4月11日。
5時に起きた。そして、大丈夫な気がした。いろいろと。
割れたクッキーを食べてから着替えて、ヒステリックマダムに怯えながら最後の荷詰めをした。(昨晩文句を言われたら、高級ホテルにでも行けと言い返そうとしてたのは内緒)
廊下で上半身裸のサファテみたいな男性とすれ違い、フロントへ下りた。チェックアウトの手続きを済ますと2ユーロが帰ってきた。カフェのBGMはBon JoviのI’ll Be There For Youが流れていた。
宿を出て、駅へと歩いていると荷物の重さに嘆きたくなった。これを40日続けるなんて、こんなのすぐに体壊すと。別に初めての経験ではないけど。
片側がやたらと重い気がするが、宿に着かないと弄れないだろう。一回中身を全部取り出して、パッキングをやり直したい。
Belleville駅に着いて一旦荷物を下ろしただけで肩が痛かった。久しぶりに10kg超えの荷物を背負うので体が悲鳴を上げている。
メトロをBelleville→Châteletと移動し、それからMairie de Montrouge行きに乗り換えてGare Montparnasseまで。
既にちょっと辛くて、気持ちは昂ぶりとは逆の状態。とりあえず乗り遅れませんように。
左に写っているのは颯爽と進むセグウェイマン。この駅の長い長い、動く歩道では通勤者が年間11.5時間も節約できているらしい。なんとも言えない。
Gareとは駅という意味。モンパルナス駅は主にフランス西部や南西部への始発駅となっている。
自分の乗る列車を確認しようとしたが表示されていない。
こちらの複数画面にも7時52分発のバイヨンヌ行きはなかったので、窓口の職員にiPhoneにダウンロードしてあるチケットを見せながら聞いた。どうやらこの階ではなく上らしい。
ということで上の階へ移動。
パン屋には行列。
自分と同じようなアウトドア系の格好をした人たちがいる。同じTGV(フランス版新幹線)に乗るのだろうか。
乗る便は見つけたが、まだホームの番号が出ていない。
荷物のせいで精神的余裕がないが、とりあえず何か買っておいた方がいいだろうからコンビニのような店へ行った。
購入したパンとオレンジジュースで一息。 余裕を持って旅を楽しまないと。
パンはまだ一個残っているけど、ホーム番号が出てるから行こうか。(上から3番目が自分の乗る列車)
この場所には1~24番線までのホームがあり、いくつもの車両が並んでいた。打放しのコンクリートに覆われていて、雰囲気があり、かっこよかった。
バックパックにストックを付けた東アジア系の女の子とちらっと目が合った。話しかけはしなかったが、多分彼女も同じ巡礼の旅に向かうのだろう。
(このときはそんな感じだったけど、今となってはこれ最高に面白い写真。いや、遭遇してたんかい。すぐには出てこないけど、この後ろ姿覚えといてください)
5番線のホーム。
これはチケットのバーコードを機械で読み込ませる改札前。
もうここまで来るとアウトドア用バックパックを背負ってる人のほとんどがバイヨンヌ経由で出発地点へと移動する人たちだろう。それゆえ、さっきのキオスクのような店の前にいた女性のように、いや、おまえこの時同じ場所にいたのか…と驚いた写真。右端で見切れてる黄色っぽいバックパックの男性がそれ。
Saint-Jeanという表示に胸躍ったが、実はこれは違うサンジャンだった。13号車は改札からかなり遠くにあった。
荷物置き場は既に埋まっていたが、キャリーバッグの女の子が車両の逆側の置き場に持って行ってくれたので上に乗せることができた。自分のために移動してくれたのかどうかはわからない。
自分の席はすぐ手前の左の席。その後ろのおばあちゃんと目が合ったけどとても優しそうな人だった。
早い段階から事前に予約していたのは1列の席だし、乗り心地はとても良さそう。 (右奥にも後に知り合う男性がいる。同じ車両だったのか…)
定刻通り、7時52分に出発。
コンセントないのかなーと探したら前の席の背面テーブルを出すと見つかった。USBのみもあるのでそれを使うことにした。快適だ。Wi-Fiは電波が届いていても上手く繋がらないパターンだったのは残念だけど。
この左前方のスペースはなんだろうと思っていたら職員のための空間だった。結構頻繁に出入りしていた印象。
鉄道旅も楽しそうだな。と思った次の瞬間に、いや、むしろそっちのが楽しいか。とこれからの歩き旅と比較してしまい笑いそうになった。
ヨーロッパの鉄道に乗ってたらそりゃもうケミカルブラザーズのStar Guitarを聴きたくなるよね。
