6月15日。
嫌な夢で目が覚めて、その直後に違う嫌な現実を思い出した。6時20分頃のこと。
寝る前にスマホを充電し忘れていたけど問題はない。枕元にあるコンセントで充電すればいいだけ。焦る必要もない。
例のとこは何もしてなくてもジンジンと痛んでいる。昨日歩いた距離なんて知れてるのに寝起きから痛いなんて。
足に負担を掛けずに札所を回る方法を考えた結果、宿から自転車を借りて、松山市にある46番から53番までの8カ寺を回ることにした。
(もはや歩き遍路の旅という題名ではマズい気もするけど、変えるとわかりづらくなるのでこのまま)
自転車は9時以降に使ってと昨日言われていたので起きてからはのんびりと過ごした。
こういった時間が生まれて、やはりiPodは持っておくべきだったなーとまた思ったり、昨日の道後温泉本館にはなかったので、今になって捨てたシャンプーとコンディショナーが欲しくなったり。
1階に下りて朝食を作っていたら、昨日は見かけなかった女性がシャワーを終えて出てきた。しかし挨拶をしても無視をされた。見た目的にも気難しそうな人だったし、まあ、いろんな人がいるかとあまり気にせず。
クリス君にもここは長いのかを聞いてみたら、いや全然、4ヶ月くらいと返ってきた。元々は神奈川の人らしい。
外では野良猫がかなり激しく喧嘩をしていてうるさかった。可愛いと思うことはあるけど、やはりそんなに好きにはなれない野良猫。
この旅での出会いについて少し考えてみた。出会いとはいっても一期一会色がとても強く、言ってしまえば一時的な出会いの繰り返し。連絡先を交換すれば更に長く繋がれるのだろうけど、今のところ誰とも交換はしていない。出会った人々の男女比率はほとんど男性ばかり。楽しいから何でもいいけど。
9時に出発した。ガイドマップも持っているけど、基本的にはグーグルマップと道標を頼りにして。
漕ぎ始めてすぐに自転車から怪しい音が鳴っていることに気付いた。壊したらどうしようと不安に。
松山はお寺が多い。神社も沢山あった。下の写真は護国神社の鳥居だったはず。
めちゃくちゃ楽だなと心から思った。自転車の人から、歩きには頭が下がるよと言われる理由がわかる。こんなにキコキコ鳴っているママチャリですらこの楽さなんだから。



歩きとすれ違うと複雑な気持ちになった。自分も一応白衣は着ているけど、ふ、普段は歩いているんですよ~!!と弁明したくなるようなそんな背徳感。
金剛福寺の近くの遍路小屋の黒板にママチャリ2chスレと書かれてあったので、ママチャリでお寺を回っている人が0人ではないとは知ってはいても、でもやはりママチャリで回っているのは珍しいと思う。自転車遍路の99%がガチの自転車だろうから。


グーグルマップは目的地まで最短の道を選んでいるにしても、エラく裏道を通らすなーと面白がっていたら、見えなくなっていた遍路マークがまた見えた。遍路道に戻ってきたらしい。





自転車でお遍路をするのは今日が初めてだから迷うことはあった。この先の道は歩行者だけしか通れないかも…?などと歩きとは違うことでの戸惑いがあったから。

まずは53番に行くつもりがなぜか52番からに変更になったけど、約1時間で着いた。仁王門の前に人がいて治療系托鉢かと思ったが、近付いてみると普通に休んでいる人ということがわかった。

駐車場からわりと本堂まで少し距離があるお寺で、その参道の途中には民家がいくつかあった。自転車は駐車場の端に置いておいた。
参道をある程度進むと雰囲気が大きく変わった。境内より木々に囲まれたこの参道の方が神秘的だったかもしれない。
迷いを消すには変化を起こす行動しかなくて、帰ったらやるべきことがある。それが何かは嫌というほどわかっている。などと考えながら…
第52番札所龍雲山太山寺。本堂は国宝。本尊は十一面観世音菩薩。
