先日の記事でちらっと書いたけど、クリスマスの夜はコンサートに行ってきた。
会場はメルシーブーケという予約制のショップやフラワーアレンジメント教室、展示会や音楽会といった多種のイベントが開催されているお店というか家。
場所は大濠公園近くの高級住宅街の中。
家の外観も花装飾のお店というよりは古民家に近くて、入り口からは料亭のそれを彷彿とさせる和な雰囲気も漂っていた。
観客はその家の部屋の中に20人ほど、関係者の知り合いばかりが集まっていた。
開場の時間が18時半で、開演が19時。
演奏者はピアノが山根ゆいちゃん、ヴァイオリンが柴田恵奈ちゃん。2人とも桐朋学園大学音楽学部の3年生。
衣装は後ろにリボンが付いた色違いのドレスで(赤がゆいちゃんで、青が恵奈ちゃん)とても可愛らしくて、メルシーブーケオリジナルの花飾りもまた華やかだった。
プログラムは以下。
-前半-
エルガー – 愛の挨拶
モーツァルト – アダージョ
グリーグ – ヴァイオリンソナタ第3番より 第1・2楽章
ポリアキン – カナリア
-後半-
クリスマス小品
感想を一言で言うのならもう、めちゃくちゃ楽しかった。
まず会場の雰囲気が素晴らしかった。
フラワーアレンジメントやイルミネーションに囲まれた部屋は飾り付けやインテリアを越えて、空間芸術やインスタレーション的だと感じた。
一つ一つの小物も可愛らしく、「公園の中のクリスマス」というテーマに沿ったファンシーな世界が作り上げられていたと思う。
アロマの匂いも含めて、部屋全体を使って、制作者が表現したい世界観がそこにはあった気がする。(テーブルセッティングは最後の晩餐をイメージしていたらしい)
部屋に入った瞬間は驚いたけど、それは、こんな素敵な場所が福岡にあったのかという驚きに繋がっていた。
そういった場所で、主宰の奥村たけ子さん曰く、人間がどうしても言ってしまう嫌味等を言わない楽器が奏でる、喜びは喜びのまま、悲しみは悲しみのまま、伝えてくれる音楽を鑑賞した。
いわゆるリビングのような部屋で演奏しているわけだから、空間はピアノとヴァイオリンの生の音で埋め尽くされていた。
マイクやスピーカーもなく、カメラマンは1人入っていたけど、楽器を奏でる演奏者と観客である20人だけがそこにいて、妨げになるものは何一つなかった。
でも小さな演奏会場ということは、演奏者にとって観客の視線や耳が目の前にあるということ。
お昼の部は子供たちが多くて少し騒がしかったらしいけど、夜の部は大人しかいなかったし、その大人たちも皆集中して、物音一つ立てず聴き入っていた。だから、当然演奏者の2人にはプレッシャーが掛かっていたはず。
しかし、2人は臆することなく堂々と演奏していた。
距離が近ければ、ミスがあると気付かれてすぐに視線は飛んでくる。(一番離れている人でも5メートル程)
でも恵奈ちゃんは表情に動揺を出したりしていなかったし、ゆいちゃんは背中を向けている状態だったけど、それはそれで背中に視線を感じるということでのやり辛さもあっただろう。
そういった状況であったにもかかわらず、2人とも素晴らしい演奏をしてくれたと思う。
まあでも正直、目立つ大きなミスなんてなかった。ある意味過酷とも言える状況でやり遂げた2人は凄いなという感動がそれだけあったということ。
前半の演奏曲については、カナリアはお気に入りの曲だし普通に良かったんだけど、この日はグリーグのヴァイオリンソナタ第3番よりの第2楽章が最高だと個人的に感じた。
それを聴いている際に会場を見渡しながら、なんて素敵な時間なんだろうと思った。この空間にいられて幸せだなあ、音楽好きで良かったなあと。
前半が終わると休憩にハーブティーとお菓子をいただいた。良い意味で、ズルいよなこれと感じた。こんな場所でハーブティーやお菓子はズルい。オシャレすぎる。
後半のクリスマス小品では、誰もが知っているような有名なクリスマスソングやメドレーが演奏された。
ウィンター・ワンダーランドから始まったクリスマス小品だけど、これがまた素晴らしくて、クリスマスの夜に、クリスマスソングを、こんな素敵な演奏で聴いてしまっていいんだろうか…と、もはや後ろめたさに近い気持ちすら感じた。
音や視覚といった触感以外の五感が全て満たされる感覚は、これほどまでに充実した時間が他にあるだろうかと、言葉を失うには充分だった。
アレンジもまた良くて、原曲超えしてるな…という曲もいくつかあったし、演奏者の2人も(特にピアノのゆいちゃんは)前半より後半の方が、どことなくいきいきしているように感じた。
アンコールの後は食事をしながら雑談といった感じで、ワインやキッシュ、フルーツ等いろいろとご馳走になった。
その場でも伝えたけど、会場にいた皆さんが気品に溢れていたのも印象的。マダムみたいな老婦やゴシックな服が似合う女性がいたりで、その風流っぷりに、来る前に地下鉄空港線で隣に座っていた煙草臭すぎるおっさんが住み世界と、ここは本当に同じ世界なのか…?と戸惑ったのは内緒です。
