6月7日。
5時過ぎに起きると既に雨は降っていた。おっちゃんもわりとすぐに起きたので挨拶をすると、直後に寝起きの放屁をぶちかましていた。
雨の雪蹊寺を眺めながら朝食を取った。雪ではない。
お手洗いが本堂の横にあって、通夜堂からその場所までは屋根がないので走った。朝からダッシュ。
出発したのは6時20分頃。
おっちゃんとは爽やかに別れた。いろいろとお世話になりましたと言うと、またどこかでという言葉を返してくれた。
良い人だった。人を見た目では判断してはいけないと戒めになった。これからも、誰とでも接してみるというのは決して悪いことではないはずだ。
荷物は昨日までに比べればコンパクトにまとまったけれど、予想通り今度は縦へと膨らんでしまったから、バックパックの上の部分が歩くたびに笠に接触するので、かなり後ろが気になる状態だった。
途中から笠を隙間に挟んで歩いていたけど、このときはまだそこから水滴が荷物へと染み込んでいるとは露知らず。
動物の糞が連続で落ちていた。飼い犬のものなら罪深い。

今までは雨予報でも雨が降らなかったことが多かったけど、これからは本格的に梅雨だろうから、雨予報も高確率で当たりそうだなと思いながら歩く。

足の指と指の間に痛みを感じ、五本指ソックスならマシなんだろうかと考えた。
本当に次から次へと痛みは増えていく。朝からこんなに痛いのは初めてだった。まだ7時にもなっていないのに。

次のお寺には雨を防げるベンチがあればいいな。

車で送られてきたピンクのランドセルの女の子がちょうど7時に学校へと続く道に下りた。随分と早いなと思いつつ歩いていたら今度は登校班のような集団も来て、なんだこの小学校は…と。何か特別な行事の準備でもあったのだろうけど。

突如雨脚が強まり、大雨へと変わった。荷物が濡れてたりしないといいがと不安になった。靴下は既にびしょ濡れで、一歩進むたびに不快感が襲う。
出発前の自分の雨(雨季)への危機感というものがまったく足りなかった。これでは雨対策をしないで梅雨を通し打ちしようとしてるようなもの。一度帰ると通し打ちではなくなるとはいえ、それでも臨機応変に進めばいいのに、宿ももう昨晩予約してしまっているし、ほんとに頭が足りないなと自分自身に腹が立った。

雨に耐え、痛みに耐え、7時40分に第34番札所本尾山種間寺に到着。想像していたより相当遅れた。

写真は残念ながら撮り忘れ。ベンチはあるはあったけど、一番濡れなさそうな納経所近くのベンチでも、屋根だけでは雨は完全には防ぎきれていなくて、お参りに関するあれこれが大変だった。
ちなみに本尊は薬師如来。安産の薬師さんと言われているらしい。
境内には金髪と茶髪の明るい髪の毛の女性二人組がいた。
あるおっちゃんからは、歩き?と話しかけられた。続けて、雨大変やねえと。高知の県境(?)から強くなったとのこと。その人は逆打ちだったんだけど、方向一緒なら乗せていくのにと言われた。おっちゃん1人だから寂しいらしい。納経を貰った後もまた話をして、応援してくれた。
納経の際にお坊さんが、歩きですか?という質問から、次のお寺へは水路が現れたらそのまま沿って歩いてくださいと教えてくれた。
靴下は絞れるほど濡れていた。足を見てみると左足の親指の爪付近に膿が溜まっているようなので、昨日の通夜堂のおっちゃんが消毒に使うと言っていたライターと針を買おうと決めた。
心置きなく休めるような場所はなかったから、そう長くはいなかったんだけど、その間にも団体をはじめとする様々な参拝客が来ていた。
次へ。雨は降り続いている。
歩き続けていて、遍路マークも全然ないし、この先にあるはずのサニーマートをグーグルマップで検索しても出てこないし、道を間違えているような気がしたので、精肉店の屋根のある駐車場で一度荷物を下ろし、ガイドマップを取り出してみた。
結果、道は悪くなかった。歩き旅で一番恐ろしいのは、道を間違えて進んでいて正規のルートへ戻るのに時間を費やすということだから良かった。
笠を脱いで地面に置いていたら小さな白い毛虫が付いていて、被る際に気付かなかったら…と考えるとゾッとした。
濡れた靴や靴下、疲れ、痛み、いろんな意味で足は重たかった。治りかけていたマメもまた悪化しているし。
