4月12日。
隣のカナダ人おばちゃんのいびきは徐々にうるさくなって、今まで聞いた中でも最大級の音量まで上がり、眠れるわけがなかった。彼女はこの先いろんな人を苦しめるだろうなと思った。
こんなことならベッドを変えてもらえばよかった。このまま眠れないのは最悪だと耳栓を途中で付けたが気休めにしかならない。それはまるで叫び声のよう、いや、耳の中にウシガエルでも詰め込んでいるような騒音だった。いびきだけでなく、タップダンスかのようなリズミカルな歯ぎしりも聞こえてきたときにはもう笑うしかなかった。
2時ごろにそのおばちゃんがトイレへ行ったとき、水を飲んだら喉の奥の気管に入ってしまい、むせて死ぬかと思った。他の2人は寝てるからできるだけ音を立てずに落ち着かせる必要があって、非常に苦しかった。
という災難な夜だった。可哀想。
朝になると、6時にロザンカのアラームが鳴り、外の通りの灯りもついた。他の部屋からはもう音が聞こえているので確実に起きている。
バスルームですれ違った韓国人家族の娘には挨拶を無視されたような気がする(あのバスで一緒だった家族は宿も一緒だったみたい)。戻ってきても自分の部屋はまだみんな寝ていた。まあ朝食は7時だから問題ないけど。
上述のいびき事件に巻き込まれたりもしたが、眠りの浅い人間にしては結構眠れたと思う。4,5時間は眠れたかな。
30分にそのこちゃんのアラームが鳴ったが、すぐには起きなかった。朝は弱いのか、それともまだ眠たいのかな。
ガイドブックに載っている情報はナポレオンルートのことばかり。
どう進むか、どこまで行けるか。そのこちゃんといつまで一緒にいるかはわからないが、んじゃもう先に行くねさよならってな感じで、あっさりと別れてしまうのはちょっと寂しい気もするし、彼女次第な部分はあるだろうか。
自分以外は誰も起きていない部屋の中で、1人なら今日山越えをやるだろうなと思った。でも行って足止めを食らい、車で国道の方まで戻らないといけませんでしたというオチはむなしい。天気とは困ったものだ。
実際に歩いた人たちのブログを読んでしまうと更に悩んだ。ナポレオンもスペイン遠征の際に通ったという、フランスとスペインの国境にそびえ立つピレネー山脈を越えるルート、それが初日というのはやはり魅力的だ。でも地味な方の道を行くか。
6時前後に外から声が聞こえたのは多分出発した人たち。難所と言われる山を越えるのだから、もちろん出るなら早く出るべきだ。自分がもし今から急遽そちらを行くとしたら、わざわざ寝ているそのこちゃんを起こすのもあれだし、無言で去るという最高に感じの悪い去り方になるだろうか。
だがそもそもこの宿は7時から朝食だ。それを食べていたら更に時間は掛かるのだから、山どころか国道の方を行っても、宿のベッドが確保できなかったならどうしようという不安はある。いくら下調べした情報があっても、実際の状況がどんなものかはわからないから。
というか6時50分になった。もう出発している人たちはいるのに、まだ誰も起きない!と勝手に焦っていた。
苦肉の策で結構わざとらしく音を立てて寝袋を畳んでいたらそのこちゃんが起きた。 2人が起きれば音はもっと立つ。おばちゃん2人も起きた。
まあ、焦らず行こう。
朝食は1階の部屋で長テーブルを皆で囲んで食べるというスタイルだった。当然っちゃ当然だけど、自分の部屋の人たちが朝食会場に着いたときには既に他の部屋の人たちは食べ始めていた。そしてその他の部屋の人たち(6人とか7人とかだったかな)というのが全員韓国人っていう。
3人家族以外にも歩きグループで来たという人たちがいて、自分の隣に座っていた戦前生まれのおじいちゃん(と言っても背も高くて全然老けては見えない)は日本語が達者で、戦後に帰国してからも銀行の研修等で来日していたらしい。この曲は知っていますか?と美空ひばりや古い日本の童謡のクイズを数問出された。
メニューは家庭的なバイキングといった感じで、複数の種類のパンやシリアルをメインに、飲み物はコーヒーやティー、ホットミルク、オレンジジュースやビタミンジュースなど豊富に用意されていた。
突然、宿のおかみさん(アルベルゲの世話人はオスピタレロと呼ぶので以後それで統一する)が皆の前で、カナダ人のおばちゃんの肩を抱きながら「実は今日スーザンの誕生日なの!」と言い、それから小さなロウソクを持ってきたので皆で祝う流れになった。
