6月29日。
4時半起床。冷たいカレーパンとおにぎりを食べた。
旅が終わるような感覚はない。まだ少し道は続いているからだろう。
自分の体だけでなく、チャタリングをするようになったスマホを含む機械類もまた頑張ってくれた。
ここから先はもう遍路マークや道標だけで進めるだろうから、地図は不要と判断し、登山口付近の写真だけ撮ってバックパックの中に入れた。地図のスペース分空いた横のホルダーには自販機で購入した500mlペットボトルを入れた。2本体制。
多分雨は大丈夫だと思うのだが、念のためレインカバーだけつけて、仕事前にトイレや自販機に寄る男たちと会釈をし合って、6時14分出発。泥濘みは凄そうだ。
さよなら道の駅ながお。
カモメみたいな形の雲とダムもさようなら。

この爪の痛さも肩への重みも残り僅かだと思うと複雑だ。
現在の気温は20度。

歩いてゆく。



3匹の犬が道の先にいる。

近付いて吠えてくる系なら面倒だなと思っていたけど、おとなしい子たちで助かった。

1匹なんて道路を渡って遠くに逃げて、お墓の前にある木の陰に隠れていたし。

最後の難関、女体山越えへ。

山の方へ。

黒柴。



集落を抜けた6時半過ぎ、爪にもう激痛が来た。

イノシシ恐ろし。

5.7kmか。爪が痛いのにそんなに歩かせるのかと思う反面、名残惜しいというか、なんていうか、短いな。


道は開けていて、進む先に必ずあって、僕はそれを知っている。

たまに軽自動車が停まっているなあと見ていたら、ちょうどクリーム色の車の方へと男性が下の道から上ってきた。
挨拶をすると、こっち行くと川へ行けます、道は繋がってるんですけどね。と教えてくれて、それからお気をつけて。と道中の安全を気遣う言葉をくれた。温かい声で話す、優しそうな男性だった。ちょうど下りたところに田んぼがあったからそこで作業をしていたのだろう。


川の流れが激しくて、ちょっとした滝まであった。水量も勢いもなかなかのものだった。


道の真ん中に生えていた大きな竹になりそうなまだ細い竹。程良い段階で採るのかもしれないし、その前に邪魔にならないように抜くのかもしれない。

川沿いの道おしまい。

小雨が降ってきた。レインカバーをつけておいてよかった。

細い細い竹林。

かぐや姫はいなさそう。あまり太らない種類なのかもしれない。

状況が分かり辛いけど、木が折れて川へと垂れ下がっていた。

公民館みたいな小屋もあった譲波休憩所。


そこから更に進むと遊び心を感じる建物があった。何かはよくわからない。

過酷そうな状況で咲いている紫陽花。

こちらの犬は過酷そうというより可哀想だった。家に人が住んでいるようには見えないが餌は用意されていた。

残り4.3kmで舗装道から本格的な山道へと変わった。最後の頑張りだ。グランドフィナーレ、1人の大団円。




動物の被害に遭いやすそうな山の中の田。

あれ、また車道に合流した。



中間点…?

停止したら疲れるからね。うん、うん。爪痛いしね。うん、うん。



3.4kmからは車が本当に通れなくなった。


登っていく。

こんな道沿いにお墓があった。

あと僅かだという現実だけで、足を前に、上へと進める。


ウォーキングシューズでは辛い石の階段も登る。

ただひたすら、ただひたすら、登り続ける。

悪くない道。



横の茂みから獣のような鳴き声が聞こえてきて、何か絶対いる…と怖かった。鳴き声からして猿だろうか。いざというときは杖で対抗出来るように、蚊に刺されながらも慎重に歩いた。小さな木をなぎ倒したりと明らかにその生き物は動いていた。

そして見つけた。写真には多分写ってないが、子猿が数匹動いていて、親猿であろう大きな影もその奥に見えた。最終日に山猿を見ることになるなんて。(ひかる君と歩いているときに今木の上に猿がいたの見ました?と見逃したことはあったけど)