駅でちらほらと見かけた巡礼者(になるであろう人々)のことを考えた。多分この車両内にも何人か乗っているはず。バイヨンヌに着けばもうその格好の人たちは確定だろう。同じ出発日になるのだろうが、知り合うことはあるだろうか。
食堂車(正確にはバー)に行って、紙コップに入ったコーヒーを持って戻ってくる人の姿があるので気になる。どの車両にあるのかな。
ゲルマン系家族が横のボックス席に座っていて、男の子がずっと喋り続けていたけど少しだけ寝た。財布とiPhoneをポケットの中に入れて。
そして目を覚ますとバーへ行ってみた。幸運なことに隣の車両にあった。
店員がイケメンなのはいいが、20ユーロ札が減らない問題をなんとかしたい。もともと値段がわかっているとこは工夫しようがあるが、支払いの額が少なかったりもするし。
モンパルナス駅で買うよりここのバーで買う方が安いという情報を読んだことがあるが、そんなに変わらない気もする。
ピーチアイスティーはこの車窓にとても合っていた。まあ、この写真は微妙だし、立ったままでは揺れるから座席に持って戻ったけど。
プリン系かなと思って買ったスイーツは、予想とは違ってベリー系のエロい味だった。ひたすらエロかった。
菜の花が綺麗な場所があった。見頃というには少し早いので、巡礼中にもっと綺麗な菜の花畑を見られるかもしれない。
バックパックに入ってあるイヤホンを取りに行くとき、内側のポケットの紐が解けて焦った。持ち物が壊れる系のトラブルがなければいいな。
隣の家族の両親が寝て、男の子と目が合った。手を振ってみたが振り返さない…。じーっと見つめられていた。
昨日モン・サン・ミッシェルへのバスの中から、こちらの高速は日本みたいに隔離されていないということに気づいたけど、高速鉄道もそれは同じなんだなと思った。普通に線路まで歩いて来れそう。
何気ない風景でも形として残しておきたい。でも写真をすべて撮るのは無理。だからこの目で見ておこう。旅中によく思うこと。
ここで一旦列車から離れて、サンティアゴ巡礼(スペイン巡礼)について簡単に書く。
まったく知らないで読んでくれる人たちも、少し予備知識があるのとないのとでは違うだろうから。
サンティアゴ巡礼はスペイン西部にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼路。エルサレム、ローマと並んでキリスト教3大聖地の1つとされていることからも、どれだけ重要な意味を持つのかがわかると思う。
そのサンティアゴ・デ・コンポステーラにはイエス・キリストの十二使徒の一人である聖ヤコブの遺骸があるとされている。
ユダヤ王によってエルサレムで斬首された後、十二使徒の中の最初の殉教者として、キリストと同じような奇跡を恐れられ埋葬を許されなかったり、弟子たちが亡骸を舟に乗せて、風の吹くままに辿り着いたガリシア地方で埋葬を許可されても、混乱の時代が過ぎていく中でその亡骸が行方不明になったり、その存在すらも忘れられていたり、という経緯の果てに、813年に星の光によって導かれた羊飼いによって、草原の縁にあった洞窟で発見された。
その場所に教会が建てられ、カンポ(草原)とステーラ(星)を合わせてコンポステーラと名付けられたらしい。ちなみにサンティアゴはスペイン語で聖ヤコブのこと。ちょっと無理やりかもしれないが「聖ヤコブの星の草原」という意味で、今も重要な地・名として残っている。
この巡礼路はスペイン語ではEl Camino de Santiago(サンティアゴの道)と呼ばれ、カミーノは道という意味だが、カミーノといえばこのサンティアゴ巡礼を指すといっても過言ではないはず。
道として世界遺産に登録されているのは世界でも、このカミーノと日本の熊野古道の2つだけ。熊野古道と同じように特定の聖地を目指す旅だから様々なルートがある。各国の人々が歩いたことを示す「ポルトガルの道」や「イギリス人の道」、金銀を運んでいたローマの交易路である「銀の道」だとか。
自分が今回歩くのは「フランス人の道」。フランスとスペインの国境にあるサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからピレネー山脈を越えて、スペインを横断する、最も多くの人々が歩いている約790kmのコースで、(巡礼自体衰退していた時期もあるようだが)その数は年間10万人以上とも言われている。
巡礼路はどこもそうだと思うが、現代では歩きだけでなく、自転車で移動する人もいるし、数は少ないが馬で巡礼をする人もいるらしい。(実際に正式な手段として認定されるのはその3つ)
