6月10日。
夜明けの公園に響いていたのはカエルの大合唱。アルトはウシガエル。小鳥も途中参加してきて、多分いつも一羽でいるような大きな野鳥の高い鳴き声も時折平野に響き渡っていた。
寒かったので寝袋の中で座って、群青色の空や、その色を塗り替える日の出を見ながら、朝食にパンとカロリーメイトを食べた。
僕は旅をしていて、様々な問題はあるけど、楽しんでいるから、問題はない。そう思った。
前夜にどんなに悩んでいても、起きるたびに、新しい朝が来るたびに、まだやれるという気持ちになる。
だからこのときは、歩くしかないだろって旅を自分はしているんだから、そりゃ歩くしかないだろうと決意を固めた。
準備をしてから、5時45分に出発した。
今日もどうなるかわからないけど、あれやこれやとそう気を揉まずに、今は歩くということだけに集中しよう。
名前もよく知らない美しい町の美しい朝を歩くということ。
1人でいる際は写真を撮るために撮りたいなと思う場所で立ち止ま
6時に朝のメロディーが流れた。6時に鳴るのは珍しい。そして夜に聞く鳥の鳴き声がまだ聞こえていた。これまた珍しい。
舗装はされていたけど結構な登り坂が始まった。朝から消耗する。
伊豆田道への案内があった。興味深くても、こういう迂回するような遍路道を歩いていたら今日中に足摺岬にたどり着けなくなるから、伊豆田トンネルを行く。
足摺岬には着けないとしてもとりあえずは手前に洗濯をする場所があってほしい。もう替えがない。
薬王寺で雨の日は休憩をするとプロっぽいおっちゃんに教わったのを思い出した。しかしその場に留まるのはもったいない気がする。テントもないから不便だ。それならヒッチハイクの方がいい。
今大師寺。ここから先は1.6kmの伊豆田トンネル。
トンネルを歩いていると、やっぱり爪の痛みを感じた。
歩道の上に初心者マークがなぜか一つだけ落ちていたからバッグパックにでも付けようかなと少し考えたけど、マグネットだったのでやめた。
トンネルの中でライトを点けない車は決まって車高が低い。
明るくて一段高い歩道のあるトンネルは歩きやすいので好きだ。
トンネルは抜けたけどもう痛みが酷くて、ヤバイ…もうこの爪限界なんじゃないか…と。五本指ソックスは悪くはなさそうだけど、既に最悪レベルまで悪化してそうだから、文字通り、時すでに遅しな気がした。
真念庵は伊豆田峠へんろ道の途中にあるけど、今歩いている321号線からは少し戻るように歩かないといけないので寄らなかった。
でも調べてみると、昔から善根宿があったり、納経を麓の集落にある民家で受けられると書いてあって今はとても気になる。
昨日の寝床から約6kmほど歩いて、市野瀬に7時過ぎに着いた。土佐清水市はジョン万次郎の大河ドラマを目指しているらしい。
ドライブイン水車にはセブンティーンのアイス自販機があったので、ほんのちょっと高い場所にある東屋で食べたけど、屋根はあったのに日陰がほとんど無くて暑かった。でも山の方からはキツツキが木を突く音が聞こえて気分は悪くなかった。
靴下を脱いで状態を確認した。膿の部分は絆創膏を貼ったまま、右足は水がパンパンに溜まっている。満身創痍だ。ここではどうしようもないので歩くけれど。
コンビニがあったらもうそこでスケッチブックのようなものとマジックペンを書い、そこからヒッチハイクをしよう(県境は歩きたい)と思っていたのに、いざコンビニに着くとその行動を取らない自分がいた。
ここに来る直前に誰か前から来てるなと気付いて、髭と眼鏡の白人男性とすれ違って挨拶をした。やはり歩いている人を見ると歩かなきゃという気分になる。
馬鹿みたいに痛みはあるけど、今はわりと快適に歩けているから歩こうと思った。靴下を脱いで確認する前から絆創膏には膿が染みていた。でももう腐れたなら腐れたでいいから歩きたい。
