6月12日。
4時半に目が覚めるとここでもカエルの鳴き声が聞こえていた。人間の方はというと2人ともまだ眠りの中。
スマホを置いていたのはバッグの上だったはずなのに、手を伸ばしてもその場所にはなくて焦った。一瞬の間に最悪の事態、不安な想像が頭を駆け巡ったけど、普通に枕元にあった。夜の間に移動させていたらしい。
雨はまだ降ってない。
昨日の朝貰ったおにぎりを朝食に食べた。本当はすぐに食べるつもりだったのに、食べるタイミングを失っていた。
5時過ぎにお手洗いに行って顔を洗っていると、杖の鈴の音が聞こえたので外に出てみたら、逆打ちの男の人が駅前の道を歩いていた。こちらには気付かなかったけど。
どちらのかはわからないけど5時からスヌーズ、もしくはいくつものアラームが鳴り続けていた。チタが5時半に起きてから鳴り止んだので彼女の音か。
白衣からは生乾きの臭いがするのがわかった。昨日からなんか臭うなーと感じていたのでその正体がわかった。やっぱり乾燥機有りのとこがいい。
道としては熊野古道の方が歩いていて美しいし楽しいけど、出会いが沢山あるから総合的に判断すれば遍路に軍配が上がるかもしれない。比べるものでもないけど。
始発が5時42分に来た。でも誰もこの待合所は経由しない。かつてはここに切符売り場があったみたいだけど、案内板を読むと常時閉まっているということがわかった。近くにあるローソン等に切符販売を委託しているみたい。電車内で支払いも多分できるし問題はないのだろう。
6時になり先程と同じ音が鳴ったのでアラームはゆうた君のものだったと判明した。延光寺はそう離れていないのでそこまで焦る必要はない。
飲める水であれば、たとえトイレで取った水道水だとしても飲もうと思えば飲めるだろうけど、自販機で飲み物を買うのは、自分が自販機で売っているような飲み物が好きな人間であり、美味しいと思えるものはモチベーションの一つでもあるからです。はい。
雨がいつ降り出してもおかしくない曇り空。
チタの朝食はローソンで買ったLチキにマヨネーズをつけて食べるというものだった。マヨネーズはどこかで買ったのか自前の物っぽかった。
久しぶりに英語で話さなければいけない環境で過ごしていると、今のはこう言うべきだったなとか、もっと適している単語や言い回し等が言った後に思い浮かんだりする。かなり落ちてしまった英語力が刺激されるのを感じて、やっぱりこういうの大事だよなと改めて思った。
ちなみに彼女はこの遍路中に香川の直島に行くと話していた。アート関連での目的だと思う。
そして今日の2人の予定は40番まで、つまり愛媛県に入って最初の札所まで行くらしい。
僕は39番で高知県の札所を打ち終わってからは、宿毛市街に留まり、今日は休息日兼買い物日として、翌日朝一で皮膚科に行く予定を立てた。もう病院に頼るしかない。
駅を離れて、7時前にローソンに着く頃にはもう小雨が降っていた。予報では午後から大雨。でも小雨程度なら平気だ。
自分が最後に出発したけど、ゆうた君はローソンで朝食を食べていたのでそこで抜いた。
足の痛みだけでなく、股擦れにもかなり苦しめられていて、でもその原因がわからず、この日はスパッツが蒸れていて悪いのか…?とスパッツは履かず、下着とハーフパンツだけで歩いていた。
しかし今までずっとスパッツを履き続けていたので、まったく日焼けしてない足が気持ち悪すぎるだろ…と自分で引きながら歩いた。誰も気にしないだろうに。
土佐国最後の札所への2km。
電柱に黒いマークのようなものがある。密教の法具である金剛杵がモチーフとなっているみたいだけど、矢印がある遍路マークとは違い、迷いそうな場所にほぼ必ずあるわけでもなく、定期的な間隔で押印されているものでもない。歩いているとたまに見かけるというなんとも言えない存在。誰が押しているのかは謎だし、このマークだけあっても進むべき方向はわからない。だがこの道は間違っていないのだと知らせてはくれる。
残り1キロになってこういった風景の道を歩くのは本当にワクワクする。
しかしiPhoneの液晶画面がおかしい。右端に黒い斑点がある状態から更に悪化して、その黒い部分から下、つまり画面下半分に灰色の細かいラインが無数に入った状態になった。画面はその灰色エリア越しに見えるは見えるけどとても見え辛かった。