旅の間はアルベルゲと呼ばれる巡礼宿に泊まることになる。アルベルゲは公営と市営があるが、公営は先着順でベッドが埋まっていくらしい。基本的にベッドにはシーツが敷かれているだけで、巡礼者は皆持参した寝袋で寝ることになる。
アルベルゲでは巡礼手帳(クレデンシャル)にスタンプを押してくれて、その集まったスタンプが巡礼の証明になる。お遍路ではお寺を巡って納経していったが、今回は宿で集めていくことになる。
巡礼の目的は様々だろう。信仰目的の人もいれば、自分探しや、文化的関心、交流、運動やダイエット、とまあ歩き旅には付き物のそれら。
自分はどうだろう。何を目的に歩こうとしているのだろう。
これまで歩いてきた巡礼路で得た楽しさや感動を、純粋に今回の旅にも期待しているという部分はある。それが出会いになるのか景色になるのかはまだわからないが、そういった時間が待っていることを願っている。
正直キリスト教とはクリスマス以外に縁はないし、そのクリスマスもイベントとしてしか触れたことはない。聖書を読んだりする好奇心の延長線上として、この巡礼を通じ、キリスト教についてもっと知りたいという気持ちもある。
それは、宗教や国、時代は違えど、祈りの形はそう変わらないと思っているから。
いつだって祈りは存在する。崇拝する神に近づきたいという信仰心、絶対的な存在を通じての願いや誓い、大切な人の死を悼む気持ち。
キリスト教徒ではないという意味では、自分は敬虔な信者とは真逆の、言ってしまえば(信仰心もないのに歩こうとしている)無礼な人間かもしれないが、信仰について特に何も考えずに歩く人間でもない。
無宗教的にも受け取られてしまう可能性はあるが、一部のカルト以外を除けば、自分は多くの宗教に対して関心や敬意は持っている。つまり、自分の信仰だけを崇めて、他の宗教やその信徒を否定するつもりはない。
このスタンスは日本人的というか、日本人の典型的な宗教観に沿っているような気もするが、どうだろうか。
この肯定が宗教(信仰)的娼婦とされるならもう、ただの巡礼者ということにしておこう。
純粋に宗教の歴史や謎を知るのは面白いし、巡礼中は熊野古道と同じように毎日が世界遺産を体感する日々であるわけだから、そういった楽しみも待っているはず。歩いているうちに見つかる意味だってあるかもしれない。
うん、なんか無駄に長くしてしまった気もするけど、再び車内に戻る。時刻は9時45分。
大きな街が見えてきた。大聖堂のような塔も見える。
よく考えてみたらこの列車では直接ピエ・ド・ポーには行けないわけだから、サン・ジャンは違う場所に決まっている。
ここはGare de Bordeaux Saint-Jean。ボルドー・サンジャン駅。ワインで有名なあのボルドー。
乗り降りする人は多かったが、その分荷物の置き場に困っている人の姿も目に入った。荷物置き場はもう空きがないし、上の棚も大きくはないし、そりゃ置けないよなと。長距離移動なら大きな荷物の人も多いだろうから、もう少し車両に配慮・工夫があっていいのに。
昨日の高速道路から見つけたのと同じような、キャンピングカーが集まっている場所があった。広い敷地の中にプールや滑り台のある家も見えた。フランスの田舎にあるそれらは憧れの対象と呼べる。
まだ到着までは1時間はあったのでもう一度寝れたが、もういいか、と寝ずに過ごすことにした。その後、切符チェックが行われた。画面に表示させたeチケを見せて一瞬で終わった。
広大な畑や草原が車窓の先に広がっていた。羽を広げたコウモリのように広範囲に放水できる機械は、日本ではまず目にすることのない大きさだったので印象に残った。
荒野のように整ってない土地もだだっ広く、パリとはまた違ったフランスの風景が見られた。
一羽だけで佇む小さくはない鳥。今日もまた馬や牛といった家畜の姿がある。湿地もそう。この時間で僕が見た光景。
これから多くの巡礼者に出会うだろうが、三つ目の巡礼地として歩く人間はそういないだろうと考えた。それなりにクールだとは思う。
明日が晴れればいいな。移動しているのは確かだが、今日の雨は降っては止むの繰り返し。
列車の到着時間が近付いてくると少し緊張しているのがわかった。まだ経由地のバイヨンヌにすら着いていないのに。
残り10分になると更にドキドキは増した。自分の荷物を複数人の荷物の上に載せているってのもあったけど。
11時47分到着。激しく雨が降っている。
それらしき格好の乗客たちも降りたようだ。韓国人ファミリー、褐色の男性、白人の男性。他には韓国男子たちの姿もある。
