末宗という名字の由来

一部の若者に半ば強制的に起こるイベントというか、ぶつかってしまう悩みに「自分はいったい何者なんだ」という疑問を抱くってのがあると思うんだけど、その青い出来事が10代後半だった自分にも訪れて、あれこれと思い悩んだ挙句、ルーツを知りたいという気持ちになって、戸籍を調べたことがある。

巻物のような家系図がある家ならそれを見れば一目でわかるだろうけど、そういう家系図の存在は聞いたことがなかったので、自分の故郷でもある父方のルーツの大分県宇佐市や母方の福岡市博多区などの役所に、申請書、小為替、切手等を入れた封筒を送って戸籍を取り寄せるという作業を繰り返すことになった。
戸籍というのは家族単位(=戸)でまとめられているものだから、手元に届いた戸籍を見て、今度は誰をどこで辿ればいいのかを考え、ひらすら直系の先祖を上へと限界まで遡った。
いろいろとプライバシーには厳しい世の中だし、(遡れるだけお願いしますと頼んでいても)同じ役所に複数回お世話にならないといけなかったりして、そう楽な作業ではなかったけど、自分の探究心から一度始めたことだから途中で投げ出したくないし、わざわざ電話を掛けてきて協力してくれる職員さんがいたりもして、最終的に、明治時代の戸籍を手に入れ、江戸時代生まれの先祖まで知ることができた。
家(公家や武家等)によってはもっと昔まで遡れるんだけど、役所経由ではここが限界。これ以上遡るには菩提寺の過去帳を見せてもらったりという方法になる。でもそこまでは調べなかった。お寺も今は(同和問題等で)厳しいらしく、実際に博多にある菩提寺の一つは過去帳は見せなくなったとのことだったから。

そして、取り寄せたすべての戸籍を元に自分で家系図を作成した。
自分が何者であるかという疑問には、僕は僕だというような何の捻りもない答えしか出せなかったけど、その答えで納得できたのはきっと、出来上がった家系図を眺めながら、自分の命や先祖について想いを馳せていると、この人達がいたから今自分はここにいられているんだなと感じることができたから。
この自分の命は遥か昔から脈々と繋がれてきた命で、その繋いできてくれた誰か一人でも欠いていたら自分は存在すらできなかったわけだし、自分の血はいくつもの誕生や出会いの結晶であって、それらを奇跡と呼ぶなら、すべての奇跡もまた欠かせなかったわけで、その長い年月の中で沢山の人達が繋いできた命のバトンを自分が受け取っているということにとても感動した。
彼らの延長・未来にいる自分が、なんだか温かく見守られているような気もしたし、古の頃にもし未来を想っていた人がいるなら、過去を見つめている今の自分と想い合っているというのは(その人が自分と同じように若者だったりしたら特に)面白いなとも感じた。
以上が戸籍によるルーツ調べの結果。

戸籍上でいろんな苗字を目にしてきたわけだけど、もちろん最も知りたかったのは自分の生まれでもある末宗家について。
その末宗という姓は、全国的にはとても珍しい苗字なのは間違いない。でも宇佐市に限って言えばまったくいないわけではない。(実際に家族親戚を除いても、小学生のときの担任が末宗先生だったこともある)
元々興味はあったけれど、末宗という苗字の由来はネット上で調べてみても「大分県宇佐市に多数見られる」というようなことしか書かれていなかったし、今もその状態は変わらず。
でも由来はわからなくても、ルーツの話は祖母から聞いたことがあって、宇佐神宮から少し離れた宇佐市の和気という地域がそうらしい。(和気には末宗神社?社?祠?があるかもしれなくて、それを知った京大の考古学だかなんだかの教授と結婚した書道家の親戚が探したけど見つけらなくて、祖母に何か知らないかと聞きに来たという話もついでに)

