6月28日。
昨日天気予報を確認した際は、朝は曇りだったのに雨へと変わっていて、その後は曇りとなっている。
もう少し寝られたような気もするが、準備を着々と進めよう。みんなが寝ているからできるだけ音を立てずに。
それにしても今日は腰が痛い。日替わりヒーロー制度には断固反対。
昨日宿のご主人に貰った周辺マップを見て、徳島駅から1番札所へと移動するのに利用した高徳線が近くを走っていることに気付いた。戻ってきたのだと感じる。
この先(ある部屋から奥)は他の人が住んでいると言っていたけど、長期滞在ではないということは建物全体がゲストハウスではないということだろうか。
中年男性がいたので挨拶をしたらガン無視をされたグッドモーニング。住人だったのか、隣の個室の中華系の一員だったのかはわからない。
荷物をまとめるのは部屋では音が鳴ってしまうから、1階のリビングまで持って下りてくると奥さんが来た。鍵開けますねーと言われたのでもう出発すると思われてそうだから、すみません、まだ荷物の整理中で…と伝えると、大丈夫ですよ。ごゆっくりどうぞ~と言ってくれた。それから少し天気の話をした。
このときは家事をしている様子だったので、ゲストハウスの仕事だけじゃなく、子育てや家事も頑張っているんだなと感服した。
玄関の靴箱から自分の靴を取り出して、昨晩ティッシュを詰めるのを忘れていたことに気付いた。どうすることもできない。
もう支払いは済ませているから、出発の際に呼び出しボタンを押すべきか迷ったけど、お礼を言おうと押した。すると奥さんは一階から、旦那さんは二階から下りてきてくれて、ご夫婦でお見送りしてくれた。6時45分頃の話。
ありとあらゆる場所に人感センサーで自動で点灯と消灯をするライトが設置されていたりと、いろいろと設備が整っていて綺麗な宿だった。
ゲスト側については、話で盛り上がれる相手はいなかった。お遍路1人でもいればかなり違ったんだろうけど、今治でもプロブロガーの彼女が居なければだいぶ退屈だったろうからまあ仕方ない。前日には歩きで日本一周をしていて、突然84番から遍路をスタートさせた人がいたらしいが、それも縁の問題だろう。
36日目の朝。今日もまた歩いてゆく。
小雨が降っているが、ほとんど気にならない程度なので今は大丈夫。しかし体は至るところが痛い。特に腰が。
声は出さず会釈をし続けていたけど、やはり無視ばかりだった。しばらく経っておっちゃんが1人だけ返してくれたが、それ以降は昨日と同じ。子供から大人まで完全無視の高松市民。
今日の予定は87番を打って道の駅までだが、どこまで行けるだろうか。そして誰に出会うだろうか。
標識に徳島を見つけた。一周するということに魅力を感じる人々の気持ちがわかる。
うどんのお店はほとんどが10時から18時まで。食事のタイミングもあるし難しい。
ラブホは沢山あるのに挨拶文化はなしかと思っていたら自転車のおっちゃんが返してくれた。先程のおっちゃんも自転車に乗っていた。高松で信頼出来るのは自転車に乗ったおっちゃんだ。
その後また自転車のおっちゃんが挨拶をしてくれて、嬉しくなっていたら雨が少し強くなった。これは嬉しくない。
結願に近付くにつれリスペクトを感じるというのは、高松市では絶対にありえない。(別に尊敬されたいわけではないけど)
でもまあ、楽しくて日常とはかけ離れた旅の終盤で、冷たい現実に戻されるというのも悪くないかもしれない。生きていかなければいけないのは現実の中なんだから。
それはともかく、こういった高松市民の振舞いは、日本人だけでなく、もし外国人にも同じなら、今までとの落差でかなり失望するだろうし、印象も悪いだろうなと思った。上げて落とされるとはまさにこのこと。ここまでよく頑張ってきたね。あともう少し!頑張ってね。と言われるようになった直後にこれなわけだから。