また、自分が苛立っていることも強く感じた。靴の選択を間違えたこと、靴下の状態、親指の膿、笠も小さいサイズを選んでいたらこんな歩き難くなかったかもしれないなどと、思いつく限りの失敗を悔み、自分の歩みを少しでも邪魔しているものを選んでしまった自分自身に苛立ちを感じた。感じていた辛さを苛立ちに変えないとやってられなかったのかもしれない。
用水路はこんな状態。雨の強さがわかる。
仁淀川大橋で前にいたお遍路さんは、手に持っているのは杖ではなくストックだったけど、橋ではそのストックを2本とも突いていなくて、律儀な人だなと思った。
この辺りで雨は小雨に変わった。でもこの天気では実は四万十川並に美しい清流として噂の仁淀川も見惚れることはなかった。
橋を渡った先で、僕はサニーマートに寄るために、少し本来の道からは逸れて歩いていたんだけど、前にいたストックのおっちゃんはそれが気になったようで、僕のところへ、この道で合ってるんかね?と確認しに来た。別にこの道からも行けるんだけど、少し申し訳なかった。
10時前にサニーマートに着いたので、お花屋さんを探すとフラワーショップ大川というお店があり、そのお店へ行くと本当にゲストハウス土佐の奥さんがいた。
清瀧寺へ行く前にここに寄って荷物預けていくといいと言われていたので来たけど、なんだか喜んでくれている様子でこちらまで嬉しくなった。
とりあえず荷物を置いて、サニーマートで小さな裁縫セットと、ライターを買って、膿の処理をした。
そして、ちょっと休憩したら?と花に囲まれたお店の中でコーヒーを出してくれた。 飲まないんだっけ?と聞かれたけど、飲みます!と返した。うん、普段は飲まないけど、普通に飲めた。体も結構冷えていたので助かった。
本当に優しい人だなと改めて感じた。昨日変なおじいさんに捕まったという話をすると、捕まったからこそ再会できたのよとなんだか救われるような言葉も掛けてくれた。
お参りの道具だけ持った荷物はやはりありえないほど軽かった。軽い!!!と思わず叫びたくなるくらいに。
靴下は絞っても濡れたままだけど、膿を抜いたのは良い感じ。清瀧寺へ出発。
天気が良ければ清瀧寺のある山がサニーマート辺りからも見えるらしいんだけど、もうどこに山があるのかもわからないような雲のかかり具合。
ご存知の通り、雨の日だと撮る写真は少なくなるし、撮っていたとしてもいつも以上に何撮ってんだこれ感が上がるので、使えるものが少ない。
だから、サニーマートから清瀧寺への道中で貼れる写真も少ない。でもこれは大丈夫なはず。そう、この子なら。
SHIRONEKO.
新たに前にいたのは昨日の船で一緒だったおっちゃん。挨拶をすると、今日は荷物軽いねえと言われた。少し会話をしながら一緒に歩いて登山口に着くと、先に行ってや。おれはゆっくり歩きます。とのことでお別れ。
少し進むと、橋の先で道を尋ねてきた青いレインウェアのおっちゃんが下りてきた。荷物はどうしたの?と聞かれて、預けてきたと答えると、利口だねえと言われた。
でもタクシー会社等がこのお寺の手前で荷物預かりますといった看板を出していたので、預けてから登る人がまったくいないわけではないはず。というのも清瀧寺は山の中腹にあって、次のお寺へ進むには一度来た道を戻ってこなければいけない場所に建立されているから。
このおっちゃんは今日は国民宿舎の手前の宿に泊まるらしい。僕は国民宿舎に泊まる。ではまた。お元気で。というやり取りで別れた。
雨で濡れている坂は滑りやすく危険。水は流れ続けているし。
ありがとう。
多分あの無口なおじいさんだと思うけど、山門手前にも歩き遍路の男性がいた。
第35番札所醫王山清瀧寺。11時16分着。
右のお堂が本堂で、本尊は薬師如来。
大師堂。
眺めが良いのか悪いのかわからない。
リリーフランキーにそっくりな男性から納経を貰った。この日宿で会った奥さん(名字です)もリリーフランキーみたいな~と話していたから、本当に似てるんだと思う。
境内には20代くらいのモヒカンでツーブロックの男性とおばあちゃんの二人組がいた。見た目はチャラいのに、雨なのに車でお寺まで連れて行ってあげて祖母孝行な人だなと感じた。それと同時に僕にはもうできないのだと悲しくなった。