ってことでまあルーツの場所(起源地)はわかった。
全国分布を調べたら、大分がやはり一番多い。隣の福岡にちらっといるのもまあ大分から引っ越したんだろうなと理解できる。
でも大分の次に多いのはなぜか広島や岡山といった中国地方で、ルーツがある大分から移るにしては距離があるし、正直不思議だった。
その当時少し調べた結果では、わかったのは分布だけで、名字の由来についてはわからずじまい。
漢字から自分で想像してみても、末宗の末って何かの末裔とかなのかな、じゃあ宗は何になるんだろう…。宗家だとダブルミーニングっぽくなるし、宗教は比較的新しい言葉だから違うっぽいし…といった具合に良い感じに素っ頓狂。わからないまま時は過ぎた。

そして先日、何を想ったか突然、由来について調べてみようと思い立った。わからないならもう自力で調べるしかないと。
今まで末宗について調べてきて、末宗神社がなぜか高松にあること等は知っていたけど、他にもあるかもしれないし、更に調べてみることにした。
結果的には多くのことがわかった。何から手を付けていいかわからなかったように、何から書いていいのかもわからないけど、とりあえず一つずつ書いていく。
まずは末宗と繋がる地名があったこと。中国地方にもなぜ末宗姓がいるかはこれで解決した。
というのも、広島県三原市久井町吉田は旧「末宗名」という地名で、1598年(慶長3年)に記録があるらしく、発祥の地の一つと予想できる。現在もこの辺りには末宗姓が存在するみたいだし。
また岡山県美作市川北も起源地らしく、室町時代の記録によれば広島県東広島市高屋町造賀の旧名も「末宗名」で、実際に今も東広島市には「末宗」というバス停がある。大分県の国東でも「末宗名」という地名があったのは1520年(永正17年)の記録から確認できた。
現在まで地名として残っているのは僅かだけど、ここまで存在するなら他の地域にもあったと予想してもいいと思う。
ちなみに香川県高松市の例の末宗神社も地名からのようで、清和源氏を祖とする富豪河田東川という人物がその末宗という地域に住んでいたらしい。兵庫県佐用町には末宗荒神社があることもわかった。
なんていうか、末宗結構盛り沢山だなというのがここまでの感想。

なぜ末宗(名)という地名なのかはわからないけど、とりあえずは、末宗名(すえむねな?)から名が抜けて、末宗となって(あるいは元から名はついてなくて)、地名が発祥・由来の名字がついた人々がいることはわかった。
国東にも末宗名という地名があったということは自分のところ(宇佐の末宗)と関係がある可能性は充分あるだろうけど、実は宇佐市には「末」という地名もあるからその地域と繋がる可能性もなくはない。
ここで気になったのが、広島県庄原市にある新免末宗地域にある末宗城跡(近くには古墳もある)。
というのも、新免村は豊前国中津藩の飛び領だったらしい。つまり宇佐がある豊前国と中国地方の接点があったということ。まあ、繋がりがあったとしても、どう繋がるのかは想像の域を超えられないけど。

それでは、なぜ末宗(名)という地名や苗字になったのかについて。
誰が説明してくれるわけでもないし、様々な可能性があるわけだから、手に入れた情報の中から自分でいくつかの仮説を立てた。


①陶氏説
陶氏は氏族の一つで、百済聖王を祖とする渡来系多々良氏の流れを汲む氏。そして陶氏には陶興房という戦国武将がいて、同じ祖を持つ周防大内氏の重臣だった。
その陶興房の四男の陶宗阿弥が厳島の戦いの後に、陶を「末」として名前の宗阿弥から「宗」の字を使用して末宗半太夫に改名したと伝わっている。
という情報を見つけた際は、この人が祖なのではないか…?とかなりテンションが上がったんだけど、でもこの四男の宗阿弥について検索してもその見つけたサイト以外どこも出てこないし、そもそも陶氏の多くの武将は(毛利に降伏した陶持長等除き)敗戦後殺害されるか自害して、嫡流は完全に途絶えたとされている。
だからこの説は正直怪しいかな。周防ということは広島や岡山からも大分からもそう離れているわけではないし、大内軍は九州に侵攻したりもしていたから(安芸国と国東の安芸も通じる気がした)、どうかと思ったけど…うん、なさそうだなこれは。生き残りはいるわけだから、陶が末になって~という流れが100%ありえないわけではないけど。