この太郎兵衛の案内のところで残り2.6km。ビビるほど進んでないなと感じた。
ちなみに太郎兵衛は里を荒らす山猿を退治した猟師のこと。今も昔も猿がいる山みたいだ。


いつの間にか雨が止んでいるような気がする。

88番の開基は行基菩薩。

また登山道だろうか。

まだ山頂まで1kmあって、大窪寺までは2kmもある。普通に恐ろしい。


それでも頑張ろう。

進み続けよう。



また車道に出た。ちょっとしたシャトルランみたいに山道と車道を繰り返し歩く。

8時過ぎ、ここから更に道が険しくなるらしい。


掲示板のすぐ先にあったベンチで休んだ。体を冷やさないためにほんの少しだけ。

現代的で丈夫そうな橋。

この辺りは本当に楽しかったのを覚えている。

写真はわけがわかんなすぎるけどこれは木の階段。山の中にある道なのに、ただの山道ではないことと、苦しかったけれど、その苦しさも今日までということ。目一杯楽しんでいた。

下の景色はよく見えないが、かなり登ってきたはずだ。

もう一踏ん張り。登り続けよう。

頂上まであと0.3km。それから先の道は下りなはず。

まるで砂漠のオアシスみたいな短い平坦な道。

息も切れ切れになって、膝に手をついたとき、目線の先にはミミズがいた。まったく動いてないから、生きているかはわからなかったけど、体は潤っていた。

前にもいないし、後ろからも来ない。すれ違う人もいない。誰もいない山の上。立ち止まれば自然の音と自分の荒い息遣い。

頂上までもう少しか。

いや、まだだ。まだ登らないと。

8時25分。もう少しで頂上なはずのに雨が強く降ってきた。だが木々の下だから影響も少なかったし、すぐに止んだ。

しかし待ち受けていたのはこのほぼ真上に登るような道。
見上げながら唖然として、これを登らせるのかよ…と信じられなかった。だがこれが最後の登り道だろう。

足の踏み場となる岩を選びながら登った。重い荷物を持っているから落ちそうだと不安になりながらも。

振り返っても木々の奥は霧で何も見えない。


登り終えて、やっと山頂だ…と思った。
だがそこからもまだ険しい登りが続いていた。最後の最後まで転がそうとしてくる。

遠くから見ると横たわった女体のようだから女体山と呼ばれるという説があるみたいだけど、登山道は完全にゴツゴツとした男体道。女性の体のようなゆるやかな曲線などまったくない。

