11月9日。
山が近いおかげで窓を開ければ朝霧が見れるという気持ち良さ。
天気予報は雨だけど、まだ降ってはいない。
朝食も美味しゅうございました。
準備を終え、そろそろ出るかと少しストレッチをしていたら、一瞬腰に激痛が走って心配になったけど、その一瞬だけで痛みは消えた。あれは何だったんだろう。
宿賃の支払を済ませ、荷物を取りに戻ってから玄関に向かう。するとご近所さんが世間話をしに来ていた。会話に少し混ざりながら靴紐を結んで外に出ると新たなご近所さん、というかお隣さん?。この隣の人は夏場だけ民宿を開いていると言ってた。
油屋のお母さんに本当の熊野古道があるけどどうする?って尋ねられたからもちろん気になって教えてもらうことに。
平安時代から熊野古道はあるわけだから不思議ではないんだけど、どうやら今通られてる道(車道がある道)はかつては海だったらしく、本来使われていた道を教えてくれた。宿の奥にある道を真っ直ぐ行って、沓川(くつがわ)を渡ったら左に、というわりと大雑把な感じだったけど、わからなくなったらそこらへんにいる人に聞いてみてとのことだった。
説明受けている間もお隣の奥さんから喋りかけられ続けていて結構カオスな状態だったけど、お礼を言ってから歩き出した。
そろそろ誰かに尋ねたいと思いつつ、なぜか人がいなくて聞けないまま歩いて、川と橋を発見。
橋の先で焚き火のようなことをしていた男性に挨拶をしたあと「この道を行けば八鬼山に行けますか?」と尋ねてみたけど、まあ正解だった。その男性は去り際に、今日は雨が来るで。と注意してくれた。
標高はそんなに高くないけど、どっしりと待ち構えてる感がある。
そして西国最難関と言われる八鬼山越えへ。
かつては狼や山賊が現れて巡礼者を大変苦しめたらしい。その為かこの手の看板が地権者によって設置されていたんだけど、これを置くことでいったい何のメリットがあるのだろう。
先祖が苦しめられた場所を世界遺産みたいな華やかな場所にするなとか、林業が出来なくなったという不満があるんだろうけど、正直こういう類の抗議方法は効果が薄いし、その地を楽しむ為に来た人々へ不快な想いをさせるだけだ。
道中の木々にもペンキで目立つように落書きされていたりしてその点は残念だった。まあいろんな人がいるから仕方ないけど。
事前に調べていたから落書きの存在には心構えが出来ていたけど、何も知らない人がいきなりこういうのを見たらそれはショックだろうなと思う。
気を取り直して、歩きます。
江戸道と明治道の分かれ道。
明治道はあまり整備されておらず危険らしいし、江戸道は世界遺産にもなっているから江戸道を歩くことにした。
結構急な上り坂が続く。階段状に整備されているとこが多くてその階段の急さがなかなか応えた。登山の疲れって足を持ち上げる動作で一番溜まると思うから。
十五郎茶屋跡で最初の休憩。
木々の間から覗く雲海を見ながら、鳥や鹿の鳴き声を聞きながら、みかんを食べるという至福の時間を過ごした。
この辺りで何か小さい動物がいる…!と気付き、静かに観察していたら正体はリスだった。木を駆け上がる野リスの可愛さはさすがに癒される。
リス可愛かったなあなんて思っていたら熊に遭遇。
「あ……終わった………………」と本気で凍りつく。
いやまあ、ただの折れた、もしくは切られた木だったんですけどね。
眼鏡兼サングラスさんをかけていなくて、おまけにお疲れ状態だったからもう完全に熊に見えて死を覚悟した。
でもこの先に動物の足あとがあって、しかもそれ熊っぽい形の足あとだったりしたから、熊出没注意って至る所に張り紙されてるけど、絶対にこの辺りの山に棲息してると思う。ご注意あれ、ご注意あれ。
さくらの森広場という展望台に到着。ここで山を越える流雲、人々が住む下界()を言い表すことのできない感情と共に一人で眺めていた。
