど、もう閑散期に入っているから閉まっていて、10月から再開するという張り紙があった。
お昼ご飯。野菜も取れるし、熱くないし、食べやすかった。
ベンチに横になり15分だけ仮眠を取った。
地区放送が流れたので耳を傾けると、世界禁煙デーのお知らせだった。2020年までに受動喫煙0を目指すとのことだったので応援したい。
歩きを再開してトンネルに入った。そのトンネルを歩いていると聞き覚えのある鈴の音が聞こえてきた。
驚いて振り返ると、なんと、ひかる君だった。手を振っていたので振り返した。
ペースを緩めトンネルを出たところで待って、再会を果たした。
一緒にまた歩くことになった。こんなに早く追いつかれるとは思ってなかったから、さぼってたおかげで再会できました的な笑い話をした。誰かと話しながら歩くのはやはり楽しい。
あの別れた日からどんな風に過ごしていたかをお互いに話した。ちなみにひかる君は、昨晩あの海賊船横の遍路小屋で寝たらしい。
海が見えてきた。この先はこういった海岸の道が多くなる。海が見える景色というのは良い。永遠に続くのではないかと思うほどその景色が続かなければ。
トンネルと遍路道が別れている場所の前で、おばさんが止まって地図を見ていた。
中年女性ってたまに似ていて違いがわからなかったりするけど、多分宿坊でも朝のお勤めでも一緒だった女性と同一人物。
でも彼女からは出発の際に自分と話したであろうにもかかわらず、それ言う必要がある…?と疑問に思うような少しイラッとくるようなことを言われた。
熊野古道のときもそうだったけど、1人で歩いている中年以上の女性って、性格が悪いとまでは言わないけど、気の強そうな人がやはり多い。なんていうか、夫婦で歩いている女性と比べると他者に対して必要以上に攻撃的。もちろん良い人もいるんだけど。
ここでは少し迂回するような形になったけど、遍路道を歩いた。アスファルトの上に陽炎が出ていたのを思い出す。
海は近いけど景色が良いというわけでもないので、別にトンネルを歩いてもいいと思う。
徳島県最後の23番から高知県最初の24番への75kmはお寺に参る予定はなかったけど、ひかる君とまた行動をしだしたからちょうど別格の鯖大師というお寺があって行くことになった。
別格4番鯖大師本坊。ここには鯖を持った大師像がある。鯖を三年断つと願い事が叶うとされてるみたいで、その文を読んでひかる君と「三年いける?」「鯖ならいける…笑」みたいな会話をして笑った。
この75kmは難所で、歩き遍路には泊まる場所もあまりないんだけど、ここには宿坊もあって、先程の中年女性はここに泊まるみたいだった。納経をしてくれた女性が宿への案内もしていたんだけど、その方へのおばさんの態度はまあ…お察し。
ここでは歩き遍路の男性に出会った。中年に達していない年齢で、野宿もありという希少な存在。自分が護摩堂に行っている間にひかる君と少し話してたみたい。今日は宍喰まで行く予定らしい。ひかる君も今日は宍喰までを予定にしていた。
この鯖大師で最も印象的だったのが、鯖大師不動(観音)洞。お釈迦様の仏足石で足を清めてから歩く全長88メートルもの長い大洞窟の道。
暗くて長いその道の両端には全国から奉納された不動像と各霊場の本尊が祀られていた。(小さいながらも不動像は無数にあって、そこは万体不動像奉安殿とも言われているらしい)
足元には各霊場の砂を納めた蓮華台もあり、その静かで異様とも表現できる雰囲気を持った道を一人で歩いていると、これが仏教の凄さかと圧倒された。
あまりに幻想的で、こんな場所が日本にあったのかと信じられなかった。
奥にあった護摩焚きをしているような場所もまた息を呑むような空間だった。(護摩堂は別にあるみたいだけど)
その場で深呼吸をしていると、このままどこかに引き込まれるのではないかと思うほど別世界に感じた。
本来行くはずじゃなかった場所でこんな経験が出来たということ。これも巡り合わせかと感動した。朝のお勤めに続き、今まで知らなかった仏教の神秘的な部分を知ることができた。
もしこれを遍路前に読んでいる人がいるなら是非そこに行くことをお勧めする。88箇所しか回っていなくても、あの場所へは行く価値がある。