ヒッチハイクしようと思ったり、歩こうと思ったり、揺れる心。これもまた煩悩なんだろうけど、言い換えるなら人間らしさとも言える。
ちなみにこの下ノ加江のローソンでは3食分の食料を買うことを推奨されている。というのもここから先は飲食物を買う場所がないから。
そしてこの区間は打戻りといって清瀧寺と同じように次へ(38番金剛福寺から39番延光寺)と進むにはまたこの場所に戻ってこなければいけない。清瀧寺とは比べ物にならないくらい打戻りの距離は長いけど。
とりあえず歩くのなら、今日の行程的にペースを上げないと厳しい。ペースを上げて歩くしかない。
下ノ加江川。
足摺岬を目指す。
お店がないと聞いていたので不安だったけど、自販機も道沿いに結構あるし大丈夫だろう、なんとかなるだろうという気になった。
でも順調に歩けてはいたのに10時前からまた少し痛みを感じるようになった。これから更に痛みが増すのは間違いない。
森田組は工事看板でサフティドライブを呼びかけている。やらかしちゃっている。
高知と大分を3時間で結ぶ宿毛佐伯フェリーの看板もあった。乗ってみたいけど今は乗る用事がない。
突然前方に車が停まって、車遍路のおっちゃんがそこで僕を待ってくれていて、コーヒー代しかないけどと小銭のお接待をくれた。
そしてこの先にある民宿大岐の浜の存在を教えてくれた。でも実はそこは今から自分が行こうとしているとこだった。頑張ってなと応援してくれた。
曇り予報だったけど予報は外れて日射が凄まじく、ずっと真夏のような暑さだった。
しばし歩いて、民宿大岐の浜。
宿に着くと先程のおっちゃんがいた。わかる?さっきのおっちゃんだよと。
予約はしていなかったのでとりあえずチェックインのような手続きをしている間、おっちゃんと宿の奥さんが顔馴染みだということがわかった。ウェルカムサービスかお接待で奥さんはバウムクーヘンと氷水を出してくれた。
ちなみのこの民宿は4月からゲストハウス的な取り組みをしているらしく、寝袋持参なら2500円でドミトリーに素泊まりができる。
時刻はもう10時半過ぎだったので、今日これから(足摺岬にある)金剛福寺に行って戻るのは結構大変だと思うけど大丈夫?と聞かれた。
ここから往復約36kmだから軽く考えすぎではあったけど、午後5時までにお寺に着けば納経は貰えるし、帰りが厳しいようなら最悪バスを使って帰りますと返した。
するとおっちゃんが帰りバスでも良いなら、行きはおっちゃんの車に乗せていこうか?と。この出会いに感謝して、お言葉に甘えて、そうさせてもらうことにした。
出発間際に奥さんから、すごい人に出会ったねえ君はと言われた。これも縁だねえと。
ペットボトルの水をよく冷えた水に入れ替えさせてもらってから、バックパックは置いたまま、最低限の荷物だけ持っておっちゃんの車に乗り込んだ。
車中では沢山の話をした。
お坊さんなのかなと思って聞いてみたら、おっちゃんは修験道の修験者だった。お寺にお勤めする一般的なお坊さんとは違い、自宅を道場としているらしい。
修験者としてやっていくには、その人の過去を当てたりとかそういった何か特別な力がないといけなくて、おっちゃんは膝の痛みの治癒を専門としているらしく、今は他の部位(?)も新たに鍛錬中と。
お寺で托鉢しながら、ザックに膝の痛みを治します候と書いたものを用意して、みんなを助けたいという精神で活動していて、おばあちゃんとかが笑顔になるのが嬉しいと話していた。
以前から修験道(山岳信仰と仏教が習合した日本独自の宗教)というものに興味はあったけど、修験者と会うのは初めてだった。
明治政府の命令で修験宗が廃止される前は17万人の山伏(修験者)がいたみたいだけど(明治5年の人口は約3500万)、今ではもう極少数しかいないはず。