日本語のバースデーソングはどんな感じ?と聞かれたけど、ご存知の通り全英語詞で本家との違いがないので、韓国語でのハッピーバースデートゥーユーでお祝いした。
隣のおじいちゃんが何歳になったのか質問したけど、オスピタレロがヨーロッパでは女性に年齢を聞いちゃだめなのよと制した(その代わりお腹の脂肪の量とかで予想してねと笑わせてはいたけど)。
でもスーザンが「いいの、教えるわ」と置いてから、今日68歳になったのだと教えてくれた。そのこちゃんが誕生日にスタートしようと決めてたの?と質問していた。返答を聞かずともそうだろうとは思ったけど、ええ、そうよと答えていた。
スーザンがオスピタレロに日本について尋ねたので、オスピタレロのおばちゃんが彼らは礼儀正しくて~クレバーで~といった具合に日本の良さを存分に語って、めちゃくちゃ褒め称えてくれた。それを韓国人たちが無言で聞いているってのがシュールだったが、旅を終えて振り返ってみれば、初日の朝のこの場面はある意味象徴的だったのかもしれない。
正直きちんと理解はできなかったんだけど、おじいちゃんたちはここで一旦終了なのか、ルクセンブルクへの飛行機(の天候の回復?)を待っていると話していた。でもその後、何日掛かりますか?と質問され、35から40日くらいですかねと答えたら、私たちも同じくらいですと言っていた気がする。うん、ようわからん。
朝食を食べ終えると出発の準備を進めた。ドキドキよりソワソワに近い緊張感もさすがに少しはあった。
荷物を一階へ下ろし、そのこちゃんと一緒にオスピタレロに許可を得てキッチンの水をペットボトルへ汲ませてもらってから、トレッキングシューズの靴紐を結ぼうとしていると、ストックを部屋に忘れていることに気付いて戻った。部屋にはスーザンがいて忘れちゃってたと笑ったら、あれは違う?と洗面台に連れて行かれ、無印の小分けチューブについて聞かれた。違うけど、日本語が書かれていたから教えてくれたんだろうな。優しい、ありがとう。
そのこちゃんが「ロザンカも一緒に歩きたいって言うんでいいですか?」と聞いてきたが、断る理由は一つもないので彼女も一緒に歩くことになった。
雨はほとんど降っていないのでポンチョ無しで外に出た。
出発前は入り口付近で皆で写真撮影やハグをしたりと朗らかな雰囲気だった。あまり写真に写ることは好きじゃないんだけど、まあ写りまくった(主にロザンカが頼む写真に)。こんなに明るい旅立ちは知らないので戸惑いもあったが、なんか欧米っぽくて面白いなーとは思った。
オスピタレロからは「ブエンカミーノ!」という言葉を掛けてもらった。これはスペイン語で良い旅をという意味。巡礼者同士でも使う掛け声のようなもの。オスピタレロはとても明るく感じの良い人でこのアルベルゲにして良かったと思った。
8時15分頃に出発した。
町の出口にある時計塔。この門を潜って、一歩踏み出せば、旅の始まり。
だが少し歩いたところで、そのこちゃんがストールか何かを忘れ物したということなので、この時計塔の先でロザンカと待つことになった。
待っている間に、この時計塔を後ろにした写真撮影をロザンカに頼まれて応じた。その後自分のも撮るかと聞かれて最初は断ったけど、うーん、やっぱり撮ってもらおうかと、珍しく頼んだ。
ニヤケ顔が気持ち悪すぎて変なスタンプつけたけど貼っちゃう。記念すべき出発の瞬間だしね、うん。
まだまだ川の水位は高い。住民の人は怖くないだろうか。
そのこちゃんが戻ってきて改めて出発。街道を歩いて行く。
先程、町の出口と書いたけど建物は立ち並び続けていたので、こちらの城壁跡のような場所が正確には現在の町の出口かな。ここから先は一気に建物が減った。
どんな道が待っているか、どんな旅になるか。わからないことだらけ。
新道のバルカルロスルートは右。旧道のナポレオンルートは左。
ロンセスバージェスは今日の目的地だが、横に書かれてあるOrreagaが何を指しているのかわからず、このときは目安の時間もどう計算すればいいのかわからなかった。Orreagaはロンセスバージェスのバスク語名ってオチだったんだけど。
山と町の間に沈む雲。
寒い朝でもしっかり草を食べる馬。
上の写真から僅かしか進んでないが木が印象的だったので。
そのこちゃんが傘を差していることに驚いた。大変だろう、大丈夫かと心配になった。というのも、トレッキングではレインウェアやポンチョで対応する人がほぼ100%で、傘を差す人はほとんどいないから。雨が止まない限り差し続けるなら、絶対腕も疲れるだろうし。