歩きを再開した。
ひかる君と再び歩くようになって感じたのは、そりゃ追いつかれるわなということ。歩行速度は早いし、休憩も少ない。
足裏の痛みさえなければ、前みたいに普通に歩けるんだけど、このときの状態ではなかなかしんどかった。
遍路小屋の第1号が道中にあった。水場もトイレもある素晴らしい設備。
元々今日はここに泊まろうかと自分は考えていたんだけど、仮眠・宿泊禁止という張り紙があった。
でも元は宿泊可能だったような気がする。休憩所でお酒を飲みながら夜遅くまで騒いだりするような人達がいるらしいから禁止になったんじゃないかな。
ヘンロ小屋建立の経緯。こういった親切な方達がいるから本来の歩き遍路という形で巡礼することができる。
オロナミンCの空き瓶が大量にある。冷蔵庫はあると書いてるけどよくわからなかったから、自分達は飲んではいない。
少しだけどこか異空間と繋がってそうな鉄道トンネル。
この建物がこの先20年は使われず更に廃墟感が増した姿が見てみたい。
泊まれそうな小屋がいくつか続いて、ひかる君とここは泊まれそうだとか、水場があるから良い、みたいな野宿トークをしながら歩いた。
大うなぎをイメージして作れた奇妙な形をした38号NASAというヘンロ小屋もあった。
歩いていて感じていたのはたった一つ。足の裏の痛みだけ。特に右足がひどくて、通常時と交換したかった。もう痛すぎて心が折れそうだったけど一緒に歩いてるし、ただ歩いた。
自分のペースが遅くなっているというのもあるけど、ひかる君は7月に法事があるからそれまでには終わらせて帰りたいらしく、鯖大師から24番へは電車も検討してたと話してた(電車が通ってなかったから物理的に無理だったみたい)。まあ、要はそんなにのんびり行くわけではない。
歩いていると、手作り笠のおっちゃんとすれ違った。今日の行先を聞かれたので教えると、やたらと野宿場所の情報をくれた。寝袋が泊まる場所はこの先は東洋大師の通夜堂しかないとも。
そんなに覚えられないのに…というほどずっと先の情報までノンストップで話していた。ジョイフルで寝れば24時間で、飲み物は飲み放題だし、コンセントも使える。等、それありなのか…というような際どい情報も持っていて、その人が去った後、ひかる君は若干引き気味で「職業っぽいね」みたいなことを言っていた。完全に記憶している情報だけでなく、雰囲気とかも含めて、そうなのかもしれないと僕も思った。
ちなみにその人は福岡高校出身の人だった。頭良いんですね。という実に頭の悪そうな褒め方をしたら、その人は自身の母校について「いやー、でも今は落ちぶれてクソみたいなとこになったろう」という尖りすぎな発言をしていたから、今も偏差値は高いですよと教えると、そうか、でもなあ…と、呟いていたから、一体彼の人生に何があったんだろうかと気になった。
勉強はできただろうに、今は(多分)職業遍路になっているという現実。勉強ができたからこそそうなったという可能性もあるけれど。
その先では、ゆっくりいきよと声を掛けてくれた人もいた。その一言だけで優しさを感じた。
痛みと、二人で歩いていたからという理由でほとんど写真は撮っていない。
でもなぜかこのわけのわからないカフェを撮った。
国道55号線を歩き遍路はどれだけ歩くのだろう。もしかすると最も歩く道かもしれない。
とにかく歩くのが辛かった。尋常じゃない痛みが歩くたびにじんじんと響いた。
皮膚の内側が出ているようなものなのに、こんなに長距離を歩くのは自殺行為だったなと後悔したけど、今更どうすることもできないからそのまま歩き続けた。
多分歩けるような状態ではなくて、場所によっては前を歩くひかる君から20メートルくらい離れることもあった。
痛みに耐えながら、明日は距離を抑えて通夜堂までにした方がいいだろうなと考えていた。
目的地である宍喰に着いた。道の駅のレストランでまずは食事をすることにした。コンビニで食べても良かったんだけどひかる君はそのレストランで食べると決めていたみたいだから、自分もそこで食べることにした。思いがけず今までで最も豪華な夕飯になった。