国家神道を推し進めていたということもあるけど、呪術や占い、修業を経ての超能力の獲得等は近代化を妨げるものと明治政府は見做していたのではと言われている。
彼の活動名は九頭竜。由来は夢で九頭竜を見たかららしい。その夢を見た後に能力が開花したと。
10年以上前から春と秋に歩きで遍路していたらしい。現在は基本的に車中泊で修行していると話していた。
歩き遍路は急ぐものじゃない。まずは楽しむことが大事と言っていた。その言葉に納得したのは、自分自身、痛みは置いといて、徐々に(周りのことなど)楽しめるようになってきたから。
遍路を理解するには最低3回は必要だとも言っていた。回数を重ねることで余裕が生まれ、そこからいろいろとわかっていくと。
他の歩き遍路は素通りするらしいけど、あんたには声をかけないかんと思った。これも何かの縁じゃと言われて、なんだか嬉しくもあり、照れ臭くもあった。
知識は体験して初めて知恵になるという言葉も印象的だった。
車で通ったのは足摺スカイラインという道。歩きじゃ通れないとこをわざわざ通ってくれた。
景観は木が多くて海はあまり見えなかったけど、一瞬雲だけ見える場所があって、そこだけは空の上にいるような感じがして、高揚した。
手作りの名刺的な紙を頂いて、時間があるときにでも読んでとブログも教えてもらった。ブログで説教はしていないらしい。そういうのができる人間じゃないからと。
修験者の能力開花はその道の力を持った人間に教わるのが一番だから、真剣に付き合いたいならメールでも送ってとも言われた。
車はやはり早くてあっという間で、11時40分頃にはお寺に着いた。第38番札所蹉跎山金剛福寺。
一緒にお寺へ参って、作法等細かく教えてもらった。
九頭竜さんは自身のことを不良坊主だと言っていて、出で立ちはというと、上は白衣で下はジーパとスニーカー。しかし彼の凄まじい迫力の読経を聞けば、この人本物だ…と圧倒された。どう説明すればいいか難しいけど、ピリピリと空気を震わせるような、鼓膜に響いてくるようなそんな読経だった。
なんかガチの読経を耳にして自分のお参りっていったい…となんだか面目ない気持ちになって、南無大師遍照金剛
御真言はサンスクリット語のマントラの訳語で、本尊によって唱える真言は変わってくる。
ここ金剛福寺の本尊は三面千手観世音菩薩。千手観世音菩薩の御真言は「おん ばさら たらま きりく」
他の御真言も挙げるなら、88箇所で一番多い本尊の薬師如来だと「おん ころころ せんだり まどうぎ そわか」 大日如来だと「おん あびらうんけん ばざら だとばん」
出発前はなんのこっちゃ…呪文みたいじゃないか…という感じだったけど、不思議なことに、何度も耳にするうちに、唱えていくうちに馴染んでいった。
大師堂。九頭竜さんは本堂にお参りすると帰っていったので、じゃあまた宿でということで一旦お別れ。
高知県最後の延光寺までは何通りかルートがある。しかし最短でも50km以上はある。
岬にあるからか、青空の似合うお寺だった。
足摺岬は自殺の名所らしく、引き込まれそうになると九頭竜さんが言っていたし、岬に日陰は無さそうだからお寺でお昼を取った。コンビニで買ったカツサンド。
隣のベンチにいた女性は歩いていそうな雰囲気だったけど、遍路っぽい装備は杖しか持っていないようなので、違うかもしれないなと話しかけなかった。やはりどこからどう見ても遍路姿の人の方が話しかけやすい。
12時半過ぎにお寺を出た。お寺の向かいのトイレにいた猫。猫も暑いと日陰が良いらしい。
この旅では珍しく散策をすることにした。足摺岬の自然遊歩道を歩く。
ジョン万次郎。
偉人がずらり。
展望台に行って太平洋の大パノラマを目にすると、すげえ…と自然に呟いていた。あまりに壮観な眺めで、水平線はもう無限に広がっているように見えた。
