6月4日(日)
さすがに今日は死ぬんじゃないか…?という2時間睡眠での朝です。メルカリで人体が売れたとしてもこの体は激安に違いない。毎度のことながらうんざりするけど、まあ、ポジティブに捉えるのなら修行要素が増しておいしいかな()
博多駅はぼちぼち利用するが、江北行きというのは初めて目にした気がして調べてみたら佐賀だった。こちら側のホームはほぼ利用したことがないゆえなのか、何人か自分と同じように写真を撮っていたから珍しいのか。わからない。
パリピ系フェスからの朝帰りパリピがちらほらいるホームでinゼリーラムネ味を補給。まるで対だね。ええ、なんだかんだ今日もなんとかなるでしょう。
篠栗方面への電車内では上記のフェス「MUSIC CIRCUS FUKUOKA」で完全に酔っ払ったであろうハーフ顔お姉さんからぐるぐる回っていそうな目でずっと見られていた。珍しい格好をしていたからただ見ていただけで記憶にも一切残らないだろうけど、酔いを覚ますために水を飲み続ける彼女が吐かないかがただ心配だった。
全身モンベルで白いコーデをした女の子など数人の登山客らしき人たちが篠栗駅で下りたが、おそらく若杉山に登るのだろう。自分たちも奥の院を目当てに最終日に登る予定。
はい、筑前山手駅。7時1分到着。この早い時間から歩き始められるので、今日はきっと余裕を持って行動できるはず。一カ寺でも多く打ちたい。
二日目はここ筑前山手駅からGPSログ開始。前回の初日も篠栗駅~筑前山手駅までログを取ればよかったんだけど、うん、やり方を変える時もあるよね。
7時9分 / 第十一番札所 山手薬師堂(薬師如来)
まずは駅下の無人の札所を打った。そして今日も押していく。
前回17時を過ぎていて間に合わなかった3つの札所の方へと戻っていく。
7時19分 / 第八十二番札所 鳥越観音堂(千手観世音菩薩)
このお堂の管理をされている(守堂者)であろうおじいさんがちょうどいたから挨拶をしたんだけど、目にも耳にも入っているはずなのに反応はなかった。でも多分無視をしているわけではなく、ご高齢すぎてこちらの存在を認識できず、それでも何十年と毎朝続けてきたお堂での作業は体が覚えていて勝手に動いているというような印象だった。人体って面白い。
四国の時は野宿できそうな場所をよく探していたけど、篠栗でも可能っちゃ可能かな。きっと野宿も楽しいんだろうな。寒いのは間違いないけど冬の朝の幻想的なダムの景色も見てみたい。
明石寺からは掃除の音が聞こえる。だがまずは先に奥の札所から。できる限り遅く着くことで納経の可能性を高めたい。
7時32分 / 第四十四番札所 慈眼山大宝寺(十一面観世音菩薩)
鍵は閉まっておらず、お焼香のような新しい匂いもしていたが、また人はいなかった。だが納経道具はあったので自分たちで押すことに。まあ、押せるのなら何も問題はない。
このお寺はダム建設のために現在の場所へと移転したらしい。ダムの底には跡地が沈んでいるのだろうか。
7時44分 / 第四十三番札所 源光山明石寺(千手観世音菩薩)
(お騒がせしますと煙草をくわえたままブロワーで掃除をするおじさんが今回はいて、そういったイレギュラーな存在がいるとたまにお堂の写真を撮り忘れたりしている。写真を撮るために歩いているわけではないけど、もったいないやらかし)
このお寺もセルフ納経が可能だったが、「あっ…押しちゃった…」とゆきちゃんが呼び出しボタンを押してしまったので、現れた奥さんに納経を書いてもらうことに。
例のごとくお参りをしててとのことだったので、不動明王像下の真っ暗な戒壇巡りをしたり、境内を少し見て回った。
どのくらいの人が訪れるのかはわからないが、大日屋旅館として宿坊・旅館・お寺喫茶を営業されているみたい。モデルコース一日目の終わりだから来ることは来るのかな。
ダムを目指すバイク乗りが定期的に通るからうるさかったけれど、紫陽花は綺麗な日。
再び山手駅へと戻り、ここから新たな道へ。まずは北方面へ。
こちらも駅近くの札所。
8時2分 / 第五十二番札所 山手観音堂(十一面観世音菩薩)
右側「光名閣」に飾られているのは芳名大師(弘法大師)の尊影で、戦後間もない頃、毛利純堂という老僧が喜捨を乞い、恵んでくれた十万人の名を書き綴って仏画として完成させたらしい。大作だ。
こっちはJA共済のひとのわグマ。
お料理につかって下さいとワンカップが置かれていたけどお供物かな。そのまま飲む人もいそう。
右へ。
イスラム感もなくはない住宅かと思いきや、お寺だった。札所ではない。
猫はいた。
こちらには札所があるようだ。
階段を上がる。
8時14分 / 第二十五番札所 金剛山秀善寺(一願地蔵菩薩)
納経道具は置かれていなかったのでボタンを押すと、しばらくしておばあさんが奥から現れた。
待っている間に飴でもどうぞと。ありがとうございます。
福岡県出身なのは知っているけどなぜMURATA…と思ったが、福岡どころか篠栗出身だった。人柄は好きではない。ヒマー!
