6月1日。
新しい月の朝は4時10分過ぎに来た。朝になれば体の痛みは、微々たるものだとしても少しは回復しているから、気分も少しは晴れる。
太陽が水平線から現れる姿が見れるかもと期待していたけど、その願いは叶わなかった。気付いたらもう空に浮かんでいた。
海から直接届く風は冷たかった。今日はあまり急ぐ必要もないし、例の箇所も痛むから、寝袋の中で座って、ただ海を眺めていた。
時間が経つにつれ、徐々に車中泊していた人達も起き始めているのがわかった。キャンピングカーの中からは中年の夫婦が出てきた。キャンピングカーの旅はいつもロマンを感じる。
コンビニに行った。サーファー向けの安宿等もあるから、やはりサーファーが多い。
問題の箇所をかばって歩いているからか、他のとこまで無駄に痛くなっている気がした。
安全ピンはすぐには手に入らないから、代用品として歯間フロスの先で溜まっている水を抜こうと試みたけど、そううまくはいかず。
午前6時を回った。太陽が昇っている。今日も暑くなりそうだ。
今日から6月。怪我をしているとしても、ここでリタイアは中途半端でかっこ悪い。
途方に暮れるようだけど、旅はまだ一ヶ月は続く。
柱に止まっていたてんとう虫。なんだか縁起が良さそう。
道の駅だから乗用車の出入りはある。何人かの人は話し掛けに来てくれた。
まずは、そろそろ体に来てるでしょとおじさんが声を掛けに来てくれた。あんまり無理せず頑張ってねとも言ってくれた。ただただ嬉しかった。
トイレで歯磨きをしようとしていたら、開いた手のひら(成人)サイズの赤い蜘蛛がいた。
座りやすいベンチがなかったから、寝床に戻ってもいっときはマットはそのままにしておいて座っていた。でも顔を蟻に噛まれた気がした。寝床にしていた場所には蚊が少ない代わりに蟻が多かった。蚊もいたはいたけど。
人が増える前に着替える為に、もう一度トイレに行ってスパッツを履いた。白衣が少し汗臭く感じたのは内緒。洗ったとしてもいつも着ているものだから1日で汗を大量に吸い込む。
7時半頃、昨日のお昼に休憩所で会ったおばちゃん達であろう2人が歩いていくのが見えた。
ひかる君が起きてくる可能性もあるわけだから少し気に掛けていたけど、いつも通り朝はのんびりしているというか、普通に寝ていたんだと思う。
8時前には確か、ここで寝てたの?と話しかけてきたバイクのあんちゃんからも応援された。風貌は少しいかついライダーって感じだったけど、話しぶりは優しそうな人だった。他の仲間とも一緒に大型バイクでツーリング旅をしている様子だった。自分と会話をしてからトイレに行って、道の駅から去る際に会釈をすると良い笑顔で返してくれた。
ただ彼に何日目かと聞かれて、8日目と返したけど、今日は9日目だということに後から気付いた。
午前8時を目安に自分も出発することにした。さよなら宍喰とひかる君。
今日進む距離は10km程度。でも昨日更に悪化させた足の裏のせいで、決して楽な道のりではないと、歩き始めて思い知った。
朝の漁港。
2kmほど歩いたら水床トンネルという700m近くあるトンネルがあり、そのトンネルを抜けると高知県に突入した。
ついに徳島県が終わり、修行の道場である高知県、土佐国の道を歩き始めた。
ソーラーパネルが付いてる方のモバイルバッテリーをバッグの上に付けて歩いてみたけど、いつの間にか曇りになっていたから外した。ただでさえ歩くたびにぺちぺちとはねて邪魔だし、ソーラー機能はこの天気では働いてないだろうから。
足の状態もあるから、こまめに休憩は取りたいけど休憩所はなかった。
そうして甲浦という港町に入った。
高知県に入って最初の町、自転車で軽快に走り抜けるおじさんとすぐにすれ違って、涼しいですねえ今日は〜と声を掛けてくれて爽やかな出だしだった。
でもそのおじさん以外は皆愛想が悪いというか、挨拶をしても無視された。この旅では皆挨拶を返してくれていたから予期せぬ出来事に少し驚いた。
子どもたちは学校に行っている時間だけど、町にいた大人は男性も女性も無視。ガラの悪い漁師町という印象を抱くことしかできなかった。過去に遍路と何かあったのだろうか。
遍路にとっては居心地の悪いその町の公園で小休憩を取った。ゴミ箱の中に捨てられてはいたけど放置されたままのゴミが大量に残っている公園だった。
近くにいた人の視線も気になったので早めにそこを立ち去った。
ガイドマップを見れば、その漁師町を経由せずとも、55号線を真っ直ぐ歩くルートもある。