遊歩道は若干迷路のようだった。
これは足摺七不思議の一つの地獄の穴。先祖が地獄に落ちていると供養になるらしい。七不思議は他には弘法大師が爪で南無阿弥陀佛と彫ったとされる石やお亀さーん!と呼ぶと大海亀が海面から顔を出すという場所などがある。
灯台はやはり白。
展望台手前の木陰の中にある隠れ家みたいなお店で、アイスクリンを食べようかと思ったけど、そろそろ
金剛福寺の奥の院でもある白皇神社が隣にあって気になっていたけど、今回の旅はお遍路だからと行かなかった。
近くにあったトイレの洗面台でタオルを濡らし、1時頃出発した。
iPhoneの充電の減り具合を見て、モバイルバッテリーを持って来ればよかったと悔いた。少しでも荷物を軽くしたかったのでバックパックに入れたままだ。
木が影になり、日差しを和らげてくれる優しい道。
太平洋を横目に打戻りの道を歩く。アスファルトの上には陽炎が見えた。
遍路マークなんてもう二度と見ることはないだろうってぐらい見当たらなかったけど、白衣は着ていない歩いてる人とは度々すれ違った。
例の箇所は当然痛いけど、荷物が軽いということで負担はいつも程ではない。
もっといろんな遍路とすれ違いたい、接したいと思いながら歩いた。
なかなかに何もないな…というような道だった。民家は稀にあるけど、道しかないと。5キロは進んでいたのに。
いきなり手作り感のあるカフェが現れた。珈琲&チャイたぬきという店名だろうか。(本当はcosmic country cafe たぬきみたい)
悪くない雰囲気だけど、でも暑くて喉が乾くからちょっと飲み物が欲しいだけなので、気軽には寄れなかった。
自販機でいいのになーと歩きながら探していたら、ようやく自販機を見つけた。コカコーラをごくごくと豪快に飲むと生き返るような気分だった。
津呂という集落に2時過ぎに着いた。ペースがひどく落ちている。
金平庵というへんろ小屋を見つけた。この善根宿の充実っぷりにはただただ感動した。
洗濯機有り、洗面台有り、畳ベッドの上に布団有り、冬場に使うのかストーブまであった。お風呂は故障中でシャワーだけっぽいけど、とにかくこの小屋自体広いし、東屋で寝るのとは比べ物にならないほど快適に休めるはず。
また職業遍路が宿泊禁止なのも良い。お遍路さん(新人)にとって多分、職業遍路は不快というか、盗難のリスク等あるから怖いなという印象だろうから。そういったリスクがこの小屋ではないのが素晴らしい。
食べ物の調達は難しいけど、これだけ揃っていれば世界遺産待った無しだ。複数人で泊まるのもここなら絶対楽しい。
疲れて眠たかったというのもあるけど、木の葉が風にそよぐ音、川のせせらぎが聞こえていて、とても心地良く、うとうととしていたら、結果的に少し仮眠を取る形になった。
残りの電池残量は25%で、現在時刻は14時43分。途中で充電が切れそうだが、数分後に出発した。
人の悪意や愚かさは時に恐ろしいものがあってそれはもう際限ないけど、この善根宿を見ていると、その逆である善意や優しさも、無限ではなくても太平洋のようにきっと大きなものなのだと思えた。
誰も来ないので1人でくつろいでいたけど、最後離れる際におっちゃんが来て、テーブルを拭いたりしていた。自分が入り口の屋根で頭をぶつけると、ここはわたしらに合わせて作られてるからと言っていて、笑い合った。
お気をつけてとヨッと手を上げて見送ってくれた。地元の方々のご厚意があるから、こんなに素晴らしい場所が無償で利用できるのだと改めて実感した。
太陽が雲に隠れて涼しくなった。でも急がないと雨になるかもしれない。急いでどうこうなる距離ではないけれど。