納経を終えた後に、次の40番への道を間違う人が多いからと手書きの地図で案内してくれてとても親切なおばあさんだった。頑張ってねとも言ってくれた。
建物の奥にはある程度生活スペースもあるように感じたが、暮らしながらこのお寺を守っているのだろうか、もしくは下に車があったので毎日通っているのか。
どちらにしろ優しさに触れて嬉しかった。その一方で、守堂者がどこもご高齢の方ばかりで担い手はいるのかと心配にもなった。この素敵な文化は消えてほしくないが、巡礼者も守堂者もいなくなれば廃れていくしか道はない。いつ訪れるかもわからないお遍路さんをどんな気持ちで待っているのだろう。観光客の多い寺院は何も気にせず生き残れるだろうが。
教えてもらった道を行く。緩やかに上りつつ、離れた滝を目指していく。
日曜の朝だからか清掃をしている人の姿が多かった。挨拶から始まって道を教えてもらったりといった地元の人たちとの交流はとても気分が晴れやかになる。
「どちらから?」という質問に「あ、福岡からです」という返しは面白くないだろうけど、でも地元を歩いてくれる若者への歓迎は大いに感じる。
道を進むにつれて秘境感が増していく。ワクワクするね。野焼きも色付けしてくれてね。
南蔵院方面への分岐。そちらに進むプランもなしではないけど、自分たちは通らない。
いくつかの空き家が廃墟に近づいているのも演出のようだ。完全に寂れてすべてが無くなっているわけではないという状態。
着いた、と同時に掃除をしていた男性に挨拶。
8時41分 / 第四十番札所 篠栗山一ノ滝寺(薬師如来)
いや、なんだここは…めちゃくちゃ雰囲気のあるお寺だ…と感動した。山の中のような場所に滝の音が響き続けていて、一つ一つのお堂や仏像からも荘厳さを感じた。
ご用の方は玄関のチャイムを鳴らすように、とのことだったので、併設されているご自宅の玄関のチャイムを鳴らした。
すると若い巨乳のお姉さんが現れたので正直ドキッとした()予想外すぎて。間違いなく娘さんだろう。でも彼女も驚いているように見えたから相手からしても予想外だったんだと思う。お遍路さんも大半が六十代以上とかだろうし。
そういえば愛媛最初の札所でお寺の娘さんと話したのも40番じゃなかったっけな。あの通夜堂に黒い…ああ…あぁ…。
同世代のお姉さんが納経をしてくれている間、境内を回ってみることに。
滝の音がしていたのはこれか。素晴らしい。一ノ滝寺という名前にふさわしい名瀑だ。
篠栗霊場はこうした山や渓谷のような場所にある寺院が多く、滝行ができる箇所がいくつかあるのも特徴の一つだろう。
時間があったらもっと巡るのにな…と残念がっていたのに、結局散策疲れするぞこれ…というくらいには巡った。いやはや、素敵な寺院でした。
それでは下りていこう。駅や線路を越えて南側へと移動するために。
猫が案内をしてくれているかのように自分たちの前を歩き続けていたが、「すーずめ!」と喋り出しそうな感じの目で少し怖かった。
不自然なほど大量のカラスが集まっていて、ちょうどすれ違う地元のおじさんとの会話で「なんでこんなに集まるんですか?」と聞いたら、「餌をやるからさ」とまさに今から餌を与えようとしている別のおじさんを指差して教えてくれた。
餌やりおじさんが飼っているミニチュアダックスフンドはカラスに向かって吠え続けていた。先程のおじさんは「おう、おはよーう」と普通に挨拶はしていたから、特に迷惑がっているようには見えず、おじさん同士の仲は悪くなさそうだった。
秀善寺で貰っていた飴を開けた。いろんな交流があってやっぱり巡礼って楽しいな!と感じながら。非日常感というだけではないこの高揚感。
篠栗霊場の中にゴールデンウィーク頃から10月くらいにかけて風鈴祭りを行っている寺院があるらしく、あえてどこにあるかは調べていないけど、その寺院を訪れる日も楽しみにしている。いつだろうな。きっと突然現れるだろう。
山手駅ってトイレあったのか!と初めて気付いた。反対側の階段しか利用していないから気付かなかった。
この周辺を清掃していたグループの男性からは「次はどちらへ?」と話しかけられた。78番はここを左へずっと行くらしい。
紅葉してない…?