ハゲたおっちゃんとちょっとギャルの入った若い女性の二人組もいた。いったいどういう関係なんだろうと気になった。
お寺には本当にいろんな人たちが来る。その人たち全てに様々な物語がある。どんな出会いがあってどうして今日ここに来たのか。ただすれ違うだけの人々に少し思いを馳せてみた。
11時40分にお寺を出た。体が冷えてしまって、かなり寒かった。
ずっと無償の愛を注いでくれた祖母のことを想った。
自分は期待を裏切ってばかりで、何の恩返しもできなかったと、情けなくて涙が出てきた。
せめて、もっと電話をして、もっと沢山話をしておけばよかった。そんなことを想っていたら、号泣というくらい涙が出てきて、誰もいない下り道で泣いた。
でも泣くには危険な道だったようで、苔でずるっと転んでしまった。あぶねえ…と冷や汗をかいたら、その次は道を一瞬間違えてしまった。
田んぼもこの有様。
お昼だったので、サニーマートに戻る前にマクドナルドに寄った。店内にはNoel Gallagher’s High Flying Birdsが流れていて、注文の前には店員さんがお疲れ様ですと声を掛けてくれた。
レインウェアは外で脱いで邪魔にならない場所に置いていたけど、靴が濡れたままで申し訳なかった。退店間際にすみません濡らしちゃってと濡れた床を指して謝ると、全然構わないです!と言ってくれて、申し訳無さでいっぱいだった気持ちが大分楽になった。マクドナルド56号高岡店の店員さんが優しく接してくれたおかげ。忘れない。
サニーマートで預かってもらっていた荷物を受け取って、握手をして奥さんと別れた。また会いましょうと勢いで言ってしまったけど、でも本当にまた会えたなら嬉しい。とてもとてもお世話になった。
足が重たい。しかし36番札所を目指す。
サニーマートから数キロ歩いた先にある塚地休憩所で、あの船で一緒でさっきも登り口前で一緒だった面白いおっちゃんとまた会った。まだまだ若者には負けてられんと意気込んでいたのを思い出す。こんなおっちゃんは嫌いじゃない。京都から来ているらしく、みかんをくれた。美味しかった。
話は大きく反れるけど、ここの休憩所について今検索していたらなぜかゲイの発展場ブログが出てきてシュールだった。東屋は広くてゴミ箱もあって、トイレも水もある良い休憩所。
そのおっちゃんと数匹のチワワを連れた一家と休憩所の東屋で一緒だった。
ここから写真がどれも曇っていくけど、その曇りが関係しているのかチワワがやたらとホラー。
休憩所からは塚地坂トンネルの道と旧道の山道に別れているんだけど、萩森さんからはトンネルの方をお勧めされていたからトンネルを行くことにした。おっちゃんもトンネルを進むらしいし。
トンネルは長く、2.6kmもあった。トンネルを抜けると、宇佐町に突入。
トンネルを出てから右に進むのか左に進むのか少し迷ったけど、右が正解。
宇佐大橋を渡る。風が強くて大変だったけど、なんとか無事だった。iPhoneが飛んでいきそうでさすがに橋の上で写真を撮る勇気はなかった。
ちなみにこの橋が完成する前は船で渡っていたらしい。弘法大師もこの浦ノ内湾を船で渡ったとのこと。
宇佐大橋を少し進むと、また分かれ道があった。そこにあった旧道の案内看板には30分ほどで着きますと書かれていたので、30分なら行ってみるかと軽い気持ちでそちらの道を歩くことにした。
しかしそれが大失敗だった。こんな悪天候の日の旧道なんて、道の状態がひどいことなんて考えなくてもわかるだろうに、それがわかっていなかった。
別に近道でもないのに、足が沈むほどぬかるんだ道を歩き、倍以上の時間と体力を費やし、ほんとに馬鹿だな自分はと呆れた。どれだけ知恵が足りなければこんな選択をするのかと。地図もろくに覚えないし。再度自分に怒りを覚え、心からうんざりした。
峠越えてもまだ1キロ以上あるような道だった。ぬかるみで泥だらけになるだけではなく、滑ったりもした。
足が重すぎて、痛すぎて、歩くたびに、痛い…痛い…と声が出た。
本来の道ならもう到着してるだろうに、そんな状態で歩き続けていた。
やっと舗装道に出たと思っても、まだ600mは歩かなければいけなかった。もう4時だから休憩もしていられない。
