11月7日、土曜日。
双子のシャンプーをどうするかと考えた結果、片方は完全な新品だったから、あわよくば使ってくれないだろうかと期待を抱き、置き去り大作戦を実行することに。
でもそれは迷惑を掛けただけっていう大失敗な結果に終わった。宿で見送られてからわりとすぐに電話がかかってきたんだけど、その電話は気付いたときには切れてた。あ、シャンプーのことだろうなとは予想はついたんだけど切れたからもう大丈夫かと思って昨晩も行ったコンビニに寄ってた。
そこで栄養ゼリー?を買って飲んでたんだけど、ご主人が車で現れて「シャンプー忘れてますよ」って。
もう本当に申し訳なかった。そして、なんて親切な民宿なんだ…と。
という流れで、産卵期のウミガメのような低姿勢で平謝りをするっていう出発になった。
置き手紙みたいな形にしとけばよかったと後悔した。
結果的にこれからシャンプーはあるけどリンス(コンディショナー)はないみたいな場面に何度か出くわすんだけど、まあ結局双子の片割れちゃん使わなかったよね。シャンプーだしその子。
はい、こちらが本当に素晴らしいおもてなしをしてくれる民宿美浜さんです。浜街道で宿をお探しの皆さんは是非…!是非…!(お詫びの宣伝)
今日からはもう交通機関は一切なしの完全に朝からずっと歩きっぱなしに。
宿の前の道をまっすぐ歩いていると道標を発見。
この形の道標はこの先もいくつも設置されてるんだけど、表に熊野街道と書いていて、片側には伊勢までの距離、その反対側には新宮までの距離が書かれてある。
この道標が距離の目安となるけど、まだまだ先は長いから特別モチベーションが上がることはない。(むしろ前半はまだこんなにあるのか…と逆に下がるかもしれない)
阿田和橋の先辺りから浜辺を歩くことに。七里御浜の長いこと長いこと。
道の駅「パーク七里御浜」の手前で先程まで歩いていた国道42号線を渡って、一度道の駅で飲み物を買った。
浜街道はこの国道42号線から浜側に出たり、一本内側の道に続いていたりするんだけど、国道を歩いていることが多かった。国道の方が海に近いとはいっても、防風林があるから海がいつも見れるわけじゃないし、もう少し内側の道、もしくは浜辺を歩けばよかったなと今では思ってる。
それにしても、ここ御浜町はみかんだらけ。道路沿いにある家の半数以上はみかん農家なんじゃないだろうかと思うほどのみかん畑、みかんロードが続いていた。
そしてだいたいどの家も無人販売みたいな形で袋詰めされたみかんが100円で大量に(まれに500円でもっと巨大)売っていて、和歌山に近いとはいえ、三重にこんなみかんどころがあるとは知らなかったから驚いた。(御浜町自体、年中みかんが取れる町として売ってるっぽい)
昨日買った分がまだあったから自分は買わなかったんだけど、もう気分は爆買いしたかった。(山登りの休憩で食べるみかんは本当に美味しい)
なぜか個人でやってるみかん無人販売の写真がない。なぜだ。
そして熊野市に入って、花の窟神社へ到着。
花の窟神社は日本書紀にも記されている日本最古の神社の一つで、伊弉冊尊(イザナミノミコト)が軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んだ際に灼かれて亡くなった為、この地に埋葬されたとされている。名前も「花を供えて祀った岩屋」が由来。神社というよりは墓所。(実際神社として位格が与えられたのは明治時代)
この神社も神殿はなく、ご神体は巨岩。巨岩から大綱が渡っていて、その長い綱に扇が吊るされているのが印象的。
イザナミの魂を祀る為、今も例大祭としてこの土地には花が咲く季節に花を飾ったり、歌い踊って祭りを行うみたい。
「はなのいはやは神のいはやぞ うたえ子ら うたえ子ら」という謡が伝えられているらしい。
個人的に今回の旅で(熊野三山と神宮は除いて)絶対に行こうと決めていた二つの神社のうちの一つ。(神倉神社も含めたら三つになるけど)
お参りの後は御朱印を書いてもらった。
からの獅子岩。この辺りで小雨が降り出して微妙に困った。完全に降り出したらポンチョ着るんだけどなあって。結局そう続かずに止んだから助かった。
最初の峠である「松本峠」へ。
鬼ヶ城は少し前の台風の影響で通行止め区間があるから残念ながらスルーした。
そしていよいよ峠越え開始。
登り始めてすぐに、土曜ということもあってか楽しそうなハイキンググループとすれ違った。山では皆自然と挨拶をするけどやっぱり気持ちいい。
峠には背の高いお地蔵さんがいるんだけど、この地蔵は設置初日に妖怪と間違えられて鉄砲で傷付けられたという伝説があるとかないとか…。
江戸時代の石畳が綺麗に残っている道を下りる。
下山を終え、大泊へ到着。
次なる峠である「大吹峠」へと進む。
大吹峠登り口へ到着。熊出没注意の注意書きに震えながらも峠越え開始。
写真はブレてるけど、熊野古道には猪や鹿から田畑を守る為の猪垣が残っているとこが沢山ある。昔の人々の生活の跡を見ると感慨深いものがある。猪落としもあった。
峠前のベンチでバックパックを下ろして休憩を取ることにした。
そこで山と自分の呼吸音に気付いた。傍にいた小鳥の鳴き声だけでなく、トンビの鳴き声やキツツキが木を突く音も聞こえていた。
このベンチに腰掛け、何をするでもなく一人でただ過ごしていたら、かつてここを歩いた巡礼者達、でも今はこの世にいない人達が、この場所を通っている姿が見えたり、その人達の足音が聞こえてくるような気がした。もうこの世には存在していないのに不思議だなと感じた後に、でも僕は今を生きてるということに気付き、いつかは消えるにしても、僕も足跡・足音を残せたことが嬉しいと心から思った。未来の巡礼者が僕の足音もきっと聞いてくれるだろうから。
中華系のスポーティーなカップルが来るまでここでのんびりと休憩してた。
そして大吹峠に到着。
かつて栄えていた茶屋跡があった。熊野古道には茶屋跡がいくつもあるんだけど、その跡地を見る度に今も残っていたらなあと思わされる。山の中でお茶やお団子が振る舞われていたなんてどう考えたって素敵だ。
そして下りて峠越え完了。波田須側の登り口に到着。
次は波田須の道へ。
やあ、猫 → 猫ぉー!!!!