こっちには羊。
ルートの分岐がいくつかあったので、この朝は案内っぽいこともした。バルカロスルートへの道はこっちだよと。
事務所の警告は無視したのか何なのか、他の巡礼者たちはナポレオンルートに行っている人が多い気がした。この時間からスタートする人は途中の町で宿泊し、2日掛けて歩き切るのだろう。まあいいさ。もう僕のカミーノは始まっている。
わかりづらいけど、十字架。
そう強くはないが雨なので写真を撮るのも大変だ。でも遍路のときのiPhone5sとは違って、iPhone7+は防水機能がついたのでその点は良い。
体格の良い白人のおっちゃんが後ろから来て、どっちの道に行くの?と聞いてきた。ナポレオンではない方と返すと、OK, I’ll follow youと。
この建物は昨日貰った案内の目印にもなっていた。すぐ先の道を右へ曲がる。
さっきのおっちゃんは雨具を着けるだか何だかで、後ろに離れていたんだけど、振り返ってストックを持つ手を上げて合図をした。
いや、楽しいなと思った。それがこのときのほぼすべて。悪くない道だ。
雨脚が強くなってきたので、2人に先に行っててと告げて、家畜小屋の軒先でポンチョを取り出して着た。そこではちょっといかつい感じの20代男性がタバコ休憩をしていたんだけど、Holaと挨拶をしてみたら返ってきた。でもここはまだフランスだ。
先程のおっちゃんが追い越した。見た目からはそう見えなかったが、なかなかの健脚なのかもしれない。
振り返った景色。
景色・交流・食事。この辺りが楽しむ要素になってくるだろうか。
9時に近くの教会から鐘の音が聞こえた。
さっきのおっちゃんと距離は開いてなかったので自然と会話が始まった。彼はビルという名前のアメリカ人。しばらく4人で歩いていて、多分カミーノ参加者の多くが観ているThe Wayという映画の中で、グループができあがっていくのを思い出した(映画自体は別に面白くない)。自分にもこれから、最後のゴールまで歩くようなグループができるのなら、どんなグループになるだろう。
家畜系の匂いがした。
その匂いの正体。たまに車が通るのは畜産系の仕事をしている人たちだろうか。
会話をするとなるとかなり歩行速度が落ちて、このペースだと25kmは夜になるんじゃないか…と不安がよぎった。
でも会話自体は楽しいし、一方的に切り上げて1人ペースを上げるのもあれだし、悩ましい。
ビルはフロリダから来て、妻は今ワシントンにいるとのこと。日本についていくつか質問され、最終的には、福岡行くよ!って笑顔で言っていた。
ここでまさかのハプニング。ビルとロザンカの少し前をそのこちゃんと2人で歩いていたら、なんと矢印を見落としていて道を間違えてしまい、後ろの2人に声を掛けてもらって気付いた。修正はできる道ではあったけど恥ずかしかったし申し訳なかった。以後気をつけます。しっかり確認しましょう。
ここで誰かが亡くなったのだろうか。
膝から下のレインスパッツ(ゲイター)も履いておけばよかった。でもタイミングを失ったなーと思っていたが、いや、普通に膝濡れるわとまた止まって装着することにした。想像以上に時間が掛かってしまったので2人とは大きく距離が開いた。(ビルは2人よりはもう少し後ろにいた)
再スタート。すれ違う車の運転手はたまに手をHiといった感じで上げてくれる。
2人に追いつくためにペースを上げていたが、さすがに飛ばすと疲れるらしい。ポンチョの中は軽くサウナ状態だし。
追いついた自分にそのこちゃんが「りょうさんペース上げるならいいですよ」と言ってきた。うーん、どうしよう。もっと飛ばしたい気持ちもあるが、25kmは余裕がある距離ではあるので、寝床さえ確保できるなら別に焦る必要もない。いろいろと迷う。
大きめの店が現れた。
右の道はぬかるんでいたので、左の駐車場を歩けばよかった。
10時15分。とりあえず荷物を下ろして、一旦ポンチョも脱いで休憩することにした。うん、初日はのんびり行こう。
トレッキングパンツはびしょ濡れ。水で重たくなるし、やっぱり気持ち悪い。
店内に入ると他の巡礼者も休憩していた。バーやトイレもあったのでロザンカとそのこちゃんが席を離れている間は見張り番。自分の荷物は外に置いてある。いや、舐めてるな、持ってこよう。
テレビではCLでのアッレグリの会見が放送されていた。
ロザンカが自分とそのこちゃんにりんごをくれた。陽気なおばちゃんでお喋りも好きそう。自分は水を持っていたので何も頼まなかったが、ロザンカは温かい飲み物を飲んでいた。
