熊野古道 伊勢路の旅 十日目

11月15日。
目覚ましが鳴る2分前に目が覚めた。今日はわりと遅めの5時31分起き。
まだ外は暗かったけど、荷物を持って一階まで下りると、今から外宮に行ってきますという中年女性が下りてきた。それから持っていたパンを朝食として食べていたら今度は中年男性が下りてきてヨガを始めた。
少し空が明るくなるのを待って、正面玄関はまだ開いていなかったから、6時15分頃に裏口から宿を出た。
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ほとんど誰もいない参道。
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早朝参拝。
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静寂に包まれている神宮。
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御正宮。この時は変態は現れずに、落ち着いて豊受大神と対面出来た。
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土宮から神職の方が出てきた。その光景は美しくてどうしても写真を撮りたくなる。
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外宮参拝終了。
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そのまま内宮へと向かう。歩きもこれで最後。予定は2時間。
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真っ直ぐだけど、右側に進めと書いてあるように見える。反対側に左側を指してる外宮という文字があるからこれは直線の距離目安なのだとわかるけど。
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柿の木にとまるカラス。
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猿田彦神社には七時半前に到着。着いた頃はちょうど神職の方が大勢集まって掃除をしていた。七五三だったので境内も七五三関連の置物が多め。
猿田彦神社は猿田彦大神という道拓きの神を祀っている。内宮から近いということもあるけど、人生を良い方向へ導いてもらおうと多くの人が参拝している神社みたい。
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走ってんのかよというブレっぷり。
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本殿の前には八角形の方位石がある。自分の欲しい運によって触り方を変えるらしい。例えば人気運なら「寅→午→戌」といった具合に。
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猿田彦神社の本殿に向かい合うように佐瑠女神社が建ってある。この神社は日本最古の踊り子(岩戸隠れの際に神々を笑わせ天照大御神に天岩戸の戸を開けさせた)と言われていて、芸能の祖として芸能人もよくこの神社にお参りに来るとのこと。
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猿田彦神社を去り、内宮への道を近くの学校の部活動生と歩く。
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そして内宮に到着。夢にまで見たこの光景は五十鈴川に架かる宇治橋。
ちなみにこの鳥居はかつて旧正殿の屋根を20年間支え続けてきた棟持柱が再利用されている。このように遷宮で生じる古材は可能な限り再利用されていて、摂社や末社の造り替えに使われたり、全国の神社に無償提供されていたりする。
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皇大神宮(内宮)は言わずと知れた天照大御神を祀る神社。正式名称は伊勢神宮ではなく、神宮。
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20年間で一億人の人が渡るという宇治橋を僕も渡った。
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日の丸。風がないから靡いてはない。
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まだ時間も早めということもあり、人は少なめで静かな参道。玉砂利を踏む自分の足音が心地良い。
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神苑と呼ばれる日本庭園。神鶏というニワトリが放し飼いにされてるらしいけど姿は見えず。
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火除橋と一の鳥居。
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手水舎。五十鈴川が増水しているらしい。
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本当に増水していた。荒ぶる五十鈴川御手洗場。
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それでもやはり美しい。紅葉が舞い落ちては流れて行く。
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神楽殿。神宮の巫女さんってなんだか特別な感じがする。
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御正宮手前にある巨木。いったいどれだけの人がこの木を見て、そしてこの木はどれだけの人を見てきたのだろう。
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杜の中。左は御贄調舎といい、お祭りの際にお供えするアワビを調理する儀式が行われる。
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そして御正宮。
日本人の総氏神だとか皇祖神だとか様々な書き方は出来るけど、この場所にあまり説明の言葉はいらない気がする。石段を登り、純白のとばりの前に立てば、なぜ古から多くの日本人が一生に一度は…とここへ来ることを夢見てきたのかがわかる。
僕にとっても、長い旅路の果てに、ようやくこの場所に来られたことで、今まで抱いたことのない特別な想いと出逢った。
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御正宮への参拝を済ませ荒祭宮へ歩いていると、曇り空が青空に変わったのを覚えている。
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荒祭宮。御祭神は天照坐皇大御神荒御魂。荒魂というのは神様の持つ荒々しい側面。対するのは和魂で、荒魂を和魂に変えようとお供え物をしたり、儀式を行ってきたのが神道の信仰の源らしい。
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太平洋戦争中にアメリカ軍の空爆がここ神宮にもあったみたいだけど、焼夷弾は神域には落ちず五十鈴川対岸の山に吸い込まれていったとのこと。神風だ。
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四至神。社殿がない神社で、神域の守護神。四至神は外宮にもある。
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外宮の10倍の広さがあるだけはあって背の高い木々が沢山存在する。こんな大きな杜がある神社なんてかなり限られているだろう。
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風日祈宮へ。中年のカップルが仲睦まじいを越えたイチャイチャっぷりで、うん、この場にはふさわしくないと思った。多分夫婦とかじゃなく、付き合いたてとかそっちの類なんだろうけど、こういう場所ではね、うん。
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風日祈宮橋を渡る。あまりこちらには人が来ていない様子。
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風日祈宮。名前の通り風の神様が祀られている。元は農業への風雨をもたらす神だったらしいけど、元寇で神風を起こしたとして日本の国難を救う神としての信仰の対象になった。
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神宮の参道を歩くということ。青空なのに木の葉が揺れると雨粒が落ちてくる不思議な時。
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神楽殿で御朱印を書いてもらったけど、巫女さんが書いてくれた。御守りを購入する際も巫女さんが対応してくれて、女神の元で女性が働く姿はとても輝いて見えた。