山道は何の喜びもなく、足の状態をただ悪化させ、時間を余分に使っただけだった。後悔しかない。
16時過ぎにようやくお寺に到着。第36番札所独鈷山青龍寺。
すれ違った人に挨拶をしたら返ってこなくて、その人だけでなく、今までの挨拶をしても挨拶を返してこなかった人たちの中には、耳が聞こえなかったりする人がいるのかもしれないなと、完全に毒を含んだ考えがこのとき浮かんでいた。
長い石段の上にあった本堂。本尊は波切不動明王。
大師堂。
三重塔。
きっと素敵なお寺なはずなのに、それを味わう余裕がなかった。今考えればもったいないけど、でも仕方ない。この日は心身ともにギリギリの状態だったから。
納経所の前にあるベンチで座って一息ついていたら、25年ここに来ているという坊主の方に話しかけられた。
片手で引けるリアカーで大きな荷物を引きずっている男性もいた。でもその男性はそんな年は取っていないのに、廃人のような雰囲気だった。当然挨拶も会話もなし。
iPhoneの液晶画面がいつかと同じようにまた曇ってしまった。そして黒い斑点ができていて、その部分は真っ黒で何も表示されていない。恐ろしい。完全に中に水が入ってしまっている。
予約していた今日の宿「国民宿舎 土佐」は青龍寺まで迎えに来てくれるとのことだったので電話をしてみたけど、電話の音がかなり小さくて(自分の声が電話に出た女性に聞こえていなくて)一度切るしかなかった。なぜだろう…雨で故障しているんだろうか…と不安になって確認したら、電波が遠いというオチで少し安堵した。場所を変えて再度試してみるとなんとか通じた。
しばらくすると、オタクっぽくもあり、執事っぽい男性が迎えに来てくれた。黒い手袋をしていて、体型はひょろっと細長く、眼鏡をかけている30代くらいの男性。車内では会話はまったく無く、古いMT車のギヤを操作する音とエンジンとワイパーの音が聞こえていた。
宿に着いてからはかなり事務的なスタイリッシュ対応だった。カッパは建物の中には持ち込めず、業務用の機械がいくつも置いてある湿度がやたらと高そうな場所にあった物干し竿に干してからのチェックインだった。ちなみにフロント対応してくれたのも青龍寺まで迎えに来てくれた男性。彼以外のスタッフは多分電話で対応してくれたであろう中年の女性が1人と、もう1人中年の男性がいた。
部屋は相部屋のドミトリー部屋で、浴衣やタオルはこの部屋には無いけど素泊まり2500円とこの手の宿泊施設にしては安めの価格設定。
バックパックの中を確認してみると、やはり濡れていた。中にはひどく濡れているものもあって嫌になった。
部屋は2段ベッドが3つと1段のベッドが1つ置かれていた。先客が2人いるようで、荷物を見てみると二人とも遍路だということがわかる。とりあえずはコンセントが近くにあるところ(1段だけのベッド)をキープできたので良かった。
とりあえず濡れていて気持ち悪いし、早く洗濯もしたいから、大浴場へ向かった。脱衣場には2人分の服があるから、同じ部屋の人だろうな、どんな人だろう。と扉を開けると、片方の男性はまさかの眼鏡君だった。こんなとこで(こんな裸という状態で)また会うとはと驚いて笑うしかなかった。
そして、そういえばひかる君?に会いましたよ。と教えてくれた。清瀧寺の折り返しで、それっぽい人に会ったので、もしかして髪の長い23歳の子と一緒に行動してませんでしたか?と尋ねると、一緒でしたよと返ってきたのでわかったとのこと。もう随分と距離が離れてしまったはずだと思っていたけど、想像よりずっと近く、ちょっと先にひかる君はいるんだなと考えると嬉しくなった。そしてまた会いたいなーと思った。
遍路だとこういうことがある。実は以前会った人が近くにいたり、当人以外の人たちでその人の話で繋がれたり。面白い。
2人は先に大浴場から出た。それからわりと急いで自分も部屋へ戻ったけどいなかった。露天風呂に行ったのか、ご飯でも食べているのかと少し探してみたら、ロビーで洗濯が終わるのを待っている様子だった。2人で一緒に洗濯をしているらしい。眼鏡の彼ではないもう1人の男性もどこかで会った気がするんだけどどこで会っただろう…。
彼らが洗濯から乾燥へ移行するタイミングで僕は洗濯を始めた。