それでも進むしかない。目指しているのは84番屋島寺。
大通りを外れて、瀬戸内海方面へ。
萩森さんや伊藤さんに教えてもらった現在は運行されてないケーブルカーの道を見つけたいのだが、通勤通学者は数え切れないほどいるけど、小学生ですら無愛想なこういう地域で道を聞くのも大変そうだ。
と思っていたら道案内を見つけた。でもどこだろうか。地元の人に聞けばわかると言われていたから地元の人に聞くしかない。
遍路マークはある。
悪天候ということもあって外に出ている地元の人は少なかったが、家の先にいた中年女性に(挨拶は無視されたけど)跡地はどこか聞いてみた。
詳しくはわからないのか、鳥居さんがなんとか言っていた。とりあえず方角は確認したので神社の鳥居を探して見つけた。
でもここに来てもまだわからなかったので、とりあえずケーブルカーなわけだからと上の方まで行ってみると、この神社でお参りを済ませたばかりのおばあさんがいた。会釈しても無視されたのだが、すみませーんと追いかけて尋ねた。
あちらに遍路道はありますけど…と言われたので説明すると、そんな道が?草生い茂ってると思いますけど…?と疑われたが、跡地まで連れて行ってもらえることにはなった。
その前に、とりあえずお参りしないと、せっかく良いとこに来たんだからと神社にお参りするよう言われた。わたしは毎朝来てると。お参りを済ませた後には、お賽銭入れるといいんだけどねともボソッと言われ、そりゃもちろんです…と思った。
これから案内をしてもらうのに待たされているからと急いだ自分が間違いだった。荷物を下ろして、レインカバーを外して、ベルトを外して、袋を弛めて、開いて、財布を取り出すという行程より人を待たせないということを優先した自分が馬鹿だった。(ご乱心)
地元の方に聞けばわかると言われていたのに、上がれるの…?と逆に質問されて、聞く人を間違えたかと正直感じていたし、不安にもなっていた。
しかし話しているとおばあさんの態度が変わっていったというか、お若く見えるけど?という質問に、23ですと答えると、この先の人生は明るいわ。そういう旅をするとね、心眼が変わるのよと突然それっぽいお言葉をいただくことになった。
そしてこの麓の駅まで案内してもらった。
少し進むと、送ってもらった写真の道と一緒だとようやく安堵した。おばあさんは下からいっとき見守ってくれていたので、何度か頭を下げて登っていった。
立入禁止のロープの先に
こんな風に、扉は必ずしめてと書かれてあった。暗黙の了解的な道なんだろうか。
多分このケーブルカーの道は遍路道より近道になる。階段は草が生い茂っているけど、レールの横は普通に歩けた。雨の日は止めたほうがいいかもと伊藤さんが言っていたのは枕木(?)が濡れて滑るからだな。
今は雨はほとんど降っていないが、草木に触れると水滴で濡れてしまう。
そしてずっと登り続けているので汗だくだった。登る前にタオルを出しておけばよかった。
こんな風に歩き辛い箇所もある。
巨大な蜘蛛の巣も。
なかなか終わりが見えない。
下からは選挙カーの声が届いていて、安倍政権安倍政権と繰り返しているのが聞こえていた。
肩が痛すぎるし、ずっと登りなのでキツいが、振り返ると眺めは素晴らしかった。
登り続けてトンネルが見えてきた。やっと終わりか。
山上駅に着いたが、この乗り場に上がるのも苦労した。
遍路道の方を歩いてないから比べようがないけれど、近道(約40分掛かった)だとしてもこっちにもデメリットはある。階段がないところは坂で斜めの状態で踏ん張り続けるしかないし、後半にあった古い木製の階段は腐って抜ける可能性があった。そこから山を滑落しても誰も助けてはくれない。