地下通路の階段を上ろうとしたら、 大きな荷物を抱えた白人のおばあちゃんを見つけた。それを持って階段を上がるのは大変だろうと思い、肩をトントンと叩いて、荷物持って上がりましょうか?といった感じで尋ねてから手伝った。上がり終わるとメルシーボクーと笑顔でお礼を言われた。
ここからは在来線に乗り換えてSJPDPに向かう予定。12時1分発に乗る人たちに職員が声を掛けていて、自分も掛けられた。でもせっかく初めての場所に来たわけだから、このバイヨンヌという場所を少し見てみたい。
白人の女の子たちもいる。知ってはいたが、やはり韓国人が多い。うーん、ヨーロッパまで来て韓国人(アジア人)だらけってのは、カナダに語学留学して日本人学生ばかりとつるむってのと同じくらいつまんないぞ。周りからは自分もアジア人の1人として見られているだろうけど。
次の便である14時52分発のチケットをカードで購入した。
最初きちんと読んでおらず気付いていなかったが、チケットにはAUTOCARと印字されている。つまり、長距離バスのことだ。
実際この後に、今日は電車ではなくバスでの代行輸送ということを知った。わりと多くの人がそのバスを待ち並んでいる姿もあった。
かなり激しく雨が降っているので街歩きはサンダルでは無理だ、靴に履き替えないといけない。というかこれだけ雨が降ってると観光もなあ…と困惑。
ってな感じだったから、もう観光はパスで1分のやつで行ってもいいかもしれないと悩んだ。でも出発までもう残り数分。
悩む時間すらろくになかったが、ちょっとした決断をした。いや、せっかく来たわけだし、当初の予定通りちょっと観光しとうと。
東アジア系ではあるが日本人か韓国人かわからない1人の背の低い女の子を見つけた。でも格好や装備がめちゃくちゃ山ガールっぽくて、(花柄のワンピースみたいな服を着てたような記憶)、あんな可愛い感じに着こなすのは日本人に違いないと思った。
ってかみんな結構バックが小さいな。有能だ。自分についてはノーコメント。
バックパックにレインカバーをつけて折りたたみ傘で出歩くことにした。さっきの小さな女の子は橋の向こうに行ったと思ったが戻って来ていた。
バイヨンヌ駅。
駅前は工事中。
アドゥール川に架かるサン=テスプリ橋を渡る。
もう一つ橋を渡る。バイヨンヌはこのニーヴ川を挟んでグラン・バイヨンヌとプチ・バイヨンヌの2つの地区に分かれている。
グラン・バイヨンヌには銀行や商店が多く、大聖堂を中心とした通りには名産品店が多く、プチ・バイヨンヌには美術館や博物館、ヌフ城などがあるとのこと。
事前にチェックし、限られた時間の中で行きたいと思ったのは2つ。写真の奥に見えるサント・マリー大聖堂と
この1854年創業のショコラ・カズナーヴ。バイヨンヌについて紹介する記事のほとんどで登場しているくらい有名な老舗。
バスク地方にあるバイヨンヌはフランス最古のチョコレートタウンで、チョコレート専門店(ショコラティエ)が現在も多く存在している。
一応生ハムも有名なんだけど、ハムはこの先いくらでも食べる機会がありそうなのでこちらに行ってみることにした。
しかし、開いてない…!お昼だからだ…。はい、下調べ不足です!!まあいいけど!!
とまあ予想外のハプニングというか、ドジをかましちゃったので、教会に行くことにした。
その教会へと向かうひとけのない路地で、原付のヘルメットをかぶったままたの若い男と女が喧嘩していた。
でも僕にとってはその喧嘩は関係ないことなので、左右のバランスがまともならいける気がする…なんてことを考えながら、横を通り過ぎた。
サント・マリー大聖堂。13世紀から14世紀にかけての建設。
多分街のどこにいても85メートルの2つの尖塔は見えるはず。ノートルダム・ド・バイヨンヌという別名もあるらしい。
旅の成功祈願・出発の挨拶ではないが、四国に入る前の東寺のような気分ではあった。
薄暗い聖堂内からは聖歌が聞こえていた。ちょうど自分が入る12時半までお昼のミサで歌っていたのだろう。
少し腰を下ろして、この場所で時を過ごしていると、祈りたくなった。詳しい祈り方は知らないが、息を呑むような静寂の中で、こういう時間を多く過ごせたらいいなと思った。だいたい歩いているだろうけど。
東洋人は0だった。天気が悪いということもあるだろうが、巡礼に向かいそうな人もいなかった。
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路として世界遺産にも登録されているんだけど、みんなここには寄らずさっさと移動しちゃうのかな。
黒い祭服を着た神父はいた。
うーん、時間余るなあとまた悩ましかった。カフェでゆっくりと過ごそうと考えていた、その時間がまるまる潰れちゃったし、どうしよう。
