6月3日。
5時過ぎのアラームで起きた。個室の布団で寝れたとはいえまさかの熟睡。
ゲーム音は早朝も聞こえていた。なんだったんだろう。廃人がいるのかもしれない。謎のままだったけど。
昨晩は本当に喉が乾いて、途中起きてペットボトルを持って水道に汲みに行った。
干していた衣服は下着等まだ少し濡れたまま。iPhoneの画面の曇りが消えているのは良かった。
6時50分に朝食の準備ができたと部屋に電話がかかった。
昨晩の夕食に続き野宿しているときなら絶対に食べない量の朝食。テレビはめざましテレビが映っていた。
今朝はおかあさんがいた。おばあちゃんといっていい年齢の女性だったけど、とても感じの良い笑顔で挨拶してくれた。
苦しくなるから食べ過ぎないようにしなきゃなと思いつつも、残すのもあれだからまた頑張って食べる形に。
食べ終わると歯磨きをして、日焼け止めを今日はしっかりと塗って出発の準備をした。
廊下には写真や格言?があった。
8時前に出発した。また1日が動き出す。
既に充分昇った太陽の光が体の右側に当たるのを感じながら歩いた。
やっぱりどこも挨拶してくれる町ばかりだと改めて思った。正確にはこちらが先の「挨拶を返してくれる町」だけど、もちろん昨日の佐喜浜みたいに先に挨拶をしてくれる町もある。
陛下に献上したという野根饅頭が気になった。でも暑くて喉が乾くから水分を選んだ。
よし、お寺着いたと思ったら参道の横にあった願船寺という別のお寺を見ていたのは内緒。
はい、こっちが札所です。宿からは2.5kmほどで着いた。第25番札所宝珠山津照寺。
朝から階段はキツかった。まあどの時間帯でも足を上げ続ける登りの道はキツいんだけど。見えているのは室戸の港。
階段を上がった先にある本堂。本尊は楫取延命地蔵菩薩。
慶長七年、山内一豊が暴風雨にあった際にどこからともなく僧が現れ舵を取って無事港まで着くことができた。そのことに安堵しているといつの間にか僧が見えなくなったので、衣から垂れた水跡をたどるとこの本堂の前で跡は途切れていた。そこで本尊の地蔵菩薩を見てみるとなんと濡れていたので、この地蔵菩薩が救ってくれたのだということで、楫取地蔵と呼ぶようになったらしい。
大師堂。
お参りを終えて境内から出ると托鉢をやっている人が外にいた。多くの札所では境内での托鉢禁止という注意書きがあったので気になっていたけど、今まで見かけることはなかったので初目撃。
お寺のすぐそばには小さな薬局や電気屋が立ち並んでいた。自分が通った8時半過ぎはちょうど時間帯だったのかそれぞれの店先で掃除をしていた。
両端に家が立ち並ぶ道を歩いていたら、何やら困っている人たちを見つけた。
エンジンがかからない車をどうにかしようとしている運転席のおばちゃんとその車を押す中年のご夫婦。ほとんど迷うことなく、お手伝いしましょうか?と声をかけた。すみませんお願いしますと返ってきて、とりあえず目的の場所まで動かしたけど、結局どうにもならずにバッテリー充電してみようかという流れになった。そしてありがとうございましたとお礼を言われた。冷たいお茶でもあればいいけど…と飴を沢山貰った。何気にこれが高知県初のお接待(明徳寺ではお世話になったけど)。高知はお接待少ないのかななんてやましいことを考えていたらこれ。
それからちょっと進んだら先程の場所にいたおばちゃんが車で来て、 なんか買ったげるとすぐそこにあった自販機でアクエリアスを買ってもらった。すみません、ありがとうございます。とお礼を言うと、きいつけてなと声をかけてくれて、最後はバイバイと手を振ってくれた。ちなみに車はバッテリーを繋いだら良くなったらしい。良かった。
次の金剛頂寺まで2km。左は民宿うらしま。
山の方に向かってはいるけど、どこにあるんだろうか。下から見えるお寺もあるけどこんな風に見えないお寺も多い。要は下から見えてる山の先にあるということ。