探検感は物凄くあって個人的には楽しかったが、普通に遍路道を歩いた方がいいと思う。要は立ち入り禁止になっているのには理由があるということ。
それにしてもひどく疲れた。次のお寺へは普通にケーブルカーを使いたくなった。
霧がかかった山の上。悪くない。
駅舎もこの廃墟っぷりだし。
もう長年使われていなさそうな喫茶店も味がある。
夜は怖いと思うけど廃墟に霧がかかるというのは画になる。
ここには実はトイレがあって、あまり使う人はいなさそうなのに綺麗で驚いた。トイレから出てくるとこれから行く道の先に2人の老夫婦がいて、こちらを見ていたのがわかった。道を間違えたんだろうか。
足が濡れていて、爪が痛む。髪を乾かしたり、しばし休憩を取った後、9時10分前にお寺へと向かった。
寒さを感じていた。汗を大量にかいた後だから特に。一応山の上でもあるし。
写真で写っている以上に霧が深くて、その霧の道はどこに出るのかがわからなかった。
展望台も途中にあったが今は真っ白で何も見えなさそうだったので寄らなかった。
何かが足を動かしている…猿でもいるのか!?と思ったらカラスだった。
そして84番札所南面山屋島寺。9時22分。
仁王門の先は公園のようになっていて、なぜかやたらとデカい猪おどしがあった。
こちらは四天門。
霧深い山上のお寺は参拝客も少なく静寂に包まれていた。
宝物館。源平合戦関連の寺宝も沢山展示されているらしい。南無八幡大菩薩。
本堂。本尊は十一面千手観世音菩薩。
大師堂。
稲荷社と見せかけて、たぬき。
納経所の軒下にいた猫。納経所のおじさんはかなりラフな格好をしていて、スーパーの安売りチラシを読んでいた。
カラス。
参拝客は5人程のグループの後は、中年男性1人、インテルのユニフォームを来た男性1人。その人たち以外は誰も来なかったし、その人たちとも接することはなかった。というより皆すぐに来ては去っていったので、霧の中で1人で過ごしていたようなもの。(ベンチがどこにあるかわからなかったので宝物館の軒下に座っていた)
9時半を過ぎている。次へ行かないと。
様々な伽藍があるし、どれもサイズが結構大きかった。良いお寺だ。ちなみに開基は鑑真。
各お堂を回って管理(?)をしているおばあさんに、ご苦労様です。お気をつけて。といった応援の言葉を沢山貰った。こんな風に応援してもらえるのもあと僅かだろう。
次は八栗寺。
今は赤くなかった血の池。
またまた廃墟。甚五郎というホテル。
景色が良ければ小豆島などが見えるらしい。景色が良ければ。
景色が良ければ。
後ろもまた廃墟でガラスが粉々に割られていたり、窓からカーテンが飛び出したりしていた。廃墟マニアにはたまらない場所なはず。(館内に入ってるブログもいくつも見つかった)
この先イノシシが出没しているらしい。さっきの猪おどしを持ってくればよかった。
爪は回復する暇がないのだろうな。一晩じゃ痛みが少し減る程度で、一日歩けば蓄積されていく一方。そうやってここまで来たのだろう。
下りていく。
この急な傾斜や滑りやすさを警告する注意書きから即ずるっと滑った。紐がなければ間違いなく尻もちをついていた。
階段の一段一段が泥濘みだったり、岩が転がっていたりと、想像を遥かに上回る劣悪な状態。
そしてこの通行禁止レベルの土砂崩れ。どこが道かわからないけど、文字通り根こそぎ木が持っていかれていて、土砂に階段の石までのみ込まれていた。
倒れている木を地面のすれすれの位置でくぐって通過した。
遍路中はいくつもの山を越えるわけだから、こういう土砂崩れに巻き込まれて命を落とすということが、現代でも起こり得るのだと改めて思い知らされた。
他にも滑る箇所があったり、蚊が多かったりとなかなか骨が折れる下山道。