出口付近に小学生くらいの集団がいて、何してるんだろうとぼんやりと眺めていたら、そこにいた男の子が近くの女の子に、こっち見られてるよーとニヤニヤした表情で教えていた。その女の子はなぜかずっとニコニコの笑顔で自分を見続けていたから、手を振ったら可愛らく振り返してくれた。なにこの超絶癒し。
本当に可愛い子だったし、多分あの男の子も、女の子のことが好きなんだろうなと微笑ましかった。
そして雨がほとんど降り止んでいた。カズナーブが開いていたら完璧だったのにな。
カップルはまだいた。でも先程よりは落ち着いた様子。
お昼休み中のカズナーヴの前をまた通ったので、テラス席のテーブルに貼ってあったメニューだけ写真を撮った。ここで待ち続けるのもおかしいので、駅へ戻ることにした。
そんな寒くは感じないけど白い息が出る。それにしても絵になるなあと感嘆。
右足が痛い。乗っかってるからだろうな。今日の宿が二段ベッドなら下段で荷物を広げたい。
駅に戻るとトイレを探したが、間違い探しかよってくらいわかりにくくて、若い白人男性と探し合った。ああ、ここかとわかったときの感動のシェアっぷり。ウケる。
待合室のようなスペースのベンチにはコンセントがあったので助かった。でもまだ1時間半は余っている。重たい荷物を再び背負い、2時からカズナーヴに行くかどうか。
みんな先程のバスで行ったのかと思っていたが、韓国人親子3人も待っていたし、例の小柄の女の子もどこかから戻ってきた。いたのかと少し驚いた。身長は145cmくらいだろうか。みんなどんな風に過ごしていたんだろう。お昼時だったので食事でもしていたのかな。
車のマークが用意されているということは、今日みたいに雨で代行が出るのは珍しいことではないのかもしれない。
時間的にバタバタするだろうがやはり行くことにした。事前に行こうと決めていた場所に行かないと後悔が残るかもしれない。
駅で待っている間に雨が少し強くなっていて、レインカバーを外さなきゃよかったと歩き始めて思った。
店の前には13時55分に着いたが案の定開いてなかった。店内も真っ暗。日本じゃあるまいし、ぴったしに空いたりしないよな。という予想通り、2時になっても開かなかった。焦りが募る。こちら側で時間を使いすぎてバスに乗り遅れたんじゃ洒落にならない。
白人の祖父母と孫娘と祖母と同じくらいの年齢の女性の4人も待っていた。
数分後に20代後半くらいの女性店員が来て鍵を開けた。彩り豊かなチョコレートが売っている場所の奥はサロンになっていて、そこに座っていると若い女性客も1人来た。
トーストもセットで注文するのが定番らしいけど、間に合うかどうかわからないので頼まなかった。でも、優雅にいこうじゃないか。汗臭い物語だけじゃシックではない。今回の旅は余裕を持って様々な物事を楽しみたい。
しかしなかなか注文したメニューは来なかった。14時15分、音沙汰なし、焦る。35分には店を出ていたいが、20分になっても変わらず。良くないぞこれは…。でもキッチンでは音はする…。と思っていたら前の4人が頼んでいた自分と同じメニューが来た。並んでおけば良かったな。先にいたのは自分なのに。という全力の焦燥感。
でもそれから数分後に自分のも来た。これが名物のショコラ・ムスー。ホットチョコレートのこと。
ショコラの泡が特徴的だけど、これは注文を受けてから泡立てるらしい。お昼の開店直後だし、時間が掛かるのも仕方ないか。白いのは甘い生クリーム。
紙ナプキンがなくて、垂れてきたチョコレートを指で拭いて、それをハンカチで拭くと、色が付いてしまったけどまあ大丈夫でしょう。
小銭をぴったしに用意しておいて一瞬で支払いを済ませた。フランス語でお礼を言ってから、お店を30分に出た。
二杯分あったし、程よい甘さで美味しかった。今のところ大勝利巡礼(まだ始まってない)。
40分前に駅に戻ってこられた。そのまま停まっていたバスの方へ向かい、電車のチケットを女性の運転手に見せて乗り込んだ。乗客は十数人ほど。
これから1時間以上このバスに揺られることになる。最初座席は左側に座っていたが、景色が良さそうだったので右側に移動した。例の小さな子は前の方に座っていた。
14時54分頃出発。
この移動中で寝ようかと考えていたが、走行していたのは田舎のぐねぐね道で、なかなか寝られるような道ではなかった。
でも車窓は楽しかった。当然知らない町、丘の上に羊がいたり、別荘地のような場所を抜けたり、ときには山を登っているような景色さえあった。
川の水位が非常に高い。普段はどのくらいなのだろう。
雨もかなり降っていた。明日もこんな感じなら難所とされるナポレオンルートは歩けないな多分。