この遍路旅には祖母の形見のような金の腕時計を持ってきていて常に一緒に歩いていた。でもこのときはバックパックに入れたままだから手元にはなかった。
それでも、今も、いつだってそばにいるような気がした。
充電は20%になった。メモをしたり、写真を撮ったり、万歩計を使っていたりするので、電池は切らしたくない。いたたまれずに坂道を走って下りてみた。
でも走り終えて、まあ、うん…という気持ちになったのはまだまだ着かないから。半分もいってない。
窪津という港町。
海岸線を歩いていたけど、この直線の道を経て、徐々に山のような場所へと近付いていった。
しかしまだ海へ下りられる道もちらほら。
そして以布利分岐から狭い遍路道に入った。この道は車は来なそうだと思っていたら、いきなり練馬ナンバーとすれ違うというまさかの展開。
てっきり何もない場所だと想像していたけど、民家が数軒あった。
でも大量に空きペットボトルを溜めている家、洗濯物を道路沿いに無数に干してる家が並んでいたから、休憩できそうな場所も怪しく感じて寄らなかった。飲み物ありますと書かれてはあったけど、こういう場所は値段を書いてくれないと怖すぎる。
高知ナンバーの車の中には会社員風の男性がいて、すれ違いざまにお疲れ様ですと声を掛けてくれた。
こんな道だけど海はまだ近くにある。
気付けばもう4時を過ぎていた。細かい分岐が多過ぎて自分が正しい道を歩いているのか不安になって、どうかこのまま通り抜けられますよ
自然な雰囲気は良かったけど、その代償として虫が多かった。
くねくねと曲がった道が多かったけど、細かすぎるので地図には記載されていないのだろう。でも車が通っている道は多分この道だけだから、自分の行く道が合っていることを願った。
不安を抱えながら歩き続けて、ようやく集落が見えてきた。その集落を少し行くと、今まで歩いていた県道27号が、県道321号線に合流した。
321号線を歩いていると橋があって、そこで原付JKに追い越された。その後姿はやたらとかっこよかった。
妖怪ウォッチ2の放送が明日黒潮ホールで行われるとスピーカーで宣伝をする車が以布利駐在所への坂で僕の横を通り過ぎていった。
民宿星空辺りから下校する小学生たちとすれ違い始めて沢山挨拶をしてくれた。
幡陽小学校前の横断歩道を手を上げて渡る姿がとても可愛かった。ある女の子は道路の反対側にあるバス停まで急いで渡りきって、こちらを向いてわざわざ挨拶をしてくれた。心がほっこりして癒やされた。何年か後には原付を乗り回すのかもしれないけど…(震)
首周りがピリピリするのは日焼けか、それ以外の理由か。
遠いな。ただそれだけを感じた。遠いなと。
大岐まで残り2.1km辺りで電池が8%になり切れてしまった。行き送っといてもらってあまり遅くなるのもあれだし、それから(今考えれば気が狂っているくらい)かなり走ったけど宿まではなかなか着かなかった。
大岐に着いてからも民宿自体は更に先にあって、結局到着したのは5時半を過ぎていた。
暑かったなあと九頭竜さんが出迎えてくれた。氷水と飴を出してもらって一息ついてから、奥さんに宿泊代金を払った。
やたらと宿について九頭竜さんは詳しかったので、きっとかなりの常連なんだろう。
部屋はほんとは二階のドミトリー(?)らしいけど、今日は宿泊客が多くないようで個室を用意してくれた。布団は用意されてないけど、でも季節が季節だし、何より室内だから寝袋も出さなかった。ちなみに、杖は奥さんが洗ってくれた。
ここの民宿の冷蔵庫の仕組みは素晴らしかった。各々持ち込んだ物を冷やしていいってだけじゃなく、写真のメニューのように既に中に商品が入っていて、欲しいものは勝手に取っていいから代金は貯金箱に入れるというもの。これなら近くにコンビニや自販機がなくても問題ない。他の宿も導入をお勧めしたい画期的なアイデアだ。