ここだな。
9時20分 / 第七十八番札所 山手阿弥陀堂(阿弥陀如来)
境内には白衣のような白い服を着ているが遍路かどうかはわからない若そうな女性が一人いた。後ろを振り向かなかったので何も言葉は交わさなかったが。
紫陽花巡りも兼ねているかのように至るところで咲いている。
9時33分 / 第十七番札所 山手薬師堂(薬師如来)
シャッターを自分で開閉するニュータイプ納経所。
あれ…
工事中なので迂回しないといけない…本来は真っ直ぐ進むはずなのに…。
山手公民館の前を通って迂回中。
天空の駅だ。20km歩き終わった後に利用したい駅ではないが。
本来の道に戻ってきたかな。
いや、怖い。
怖いて。
右奥の大きな寺院らしき建物は札所なのかなーと考えながら歩いている自分。
次は20番のために坂へと左折するはず。
あれ、え、ここ67番…。
9時49分 / 第六十七番札所 山王薬師堂(薬師如来)
左折する前にまさかの67番が現れて困惑した。今はまだ打つ予定のない札所だ。迂回で正規の道へと進めなかったりするのか…?と不安になったが、とりあえず札所にいるはいるのでお参りをして納経をすることに。
道に迷うのもまた巡礼。グーグルマップを開いて上へと続く道を確認してしばらく戻ると、先程は通り過ぎていた目印のない場所から坂を上がった。これはちょっとわからない。
なのに車は結構通るっていう。お寺の気配はないまま。
いや、札所だ。
10時8分 / 第四十八番札所 中ノ河内観音堂(十一面観世音菩薩)
納経所はお堂ではなく、下の民家の近くにあった。あれ…ないぞ…とちょっと探すことになった。
しかし、ここも20番ではなく48番。今来た道より手前に上っていく道なんてなかったのに…とまったく理解できなかったので、清掃をしていたおじさんに「ちょっとお尋ねしたいのですが…」と質問してみたところ、巡拝図(2019年3月改訂)に載っている20番への道は何年も前に土砂崩れで通れなくなり、町も何もしてくれないのでそのままになっているという答えを教えてもらった。
なるほど、そういうことだったのか…。でも道を探し続けて上へと来られない人が絶対にいるぞ…逆に20番から下へ下りていく人は途中でどうなるんだ…。
そのおじさんからは、ムカデが今朝だけで三匹いただとか、ここの道はシカやサルやイノシシが出るという話も聞いた。鹿は出会いたいけど、他は嫌だな…。杖も持ってないし…。
教えてもらったぐるっと回る道で次こそ20番へ。
晴れは晴れだけど、太陽は雲で隠れがちという、歩くには最高の天気。
川の近くへと軽トラで来て何かを焼いていたお兄さんは日本のラップやミクスチャー系の音楽を流しながら作業をしていた。自分が好き好んでは聴かないジャンル。そんなお兄さんも爽やかに挨拶を返してくれた。
10時22分 / 第二十番札所 鶴林寺中ノ河内地蔵堂(地蔵菩薩)
このお堂が建つ敷地がもう土砂崩れしてるもんね。そりゃ危険だ。
ここから下りていく道が土砂で通れなくなっているというへんろ道か。何も注意書き等はないが大丈夫だろうか…。多分行政側に遍路に深く関わっている人間がいないから何も手を打たないんだろうな。観光の目玉の一つとしてアピールはしているようだけど、きちんと道や案内を整えることも当然重要だと思う。
知多や小豆島はどうなっているんだろう。下の道の状態と同じくらい気になる。
この札所には自分たちの後に青い作務衣を着用した男性が来て、木魚を叩きながら迫力のある般若心経の読経をしていた。スクーターで札所を回っていたようだが、どこかの僧侶だったりするのだろうか。剃髪はしていなかった。
それにしても大自然すぎる。
カミーノと同じく、女の子と一緒に巡っていると自分を写した写真も増えていくアレ。
お堂と住居が一体化しているようだ。この先のお寺の観音堂だったが。
いや、車多いな。坂道を通っていた車は皆ここを目指していたのかな。
南無弥勒菩薩!弥勒菩薩が御本尊なのは篠栗霊場で唯一と。
10時39分 / 第十四番札所 篠栗山二ノ滝寺(弥勒菩薩)
本堂ではちょうどお勤めが行われていて数十人の参加者がいた。車遍路であろう白衣を着た方の姿もちらほら。
奥には滝があった。一ノ滝寺ほどではなかったが、一があって二ということか。
しかし大師堂まであってこちらも立派なお寺だ。
