四国歩き遍路の旅 28日目

6月20日。
5時前に、雷が近くに落ちて大きな音が響いた。雷雨だ。

朝食はテントの中で冷えた焼き鳥を食べた。

トラックの水しぶきはテントまで飛んでくる。激しく降っている雨も風に吹かれて当たることがある。外に置くしかなかったものはほとんど濡れてしまっている。
大雨警報は出ているし、雷洪水注意報も出ている。雨の予報は3日間だったのに、これから1週間全部雨になっている。まじかよという言葉しか出ない。
これだけ雨が降ればお寺までの4kmもない道でもびしょ濡れになってしまいそうだ。

テントから上半身だけ出して荷物整理をしていたら車の水しぶきを被りびっしょびしょになってしまった。ほんと幸せ。
テントの中にはやはり蚊が1匹入っていた。さぞかしお腹いっぱいになったことだろう。重くなった体で目の前を飛んでいたので、最終的に殺生をした。豚と同じように、肥えゆく蚊もまた幸せとは限らない。

状況が状況だけに、今が87番手前とかだったらいいのになと切実に思った。だが今から参るのは43番。

もうこのままテントの中に居続けたいってほどの大雨だった。7時前になってもまだまだ降っている。一日中降るのだろうけど。
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休憩所にあったありがたいメッセージ。だがお手洗いは時間外だから使えない。
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自分の価値観が固められていくのがわかる。自分なりに生き続けてできあがった自分のもの。

濡れながらテントを畳まないといけなかったが、あまり早く行き過ぎてもヒッチハイクしてくれる参拝客がいなそうだから、準備はゆったりと進めた。

もう今日はサンダルで歩くことにした。どうなるかはわからないが、どうせ濡れてしまうわけだから。

通勤通学に向かう人々の目には自分はどんな風に映っているだろう。遍路なんて見慣れすぎていて何も思わないか。
通勤の車や通学のバスは通っても、歩いている人はいない。雨の日に歩くということ。重い荷物を背負って、爪を腐らせながら、歩くということ。頭がおかしいと思われそうだ。
なぜこの時期にと疑問に思う人はいるかもしれない。

途中で投げ出すのはかっこ悪い。だが旅を続ける理由はもちろんそれだけじゃない。かっこ悪いから辞めたくないなんていうのはほんの一部。
そこまでして得たいものがあるとか、そういうのでもない。得られるものはきっと旅の最中にはわからないこと。
捨てたいもの、消し去りたいものならある。でもそれはこびりついた錆のように、頑丈な鎖のように、酷く醜く自分に染み付いていたり、絡まっているもの。雨で洗い去ることはきっと出来ない。

何かの車が通ってから急に辺りが臭くなった。

iPhoneを入れていたジップロック袋はもう壊れてしまった。確か100均で買ったものだが、それにしても早すぎる。2袋入っていたのでもう片方を使うしかない。こちらもそう長生きはしなそうだ。

8時を過ぎた。どう頑張ったって濡れるものは濡れるから行こう。
歩き始めると小学生の登校班を見つけた。登校する小学生は皆黄色い傘を差していた。ランドセルってこんなに小さかったっけ?と思いながら後ろを歩いた。長靴は羨ましい。
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この辺りの子は挨拶がしっかり出来ていた。親も先生も一緒についていったり、要所要所にいたりで、大人の苦労も当然あるだろうが、子供たちにとっては安心で理想的な登校風景。
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サンダルで歩いていると小石が入ってくることに気付いた。たまに立ち止まっては取り除かないといけない。靴下は履いた方が良いのだろうか。
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ある駐車場の中には大きな地図があって、それを見ていると管理人のおっちゃんが出てきて道を教えてくれた。山が短いけどそっちでええか?というようなことを聞かれて、鳥居門から行く道を案内してくれた。

しかし鳥居門からは行かなかった。せっかく教えてもらった曲がるべき場所で曲がらずに行き過ぎてしまったから。
やっぱり道間違えてるよねこれ…困ったな…どう進もうか、と悩んでいると、四国のみちの道標を見つけたのでそれを目印に進んだ。距離的にはかなり遠回りしてしまった。
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遠くからこの鳥居が見えたときに、昨日のカールおじさんの彼がちらっと見えた気がした。レインウェアの色が一緒だったから多分合っているはず。
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9時半に到着。第43番札所源光山明石寺。山号はお寺を修復した源頼朝から。
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本堂。本尊は千手観世音菩薩。お賽銭箱が床と一体化している変わったお寺だった。
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本堂の右には大師堂。
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納経の際にお金を置くトレーをどんっ!と置かれてびっくりしたけど、それ以外の対応は特に乱暴だとは感じなかった。