元々の遍路道ではあるのかもしれないけど、遠回りだったし、何より町の雰囲気が悪かったから、真っ直ぐ歩けば良かったと思った。
最初の自転車のおじさんがいなければ印象は最悪に近いものだったかもしれない。
別に偏見はないけれど漁師町のガラが悪いのって珍しい話ではないと思うからまあ気にする必要はないかな。素敵な漁師町が存在することも知っているし。
距離を抑えてるはずなのに、なかなか遠い東洋大師。
曇り空の中を歩く。点々と存在する島々はどこか松島を彷彿とさせる。
牟岐町にもコインスナックおにがいわやというガイドマップにも載っている自動販売機密集地みたいな場所があったけど、今日の道中にもそんなとこがあった。
おでん缶、スナック菓子、スロット、コンドーム、乾電池。手広い。手広い。
東洋町の海水浴場が続く場所はサーファーだらけだった。というか、サーファーしかいなかった。
交通安全東洋大師と書かれたこの遍路マーク付きの道標は多数設置されていて、道は間違っていないのだと知ることはできた。でもなかなかその東洋大師にたどり着かない。
自動車の音に掻き消されてはまた戻ってくる杖の音が響くのが今日も聞こえた。相間トンネルという名前のトンネルを歩いていた。
東洋大師が近いことを看板で知り、安堵していたら、すぐにその道の途中にある八坂神社の近くで黒い蛇がうねうねと移動しているのを見かけて気色悪さを感じた。
うねうねやうにょうにょと動く生き物は大反対です。怖いというより驚くのが嫌だから、突然現れると心臓に悪い。ビクッと驚くのが嫌でホラー映画とかも観ない人間だし。
そしてようやく今日の目的地へ到着。番外札所明徳寺(東洋大師)。
お参りを済ませた後、いっときして納経を貰ったり、通夜堂の許可を得ようと、すみませーんと何度か声で呼んだけど反応はなし。次に、呼び出しベルを押してみたけどやはり反応はなし。どうやら留守っぽい。
日中は留守にしていることが多いという注意書きがあった。納経が既にされてある紙が数枚箱の中に用意されていて、面白いからそれを頂いた。納経代はお賽銭箱へと書かれてあったので指示通りお賽銭箱へ入れた。
写真の左側にポットがあるけどそこはお接待コーナーで、お菓子が置かれていたり、自分でお茶やコーヒーを淹れたりできるようになっていた。自分はそこにあったカントリーマアムを頂戴した。
右奥が通夜堂。まだ許可は貰ってないから中に入るのを躊躇ってしばらく長椅子で過ごしていた。
というかまだ10時半というほぼ朝みたいな時刻。
通夜堂は場所によっては早く着きすぎると、まだ進めるでしょと追い返されるらしい。
でも、この区間は野宿の人が泊まれるような場所はほとんどないから人数いっぱいにならない限り(とはいっても通夜堂は2人分のスペースしかない)追い出されたりはしないだろうし、まあ足の事情も説明したら大丈夫だろうとは思っていたので、今日はもう本当にこれ以上進むつもりはなかった。
だとしても、まあ、お寺の方がいないとどうしていいのかはよくわからない。
お寺の奥には弘法の瀧という滝もあった。面積はそう広くないけど様々なものが存在するお寺。
ちなみにこれは帰宅してから撮った納経の紙。旅の間ボロボロになりながらも生き延びてくれた。
納経直後に滲みや他の頁に染みないようにカットされた新聞紙等を納経所で挟んでくれるんだけど、その役を担われそうになったときはさすがに慌てた。間違いに気付いた納経所の女性が苦笑いしていたのを覚えている。
時間を持て余しながらも11時前に野根スーパーというスーパーに行った。途中道がよくわからなかったので地元の人に道を尋ねて教えてもらった。
このスーパーは田舎町のスーパーが大体そうであるように、色々と置いてはいるんだけど、お弁当系が置いてなかった。迷った挙句、ざるそばと半額になっていたパンとチロルチョコを買った。
何時まで営業しているかと店員さんに聞いたら、七時半から七時半までと教えてくれた。
スーパーとお寺は少し距離があって、いや、足の状態的にはだいぶ距離があったので、往復の道も辛かった。
お寺の方はいつ帰ってくるのだろう。そろそろじゃないか、なかなか戻ってこないなと、待ち時間という時間を持て余しまくった。正直暇で、足の痛みがあるのに、もうちょっと進めたかなと思ったくらい。
ひかる君が来るかなとかもう追い越されたかなと考えたりもした。でもまあ泊まるとこがしばらくないのだから無謀に進むべきではないとわかっているし、体を休めるということが大事なことも理解してはいたけど。