僕はこの無人コンビニで飲み物とアイスのMOWを買った。300円なり。お風呂上がりのアイス最高なり。
部屋から見えた夏の雲、の語感の良さ。
ゆとりちゃんだから二層式洗濯機を今まで使ったことがなくて、一度説明してもらったけど不安だったので、スマホで調べながら洗濯した。
乾かすのにほんとに水入れていいの!?!?えええ!?!??!となったのです。
部屋があるのは別館で、テレビでも見にまたこっちおいでと誘われていたので、お風呂から上がるとアイスを持って本館に向かった。
MOWはやっぱりバニラかなーと思いつつ気分的に抹茶を選んだ。それを見た九頭竜さんはアイスかいいねえ的なことを言ってから、やっぱ抹茶かバニラだよなと。修験道とか置いといて普通に絡みやすいフランクなおっちゃん。
本館には食堂があるので机や椅子が沢山あって、受付もここで行った。
足の状態を確認していると、九頭竜さんが五本指靴下が良いとか、水膨れしているようなマメができたときは乾燥させるためにスポーツサンダルで歩くのもあり、など様々な情報を教えてくれた。
何気に今日も40kmに迫るくらい歩いている。奥さん曰くここで600km越えらしい。つまり、ちょうど半分辺りまで来たということになる。もう半分、まだ半分。
若い坊主(ヘアースタイル的な意味で)の男性が来た。自分が戻ってきたときに、坊主の子と会わなかった?と聞かれていたけど、この人のことだったらしい。彼は浜で座って時間を過ごしていたみたい。
実は奥さんの知り合いをこの日九頭竜さんが治療するということで、それを見せてもらう約束をしていたので見学した。後ろではもう1人宿泊客のおっちゃんが普通に食事しているというシュールな状況で。
治療を受けたのは64歳のおばあちゃん。来たときどんな状態かちゃんと見ていなかったけど、足を引きずっていたらしい。その状態が、ハッ!と声を出してから人差し指と中指の二本の指で膝や太ももをなぞっていく(?)処置を受けてからは、普通に歩けていた。
でも状態が酷いから、3日続けてやろうと提案していた。いっぺんにやると九頭竜さんがキツいらしい。50日保たないなら腰を疑ってとも言っていた。
実際に見てどうだったかブログにコメントくれと頼まれたので、記事が更新されてから程無くしてコメントした。お世話になったので持ち上げまくりのやつを。
要は気功とかその手のものなんだろうけど、まあいろんな人たちがいるわけだし、信じるか信じないかは個人の自由だし、僕はスピリチュアル系は基本的に信じない人間だけど、でもおばあちゃんがしっかり歩けるようになって喜んでいるのなら、それはもう大正義だと思う。誰一人傷付いたりはしてないわけだし。うん。
奥さんも九頭竜さんも親切で、汗も流せて洗濯もできて、良い気分だったから、いろいろと良い感じの宿だなーとしみじみ感じていた。
しかし夜になると印象は変わった。虫のせいで。
本館から別館に戻る際に、入り口の明かりに虫が集まっていて、そのガラス扉を開けると屋内にも大量に入り込んでいることに気が付いた。
いやいや、ありえないだろ…と引いて部屋に戻ると、部屋の中にも何百匹いるんだというくらい羽のついた虫が壁や地面を這っていたり、空中を飛び回っていた。いや…これ金返せレベルやん…と更にドン引き。
廊下より部屋の中にいる虫の方が数が多い。網戸しているのになぜだ…と調べてみると、どうやら網戸に隙間があるようで、そこから侵入しまくっている様子だった。
廊下にいる虫だけでも酷いのに、羽アリで埋め尽くされた部屋を見ていると、野宿より酷い… と思った。
網戸していても入ってくるなら、窓は開けないでくださいと言ってくれたらいいのに…と嘆きながら、もうこの宿には二度と泊まらないと溜息を吐きながら、今まで蚊さえ殺さずにいたのに、ここにきて殺生大解禁フェスティバル開幕。