②惟宗氏・宗氏説
名字の由来を調べる主な手段の一つに、姓氏家系大辞典を読んで調べるというのがあって、それを読んでみたんだけど、残念ながら「末宗」の欄には「豊前に存す。」としか書かれていなかった。
他の末◯さんはわりかし載っていて、地名由来も多いけど、清和源氏や藤原に縁があったり、各地の名族だったりするパターンも多かった。
でもそれらは自分の探している情報ではないので、仕方ないから分けて考えることにして、なんとなく宗から調べることにした。
大辞典の宗を調べていたら、「宇佐大鏡に見ゆ。豊前の宗はコレムネ10項を見よ」と発見して、宇佐という文字にかなり期待が高まった。そしてたどり着いたのが惟宗氏。
惟宗氏もそうだし、惟宗氏の祖である秦氏も、出自が明らかではなく諸説あるんだけど、基本的には始皇帝の末裔である弓月君を祖とする説で語られている。
ただ秦氏が渡来人であったとしても、どこから来たのか、どの民族なのかはかなり議論されていて、東アジア以外ではチベット系民族や景教徒のユダヤ人という説もある。また惟宗氏の出自については聖武天皇説や醍醐天皇説もあるし、宗氏は惟宗氏の支族とされているのに、平知宗の子孫として桓武平氏の流れにあるという説もある。(要は何が正しい説なのかはわかっていない)

とまあ出自は置いといて、惟宗10項の豊前の惟宗氏について読んでみると、
氏族志には、後冷泉天皇の頃、豊前守に令宗朝臣業任あり。白河天皇の頃には宇佐の地頭に惟宗高安あり。と書かれているとのこと。
令宗朝臣というのは惟宗の賜姓で、惟宗氏の中でも一部の限られた人しかその姓を賜ってない。有名なのは明法道の権威で河内守にもなった惟宗允亮。
その惟宗允亮が豊前守を任せられたんだろうかと考えたけど、後冷泉天皇の即位が1045年で、惟宗允亮の没年は1009年なので時代が少し違う。他の令宗朝臣で考えるなら惟宗允亮の弟とされる惟宗允政も賜姓を与えられているので、その人かもしれないが詳しい記録等は出てこない(豊前守になったわけでもなさそう)。
業任ありの意味がはっきりとはわからないけど、任命されても着任はしなかったという人もいることはいるみたいだから、そんな感じなのかもしれない。

一方、惟宗高安についてはそれなりに出てきた。
宇佐大鏡(宇佐宮神領大鏡)という鎌倉時代前期に編纂された宇佐神宮の神領記録によれば、惟宗高安は那珂庄(今の福岡市辺り)の地頭でもあったらしい。
また福岡大学西谷正浩教授著「中世宇佐宮領の生成」を読めば(多分引用は「宮崎県史 通史編 古代2」)、惟宗高安は田部宗綱らとともに宇佐宮神官であったと推測され、那珂庄は彼らの私領とのこと。
つまり、平氏と組んで九州最大の荘園領主だった宇佐宮大宮司の宇佐氏の元で、神官(または宮関係者)として九州の土地を管理していたんだと思う。

姓氏家系大辞典を再び開き、宗を読めば、惟宗を宗と略すのは、藤原を藤、菅原を菅、大江を江と略すのと同じということがわかった。
宗という名字は豊前(福岡、大分)が最も多い。ということから豊前に土着した惟宗氏が宗氏になったと予測できる。
そして前述した通り、(いつの時代からその地名なのかわからないが)豊前の宇佐には末という地域がある。

以上のことを踏まえ、末宗の発祥は、「末(村)の宗氏」なのではないかと一つの仮説を立てた。
末も宇佐神宮からそう離れてないし、結構良い線いってるんじゃないかと思いつつ、この説の弱点を挙げるならやはり、末という地域がいつから存在したかということと、宗が末宗に繋がったのを立証できていないとこかな。
まあでも、明治初年(江戸時代)の記録でも末村は確認できるし、そういった経緯で名字になった可能性は大いにあると思う。その地域が起源と思われる「末」だけの名字の人も豊前に多いし。