餐膳所。
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参拝者の休憩所である参集殿。カラスが横を飛んで、屋根の上に来た。
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自分が撮っていたら中国人団体の中にいた女の子もここに撮りに来たんだけど、中国人観光客ってまあわりと騒がしいイメージなんだけど神宮にいた中国人は静かにマナーを守っているように感じた。伊勢に来るぐらいだからきちんとした人達なのかもしれない。
まあいろんな人がいるわけだから、騒がしい中国人が来ることもあるだろうけど、この日はさっき書いた発情する中年カップルや放屁しながら呪文のように何かをお願いするおっさんのおかげで日本人の方が参拝マナーは悪かった。残念だ。
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9時過ぎ。これからのツアー客で反対側の参道が埋め尽くされている。日曜だったけど早めの参拝だったから落ち着いてお参りが出来て良かった。早朝参拝が吉らしい。
ふと、ええじゃないかの頃のお蔭参りを想像してみた。日本国民の5分の1が一年で(しかも数ヶ月の間に)ここに来ていたなんてと。
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神宮司庁。奥には大山祇神社と子安神社がある。
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宇治橋を渡って神宮を去る。
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こちら側を見ると五十鈴川は荒ぶっているように見えるけど、
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反対側は落ち着いて見える。まるで荒魂と和魂のよう。
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日の丸に靡いてほしいと思うということ。
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神風。
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これで形としては熊野古道(参宮道)伊勢路は終わりかな。もう少し旅は続くけど。
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写真のちょうど後ろになるんだけど、テントを立ててボランティアの方々が車椅子の方の参拝をサポートするという取り組みが行われていた。素晴らしい。
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モノトーンな猫を発見。この辺りの木陰には猫が沢山いた。
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車椅子サポートの子らに可愛がられる。
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おう。
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おはらい町。石畳の道の両端には切妻造の建物が立ち並ぶ。
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ファミマも景観を損ねていない。太宰府天満宮のスタバのよう。  
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有名なおかげ横丁。食べ物屋やお土産屋が立ち並んでいて、昔からの賑わいを感じる。さすが伊勢。
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伊勢に来たら絶対に行こうと決めていた赤福本店へ。
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箱に入っているのはサジ(ヘラ)で食べるけど、本店の「盆」はこうしてお箸で食べる。昔はお餅が食事だったからその名残。
もうこしあん大好きだから最高に幸せだった。伊勢茶も美味しくておかわりを貰った。
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五十鈴川を見ながら食べられるという良い席に座れた。
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そして赤福ぜんざいを本店の向かいの別店舗で食べるという赤福のはしご。ほぼ満員の客席を見て気付いたけどこっちでも「盆」は食べれたらしい。
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まさかのお茶の再登場でこの短時間で三杯も飲んだよね。うん。
冬の間は本店でも赤福ぜんざいを出すらしい。夏の赤福氷もいつか食べたい。
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本店の横にあるこの橋に早朝から大勢の人が並んでいるのをテレビで見たことがある。(最後尾は橋を越えて対岸まで)
伊勢には古くから、毎月一日にいつもより早く起きて、無事に一ヶ月過ごせたことを感謝し、新しい月の無事を大御神様にお祈りする風習「朔日参り」があって、朔日参りの為に来る客に作り始めたのが朔日餅。その朔日餅は(元日を除いて)毎月違う商品が用意されていて、一日には必ず大行列ができる。全部食べてみたいと思うほどどれも美味しそうなのが困る。
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続いて、伊勢うどん「ふくすけ」に。
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めちゃくちゃ柔らかくてびっくりするよと紀勢荘のおかみさんから聞いてたけど、福岡のうどんを食べ慣れている自分にとっては特別柔らかいとは感じなかった。
どうやら味は不評らしいけど、個人的には嫌いじゃない味だった。
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神恩太鼓。週末・祝日に叩いているみたい。
叩き終わった後は神宮の方を向いて揃って二礼二拍手一礼(確か)をしていた。
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おかげ横丁は時間がお昼に近付くにつれ徐々に人が増えていって、道を人が埋め尽くしていた。楽しそうなカップルや家族連れが多くて観光地だなと強く感じた。
一つだけ心残りを挙げるなら、「おかげ座 神話の館」に行けば良かったと思っていること。
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バス乗り場の横には地下道が。
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五十鈴川沿いを少し歩いてみた。
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そして向かった先は月讀宮。
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4つの社殿が立ち並ぶ。小さいけれどその姿は壮観。まずは月讀宮。
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月讀荒御魂宮。
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伊佐奈岐宮。
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伊佐奈弥宮。
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御朱印を書いて貰ったけど、こちらではキレられなくて良かった。
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入ってきた方とは逆側から出た。こちらが表みたいだけど。
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御幸道路に出た。朝、外宮から内宮へ歩くのはこの道を通っても良かったかもしれない。御木本道路を歩いたことを後悔しているわけではないんだけど。
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五十鈴川駅。内宮の最寄駅。
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五十鈴川駅から出たであろうバスとすれ違ったけど、乗車率180%あるんじゃないかってくらい乗客が大量に乗っていた。ここにも人が沢山。
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駅の近くには結婚式場があって、ウェディングベルと司会?の声が届いていた。
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雲行きが怪しい。とりあえず結婚おめでとう。
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賢島行きの2両編成の電車に乗って志摩方面へ。
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なんだか眠たくてうとうとしながら電車に揺られていた。
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乗客は鳥羽でほとんど全員降りた。鳥羽駅ではスペースワールド()で見たことあるようなマスコット?ゆるキャラ?がいたけど、こいつかなり悪ノリで、やたらと一般客に絡みまくってた。
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上之郷駅でまったく同じ目的の人2人(中年の男性と女性)と一緒に降りた。
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歩き旅だったし、当初の予定にはなかったんだけど、電車で少し離れたここまで来たのは伊雑宮にお参りする為。
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この伊雑宮に来たことで、神宮の正宮・別宮は全てお参りすることが出来た。
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伊雑宮。御祭神は天照坐皇大御神御魂。
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御朱印を集め始めたからより来たいと思ったのかもしれない。というのも伊勢の神宮は正宮、別宮、摂社、末社、所管社、全て合わせて125社あるんだけど、その125社のうち御朱印が貰えるのは7社だけで、ここに来るまでに既に6社で御朱印を貰っていたから、今度の機会にということにするには少し伊勢は離れているし、どうせなら全部で貰いたいと思ったのは嘘ではない。
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落ち葉が降った後の池。小さいけど綺麗。
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ちょうど境内にいるときに12時の音楽が鳴った。写真は御田。
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これで今回の旅の参拝は全て終わり。
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女性と2人で電車を待った。男性はどこへ行ったのだろう。早めに参拝を済ませて一つの前の電車に乗ったか、近くにある佐美長神社に行ったのか。
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大阪へ向かう。
五十鈴川駅で乗り換える際に、鳥羽線の上り(名古屋・大阪・神戸・京都方面)に乗る為に上りホームで電車を待っていたんだけど、一部は下りホームからの乗車になっていて危うく乗り遅れるとこだった。