うん、そういった客層の良さは音楽を聴くという点でも助かった。皆マナーを弁えていたと書くと上から目線になってしまうけど、それだけ音楽鑑賞に集中出来たから。
年齢層は、演奏者の2人の親御さんと同じくらいかそれより上の方々が多くて、観客としての若者は自分とアレンジメント教室の生徒さん?の女性が1人いた。(自分が一番奥の席に座っていたから、食べ物や飲み物を受け取る際にその彼女に色々とお世話になったのに、ちゃんとお礼言っとけば良かったーと後悔中)
でもその女性に限らず、みんな本当に気を遣ってくれる優しい方々ばかりだった。
素晴らしい演奏をしてくれたゆいちゃんと恵奈ちゃんにも、ご招待してくださった柴田さんにも、素敵な会場を用意してくれたメルシーブーケの方々にも、観客だった皆さんにも、本当に感謝の気持ちでいっぱい。みんなのおかげでとても楽しいクリスマスが過ごせた。
余談になるけど、イルミネーションや暖房で電気使いまくってるから、たまにブレーカーが落ちるのは面白かった。
空気の読める電気だったので、演奏中には落ちなかったから問題はなし。
それに電気消えちゃうと、乾電池で動いてるイルミネーションの明かりだけが残るから、真っ暗な部屋で輝くツリー等がより綺麗に見えて、演出かな…?と言う人もいたくらいだし、最高な結果オーライ。
ってことで、クリスマスコンサートについては以上です。
イブの夜は連中のシャレオツやハレンチな自慢に対抗する為に、ガストでチーズインハンバーグ食べてました。ありがとうございます。
いやまあ、焼肉行く予定が、なんか19時頃に無性にそれが食べたくなったから変更しただけなんけど。
でも行って良かったなと思う。退店間際に、いかにも仕事終わりな母親と娘であろう小さな女の子が入店してきて、その女の子の嬉しそうな笑顔がもう微笑ましすぎたから。
多分、ママのお仕事が終わったら一緒にご飯行こうねといった感じの約束をしてたんだけど、きっと母親の仕事が長引いて遅くなってしまって、それでも母親は娘との約束をしっかり守ってあげたんだろうなーというような状況なのかなと勝手に想像した。
女の子の本当に幸せそうな笑顔を見ていると、どれだけ楽しみにしていたのかが伝わってきて、なんて優しい世界なんだろう…と心が温かくなった。
温かくなりすぎてもう、目の前でラブなホテルへ左折していったSUVも、原付2台で来てたカップルも、打ちっぱなしに熱中してるおっちゃん達も、もうなんか全部良い感じに見えて、ああ…素晴らしい世界だ…みんな…メリークリスマス(イブ)…という全くもってわけのわからない聖母のような気持ちになってました。ありがとうございます。
その前夜の余韻か、クリスマスの夜も(コンサートの前)、大濠公園を歩いていると、冬の夜空に一つだけ煌めく金星も、光の道のような観月橋も、遊具で遊ぶ親子も、チカチカ点滅する首輪を付けられたダックスフンドも、もうなんか全部良かった。
何が良いのかはわかんないんだけど、ああ…良いわ…と、もうちょっとでマジで聖母になるとこだった()
話は変わるけど、クリスマスの夜もそうだったように、ブログやってますと話した際に、検索するから教えてと頼まれても、説明するのが大変で正直あれです。
ブログタイトルはPilgrimとか普段使わなすぎる英単語入っててわかりづらいし、名前もAnything But Ordinary感凄いし。「大天使ガッキーを応援する聖母の独り言」とかにすればよかったと思ってます(思ってない)。
年末年始はなぜかいつも忙しくなるけど、今年も例年通り何かと忙しい。いろいろとやるべきことが溜まってて3月ぐらいまでは忙しい気がする。
今年を振り返れば、誰だってそうだろうけど、沢山の出来事があったなーと感じる。
お遍路の日々が濃すぎて体感的には2016年は15ヶ月くらいあったから、(いつもとは違って)あっという間に過ぎたな…とは思わない。お遍路以外にも様々なことがあったし。
総括するなら、出会いと別れの年だっただろうか。
悲しいこともあったけど、嬉しいこともあった。良い年と言えると思う。
遍路記事はだらだらと書き続けていたら、確実に年を越してしまうことになって、読んでるよーと言ってくれる方々には申し訳ないことになった。でも成人の日までには書き終わる(はず)。
もう年末は何もないかと思いきや、遍路で知り合った中野君が年末年始に下関に帰省するということで、小倉でご飯を食べるという予定は入っている。
旅先で連絡先を交換しても、基本何もなく、ただ連絡先が残っているだけという状態がほとんどなのに、さすが好青年 of 好青年。
来年はどんな年になるだろう。怪我や病気をしてなかったらどこかに行きそうだけど、どうなるかはわからない。
良い年になればいい。自分も自分以外の人も、みんな良い年になればいい。