強い雨が降り出してきたから東屋があって助かった。ポンチョを着て再出発。
この案内図はさくらの森広場の尾鷲市街側にあるんだけど、この辺り蜂が恐怖を感じるほど沢山飛んでいたから、近道は使わずにぐるっと遠回りした。
秋を感じながら、頂上を目指す。
実はちょっと通り過ぎていて、少し先の案内を見て頂上への登り口に気付いた。
眺めを求めるなら先程のさくらの森広場が良さげ。でも達成感はここにある。
下山を初めて間もなく、荒神堂に到着。
1300年の歴史がある八鬼山日輪寺のお堂である荒神堂には西国三十三カ所第一番札所の前札所として多くの人が参拝したらしい。
荒神茶屋ってお茶屋さんがあったらしいけど、今は当然開いてないし、お堂も普段は閉まっている。
茶屋跡の少し上にはお墓が沢山あった。山賊を退治した山伏、万宝院の墓も近くにある。
ここには井戸っぽい水飲み場があったんだけど、水量が少なくて、おまけに詰まっているから飲める状態ではなかった。
その水飲み場の上にある岩にはそれぞれ一体ずつお地蔵さんが載せられていたのが印象的。
下ります。相変わらずブレまくり。
山の中の霧はいつも神秘的。一時的に喉の渇きも癒える気がする。湿度が上がるとかそういう理由だけではなく。
烏帽子岩と蓮華岩。
やっと水が飲めそうな場所を発見して飲んでいたら、30代か40代ぐらいのご夫婦が反対側から登ってきた。奥さんの方がクマ対策の鈴を付けていて、歩くたびにリンリンと鳴っていた。
前日も前々日も誰もすれ違わなかったから久しぶりに人と出会った感じ。
さっき挨拶する為に水を飲むのを中断していたから、少し下りたとこにもまたいい感じに水が流れているポイントを発見できて良かった。
八鬼山天然水を無料で入手。
難所・七曲がりへ。
さすがに難所だけあって、困難な道。でもこれを登るより、三木里からの階段状の道を登るほうがキツいと思う。
難所の八鬼山である最大の難所の七曲がりを制覇。
これでホッと一安心と思いきや、この橋の上がめちゃくちゃ滑って、ほんの一瞬だけど9秒間滑り続けるアメリカ人のgifみたいになって一人で爆笑してた。まじかよと。
八鬼山に限らず白いふわふわしたものが山の中で飛んでることが何度かあったけど正体は未だにわからない。この下山時は蚊だと思うけど飛ぶ虫に一時追いかけられてたのも思い出す。
とりあえず石畳の道は雨に濡れていて滑るというのは仕方がないから、滑ってもこけないように注意して歩いていた。
樹齢300年の檜の大木がある駕籠立場。ヒノキは大き過ぎて写らない。
尾鷲市街が見えてきた。
大きめの石が敷き詰められていた道を下った先に、石畳道の説明があった。そこで噂のごっとん石の存在を知らされたけど間違いなく通り過ぎている。
戻って、どこだろう…?と下を見つめながら入念に探すけど見当たらない。不安定な石はいくつかあるけど、うーん…見つからない…。もう先進んじゃうか…と思って、なんとなく上から左端を歩いて下っていたら足元から、ごっとんという音が鳴った。んんん!!!いま!!!って振り返ると、普通に目印ありました。はい。
本当にごっとんって音が鳴るし、なんか楽しくなって20回くらいごっとんごっとんさせちゃいました(照)
現代的な、余りに現代的な。
ハートの落ち葉。
そして、ついに八鬼山制覇。
とても楽しい八鬼山越えだった。古道を感じられる石畳のような道だけでなく、きちんと山として存在しているというか、登山感がしっかりとあるから、疲れはその分溜まるけどそういった充実感も楽しめた理由の一つ。
尾鷲節の歌碑。尾鷲という町は昔から林業も漁業も盛んな町で、特に港町では花柳会が栄えていたらしい。そういったお酒の席やお祭りで歌い踊られていたのが尾鷲節とのこと。