車窓の景色を眺めながら旅の終わりの気分に浸る。
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乗り換えを繰り返す。
途中車窓から斎宮跡を見た。和服を着た子らとか沢山人がいたけど何があっていたのだろう。寄ってみたかった。
斎宮は都と伊勢神宮を結ぶルート上にあって、神宮の祭祀を行うために皇室から派遣された斎宮(天皇皇女)が執務した場所らしいけど、神宮とはかなり距離があるように感じた。近すぎては駄目だったんだろうか。
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お腹減ったなあ、でもホームにキオスクもない。でも一度駅から出るのもなあと思い続けていたら、名張駅で熟女キャバクラの看板を見て、そういえばカロリーメイトあったわと思いだし少し空腹が紛れた。
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さよなら三重。
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空腹に耐えられず鶴橋駅のホームで立ち食いそばを食べた。都市は交通機関の本数が多いから行動の選択肢が増えてやはり便利。
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大阪駅に到着。
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もうスケートリンクが設置される季節。
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バスまでの時間はかなりあったから、前々から気になっていたのに行けてなかった梅田スカイビルへ行くことにした。
良い写真がなかったけど、この空中エスカレーター楽しかった。予想していたよりは怖くなかったけど。
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展望台まで上がるとちょうど夕暮れ時だった。
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一周するように席はあったんだけどほとんど空席はなし。でも柱の関係で座りにくい席だけは空いてたからそこに座った。
おしゃれさの欠片もないけど何年かぶりにコーラフロートが飲みたくなって注文して席に戻った。
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まあ外国人観光客が多くて、中国人の家族に挟まかれたかと思えば、太陽が沈むとTime For Loversになっちゃって、韓国人カップルが来て、最終的にはスペイン語を話してるカップルが来て、写真を撮ってるのかと思いきやなんか突然キスしだすし、まあ、うん。いぇい。いいと思うよ、うん。
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黄昏。
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夜が立った。
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露光時間伸ばして遊んだり。
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わりと疲労困憊だったから出来るだけ座って時間を潰してたんだけど、まあ同じ場所にいるのも限界に来て空中庭園へ行ってみた。
かなり人が多いけど、大半は三脚でガチの夜景撮影をしている勢か、チュッチュやってるカップルか、女友達ズwith自撮り棒だった。
ここは女の子か三脚を連れてくるとこだなと身に染みた。
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Dreaming of the Osaka moon. (ちゃんとカメラ設定して撮れば良かった)
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ネットカフェ行こうかなと思ったけど本屋で時間を潰した。もっと伊勢にいれば良かったと思うほど夜行バスへの時間が長かった。
イルミネーションは灯され、クリスマスが近付いていることを感じさせられる。
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ストリートライブの音を聴きながら、トミーさんはちょっと勝てないなと思ったり思わなかったり。
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音楽を聴きながら適当にふらふらと歩いているときに、バングラデシュな感じの女性から呼び止められて、立ち止まりイヤホンを外すと、小さなカードみたいなものを見せられて、そこには日本語で「アジアの恵まれない子供達〜」的なことが書いてたけど、完全に怪しかったからすぐに立ち去った。