足裏はもう踏み固めるしかないなと思った。そんなことが出来るのかどうかは置いておいて。
登り道に入ってやもりのような生き物を見つけた。
今は一人で歩いているけど、いったいどれほどの人がこの道を通ったのだろう。
古から存在する巡礼路を通るときにこういった考え方をするととてもロマンを感じる。
標高100mちょいの登り道で想像以上に疲れて、こんな感じで今日、真っ縦と呼ばれる神峰寺への遍路ころがし行けるのかと不安を感じた。
厄坂を上る。
階段のすぐ先に仁王門があると、充分に下がれなくて全体を写せないことが多々ある。
第26番札所龍頭山金剛頂寺。
写真よりももっと大きく感じた本堂。本尊は薬師如来。
境内には清掃をするおばちゃんが沢山いて、大師堂のところにいた人たちに挨拶をしたら1人からお接待として冷たい綾鷹をもらった。お掃除の人に配られたお茶らしい。きをつけてねという声もかけてくれた。
先が不安だからあまり休憩を取らずに10時前に再出発した。
今日は神峯寺を目標にしているけど、10キロを2時間20分計算するとしてぎりぎり。何より山登りだから普通の道より時間が掛かるのはわかりきっているし、休憩も必要。おまけに足裏も傷んでくるだろうから、もしかすると厳しいかもしれない。でも希望を持って、最悪納経に間に合わなくても通夜堂までは行きたいなとこのときは考えていた。(納経をしないで通夜堂を借りるのは実質不可能というか、かなりマナー違反だということはまだ知らなかった)
藪の中へ入っていく。
蛇とか出てきそうな遍路道。
落ち葉の下に石が隠れていることがあって、ウォーキングシューズは柔らかいから足裏が突き刺さるように痛むし、足首も捻りそうで怖かった。この旅の間ずっと抱えていた悩みの一つ。
やたらと滑る下り道だったり、傾斜で走らされるような道だったりと、かなりのダメージを食らって下山完了。
海が見えてきた。
キラメッセ室戸という道の駅があった。ジェラート、手作り弁当、甘夏ジュース。どれも惹かれたけどどれもパスした。
そんな焦る必要はないと思ったけど、その時は急ぎたい気分だったから。こういう気分のときに進まなきゃと。
だからその道の駅でしたことは、ツバメの巣の写真を撮ったということだけ。
国道じゃなくてもひとつ山側が本来のへんろ道なんだよなあと思いながらもそのまま国道を歩いた。
軽快に歩いていきたいのに、歩行速度が遅くなっているというのは自分でわかる。
この日もまた笠を被っている自分は、大型車が通り過ぎた後の残風と戦いながら歩いた。
東ノ川橋だったかな、橋の上で歩き遍路のおじさんとすれ違う際に少し会話を交わした。
あの山が金剛頂寺ですか?2時間半くらいですかね?といった風なことを聞かれたから、(こちらから登ることを想定しても)そんなには掛からないと思いますよ、でも直前の山登りがちょっと大変だと思うんで頑張ってくださいと応援した。どうも!とお礼を言われた。
左手にはいつも海。
この細い道を抜けて旧道へ。
スーパー前でさっきのお寺で貰った綾鷹をサイドポケットにセットしてから、自販機で小さな炭酸ジュースを買ってその場で飲み干した。今日も暑い。
吉良川という町のこの通りは良かった。国道は先程歩いていた道だけど、町のメインストリートはこちらのようでお店や自販機等も沢山あってかなり賑わっていた。少し溝の水が下水臭かったけど、雰囲気もとても良かった。
吉良川スーパーには古いアイスの看板があって気になった。でもあまりに看板が古びているから今はやってなさそうだったからお店には入らなかった。暑いは暑いけど真夏の暑さではないからアイスはこの旅では何度か迷った。真夏だったら迷わず買うんだけど。
高知は忠霊塔と長屋風の共同のガレージが沢山あった。そんな印象。
橋の上で中学生の大人しそうな男の子も挨拶をしてくれた。良い町だ。