手すりがなければ滑落しそうだった。

もはやクライミングに近かったが、こういった取っ手(ホールド)にも助けられた。存在も知らない誰かのおかげだ。

そしてようやく女体山の山頂に着いた。霧で何も見えないけど、いいんだ別に。失望はない。


悲劇の公家の娘が恩返しとして死後もこの地に尽くすと言い残し、その彼女を祀ったこの祠に雨不足の際に念ずると必ず雨が降ったらしい。

良い景色だ。自虐や皮肉じゃない。良い景色だ。

さあ、結願へ向かおう。時刻は8時38分。
上の場所のすぐ先には休憩所があった。あれ、ここが頂上かと思ったが、多分三角点のある展望台。
さあ、下ろう。立ち止まることもなく。
うん、予想はしていた。また登らされる可能性もあるだろうと。
ここからは林道を経由して大窪寺へと行く道もあるみたいだが、ここで林道を行くのはなんか違う気がする。山道を行こう。
幸運なことにわりとすぐに下りの道になった。
曇り空からの晴れ間が、木漏れ日として降り注ぐ。
下りの道をひたすら進み続けた。
あとどれくらいで着くのだろうと考えていたが、想像もつかなかった。
飛び出していた木の根に引っ掛かり転けそうになったが、杖が助けてくれた。
0.8kmか。怪我をしたりと様々なトラブルに遭いながらも歩き続けてきて、疲労の溜まった体ではまだ距離があると感じるが、1番札所から始めた四国を一周する長い旅は残り1kmを切ってしまった。
悪くない。
この道がそうであったように、蚊ではなく、蝶が舞う道もあった。
ここではまるで先導してくれるかのように白い蝶と一緒に下った。
9時だ。何気にバスの時間は気になっている。こんなに時間が掛かるとは。女体山を侮っていた。
奥の院は道中にあるわけじゃないのか。寄らないので奥の院がある方角を向いて小さく合掌した。
0.4km。
展望休憩所。しばらく休憩は取っていないがまだ進める。目の前に結願が待っているから。
最後の道も長く、着きそうなのになかなか着かなかった。でも近付いてるのは確かだということはわかっていた。
小鳥の鳴き声が聞こえていた。今まで聞いたことのある同じ種類の鳥でも、鳴いているのは別の鳥。
そして、車の音が聞こえだした。もう少し下りれば人の声と工事の音も聞こえてきた。
ついに終わる。
祠があって、
お寺があった。着いた。
9時17分。遂に辿り着いた。
下山の遍路道から境内にいきなり入ってしまったので、二天門を一度出てから、一礼して入り直した。
第88番札所医王山大窪寺。
すぐには最後の札所に辿り着いたということに実感が湧かなくて、呼吸を整えながら境内を見回したけど、言葉が見つからなかった。
とりあえず荷物をこのベンチに置いた。後ろにはずらりと並ぶ結願御礼の玉垣(?)
小雨の中お参りをすることにした。胸の中では何かを感じている。
本堂。本尊は薬師如来。
本堂の前にはおばちゃんグループがいて、終わり?と話しかけられた。私たちも終わったの、泣けてくるねえ。歩き?偉いねえ。君は大成功するよ。とありがたい言葉をかけてくれた。車でも大変だっただろうに。
工事音の正体は諸堂を改修している音だった。めちゃくちゃうるさかったわけでもないし、不快になったりはしてない。無事改修が終わることを願った。
参拝客はそう多くはなかったけど、始まりか終わりの人ばかりで、なんだかみんなの表情が素敵だと感じた。期待感か達成感に満ち溢れている表情。
石段の先にあった大師堂。
これは宝杖堂。結願した人々の金剛杖が納められていた。手前は原爆の火。
奉納されている大量の金剛杖を見ていると、巡礼者たちそれぞれの物語、想いについて考えさせられた。
納経帳を取りにバックパックを置いているベンチに戻ると、飴のお接待が置かれてあった。誰からかはわからないけど(多分おばちゃんグループの誰かとは思うが)素直に嬉しくて、感動した。
納経所(結願所)には先程のおばちゃんたちがいて、お参りと納経を済ませると、涙が出たと言っていた。僕も胸がジーンときて、達成感や感動をその場で分かち合える人たちがいて幸せだと思った。
最後は握手をして、お元気でと別れた。
終わったんだ。やっと実感が湧いてきた。両手を高く上げて叫びたくなるような高揚感はない。
木々に囲まれた山の中で耳を澄ませて聞く自然の音のように、静かな感動がただ込み上げていた。
