6月6日。
朝を迎えると、奥さんがリビングにいたので挨拶をした。昨日は88番札所まで行っていたというようなことを聞いた気がする。
気掛かりだった昨日遅くなったこともちゃんと謝れた。心配してくれていたみたい。こっちにいる友達と会えたの?それはよかったね。と言ってくれた。
優しくて気さくなおばちゃんで、お遍路の話を中心に楽しく話した。元々山とかも登る人らしくて、お遍路さんと仲良くなったことがきっかけで、周りの反対を押し切って、このゲストハウスを始めたらしい。
自分の肌の色(日焼け具合)を見て、本当に歩いている…?と笑いながら言われたりもした。比べ物にならないくらいみんなもっと黒くなるらしい。
カメラは送り返したと話したら、この前来た台湾辺りの女の子もそうしていたと教えてもらった。やっぱり少しでも荷物を減らしたいというのが歩き遍路の共通点。
準備をしているだけで暑い朝だった。きちんと奥さんと話したかったから5時や6時に出発したりもしてないし。
自分がバックパックの両端に荷物をぶら下げているのを見て、改良の余地ありじゃない?といった指摘をされた。自分でもなんとかならないものかと思いつつも、仕方ないのかなとそのまま歩き続けてきたけど、でも確かに言われた通り、ぶらぶらと揺れ動くのは気になる。もう出発間際だったから、このときはそのままだったけど、次に荷物を整理するときは服をもっと小さくまとめたり、そういう工夫をしようと決めた。
この先の清瀧という町のサニーマートというスーパーの花屋さんに奥さんの勤め先はあるから、よかったら寄りにおいでと言ってくれた。
昨日電車に乗った土佐一宮まで車で送ってあげようか?と聞かれたけど、戻って歩き直すということはしないから遠慮した。すべてを歩くというこだわりがないなら、あれだったら路面電車を使って次のお寺の近くまで行けば?とも提案されたけど、ここから竹林寺までは歩くことにした。戻りはしないけど、歩いて行く。変なこだわり。
でもそういった知らない土地の情報は素直にありがたかった。路面電車で近付けるということなんてまったく知らないことだし。
この先もまだお世話になるけど、本当に優しさに溢れた奥さんに感謝でいっぱいだった。
見送られながら、このゲストハウスがもっと賑わいますようにと願った。
高知駅とは逆方向なので、通勤通学の流れに逆らいながら、竹林寺へと歩いて行く。
元は雨予報だったのがまさかのかんかん照り。
道は多分合っているんだけど、念の為に国分川の手前で地図を広げていたら、信号待ちをしている原付に乗ったワイルドなおじいちゃんが後ろを指差して、何か言っていた。
発していた言葉はまったく聞き取れなかったけど、お寺がある方向はわかった。ありがたい。
橋を渡ればすぐ見つかった竹林寺を目指す参道は登り坂。
参拝客かどうかはわからなかったけど、車は結構多めの道だった。
大分と鹿児島ナンバーの車に立て続けに追い抜かれたときは、ここは九州かと錯覚しそうに。
登り始める前に想像していたより長い道のりだった。お寺は山の向こうにある感じで、普通に登山をしているようだった。木々の中からは蝉の鳴き声が聞こえた。
それなりに登るとこの景色。暑かった。
そこからもう少し登って、五台山公園の横の道を通り、
竹林寺へと下りてゆく。
境内は月曜だったけど人が多かった。
ここが第31番札所五台山竹林寺の本堂。本尊は文殊菩薩。八十八箇所で文殊菩薩が本尊なのは当寺だけ。
大師堂。
高知県唯一の五重塔。高さが30m以上あって迫力を感じた。
お参りを済ませ、納経はどこで出来るのかを探していると、納経は下ですと授与所の若い女性が教えてくれた。その場所を離れる際はお気をつけてどうぞと声を掛けてくれた。
ちなみに下ですというのは、このお寺が石段を挟んで上段と下段に別れていることから。
美しいお寺だった。例のごとく山の上にあるからかもしれない。太陽の光を浴びる緑が印象的だった。