マップを確認すると、実はもうフランスを越えてスペインに突入していることを知った。いや、いつの間に…!全然気付かなかった。先程のぬかるみ道と駐車場の終わり辺りがちょうど国境だったみたい。
そのことを遅れて到着したビルにも教えると、本当かい!?目印なんてどこにもなかったよ!と笑っていた。でもスペインに着いた!スペインに着いたということはもうフィニッシュさ!とまるで最終目的地にゴールしたかのように両手を高く上げたので爆笑した。
11時前に再出発。ちょっとどう進んでいいかわからずに時間が掛かって、ロザンカが地元の人に尋ねたり、自分が先に行って確認したりした。
昨日バスでも一緒だった白人女の子2人組が来た。後ろで同じように迷っていた彼女たちにこっちだよと道を教えたが、この2人はまったく笑顔がなくて楽しくなさそう。どんな理由で歩いているんだろう。
国道に入った。青背景に黄色い貝殻の看板がカミーノマーク。
会話はほぼ皆無だが、4人一列に並んでいて可愛い。道は緩やかに登っていて、皆黙々と歩いている。
聞いていた通り、谷だなほんと。
写真をバンバン撮るのでガールズグループから遅れることもあります。でも写真を撮っても追いつけるペースだし、前には複数人いるので気楽に撮れるからいい。(1人だけ先に行ってもらうのはやはり気を遣うから)
バルカルロスに到着したのは11時50分。だいたい半分ほどと考えて良いだろう。
谷の反対側を歩いている人の姿が見えたが、バルカルロスルートの正規ルートは左の道だった。でも矢印はあったので普通に右側を歩いてきたし、多分こちら側を歩いている人の方が多い。
歩道に埋め込まれている。
良い景色じゃないか。
12時の鐘が聞こえたのはちょうど教会の前にいたときだった。ロザンカは教会の中へ入ろうとしたが開いてなかった。奥では若い白人男女2人が休んでいた。
何かお昼食べたいねという流れになったので、オフラインマップだがGoogle Mapで探してこの先に店があることを2人に教えた。
そしてこのバーに入った。昨日は英語メニューもあったが、この店にはスペイン語メニューしかなくて3人ともわからず困った。
ちなみに、日本人2人で会話するときもロザンカにもわかるように英語で話すこともしばしば。休憩中はモバイルバッテリーでスマホを充電したり、このときはガイドブックを開いていた。
適当に予想して頼んだらサンドイッチが来た。
ロザンカは家族でホテルを経営してるらしく、今は娘がホテルのボスで、夫と息子は庭師とのこと。程なくしてバルセロナにいるドラゴという男の友人に突然電話をし始めた。いろんな国に行ったがスペインが最高だと話していた。
ロザンカがあの女性って一緒だった人じゃない?と指を差して、その方向を見るとスーザンの姿があった。今朝ナポレオンルートに行くと聞いていたがこちらに来たらしい。
あの事務所で悩みまくっていた女性もいて、また会えて嬉しいよと伝えると笑顔だった。30代か40代だろうか。
ロザンカはしっかりと注文していたので自分とそのこちゃんに肉やティラミスケーキを分けてくれた。
山登りはしていないが、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーとロンセスバージェスの標高差は900mはある。さあ、行けるかなあ。
歩き再開後すぐに野生の?ポニーと遭遇した。
毛が濡れててなんか可愛い。この先には日本では見ることのない超巨大サイズのミミズもいた。
動物の糞の臭いがして、この匂いは以前も嗅いだことがある…みたいな謎の会話から、そのこちゃんが高崎市だと知った。高崎市昔知り合いがいたのでちょっと群馬トークをした。
その前日に眠れなかったというのもあって、昨日は眠れたらしい。いびきも気付かなかったと。羨ましい。
国道沿いの道という言葉に多少ネガティブな想像をしていたが、景色は悪くない。雄大な自然を感じられる。
日本なら神社が作られていそうな場所がいくつかあった。自然や植物の話をしていると、桜みたいなの咲いてますねと。確かに桜のような木々は見かける。
道標が良い味を出している。いや、マイルストーンと呼ぶべきか。
Sonokoと発音しづらいというのもあるのか、向こうではソーニャと呼ぶとかなんとかで()、ロザンカはそのこちゃんのことをソーニャと呼ぶようになった。そのソーニャのスマホを見るときロザンカは眼鏡が要る。