境内を何度も見渡して、大窪寺を去ることにした。当然名残惜しい。四国参りは終わってしまったんだ。
さよなら大窪寺、そして四国の全霊場。
おっと、拾いますよ。
煙草の吸い殻もね。
拡大して読むには画素が足りないけど貼ってしまおう。
音の百選は杖の鈴込みでの選出。実際にこのときの僕が鳴らしていた音。
石段を下りてすぐ右にあったお土産屋さんのおばちゃんから、お接待するよ~と声をかけられて、そちらを見ると、バス乗るの?と聞かれて返事をした。すると、もうすぐ出るよ。あの女の人がいるとこから。と1人の女性が待っているバス停の場所を教えてくれた。
逆打ちにとっては最初の札所だから巡拝用品を売っているお土産屋さんが並んでいて、うどんやソフトクリームが食べたい気分だったけど時間がないのでやめた。
と見せかけて、いや、出発の10時まで5、6分あるからソフトクリームを食べようと思って、バス停に荷物を置いて財布だけ持ってうろうろとしていたら、さっきのおばちゃんが葛湯をお接待してくれた。結願した後なのにもういいのかな…と思いつつもありがたく頂いた。美味しかった。
そしてちょうど飲み終わったらバスが来て、乗り込んだら若い男性の運転手さんから、どこまで乗るか聞かれて、志度駅までと答えると運賃が200円だと教えてくれた。1時間近く揺られることに。
乗客は女の人と自分の2人。途中誰も降車ボタンは押してないのにピンポーンと鳴って、2回目が鳴った後に、あ…うちのバックパックがバスが揺れた際に押しちゃってた…と気付いて、すみませーん!バッグが押してましたー!!(照)と運転手さんに謝ってから、後ろを向いて最初に疑いを掛けられていた女の人に謝った。
ちなみにこの女性も多分遍路で、自分が謝った後に、おかあさん、ながおやろ?と運転手が聞いていたので長尾駅で降りると知った。
昨日自分が寝た道の駅で運転手が一旦トイレに行ったり、急ブレーキで荷物が前へぼとんと落ちて運転手さんに謝られるというようなことがあった。別に前の車が急停止したぐらい気にしなくていいのに!田中さん!と思った。
なんとも言えないけれど、最高の気分だった。まだ帰路には着いていないが、車窓を眺めて、目に入る何気ない四国の風景が、その一つ一つが歩き終わったんだという達成感を僕にくれた。
バスは昨日僕が歩いた道をあっという間に走り抜けていった。
乗車している間に高野山のゲストハウスを予約したり、アクセスを調べたりして、これからもまだ油断は出来ない忙しい移動になりそうだと思った。宿は18時チェックインにしたが大丈夫だろうか。お参りは明日になりそうだ。
介護施設に寄って3人の老人が乗ってきた。おじいさんとおばあさんが話しを続けていて、おばあさんが1人静かに過ごしていた。老人になってもきっと寂しいときは寂しいんだろうな。
汗をかいているから冷房が寒かった。だが着替えるわけにもいかない。まあそこまで大した問題ではないけど。
11時10分前に志度駅に到着した。運転手さんにお礼を言って降りた。
わりと大きめな駅なのに無人。
電車を待っていると、向かいのホームから線路越しに、定年退職しましたってぐらいの年齢のご夫婦から、どこから回られるんですか?と質問された。1番から回って終わりました。今から高野山ですと言うと、大変でしたねえと労ってくれた。
特急を選んだ。本数が少ないから普通電車でのんびり行こうという選択が難しい。まあいいさ、早く行かないとそれだけ高野山に着くのが遅れるということだし。
もう歩かなくていいという事実だけでニヤニヤしてしまう。頑張ったから終わった。苦しみに耐え、成し遂げ、解放された。
雨がまた降り出した。ホームでそれを眺めていた。
11時23分に徳島行きのうずしお9号に乗り込んだ。2両編成で2号車が自由席。やはりお遍路姿は注目を浴びるだろうか。これは帰り着くまで難易度がどんどん上っていきそうだ。
大阪からの帰りの夜行バスを予約した。やはり夜行バスは安い。
ただ景色を眺め続けていたので写真もほとんどない。別に美しくなんてない写真だけど、それでも自分にとってはこのときの感情を思い出せる重要な写真。
12時15分頃に徳島駅に着いて、すぐバス乗り場に向かったが、徳島港の南海フェリー乗り場行きのバスはどうやら1分遅れで逃したみたいだった。