行基が700年代初めに建立して、その100年後くらいに弘法大師が再興したお寺というのは霊場の中に多くあって、この竹林寺もそういった経緯を持つお寺の一つ。
お寺にはどこか歴史を感じさせる雰囲気があった。
ちなみにここ竹林寺には夢窓疎石作と伝わる国指定名勝の庭園や宝物館もある。
納経を貰って休憩をしていたら、ある夫婦の奥さんの方から、頑張りますねえ、足の裏どう?と話しかけられた。覚えていないけど前に会った人だろうか。会話を交わした人でも、歩き遍路以外は完全に覚えていないからわからなかったけど、とても優しそうな人だった。実際にあたたかい言葉も掛けてくれたし。
お寺の近くには植物園があった。
その植物園の手前にある商店の自販機で(ひかる君がどこかで飲んでいて気になっていた)ソルティライチを買って飲んだ。ただでさえ自販機の種類は限られているし、歩く際に飲むような物になればもっと絞られるから、飽きていない味で美味しかった。
アイスクリンの幟を見たら食べたくなったけど、開いてないから買うことは出来ない。ちなみに時刻は9時45分。
下りていく。
次は32番。
小学校の先では工事をしていた。その現場があった道路とその先の橋を渡る。
川沿いの道は気持ち良かった。ちょうど雲がかかっていたので太陽の日差しもなく、心地良い風に吹かれながら歩いた。
ふと後ろを振り返ると、今朝奥さんに目印だと教えてもらったテレビ塔と五重塔の先端部が見えた。
このとき、自分は普通より少し早いペースと言われたのを思い出していた。そして、あのゲストハウス土佐や高知市街で少し休憩を取る人が多いらしい。
紫陽花の道の先で貰った炭焼珈琲キャンディを舐めたけど、元々コーヒー苦手だし、炭焼の味が独特すぎて、やっぱ無理…となって、申し訳ないけどゴミ袋を登場させた。その後にチョコを食べたのは最高だった。甘党なんです。疲れにも良いだろうし。はい。
武市半平太旧宅及び墓がすぐ近くにある道を、寄りたいなーと思いながら、そのまま通り過ぎ、左折してから石土トンネルを抜ける。
このトンネルを抜けた先に、石土池という池があって、そこに車を停めてキッチンワゴンのようなものを出していたおじいさんから、冷たいお茶お接待してますからどうぞと声を掛けられたので、そのまま歩き続けたい気分だったけど、お接待を断るわけにもいかないから、その場所へと近付いていきベンチに座った。
ここでもどこかと同じように女の子かと思ったわと言われた。足の細さだけじゃなく歩き方も顔も女の子みたいと言われた。後ろ姿は~ってのは何度か言われたけど、歩き方等々はこのおじいさんにしか言われなかったんで、多分そっち系すぎるってことはないと思います。ごほんごほん。
スポーツ少年なら一度は見たことあるであろう懐かしいジャグに入った冷たいお茶を紙コップに一杯貰って、おじいさんと話をした。いや、おじいさんの話を(ほぼ一方的に)聞いた。
それはもう、とてもとても沢山話してくれて、 最初はお遍路相手に仏教の話をしてくれているのかと思ったら、そこから細胞や宇宙、企業等に話は広がっていた。途中までは全て仏教繋がりではあったんだけど、やたらと話が長かった。
話の内容から大学教授とかそういう部類の人なのかなと感じていたけど、多分そうではなかった。少なくとも現役ではない。そして僕は彼の過去も詳しくは知らない。
パナソニックやホンダ(の創業者)が成功して、西武の堤さんや清原が駄目だったのは「知恵、知識、勇気、正義、慈悲」の何かが欠けていたからだと熱弁してくれた。
他には小保方晴子やノーベル賞、法華経等様々な話題があった。
話していることは別におかしいことではないし、聞ける話ではあったんだけど、もう長くて長くて、そろそろ終わるだろう…そろそろ終わるだろう…と耐え続けていたらやたらと疲れた。
ためになる話でも、いつ終わるかわからないし、だんだん眠くなるし、本当に疲れた。
握手をして名刺を貰ったので、やっと終わりかと思ったら、それからもまだ話は続いた。