山の水への注意喚起は最近Twitterでよく見かけるけど、まあ危険は危険よね。でも常に自販機があるとは限らないし、煮沸する道具なんて持ち歩いていないし、たまに飲んじゃってる。運が悪けりゃ死ぬだけさスタンスで。
納経帳を受け取る際にまさかの初お接待を頂いた。白衣を着ている人間に渡しているのだろうか。お菓子の詰め合わせと、檀家さん?が作ったストラップらしい。お接待を欲しているわけではなくても、お接待文化は篠栗にはないのかなと少し寂しく思っていたのは事実なので嬉しかった。そしてこちらのお寺で少し両替もしてもらった。
今が14番。80と59からは東へと進むのがモデルコースなんだけど、7の方へと進んでそこから左側の道をぐるっと回って下りてこようというのがオリジナルで考えた今日の行程。いくつ打てるかは実際に進んでみないとわからない。
ちなみに26の西側は奥の院への道。今日は奥の院は打たずに残しておいて、できるだけこの辺りの札所を消化した上で登山+結願までの最終日という形にしたい。
へんろ道の案内がなくなったな…と思っていたら突然再登場。
10時55分 / 第二十四番札所 中ノ河内虚空蔵堂(虚空蔵菩薩)
ここからは登らないがへんろ道が完全に獣道と化している。この先に通るへんろ道は大丈夫なのか不安だ。
少し疲れてきたし、この先更に登っていく道で休憩する場所があるかもわからないので、ちょっと早いがお昼ご飯の時間にした。出発前にコンビニで買っていたおにぎりとゼリーとカロリーメイトを食べた。
11時30分再出発。登りはやはりキツいが、登るしか選択肢はない。
この集落で振り返ると初日の老人ホームが遠くに見えて盛り上がった。あちらから見ていた際に「あれは何の建物だろう…?」と話していたのはおそらくここの民家のことだ。完全な反対側に来ているということがとても面白かった。
11時39分 / 第四十二番札所 中ノ河内仏木寺(大日如来)
えっとですね、こちらのお堂を撮り忘れたというか、撮れなかったのはですね、「草むしりよるけど虫がおると!」と蚊にブチ切れてる腰の曲がったおばあさんがお堂の前にいたからですね。あまりの迫力で撮れませんでした。はい。
ここからはへんろ道。昔から使われているへんろ道は大抵登山のような難易度だし、舗装道路と比べると体力はかなり消耗する。アスファルトの固い地面にも一応デメリットはあるけど。
どう道が乱れているかはわからないから、迷わないように気をつけないと。
めちゃくちゃ滑りやすかった竹林の道。時折見かけるへんろ道のこの丸い看板は比較的新しそうだった。ありがたい案内だ。
篠栗遍路のへんろ道(竹竹竹) pic.twitter.com/Kkr12qvS7L
— 末宗凌 (@SuemuneRyo) June 5, 2023
抜けたか。
本格的なへんろ道が続いていて、江戸や明治の時代を感じさせる古き良き道ではあったが、虫がちと多すぎた。もはや夏なので仕方ないが。
新たな集落に到着。
12時2分 / 第三十番札所 田ノ浦斐玉堂(阿弥陀如来)
お納経が平井さん家にあるのなら、平井さん家に行かなければ。
平井さん家ありました。お邪魔します。
次も軒下に納経所か。まずは上のお堂へお参りしよう。
12時11分 / 第五十七番札所 田ノ浦栄福堂(阿弥陀如来)
80番の納経所もご近所にあったのでもう先に納経を済ませておく。
それから少し離れた札所へ移動。
12時23分 / 第八十番札所 田ノ浦観音堂(千手観世音菩薩)
お堂を真正面から撮るのは好きではないというか、御本尊を撮るのはご法度だと考えているので写していないんだけど、岩を彫って作られた仏像(穴観音)が安置されている岩窟になっていて、思わず息を呑むほど惹き込まれた。
そしてこちらは篠栗霊場を発願するも志半ばで亡くなった尼僧慈忍の意志を継ぎ、困難を乗り越え、88箇所の堂宇を建立した実質的な開祖である藤木藤助翁像。
篠栗霊場の札所の番号がなぜこうもバラバラなのかという疑問を抱いて調べてみたら、発起から完成までに約20年もの歳月が掛かったことで、仏像が完成次第順不同で番号が決められたり、かつては札所の移転や譲与も盛んであったり、中には嫁入り道具として守堂者の娘が札所の権利を持って嫁いだりといったなかなかに混沌とした歴史背景がもたらした結果らしい。
12時27分 / 第五十九番札所 田ノ浦薬師堂(薬師如来)
