6月8日。
4時半に目が覚めた。カーテンは自分のベッドからは離れているので、起きてからもいっときは真っ暗なままで過ごした。
もう少し寝ていたいと思うような、なんだか眠たい朝だった。太陽光の力を借りてほぼ強制的に起きるということがいかに人体に有効かを知った。
2人も起きると出発の準備を始めた。その準備のほぼ最終段階でペットボトルに水を汲んでいたら、奥さんが僕と中野君にアミノ酸が入ったスポーツドリンクの粉末をプレゼントしてくれた。ドラッグストアで聞いたらこれが一番良いと勧められたらしい。かっこいい兄貴のような存在だった。
靴は乾ききっていなくて濡れたまま。でも仕方がない。このまま歩くしかない。
窓越しに見る太平洋と朝日。
朝からキャワワ。
6時からフロントでのチェックアウトOKということで、その時刻に合わせて3人で来たのに、誰も現れなかった。
実はこれから船に乗る予定だから、少し焦ったんだけど、そう時間経たずに来てくれたので良かった。
奥さんはカップラーメンを食べるから(それと青龍寺にも昨日行けてないか、ちゃんとお参りできてない?)ということで、中野君と2人で出発した。
2人で一緒に下り坂を下りていたんだけど、もうちょっとゆっくり行くから先に行っててと中野君が言うので、1人で歩くことになった。更に歩きの速度を早めた。
ひかる君と歩いていた頃にお接待で乗せてもらえそうなのを断ったのがきっかけだと思うけど、出来るだけ乗り物には乗らないというのがこだわりになっていた。(萩森さんに勧められた高知市での電車を除けば実際にそのこだわりを実行してきた)
しかしこの先に乗り場がある浦ノ内湾の巡航船は、弘法大師も湾を船で移動していたということから、36番札所から37番札所の本当の遍路道は海の上という説もあるとHPに載っていたので、いやもうこれ合法だろう!乗っちゃっていいだろう!と乗る気でいた。
それでも船が出るのは7時5分発。それを逃すと次は10時台だから、実質チャンスはその便だけ。間に合うかはわからなかった。
ちなみに、なんとなくでこの日決めた歩きではないワープ方法の合法と違法の違いは以下。
渡しの船・お接待での車への乗車(次の札所までや宿まで)・下りのロープウェイなどが合法ワープで、違法ワープは電車やバスといった普通の交通機関を普通に使っちゃうこと。
出来るだけ歩きたいけどこういうのならありかもなーという線引きをしてみた。
宿から続いていた下り坂を下りきるまでにやたらと時間が掛かった。だいたい20分は費やしただろうか。これは巡航船厳しそうだ…と当然思う。
三陽荘の前には朝の海を見つめながら語り合うカップルがいた。良い雰囲気だった。でも僕は歩く。
釣りをする人たちもいた。朝日に照らされる海面には薄い靄がかかっていて、釣り人たちの姿を含めて、美しい光景だった。
6時50分前に宇佐大橋前に着いた。間に合うはずがない。もう焦らず歩こうかと思いつつも、一縷の望みに賭けて小走りや早歩きもしたはした。
このときはマメの痛みはほとんど感じなかった。昨日も温泉でしみなかったから足の裏の状態はそうひどくはないのかもしれない。朝はいつもマシだからわからないけど。
宇佐大橋を渡りきったのは6時56分。
それから歩道がほとんどない場所を急いで歩いたり、もう駄目だろうなと諦めかけたりと中途半端なことをしていたら、いや、乗り場がある…!と目の前にある光景に驚いた。想像していたよりも近い場所にあったから。
時間はぎりぎりだけどどうだろう…と船を探していると、おっちゃんが出てきて、もう出ました?と聞くと、出たんやないかなあ…と返ってきて、乗船場所まで歩いていくのについていった。(ちょっと小走りしてくれないかなあ…と正直思った)