本当の本当に話が終わったのは、1時間以上経った後だった。
現在は幼稚園の運営に関わっているみたいなことを言っていて、名刺にもそのような肩書が書かれていた。いわゆる校長の話を聞くような感覚だったかもしれない。学生時代に校長の話が嫌だった記憶はないし、そもそも校長が1時間以上も話すことはないけども。
住所を聞かれたというか、これも何かの縁だからと、ここにお名前と住所を書いてくれないかみたいなことを最後に頼まれた。でもまあ、少し怪しさも感じたので断った。
そろそろ行かなきゃいけないんで…と話を途中で遮ってでも、先に進めば良かったのかもしれない。お接待でお茶を貰ったから話を聞くのは道義だろう…とか、そろそろ終わるだろう…と考えていたのは間違いだったのだろうか。後に、このときの話を他の人に話したら、自分ならそろそろ失礼しますで去る、と言われた。
今日は出来たら34番の種間寺まで進みたいと最初に伝えていて、種間寺に行くなら急がないといけんとおじいさんも言っていたから、そんなに長くはならないだろうと予想していた。しかし結果はこれ。
この時間も修行の一つと捉えるべきなんだろうけど、ありがたいはずなのに、正直、なんだか時間をロスした気分になった。
話したがりの人(特に年配の方)は結構いると時間が経てばわかってくるんだけど、彼の講演会のたった1人の聴者として、予期せぬ時間を過ごすことになった。
でも、そうだとしても、冷たいお茶とためになるなと思えた話には感謝している。
ようやく解放された直後、車の案内を見ていて、歩き遍路としては少し遠回りをしてしまった。
さっきの時間でもっと進めたよな…とブルーな気分でまた登山開始。
とはいっても標高100mに満たない小さな山で、意外と道は短かったから救われた。
第32番札所八葉山禅師峰寺。12時12分に到着。
本堂。本尊は十一面観世音菩薩。
大師堂。
日陰ではないベンチに腰掛けると、目の前には「思い出を 枝にのこして はらはらと 落つる木の葉よ 秋をうらむな」と刻まれた歌碑があった。素晴らしい歌だ。
下は駐車場と黒潮ライン。
これから歩いて行く方を眺めるということ。中央付近に見えているのは桂浜。浜は見えてないけど。
境内で無人販売されていたポン菓子を買った。ここに来る前に同じくポン菓子の路上販売を見て気になっていたからかも。
お寺を離れようとしていたら、昨日の無口なおじいちゃんを見かけたけど、話す流れにはならなかった。
次は雪蹊寺を目指す。竹林寺も同じ方向というのは不思議に感じた。
先程見下ろしていた黒潮ラインこと県道14号線は長い道だった。そして、海から少しは距離は離れているのに遮るものが何もないのか、風がかなり強くて本気で笠が飛びそうだった。
宇佐出身の人間が馴染みのない土地で宇佐という地名を標識に見つけると写真を撮るらしい。
道の駅のようなドライブインレストランを見つけた。かつお船では物産品等を販売していて、周りにはいくつかの飲食店があった。
コンビニも先にあるのは知っていたけど食べる場所に困るかもしれないし、13時過ぎとお昼時でもあったから、このかつお船の反対側にある一番ランチに適してそうな「カフェ無垢」というお店に入った。
厨房にも誰かいたと思うけど、ホールスタッフは女性1人だった。そしてその女性がとても親切な人だった。
ランチは大盛りにしときましょうかと聞いてくれるし、モバイルバッテリーでiPhoneを充電していたら、時間あるようでしたら奥にコンセントがあるんでどうぞと充電もさせてくれたし、お店を出る際には甘いものでもどうぞ~とお接待もしてくれた。
ただ申し訳なかったのが、あんまり食事がお腹の中に入らなかったこと。食べる前は普通に食べる気満々だったし、味も美味しかったのに、なぜか入らなかった。お店の人にも申し訳ないし、あまり食べれないのに普通に飲食店に入ったこともなんかもったいなかった気がして、コンビニで簡単に済ませるべきだったのでは…良かっただろうかこの判断は…と池のほとりでブルーに染まった気持ちがまだ続いていた。