高速バス乗り場である梅田モータープールに約二週間ぶりに戻ってきた。
新宿行きのバスでは小林様をはじめとする3人が来ていなくて、1人はぎりぎりで来たけど、林様を含む2人は乗り遅れた。
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博多行きのバスに乗り込むと、前の座席には19か20ぐらいの女の子二人組が座っていて、なんか座席を下げようとしていたんだけど後ろを気にしていたから「大丈夫っすよ」と声を掛けたら、がんっ!ってもうめちゃくちゃ下がって、思わず3人で笑い合う形になって面白かった。
その子達は途中のSAでもいろんなものを買ったりして(焼きおにぎりとか買ってきたときは匂い大丈夫だろうかと心配になったけど…)もう福岡旅行?を目一杯楽しんでる感じがこっちまで伝わってきて本当に微笑ましかった。
夜行バスには行きも帰りも変な奴はいなかったから比較的快適に過ごせて良かった。
まあ座席が狭くてなかなか大変だったけど、安さには替えられない。だから高速バスは若者ばかりなわけで。

11月16日。
久しぶりの九州の朝。
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バスはほぼ予定通り筑紫口前に6時51分に到着。これにて今回の旅は無事終了。お疲れ自分。
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今回の旅を振り返ってみようとしても、沢山の出来事がありすぎて、正直どれを書けばいいかわからず、逆に書き足りなくなってしまったような気がしなくもない。

蟻の熊野詣と言われて大勢の巡礼者で賑わった熊野古道も、平成の今は一人きりで歩く道がほとんどだった。
でもそれは僕にとって嬉しいことで、熊野から伊勢へと続く古の道を静かに歩けたのは本当に素敵な時間になったと思う。
伊勢参りでありながらも、熊野古道の旅としても最後まで続いていたと感じている。どんなに辛くなっても、耐えるべき試練だと思えば耐えられたから。
「伊勢に七度、熊野に三度、どちら欠けても片参り」という言葉があるように、片参りにならずどちらにも参れたことはとても良かった。いつの日かまた行くであろう日が待ち遠しい。