おもてなしステーションという黄色いステッカーが普通の民家にたまに貼っていて、こんにちはーって尋ねたらおもてなししてくれるのかなとか適当に考えたりしてたけど、ちょっとトイレを貸してくれたり、道案内をしてくれるらしい。ドコモショップに貼られている場合は携帯の充電が出来るとのこと。ありがたい。
花が綺麗な西宮休憩所で小休憩を取った。
でもこの先にも休憩所はあるみたいからそこはすぐ離れた。
お昼前だからストアー片山に寄って軽く買い物。
思った以上に次の休憩所が遠く、買ったばかりのアイスが溶けるんじゃないかとそわそわした。
このとおり、犬様も暑そうである。
休憩所を見つけたときにはあったー!と嬉しくなった。写真の逆側には吉良川の町並みについての案内があった。やはり自慢というかこの町の売りらしい。
地元のスーパーはコンビニにはないその土地特有のものがあって最高。こんなの初めて見た。高知の知り合いに写真送ったらその子も初めて見たと言っていたけど()
フルーツミックス定期購入したいくらい美味しすぎた。まあ、でもこれは熊本のものだけど。
あと24.6kmは厳しいなと現実を突き付けられた。短髪のメガネの彼が泊まれるらしいですよと教えてくれたバス停に野宿するかと計画変更した。
それとこの休憩所、蜂が恐ろしいくらい攻撃的で、落ち着いて休憩が取れなかった。
旅を通してこんなにわかりやすく親切な看板を他に見ることはなかった。
そして再出発。
岩の上の祠。
羽根のスーパーでペットボトルを一本買ってまた少し休憩を取った。山登りは翌日にしたから少しペースを緩めた。足裏の状態もあるし、暑いし、焦ったっていいことはないんです。はい。
スーパーにはベンチがあったからそこに座っていた。緑の体操服を着た中学生の男の子が公衆電話を使って迎えを呼んで、しばらくするとおじいちゃんらしき男性が迎えに来た。
羽根川を渡る羽根川橋。
ローソン事情。
団地等の集合住宅がある場所を抜けると、
中山峠道に。ここを通らず海岸道を歩くと1.2キロ長いらしい。いったいどちらの方がいいんだろうと悩んだ。峠道をさっと越えるのがいいか、長くても負担の少なそうな舗装道がいいか。このときはそのまま歩いた。
少し登ると見晴らしは良くなり、町を見下ろせる。
しかし、あれ、なんだか普通の道に出てしまったぞ…。もう峠道終わりなのか…?と。
何やら作業中。
いや、これ道間違えてるわと、峠は越えずに羽根岬の方に来てしまった。普通に進んでいたつもりが気付いたら下りてしまった。
でもまあ、いいやとこちらの道を進むことに。
海風が気持ちのいい東屋を見つけた。電波は圏外。ここに座って海とそこにいる人たちを眺めていた。
海に入って何かを取っていた浅黒い肌をしたガラの悪いおっさんと子分のような若者がいた。おっさんの方は歯が無いのかネイティブすぎるのか会話は聞き取り辛かったけどなんだか会話は面白かった。
わりとどういう関係か予想し辛い、若者ではない男女四人組もいた。
そして誰もいなくなって、僕もそこを去った。足裏の痛みと一緒に。
羽根岬。
すぐ先に御霊跡という番外霊場がある。
ここはお堂以外何もないけど、人も来ないだろうから晴れているときはテントが張れる。
遠い先に見えるのはいくつかの半島。まだきっと旅は始まったばかり。
救いという点でも恐怖という点でも、共通するのはこれからも長く旅が続くということ。
この辺りで親指の付け根の下の裏が両足とも傷んでる気がした。でもすぐには確認出来ない。
この列車の車両のようなものを見つけると、大叔父が家の会社の敷地に数両置かれていた貨物列車の1両を部屋のように改造し、たまにそこで寝泊まりしていたことを思い出した。
ちょっとした休憩所で先程から気になっていた箇所の状態を確認した。新たにマメはできておらず、いつもの部分が痛みを広げていただけだった。