ここは歩行禁止の屋島ドライブウェイを一瞬で横断する箇所。
そしてまた山道を下山。
菅笠を被ったお地蔵さん。昔話みたいだ。
いのしし侵入防止柵。ここで山道は終わり。
段差がまったくなくて、究極に下りづらかった坂道。
次のお寺はあの山の上だろうか。
下り道だったので爪だけでなく膝にも負担がかかっているのを感じていた。
でもそういえば釈迦が涅槃に至る前も食中毒を罹っていたよなと自分と同じく(?)健康状態が良くなかったということを思い出した。涅槃なんて自分からは程遠い場所にあるけど。
雨は完全に止んでいる。
神社の前で野宿の歩き遍路のおっちゃんとすれ違った。逆打ちということはこれから長い道のりだ。
小学校からリコーダーの音が聞こえていた。
肩が痛すぎて荷物を転がしたかった。
まだ高松市だがこの辺りでは挨拶はかなり返ってくるようになっていた。
市街地だと返ってこない理由は何か。それはきっと人が多いからだ。人が多いがゆえに挨拶をする対象が増えすぎて、逆に限られてしまうのだろう。
でも今になっても、された挨拶を無視する理由はわからない。別に無視されまくったということに遺恨を感じたりはしてないんだけど、小学生すら挨拶をしない状況と、田舎の元気に挨拶してくる子どもたちを鑑みると、人間の豊かさとは…と考えてしまう。
街中でお店がいくつも並んでいたりすれば、買い物も楽だし、娯楽だって困らないから便利だ。逆に田舎はそういった点では不便。
しかし人と人との繋がりならどうか。他者との繋がりが薄い街と濃い町。こういった違った環境で育つということ。心が豊かな人間が育つのは後者だと僕は思う。
もちろん田舎でも雰囲気が悪い町はいくつもあった。だから田舎だから良い子が育つというわけでもない。だがそれでも、歩いていて、地域ぐるみの育児というのはこの日本という国にまだ残っているのだと強く実感した。
とまあ、(正直失望していたから)なんかやたらと高松市に攻撃的になってしまったけど、考えてみれば各県庁所在地もそこまで変わらないかもしれない。徳島市は市街地を歩いてないし、高知市は遍路姿で街中を歩いた時間は短いし、挨拶も特に意識していなかった。松山も市街地では遍路というより観光客としての時間がほとんどだった上に、すれ違う人も観光客が多かったので比較は出来ない。
同じ市の中でも郊外や田舎の方では挨拶だけでなく、温かい言葉やお接待を貰ったりした。
うん、極一部のその県で最も栄えた地域が、その反映と引き換えに人情を失うってことにしとこう。都市部が悪いわけじゃないんだけど。
自分は遍路なのに…という気持ちがどこかにあるから気にしてしまっていたのだとは思う。九州でも関東でも関西でも街を歩いていて挨拶をするのは逆に不審者なのに。
バテたと表現していいくらいキツかった。昨日お接待で頂いたチョコを食べて頑張ろう。
疲労が溜まりすぎていたので、マルナカに寄ったらお店の前にちょうどベンチがあったので休憩を取った。
煙草を吸っていた歯がスカスカなおじいさんに話しかけられた。福岡というと大濠公園とか…といった具合で少し話をしていたら、そのおじいさんがどこかに行ってしまった。
と思っていたらまたすぐに戻ってきた。ビールを買ってきたのかと思いきや、千円のお接待をしてくれて、少しお腹が減っていたからどら焼き食べながらそのじいさんとまた会話を続けた。源平合戦の古戦場や平賀源内の生誕地について教えてもらった。天気は明後日は大雨らしい。明日までに終わらせないといけない。
再出発の際、駐車場でお遍路さん!と呼び止められ、おじさんから飴玉を沢山貰った。僕も6年前に通しで回ったんだよと言っていたので、先輩ですね!と返した。何日目?といった質問があった。
時刻は10時50分前、校外学習だろうか小学生が集団で歩いていた。