ん…?あれ…欠航してる…?とまさかの事態発覚。なんと6月29日、この日まで欠航の便があって、ちょうど自分が乗ろうと考えていた13時25分の便が欠航となっていた。
えええ…と呆然としかけたけど、どうしようかと考えて、高速バスを使い大阪駅経由で高野山へ行くことにした。
ハプニングもまだあるか。まあ、(レイトチェックインの別途支払いは気になるが)今日までに宿に着けばそれでいい。
乗り遅れたバスに欠航を知らないまま乗ることにならなかったという意味では幸運だ。
大阪から高野山へ向かう方法を調べていたら、高野山・世界遺産きっぷという南海電鉄の切符の存在を知った。
だが先程大阪駅行きでチケットを買ってしまったので、なんばの方が良かったなと思い、待合室にいるスタッフに変更出来ないかと尋ねてみたら、運転手に伝えればこの切符のまま乗っていていいらしい。運賃も変わらず、終着はなんば駅の上にあるなんば高速バスターミナル。ありがたい。
バスに乗り込んで、おにぎりやカロリーメイトを食べていたらお遍路さんを見つけた。行きなのか帰りなのか。
そういえばこのバスで四国とはお別れか。いろんな想いはあるが、一言で言うなら、楽しかった。
気付けばあっという間に大阪に着いた。時刻は15時。
どこかは忘れたが繁華街で(多分阪急三番街)15分頃に自分以外は皆降りた。ハービス寄らずなんばに直行しますねーと運転手さん。電車の時間もギリギリみたいだから助かる。
なんばバスターミナルに着いて、エレベーターで2階まで移動。
窓口で例の切符を買った。電車の往復券だけでなく、2日間のバスフリー券や主要なお寺やお堂の拝観料2割引のサービス券も付いている。お得感しかない。
3分後発の電車だったがぎりぎり間に合った。うん、普通の乗客いるよねそりゃ。高野線とかいって少ないだろうと考えていたのは誰かなほんと。
でも高野線だからか、こいつ高野山行くんだなってのは一目でわかるみたいで視線は別に気にならなかった。いや、もはや気にしないメンタルを手に入れたのかもしれない。都会の無関心っぷりもあるだろうけど。
荷物を持ったまま立ちっぱなしもなかなか爪に来る。歩いてなくてもまだ試練は続くらしい。荷物を下ろすスペースもないし、網棚に上げるのは難しいし。
金剛駅からは空いて座れた。だが座席に腰掛けると吐き気を少し感じた。現実に負けないで!!というような問題ではなく、多分緊張が解けて、張り詰めていた神経が少し緩んだのだと思う。
橋本駅で乗り換え。
かっこよさそう。乗れないけど。
次は極楽橋まで。
17時前後の車内は高校生が多めだった。都市部から離れたことで乗客も減り、車窓が楽しめるようになった。
真田の赤い列車…。
紀伊清水で停車中に、よく何を言ってるかわからないおばちゃんに話しかけられたんだけど、多分この電車高野山に止まらないよと伝えてから、ああ、間違ってた。止まる。ごめんごめん的な感じだったと思う。ごめんごめんしか聞き取れなかったからわかんないけど。
座っていても爪がジンジンと痛んでいた。早く完治させたいものだ。(歯は何日も前から痛くなくなっていたので問題なし)
高野山へと続く町石道という参道の起点である九度山があった。ここからだと結構距離がありそうだなと調べたら約22kmあるらしい。遍路出発前は登るかとも考えていたが、今回は四国遍路を結願したことのお礼参りということでやめた。
電車は徐々に山奥へと進んだ。
高野下駅で10分近く停止していて、その間に菅笠のレインカバーについていた蜘蛛の巣らしき汚れを取った。
バスの時間を調べたら、奥の院口行きのちょうどいい便があった。だが迷う。今日中に奥の院には行きたいのだが、奥の院前で下りれば歩く距離も短くなるし、その分宿に着くのも早くなる。
それから考えた結果、雨がひどすぎなければ奥の院口から奥の院へと(2kmを)歩くことにした。 予想以上に早く着くようだからレイトチェックインのお金も取られなさそうだし。
電車がゆるやかに登山しているのがわかる。僕の代わりに登ってくれている。
上の写真より更に山奥の場所にも集落はあって、何日かでいいからちょっと滞在してみたいなと思った。だが電車の車窓で見るから珍しく感じるだけで、そういう場所は歩いてきたような気もした。
紀伊細川で1人高校球児が降りた。どんなところに住んでいるんだろう。駅しか見えなかった。下に道路があってその両端には家が立ち並んでいたりするのだろうか。
