これまでの後悔が急かすんだろうけど、血眼になってあれもこれもと追い求めている自分に気付いたとき、「生き急がないで」と掛けてもらった言葉を思い出せれば、それが今の自分を最も救ってくれている言葉だなと実感する。
嬉しいとか楽しいとかそういった感情も(もしくは真逆の感情も含めて)、余裕がなければ充分感じられないだろうに、焦る必要はないのに焦ってばかりで、いつも疲れてしまう。
また幸福だとか喜びの類を求めすぎること、その所望自体にも疲労を感じる。
まあ、疲弊だとか、自分を息苦しくさせる理由なんてごまんとあるだろうけど。
長すぎる休憩というのもあれだけど、でも適度な速度で進まないといけない。フルマラソンでスタート地点や10km地点から全力疾走しても絶対ゴールにはたどり着けないし。
だから本当にゴールをしたいのなら、どうしてもキツいときは立ち止まってもいいのかもしれない。
どこまで行けるかというよりは、そこに至るまでにどれだけ満たせるかなのかなと最近思う。
タイムを競っているわけではなく、採点競技のようなそんな気もする。
早く走らなかったことで手が届かなかったものは今までだって沢山あって、これからももちろんあるだろうけど、でもちょっと速度を緩めて、歩いたがゆえに見えた景色というのもあるだろうから、両者を天秤にかけてそのどちらかを完全に肯定して、そのもう一方を完全に否定するのは賢いやり方ではないはず。
誰しもそうだろうけど、やるべきことは相変わらず沢山あって、いろいろと難しいけれど、とりあえず楽しく生きたい。
焦ることなく、余裕を持って、楽しく進んで行きたい。
明日世界は終わるかもしれないけど、終わりそうにはないから、雨の日は無理に走り回らず、紅茶とクッキーを用意して、窓の外、雨の風景をのんびりと眺めるような、そんな感じで。(最近の現実はJリーグとかWBCとか大相撲とか観て、PC作業で疲れた目をホットアイマスクでふぇぇ…と癒やされるって感じなんだけど)
まあでも、ああだこうだ言っても、会いたい人には会えるうちに会っといた方がいいな。
その相手が突然いなくなるかもしれないし、自分が死ぬかもしれない。いつ会えなくなるのかはわからない。
この時期は多分この先ずっと、もしかしたら生涯ナーバスになるのかもしれない。1週間もすれば元に戻るとは思うんだけど。