でも本当に美味しかったし、お店の人もとても親切だった。これはもう一度きちんと書いておこう。
そして、とりあえず飲み物が飲みたくて頼んだ桃のスムージーも最高だった。個人的に桃が世界で一番好きな食べ物なのに、飲み物にすると微妙にランクを落とすイメージがあったけど、ここのスムージーは本当に美味だった。
その先の道の進み方は二種類あって、フェリーで渡るパターンと、浦戸大橋を歩いて渡るパターン。
ガイドマップには浦戸大橋は歩道が狭いと注意書きが書いてあるし、萩森さんから教えられたルートもフェリーの方だし、黒潮ラインで風に苦しめられたので、橋の上は恐怖を感じる気がして、フェリーを選んだ。
ありがたいことに渡船場のルートにも遍路マークがあったのでわりとスムーズにたどり着けた。
県営渡船の種崎側の待合所に座っているとご夫婦に話しかけられた。20年前横須賀から車遍路をしたらしい。高野山を含めて14日間掛かったとのこと。そこまで長く話し込んだわけではないからこそ、その夫婦からはこの若い遍路ともっと話したいんだろうなという雰囲気を感じた。
横須賀からと聞いていたから地元の人ではないと思っていたけど、でもどうやら散歩でここを通ったような様子だった。四国が気に入って移住したのかもしれない。
先程頂いたお菓子はとても美味しいお菓子だった。
それを食べたら、おじさん遍路が1人来た。冗談交じりに若者は橋渡らないかんと言われた。彼とはこの先でも会った。
当然地元の方もこの船を利用するので、自転車の方も3人ほど待っていた。でも船が着いてこちら側へと降りてきたのは自転車のおばちゃん1人だけ。
通勤通学の時間はもっと多いのだろうけど、市民の生活の足になっているということを感じられた。昨日会った友人も通学にこのフェリーを使っていたと言っていたし。
浦戸大橋が見える。なかなか大変そうだ。
後に、ここの分岐について話す機会があったけど、あの橋を渡った人もいるらしい。まあ、僕も既に出会っているホークスの本多似の彼なんだけど。
反対側の長浜へは約5分で到着した。
雪蹊寺の手前にあった美容院の自販機。この品揃えで100円は素直にありがたい。
そして、第33番札所高福山雪蹊寺。時刻は15時40分。
本堂。本尊は薬師如来。
大師堂。ちなみにこのお寺の開基は弘法大師。様々な経緯があって今は臨済宗の寺院だけど。
お寺の境内では鯨のジャーキーなどが売られていた。珍味とは書かれているけど、なんだか高知っぽい。
次の種間寺まで行けなくもなさそうだけど、今日はもうこのお寺の通夜堂に泊まることにした。
納経をしてくれた女性に泊まれますかと尋ねると、1人いらっしゃいますが大丈夫ですか?それと、まだ人数に余裕があるから更に増えるかもしれないですが。と聞かれた。でもまあ、疲れも溜まっているし、次の種間寺は午後5時の15分前ぴったしに行かないと追い返されるというようなことを聞いていて、なんだか神経質というか、気難しそうなお寺みたいだから、大丈夫ですと答えた。
どんな人がいるんだろう…と思いながら行くと、無精髭を生やしたおっちゃんがいた。なんだかプロっぽいぞ…と正直不安を感じた。
でも話をしていると、60代で3回目ということだった。リピーターではあるけど、職業遍路ではない。
そしてまあ(失礼だけど)見た目に反して、何気に親切な人で、自分の足裏のひどい有様を見ると、遍路の先輩から教わったという民間療法を教えてくれた。
その内容は、水が溜まっている皮の部分には針で糸を通して、その糸を通したままにしておくと、そこから水が抜けるというもの。
それともう一つ、皮を豪快に破ってしまって薄くなっている部分に、ガムテープを何重にも重ねて保護するというものだった。
親切心からなんだろうけど、なんか聞いたこともない治療法を、結構強引に進められたので、うーん…と思いながらも、無下には出来ないと受け入れた。