かなり歴史が古いお寺だけど、その建立の経緯は、飛鳥時代に豊後国(大分県)の真野長者が船で大阪に向かう際に大嵐で遭難して、観音に無事を祈ると山頂から光が差してきて嵐が静まった。その光が差していた場所へ行くと、このお寺の現在の奥の院があったらしい。恩返しとして真野長者は大分に即座に戻り、工匠と木組みを整えてまた愛媛に戻ってきて、一夜にして本堂を作ったと言われている。
真野長寿伝説は用明天皇がらみのものが一番有名だろうけど、この伝説もまた面白い。
大師堂で地元のご夫婦に話しかけられた。今日はふらっと来ただけだけど、今まで88箇所は4回くらい回っていて、高野山にも2度行ったらしい。そういった話の後に、気をつけてねと旦那さんが言ってくれて、奥さんからはこれから暑くなるからしっかり水飲んでご飯食べて頑張りなさいという優しい言葉を貰った。
坂を歩くとどうしても爪の先が靴に当たり痛みが走る。ここでは勢い余って足首も痛めそうになった。
53番へと進む道で、自転車ではとても上りきれない坂道があり、そこからの民家の間を抜けるカーブの下り道は怖かったけど楽しかった。平坦な道でも風を受けて気持ち良かった。自転車はいいものだ。
しかしまさかの事態発生。次のお寺への道で少し迷っていたら、突然パトカーから「ちょっとそこのお兄さんとまってー」と呼び止められた。
中年のおっちゃんとわりと若い男性コンビの警察官が下りてきて、自転車を見せてくれと言われた。
色々と質問されて、自分の免許証も見せることになった。この自転車は宿から借りてると伝えると、宿の電話番号も聞かれて、そして若い方が実際に宿へと電話をかけていた。
自転車の登録名がふじやではないとかなんとか言っていたけど、僕が感じていたのは、まだ何日か泊まるのに警察から電話がいったということで、なんか物凄く戻り辛い…という申し訳なさや気まずさ。この時点では警察がどんな対処をしたか等はわからなかったし。
自分からも電話した方がいいのかなと考えたりもしたけど、別に悪いことはしてないわけだから電話はかけなかった。
しかし初めて使うツールでこんな災難に見舞われるとはまったく予測していなかった。今まで白衣に守られてきたと感じていたけど、自転車を盗むお遍路が過去にいたのかもしれない。ママチャリでというのも珍しいからそれも悪かったか。
荷物も少ないから宿かなんかで借りた自転車でふらっと散策でもしてるんだろう。とは警察は思ってくれなかったらしい。次への道は教えてくれたけど、まあ動揺した。
一難去ってまた一難、大袈裟に書けば、次のお寺目前の道で歩き野宿っぽいお兄さんを危うく轢くところだった。
第53番札所須賀山円明寺。11時10分過ぎ到着。
本堂。本尊は阿弥陀如来。
大師堂。
くたびれたようなおじいさんが2人で納経をしていた。
日陰のないベンチで座っていると、喋り方が変なおじさんから話しかけられた。最後には良い旅を!と言ってくれた。
そして隣のベンチでバッグパックの中にお参り道具を戻していた男性に話しかけてみた。先程轢きかけたことを謝るためにも。
このお兄さんがどんな人だったかというと、会ったことはないのに存在を知っていて会ってみたかった人。福岡の29歳で、旅の影響かもしれないけど見た目はワイルドなイケメンだった。普段は絶対オシャレだろうなこの人…と感じさせるような雰囲気。
見るからに歩きだし、というか先程も歩いていたし、福岡の人。すぐにピンと来た。今まで僕がこの旅を続けてきて、福岡からですと言うと、この前も福岡の子に会ったよと言う人が何人かいたので、まさにその人だと気付いた。その人が今目の前にいると。
天神とか行きます?って言われてとてつもない親近感を感じて面白かった。福大出身というのまたリアルだったし。彼は4ヶ月休暇貰っていて、この遍路が終わったらスペインのサンチャゴに行くのが楽しみだと話していた。地震は大丈夫だったかと心配されることについて話していると彼の地元が阿蘇だということを知った。この旅は復興祈願も兼ねて始めたらしい。(ありがたいけど、もう心配されすぎるから場所の言い方を変えたというのはとても気持ちがわかった)