バスがいろんな駅に寄っていくの今はなき三江線のデジャヴ。バスも悪くはないが、電車でこの路線を走るのもきっと楽しかっただろう。
はっと気づいたときにカメラアプリを起動させても、遅いので写真はないけれど、ガラス張りのサンルームをアトリエにしてる家が、線路の上の川を見下ろせる場所にあって素敵すぎた。ピンク色の花の木も綺麗だと思ったけど、なんていう名前なんだろう。
この日の車窓の写真はどれもイマイチだな。でもあまり気にしないことにする。
しばらく進むとそれっぽい標識も出てきた。あれがカミーノの目印だろうかというものも。巡礼の道はやっぱりこういう場所なのかな。
4時前に車内を見渡すと結構多くの人が寝ていた。出発日の明日に備えて皆体力を温存しているのだろう。
最前列に韓国人家族3人が乗っているけど、お隣の韓国からは家族で来たり、1人でも来たりと、それだけ知名度があって人気もあるんだろうな。女性作家が書いた巡礼記が人気というのは知っていたが、この先も何度となく会うことになるだろう。
日本ではそもそもサンティアゴ巡礼を知っている人は1%もいないだろう。一生その名前を聞かずに終わる人も少なくないはず。でも僕にとっては多くが外国人だらけでよかった。こんな遠くの異国に来てるのに自国民だらけでした、ではなんかね。
そして、この旅は女性もわりかし多そうだ。歩き遍路は9割9分男性だったのに。
サン・マルタン・ダロサ駅で1人降りた。
写真に収められてはいないが今日だけで羊500匹は見ている気がする。
お、もうすぐ到着だ。
だいぶ栄えてる。ここが出発の町か。まるで冒険だな。
サン・ジャン・ピエ・ド・ポー駅前で乗客は全員バスから降りた。駅の中では何かの撮影をしていた。
巡礼事務所には行くのだろうが、どう行くべきかはみんなわかってない感じで、何より雨なので揃って軒下に避難していた。
ふと例の小さな子の方を見たら日本語のガイドブックを読んでいるのが見えた。日本人だったか。
Excuse meと話しかけてみた。「Where are you from?」 「Japan」 「日本人?」 「Yes」 なんだこの会話は。
お互いに自己紹介するような形で歩きながら話した。名前はそのこちゃん。年齢は1個下の24歳で、群馬から来たと。福岡の場所を、石川の下ですか?には笑った。まあ地理好きじゃなければ縁がない土地なんてわからないか。
東京の大学で働いていたのを辞めて来たらしい。失礼だけど…と聞いた身長は148cmだった。大きめの眼鏡を掛けた、見るからにおっとりしてそうな女の子で、とても歩き旅に出そうな雰囲気ではない。ちなみにバイヨンヌではふらふらと歩いていたらしい。
Pilgrim’s Officeへの案内が出ている。
事前にストリートビューで事務所の位置は確認しておいた。この門も見覚えがある。
ここが巡礼事務所。事務所内にはカウンターが3つか4つあって、順番を待っている間に、あれだったら一緒に説明受ける?という流れになった。自分たちを対応してくれたのは中年の女性だった。
パスポートを見せて名前を用紙に書き込んで、クレデンシャルという巡礼手帳を2ユーロで購入し、最初のスタンプを押してもらってから、明日のルートの説明を受けたんだけど、英語で説明してくれたのはいいが、悩みに悩んだ。というのも、ナポレオンルートというピレネー山脈を越えるルートと、国道沿いの谷を歩くルートがあって、その前者のナポレオンルートは危険だと何度も言われたから。
明日も雨だし、もし登ったとしても山が通行止めになる可能性もあって、そうなった場合は車で国道の方まで移動しないといけないと。ナポレオンルートは25kmだし明日1日で山を越えるつもりで来ていたけど、おばちゃん曰く一日では越えられないから途中の町で宿泊しないといけないし、その宿は今日中に予約しないといけないから今決めてくれと。
完全に山を越えるつもりで来てたから、ええ…どうしよう…と悩んだ。そのこちゃんも悩んでいた。大変だろうけど歩くと決めていたのに、まさかこんな風に言われるとは想像もしていなかった。通行止めならそりゃ諦めざるを得ないけど、どうすべきなんだこれは。
多くはないが毎年死者が出ているのは知っている。でも何より、事務所の人から危険だから辞めた方がいいと言われると説得力があるし、もう困った。安全なのは大事だが、見える景色は当然違うだろうし。
歩くのは止めた方がいいと言われている自分たちの話を聞いていた、後ろにいた青いジャケット姿の白人女性も「え、歩けないの?」と驚いて、会話に混ざって質問していた。彼女の話しっぷりからはどうしてもナポレオンルートを歩きたいのがわかった。