歩きながら様々な話をしていたが、お喋りなロザンカが話すことが多かった。今日の宿にいたようにコリアンはヨーロッパ中にいるとか、デンマークやアムステルダムは人々に笑顔が無くて好きじゃないとか。iPhoneの値段という話題まであった。ブルガリアでは1,000ユーロらしい。
町が見えてきた。
ロザンカがこの木をアップルツリーだと教えてくれた。
野良猫がいたのだがすぐ逃げたので写真には写らなかった。
1000年前にもこの町が存在し、巡礼者も通っていたなら、それはどんな光景だっただろう。
残念ながら2018年の自分の巡礼では1人も住人は見なかった。
もう残り8.5kmか。思ったより進んでいる。
ロザンカがこのマイルストーンの上に石を積んだ。これはグッドラックって意味よとロザンカが言うと、ソーニャさんはこれは日本では神様が宿るって意味があるんだよと教えていた。
栗。
滝ができている。
さすがに一度立ち止まって適切な足の置き場を探す必要があった。靴の中まで濡れて浸水するほどではなくてよかった。
ロザンカも写真を撮りたくなってしまうほどの川の流れの激しさ。
素敵じゃないか。この道は山を登っていたら歩けなかった。やはり選んだルートでしか見られない景色というものはある。
また国道に戻ってきた。
いつカミーノの旅に出る決心をしたかという話題になった。ロザンカは小説を読んで30年前にはカミーノに興味を持っていたらしく、決心をしたのは5ヶ月前と。読んだことはある?と質問された。自分はあって、そのこちゃんはないというか、その本について知らない様子だったので教えてあげた。パウロ・コエリーニョの「星の巡礼」のこと。
そのこちゃんが大学で絵画を専攻していたことを教えてくれた。抽象画を描いているらしい。へー、絵描きさんなんだと素直に驚いて、なぜか嬉しくもなった。水が硬くて飲みづらいとも言っていた。自分はわりと平気。
すべての車に手を上げて挨拶することにしたら、結構みんな返してくれる。嬉しい。
雨が上がってからも曇りは続いていたが青空が覗いた。
総スルーしていたけど、このマイルストーンにだけ一つ石を拾って乗せた。
まさかの犬さん出現。ロザンカが無視をして!と注意していた。
びしょ濡れのクルックル。おとなしい子だったから何のトラブルもなかった。
ここから登りの傾斜が上がった。登山が開始したとも言える。
まだ距離はあるな。
スナックバーのゴミを拾ったが入れる袋もないので靴紐の間に押し込んだ。
最近は雨続きだと思うのでぬかるみがあるのは仕方ない。この手の悪路も雨の影響だろうか。
わかりづらいけど、坂道です。登っています。
立派なヒゲを蓄えた20代のリトアニア人男性が、坂の途中にあるマイルストーンに腰掛けて休憩していたので挨拶程度に話をした。彼は疲れた様子だったが、こちらのルートだって初日にしてはかなりキツいはずだ。
ロザンカはいろんな果物を持っていて、バナナも分けてくれた。正直あまり好きではないから普段はまったく食べないけど、お腹がちょっと減っていたのですんなり食べられた。
貼る必要ないだろってくらい意味不明な写真だけど、白人夫婦の奥さんの方がちらっと写っている。やたらと先に進む旦那さんのことを奥さんは、あいつUnstoppableなのよ…と呆れ顔で言っていた。投げやりな感じで変なショートカットをして、その先で旦那さんが待っているという場面もあった。
そのこちゃんが早く着いてシャワーを浴びたいと言った。とても女の子っぽい発言だけど、男の自分も気持ちはわかる。
その鳴き声が聞こえ始めてから、遠く離れて聞こえなくなるまで、延々と吠えていた番犬たち。
自販機があるわけではないのに水場も少ないという飲み水事情。そのこちゃんはトイレに行きたくないからと水はあまり飲んでいなかった。この日の水場は多分ここだけで、トイレはお店以外は一つも見かけなかった。
この辺りでバックパックのベルトを調整した。この旅に向けて新調したもので感覚もあまりわかっておらず、何よりなで肩だからしゃーないわってな軽い感じで気に掛けていなかったが、かなり楽になった。もっと早めにキツく(短く)すればよかった。
そのこちゃんは大学時代のワンダーフォーゲル部で、レンガを詰めた荷物を背負って長距離を歩くというトレーニングを経験したらしい。ブランクはあるもののまったくの初心者というわけではなかった。小さな体ながらここまでもしっかり歩けていたし。
ありえないでしょ…というくらい長い坂道が始まった。地面は泥。