ここには「ままになるなら あの八鬼山を 鍬でならして 通わせる 」と、八鬼山を隔てた三木里の庄屋の娘と矢浜村の宮大工の弟子の悲恋を歌った歌詞が刻まれている。
雨は降り続けているけど、巨大な石油タンクや笹の木の横を通って、人々が住む細い通りを抜けて、熊野古道センターへ向かう。
八鬼山を歩いているときからヒノキの良い匂いがしていたけど、この熊野古道センターも尾鷲檜で建築された荘重な建物。
写真左側が交流棟で、右側が展示棟。初めに交流棟に少し寄ってポンチョを脱いでから、展示棟へ。
展示棟の受付にいたおじさんと目が合って会釈をしたら話しかけられて、こちらへ下りてきたならご夫婦とすれ違わなかった?と聞かれた。
ここ数日は遠くから来た人(北は北海道から)が多くて、今日は埼玉からご夫婦が来られたんですよと。
見覚えがあったから「もしかして30代、40代ぐらいのご夫婦ですか?」と返したら、そうですそうですと。
「鈴を付けて歩かれてた夫婦とならすれ違いましたよ」
「ああ、その方達だ。鈴はここで奥さんが買っていかれたんですよ」
という風に会話が進んだ。何時くらいにすれ違いました?とか無事で良かったって話されてて、僕に対してもゆっくり見ていってくださいねと声をかけてくれて、優しい人なんだなと感じた。
今回の旅では時間の都合もあってあまり博物館や資料館には寄れてなかったけど、ここでようやく寄れた。
常設展示は、熊野古道についての歴史やその地域の自然や文化等が紹介されていて、熊野古道についての知識も一層深めることが出来た。
ちょうどこの日は企画展「雨のまち 尾鷲気象物語」という日本でも有数の雨の町である尾鷲の気象を中心に様々な展示もしていた。虹を展示物として見たのは初めてかもしれない。子供たち向けの豪雨災害への啓発ビデオもあったり、実用性を保ちながら飽きさせない展示の仕方でなかなか良かったと思う。
交流棟では、眼鏡をかけた女性がとても親切にしてくれた。
ちょっと会話をしてから、地図を頂けることに。どんな地図だろうと思ったら、伊勢路の峠や山のコースの地図と、峠から峠の間を細かく記した「熊野古道伊勢路図絵 (新・平成の熊野詣)」というイラスト地図をくれた。
そして、実はここの上に温泉もあるんですよと教えてくれて、気になってますと返したら、傘持ってますか?と聞かれて、まあ持っていなかったんだけど、忘れ物の傘があるんですけど良かったら持っていってくださいと。センターから温泉へ向かうとき、濡れているようなので風邪に気を付けてくださいねと温かい言葉で見送ってくれて、なんて優しい人なんだと胸を打たれた。
人から優しさを貰うと本当に心が温まる。ど、どんな雨に!濡れていたとしても!
坂を歩いたらすぐに夢古道の湯に到着した。ここ夢古道おわせには温泉だけでなく、ランチバイキングや古民家カフェもあるというかなりの充実っぷり。
受付の一番若い女の子が不慣れなのが原因だと思うけどなんか無愛想に感じたけど、とりあえず600円を払って中へ。
いつもどうなのかわからないけど、とりあえずこの日の男風呂は人がめちゃくちゃ多かった。正直最初の10分くらいは間違いなくキャパ越え()だったけど、歩き続けている中どこか温泉でも入りたいなと思っていたから、純粋に気持ち良かった。
温泉は珍しく海洋深層水が使われているらしい。伊勢路の前半は自販機の13割がダイドーで、自然とmiuを飲む機会が多かったから、今思い返すと海洋深層水祭りだった。
温泉には外人がいて、入っているときにその違和感に気付かなかったけど、タトゥーが思い切り入っていたのが違和感の正体だった。まあどこからどう見ても白人だったからOKだと思う。多分。
温泉に来るとその温泉から上がった後も楽しい。
からの~?