本当に悩んだ。でも、選択肢はないと思う?と聞いて頷かれたので、もう山越えは諦めることにした。隣にそのこちゃんがいたというのも多少は影響があったかもしれないが、自分1人でもあそこまで言われたら同じ決断をしたかもしれない。
事務所での用事が終わった後、まだ納得がいかないというか、若干悲しそうな表情にも見えた青いジャケットの女性に、気持ちはわかるよと伝えた。
荷物を移動させるときにそのこちゃんの荷物も一緒に運んだが超軽かった。パッキング大敗北。
予想外の悩みの時間を過ごしてしまったが、残念ながらこの天気なので仕方ない。不運なのに違いはない。
依然降りしきる雨の中、次はアルベルゲ探し。でも既に満員のアルベルゲもあった。
(実は事務所でオススメのアルベルゲはないかと質問したんだけど、それは言えないという答えが返ってきた。でも考えてみたらそうだよな、そりゃ事務所の人が言うとマズいよな。と納得した。
巡礼事務所がある通りにアルベルゲも立ち並んでいるんだけど、Gîte Buen Camino(看板は最初の文字がCなのに、ネットで見るとG…)というアルベルゲの案内を読んでいたら、下見する?と誘われて宿のおばちゃんが案内をしてくれた。
安くはないけど、朝食付きだし、始まりの地なんてみんな泊まるわけだから仕方ないか。自分たちが日本人だとわかると更に歓迎してくれている様子だった。宮崎が好きと言うので、なんで宮崎なんだ…青島か…?どこだ…?と思ったら宮崎駿のことだった。
新しいわけではないが結構綺麗なところだ。悪くない。
空きのあった4人部屋に案内されると、ベッドくっつける?と聞かれた。どうやらカップルと思われていたっぽい。
洪水警報は出ているし、川はもう今にも氾濫するのではという程の水量。大変なスタートだ。
後でスクショした天気情報。
話しながらふらふらと街歩きをしていたら韓国人男性のグループから「ニホンゴデスカ?」と話しかけられた。話しかけてきたのは中年のおっちゃんで、若者2人も一緒。1人は背が高くて、1人は少しぽっちゃりしている。(実は2人ともパリの駅とTGV車内の写真に、おっちゃんも後ろ姿はバイヨンヌ駅での写真に写っていた)
別に日本語が達者というわけではなかったので、英語で会話をした。若者からバイヨンヌで見かけたよと言われた。つまり彼らは自分たちより一便先のバスで来たわけだ。
とても気さくな感じで思わず握手の手を差し伸べた。おっちゃんからカップルかと聞かれて、違うよ、さっき会ったばかりと返すと、結婚するの?とからかい気味にまた質問が続いた。そのこちゃんが全力で否定していて面白かった。
なんと彼らは明日ナポレオンルートを行くらしい。いや、歩く人いるのか…。戸惑いながらも、グッドラックと短い激励の言葉を送った。若者はオネガイシマス〜と何度も言っていて面白かった。自分も知っている韓国語を使って、わけのわからない会話のキャッチボールを返した。
遍路でいう菅笠や金剛杖などに当たる巡礼者の目印となるアイテムはカミーノにもあって、それはホタテ貝、ひょうたん、杖の3つ。
中でもホタテ貝はカミーノのシンボルになっていて、この町でも貝殻マークをいくつも見つけた。ホタテ貝はサンティアゴ・デ・コンポステーラがあるガリシア地方の名産品で、巡礼を終えた証拠として自分が食べたホタテ貝の貝殻を持ち帰ったのが由来らしい。
またホタテ貝は「再生」も意味する。生まれ変わりの旅という意味ではカミーノも熊野も同じ。古の頃から巡礼者たちは国は違うが似た意味を見出していたのだろう。
別に生まれ変わりは望んでいないが、とりあえず自分もバックパックに付けておきたいので、この町で入手するつもりだったんだけど、結構お土産系の店が閉まっていて焦った。明朝出発する時間は当然開いてないだろうし。まあ、開いてる店があることはあったので買えて一安心。
そのこちゃんは岩手に滞在しているときに入手したらしい。サンティアゴ巡礼についても岩手で知ったと。
それからは夕食を食べにレストランへ行った。どこにしよっかーとちょっと歩き回っちゃったけど。
バスク地方の料理にしたが、+でついてるフレンチフライことポテト氏がまた多過ぎて、食べ終わったら苦しかった。
食事中もいろいろと話をしたけど、パリよりこっちの方がフランスを感じるとそのこちゃんが言っていたのは印象的だった。一理ある。
程なくして白人のおっちゃん客も入ってきて、頭の肌まで雨で濡れたよとハゲネタを披露していた。彼も巡礼者のようで、これから先ワインが楽しみだと話していた。