前を歩く子も昨日は可愛い山ガールだったのに、今日は可哀想なくらいにどろまみれ。
でも汚れて当然というような道だ。
だいぶ標高も上がったはず。
植物についての知識がないのが残念。なんだろうこれは。ちょっと気持ち悪かったけど。
登り坂の終わりだろうか、何か展望台のような場所が見えた。
思わずおぉーという感動の声が溢れた。とても見晴らしが良い場所だ。現在時刻は17時15分。
雪山も見える。
周りに民家など一つも見当たらないが教会もある。
自分の足元はこの有り様。汚いわ。
何かの石碑も見えている。
どうやらここは標高1057mにあるイバニェタ峠という場所らしい。かつてはバスク人盗賊を避けるために巡礼者たちは別の峠を歩く時代もあったようだが、現在では主要な巡礼路。
車でここへ来る人もいるようだ。
さすがにみんな疲れが溜まっていたので休憩する流れになったので、教会に近づいてみた。
中へは入れなかったが、覗いてみると、綺麗なステンドグラスが見えた。
石碑の方に行ってみることにした。
これは778年のロンスヴォーの戦いでカール大帝率いるフランク王国が山岳民族のバスク人に破れて、フランク王国の英雄であるローランが死去したと伝えられる場所に建てられた石碑とのこと。
パノラマもなかなかの絶景だ。教会が立っているといった雰囲気を含めて、あまりに、あまりに素晴らしい場所だと思った。
例のごとくロザンカに写真撮影を頼まれてからのこのお返し。雄大なピレネー山脈をバックに、なんか適当に取ったポーズがこれっていう\(^o^)/ それにしてもゴミが目立つし、やたらと楽しそうである。
ロザンカはまた電話をしていた。それからFacebookのMessengerで娘に靴の写真を送りたいから方法を教えてくれと頼まれたので教えた。
ふと気付いたがロザンカのバックパックは15リットルほどだ。どうやったらそんなことが可能なんだ(自分は45L)。
そのこちゃんは靴下を脱いでスリッパを履き、足の状態を確認していたが、足の裏が水ぶくれの前兆のような状態になっていた。明日から歩くのがもっと大変になるかもしれない。悪化しなければいいが。
本来は途中で乾燥させたりするのが好ましいのだが、乾燥させる場所・タイミングがなかったような気もする。今日はロザンカが先頭で歩く時間が多かったし、なかなかそのこちゃんのタイミングで何かをどうするといったことができなかっただろう。誰かと歩くことでそういう風に遠慮するのは珍しくはないが難しい問題だ。これからの自分にだって起こりうる。
確認はしていないが自分の足の状態はどうだろうか。感覚的にはそんなに違和感はないが。
標高1000mなのでさすがに立ち止まっていると体が冷えたので、開けていたファスナーを一番上まで上げた。
休憩していると先程のリトアニア男性がやってきた。あくびをしながら、歩きながら、十字架を切っていた。
また少し会話をした。あと何キロかと聞かれたので2kmほどだよと教えてあげた。かなり疲れたと言っていたが、でも今日が終われば明日からは楽になるとも言っていた。その通り、今日は間違いなく難関であり(おまけにファーストチャレンジでもあり)、しばらくはこんな長い登り坂はない。
彼はここではほとんど立ち止まらず先に向かった。
どうやらここはナポレオンルートと合流する場所みたいだ。
30分ほど休憩して、再出発。
自分で柵を開けて~みたいなの好きなんです。
20km以上歩いてきた。残りはあと僅か。
それらしき建物が見えた。あそこが今日のアルベルゲだろうか。
雪山を背に歩いている。
石の上に無造作に積まれた石。
18時10分過ぎ、ようやく到着した。
この大きな建物がアルベルゲ。入り口を開けると中には十数人の人が受付の手続きを待っていた。
カミーノはアルベルゲに泊まるのが一般的だけど、このテントを見るに野宿をする人もいるということだろうか。
この水道とブラシで、靴とゲイターの汚れを落とした。エストニアの彼と交互に。
白猫。
あの韓国人の男子たちも一階にいて、ぽっちゃりしてる方と話した。ナポレオンルートどうだった?と聞いたら、良かったよって。
靴やストックの収納スペース。この写真を見るとめちゃくちゃ臭そうだけど、意外とそうでもなかった。めちゃくちゃ汚いのは間違いないけど。
これは受付の手続きに必要な用紙。名前・性別・宗教・旅の目的・移動手段を記入する。目的は宗教的・スピリチュアル・文化的興味・スポーツ・その他があったが、スピリチュアルの欄にチェックした。