そして、なんと、船はあった。僕が乗りたかった船が見えた。
はい、結果1分遅れで船を逃した。ハハ…ウケる…と心の中で呟くしかなかった。まあこんなこともあるだろう…。もったいないことをしたけど話のネタにはなんだろ…。と切り替えることにした。
でも、そう簡単に気持ちを切り替えることはできなかった。
相変わらず自分は馬鹿だなあと落ち込んだ。サブタイトルを付けるなら今日は「あたしって、ほんとバカ」だななどとくだらないことも思い浮かんだ。
ちゃんと乗り場までの距離や時間を事前に計算しておけばよかった。防犯上の都合で宿の施錠は6時までってだけだから宿を出る時間も早めることはできたのに、こんなことになるとは。
浦ノ内湾は岬や入り江がいくつもあるかなり入り組んだ湾。なのでまっすぐ進めたならまだしも、くねくねと歩き続けるので先に見えている景色はあまり変わらず、ずっと遠回りしているような感覚で、まだ10キロも進んでいないところですごく疲れていた。 船乗りたかったなあという残念な気持ちも含めて、精神的な辛さが肉体的な疲労に変わっているようだった。
後で聞いたけど船には3人くらい遍路が乗っていたらしい。
8時過ぎに小さめの防波堤に隠れた小屋みたいなところで休憩をしていると、中野君に追いつかれた。船の話をすると笑いながら修行ですねと言われた。乗り場に彼がたどり着いた時間からして、僕は乗れただろうなと思っていたらしい。
それから浦ノ内トンネルの先まで一緒に歩いて、休憩を取っていなかったらしく、そこで一旦別れた。
歩いていると逆打ちの男性とすれ違った。年齢は20代くらいで、松田龍平を更に怪しくしたような雰囲気の人。
挨拶をすると、一つお尋ねしたいのですが…花山院廟の看板はありましたか?と聞かれた。花山院廟かは確認していないけど、神社の矢印ならありましたよと教えた。
なんか臭いなと思っていたら歩道で動物が死んでいた。腐敗して蝿らしき虫がたかって、真っ黒になっていた。姿形からは猫のような気がしたけど、何の生き物だったかもわからない状態だった。
手作り感あふれるベンチで座っているとまた中野君と一緒になり、その先のヤマザキショップに寄って僕は人生初のアイスクリンを食べた。アイスクリームmeetsシャーベットな感じで美味しかった。
中野君はヨーグルトを食べていた。そして中野君は今度は近くの郵便局辺りで涼んでいくとのことでまた別れた。別れてはまた会って、別れてはまた会ってと、休憩のタイミング的にそれの繰り返し。
変わった建築。普通の住宅なんだろうか。
湾を抜けて、11時にヘンロ小屋須崎で休憩を取った。まだ約20キロなのになぜこんなにも疲れているのかと不思議に思えるほど、一日の終わりのような疲労感を感じていた。
誰かが食べかけをポイ捨てしていたからだと思うけど、飴どうぞと紙が貼られた缶を開けてみたら無数の蟻が蠢いていたのでそっと閉じた。おまけにカレンダーは5月のままだった。でもなかなか休憩所もないところだから、もう休めるというだけでありがたい。
ここでしばらく過ごしていたら、自転車に乗ったおじいさんがやって来た。こちらは特に何も頼んでいないんだけどいろいろと話してくれた。
大正14年生まれのおじいさんは戦争も経験していて、陸軍の兵として名古屋にいた際に大空襲に遭ったらしい。大量の爆撃機はコウモリが羽を広げたみたいで恐ろしかったと語ってくれた。
もう戦争を語れる人も少なくなったのに、思わぬところで戦時中の話を直接聞けた。こういう機会があるとはまったく想像していなかったけど、きっともう僅かであろうこの手の出会いに感謝した。91歳とは思えないほどしゃんとしたおじいさんだった。