境内には濡れてない場所がなかった。軒下ですらどこも濡れていた。
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駐車場にはお店があって、ここへ来た際は開いていたのに、駐車場の様子を確認しに下りたときにはもう閉まっていた。でも、まだ10時前なのに早すぎる…と思っていたら、それは勘違いで、お店の人がお寺に用があったようで、その少し離れている時間だけ閉めていたみたい。

木の下にあるベンチで、レインウェアを袋に入れたり、水滴を落として、今度はもうスケッチブックは出さずに、声を掛けてヒッチハイクをすることにした。
しかし、勇気がいるというか、この人たちは乗せてくれるだろうか…と考えるんだけど、乗せてくれるとは思えない人たちばかりだった。
駐車場が見える位置にベンチはあったので、どういう人たちがどういう車で来ているかはわかっていた。でも大抵は2列の車で来ていて、3、4人のグループだから、どう考えても乗せ辛いよな…と。
夫婦で来ている人たちもいたけど、雰囲気的に乗せてくれるとは思えない夫婦ばかりだった。
というか、そもそも参拝客自体が少なかった。月曜日だし、朝だし、雨だし。わりと悪条件が揃っていた。

うーん…と困っていると、あるおじいちゃんが、大変ですねと話しかけてくれた。即座に、これはチャンス!と思って、歩きですか?からのいつもの流れに会話が広がる前に、逆打ちですか?と聞いて、そうだったので今ヒッチハイクで乗せてくれる方を探してまして…といった交渉を持ちかけてみた。すると、いいですよと返ってきた。
おじいちゃんは倉敷から来た人で、白いアクアで車中泊をしながら回っているらしい。去年おふくろさんが亡くなってから順打ちをして、今年一周忌が終わって6月からは逆打ちをしているらしい。
車中で、ワンボックスで夫婦で回られてる方多いですねえと言っていたけど、ご家族は?とは聞けなかった。
おじいちゃんのおふくろってぐらいだからかなり母親は高齢だったはず。普通のおじいさんというか、別におかしな雰囲気は一切なかったけど、家族(嫁や子)がいないのなら、母親と2人だったんだろうか。そうであるなら今もまだきっと悲しみに暮れたままだろう。
そのおじいさんは、年齢はきっと40以上(もしくは50以上)離れているけど、僕と同じように大切な人の供養という目的で遍路をしていた。
松山自動車道(無料区間)を通ったのであっという間に42番に着いたけど、車内では何か通じるものを感じていたのかもしれない。決して暗い雰囲気とかではなかったんだけど。

第42番札所一カ山仏木寺。10時17分。一カ山のカは正式には王偏に果。
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駐車場は山門のすぐ近くにあって、おじいちゃんとは車を下りてすぐに別行動になった。
境内に入るとまずは荷物をベンチに下ろした。しかしその後すぐにお参りは出来なかった。胸焼けでひどい吐き気を感じていたから。
足はというと、裏の大きなマメが両足とも水分を多く含んで剥げてしまっていた。昨日破けた爪の周辺の皮膚も当然そのまま。靴で歩いても同じような状態になった可能性はかなり高いとは思うが、サンダルは失敗だったか。サンダルで歩くというのが自分には合わない可能性もあるかもしれないが、もう何をどうしてもこの状態になってしまった気がする。そんな諦めのような気持ちも感じた。

必要以上にデカい音で鐘を鳴らす人はほんとに嫌だ。車やバスで回っていたらそりゃ元気が有り余っているんだろうけど、休憩している際に近くで鳴らされると本当にびっくりするし、心臓に悪い。何度この苦言を呈さなければいけないのだろう。耐えるしかないけど。
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本堂。本尊は弘法大師作の大日如来。
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大師堂。
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参拝客のおばちゃんが、七福神にカエルがついていると話しているのが聞こえたので、その後自分も近付いてみたら、小さなアマガエルが本当にいた。逃げずにずっと某神様の体にくっついていた。
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靴下を履こうとしているとマメになっていた皮が完全に剥げ落ちてしまった(気持ち悪い)。Oh My Buddha…
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歩きの格好に着替えたのは、先程のおじいちゃんに車を降りる際に頑張ってねと応援されたから。
そんな風に言われたらもう、歩かないとね…って感じになっちゃうし、歩くことにした。多分これから先もなんだかんだで、あまりヒッチハイクは出来なさそうだ。