今日はほとんど手が汚れないものの、疲労を溜めていく体でこうも連続して押印となると、どうしても雑になっていくのを感じた。本当なら写経のようにできるだけ美しく納経したいのだけど、お寺での滞在時間もできるだけ短くしたいし、多少ズレても「これもまた味!」と開き直ってしまうのがまた良くない。
でもそれも、悟りや仏とはほど遠い、現世から離れていない肉体のらしさなのかなとも思ったり。
そんな人間は再びへんろ道をゆく。
またもや登りでキツかったけれど、既にモデルコースから外れたオルタナティブコース。進んでいるのは間違いない。
10kmか。感覚を思い出してきたので前回と比べると体感とは釣り合っている。しかし篠栗遍路は50kmと聞いていたが、それは日程を考慮していない50kmで、現実的な距離としては更に長いのではないかと思う。四国遍路全長だって1200kmから1400kmとかなり幅があるし。
12時41分 / 第七番札所 田ノ浦阿弥陀堂(阿弥陀如来)
なんだか洋。
ワンチャンフジロックの服装の参考になりそう。
この7番から次の札所へはしばらく歩かなければいけない。若杉山方面なので標高も上がっていく。
ずっと舗装道を道なりかと予想していたが、へんろ道があったので歩くことにした。まあ、決められた回り方なんてないもんな。先人たちも各々が各々の形で回ったから、そこに道もあるってわけか。若杉自然歩道なる道もあるみたいだし。
良き橋。
鐘の音がどこかから聞こえる。
札所だ。
13時7分 / 第六十五番札所 由霊山三角寺(十一面観世音菩薩)
納経は押印部分をおばちゃんがしてくれて、筆の部分は「下手くそだからありがたくないかもしれないけど」と笑っていたおじいちゃんが担当してくれた。
ある程度小銭は用意してから出発しているのに、この日は理想的な早さで札所を回れているがゆえに100円玉の消費が激しく、自販機も朝からずっと見かけないので、このお寺でも両替をしてもらうしかなかった。おばちゃんに頼んだら丁寧にジップロックに入れて持ってきてくれたので申し訳なかったけど、札所にお金を落とし続けているがゆえなのでどうか許してほしい…。
おじいちゃんも話していた若杉山頂への残り3km。へんろ道と山道の3kmが3kmではないのは当然知っている。
すぐお隣の札所へ。
13時18分 / 第八十三番札所 稲田姫山千手院(聖観世音菩薩)
こちらでは次の63番の納経も手書きでいただいた。参拝客も少なくなさそうな規模の寺院だった。
ああああああ!!!自販機ではないけどなんとありがたい飲み物コーナーか!ポカリスエットを購入し、オロナミンCはその場で飲み干した。オロナミンC以上に美味しい飲み物はこの世に存在しないと感じる日は確実にある。
お供物のお下がりをご自由にお召し上がりくださいという箱。
頂きました。
境内には稲田姫縁結び神社もあった。稲田姫は別名クシナダヒメとも呼ばれていて、八岐の大蛇の神話で登場する女神。
ここは利用していないが綺麗なお手洗いを提供してくれているすべての方々に賛辞と感謝を送りたい(誰)
先に納経をしてもらった次の札所へ。
なぜ天狗岩と呼ばれているのだろう?巨岩が天狗の形でもしているのかな?そうは見えないけど…と感じていたが、村人に悪さをしていた天狗を大師が改心させると、この岩付近を通る旅人を逆に守るようになったという伝説が残っているらしい。
この時は天狗は出てこなかった。もう亡くなったか、恥ずかしがり屋なんだろう。
13時44分 / 第六十三番札所 天狗岩山吉祥寺(毘沙門天)
境内は広くはないが、昔からの信仰の面影を感じた。篠栗霊場が興るきっかけにもなったように、若杉山は弘法大師空海修行の地と言われているので近づくほどにその色は濃くなっていくかもしれない。
もう登山始まってます。キツツキ(コゲラ)がドリルのように木突きまくってます。
頑張れ、155cm女歩き遍路。
山間とは思えないほど開けた集落に着いた。
若杉屋はファスティングやセラピー・お遍路体験など他にはない取り組みを行っている旅館で、篠栗遍路関連の旅館では最も気になっていた。
本当は道中にあるすべての旅館に泊まりたいし、飲食店等にもお金を落としたいんだけどね。全国から人が戻ってくる未来があってほしい。巡礼を始めるきっかけというのはなかなかないだろうけど、登山や神社仏閣巡りから流れてくるのが理想かな。
おそらくこの場所に放置され続けている古いバス。
13時59分 / 第二十九番札所 荒田観音堂(千手観世音菩薩)