この車両の乗客はもう1人高校球児と(自分の真後ろに座っている)観光っぽい20代の女性だけになった。この女性は高野山まで行きそうだ。
そして紀伊神谷で最後の高校球児が降りた。それなりに広い車内に2人だけ。
極楽橋駅で高野山駅行きのケーブルカーに乗り換えた。一番前の席に座った。いよいよ高野山に着く。
着いた。
17時50分前高野山駅から出たら、各方面行き(大門か奥の院口)のバス運転手がケーブルカーからの乗客を待っていた。
そんな気はしていたけど、後ろにいた女の子は東アジア系の外国人だったので運転手や職員に宿の場所を聞かれて、結局同じバスに乗るように言われて、また一緒になった。
バスは進む。ただの観光とは違う不思議な感情。
バスに乗って車窓を眺めているだけで楽しかった。いくつもの寺院が立ち並んでいるかと思えば、公園やアパートなんかもあって、知ってはいたけど本当に山の上に町(宗教都市)があった。
僧侶が3人で集まって話していたり、普通の女子高生がバスが来るのを待っている光景もなんだか良かった。
奥の院口に着く前の刈萱堂で女の子は降りた。誰かと話したい気分だったが結局話さないままだった。
そして18時8分に奥の院口に到着。
この一の橋を渡り、弘法大師のいる奥の院へ。
一の橋から参るのが正式な参拝ルートらしい。良かった。
御廟への約2kmの参道は張り詰めたような空気を感じた。老杉に囲まれた場所の中で、お墓が無数に、両端に立ち並んでいる道は重々しく、その雰囲気はまさに聖域そのものだった。
戦国大名が多いが、皇室、公家のお墓もあるし、庶民が持ち込んだ小さな石塔もある。正確な数は把握されていないが、なんと20万基以上あるそうだ。
そんな道を、誰もいなかったので、たった一人で歩いた。日没前の常夜灯にお墓は照らされていて、空気はひんやりとしていたが、怖くはなかった。
弘法大師が休憩に腰掛けたと伝えられている腰掛け石。
あれほどまでに重かった肩がこの道を歩いていると突然、背中に羽が生えたように軽くなった。スピリチュアルクサくて嘘みたいだけど、本当に軽くなって、自分でも若干怖かった。こんなことが自分の身に起こったのはきっと初めてだったから。
善通寺であの夕焼けを見せてくれたのが弘法大師なら、歩いてきたことを歓迎してくれていたのだろうかなんて考えた。
奥の院はこの世とあの世が交錯する場所と表現されることもあるが、聖域に入っているんだということが自分自身も痛いほど感じられた。戦国武将たちがなぜこの地で眠りたがったのかがわかった気がした。
企業の墓所や、戦没者や震災慰霊碑等もあった。
赤ちゃんを連れた外国人家族3人とすれ違った。実に日本らしく会釈をし合った。
白衣を着ている遍路らしき方ともすれ違った。その人とはこんにちはと挨拶をしただけ。
それからは外人男性1人の後に、手を繋いだ日本人の今時な感じの若いカップルともすれ違った。観光もそりゃいるか。挨拶は男性の方だけ返してくれた。
あと430m。
徐々に日が傾いていく。
豊臣家の墓所は少し階段を上がったところにあって、行ってみるとひぐらしの鳴き声が聞こえた。
納経所は当然閉まっている。開くのは午前8時からのようだ。
そして御廟橋。もう意識が御廟のことしかなかったので、まともな写真は翌日に。
このお願いで書かれてあるように、弘法大師は死んだわけではなく、御廟で入定、永遠の禅定に入った(つまり瞑想を続けている)とされている。
その御廟がある橋の先は最も神聖な場所なので、写真撮影は禁止で、脱帽もしなければいけない。
そして御廟(正確には手前の燈籠堂)まで進んでいった。扉は開いてはいなかったが、静かに合掌礼拝し、1人きりで向き合って結願の報告をした。明日開いている時間に改めてお礼に来よう。
横にある建物はとても綺麗だった。荘厳な場所に沢山の赤い燈籠がある光景。
さて、ここから宿へ。とグーグルマップで宿までのルートを検索してみたが、マズいなと思った。グーグルマップの提示するルートではレイトチェックイン(19時以降)になってしまう。
今日中に手を合わせたかったから来たんだけど、どうしようか…と考えていると、奥の院の裏にあるような場所に車が来て、御廟近くで生活しているような雰囲気の20代後半か30代のお坊さんが降りてきたので、宿への目印となる奥の院前のバス停への道を尋ねた。