残念ながら徐福茶屋は土日がお休み。ここのテラスでお茶でも飲みながら自然の景色を眺めるのは気持ちよさそう。
ちなみに徐福さんは不老不死の仙薬を求めて中国からやってきた方。(仙薬は見つからなかった模様)
仙薬はないけど、波田須って町は海と山の間に民家や棚田が点在していて、いい感じの田舎町だった。(この町に惚れ込んだシンセサイザー奏者が開いたカフェもあるみたい)
波田須神社にお参りしてから、波田須の道を歩く。
峠とか山とか名前に入ってるコースばかりだから、道って書いてるとなんか楽そう…!と当然予想するわけだけど、平坦な道ってわけではなかった。
距離は短いけど、熊野古道の中でも最も古いと言われている鎌倉時代の石畳道が残されているのが、波田須の道の魅力だと思う。
と言いつつ、波田須の道はどこが道なのかよくわからなくて、結構困った。
僕はトンネルを歩いたんだけど、そのトンネルを抜けた先の建築現場で、釣りの?おっちゃん二人組が山の方から出てきて、あれ自分道間違ってる…?と不安になってたら、片方の人から歩いてるのかと聞かれた。そうですと返事をしたら、どうせ歩くならこんな道ではなくて~という話になって、今自分が歩いてきた方を差して、本来の熊野古道が見れるから行ってごらんと。いや、そっちから来たんだけど…と思いながらもそちらを見ると、熊野古道の目印である幟を発見。
ええ…?どういうこと…?トンネルの上に道があったの…?と戸惑った。でもまあ逆走になるけど、行ってみようと。
この幟のとこからの道は、上のトンネルの写真の左にある階段に繋がっているわけではなくて、結構長く続いていた。っていうか完全に熊野古道だここ…。となるような雰囲気の道があった。
この道を進んでいると、西行松の看板があって、その先に突然民家が現れた。
自分がいったいどこで道を間違えたのか知りたくて結局全部戻ったんだけど、集落が見えてきて、これで波田須の道は終わりだと思って民家の下にあった国道へ下りたのが間違いだったっぽい。道が続いているとは思わなかった。
洗濯物干してたりするもう完全に人が住んでる集落の横?裏?に道は続いていたらしい。
歩き直したからいいんだけど、全然わからなかったなあと正直道を間違えたことに落ち込んでた。(簡単なネットの地図しか用意していない自分が悪いんだけど)
この日の行程も終盤に差し掛かって、疲れてたってのもあるだろうけど、道を間違えるのはやはりショック。これ以前にも間違えてるとこはあるし、この先も間違えるんだけど、出来るだけ本来の熊野古道を歩きたいってのは素直な気持ちとしてあるから、まあいっときへこんでた。
伊勢へと歩いていることには変わりはないんだけど、時間が許す限り間違えてもその間違いに気付いたら歩き直してみた。
でも歩き直すということはその分疲れは溜まる。疲れてると道を間違えた自分への落胆もその分大きい。今考えてみれば、伊勢に到着するまでは、肉体的な疲労だけでなく、そういう負の感情も結構溜めていく旅だった。
まあ、それも修行の一つだと捉えるのはありかなとは思う。実際、歩き直すか…や、また登るか…の一歩を踏み出すのって精神的になかなかのものだから。
そうするしか選択肢はなかったけど、今来た道をもう一度戻って、今日の宿がある新鹿へと進んだ。
釣りのおっちゃんには本当に感謝したい。 伊勢方面へ向かう人にはわかりづらいとは思うんだけど、教えてくれてなかったらそのまま進んでた。おっちゃん、次の釣りは大漁になることを願ってます。
そして新鹿へ。
道を間違えたは間違えたけど、今日の到着は早く、三時過ぎに「民宿みさき」に到着。
宿に着く頃ちょうど雨が降ってた。
今日も感じのいい奥さん(若いおばあちゃん)が出迎えてくれた。
はまち(部屋の名前)からのオーシャンビュー。(ベイだけど…)
到着直後の浜辺と雨が降り出してからの港。
とりあえずシャワーを浴びて、洗濯をした。
食事は6時頃にお願いしたんだけど、部屋にスピーカーがあって、6時前に学校の放送のような感じで食堂に呼び出されて、なんかノスタルジックだった。(基本的にコンビニもスーパーもなさそうな地域では食事付きで泊まるっていうのがこの旅の宿泊スタイル)
夏は海水浴客で賑わうような町がこの旅では続く。でも今は11月。その日の客は自分の他は釣り客のグループだけだった。ちょっと寝るとき騒がしかったけど、彼らがその日釣ったであろう魚をテントの下で食べてるのは楽しそうだった。
この日も早めに、三日目の起床の為に 二日目の就寝。
ちなみに旅の間は8時には眠たくなって、だいたい10時までには寝て、5時には起きるという超健康的なサイクルで過ごしてた。
快適な眠りには快適な疲れが必要なんだと思い知った。