彼は全野宿で、民宿どころか通夜堂にも一度も泊まっていないというのはただ脱帽するしかなかった。お寺についてはあまり考えず1200kmを歩くということを目標にしているとのこと。
ここからは残り距離は300とちょっとで、計算してみたら、本気で歩けばあと9日で終わると気付いたと言っていた。
僕のママチャリにハーフパンツ姿について、えらいフランクな格好だなと思ったと笑ってもいた。マムシとか大丈夫ですか?と心配されたけど、普段はスパッツ履いてますと僕も笑って返した。
イタリア人と会わなかった?とも聞かれた。ガブリエルという名前らしく、数日一緒に行動していたけど、ガブリエルがちょっと歩くの遅いから別々になったとのこと。でも僕は会っていない。(観自在寺の彼のブログにイタリア人が出ているから多分その人だと思う)
ついさっき轢きかけたことも謝ったけど、全然気にしていないというか、自分の方も真ん中を歩いていて申し訳なかったというのようなことを言ってくれた。
境内のベンチで楽しく話した。この人と一緒に歩くのもきっと楽しいだろうなと強く思った。この旅では追いつけないですけどまたどこかでと伝えると、彼が握手の手を差し出してくれたので握手をして別れた。
本日、こんな感じです。
先程の彼からポンジュースの工場には行った方がいいですよと教えてもらったので、それっぽい場所に近付いてみたけどよくわからなかった。お接待が貰えるっぽいけど、今日は歩きじゃなくて自転車ってのもあるしそのまま去った。
52番と53番は松山市街の先にあって、そこから戻る際にルート的に行けるであろうと計画を立てていたので、その計画通りアウトドアーズコンパスに寄ってみた。
ちょうどいいサイズのテントはあった。そして値段も意外と安いというか、べらぼうに高くはなかったので、そのまま購入した。
中に荷物が入れられるとか、これからの季節あまり狭いと暑いということで1.5人用を勧められたけど、1人用のを約23,000円で買った。支払いの際には簡単に立て方も教えてもらった。
同じく自転車に乗った松山大学の生徒の後ろを進んで、
テントを置くために、一旦ふじやに戻った。
宿には昨日は眼鏡だったけど、今日はコンタクトの女性がいた。オーナーに会えたらと考えていたけど、あっちゃんは今出たとのこと。
自転車については(良い意味で)上手いこと言ってくれてると思いますよという彼女のその一言でかなり気が楽になった。いってらっしゃい、気をつけて。と見送ってくれた。
伊佐爾波神社付近の坂はエグかったけど、写真がない。とりあえず、エグかった。ママチャリも大変だ。
石手寺に近付くと巨大な大師像が見えた。
そして第51番札所熊野山石手寺。13時30分。
お寺の至る所からなんだか共産党臭がして、スピーカーからはずっと(テープの?)読経が流されているという、なんともいえない雰囲気のお寺だった。
写真は人が少ないときに撮ったけど、境内は団体に団体が重なり数百人はいたと思う。道後温泉から近いということもあり、普通の観光客も来るみたい。真偽のほどは定かではないが、このお寺はお賽銭代?納経代?だけで1億稼いでいるという話も聞いた。それだけ参拝客の多いお寺。
本堂。本尊は薬師如来。本堂の右に大師堂だったかな。
納経所がどこかわからず少し探したが、ただ見落としていたというだけだった。バス遍路のお兄さんは掛け軸(納経軸)に納経を貰っていた。今日は自転車だけど普段は歩いていると話すと、すごいなあと言われた。偉いなあというようなニュアンスも感じたので、そんなことないですよと返した。どんな手段であれ、お参りをしているというだけで尊いはず。違いなんてそんなにないと思う。
雰囲気はあれだったけど、建物は国宝も多くて、見ていて楽しかった。仲見世のお店もまた充実しているし、総合的に考えれば、面白くて魅力的なお寺。