納経所は遠海屋という旅館の玄関にあった。古き良き日本の匂いというか、初めて来た場所なのにどこか懐かしいような匂いがして胸がいっぱいになった。
次はどこかな。
14時13分 / 第六十四番札所 荒田阿弥陀堂(阿弥陀如来)
玖珠町は数えるほどしか行ったことがないが、大分県という表記にはもちろん縁を感じる。
この集落も旅館はどこも寂れていてほとんどが営業していなさそうに見えた。コロナ禍がダメ押しとなったところもあるだろうか。経営側の高齢化も無影響ではないだろう。
福岡の屋台ですらエリアによっては失われた文化となっているので厳しい現状があったのだろうが、自分にはどうすることもできずに心が痛んだし、寂しくもあった。
64番の納経所は少し下った先の荒田屋旅館にあるので来たのだが、玄関が施錠されていて入ることができなかった。インターホンを押しても誰も出ないし、そもそも人の気配がない。
困った…どうしよう…忌中という張り紙があるがそれが関係しているのか…?しかし押せないと先へ進めない…。だがどうしようもないので、とりあえず同集落にある別の札所へ向かった。
14時21分 / 第二十六番札所 医王山薬師大寺(薬師如来)
巡拝図では有人納経所の目印である赤丸になっていた26番がまさかの無人で、64番について尋ねようと思っていたのに聞けないし、地元の人の姿もまったく見えない。この納経所から左へと回れば玄関があるのでインターホンを押して聞いてみようか…?聞いたってわからないだろうか…?どうしよう…本当に困った。
とりあえず再び納経所へと戻ってみることにした。
やはり開いていない。納経道具はすぐそこにあるのに、押すことができない。介護用具などは見えるが、完全に留守か。いや、このハプニングは予想していなかったな。
困り果てたが、この札所だけ空白というのはあまりに悔しいので、篠栗観光協会に電話をかけてみることにした。日曜だったが15時までは受付しているようで残り30分でギリギリ繋がった。
電話には女性が出てこちらの要件を伝えると、以前にも同じ問い合わせがあったとのことで、「4つある引き戸のどこかは開いているはず」と言われたが、どう頑張っても4つとも開けることはできなかった。
電話の向こうにもう一人いた女性にも代わりつつ応対してくれたが、結局今日は葬儀?で留守にしているからどうすることもできず、解決策として「もう一度そちらに登っていかれるようでしたら、管理をしている方の電話番号を教えますので、登る日に電話をしてご在宅か確かめてから登ってみてください」とのことだった。
はい。そういうことで、この64番は納経ができていません。奥の院に登るためにまたこの集落を通る予定で本当によかった。危なかった。
でも、例えば県外等遠方から来ていて、この場所を訪れるのがその日限りの人もきっといるだろうし、せっかく全部を回ろうとしていたのに一箇所だけ押せないというのはちょっと酷いんじゃないか。
以前にも同じ問い合わせがあったということは、忌中に関係なくこの状況が起こり得るというわけで、今回の自分たちと同様にガラス越しに諦めるしかなかった人たちが既に存在するはず。問い合わせという声を上げずに沈黙のまま泣く泣くその場を後にした人も少なからずいるだろう。
守堂者の方が皆素晴らしい方たちばかりだからきっとここまで特に問題なく来られたのに、これはちょっと納得できないというか、腹を立てているわけではないけど、あまりに残念すぎた。
別にお堂に置いててくれればいいのにな。そうしているところはいくらだってあるんだから。家の中に置いて鍵を閉めたらそりゃどう頑張っても押せないよ…。いや、どうにかした方がいい。絶対に手を打った方がいい。せっかく篠栗を訪れた人たちを無下にするようなこの状況は。
どういう事情なんだろうな。きっと高齢者なんだろうけど。おそらく現在は営業していないが創業100年以上の旅館みたいだし、管理が疎かなのに、納経所の権利は渡さないという可能性もゼロではない。何もわからないけどね。
とにかく、次に来る際に電話を掛けなければいけないという手間が増えたし、そもそも電話を掛けたところで同じ結果になりやしないかという不安も拭えず、モヤモヤを抱えたまま集落から下りていくことに。
まあ、仕方ない。自分たちに落ち度はない。気持ちを切り替えて行こう。
遠くに見えているのは香椎のアイランドシティと玄界灘かな。