41番へと出発。雨が弱まっているのはいいこと。距離も2.6kmだからなんとかなるだろう。

パトカーが数台通った。何の罪も犯していないが、パトカーが通ると呼び止められそうで不安になる。愛媛県警は善良な市民にすら職務質問しているのだろう…と。完全に松山で植え付けられたトラウマのせい。

梅雨の遍路はカエルだらけの旅。数mmの子から数cmの子まで皆跳ねる。
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マメが剥げたことで、通常の皮膚より内側にある赤い部分が出てきているので、歩きながら足裏がかなり気になった。

お昼前だが今日の寝床で、寝床にて、途方に暮れるのが予想つく。

道の駅の駐車場辺りで雨が強くなったので、コイン精米の横にあるEV充電スタンドの屋根の下で少しだけ雨宿りをした。
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この道を歩いていると遠くに小さな女の子が見えていたが突然消えた。曲がった先にいたけど。
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車の中でお留守番していた老犬かな。とても穏やかな表情。癒される。
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お寺まではもうすぐ。
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山門ではなく鳥居がまさかのお出迎え。
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清原と共にお遍路のイメージを悪化させている二大巨頭の一人、ミスター菅。鳥居の後ろにあるお食事処の壁に貼ってあった。
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民家が立ち並ぶ参道を進み、階段を上がる。
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第41番札所稲荷山龍光寺。山号の稲荷山でなぜ鳥居があったのかがわかった。神仏習合の面影を今も残しているお寺みたいだ。
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正午のメロディが他の地域とは違って独特なものだった。良い。
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実際に大師堂の上には稲荷社がある。
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本堂。本尊は十一面観世音菩薩。
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納経所の前で、1人のおじさんに歩きですか?と声を掛けられた。大変じゃねえと。
納経が終わっておじさんが立ち去る際には、まあ頑張って。とも言ってくれた。

数人の参拝客がいたが、みんないなくなってしまった。誰もいない境内ではカラスが鳴き続けていた。

これで宇和島近辺の3カ寺を打ったので、務田駅へ向かうことに。
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足の裏が焼けるような感覚を久しぶりに感じた。
劣悪な環境を意図的に作り出し、過酷な歩き旅にしようとしているんです…。ええ、修行ですから(震)

務田駅が見えた。今朝までの激しい雨を物語っているような川の色。
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駅の奥にはサークルKもあったが、もう少し離れた場所のローソンに行った。そのローソンにはイートインスペースがあって助かったけど、店内で虫を飼ってるのかというくらい虫が何匹もいてそれは不快だった。
豚しゃぶのパスタサラダ、ドリンクヨーグルトピーチミックス、バレンシアオレンジ、机の上に並べてみて、すごい女子感だ…と気付いた。

今治にある56番の通夜堂に泊まるかと最初は考えていたが、どう移動しても17時には着かないので諦めて、ゲストハウスを予約することにして、今治駅の近くにあって、萩森リストにも載っているシクロの家というゲストハウスに泊まろうと電話をした。
しかし、繋がらなかった。メンテナンス中なので15時以降にお掛け直しくださいといったアナウンスが流れた。また後で掛けるとしよう。予約が埋まってなければいいが。

無人の務田駅のベンチに座って足を確認した。ふやけていた皮が微妙に固まって、ミルフィーユかよってくらいに皮が何層にも分かれてボロボロになっていた。
膿の部分も酷いというか、山道は歩いていないけど、土などが雨で浮いていた絆創膏の内側まで入り込み、シャワーを浴びて消毒しないとまずい状態。ついでに歯も磨きたくて仕方がない。
ベンチに座って自分の足の酷さに酔いしれていたら、3人の清掃のおじさんが来て、ゴミ箱やトイレをチェックして、ゴミ袋を交換して、帰っていった。
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予土線に馴染みがないので、自分がこれから利用する駅が運転見合わせしているのかどうかもわからない。
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出来るだけ早く着いてあれこれと済ませたいので、こういう乗り換えで行くことにした。
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歩いた方がいいのかヒッチハイクがいいのか本当にわからない。自分がどうしたいのかがわからない。ただ迷っているばかり。