でも、マントラ洞窟やUFOみたいな何かの話を後から聞いて、もっと色々と(奥の院も含めて)見て回っておけばよかったと後になって残念な気持ちになった。事前に下調べをしていなかったことと、時間に追われていたのが理由で行かなかった。いつかまた松山に来た際には行きたい。
ちなみに、ここ石手寺は遍路の元祖とされる衛門三郎再来伝説のゆかりのお寺。
かつて伊予国に衛門三郎という男がいて、その男は豪農として権力はあるが、強欲で非道な人間だったらしい。
ある日そんな衛門三郎の元にみすぼらしい格好の僧が托鉢に来たが、衛門三郎はその僧を追い返した。その後も僧は何度も彼の元を訪れるがその度追い返し続けた。
そして8日目、しびれを切らした衛門三郎は、僧が持っていた鉢を竹のほうきで叩き落とすと、鉢は8つに割れてしまった。すると僧の姿も一瞬で消えた。その姿を消した僧こそ弘法大師。
衛門三郎には5人の男の子と3人の女の子がいたが、この翌日に長男が突然亡くなり、その後も子供たちは次々と亡くなり続け、8日の間に衛門三郎の子供は全員死んでしまい、さすがの衛門三郎も声を上げて泣いた。
そんなある日、悲しみに暮れていた彼の枕元に弘法大師が立って、ようやくあのときの僧が大師だったことに気付き、衛門三郎は自分の罪を後悔する。
そして弘法大師を追って、懺悔の旅として四国巡礼を始める。
しかし、20回巡っても衛門三郎は弘法大師に一度も出会えなかった。
21回目はやり方を変え、逆に回ることにしてみたが、ついに12番の焼山寺近くで病に倒れてしまう。
そんな死を目前とした彼の元になんと弘法大師が現れる。衛門三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの大師からの問いかけに、来世も河野家(衛門三郎は河野家の出)に生まれたいと答えて息を引き取った。そして大師は石に「衛門三郎再来」と書き、亡くなった彼の左の手に握らせた。
その後、河野家に男の子が誕生したが、その子の左手は握ったままで開かなかった。そこで安養寺というお寺で祈願してもらったところ、固く握られていた左手が開いて、その拍子に手の中から石が落ちた。その石にはなんと「衛門三郎再生」と書かれていた。
というお話。その後安養寺は石手寺と名前を改め、今もその石は寺宝として石手寺に納められている。
この伝説がお遍路の始まりと言われている。修行僧が大師の跡を追ったりはしていたから、一般人の遍路というのが正解だろうけど、逆打ち(だと大師と遭遇しやすいというの)は多分衛門三郎由来かな。
細かいところに違い(祈願ではなく3歳になった男の子が南無大師遍照金剛と唱えると~等)はあっても、遍路関連ではとても有名な話。この旅でもおっちゃんに話し聞かされたりもした。
やきもちは1枚では売ってないので2枚買うことになったけど、美味しかったので問題なし。
先程違いはないと書いたけど、自転車で進んでいるとやはり歩きは偉大だと感じた。歩いた後に歩かないことで歩きの尊さを知る。この尊敬をこれからの旅に役立てようと思った。
充電の減りがおかしい。しかし東雲女子大学という学校名はかっこいい。
そして第50番札所東山繁多寺。14時10分過ぎ。
本堂。本尊は薬師如来。
大師堂。
何かが行われていて、受付まであった。本堂の中の団体は大合唱していた。祝という文字が見えた気がしたけど何だったんだろう。
正岡子規の出身地だけはあって、松山のお寺には俳句ポストがある。道の石碑なんかも俳句が刻まれていたりして素敵。
雲行きが怪しい。少し不安だ。
次のお寺へはバスについて行ったので道に迷うことはなかった。今年が逆打ちの閏年で助かった。お参りで追い抜いてしまったけど。
第49番札所西林山浄土寺。14時30分。ここは空也上人ゆかりのお寺。
本堂。本尊は釈迦如来。
大師堂。