良き道。
遍路道。
学校の横を通る際に、小さな男の子を抱いた母親とおばあちゃんとすれ違った。その男の子がとても透き通った瞳で見つめてくるものだからバイバイと手を振った。母親は息子に口でバイバイと言わせようとした後に、満面の笑みで僕に挨拶をしてくれた。たったそれだけで嬉しくなるなあと心がとても温かくなった。
そびえ立っていませんか。
外観は老舗っぽいのに、値段は高くないという魅力的なうどん屋を見つけた。先へ進んだけど。
右へ左へと細い道をくねくねと歩かされた。
でももう大丈夫そうだ。
ケーブルカーの駅が見えてきたから。
ま、まあ片道だけだからと罪悪感を感じる自分に言い聞かせ、ケーブルカーに乗ることにした。アイスは買いたいけど我慢した。
いや、ケーブルカーの何が悪いんだ。乗ること自体も景色も楽しめるのに。
最高の位置ゲット。
出発すると不気味な古い歌が流れていて、その歌と走行音を聞くことになった。
乗客は1人でもいれば動かすらしいけど、このときは10人程いて、すれ違った車両にも7,8人は乗っていたと思う。
そして到着。
花壇とお休み処がお出迎え。
山上駅からお寺へたどり着くまでの裏参道は趣があって良かった。(ピントー!!!)
大師堂や多宝塔はすぐそこだが、表参道へ回ろう。
遍路道は車も通れる舗装道っぽかったから歩いても良かったなーとも思うけど、今日最後のお寺に間に合わなければ計画がズレてしまうので後悔は一切してない。
お迎え大師でちょうど12時。下からメロディーが聞こえていた。
五剣山の頂上からは讃岐だけでなく、阿波や備前など八つの国が見えるので、八栗寺はかつて八国寺という寺名だったらしい。
それではお寺へ。
鳥居と仁王門。
第85番札所五剣山八栗寺。5本の剣が天から降り、蔵王権現が現れて、この地が霊地だと告げられた空海さんが、再訪した際にその剣を埋めて開基したお寺。
迫力のあるお寺だ。本堂の後ろに見える五剣山の尾根がそれを演出している。
本堂。本尊は聖観世音菩薩。
大師堂。
わりとお年を召した女性2人組に話しかけられた。歩き?逆打ち?といった感じで。今日には終わる?という質問には、明日までには必ず終わりますと返した。
ケーブルカーが着いて新たな参拝客が来た。ある家族の若い母親は息子に、次のまんまん行くよ~と声をかけていた。お寺のことだ。
菩提樹の下で一休み。
前にも書いたが、一切手を合わせることなく写真を撮って御朱印だけ貰いに来る男性がこのお寺にもいた。完全にスタンプラリーだな。僕は別にいいけれど、お寺の人は良くは思わないだろう。
歓喜天を祀った聖天堂まであるかっこいいお寺だというのに。
次のお寺へ向かう。12時40分。
次の86番までは7km。舗装道なら大丈夫だ。ケーブルカーの発車音と警笛を聞きながら下りていった。
数は少ないが民家もある。
可愛らしい落書きですこと。
車遍路とならすれ違う。今日始めた方もいるだろう。
旅が終わってしまう寂しさから日常生活にまだ戻りたくないという気持ちはある。だがやるべきことをやらないといけない。だから戻りたい。旅を終わらたい。
急勾配でももちろん段差はないのでいちいちセルフブレーキで大変だった。スケボー遍路もありかもななんて考えたり。
まだ下り続ける。
下りてきた。野球部員がバッティングの練習をしている。
5.2km。まだまだ。
山へと登っていく2人の球児とすれ違った。挨拶をすると元気に返ってくるこの安心感。
突然噴水が上って驚いた。時刻も13時12分なんていう最高に中途半端な時間だったし、センサーでもあるのかと考えた。
まあ、どちらにしても、とりあえずハッピー。