境内には、お団子屋によくある緋毛氈の長椅子と、ビーチやプールにありそうな白いテーブルとチェアが多めに設置されていた。白いチェアに腰掛けて早めのお昼を食べることにした。蟻を含めた小さい虫が沢山動いていて気になったけど、そばのつゆで手を汚しても水場がすぐ近くにあったので問題はなし。
とにかく誰も来なかった。洗濯機もあったから洗濯をして、通夜堂で横になりたかったけど、許可無く使うのはあまりに無礼だし、そんなことはできない。
水場は誰でも使える感じだったから、靴を洗おうかと考えたけど、曇りだから乾かなそうで躊躇った。まあ結果としてシューズブラシもあったから洗ったけども。
でも荷物を置いておくぐらいはいいだろうと通夜堂に入ってみた。
基本的にまだ外にいたけど、コンセントがあるから充電をさせてもらった。
ちなみに通夜堂というのは元々は通夜の際に遺族が泊まる為の施設を指す呼び名だったんだけど、今は実質お寺が用意してある無料の宿泊所を指す感じかな。この呼び名に自分は慣れてしまったから何も感じないけど、慣れてない人に話すとなんか嫌な名前だね…と言われる。まあ、そうかもしれない。
この通夜堂、湿布や爪切り、ピンセット等、長い旅をする歩き遍路にとって役立つものばかり揃えられていた。
することがないからとりあえず明日以降の予定を立てることにした。でもまあ明後日以降のことなんて考えてもわからないわけで、とりあえずは明日の宿を決めた。
野宿出来そうな場所はまだなさそうだし、24番の先にある鯨荘という民宿に泊まることにして電話で予約を入れた。でも電話をかけ終わった後に、大雑把に計算して宿まで37キロはあるのに、この状態でそれはキツいんじゃないか…と不安になってきた。24番の手前にも宿はあるからその辺りにすれば良かったと正直後悔した。時間は余るほどあったのに軽いノリというか、どこでも良すぎて名前で決めてしまった。「クジラ…可愛い…クジラ…」的なノリで…(照) キャンセルしようかとも考えたけど、でも電話に出たおばあちゃんの感じが良くて、胸が痛むからキャンセルはできなかった。
暇疲れしてもう通夜堂で待つことにした。座っていたけど、途中からは体も倒した。本棚にあった本を読み始めたから先程よりは退屈はしなかった。
それでも物音がするたび、来たか、来たかと、体を起こして待ったけど、三時になっても郵便配達員が一人来た以外は、誰も来なかった。
しかしその後、眼鏡をかけた若い男性が一人来た。
挨拶をしてから会話をした。区切り(国打ち)で歩いているらしく、彼も再開初日の今日はここで泊まるらしい。今日は途中まで電車でワープしたらしく、やっぱりそういう人もいるよなーと感じた。
石川から来た26歳だった。ひかる君に続いて2人目の20代。
最初はちょっと変わった人かなと思ったけど、話しているうちに打ち解けていった。彼はグルメ旅をよくするらしく、前に区切った徳島だけでなく、香川のいくつかのお寺は既に参ってるとのこと(善通寺近くの風のくぐるというゲストハウスはオーナーが旅人で面白いからとお勧めしてくれた)。彼がそれを乱れ打ちという秀逸な呼び方をしていたのは上手と笑った。
遍路は一周目だけどいろんな情報を下調べしているらしく、自分が知らなかったり、まったく調べようともしていなかったようなことも詳しく知っていた。
例えば、彼がここ明徳寺に来たのはアルキヘンロズカンという漫画でここの住職がモデルになっていると予想して、その住職と話がしたかったからとの理由。
ちなみにその漫画を描いた方は、元はえっちぃ漫画を描いていた売れない漫画家だったらしく、最後のチャンスくらいの勢いで同人で出したのが出版社の目に留まり、単行本として市販されるようになったらしい。お遍路ドリームとも呼べるなんだか夢のある話。モデルがどうかの真相はわからないけど、この通夜堂の本棚にはその漫画があった。
相変わらず住職は帰ってこなかったけど、長いこと休んでいたから足の痛みがだいぶ引いていたので、夕飯を調達しにスーパーへもう一度行くことにした。
自分が先に行き、眼鏡の彼は住職を待つという交代お留守番制に。
先程も書いたようにお弁当は置いてないし、電子レンジがあるにしても温めれば食べられます系の物もなかったから、予想通りまた悩んだ。
結局焼き鳥にした。温めてもらえますか?と店員のおっちゃんに頼んだら、ちょっと待っててと言われた。するとおっちゃんが店の奥に焼かれた鳥さんを持って行って、しばらくすると親切に容器を入れ替えたほかほかの焼き鳥を渡してくれた。支払いの際にゴミ箱ありますかと聞いたら、誰もが捨てられるゴミ箱はなかったけど、(お昼に出た)ゴミを受け取って自分の代わりに捨ててくれた。