雨対策としてジップロックも買ったんだから、どうか壊れないでほしい。再起動しても治らないけど、これ以上は悪化しませんように、治りますようにと願った。正直スマホは足の状態並に大切だ。
お寺への道でお参りを済ませ、折り返してきたおっちゃんとすれ違った。昨日手前の駅で野宿したと話すと、頑張っちょるなあと感心された。そして頑張ってい!と応援の言葉をくれた。僕の最後2つの発言は「ありがとうございます!」と「ありがとうございます!」
そして高知県最後の霊場、第39番札所赤亀山延光寺。7時35分着。
当然チタはいてお寺の写真を撮っていた。それからゆうた君も来た。日曜日だから参拝者も当然多い。
左が大師堂で、右が本堂。本尊は薬師如来。
チタが出発する前に、彼女のポンチョがバックパックをきちんと覆い隠すように下ろすのを手伝った。ゆうた君はまだ読経しているけど、8時だし先へ進もうと思っていると、雨が激しく降り出した。屋根という屋根はなかったので軒下でレインウェアを着た。
お寺を出て駐車場付近、8時10分に昨日の男性集団とすれ違った。複数のワゴン車に乗り合わせて移動しているように見えた。
ちなみに駐車場はほぼ満車だった。大型バス専用の駐車場が手前にあるのに、雨だからかお寺のすぐ近くにある中型以下の駐車場に大型バスが駐めていて、多分そのせいで駐車場付近の細い道は大混雑だった。罪深いツアーバスだ。
雨は降っている。しかし宿毛市街を目指す。
ほんとに小さな小さなアマガエルが道で飛び跳ねていた。その姿がもう愛おしくて仕方なかった。アマガエルにとっての喜びの雨なら、この雨も悪い雨ではない。
たとえ今まで出会った人にこの先二度と会えないにしても、楽しい(或いは忘れられない)時を過ごしたという事実は変わらない。かけがえのない時をともに過ごした誰か、その誰かとの時間、どんなに今から離れても、過去という時に永遠に存在してくれるそれも愛おしいと想えた。今はまだ愛おしいとは想えないことも、きっといつかはそうなってくれる。
途中ローソンでいちごジャムパンを食べて、レッドブルを飲んだ。いつの間にか雨は止んでいたのでサウナスーツは脱いだ。
iPhone画面の下半分が見辛いのがやはりめちゃくちゃ不便だった。指先(爪)は当前みたいにじんじんと痛んでいるし、うんざりし飽きるほど本当に問題ばかり。
しかし足の痛みがあまり気にならない時間はとても軽快に歩ける。まだ10キロも歩いていないけど。
着たら止む。脱いだら降る。はい、雨です。
宿毛大橋を渡っていると松田川で何か跳ねたのが見えた。よく見ていなかったのでそれが魚なのか河童なのかはわからない。
渡った先にはヘンロ小屋33号宿毛。もう少しで今日のホテルなはず。
すぐに来るらしい。
予約しているビジネスホテルを探しつつ、街中を歩いていると、飲食店というか飲み屋が沢山あった。いったいこの中のどれくらいが開くのか、まだ営業してるのか気になった。
10時10分に宿毛フレックスホテルに到着。
まだチェックインの時間ではないので荷物だけ預けた。ちょうど自転車(遍路?)のおっちゃんも来て同じような目的で荷物を預けて、これから床屋に行きたいらしくホテルのスタッフに安くてまあまあなとこはないかと聞いていた。
ホテルに着いてからスタッフが出て来るまで少し時間があったのでその間に会話をした。自転車はだいたい1日80km進めて、無理すれば120km行けるらしい。歩きの2倍から4倍は進めるということだ。
歩きの人ほんと偉いわあと言われたので、自転車もすごいですよ!と返した。決してお世辞ではない。山道などでは歩き以上に困難な道もあるわけだから。
休息日と言いつつまだ歩かなければいけない。これから必要なものを買い揃えるために。
道を歩きながら、ホースで何かを洗っていたタクシー会社のおっちゃんにコーナンってあっちですよね?と聞いたり、女性同士の久しぶりの再会の喜ばしい瞬間を目撃したり、今までほっかほっか亭しかなかった四国にhotmottoがあるのを見つけてプチ感動したり、宇和島駅へのバスに乗客が誰も乗ってないのを見て、乗ってあげようかなと思ってないのに思ったり。