役戸神社の辺りで、あれー、こっちでいいのかな…と迷っていたら、少し遠くからおばあちゃんが、違う!こっちの道!と指で教えてくれた。そして、志度寺でしょ?とそれからどう進めばいいのかも教えてくれた。
みんな挨拶してくれる。車の中からだってしてくれる。戻ってきた遍路の良い部分を再び感じられて、クライマックスに入ろうとしているこの辺りで言い表せないくらい清々しい気分になっていた。辛いことがあったとしても、こんな気持ちになれるなら、その辛さも感じた甲斐があった。
挨拶だけじゃない。沢山の親切も受け取った。そういった優しさにちゃんとお礼を言えている自分もなんだか嬉しい。
お墓の横の遍路道。
塩竈神社。
だいぶ歩いてきたつもりだったのに、まだ4kmもあるということを知ると少しウンザリした。もちろん歩くけど。
4引く1は3。まだ3km。
琴電志度線の塩屋駅。
歩き続けて、源平の里むれという道の駅に13時40分に着いた。ここで何か食べようかなと少し考えたが、のんびりしていると87番に間に合わなくなる気がしてやめた。
2.3km。
道端から物凄い速さでいきなり蛇がうねうねと出てきて焦った。
距離は縮まっている。
平賀源内旧邸を14時通過。
嘘みたいだと思った。自分がもうすぐ86番だなんて嘘みたいだと。
だがその直後に、いや、そんなことはない。一つ一つ歩いてきたから今自分がここにいるんだと気付いた。
見えてきた。きっとあれだ。
さあ、着いた。
手前のお寺自性院。
今だから出来ることがある。
第86番札所補陀洛山志度寺。14時16分。
本堂。本尊は十一面観世音菩薩。
大師堂。
ピントが合ってないがゆえに曖昧さを増す蝋燭の灯。
境内には気合が入っている先達さんが団体客に対していろいろと教えていた。まだ最初の方だからか、それとも熱意のある先達さんなのか。団体さんも皆ほぉ~や、へぇ~と話に熱心に耳を傾けていたのを覚えている。
自分がちらちらと見られているのは感じていたが、お参りが終わると話しかけられた。バスの逆打ちらしい。合点がいった。
納経所から見えた無染庭という枯山水。
ちゃんとした団体には納経専門のスタッフがいる。先程の先達さんも的確に指示を出していたし、これはいいツアーだ。
お寺側は御朱印と納経にそれぞれ担当があって、流れ作業のように別の人がしてくれた。あんなに白紙だらけだった納経帳もほとんど埋まった。
納経所から出ると、お手洗いを探していた方々に場所を教えた。納経所の中、手前にありますよと。
五重塔。
14時半だ。さあ、どうするか。
とは言っても、とりあえず7km先の次のお寺へ向かうしかない。途中のセブンイレブンに寄ってもいいな。
お寺を出た直後に新たな団体が来て、その中のめちゃくちゃ肌が綺麗なおばちゃんから、歩いてるの!?と本気で驚かれた。頑張ってねえと応援してくれたが、新鮮な反応だなと感じた。本当にビックリしているのが伝わってきた。多分歩き遍路を初めて見たんだろう。もしかしたら応援の言葉を貰うのはこれが最後になるかもしれない。
87番のお寺の名前は長尾寺。
さよなら志度寺。
またひたすら歩こう。
爪の痛みがいつものようにある一定のラインを越えて覚醒した。でも痛いのは今に始まったことではない。慣れっこの激痛を感じながら歩いていこう。
明日が雨ならこんなに旅の終わりを噛みしめる余裕はないだろう。しっかり前を向いて歩いていこう。
本来はスリップ注意のような類の情報が掲げられている道路情報の看板には、長尾寺7kmと書かれてあった。
セブンイレブンに寄ったのは15時。でもイートインもないし特に何も買わなかった。
再び外に出ると激しくはないが弱い雨が降っていたので、一応レインカバーだけつけた。エナジードリンクをこのぐらいのタイミングでいつも飲んでいたけど、このときはマッチがまだ残っていたから買わなかった。