休憩所には中野君もやって来たので、彼の休憩する間も雑談しながら待って、一緒に歩くことにした。
須崎市はとても挨拶が活発なところで好印象だった。人口は2万ちょっとみたいだけど、市街地にはお店も立ち並んでいた。
中野君は実はグルメ旅をする人で、前にも食べに来たことがある鍋焼きラーメンのお店に行くということだったのでついていった。
本来のコースからはほとんど離れていないのに、そろそろかなーと思いつつなかなかたどり着かなくて、お店を目指して歩いているときは少しナーバスになっていた。疲労があったからだと思う。
目的の橋本食堂に到着するとお昼時だったので行列ができていた。待っている間荷物は倉庫の方に置かせてくれてパイプ椅子まで用意してくれた。ありがたや。
クーラーが効いている店内には有名人の写真やサインが沢山飾ってあった。
ちなみにメニューは鍋焼きラーメンとごはんとビールだけ。男前だ。
ご飯が合うらしいからラーメンとご飯を頼んだ。美味しかったのでまた食べたいと思っている。今度はご飯の量を増やしてもいい。
12時50分に着いて、13時40分頃にお店を出た。
中野君はかなり真面目な人で、きっとその性格だからこそ感じてしまう苦労等もあると思うけど、でも周りからすれば好青年に見える。
この海とトンネルと線路が一緒に見える美しい場所で、話の流れから、船を逃したからこそ鍋焼きラーメンも食べれたし良かったでしょ?と言ってくれた。その通り。寄るつもりがなかったとかそういう問題ではなく、鍋焼きラーメンが須崎市の名物だということすら僕は知らなかったから。
ちょっといろいろと惜しい写真。船に乗っていたらこの光景も見られなかったかもしれないと考えると、なんだか救われた気分になる。
2人で歩いていると、前に遍路っぽい誰かがいることに気付いた。船組だろうか。
近付くとスキンヘッドの男性だということがわかった。気になっていたので巡航船乗りました?と尋ねると、乗ってきましたよとのことだったので、よし、追いついた!と喜んだら、まさかの10時台の船に乗った人で落胆。
彼の名前は奥田さん。歩きだけど野宿はなしで宿に泊まっている人。腕まくりをしたときの腕の日焼けが凄まじかったけど、この旅で焼けたんだろうか。
めちゃくちゃ優しそうな口調で話す人で、若い野宿組はハングリーで楽しそうだねえと言っていた。
想像していたよりずっと長かった焼坂トンネルを抜けた先にある、あと1kmが3kmくらいに感じた休憩所で、雨も降っているので休憩していると、別の遍路のおっちゃん(多分昨日大きな橋の先でこの道で合ってるのか?と尋ねてきた人)が来て、荷物を下ろすと少し狭かったけど4人で休憩をした。
おっちゃんはこのまま倒れるんじゃないかと心配になるほど疲れていた。奥田さんと同じ宿だったのでしばらくここで休憩するから遅れると伝えといてと奥田さんに頼んでいた。
雨が結構強くなってきたので再出発前にレインウェアを着た。それから出発。案の定途中で雨は止んだりしていたけど。
奥田さんが東京からと知ると、中野君が山手線一周歩いたの面白かったですよと言っていた。やめようと思えばいつでも電車で帰れるんで~と。やっぱりお遍路に来るような人は歩くのが好きな人が多いんだろう。僕も歩くのは嫌いじゃない。夜中にふらっと散歩したりとかそういうのが一番好きだし、乗り物での車窓は歩くのと同じくらいかそれ以上に好きだけど。
奥田さんはすごい温厚で優しそうな人なんだけど、話しながら歩くときに(前を歩いていたのは中野君だから)中野君と並んで話すために、ちょっと車道にはみ出て歩くのが気になった。
久礼という町で女子高生に少し道を教えてもらってから、スーパーに寄った。