ロビーで雑談をしたり、お土産を物色したり、ガイドマップで予定を話したりして、洗濯が終わるのを待っていたら、フェレット のケージの掃除に来たおじちゃんスタッフが、多分僕がハナちゃんの写真を撮ったりしていたのを見ていたのか、(掃除の間)遊んでもらい~とぽんっと投げて渡してくれた。
結構ちょこまかと動くし、爪もあるんだけど全然痛くなくて、噛もうとしても噛めない可愛い子だった。膝の上に乗せて遊んだ。めちゃくちゃ可愛くて癒された。
ふと外を見ると、雨雲が去って、景色が良さそうだったので、3人揃ってパノラマテラスに出てみた。
壮大な景色が広がっていて、息を呑んだ。今まで自分たちが歩いてきた方を見ると、遠くに室戸岬が見えた。心が揺さぶられているのがわかった。ほんとにここまで来たんだね…。すごいことだ…。と3人で感動を分かち合った。写真が上手く伝わるかはわからないし、今改めてそのときの会話を思い出せば、クサい言葉、酔っているような言葉も沢山出てきたけど、それでもこの瞬間は最高に気持ち良かった。
個人的に足の痛みがひどすぎて、今日なんて朝からずっと負の感情を抱えまくりだったけど、それも全部吹っ飛んでいくような光景だった。雲が流れ、太陽の光が差し込むその様子は自分の心を表しているようにすら感じた。本当に感動した。
お金を払わないでいいタイプの望遠鏡もあって、太平洋を一望できるテラス。素晴らしい場所。ちなみにこのテラスの下に露天風呂がある。別に入っても良かったんだけど、もう汗も汚れも流したし、美しい景色も見られたから入らなかった。
ドミトリーの客もどうやら時間までならレストランを使えるらしいので、せっかくだから3人でご飯を食べようということになった。
そういえば名前教えてなかったですねと名前を教え合った。眼鏡の彼は中野君、目力のある男性は奥さんという名前で、彼とは鯖大師で会っていた。それを思い出したときのスッキリ感は今でも思い出せそう。ひかる君が主に話していたけど、そうだ、あのとき会ったんだと。
窓際の席に座って、景色を眺めながら、いろんな遍路関連の話で盛り上がった。楽しかった。
3人とも野宿ありの歩き遍路だから寝床についての話もして、奥さんは宍喰の道の駅でこんなとこ(レストランの前)で寝ている人もいるのかと思ったらしい。あ、それ僕ですと告げると3人で大爆笑だった。
中野君が少し一緒に行動していたあの本多似の男性は37歳らしい。その見た目の若さに驚くしかなかった。奥さんは確か30代前半だった。
その奥さんが招き猫拾ったと小さな招き猫を見せてくれて、実はそれは自分がいつも財布の中に入れていてフロントで落としたものだった。どこかの神社のおみくじに入っていたのでなんとなくずっと持っていたものだけど、拾ってもらえて本当に嬉しかった。
部屋に戻ると現実にも戻った。いろいろと私物が濡れすぎていて辛い。納経帳も濡れていて、せっかく貰った納経が滲んでいる頁がある。
でも話し相手がいるのは救いだった。2人の雰囲気も接しやすく、部屋に戻ってからも3人で気兼ねなく過ごせたし。
持っているお菓子を出し合ってちょっとしたパーティーみたいなこともした。まさかのポン菓子の出番。2人とも順打ちだから、どこかのお寺で売ってたよね、そこで買っちゃいました(照)で話が通じる。
でも寂しいことに、2人は区切り打ち(2人はなんとほぼ同じ流れで、前回徳島最後の23番薬王寺で区切って、1週間して戻ってきて高知県を歩いていた)なので、高知県のお寺もあと3つだし、高知県の最後辺りはアクセスが悪いのでそこは次回にした方が良さ気で、もうそろそろ区切り終わるかなということだった。
せっかく仲良くなれたのに、自分は通し打ちでまだ歩き続けなければいけないから、1人になってしまうようで寂しかった。
ひかる君に追いつけたらいいけど、でもこの足じゃ迷惑掛けるなあ…と考えると、これまた切ない気持ちに。
どうやら中敷きのあるトレッキングシューズが一番良いらしいと知って、持っているのになんでその靴で来なかったのかと悔やんだ。
中野君は明徳寺でもそうしていたように日記をまた一日の終わりに書いていた。中学生のときから書き続けているらしい。
寝るときは電気を消してカーテンも閉め切っていたので真っ暗だった。
エアコンで乾燥気味だったけど、わりとしっかり眠れてよかった。