もしかすると頼めばラーメンとかも作れたのかもしれない。でもこれだけでもありがたかった。ラーメン作れたとしても運ぶのはシュールすぎるし。
お寺に戻ると、眼鏡の彼は住職の携帯に電話したらしく、今は日和佐にいるからあと20分くらいで住職は戻るということを教えてくれた。それが17時半頃だった。
そして18時前に住職は帰ってきた。ラグビー選手のような体格なのに、頭は丸めているし、声までワイルドで、迫力がもう凄かった。
ちょうど眼鏡の彼がスーパーに行っているときで(少しルートは教えたけど道に迷ったらしく1回地図を取りに戻ってきたから時間が掛かっていた)、電話してくれた子?と聞かれたけど、まあ僕は電話をしてない方の子。
シャワーについては、まだ入ってないの?と言われたから、勝手に使っても良かったみたい。
この日は遠出をして、17年ぶりに1番札所に行ったらしい。前と比べると観光バスとか少なかったと言っていたから、観光客は減っているのだろうか。
とりあえずシャワーを浴びた。浴室は綺麗に掃除はされてあったけど、手作り感満載で楽しかった。野宿をしている人間にとっては温かいお湯で体を洗えるというだけでありがたい。めちゃくちゃ良い匂いのボディソープが置かれていたのは面白かった。女の子が来ることもあるのだろう。
シャワーを済ませて戻ると、眼鏡の彼がお寺の中に上がって住職と話していた。元々話がしたいと聞いていたから、人生相談でもしてるのかなと思ったけど、後で聞いたら頼まれてパソコンの文字サイズ?を直していたらしい。
ちなみに住職の相棒はこの11歳のわんこ。人間でいえば還暦だけど元気だと話していた。やっぱり犬は可愛い。可愛い。可愛い。
住職の年齢は70歳手前。でも普通に50代に見えた。若々しいというか、活力が溢れ出ているように感じたから。
年を取って何時間もお経を唱えるのは疲れるようになったと言っていたけど、若いときはどんだけ凄かったんだと思う。この前ムカデに2回も刺されたと言っていたけど、そのくらい平気だろうなと思わせる頑丈そうな方。
実は、この住職を悪く書いてるブログもあったりする。多分人を選ぶのだと思う。
でも僕はユーモアのある人は好きだし、情も厚い方だと感じたから好印象だった。実際、住職の話にゲラゲラ笑っていたし。
なんていうか、会話が苦手だったり、暗い人?は、ついていけないような感じを受けるのだと思う。
眼鏡の彼はスーパーから戻ってきた際に、サンドイッチのお接待貰ったからいらない?と勧めてくれた。
シャワーは今日はいいかなと言っていたけど、せっかくだからと僕の後に浴びていた。
いろいろと住職と話したかったんだろうけど、今日は疲れたと言っていたから遠慮しているのがわかった。
殺生に入るのかな…と思いつつも、蚊取り線香が置かれていたから使うことにした。でも二人ともライターを持っておらず蝋燭に灯す用のマッチを借りた。
そして日が暮れて、二人が横になるだけで満員の通夜堂の中で、寝袋に入り話をした。
なぜ旅をしてるのかとかそういったとこから始めて、腹を割った深い話へと変わっていった。
相手が打ち明けてくれたから、自分も話さないといけないだろうと、長年付き合いのある知人にも話さないようなことを、初対面の名前を知らない人に話していて面白いなと思った。
彼は下関出身で、大学院を卒業した後、石川でSEをやっているけど、疲れ切ってしまって、うつ病になってしまって、休職中の身として遍路に来ているらしい。前回の区切りが終わってから1週間しか経っていないけどまた来たということで、きっと区切り打ちの人にしてはかなり短い間隔で歩きを再開している。
髪は痒くなることを心配して短くしてきたと話していた。自分は長いままだったけど、別に痒くなってないですよと話すと驚いていた。
彼は区切りではなく、通し打ちの方が足が作られるから、距離も歩けるようになると言っていたけど、自分はどうだろう。水ぶくれを必要以上に剥いでしまった足の裏の皮のせいで、通し打ちなのに足が作られている感覚がまったくない。
滝があるからこのお寺では滝行をするのかなとも話した。住職は毎朝してるのかもしれないから明日の朝は見てみたいと彼は言っていた。頼めば明日できるかもしれないとも話した。二人とも予想しかできなかったけど。
自分ではない誰かの人生を知る機会であり、自分を見つめ直す時間にもなったと思う。
悪くない夜だった。