アルベルゲの平均的な値段はだいたい5ユーロから15ユーロくらい。つまり日本円に換算すると1000円前後という破格の値段。ヨーロッパをこの値段で旅できるというのが人が集まる理由の一つだと思う。中にはDonative(寄付)のところもある。
住民30人の村だし、近辺に飲食店などなさそうなのでディナーもその場で予約した。このときに19:00か20:30を選ぶ必要があって、よく考えず19時にしてしまった。
韓国の彼からまた話しかけられた。何階になったか聞かれたが彼らとは違う階だった。ディナータイムも違って、残念だよ…!と伝えた。今日山を普通に越えられたなら、彼らとは差がつくような気がする。
ちなみにこのアルベルゲは数百人は泊まれそうなキャパがあって、全部で4階か5階くらいあったかな。
ベッドがある階へと移動した。自分のベッドの隣は30代後半か40代くらいの美人妻といった感じの女性だった(他の男性と親しげに話していたから妻かなと思っているだけで、夫婦とはわからない)。どうやら夫婦だからといって隣同士になるとは限らない様子。
最初彼女がブラジャー等をベッドの壁に干していて、それがベッド番号のところに被っていたので、ああ、ごめんなさいね的やり取りは面白かった。そのとき彼女はニベアの青缶を塗っていた。
木に包まれているのと木枠の窓から差し込む光が優しい。
フロアはこんな感じ。1フロアのベッドの数は40くらいだろうか。
韓国ボーイと話していたこともあり、受付はそのこ&ロザンカとは別になったんだけど、ディナーの時間を2人は遅い方を選んでいて、おまけに朝食を頼むのも自分は忘れていた。ロザンカもディナーの時間変えられる?って言うので、間抜けだなーと思いながら3.5ユーロを持ってまたフロントへ下りた。よく考えずパッと決めてしまうことがあるのは悪い癖だ。やたらと悩むときもあるのに。
受付の列に並んでいたが、職員のおばちゃんに朝食の受付だけもここでいいのかと聞くために列を外れた。でも、やっぱり受付のおっちゃんのとこに行ってと言われたので列の後ろに戻ったが、先に並んでいたからどうぞと男性から譲られた。いやいやいや、(一度外れたのは自分だから)どうぞ…!と自分も譲ったその人はどこの国かなーと思っていたら、受付でマレーシアと言っていたのでマレーシア人とわかった。夫婦で来ているみたい。でもマレーシアがパソコンのソフトの国名リストにないという悲劇が起こっていた。
そのマレーシアの男性のパスポートをスキャンするとき、自分がスマホを確認したら受付のおっちゃんに勘違いされて、写真は撮らないでと注意された。でもそのマレーシア男性は自分が撮っていないことを知っていたので優しい笑顔を向けてくれた。
変更は上手く進んだが、思いの外時間が掛かってしまった。
シャワーを浴びないと、とバスルームへ行ったが、もうお湯は使い切られたのか、出てきたのはぬるいお湯、いや、ほぼ水だった。
iPhoneのヘルスケアは結構正確だなと思った。25.2kmになっていたから。だけど道以外も換算されるから、すべて巡礼に費やした距離というわけではない。(バルカルロスルートはナポレオンルートより距離は長いので、この数字は別に正確ではなかった)
出発時間はいつもそんなに早くないわけだから、荷造りは朝やってもいいかもしれないなと思った。
中庭にいた白い猫たち。家族かな。
どうやらホテルもあるようだ。併設なのか、レストランもあるようだが、夕食会場はここではない。
ディナーの前にロザンカが、教会寄ってみる?って聞くから、うんと答えた。
アルベルゲのすぐ近くにある聖マリア教会では、午後8時からのミサが行われていて、なぜかビデオカメラも入っていた。
参加者は見るからに敬虔そうな信者という人もいれば、普通に見学しているだけの白人もそれなりにいる。地元の人もカミーノの人も。
恥ずかしながらミサについての知識は皆無なので、祭儀中の現地の言葉もキリスト、地名、カミーノ、アーメン以外はほとんど聞き取れず、何を言っているかは理解できなかった。途中周りの人と握手をするというのもあって驚いた。見よう見まねでこなすしかなかった。
それから、カミーノの巡礼者が祭壇前に集められて、いろんな国名が読み上げられていたけど、多分アルベルゲで受付した人たちの国名なのだと思う。でもすべての巡礼者が教会内にいたわけではない。ロザンカはそのこちゃんを前へと連れて行って、2人は他の巡礼者たちとともに祝福を受けていた。でも自分は何も知らないことが申し訳なく、また恐れ多くて、その光景を離れて見ていた。(自分と同じように祭壇前に行かない巡礼者もいることはいた)