店は親子経営っぽくて、愛想は悪くはないけど、愛想がないというかなんというか。無口のお母ちゃんは食後にアイスいらないと言っているのにメニューを持って来ていた。
外に出るととても寒かった。写真は帰り道で見つけたハンモックのある宿か住宅。どんな感じで使うのかはわからない。
こちらは宿泊するアルベルゲの看板犬。
部屋の残り2人はどちらもおばちゃんだった。ロザンカという名前のブルガリア人と、もう1人はカナダ人。
ロザンカは薔薇の香水のようなものを持っていて、それをそのこちゃんの手につけていて、匂いを嗅いだけど上品な匂いだった。自分の隣のベッドのカナダのおばちゃんはそのこちゃんにベッド代える?と聞いていた。またカップルかと思われていて笑う。もちろん断っていたけど。
そのこちゃんは英語を頑張って伝えようとしてる姿が良いと思った。この手の旅の楽しさは会話にもあると思うから、積極的にコミニュケーションを取ろうとするのは素晴らしいことだ。何も喋れないからとここに来る前、マルタで2ヶ月語学留学をしていたとのことだったが、その努力の成果をこの旅で感じるんだろうな。
他の部屋にも宿泊者がいる音はしていたが、この夜は同室の2人としか交流はなかった。
シャワールームは男女兼用で、確か3つのシャワーがあって、反対側の洗面台のガラスがやたらと曇っていた。
日本人が置き忘れたのか無印の小分けチューブがあった。
パンティーもあった。ドライヤーの代わりですかね。
予想通りバタバタ・ソワソワ状態だった。洗濯もする余裕がないし、これが大型アルベルゲだとさらに大変だろう。
荷物をある程度取り出してパッキングし直してみたけど、やはり実際に歩いてみないとわからない部分はあるし、元も子もないことを言えば、重たいことに変わりはない。
カロリーメイト等の非常食を非常食とは言い難い量持っているので、食べて減らしていかないといけない。
水に溶かすアミノ酸飲料の粉も持っていたのでそのこちゃんに3袋ほどあげた。遍路で貰ったときに嬉しかったから、いる?とも聞かないでどうぞとプレゼントしたけど、でも考えてみたらこんな序盤に貰っても疲労が溜まっているわけでもないし、水を飲み飽きてるわけでもないから迷惑だったかもしれないな…と後で思った。邪魔になったなら申し訳ない。要らなかったなら捨ててくれれば…と。
歩き旅については少しはアドバイスできるけど、サンティアゴについてはそのこちゃんと何も変わらないど素人同然。なんとかなるだろうと入念に調べたわけでもないし、細かく計画を立てる気も今のところない。宿のWi-Fi依存なので、電話予約の手段もない。
大学でちらっとワンダーフォーゲルのサークルに入っていたらしいけど、見た目からはそのこちゃんは歩き慣れている感じには思えない。少なくともガチ勢には見えない。
せっかく日本人と出会えたが、すぐ別れるのだろうか。そのこちゃんの帰りの航空券の予約は5月25日。自分のゴール予定もかなり余裕を持たせての20日なので焦ってはいないけど、どうなることやら。
事務所で貰った明日の道についての案内。でも最初2枚はナポレオンルートについてなので関係ない。
明日は右のルートで、バルカルロスという町を経由してロンセスバージェスを目指す。
この他には標高差がわかるサンティアゴまでのモデルプランと、各町のアルベルゲリストが載った紙も貰った。ありがたい。後々役立つことになる。
これはクレデンシャル(巡礼手帳)。現地ではなく、今撮った写真だから少し折れたりもしてるけど。
とりあえず雨なのが良くない。明日も雨で、明後日も多分そう。天気も影響してか、いよいよ始まるというのに気分は良くない。道に迷わなければ問題はないだろうが、食事がうまくいくかといった不安はある。でも誰かと一緒なのは嬉しいのだと思う。出発前から日本人と会うとは予想していなかったけど。
予想が付かなかった今日。これからもそう。明日はどんな一日になるか。
干されているのは雨で濡れた衣服。
10時頃におばちゃんたちは寝た。そのこちゃんがガイドブックを読んでいるのでまだ電気は消してない。多分スイッチは自分の近くにあるもの。
自分も寝袋の中でバタバタだった今日1日のメモをまとめているし、お腹が鳴りそうで震えている。
電気はそのこちゃんの方がついていた。消していいよと伝えたのが22時11分。外の街灯がちょうど窓ガラスの向こうにあるので真っ暗にはならない。
自分のベッドは出入り口のすぐ近くだったのが、どうやってもこの古い扉は完全には閉まらないらしい。
カナダ人のおばちゃんはいびきをかいているが、これくらいなら特に問題はない。
外は雨が降り続いていて、雨粒が石畳の道に打ち付けられる音がずっと聞こえていた。