次へ向かう中、2時30分過ぎだったが、もう久米小学校の生徒は下校していた。
第48番札所清滝山西林寺。14時54分。
ちょうど車から下りてきたおばちゃんと少し話したけど、自転車でも褒められることに気付いた。
今に始まったことではないけど納め札はほんとにどっと減る。神隠しか仏隠しかわからないけど突然なくなる。同じ場所に入れ続けているのになぜだろう。
左が本堂で右が大師堂。本尊は十一面観世音菩薩。ここの本堂の中は黄金に輝いていてとても綺麗だったのを覚えている。
小雨が降ってきた。あと2時間で目標全て回れるだろうか。
もちろん自転車も疲れる。スポーツタイツを履くべきだったか。爪を痛めず、体力を落とさないという点では良かったとは思うが。
こまめにマップを確認しなくなったこともあり、次の八坂寺への道を少し間違えていた。
とは言ってもそこの道を真っ直ぐ進めばいいという程度の間違い。すれ違ったおばあさんに道を教えてもらった。後2カ寺だがどちらも5時までには大丈夫そうだ。
この辺りの小中学生は挨拶をしないということを知った。学校や地域ごとによって挨拶の有無ははっきりとわかるのでとても面白い。するのもしないのも自由だけど、初めてその地を訪れる人間が抱く印象は大違い。
太ももが張ってきた。今まで使っていない筋肉だから疲労は溜まっていないけど、鍛えられてもいないので当然。
そして、恐ろしいくらいにそびえ立つ山が見えて、あれが久万高原かと息を呑んだ。
駐車場には通夜堂。
ここへ来る前に追い越した歩きのおっちゃんがもう着いていて、早すぎる…と驚愕した。
第47番札所熊野山八坂寺。15時半過ぎ。
本堂。本尊は阿弥陀如来。
このお寺の開基は修験道の開祖とされる役小角。1200年の歴史の中で、熊野権現の分霊を奉祀したりと、修験道の根本道場として栄えていたお寺。
貫禄すら感じる猫のこのくつろぎっぷり。
納経が終わり、次へと向かおうとしていると、団体の中の1人の女性が僕を見て、あら、お若いの(に?)偉い。頑張ってね。と声をかけてくれた。
結構年を重ねているのに歩きのご夫婦がいることに気付いた。尊い。若者より遥かに尊い。
先程のお寺に向かう途中で雑草を処理していたおっちゃんにまた会って、よう丁寧に拝んだ?と聞かれた。はい、ちょっと早めですけどと返した。ちょっとどころじゃない気もしたけど。
でも、信仰心は元々無くても、旅の間に芽生えるものなのかもしれない。納経を省略している自分ですら、お寺に着くたびに大師様…というような気持ちにもうこの頃はなるようになっていた。
カルト宗教なんかが洗脳する際に肉体的にも精神的にも追い込んでいたみたいだけど、原理はそれに近いはず。もちろん仏教はカルトじゃないし、過酷な行為は自ら行っていることだけど。
信仰心ではないのなら、お寺からお寺への辛い道からの解放、その解放感を誰にシェアするわけでもなく、行く先々に必ずいてくれる人(弘法大師)に対して伝えていたのかな。やっと着きました…今度はこのお寺に…という風に。
そして今日最後のお寺、第46番札所医王山浄瑠璃寺。本尊は薬師如来。
納経も4時に終わった。間に合って良かった。
今日8カ寺打ったことで、これでお寺の数も、残している5カ寺は関係なく、半分を越えたということになる。衛門三郎の里、松山でついに半分を越えた。
ここから道後へ帰るのも13kmと大変だが、こういう疲れを毎日続けてきたんだ。頑張って帰ろう。
荏原城跡。
おばあちゃんにおんぶされる園児の男の子を見かけた。河川敷のブランコで遊ぶ少年2人も。
方角だけを気にして、道は適当に進んでいると、一度ショートカットしたつもりがまた同じ道に戻ってきたり、行き止まりになったり、くるくると回ることになったりと、何度かやらかした。基本的には行きで通ってきた道を帰ったのでそんなに困らなかったけど。
松山という街を走り抜けていると、皮膚科も腐るほどあって、やはり都会は便利だなーと感じた。