うどん処麺喰(めんくい)が良い位置にあった。でもパス。
今日はもう20km以上歩いている。だがまだ10km程度歩かないといけない。
長行池横の道で女子大生くらいの2人がすれ違う際に挨拶をしてくれた。女子大生(仮)とすれ違うこと自体珍しいが、挨拶までしてくれるなんてもう珍しいでは済まない。
池の向こう側にはオレンジタウンという住宅地があった。やけに広かった。
駅まであるのか。
どんな暮らしっぷりなのだろう。
いや、まだ続くのかよという衝撃。
長尾寺まであと4km。そしてついに88番の大窪寺も標識に出てきた。20km、射程圏内だ。
のどか。
まだ結願してないし、というか志度寺の近くにあっても困る…。(でも開始直後の10番以内のお寺近くにもこういった店はあった。多分1番や88番より値段が安いはず)
世界で一番好きな果物だし、桃いいなーと横目に見ながら歩いた。旬はまだ早いだろうけど。
その飯田桃園の横にあった休憩所。
あと3.2km。いや、おかしい。もっと縮まっているはずなのに。それに15時40分という時間もマズい。ゆっくりしていたら納経が間に合わない。
道は合っているはずなのに長尾寺と書かれていないので不安になる。
この87番の奥の院玉泉寺を過ぎた直後、小指の裏に激痛が走った。
水が溜まっているのか、ヤバい…歩けない…と一旦止まらないといけないくらい痛かった。
それからは極度にペースダウンをしてしまった。どこか休憩するとこはないだろうか。手前にはちらほらとあったけど、このまま行くべきなのか。
それでも歩いて、歩いて、歩いて。
へんろはしの時点でまだ1.3kmも残っていて、16時8分。ベンチはあったが休憩している余裕はない。
長尾寺まで800m。このながお路に泊まろうかとも考えた。
下校中の女子中学生も男子中学生も挨拶してくれた。子供から大人まで挨拶をしてくれるという幸せ。その嬉しさと気合で残りを乗り切ろう。もうすぐだ。
そして16時半前に到着した。間に合って良かった。第87番札所補陀洛山長尾寺。
とりあえず荷物をベンチに置いて小休憩を取った。それからお参り。
本堂。本尊は聖観世音菩薩。
大師堂。
大きなクスノキ。
長尾寺は源義経の妾だった静御前が赤子を殺された後、母と共に訪れ、得度したお寺だと言われていて、実際に境内には剃髪した髪の毛を埋めたとされる塚もある。
境内には清掃をしていたおっちゃん以外誰もいなかった。お参り後にはそのおっちゃんと話した。今日はどこまで行くの?という寝床の話では、2kmぐらい進んだ先にコンクリの建物があると教えてもらった。そこにはトイレもあるらしく、利用するのは催し物をするときぐらいだから泊まれると。
納経所で納経代を払うときには疲れ切っていたのか100円玉が1枚10円玉になっていて笑った。
雨も降っているし、疲労も溜まっているし、ベンチに腰掛けて休んでいた。
体操をするおじさんが来て、その後お参りをしていた。蝋燭や常香炉を片付けていたのはおばさんだった。
雨が止まずに降り続けている。でも87番が終わった。この雨の音もあと一つだという事実の中では悪くない。
雨は止みそうにないので、17時10分過ぎにお寺を出た。次のお寺はもう結願だ。
結願まくら…。座布団…。
コンビニに寄って食料等調達した。3,4km歩いた先にヤマザキショップはあるんだけど、18時には閉まっていそうな気がしたので、明日の登山を終えて大窪寺に着くまでを想定した量を買った。だからさすがに重くなってしまったが、もう体感はあまり変わらないだろうと、ウォーカーズハイに期待することにした。多分ハイにはなれないけど。
だがこのときの自分には残りの距離を歩くための最強の思考があった。明日の今頃は結願後の高野山でくつろいでるさ、と。