でもやはり靴下の中は蒸れるから、ほぼ常時、皮が脆い状態で歩き続けていることになる。どうしようもないけど。
海辺の自然学校と書かれた看板を見つけて気になった。シーカヤックやシュノーケリングができるみたい。
歩き旅あるあるだけど政党のポスターを見かけることがやはり今回も多かった。政策は真逆なのに、共産党と幸福実現のポスターは一緒に貼られてることが多い。というのかその2つの政党のポスターの数がやたらと多い。貼れるとこには全部貼る感じなのかもしれない。ちなみに伊勢路では共産党だらけだった。
木材置き場。
知らない町はやはり楽しいと感じた。
下校の時間帯の小学生やおばあちゃんなどと挨拶を交わした。
1人のおばあちゃんに偉いねと声をかけられた。また考えた。一緒に旅をしていると思うと一瞬で涙は溜まる。
気になるモネの庭。
奈半利川橋の前では奈半利中学校の吹奏楽の音が聞こえた。
国道55号線を通ってもいいけど、田野遍路道を行くことにした。
しかしこの町の遍路道は案内が少なく、途中わかりづらいところで道を間違えた。難しい旧道だった。
途中公園を通り抜けた。寝れそうな東屋がいくつかあった。
17時頃になり何かを食べたくなった。ラーメン屋があったけど、でもラーメンの気分ではなかった。
そしてレストラン岬に寄った。店内にはこの店の娘ではないけどお店の人と親しげな元気な小さい女の子がいた。ウェイターは日焼けしたおばちゃん。客はこれまた仲良さそうなおばちゃんが3人ほどいたかな。
テレビの電波がすごく悪かったけど、水も飲みたいだけ飲めたし、テーブルの上は充電しやすかったし、食事は美味しかったしで、もうかなり助かった。
おばちゃんたちと話す流れになって、今日はこの先のバス停で寝ようと思っていると話すと、安田のバス停だ、あそこ泊まってる人見るわ、ということでどうやら本当に泊まれるバス停で水もトイレもあるらしい。明日は午後から雨らしいから気をつけてねと見送ってくれた。
食べたのはうどんと牛丼セット。最高。
歩いて、歩いて、歩いて
横を見れば太平洋で
後ろを見れば今まで自分が歩いてきた道で
毎日陽は沈む。
安田川ということはそろそろ今日の目的地に着きそう。
そして18時10分過ぎに発見。最初見かけたバス停の逆側にあったのがここ。蚊は既に入ってるけど夜は扉を閉められそう。近くにトイレもある。
ここに泊まらせてもらうお礼としてこれらのゴミは捨てた。
近くのトイレでタオルを濡らして体を拭いてから着替えた。
そして先程来る際に見かけたお店でアイスでも食べようかなと思ったら、もう閉まっていた。どうやら18時までらしい。
バス停の上はレストランになっている。
橋のようでかっこいい。
寝たまま撮ったひどい写真でわかりづらいけど、夜になるとこんな風にちょっとしたイルミネーションも見られるオシャレな場所。
ガイドブックがない。どこかで落としたか…?とかなり焦ったけど探せばわりと簡単に見つかって安堵した。
明日からの土日は雨。どんな計画を立てようかと悩んだけど、今日も疲れ過ぎていて、痛み過ぎていて、歯磨きをする気力もなかった。
足の裏は、重症ではない左足は隙間を持ったまま固まっている感じで、重症な方の右足はかなり内側の部分までまだ見えたままの真っ赤な状態。これが痛くないわけがない。
タイミングを見計らって扉を閉めた。降りてくる客はここは使わないみたいだし、このまま人が来なければいいけどどうだろう。
そして寝ようとしたけど寝袋の中はやたらと暑かった。
11時半頃におじいさんが扉を開けて入って来た。 寝とんかいという声が聞こえた。体を起こしてそちらの方を向くと、いやいやいいとすぐに帰っていった。どういう使い方をするつもりだったのかはよくわからないけど、その後誰も来ることがなかったので案外眠れた。道路は近かったけど扉を閉めてしまえば音はだいぶマシだったし。
ありがたい場所だった。地元の人にただただ感謝。