コーナンの店内はノリノリのBGMが流れていた。しかしまさかの事態発生。
それっぽいものは販売されてはいるけど、正式にはテントではなく、タープといって屋根だけあって壁と床がないものばかり売っていた。探しているような小さくまとめられて中で寝られるようなテントは3人用しか販売されていなかった。そんなにスペースは必要ないし、そのスペース分重さは増えて3キロと重いし、何より畳まれた状態でもかなりデカかったので、それを買うわけにはいかなかった。
行けば何かしらあるだろうと軽く考えていたので、実際にお店に来て、目的の物がなかったのでショックだったし、当然困惑した。
ここへ来る途中にホームセンターらしき店があって、行ってみるとダイキという名前のホームセンターではあったんだけど、そこでも販売されていなかった。ここにもない…詰んだ…と。
国民宿舎土佐で一緒だった奥さんが、寝袋からはみ出ている頭の部分に被るようなコンパクトな蚊帳の話をしていたので、それらしき物も探したけどなかった。
テントを買うためにこの街にいるのに、目的が果たせず何のためにここに滞在してるんだろうと考えてしまった。
歩いて探し回ることで消耗していく体、足は痛いし疲労は溜まる。風が強すぎて傘も差さないような状況だったし。
とりあえずまた移動して、ダイソーで五本指ソックスとiPhoneのために乾燥剤を購入した。
そしてもう一度コーナンに戻って蚊帳を探してみたけど、小さいサイズは売り切れとのことだった。
それからドラッグストアに行って股擦れで焼けているような皮膚用に絆創膏とオロナインを買った。
時刻はちょうど正午だったので、そのドラッグストアの道路を挟んだ向かいのグランマグランパというカフェのようなレストランのようなお店で昼食を取ることにした。
ランチメニューを見て何を頼むか決めて、店員を呼んだら土日祝日はランチメニューは出していないというオチ。
iPhoneの感度が徐々に悪くなってるのを感じていたので、このまま死にゆくのか…と心底不安に。
買い物でやたらと消耗してへとへとになり、最高に眠たかった。
隣に座っていた地元のチンピラ風の20歳そこそこの男性は、風邪を引いているのかずっと咳をしていて、ゴホンゴホンしちゃうのは別に構わないんだけど、手で口を抑えたりしてなくて、食事の席でやめてくれよ…とかなり気になった。母親と思わしき女性も全然注意してなかったし。
でも店員のお姉さんは優しかった。食べ終わってからこれからの虫対策等どうしようかと頭を悩ませ、追加の注文もせず長いこといたのに、 そのお姉さん店員(美人)はごゆっくりどうぞと新しいお茶を持ってきてくれた。嬉しかった。
普通のホームセンターでは程良いテントが売ってないということを考えると、次のチャンスは松山まで行かないとなさそうだ。それまでどうすべきかがわからない。なぜなら松山まではまだ1週間はあるから。
あまりに悲観しすぎて落ち込んでいるから、前向きに行こうと切り替えることにした。簡単にはいかないけど。
辛かったりするのになぜ旅を続けているのかを考えた。本来の目的だけじゃなく、田園風景や山の上からの見晴らしの良い景色でもなく、美味しいご当地グルメでもなく、出会いが旅の辛さから僕を救ってくれていることに気が付いた。
それからもう一度ドラッグストアに行って、虫よけスプレーを買った。噴射した周りから遠ざけるというタイプのもの。屋外で使うだろうからどれだけ効果があるのかはわからない。
宿へと戻っていると用水路にフナに似た大きな魚が何匹も泳いでいるのを見つけた。
休息日のつもりだったのに歩きまくってる自分がいる。
今は雨は激しくなくて、このくらいなら充分歩けたな、もっと進めたな、と目的を果たせずに、歩みも進められずに、ただ疲労と痛みだけを溜めた今日という日に当然後悔を感じた。雨に関してはまあこんなことだろうとは思っていたけど、2人が歩きやすかったならそれでいい。
かなり落ち込んでいたので、ついでにスヌーピーのキャンペーンすら悔いていた。わざわざ必要ないものも買って無駄遣いだよなあと。まあいいさ、無理には買わず、回数は減らしていこうと決めた。
股擦れは多分スパッツのせいじゃないと思った。普通に痛かったから。そうなった原因ではあるかもしれないけど、でももう理由を探すのも嫌になっていた。痛過ぎるから。