奥田さんの宿はこの町にあるのでここまでで、僕と中野君はどうするか迷っていたけど、奥田さんに、若いんだし2人だからまだまだ進めるよ煽てられる形でもう少し進むことになった。
奥田さんはだいたい40日はかかると言われている歩き遍路を前回25日で回ったらしい。めちゃくちゃ体格の良いアメリカ人のガチ勢がそれと同じくらいの日数で歩いたという噂は聞いたけど(確か雪蹊寺の通夜堂で一緒だったおっちゃんに)、ありえないような速さだ。もちろん宿に泊まってしっかり食事を取るのと、テントを担いで野宿をしたりしながら歩くのとでは条件が違いすぎる。それにお遍路はスポーツではなく巡礼なのだから早ければ良いというものでもないし、納経の時間等を考えたら、正直さっきの話本当かな…?と中野君と話したけど、でもそれが本当ならもう「すげえ…」としか言い様がない。今45歳の奥田さんが前回遍路をしたのは39歳のときらしいし。この人そっち関連のプロ…?とも思った。
この先に待ち構えているのは峠だし、寝床の予定も影野駅という無人駅なので、とりあえず買い物をした。
お店から出てくると奥田さんは、僕らにおにぎりとからあげを差し入れしてくれた。優しい。
雨が降る中、午後5時にスーパーを出発した。万歩計アプリの現在距離で考えると、これから50キロ越えをしなければいけない。
2人で歩いていたけどほとんど会話も交わさず、とにかく、ただ歩き続けた。遍路道ではなく車も通る56号線をひたすら歩いた。いや、登った。
スーパーの時点で40キロ手前まで来ていたので、当然疲労は溜まっているし、足の痛みも強く感じるようになった。
前を歩いたのは中野君で、正直こんなに体力ある人だったんだと感じた。歩いている距離は僕と一緒なのに、ぐんぐんと進んでいく背中に離されないようについていった。
峠の2キロ手前くらいで鶏の鳴き声が山の中から聞こえた。なぜこんなとこに鶏が…?と日没が近付く霧の山では不気味すぎた。
頂上が迫る景色も霧で見えず。
歩き続け、登り続け、ようやく七子峠の峠に。本当にきつかった。
峠のすぐ先には展望台と、霧の峠 ななこ茶屋と、ガソリンスタンド跡があった。
2人で悩んで話し合った結果、もう日が暮れてしまうから影野駅へは行かずに、このガソスタ跡を今日の寝床にすることにした。
少し時間が経ち、歩き終わった後の疲れがどっと押し寄せるのを感じると、ナイス判断だったと思った。
歩数からの計算だから距離は完全に正確ではないけど、狂気じみた距離を歩いた日であるということには変わりない。
歩いた距離には満足。しかしショックなことが起きた。
濡れていた髪の毛や体を拭いて、マットの上で足の状態を確認してみると、今まで見たこともないほど酷い状態だった。
左足の親指が真っ赤に腫れ上がり、爪の左の部分からは膿が漏れ出していた。エグすぎて写真は貼れないけど、それを見た中野君もよくこんな足で歩けたね…と。
このときはシューズ選びを間違えた人間の末路かと溜息を吐いたけど、詳しい原因は今でもわかっていない。前日に針で膿を抜いたのが衛生的に良くなかったのか、歩き続けて陥入爪になり食い込んでしまったのか。(以前爪の右側は巻き爪で痛かったことはある)
右側親指の爪の右上にも大きなマメができているし、賢い人間なら一度帰って休んでから、靴を変えて出直してくるのだろうけど、こんな状態になっても、通し打ちで結願するという目標が叶わなくなってしまうので、帰るわけにはいかない。
夜になっても足が痛すぎて眠れなかった。爪の痛みだけじゃなく、ふくらはぎも疲れが溜まりすぎていて尋常じゃない痛さだった。それ以外の部位にも問題はあったし、心底辛かった。
でも別に長く歩いたことへの後悔はない。その分進めたわけだから。