ベンチの前で待っていたが、電車はだいぶ前に停まって笑った。
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乗り換えの宇和島駅までは2駅だけど駅間が長く、うとうとしてしまって、乗車賃として握っていた中から5円を落としてしまった。するとその5円玉は笑うくらい真っ直ぐ転がっていって、3人並んで座っていた女子高生の1人に拾ってもらうことになった。その拾ってくれた女の子が今の嫁です。
どこの高校かはわからないけど、白いシャツ、紺の蝶リボン、クリーム色の袖なしカーディガンを着ていた。

宇和島駅に着いてからは一度改札を出た。長距離の特急券なんか買って馬鹿みたいだなと思いつつ、2千円で数時間早く着けて宿でくつろげるならと、馬鹿なりに理に適った選択だとも感じていた。洗濯なんかかも早くしたいし。
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電車型のヒノキベンチはとても良い匂いがした。
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紫陽花や向日葵も飾り付けられてある風鈴も良い。南予の風に吹かれてなびいていた。
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短冊には何が書かれているんだろうと近付いてみると、宇和島の良いところを子供たちが書いていた。(宇和島は海がとてもキレイ といった感じで)
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その中から見つけた「宇和島は たいのようしょく さかんです」というまさかの五七五調。正岡子規の生まれ変わりかもしれない。
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闘牛はよくわからない。
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特急電車が来た。乗り込む。
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電車が走り始めてすぐに15時になったが、トンネルがいつ来るかわからず電話を掛けづらかった。
デッキで掛け始めたんだけどうるさくて、車両に誰もいないからと結局自分の席に戻って電話をした。電話は男性が対応してくれて、18時チェックイン予定のドミトリー2500円で確認した。予約が埋まっていたりしていなくてよかった。そして電話を切った瞬間にトンネルに突入して安堵した。
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気付いたらちょっとだけ寝ていた。ふかふかしているとこで寝るのは最高だ。

松山は雨降り。今治はそうじゃないといいが。
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松山から今治という1日掛けて歩く区間を40分で行っちゃう罪深さ。
でもこれで今までに出会った知り合いたちには結構追いつけたんじゃないかというポジティブシンキング。どこにいるかなんて全然わからないけど。
話を聞いていた53.5番札所は興味があったが、通り過ぎてしまうことになった。だが致し方なし。

高良健吾似の男性と宇和島のちょっと先くらいから松山のこの特急まで一緒だ。どこまで一緒だろうか。どこまで一緒でも何の絡みもなさそうだが。

音楽がないから、すべての音を聞いている。乗り物に乗っている際の音は当然少ないけど、旅を構成しているすべての音を聞いている。

お金にも時間にももっと余裕が生まれて、悠々と観光しちゃうような日々が来るなら、それがいつかはわからないけど、誰かと一緒だったりするんだろうか。そのとき自分はどんな風な人間になっているだろうか。いろんな想像が出来る。どれもこれもまだ現実ではないから。

既視感のある車窓になってきた。以前今治に来た際も眺めた海の景色。海は変わらない、膿ry
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今治市に入った。雨は降ってない。
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ゴミ袋を持ってゴミを集める清掃のおばちゃんが通って、お菓子や飲み物等を捨てられて助かった。往路は清掃の人とはわからなかったが、復路で渡せた。

列車に乗りながらも遍路マークを探している自分。

今治駅で高良健吾の彼も降りるのかと思ったら違った。移動したかったのか何だったのかよくわからない。
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バリィさんとの再会。
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駅からは歩いて1,2分という超近距離にある宿。しまなみゲストハウス「シクロの家」
しまなみ海道があることから、基本的には自転車旅をする人向けのゲストハウス。
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入った瞬間にああ、ここは綺麗な宿だとわかった。オシャレな雰囲気も良さ気。

入り口を開けるとすぐコミュニティスペースがあって、ノートパソコンを触っている眼鏡をかけた茶髪の女の子が、結構積極的に絡んできた。かなりゆるい喋り方でたまに聞き取れないけど、どうしてお遍路しようと思ったんですか?歴史好きなんですね。といった興味津々な感じで。
話が進むと職業の話になって、私も同じようなことしてますと言うんで何をしているのか聞いてみると、プロブロガーだと聞いて驚いた。しかも炎上してるらしい。気になる…。
名前はみきちゃんで、28歳とも教えてもらった。どうやら大阪から今治に移住してきたのはいいけど、めちゃくちゃ古い家でねずみや蛇が部屋から出たり、浴室からはなめくじが出るらしく、今日はこの宿に避難しているらしい。宿に読者から貰ったというジョウロを預ける際に、張り紙にはねずみのみきちゃんで通じるだろうからそう書いておいてとスタッフの人に言われていた。
宿の外、近くの空き地ではカエルが鳴いていたんだけど、苦手らしく結構怯えていた。カエルが苦手だったりするのによくそんな家に住めるなーと、変わっているというか、個性的というか、プロブロガーということも含めて、なかなかレアな人に出会ったなと思った。