チェックインは15時からだったけど、20分前にもうフロント前の椅子に腰掛けていた。また強くなった雨が何かに当たり続ける音が聞こえていた。トタンではなくバケツに当たるような音。そこで座っていると新川優愛似の子が上に上がっていった。建物にはホテル以外のデイサービスセンターも入っているみたいだったから宿泊客ではない可能性はある。
チェックインを済ませて部屋へ。この旅では初のビジネスホテル。ここは萩森リストにも掲載されていて、素泊まり3000円。個室なので人目を気にせずくつろげる。
窓からは宿毛小学校。
チェックインを待つ間に足を見てみたら、絆創膏を剥がす前から、ガーゼ以外の部分を含めて半分から左側はほとんど液体が染みているのがわかった。剥いで見るとやはり膿が出ていたが、なんと赤い血まで流れていた。いや…流血…?とこれ以上悪化は出来ないだろうという予想を越える悪化に衝撃を受けつつ、足裏も見てみると今日の雨でここもまた悪化していて、足とマメで膨らんだ皮の部分が大きく空いていて、もう小銭10枚くらいならここに入るんじゃないかというぐらいのポケット状態だった。もはや人の足じゃない。
股というか、付け根の部分も酷い状態だった。こんなの痛くないわけがないってほどに広範囲に皮膚は剥げ、真っ赤に腫れていて、もうお手上げ。せっかく痩せているのに股擦れなんて痩せ損だと思いつつ、でもだいたい一日4万歩は歩いているから仕方ないことなのかと諦めムード。でも股擦れになっていない人もいるわけだから、それが納得出来ない。やはりお手上げ。
心中は穏やかではなかったけど、ビジネスホテルはやはり良いなと感じた。浴衣はないのかと思っていたらあって、着続けていた寝巻きも洗えた。
しかしランドリールームは屋上にあって、終了時間が出ないタイプだったので、何度も往復するのは大変だった。同じ階の誰かも洗濯をしたいのか自分が戻ってきてすぐに出てまた戻ってきて…を繰り返しているのが音でわかった。自分自身もまだ終わってないのか…と何度となく困らせられていたけど、申し訳なかった。
ドライヤーやジップロックと乾燥剤でiPhoneを乾かそうとするけど効果はなかった。ドライヤーはフロントに置いていたので返そうとしたら、部屋に置いてていいよと。
コンセントの位置が悪いことも含めてごく普通のビジネスホテルだけど、野宿をしている身からすれば良い宿だなと感じたと当然感じた。料金も安いし。
オロナインを股擦れのとこに塗ってみたけど痛痒いまま。歩くともう本当に辛かった。これが治るだけでもだいぶ楽になるのに。しかし先程買ったケアリーブも粘着力が弱いのか上手く付かない。
まだ湿っていたけどもう往復が面倒だったし、後もつかえているみたいなので乾燥機から取り出した。
洗濯ネットを使わなかったからかオフタイム用のハーフパンツの紐が不細工なことになってしまった。災難続きだ。まあこれはわりとすぐ直ったけど。
誰かと話していないとほんと旅をやめて帰りたくなる。今は楽しむ余裕がない。
明日皮膚科でなんて言われるだろう。複雑な心境だった。歩くのはやめて安静にしなさいと言われたらもうヒッチハイクに専念できる。だがはっきりとやめなさいとは言われなければ、痛いまま歩くしかない。やめろと言ってほしいのかなと思いつつ、ここから短縮したらもっと歩きたかったと思うだろうなと、歩きをやめたいけどやめたくない気持ちで複雑だった。
体はやめたがっているけど、心は歩きたがっているといった表現がしっくりくるだろうか。
雨は降っていたけど夕食と明日の朝食を買うために最寄りのコンビニであるローソンへ行くことにした。
コンビニへの往復の道で気付いたのは、白衣を着てないと会釈すらないということ。今ならリピーターの気持ちがわかる。いつでも着ておきたい。
そして足より股擦れの方が痛いということ。ケアリーヴ素肌タイプ購入は大失敗だったということ。歩きながら剥げているのがわかった。やはりバンドエイド一択。あとは、焼肉屋からとても美味しそうな匂いがしてたまらなかったということ。
