小学生の頃に本物のショットガンを突き付けられた話

「人にはない珍しい経験をしたことがある人」というのはいると思うけど、僕もその一人でして、その中でもかなりレアな方で、99.99%の日本人が経験したことがないこと、今後もまずありえないであろうことなんだけど、
実は、小学校3年生だか4年生のときに、実銃を突き付けられて脅されたことがあるんですよ。
信じられないような話だろうけど、完全なる実話でして、詳しく話すとこんな感じです。

まず、自宅からそう離れていない場所に転校してきたパワー系の巨大な兄妹がいて、その兄貴の方がまあ意地悪な上級生で、
自分の小学校は、登下校中に黄色い通学帽を被ることになっていたんだけど、ある日の帰り道、その上級生に出くわしてしまって、帽子を奪われて、田んぼに投げ捨てられたわけ。
上級生は謝るわけもなく、助けるわけもなく、とっと帰っちゃうし、当然嫌な気持ちになりながら、一人で田んぼに下りて、自分の帽子を拾いに行った。
そしたら、なんと不運なことか、その田んぼの所有者である、めちゃくちゃ恐ろしい雰囲気の白髪の爺さんに見つかってしまって、「こっち来い!!」と大声で呼ばれ、近くで猟犬が吠え続ける中、彼の軽トラまで移動した。
詳しい会話内容は覚えていないけど、助手席側のドアを開けて、そこに半身で乗り出した爺さんは、狩猟で使用している本物の散弾銃(いわゆるショットガン)を小さな自分に向けて構えて、その状態のまま、説教を超えた、「殺すぞ」といったような脅しが行われた。

恐怖で震え上がったままだったけど、事件現場()が自宅近くという不幸中の幸いもあって、なんとか家へ帰り着くと、様子のおかしい自分を心配する母親に、今あった出来事を話した。
母親もそんな対処初めてなわけだし、きっと意味がわからなかったと思うけど、気付けば、今度は警察のお兄さんが私服姿で家に来ていて、そのお兄さんに対しても説明した記憶がある。

 

とまあ、当時の自分はまだ8歳とか9歳だったから、関わったのはそこまでで、記憶の続きも存在しないわけだけど、その後のことなども書き足しておく。
とりあえず、その爺さんは癇癪持ちで、まず見た目からして怖いし、近所での評判も良くなかったらしい。
でもその後の対応はわりとちゃんとしていて、警察の注意を受けた後、家まで来て、平身低頭で謝罪したとのこと。
応接間で父親が対応したみたいだけど、その30だか40だか年下の相手に、即座に土下座で謝って、「誠に申し訳ありませんでした。弾は込めていなかったが、自分のやったことはとても許されることではない。もう猟は辞めて、銃も処分する」といった旨を伝えてきたらしい。

自分の家は名家とまではいかないけど、その辺りではそれなりに名の知れた家だったから、
爺さんからすれば「近所のクソガキが自分の田んぼを荒らしている!」と思ってカッとなってやったら、
実は「末宗さんとこのおぼっちゃんが帽子を拾いに来ただけだった」っていうトラップ感もあっただろうし、
その後の対応も節度は守られているから、怒りの感情が自分の中に起こったことはない。怖かったけどね。文字通り、死ぬほどに。

ってな具合で、銃の所持が認められている国でも滅多にないであろう出来事が幼い自分に起こったわけです。
無駄に可愛がられて育った長男ちゃんだったから、(サッカーはやっていたけど)その頃なんて特に、なよなよと表現してもいいくらいの男の子だったはずなのに、まったく泣かなかったのは、きっとあまりの恐怖に震え上がっていたからかな。どうやら恐ろしすぎると子供でも泣けないらしい。
当時30代だった母親も大変だったろうなと思う。今スーパーに行ってすれ違いそうな普通の主婦で考えてみたらね、普通にありえないもんね。学校から帰ってきた息子が、「銃で脅された」って言ってくるわけでしょ。子育てにはいろんなトラブルがあると思うけど、予想外すぎるパターンだわ。 
その怯えた様子から本当のことだと判断したんだろうけど、慌てたのは間違いない。それにもかかわらず、冷静に、優しく対応してくれたのは感謝しかない。

うん。もう20年に迫る時が経ったけど、あのドアを開けた軽トラに半身で乗った男が、こちらに向けて大きな銃を構えている光景は、今でも脳裏に焼き付いているし、多分自分の死生観にも影響を与えている。
巷に溢れている「死ぬ気で頑張る」などといった言葉に軽薄さを感じてしまうのも仕方がないこと。
長い年月を経ても、こびりついて消えないカビのように、子供の頃に負った皮膚の傷が大人になっても残っているように、あの時の、死への恐怖がしっかりと今でも残っているからね。
彼はもうとっくにあの世に出向しているだろうけど、もしかしたら、メメント・モリの伝道者だったのかもしれない。ありがたい話だね。

今となってはこうしてネタにできるし、読んだ人に読み物としての価値を与えてくれたらそれは嬉しいことだけど、当然、思い出して楽しい記憶ではない。今後も決して変わらないと思う。
8才や9才といったまだ幼い子供が、銃で脅されるなんてことは絶対にあってはいけないことだし、そこらを歩いている少年が自分と同じ想いをしたならと考えると、胸が張り裂けそうになるもん。
実際に怖かったし、あの頃はもっと怖かっただろうなと少年だった自分を可哀想に思う。よしよししてあげたい()

あの時、殺されなくてよかった。もし発砲されていたら、生きているわけがないし。
他には、どちらも友達と遊んでいるときだったけど、駅館川という川で溺れかけたこともあれば、同級生の家族が乗る車に轢かれかけたこともある。
そういった「下手したら死んでいた」という思い出は、誰にでもあるのかもしれないけど、どうだろう。
川で溺れたり、交通事故に遭って、幼くして亡くなる子供のニュースは珍しくないわけだから、生きていることがラッキーなのかな。
スピリチュアル的な発言になっちゃうけど、小さな頃から、何かに守られているってな感覚は、わりと本気で感じてきた。八幡様かご先祖様か、誰なのはわからないけど、感謝します。もう少し生かさせてもらえるとありがたいです。

ええ、以上です。とんでもない話を聞いてくれてありがとう。みんなも銃には気をつけてね。


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