宿にはちょうど5時に着いた。
タイツは履いてなかったので今日だけでかなり足を日焼けした。ひりひりするくらいで、ちょっとやり過ぎたかもしれない。自然な肌色にしようとわざと日焼け止めも塗らなかったし。
今日は本館の近くにある椿の湯に来た。(一番上だけ昨日撮った写真)
シャンプーとコンディショナーは各50円。どんなものを渡されるのか不安だったけど、エッセンシャルの小さなものが出てきた。サイスが小さいので持ち運びもしやすくこの先も重宝した。
温泉は気持ち良かった。昨日とは違う館に来て、温泉巡りをしてる感じも良い気分だった。
湯口に立つ人はいたけど湯船の広さ的にこちらの方が使いやすいは使いやすい。
日焼けはヒリヒリはしたけど耐えられるレベルだったので助かった。
体重を量ってみたら59.2kgだった。約6kg程痩せていて、The貯肉が底をついてしまった。元々はこんな感じだったけど、歩き旅をするには痩せ過ぎている気がするのでこれから注意が必要か。
休憩室にあたるであろう娯楽室は5時までとのことで、通路にあったベンチに座って抹茶オレを飲んだ。
右足のふくらはぎ一部はちょうど陽が当たっていたのかひどく焼けていて、膝の日焼けもそれなり。
徐々にヒリヒリとした痛みが強くなってきた。軽い火傷には効果があるらしいので出番を失っていたオロナインを塗ってみた。
腕は日焼け止めを塗っていたのでそう痛くはない。馬鹿なことをしたなあと悔いた。普通に足にも日焼け止めを塗っておくか、タイツを履いておくべきだった。
絆創膏を剥がして状態を確認した。赤い腫れはなくなってないし、2cmほどの貝の中身みたいなものも変わらない。でも絆創膏についている膿の量は減っている気がする。回復しているのだろうか。
消毒をして、薬を塗って、絆創膏を貼り替えた。
帰りにやたらと混んでいるローソンで買い物をして、アイス等買った。みかんチョコレート美味しそうだけど、内容量的にちょっと高いかなあ。
夕食のパスタ。食への無頓着さの露呈。
アイス優勝。
明日どうします?というようなことを今日はコンタクトの女性と2人で食事をしながら話した。あつしさんたちとの会話では聞いてはいたけどあやふやだったので、名前を確認すると、なおさんだと教えてくれた。
なおさんは2週間ほど三重の実家に帰っていて、つい最近戻ってきたので今は何しようという感じらしい。前はパソコン教室に通っていたみたいだけど。
このときはいなかったクリス君はスタッフらしい。朝僕が会った人は長期滞在の人で、ここの建物から少し歩いたところに個室があって、なおさんも朝の女性もそこに住んでいるとのこと。
食後には抹茶のキットカットをくれた。親戚に貰ったけど、抹茶は食べられないらしい。
洗濯をどうするか迷ったけど、宿の洗濯機を使った後に、屋上に干すことにした。屋上へはなおさんが連れていってくれた。今はスタッフじゃないのに親切に教えてくれてとても優しい女性。
屋上は風が吹いていて気持ち良かった。
色々とこの宿について教えてもらった。元々はふじやの建物は一つだったけど、新しく建てたのを本館として(自分が滞在したところ)、古い方を別館として外国人向けにしているらしい。(日本語サイトから予約するとこちらになって、英語からだとあちらに振り分けられる)
もうすぐ元お遍路の人がスタッフになるという話も聞いた。遍路としてこの宿に来たけど、居心地が良くて入り浸ってしまってお遍路を辞めて帰ってしまった人。
クリス君が戻ってきてからは3人で過ごした。彼は僕となおさんに、プリンを作るから明日の朝出して食べていいよと。彼もまた優しかった。
寝るのに部屋に戻るまで3人でずっと楽しく会話をしていた。
部屋に戻ってテントを改めて持ち上げてみた。2kgはやはり重い。そして組み立ても面倒だ。明日は練習をするとしよう。
日焼けが痛い。なんだか伸びてしまった髪を切りたい。日焼けが痛い。といったことを感じながら眠った。