部屋の中の灯りに集まってこれから侵入しようと網戸にびっしり付いているのは気持ち悪すぎたし、あまりに大量にいるので口や鼻の中にも入りそうだったけど、網戸を開けてその奥の開いている窓ガラス(開くタイプ)を閉めない限り永遠に入ってくるので、とりあえず網戸を一度開けて窓ガラスを閉めた。そして窓の内側にいる虫たちも部屋の中へと誘ってから、スリッパやティッシュを使って駆逐していった。
眠るためには全部殺すしかなかった。でもスリッパで叩き落としても飛ばなくなるだけで次は這い始めるってだけで、その姿もまあ気味悪くて、本当に大変だった。
虫が嫌いというのもあるけど、心底気色悪くて、物凄く不愉快だった。
廊下に出たときに、坊主の男性が向かいの部屋らしくちょうど顔を合わせたので、部屋虫大丈夫ですか?と聞いてみたけど、彼の部屋には別に侵入していなかった。
つまり、窓から部屋に虫が侵入しているのは自分の部屋だけで、後は廊下にいる虫ぐらい。なんと外れ部屋だったらしい。
それにしても今話した彼は、顔を見たら自分より若いように見えた。そして大人しそうだけど、めちゃくちゃ良い子そうな雰囲気だった。
別館一階の奥には背の低いテーブルを囲むように大きなソファがあり、そこで彼と話した。名前はゆうた君で、年齢は彼の方が1つ上だけど学年は同じ。そう、岐阜の24歳。(6日目朝参照)
ゆとりボーイズだから、二層式洗濯機の衝撃や、若いねえ~偉いねえ~学生さん?というあるあるすぎる質問の流れのことなど共感できて面白かった。この三連続の声掛けや質問は今まで何度もされてきたけど、ゆうた君もまた同じようにされてきたらしい。本当にこの3つは続けて言われるので面白い。
彼が遍路を始めた理由は、自分探しらしく、最高に若者っぽい理由だなと、なぜかよくわからないけど嬉しくなった。
1日の歩行距離は25kmから30kmぐらいらしく、最初は持っていなかったけど高知でテントを買ったらしい。うん、賢い。徳島はテントなしでも余裕だったけれど、やはり高知からは寝床事情が厳しくなった。そして何より、テントはどこでも買えるものではない。
2人で話していると先程食堂でご飯を食べていた逆打ちのおっちゃんも話に加わってきた。それからお風呂上がりで下着姿の九頭竜さんも加わって4人でソファで遍路話をした。
さすがベテランというだけはあって、九頭竜さんはめちゃくちゃ遍路事情に詳しくて、野宿組の若者2人にも、逆打ちのおっちゃん(おじいちゃん?)にも様々なアドバイスをしてくれて、3人でガイドブックにメモを書き込んでいた光景は何に例えればいいだろう。他の場所では見たことがない光景だった。
これからの季節はやはり蚊対策が最重要だと言われた。だからテントを買うことに決めた。この先の宿毛という街にコーナン(ホームセンター)があるのでそこで買おうと。(余談だけど、ちょうどこの話の直前に別館の玄関には巨大なムカデが出た)
でもその街へ到着しそうな2日後の6月12日はちょうど日曜日なので、せっかくそれなりに大きな街へ行くというのに、皮膚科は休診日で行けないということになる。困った。
でも沢山の情報を貰えたし、同い年の通し打ちの歩き遍路の子にも出会えたし、とても嬉しい気分だった。(一日の距離が結構違うので一緒に歩こうとは誘えなかったけど)
ミーティングが終わって、ゆうた君と2人になってから歯磨きをして、彼にもおやすみと告げ、テーブルの上にあった九頭竜さんが捨て忘れていたアイスのゴミ(スーパーカップバニラ味)を自分の部屋のゴミ箱に捨てた。
うん、今日は九頭竜さんにはとてもお世話になった。送ってもらったおかげで納経に間に合うかとそわそわする必要がなくて精神的にかなり楽だった。
やはり出会いだ。出会いが一番面白い。