17時半にコンビニを出た。レインウェアは着ていない。
コンビニで買い物をしていた際は感じなかったのに、今は空腹を感じながら歩いている。歩きながら食べられるものを買っておけばよかった。うどん屋などはもう閉まっている。
しかし、この道の先、山の向こうに結願が待っている。
カフェストホワイエという喫茶店の駐車場で待ってくれていたおじさんが雨の中大変やな。とおにぎりとゆで卵のお接待をくれた。
でもこのときの自分の対応をひどく後悔している。お辞儀をした際にビニール袋の中身を覗き込む形になってしまったから。そのはしたない行動を心から恥じた。嬉しいです!ちょうどお腹が空いてたんで!とでも言えればまた違っただろうけど。
あと1時間。長く苦しいだろうけど頑張ろう。この遍路旅の時間ももはや限られているのだから。
あと4km。
この旧へんろ道は通らずに県道3号線を歩いた。別に悪路とかではなさそうだから歩いてよかったかもしれない。後悔は一切ないけれど。
18時の夕焼け小焼けのメロディを聞きながら、歩きながらおにぎりを食べた。なんて四国の人は温かいのだろう。何度だって思い返そう。そのぬくもりで頑張れたという場面が今までも数え切れないほどあった。この結願への道もそうだ。
iPhoneカメラさんも疲れてピントが合わない様子。
この鶏舎は完全にホラーだった。ライトがまず怪しかったし、大量の鳴き声が異常に怖かった。
ひとりで歩いている。いろんな出会いがあったけど、今はひとり。でも寂しくはない。しんどいけど。
ここのコンビニ(例のヤマザキショップ)まだやってたのかと少し驚いた。ここで買ってもよかった。信用が足りなかった。
だいぶ歩いてきた。道の駅も近付いたはずだ。
最後までブレずに貫き通しそうなブレるという姿勢。
複数のコースがある。明日は女体山を越えるが、とりあえず今日の僕は直進して道の駅を目指している。
しんどいしんどいと思っていても何にもプラスには繋がらないから「しんどがらない。たのしく」と声に出して、楽しいことを考えようとしたのに、まったく思い浮かばず、気付いたら思い浮かばないどころか、長い間無の状態で歩き続けていた。ハッと我に返ってそのことに気付いたときはもう笑うしかなかった。純度100%の無心で歩いていた。
そして道の駅っぽい建物が見えてきた。
道の駅は奥だった。この黒い建物はおへんろ交流サロン。萩森さんからここに行って証明書か何かを貰えと言われていたが、閉館時間の16時はとっくに過ぎているし、明朝出発の際もまだ開いてないのだろうから寄れない。寄る運命ではなかったんだ。
18時47分到着。道の駅ながお。
牛乳から始めてご飯を食べたり、テントを貼ったり、着替えたりといろいろと一日の終りの作業を進めていたら、道の駅利用者の1人のおじいさんがここで寝るの?と話しかけてきた。雨で濡れないからいいねって。確かに軒下が広くて助かる。
靴下を脱いだ。右足より左足の方がふやけている。昨日水を抜いたのは右の小指だったか。どちらの足にも水が溜まっていたから処理をして抜いた。
爪のところは過去最大級に真っ赤に腫れ上がっていて、指が6本あるようだった。これでよくここまで歩いた。本当によく歩いてきた。
疲れた。打ち辛くなったiPhoneで今の気持ちを書いておこう。疲れた。
他にもいろいろと書きたいことはあったが、とりあえず疲れ果てていた。
でもかなり屋根が広い場所。枕は無いけれど安心して寝られる。
テントの中ではウシガエルの鳴き声が聞こえていた。ウシガエルの声もまた沢山聞く旅だった。
5時にアラームを設定した。
高野山にはいくつも宿坊があるがどれも高い。だからゲストハウスにしようと思った。高野山ならまた来る機会もあるだろう。そのときに宿坊に泊まればいい。