へんろ道を下っていると猿のような鳴き声が聞こえてきて、え…怖…!と怯えていたのに、近づいてみるとボウケンノモリささぐりというアウドドアパークで遊ぶ子供たちの声だと気付いた。いや、人だったんかーい!まあ、一番怖いのは人間って言うしね。
同施設にあるCafeの森五感レストランベイベリーはこの日の道で唯一の飲食店だったので、もう少し手前にあったのならそこで食事を取っていたと思う。予想通りお昼には着けなかったからおにぎり等を用意していたわけだけど。
14時55分 / 六十八番札所 岡部神恵院(阿弥陀如来)
こちらは平成8年に放火被害からの御本尊焼失という悲劇が起こった寺院で、現在の建物も仮本堂のままになっている。
15時4分 / 第四十六番札所 岡部薬師堂(薬師如来)
ひたすら道を下り続けていたら自販機を見つけ、「自販機あるやん!自販機が!」と大きな声で喜んでいたら、山の方から急におじさんが現れて2人でかなり驚いて、驚かせたことに気付いたおじさんが「ごめんなさーい!」と謝ってきたので3人で笑った。
そのおじさんが休憩していたベンチ。遍路ではなく、多分若杉山からの帰り道だったはず。
見つけた自販機が右。アミノ酸系のドリンクだと思っていたのに間違って炭酸水を買ってしまったのは自分。
15時15分 / 第十番札所 得度山切幡寺(千手観世音菩薩)
篠栗霊場で最も仏像が多いのではないかというくらい本堂の中にも外にも並んでいた。本堂周辺には願い事ガチ勢の3,40代くらいのお姉さん3人組がいた。仏様もあんなに願われたら困るだろう。
ほぼ隣にある次の札所へ。
15時24分 / 第八番札所 金剛ノ滝観音堂(千手観世音菩薩)
滝のそばにはいつも不動明王。終盤に差し掛かった体には滝の水しぶきが気持ちよすぎた。
金剛の滝#遍路 pic.twitter.com/i6wNII1G8K
— 末宗凌 (@SuemuneRyo) June 5, 2023
アサデス。という福岡の朝の情報番組で、地方タレント西田たかのりがKBCの女子アナと一緒にホークス優勝祈願で滝に打たれている写真という絶対福岡佐賀の人にしかわからない写真。
鷹鷹鷹!
え…ここ下るの…?無理じゃない…?と思ったら、
違いました。こちらでした。
15時38分 / 第三十八番札所 丸尾観音堂(千手観世音菩薩)
鯖大師懐かしいな。ってかもう七年も経つんだもんな。あの頃二十三歳だった自分は三十歳になった。右も左もわからず飛び出してひたすら歩き続けた日々は大切な思い出として記憶には残り続けているけど、この七年で自分がどう変わったかはあまり考えたくない。
まあ、亡霊のようになりつつも、浮き世を彷徨い今も歩き回っているんだから、まだ本物の亡霊にはなっていないということだ。生きているよ。まだ生きている。そして誰しもがそうであるように、自分も死への道を歩んでいる。何にも変わっちゃいないさ。
少し先の道を左へ曲がって41番か…?
いや、ここを曲がるんだ。
わんちゃんを散歩させているおじいさんが見えた。そのわんちゃんたちの毛かな。
可愛くて懐っこい犬で、ハアハア言いながら寄ってきたから、もふもふすることができた。
しかし二匹とも何かに興味津々で道路から落ちやしないか…大丈夫か…と気にしていたら、おじいさんが「あいつらはダメ、俺と一緒でボケようけん」と自虐ネタを唐突にぶっ込んできたので爆笑した。
14歳くらいの犬らしい。面白いおじいさんは「その道曲がったらいい、道はちょっと悪いけんど」と道案内までしてくれた。
薪割りをしている家をいくつか見かけたが煙突はどの家にも見当たらなかったので、焚き火に使うのかな。
こんな風に。
緑。
15時57分 / 第四十一番札所 平原観音堂(十一面観世音菩薩)
納経所は反対側の民家にあった。家の中ではご近所さんたちの談笑が繰り広げられていた。
16時4分 / 第二十三番札所 山王薬師堂(薬師如来)
実は山王薬師堂という名のお堂は本日二回目。篠栗霊場全体では三つの山王薬師堂がある。
結構下りてきたな。今日の残りもあと僅かだ。
札所はあったが有人の納経所がある近くの寺院を念のため優先することに。
なんだ、映えてるぞ。もしや…
音が聞こえてきて、すぐに確信へと変わった。ここが風鈴のお寺か!と。
16時20分 / 第六十一番札所 子安大師山王寺(大日如来)
きっとこれを読んでくれている人ならわかるだろうけど、車で来て映え回収してはい終わり、というのとは完全に別物な感情がある。