逆向きに歩いたということについては、とりあえず他の人に勧めようとは思わない。
お遍路でいうところの逆打ちと同じで、道標や案内板は基本的に熊野へと向かう人たちに向けて設置されているから、正しい道を進むということがとても難しく、より険しい巡礼の道を歩くことになった。正直普通の向きで歩けばよかったかもと考えたのも一度や二度ではない。
数えきれないほど道を間違えた。地図に載っていないところで迷ったりも何度もあった。でも道を間違えたからこそ、その道でしか見えない景色があったり、すれ違えた人がいた。それは何事にも代えられない貴重な瞬間だったはず。
そして逆向きに歩いて良かったと思えるのは、沢山の人と話が出来たということ。それが一番良かった。基本的に熊野古道を歩く人達はみんな自分とは逆に歩いているから、その歩いている人たちとは自然とすれ違うことになる。だから沢山話が出来た。一人で歩いているからこそ相手の人も話しかけやすかったというのもあると思う。
顔を合わせ向かい合って、挨拶をするか、少しだけ会話をして、それから背中と背中で向かい合って、そしてまた遠く離れていく。もう多分この先出会わない人たちばかりだろうけど、その刹那な出会いが訪れる度嬉しかったし、今となっては、そしてこれから、それらの出会いを思い出す都度懐かしく、愛おしくなると思う。
袖振り合うも多生の縁と考えるのもまた素敵だ。

どこかのブログに熊野古道がある地元の人はぶっきらぼうだとかそっけないだとか書いていたのを出発前に読んだけど、決してそんなことはなかったと僕は思う。 
出会った人みんなが親切で、何度も明るく声を掛けてもらった。笑顔で挨拶してくれたり、偉いねって褒めてくれたり、道中の無事を祈ってくれたり、頑張れって応援してくれたり。
こいつなにしてんだ…?もしかして熊野古道歩いてるのか…?というような好奇の眼差しでドライバーから見られることはあったけど、それでも沢山の人の優しさに触れて、辛い道中の自分は幾度となく救われたし、励まされた。

当然だけど、楽しいことばかりでもなかった。
重い荷物を背負い峠や山を越えるというのは簡単なことではない。何より道は長く、何日も掛けてようやく踏破することが出来た。
嫌なこともあった。世界遺産だろうと普通の道だろうと、ゴミを捨てる人は平気で捨てる。
いろんな人がいるからこそ、信じられないような連中も普通に存在するのだと改めて思わされる場面もあった。

前半はいろんなことを考えながら、後半は(あれこれ考えられる余裕がなくなって)ほとんど無心で歩いた。
旅に出るときは現実に嫌気が差してということがとても多い。そういった面では、普段考えてしまうあれこれを、忘れるわけではないけど、あまり考えずに済んだというのは助かった。嫌なことは山程あっても、その問題から離れている間に、それらへの執着や痛みも減るということはきっと間違いない。
旅をする理由は、高校生のときは自分探し系だったのかもしれないけど、でも今は違う。何かを求めているわけではない。書いたばかりのことと矛盾するけど、発散というのも少し違うような気もする。
何かに熱中というか、ただ何かを追い求めるという時間が欲しかったのかもしれない。結果は、行って良かったと思っている。

どんな路も歩いていけばいずれは必ずたどり着く。
身体は自分が思っている以上に動いてくれる。遠くへ行ける。
そんな悟りっぽいけど、至極当然なことを歩いていて、もしくは歩き終わって感じた。
道に迷うのも、変態に耐えるのも、また修行だと思えば耐えられた理由は正直わからない。信仰心なのか、あるいは他のものなのか。

出発地点も到着地点も聖地という約二週間を掛けて歩き切った巡礼の旅。
旅が終わって、この熊野古道伊勢路の旅をどういう風に捉えるかと考えると、
この経験をこれからの人生に活かすといったような書き方をしてもいいけど、正直これからどうこうという前に、この旅自体が自分の人生の一つの財産になったと感じている。
大きくな経験を一つ積めた。その気になれば自慢話にだってなる。
達成感や充実感もあれば、全てのものへの感謝の気持ちもある、そんな旅だった。
良い旅だった。


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