話の本筋からは離れるけど、惟宗忠久という人物は日向に下り、土着して、当地にあった荘園「島津荘」にちなんで島津氏と名乗りだしたみたい。あの島津家の祖とされている人物。
対馬の宗氏は平清盛-平知盛-平知宗という流れで桓武平氏の流れにあると主張している。平家の(落人の)末裔と名乗る家って無駄に多いイメージだけど、その流れが本当なら渡来人ではなく天皇家と繋がることになる。似たような話では島津家は清和源氏と主張したりもしている。
まあ両家とも渡来人である秦氏の流れよりは天皇家の流れの方が好ましいってことなんだろうけど、真相はわからない。

③末・須恵器説
宗の方は詳しく調べてきたけど、今度は末。陶氏には先程①で触れた。でも姓氏家系大辞典では「末」は陶ではなく須恵に併記されている。
その須恵の由来も複数あるみたいだけど、一番気になるのは須恵器由来。福岡にある須恵町は古墳時代に須恵器が生産されていたことが由来のようで、他にも須恵という地名は熊本などにも見受けられる。
今回はシンプルに考え、須恵が末に転じたと仮定して、宗という字の本家や首位に立つものの意味を取り(氏宗という言葉もあるし)、末(須恵)の家元が末宗になったのではないかという説もできた。

④完全地名説
日本人の名字の大多数は地名由来だから、もう名字を見るだけで、田んぼの多い村だったんだなとか、川の近くにいたんだな、とすぐにわかるようなパターンが多いけど、末宗(名)という地名が元からあったのなら、その地名を由来とした名字をつける人々がいてもおかしくはない。
でも振り出しに戻るように、その地名の由来はなんだという話になる。字から想像するのは難しいけど、それぞれの字で名前に使われそうな意味を挙げるなら、末は終わり、末端、末っ子、末裔、子孫などで、宗は宗族・宗主(一族の中心や本家)、開祖、宗廟(御霊屋)といったところだろうか。(宗廟として祖先を祀るところという意味で考えるのはありなんだろうけど、お墓のことは昔は陵や奥津城と呼んでいたみたいだから違うかな)

宇佐は神仏習合の発祥地ということもあるし、宗派の起こり等があっても不思議ではない。というか神武東征にも出るくらい古代から拓けていたというだけで、あらゆる可能性を想像できる。
ある一族の子孫の本家や、地域の外れにあった集落の中心の家。といった感じで、組み合わせればいくつも考えられるのでもう際限ない。その際限ない組み合わせの中に答えがあるのかもしれないけど。

それにしても末宗名の名は何なのだろう。もしかすると末と宗名として考えるべきなのかもしれない。わからない。現時点ではお手上げ。


とまあ、いろいろと調べて考えてみたけれど、いろんなことを知れたが故に謎が更に深まった感があるのは否定できない。ええ、泥沼です。
結局自分で仮説を立てただけで答えには辿り着けてないし、何が由来かはわかってないまま。(答えを知りたくてこの記事を読んでいた人には申し訳ない)
その手の専門家に聞いたり、本気で(宇佐市や中国地方の図書館などで)文献を探したなら、解ける部類の謎だったらいいな。いつかわかることに期待している。

完全に根拠のない推測だけど、中国地方の末宗と宇佐の末宗の起源は違う気がする。
(確定ではないにしても)渡来人ってのは正直グッとこないが、中国地方のは①、宇佐は②が強いんじゃないかなーと勝手に予想。
でもどちらとも鍵になるのは末宗名という地名かな。どう繋がるのかはまったくわかんないけど。
自分の推測なんてまったくの見当違いで、本当は上で挙げられなかった別の意味が由来という可能性がもちろんある。果たして真相はいかに。
切実に答え合わせがしたいというか、実際の由来が知りたい。あれだったらタイムマシーンに乗って先祖に会って確かめたいくらい。

ちなみに祖父母の家の玄関に飾ってあった家紋は「亀甲に違い鷹の羽」
上で述べた氏との家紋の関連性は多分見当たらない。
もし他の末宗の家紋とも違うのなら自分の一族で使っているものなんだろう。

長々と書いてきたけどこれでおしまい。何か情報を持っている方がいたらメッセージいただけると嬉しいです。


【追記】
答え合わせのような記事更新してます。本記事で「発祥」や「起源」という言葉を多用したけど、本当は一つかもしれない。

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