長く歩いてきて、この光景がこの日を締めくくるクライマックスかのように目に入るからこその感動があった。
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風が吹くたびに短冊が揺れ、無数の風鈴の音色が響いて、とても綺麗だったし、癒やされた。時間が遅くほとんどの観光客が帰った後という状況もよかった。
よくわからないポーズ。
定期的にシャボン玉が発射される機械まで設置されていた。音を入れちゃうと機械音で味気ないのでシャボン玉は写真のみにした。
くぐりたぬき。もう今日の終わりも近いので調子に乗っている。
本堂には青く光る水晶のようなものまであって、ちょっと寄せすぎな気はしたが、まあ、あの手この手で客を呼び込むのも生き残る手段か。
大師堂で預けていた納経帳を受け取る際に除菌シートを頂いた。全員に配っているのかもしれないが、これもお接待として受け取ろう。ありがたや。
素通りしていた先程の札所へ。
16時40分 / 第七十三番札所 山王釈迦堂(釈迦如来)
そして次がこの日最後の札所。
16時48分 / 第九番札所 山王釈迦堂(釈迦如来)
一つのアクシデントはあったが、まさかコースも数もここまで理想通りに回れるとは想像していなかった。三十五箇所も打てて一気に半分を超えた。素晴らしい一日になった。
最後は駅前でご飯でも食べよう。戸を閉めてから。
立派な建物は寺院ではなく天空会館という斎場だった。平成16年に閉館しているようだが。
夕方5時のメロディを聞きながら移動。まだ少し歩かないといけない。そして今が一日で最も日差しが強いという。
おやおや、67番様。午前中はお世話になりました。失礼します。
もしかしたら一日目を歩き終えたのかもしれないおじさん二人組が駅へと歩いていた。
駅前でGPSを止めて、「お食事処 港屋」に入った。18時までの営業なので少し急ぎながら移動してきた。
汗拭きシートで汗を拭いて、お手洗いでTシャツを着替える瞬間はそれはもう解放的。疲れはマックスなので早くお風呂に入ってごろんとしたい…という気持ちが一番だけど。
人気のちゃんぽんはもう具材がないようだし、せっかくなのでお遍路ごはんというメニューを頼んでみた。
食事を待っている間、2時間睡眠を思い出したかのように猛烈な眠気が襲ってきたが、食事が届くと幸せな時間に。普段は食べないものでも現在のような状態だとどれも美味しく感じてバクバク食べてしまうあの現象。
奥さんがとても優しい人でサービスもしてくれたし、最後に「とても美味しかったです、ありがとうございました」とお礼を言うと「あら、それはよかった!」と返ってきてお互い笑顔になれた。
その奥さんの旦那さんらしき人とお孫さん(赤ちゃん)とも少しお話をした。また山手には来ると思います。素敵なお店でした。
アイスコーナーでスイカバーを買って、電車を待ちながらそれを食べて、二日目はこれにて終了。
失われつつある母国の文化・風景を目にしながら歩いていると様々な想いを抱く。
自分が生まれる前から既に巡礼者という存在は減りつつあって、令和になり、もはや現代の日本人にはスマホだの何だのが欠かせず、神社や寺院・神や仏はもはや形骸化への一途を辿っている。
それでもまだ、今は、残っている。自分が生まれ育った九州の地でも、今こうしてその文化を通じて、地元の方との交流もできている。
“静けさと古の道”にももちろん良さはある。熊野古道だって似たような状況だったし、昔からの道を歩くというだけで楽しさは感じられる。だが復活を願ってやまない。車遍路なら多少はいる。だけど、歩いてこその仲間と出会えれば更に楽しい。
観光地ナイズドされている箇所が少なかったり、距離が短いゆえに冗長に感じることなく終始巡礼気分に浸れるところなどは、篠栗が四国にも負けていない部分だろう。魅力的な場所だというのは間違いない。断言できる。
うん、それでも、この先どうなるかは予想がつく。だからこそこの灯火が完全に消えてしまう前に、一人でも多くの人に足を運んで実際に経験してもらいたい、というのが本音だ。
次は一番札所南蔵院を中心とする南北の札所を回る。オリジナルのコースで篠栗霊場東側をひとまとめにしてみた。
区切り打ちはその都度巡礼の酔いが覚めてしまいそうだからと避けてきたけれど、続きが楽しみで仕方がないというのも悪くないな。
梅雨に突入してしまったので天気予報に焦らされながら三日目を待っている。