でもご飯と味噌汁はおかわり自由だったのに、そんなに量は食べれなかった。とにかく喉が乾いていて、ウェイトレスは何度も水を汲んでくれた。ひかる君は生ビールを飲んでいた。
確か閉店間際で、自分たち以外の客はもう一組夫婦がいただけ。
ご飯を食べると道の駅の横にあるホテルリビエラししくいに向かった。温泉に入る為に。
でもこの温泉は楽しめなかった。痛みがひどくてまともにお湯に浸かれなかったから。
どれだけ厚く皮が剥げたのか。その剥げた状態で今日は40km近く歩いたから悪化したのかもしれない。負担が増せば当然その分痛みも増す。
本来温泉は楽しかったり、癒やしの存在であるはずなのに苦痛だった。汗を流せないのに比べたらマシだけど。
こんな状態でどうすべきかがわからなかった。
ご飯のときも話していたけど、歩きにこだわらず、もうヒッチハイクにしようか等いろんな考えが浮かんだけど、どうすべきかを決断することができなかった。
そういった妥協案のようなものを選んでしまえば、意志が弱いからだと自分を責めるような思考になったし。かと言って、足裏を回復待っていたらお金と時間が無駄にかかる。
もう本当にどうしていいかわからなかった。
温泉の先にある遍路小屋で寝る予定だったから、とりあえず二人でそこへ向かった。
でも着いてみると暗い中うっすらと見えたのは、ベンチの上にテントを立ててそこで寝ている人。
今日はここと決めていたから、二人でどうしようかと迷っていたら、暗闇の中から「見らんといてくれる?」と男性の低い声が聞こえた。
いや、別に見てはいない…と思いながらも、明らかにその人から漂っている危ない雰囲気を感じ取った。間違いなく職業遍路と呼ばれるホームレスのような人で、多分この人は職業遍路の中でも危険な方というか、コミュニケーションとかも嫌いなガチの人だということが伝わってきた。そういった人達は窃盗等もするらしく(実際遍路の中には犯罪者が紛れ込んでいることも普通にあるらしい)、ここでは駄目だと一旦戻ることに。
道の駅のベンチは幅が狭くて眠れそうになかったし、浜のほうだとサーファー等が来るかなあと、寝袋にはどうしようもない状態で困り果てた。
結局レストランの壁の外、その軒下の地面に直接マットを敷いて寝ることにした。
思いきり人に見られる可能性はあったけどもう仕方がない。ひかる君は浜にテントを張ることに。
ちょっと戻ったところにコンビニがあったから少し買い物をしに行った。溜まった水を抜く針が欲しかったけど、売っていなかった。
そこから戻ってくる際も、足はもうよたよた歩きでしか動かなかった。
いろいろと考えなきゃいけないのに、うまく考えられない。情けなさは感じた。処置を誤ったばかりにこんなことになってしまって。
雨は降っていないけど風が強くて、コンビニに行っている間に笠が飛んでいってなくてよかったと思った。自分が戻ってから飛びそうになる良い子。
ただただ気持ちがゆらゆらと揺れ動いて、ああしようか、でも…、こうしようか、でも…と、本当になんでこの旅を続けているんだろうと自問まで出てくるくらい、考えが決まらずブレまくって情けなかった。
ただ、星空は綺麗だった。人口の光が少ないから沢山の星がはっきりと見えた。それだけが救いだった。
ひかる君がテントを設営し終わりコンビニに行った後に、おやすみを言いに来てくれた。絶対に迷惑を掛けるので明日は距離を抑えると伝えていたから別れの挨拶込み。朝起こされるのもあれだろうけど、わざわざ来てくれて律儀さや優しさを感じた。また会うかどうかはわからない。でもこの足の状態で先行されると、たとえ別格を回るにしても追いつけないような気はした。どうなるかはわからなかったけど。
自分がどうすればいいのか、どうしたいのかがまったくわからなかった。
わかっているのは疲れと痛みがあるということ。
一歩進むたびに足は痛む。今日は5万2千歩近く歩いている。前半(もしくは片足)はましだと考えても、2万回以上痛みに襲われていて、それが明日以降も続くのかと考えたら気が狂いそうになった。
親指にも水が溜まっているのも気になった。近くにトイレはあったけど、動けなくて歯磨きする気力も湧かずそのまま寝た。