そしてレストランへ移動。
レストランの一部屋の半分程、約20人の席が用意されていた。3人で座った。
この隣の席には後から来たマレーシア夫婦が座った。
Menú del Peregrinoとはレストランなどで提供される巡礼者向けのメニューのこと。これから何度も出てくるけど、この夜は、一皿目がパスタorスープ、二皿目がチキンorフィッシュの選択肢があった。基本的にはその前菜+メインに加えて、デザートも選べて、ワインor水といった感じ。
自分はパスタとチキンを頼んだ。
そのこちゃんは魚を頼んでいたので写真を撮らせてもらった。
アルコールは体質的に苦手なんだけど、なんか最初の一杯くらい飲まないとあれかな…とノリでグラスに注いでしまって、まあすぐ赤くなったよね。
もう赤いですよとそのこちゃんに言われた。そうやって言われて恥ずかしくなるのはいつものこと(かっこ悪い)。普通に水にしとけば良かったとすぐに思った。周りも水の人も少しはいるっぽいのに。
4人席だったので1人相席で、アルゼンチンのブエノスアイレスから来た中年女性が座った。彼女は英語がほとんど喋れないのでコミュニケーションを取るのが大変だったが、出身とマリア・レオノールという名前なのはわかった。
他の席でも相席で食事をしていて、初対面でも話している光景がいくつものテーブルで見られた。こういう絡みがあるんだなと。無口な白人女子2人はリトアニア男子と部屋の角にある同じテーブルで話していた。いや、喋れるんかい。
マリアはアルベルゲには泊まっているけど多分歩いてない。メッシ!って言うと笑っていた。ロザンカがバルセロナの友達に電話でスペイン語の通訳を頼み、ブルガリア人の英語事情か何かを教えていた。その友達もいきなり電話が掛かってきて、そんな本当に必要か…?というような野暮用を頼まれて大変だな…と思ったのは内緒。
マリアもワインで顔が赤くなっていた。追加で注いでもらうとき、ぐっすり眠れるわというジェスチャーをしていた。
ビスクイットと聞こえたけど違う気がする謎のスイーツ。味は美味しかった。マリアが私の分も食べてということだったので2個食べた。Gracias!
あの日本の紙を折るのはなんだっけ?とロザンカがそのこちゃんに聞いて、紙ナプキンで折り紙の鶴を折ってあげていた。
食事中には彼女の絵を見せてもらった。印象派を彷彿とさせる絵だった。岩手では潜り漁師たちと共同生活?を送りながら絵を描いていたらしい。かなり異色な生活だ。
帰りの道。8時半は明るくても、9時半は暗い。
教会。中の写真は撮っていない。
フロントでWi-Fiのパスワードと、ベッドがあるフロアじゃないと繋がらないということを、白人男性とそのこちゃんに教えた。(昨日の宿ではそのこちゃんがWi-FiのIDとパスワードを写真撮ったのを見せてもらった)
ロザンカが明日の距離を確認していると、このときは思っていたが、大きな荷物は先の町に運んでもらうというラゲッジ(荷物)サービスを使っていることを後で知った。
うーん、頭痛いわやっぱり。いつもアルコール摂取するとなりがちな血行が早くなっている状態。馬鹿だなあほんと。アレルギーみたいなもんなのに。
歯を磨いてるとき、またもや例の韓国グループの中で1番フレンドリーの彼が話しかけてきた。ナポレオンルートがどんなだったかを聞いた。彼はそこまで英語が得意なわけではないけど、膝近くまである雪の中を歩いたと身振り手振りを交えて教えてくれた。10時間掛けて歩いたらしい。
尊敬するよと言って握手をしたけど、彼はトイレに行った直後だった。ウケる。
ベッドルームに戻ると10時に完全消灯した。何十人という人が同じ空間にいるので、何人ものいびきが聞こえる。
隣の女性が下着で寝袋の中に入った。Good nightと声を掛け合った。
メモをまとめたい。まとめよう。いやー、寝よう。という気持ちの変動。バンテリンをもっと広範囲に塗りたかったが、音を立てられないので断念した。
耳栓を付けた耳からは早すぎる血流が鼓動のように聞こえていた。(激弱。そのうち死ぬわこれ)
今日の歩み(距離は日本のガイドブックで計算)
Saint-Jean-Pied-de-Port – Roncesvalles / 27.2km