やっと眠りにつけたと思ったら、なんと12時前に顔に雨がかかるようになって目覚めてしまった。
屋根があるから安心していたけど、大雨が風で飛んできているらしい。中野君はテントがあるからいいけど、自分は寝袋しかないので実質野ざらし状態。
廃墟の屋根らしく壊れている部分も多いので、どの位置に移動しても雨からは逃げられかった。またまた辛い状況に。
とりあえず眠れないので、トイレに行きたいのと喉を潤すための飲み物を買うのに、ななこ茶屋の方に歩いていった。(ななこ茶屋のすぐ横には公衆トイレや自販機がある)
でも足が痛すぎてのろのろとしか歩けず、自販機も屋根のない場所だから、濡れてしまった。面倒臭がらず傘を差せばよかったと後悔した。
自分の体だけではなく、荷物も雨のせいで様々なものが濡れているけど、もうどうすることもできない。無事でありますようにと願うしかなかった。
疲れるを少しでも取るために目を閉じていると、まさかの新たな悲劇が今度は2時頃に襲ってきた。
野良猫が近付いてきて、なんかくれと言っているのか、延々と近くで鳴き続け始めた。もうそれがうるさくて、うるさくて、中野君も起きてテントから出てきた。
近くに民家があるから餌付けでもされているのか、近寄っても、脅かしてみても、全然逃げない。それどころか、むしろ自分から体を当ててきていた。
何をどうやっても猫は離れていかなかった。何度かトイレの方に濡れながら抱きかかえて行っても必ず戻ってきた。明日の朝出してあげるからと多目的トイレや電話ボックスの中に入れても巧妙に逃げ出し戻ってきた。
普段なら人懐っこい可愛い野良猫ちゃん…!となるんだろうけど、状況が状況だけに拷問に近く、近くで鳴き続ける様子を見ているともう怒りを通り越し、途方に暮れるしかなかった。
猫はいつだって…私を…見ている…。雨の中…暗闇の中…。
鳴き続けているだけで迷惑なのに、なんと荷物も漁り始めて、気付いたらパンの袋を破って中にあるパンを食べていた。死ぬほど疲れているのに、もうやめてくれよと…と離しても、すぐに戻ってきて荷物漁りを再開しようとする。
どうしようもなかった。猫も痛い思いをすれば少しは離れるのかもしれないけど、そんなことはできないし。
困り果てた挙句、人がいるから鳴き続けるのかもしれないと中野君の提案で彼のテントに自分も避難することになった。1.5人分のテントの中に成人男性2人。
究極の申し訳なさを感じながらも寝袋と食べ物を持ってお邪魔した。荷物を漁っている音や乾かすために立てている靴を倒したりする音が聞こえていたけど、人の姿が見えなくなると徐々に鳴かなくなったので眠ることができた。
ひかる君と行動しているときからいざという時はテントで寝たらいいですよと言われていたけど、中野君と一緒にいるときにそのいざという時が来た。
自分がテントを持っていないばっかりに招いた事態だったのでこれ以降テントやっぱり必要かな…と悩むようになった。メリットはあるけど、買うことでのデメリットもないわけではないし。
それにしても本当に中野君には助けられた。1人のときにこの状況に陥っていたらどうしただろう。もう抱いて眠ろうとするしかなかっただろうか。鳴き続けるはずだから眠れないだろうけど。
遍路狩りも(特に昔は)いるという話だったけど、まさかその相手が4足歩行するタイプだとは予想していなかった。まさに遍路狩りから夜襲を食らった。
ここで野宿をしようとする全ての人に伝えたい。この場所では寝られないから覚悟した方がいいと。絶対に影野駅まで行くべきだ。
歩行距離は申し分無いけど、足の状態は最悪レベルに悪化させてしまったし、夜は眠れないしで、散々な一日だった。