チェックインの対応してくれたスタッフはこれまた眼鏡をかけていて、少しふっくらした(むら)まささんという男性。ウェルカムドリンクでレモンと梅が入った爽やかな飲み物を出してくれた。26才で、自転車が好きすぎて1年前に静岡から来たらしい。
もう1人オーナーっぽい男性スタッフがいて、呼び名はなりちゃんだと教えてもらった。二人乗り自転車で夫婦で世界一周をして、本も出版している人。

今治に前来た際は駅前のビジホで空いてる部屋ありますか?と聞いたけど、まあ空いてなくて、今治城の先のフジグラン今治に入っているネカフェに泊まった。
それが影響しているのかはわからないけど、今回も駅周辺の宿は人が多いだろうと予想していた。
はい、そこからの、ドミトリー部屋1人というオチ。ラッキーだ。
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シャワーを浴びて、例の箇所にはいつもの処置をした。他の箇所はもうどうしていいかわからない。

まささんに周辺の食事処やスーパー事情等を教えてもらい、この時間は売れ残って安くなっている刺し身が良いとお勧めされたので、少し離れたスーパーに刺身を買いに行くことにした。
別にコンビニとかでも良かったんだけど、それを聞いていたプロブロガーのみきちゃんが刺し身をくれたらブログタイトルを教えてくれるとのことで、いったいどういうブログなのか本当に気になってたから、乗せられる形で行った。完全に弄ばれてるなーとも感じながら。

雨が降っていたので傘を差して行ったマルナカ。
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逆お接待になったが、でも話は楽しかった。派手な感じではないけど、いろいろと男性の扱い方が上手そうな女性だなと感じていたが、ブログのテーマもそれ系のものだった。自分で講演なんかもやったことある人で、自分のご飯を少し分けるくらいで、なかなか話せる機会がないような人と話せたわけだからツイていたと思う。
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一六タルトは気付かぬうちに抹茶を買っていたので、あんこリベンジ。抹茶も同じくらい好きだけど。
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明日の宿泊客は0人らしい。こんな綺麗で安い宿なのに不思議だ。梅雨だから閑散期なんだろうか。
この日の宿泊客は他には、ほとんど見かけなかったがわりと高齢のおばあちゃんがいる母娘と、自転車乗りの(遍路ではない)お姉さんがいた。そのお姉さんとはお遍路関連の話で少しだけ会話を交わした。

スタッフはなりちゃんが帰って、まささんだけになった。
まささんは一度自転車で遍路を回ったことがあるらしく、その自転車遍路の一周が終わってから、これは歩かないといけないと、歩きで自炊道具等も持って歩き始めたが、熱を出してしまって途中で区切っているらしい。自転車の宿だから遍路話については正直全然期待していなかったのに、まささんはかなり詳しくて驚いた。
つまり、お遍路の客がこの宿に来ても(まささんがいれば…?)お遍路トークが出来るということ。もちろん自転車の話は更に出来るだろう。
シクロの家HPのスタッフページのまささんはヤバい顔をしているけど…写真と実物では全然違う。老けては見られるらしいけど、実物の方が何倍も優しそうな感じ。物腰も柔らかだし。

萩森リストを眺めていたらコピーしましょうか?と言ってくれた。雨で結構傷んでいたし、複数枚あって困るものではないのでしてもらった。これはその後、すぐに取り出せる用と完全保護用ってな感じで使い分けて活躍した。
洗濯機の上に袋(ゲストハウス土佐で貰ったもの)を置いていたんだけど、なりちゃんが間違って捨てたのか、まささんにありそうな場所を探してもらったが見つからなくて、代わりに大きなゴミ袋を貰った。この袋も活躍した。

良い宿だなと感じた。自転車に特化している感はあるけど、でもそれ以外の客でも使い勝手、居心地は良いと思う。

基本的に僕とまささんの遍路トークにプロブロガーがたまに質問とかで混ざる感じで話をした。その3人での会話が楽しくて、気付けば23時になっていたぐらい。
寝る前、外はかなり雨が降っていた。


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