コンビニでは奮発した。気分もひどいものだったので晩餐という名の多め買い。 ペペロンチーノ、からあげくん、宇治抹茶ラテ、サラダとドレッシング、飲み物2つはイチゴラテとオレンジ。うーん、自分っぽい。
どんな物事もいつかすべてわかると思う。わからないままのものもあるだろうけど、いずれはっきりとした結果が出ることばかり。
いくつもの出来事はその線が途切れた、終わったかのように見えて、まだ続きがある可能性も秘めている。だから心配事や悩みの種にもなる。
でもいつかはすべて終わる。悲しみのまま終わることもあれば、ひっくり返ることもあるだろう。
どうなるかはわからないけど、どうなるのかはわかる。その結果を知ることになる。
今は悲しみや失望を引きずってしまうけど、でもいずれはすべての答えは見つかる。
何にも出来てないけれど、ほんの少しだとしても物語は進んでいるから、 残りの日は減っている。
自分を変えてくれる何か、誰かを待つのなんてシンデレラコンプレックス的だけど、そういった考えで生きるあまちゃんの人間にも面白いイベントが待っているかもしれない。
誰かに期待するたびに、お前じゃないんだと勝手に失望するけど、きっと逆のパターンもあるだろう。自分も誰かに失望されているということが。でも仕方がない。期待するようなことは大抵ははずればかり。
こんな二ヶ月ないような旅ですら明日はどうなるかわからない。もっと長い旅ならば更にわからないのは当然。多少惰性のような部分があるとしても、これからもわからないことが大半を占めるはず。
変化のある日常が今は好き。安定を求めてそこに完全に身を置いてしまうにはまだ若い気がするし、そもそも安定が安定ではなくなる可能性なんていくらでもある。別に世間に対しての反抗なんかではなく、甘えている部分ももちろんあるだろうけど、ただ耐えられる方を選んでいるというだけな気もする。
洗濯物が端に散らばったベッドの上で、考え事をしていたり、ぼーっとしていたりで、もう20時を過ぎてしまった。スマホはコンセントに繋いでいないので充電は減っていく。
別に自分を探してはいない。どう進むのかもだいたい決めてある。どういう自分で進んでいくかだけ。
何かを手に入れられるような、宝石になれる原石なのか、どんなに削ってもただの石なのか、それを知るためにもっと自分を磨きたい。
もっといろんな人と出会いたい。純粋にこの旅は楽しいと思う。出会ってつまらない人がほんとにいない。自分の精神状態か、こういう場にいる人たちだからか。
こういう旅だからこそ、もし早く終わるとしてもそれでも最速歩行日数であろう25日以上は、1ヶ月以上は費やしたい。何かを得ているような感覚はあるし、辛いけど楽しいから。
これからどうなるだろうか。この旅も自分の未来も。もしiPodが手元にあるならダライ・ラマが山の頂上から説法しているような感じでとジョン・レノンが指示したTomorrow Never Knowsが聴きたい気分だった。
もしこの先に最高のものを拾うなら、今手元から落としたり、拾い損ねたりして、何かを失ったまま、手に入れられないままでいるのは、正しいこと以外の何でもない。失敗の為の成功。最良の為の喪失。Everything In Its Right Placeも聴きたくなった。
自分の人生に関係ないもの、関係なくなるものがどうでもいいのは、関係ある物事だけで溢れるほどだから。
来るものは来るし、去るものは去る。だから基本的には拒まず、追わずでいる。たまに離れていくのを少し気にし続けることはあるけど、それも一時的なこと。時が過ぎればどうでもよくなる。
本当に自分に関わることに気を配っていないと、大事なものに気付けなかったり、価値を見誤ってしまったりする。それはとても怖いこと。恐れるべき恐ろしいもの。
天候や調子が良い日であれば、景色が綺麗だなーとか、明日はどこまで進めるだろうなーと、明るい気持ちで過ごせるけど、不健全な肉体に不健全な精神を宿らせているような追い詰められた状態だと、周りのことまで考える余裕がなくなるから、歩きながらも休んでいる時間も、思考はより内省的になる。
普段からいろいろと考え事はするけど、この歩き旅でもそうだった。そのとき何を考えていたのかを忘れてしまうと、わけわかんなくなっちゃうけど、とりあえずこの日考えていたのは上記のようなこと。