その方は丁寧に道を教えてくれた。お礼を言って、先程は通らなかったもう一つの裏参道を急いだ。
裏参道には古い無縁塚もあったのだが、比較的新しいお墓が多くて、正しい表現かは怪しいが、目を引く変わった形のお墓が多かった。
奥の院はお墓ばかりなのに(まだ明るいというのもあるけど)暗い感じがしないとても不思議なところだった。
宿はこの奥の院前からは徒歩3分。
想像よりだいぶ早く着いた。高野山ゲストハウスKokuu。小屋のような作りで、 想像以上に小さくて驚いた。
外人男性がフロントにいて出迎えてくれた。共有スペースにもいるのは外国人だけ。
英語は大丈夫かと聞かれて大丈夫と答えたら、その明るい外国人スタッフが近所の飲食店や高野山内のお寺のお勤めの情報などいろいろと説明してくれた。実はこの男性は以前福岡に住んでいたらしく、福岡のどこに住んでいたのか尋ねると姪浜と返ってきてなんだか面白かった。
コンビニは徒歩30分ほど掛かってしまうので、近くにあるとんかつ定というお店に行った。
店内にはお坊さん1人を含めた男性3人と、観光客らしき女性が1人いた。(今考えたら肉食だ)
とんかつ定食。
奥さんとその観光客っぽい女の子が隣の席で話していて、今って何時頃から明るいですかね?という流れで、どちらもわからないみたいだったので、4時半はもう明るいですよと話に入って教えた。
それからその女の子と話すことになった。名前はかほちゃんで、年齢は同い年、京都のゲストハウスで働いてるらしい。なんと同じ宿に泊まっているみたいで、僕がお店に入る頃にはもう彼女は食べ終わっていたから、また後でと別れた。
奥さんとも話した。歩いて回ったんですか?と聞かれた。奥さんも団体で歩いたことがあるらしく、四国の人ほんと優しいですよねって話から、柿をお接待でもらったときにこんな団体にくれるものなんて美味しくないんじゃないかと正直疑いながら受け取って食べたら、それが美味しくて、心が綺麗じゃなかったなーと反省したというエピソードを披露してもらった。
宿に戻ったら、イングランド人の女の子2人から笠似てるね!と話しかけられて、てっきりお遍路かと思ったら、ベトナムで買ったものらしい。2人でアジアを旅していると。
彼女たちはこれから京都に行くということで京都の観光情報には最強な(というか仕事の一部として慣れている)かほちゃんに相手を変わってもらって、自分はその間シャワーへ行った。
余談だが、面白いことは続くもので、かほちゃんはカプセル式のドミトリーで自分の下だった。
シャワーを浴び終わると、無料の紅茶をいただいた。下のはディナーやドリンクのメニュー。
日本人は自分とかほちゃんともう1人長い髭を蓄えた旅人感の凄い(興梠慎三似の)男性ぐらいで、他は全員白人客だった。小さな子供と夫婦という構成の家族が2組はいた。
自分が置かれていた写真集を眺め終わり、かほちゃんが日記を書き終わると2人で話をした。
1人で高野山のゲストハウスに来れちゃう子だから結構共感出来ることが多かったし、明るくて元気が良い子だったから楽しく話せた。
彼女はバドミントンを元々やっていて、今はトレイルなんかをやるアクティブな子。旅も好きで、カンボジアとかそういうアジア系は行っていて、今は世界一周やワーホリに興味があるらしい。
同じ年齢だからこそ、これからの将来の展望等もリアルだし、良い夜を過ごせたんじゃないかな。
消灯時間のギリギリまで話して、歯磨きをして、寝ることにした。消灯時間が22時半じゃなければもっと話し込んでいたと思う。
彼女は明日は御廟での朝のお勤めに行って、それから無量光院へ行ってとんかつ定食屋の奥さんに教えてもらった何かをするらしい。自分も御廟でのお勤めには行く。
コンセントの位置が高くて充電ケーブルにとっては辛かったけど、綺麗なカプセルだった。
明日は雨で大変そうだ。荷物を持って、笠をどうにかして、傘を差すのはなかなか難儀だがどうするか。
でも終わった。東寺で出発の挨拶をして、四国を歩き終えて、今は高野山にいる。お大師様にお礼参りをして、この旅を終わらせよう。
明日の今頃は夜行バスの中。終わりはあっという間だ。
いろいろと書きたい気分だが、でも寝よう。明日の歩きはきっと少しだけれど、朝は早いから。