大満足。
悪くないキャッチコピー。
いくら最難関の八鬼山とはいえ、一日に一コースだけってのは完全にプランニングミスだと思っていたけど、熊野古道センターとこの温泉という組み合わせは極上の結果オーライだった。昨晩調べてセンターに行くことは決めてたけど、温泉まであるとは知らなかった。
逆に歩いていると、普通に歩いている人が迷わないでいいところも迷うから、余計に疲れて、そのことで少し後悔を感じていたけど、こんなことがあると悪くないやん?と思える。位置としては普通は八鬼山越えの前にここがあるわけだけど、八鬼山を越えて温泉に入れるってのは伊勢へと進む者だけが味わえる最高の瞬間だ。
激しい雨が降る中、宿へ向かう。寝間着に使っているジャージを既に着ていたから跳ね返りが気になったけど、傘のおかげでポンチョを着なくていいのは本当に助かった。登山中も着ているものを温泉上がりに着ちゃうとやっぱりあれだし、あれだし。
そして、「民宿紫山」に到着。
玄関に入ってから何度も呼んでみたけど全然誰も来なくて、どういうこと…と思っていたら、お外にインターホンありました。ありました。
ちょうど玄関でお風呂上りの男性が露出度高めの状態で部屋がある二階へと上がろうとしてて、なんか自分が来たのに躊躇ってたんだけど、男の子だから大丈夫よね?とおかみさんが聞いてきたので、大丈夫ですよ。と返した。さっき温泉でいろいろと見てきたばかりだし()って話もしたら「夢古道に行ってきたの?それは良かったね」と言われた。ちょうど横(下駄箱)には、その夢古道おわせのパンフレットかポスターが確かあった。
素泊まりだったからその場で支払も済ませて部屋へ。
事前に「うちはお仕事で来る人ばかりだけど大丈夫ですか?」って聞かれていたから知ってはいたけど、本当に労働者って感じの人ばかりだった。だからといっ て別に何にも困ることはないけども。
ただ隣の部屋の人がドア閉めないで煙草吸ってたから廊下に煙が届いてたのが少し気になった。
でもおかみさんは親切で、これ静岡の美味しいお茶だから是非!って持ってきてくれたり、何より宿代安いし、良かったと思う。
一息ついてたらすっかり暗くなってしまった。
とりあえず夕食を食べようとコンビニを調べた。一番近くのとこで往復30分かかるようで、おまけに雨だけど、食べなきゃ明日が大変だから行くしかない。でも駅の方へ行こうと歩いていたらなんかスーパーを発見した。そりゃそうか、コンビニもある街だし、というか尾鷲市街っていうくらい街中なんだからスーパーもあるかと。ちょっと思考が麻痺していたかもしれない。
そこで焼きそばやオムライス等を購入。旅のときは結構調子に乗っちゃって大目に買っちゃうけど、エネルギー補給という意味ではまあ多すぎるぐらいで問題ないかな。
帰ってきたときにちょうどおかみさんに会って、センターで傘を貰ったけど明日以降は~って相談したら、そこに置いていっていいよと。感謝。
デザートの大内山のアイス。まあ冷凍庫はないから先に食べたんだけど。
これがセンターで貰った伊勢路図絵。
正直熊野古道を歩く平成の巡礼者たちのバイブルと言ってもいいかもしれない。山の中ではまあいろいろと目印はあるから、「あれ、この分岐はどっちが正しい 道なのかな?」ってことはあっても、道に迷うことはほとんどない。特に熊野へと歩く人は皆無だと思う。(迷われても困るだろうし)
だけどどうして も、峠と峠の間の町中を歩いているときとか、なんとなく方角はわかるけどどう行っていいかわからないって場面が多々あって、これ最初から持っていたらもっと楽に進めたのに…と嘆きたくなるような「いやいや…なにこれ……わかりやすーwww」って笑いが出るほど細く載っている地図だった。
まあ案の定これも熊野方面へと 歩く人向けに作られているから、僕にとっては反対向きの説明ばかりだし、平成の伊勢詣を示したものって注意書きがされていて、昔の街道を忠実に表したものではないと注意書きがされていたから(どうせ歩くなら昔の道が良いみたいな願望があった)翌日からもうこれに頼りっぱなしってわけではなくて、本当に困ったときだけ頼ろうというスタンスだったけど、数日後にはバックパックのペットボトルホルダーにこの本をくるっと巻いていつでも取り出せるようにして歩くようになっていた。それくらいこの地図には助けられた。(ちなみにこの本には路線図や宿泊情報なんかも細かく記載されている)
こ熊野古道センターの存在だけではなく、出発前に宿を探しているときに尾鷲市のホームページはずば抜けて見やすいなあと感じていたけど(今日の宿もそのHPで見つけたし)、とりあえず尾鷲市はベスト熊野古道シティに認定したい()
山も宿も丁寧に説明・紹介してくれて当たり前という王様観光者でいるのはもちろん無礼だけど、やっぱり色々とわかりやすく整備してくれるととても助かる。
この日、貧を知ることで豊さを知るというか、マイナスではなく、ゼロの状態を知ると、いかに自分が沢山のものを無意識のうちに与えられているかというのが知れるなと感じた。とりあえず、生きていられるってのは素晴らしいことだとも(徐々に精神が悟りの境地へとry)
歩きながら、雑念が消えていくわけではないけど、抱えた問題のそれぞれのポイントが減っていくような感覚もあった。
おやすみ、八鬼山を越えた伊勢路四日目。