でも、彼の使っていた言葉を用いるなら”馬鹿になっている”皮の部分の水はもう出尽くしたんだけどなあ…と感じていたし、確かに保護にはなるかもしれないけど、薄くなっている皮の部分に直接ガムテープを貼るのも抵抗があったから、結局翌日の出発までには(彼の持っていた用具を使って処置してくれたから申し訳なかったので、彼の見ていないときに)どちらも外した。
悪い人じゃないけど、1人が良かったなあと思った。なんだか気分も優れないし。
でも落ち込んでばかりもいられないから、まあ一晩の付き合いだと切り替えることにした。
情報交換の流れから、昨日はひろめ市場でかつおを食べたと話すと、おっちゃんは逆打ちだったので、じゃあ明日はかつおを食べに行こうと弾んだ声で言っていた。
それからおっちゃんは、せっかくだから龍馬さんに会いに行ってくるかーと言い残し、桂浜へと向かった。
自分も桂浜の龍馬像は惹かれていたけど、これ以上疲れるのも嫌だったから行かなかった。今日はあまり進めていないのに、肉体的にも精神的にもなんだか疲れている。
しかし結局おっちゃんは道に迷って、龍馬像まではたどり着けなかったと戻ってきてから知った。それがとても不憫だった。どうせなら彼が見たかった光景を見てほしかったから。
お寺の手前にあったスーパーで夕食と明日の分を買ったけど、まだ食欲を感じなくて食べられないから、ヨーグルトとジュースが夕食になった。
自分がお寺に戻ってきたときの時刻は17時を過ぎていた。まだおっちゃんは戻ってきていないということと、通夜堂へはもう他には来ないということがわかった。
天気予報は明日は雨。梅雨だから当たり前だけど、どうなることかと嬉しい気分ではない。
戻ってきたおっちゃんとしばらく話していると、今まで出会ってきた20代と比べると、60代、いや、中年より上の遍路は、全然違うなと感じた。
若者の遍路はどこか爽やかさがある。どんな理由で歩き始めたにしろ、自分を成長させる糧になるような、未来に繋がるような、そんな可能性を、自分にも他の若者にも感じる。
でも年を重ねた人の遍路は、何かを得るのではなく、何かを捨てているような、そんな印象を今までにも受けていて、このときそれは事実に近いと確信したから。
別に遍路自体悪いことではないわけだし、何歳であろうと、自分が楽しかったり、有意義だと思える時間が過ごせたらそれでいいと思うけど、それでもやはり漂う雰囲気は違う。そんな気がした。
実はこのおっちゃんとは(またまた失礼だけど)第一印象からは予想外なことに、結構楽しく話せた。
話の流れから、23の頃何してました?と聞いてみた。京都で遊んでいたと返ってきた。そして24で長野に帰って結婚したらしい。
あと20日あれば最後まで行けるかとも聞いてみたら、今日何日目?と返ってきて、14日目ですと答えると、それでは行けないと言われた。40キロ毎日歩く連中に比べるとやはり遅いか。
その話で、意外にも彼が4年前に初めて歩いたということを知った。最初の1周目の何もかもよくわからなかった際にお世話になった人(かなりのベテラン)と、この前再会を果たしたらしい。君もまた歩くなら再会するかもしれないと言われた。
それにしても、4年前が初めてで3周目というのは、わりと間隔が短い気がする。もちろんもっと短い人もいるはいるだろうけど。
歯磨きをする為に通夜堂を離れる際、財布は置いたままで行った。持って行った方が安全だけど、彼はそういう人ではないと話をしてわかったから。わざわざ荷物の中から取り出して、ズボンのポケットを膨らませて行くというのも逆に不自然な気がしたし。
歯磨きから戻ってくると、おっちゃんはイヤホンで音楽を聴いていた。どんな音楽を聴いているんですかとは聞かなかった。わざわざイヤホンを外してもらうのもあれだし、どうやらおやすみモードだったし。
僕も早めに眠りについた。
あまり良い日ではなかったけど、そんな日もあるだろうし。
良い日になるかもしれないし、良い日にはならないかもしれない明日もまた、歩かないといけないから。