人生のスピード

誰にでも聞けることではないし、誰もが答えてくれるわけでもないけど、人の生い立ちだとか、どんな日常を過ごしているかとか、そういう個人的すぎる個人的な部分の話を聞くのが好き。
でもそれを聞いて自分の人生に活かすとかではなく、ただ単に聞くこと自体に満足感を覚え、やっぱりいろんな人がいて、いろんな人生があるんだな~と感慨深く思うだけ。
本当に、いろんな人生がある。もちろんうまくいっている人もいれば、うまくいっていない人だっている。

誰だってそうだけど、人はよく自分の人生を他人の人生と比べてしまう。そして気にしてしまうのはいつも、自分が誰かより劣っている部分。
あの人に比べて自分は、異性にモテない。偏差値の高い学校に行けなかった。収入が少ない。休みが少ない。結婚ができていない。子供がいない。等々、わりと際限なく挙がると思う。
身体的な部分や性的指向的に例外の人は今回は置いておいて、人生においてほとんど誰もが通る道で、同年代と比べずにはいられない点を挙げるなら、
それはきっと「初体験、結婚、出産」辺りになるだろう。(こうして見るとどれも異性絡みのイベントだ)

自分も20代後半になったので、同級生たちが結婚式の写真や、子供の映像をSNSにアップしているのを頻繁に見かけるようになった。
その一方で、まだ結婚していない同世代も多くいるわけだけど、出産へのタイムリミットが迫っているのは事実なので、男子よりも女子の方が遥かに大きな焦燥感を抱いているように思える。
彼女たちの愚痴を聞けば、まるで自分自身の存在価値が薄れているように感じているのがわかる。でも残酷なことに、若ければ若いほど需要が多いというのは世の常だ。

同年代・同世代と比べてしまって、このままでは行き遅れてしまうと焦る気持ちは確かにわかる。猶予が長いとはいえ、男だって馬鹿にはしていられないことだから。
でも、焦りすぎるのは違うと思う。そういった人生の通過点が早ければ早いほど正解なのかというと、決してそうとは限らない。
なぜなら、何が正解かは誰にもわからないから。

結婚や出産が早ければ、体力も気力もある若い親として子育てに励めるだろう。それは間違いなくメリットだ。授業参観で自分の年配っぷりに恥じることもない。
でもその選択が100%の正解だという保証はどこにもない。若い親はどうしても金銭的に苦しい部分があるので生活が困窮してしまうかもしれない。そういった環境では子供がグレやすいというのも事実だろう。もっと余裕ができてから産んで、もっと教育にお金を使えていたなら? そういった考えを後に抱く(元)若い親も大勢いるだろう。若さゆえの未熟さも当然あるはずだ。
また、若い頃から一緒にいることで異性として見れなくなり、冷え切った夫婦関係のまま長い時間を過ごさないといけなくなるかもしれない。

焦って、急いで、失敗するのも違う。きっと誰しも幸せになりたくて結婚するのに、その結婚が不幸の原因になるのは本末転倒だ。
しかし、じっくりと選んで、長い時間を費やして確かめて、満を持して結婚したところで、それが正解になるとも限らない。
金銭的な余裕はあっても、覆すことのできない周りの親たちとの年齢差に引け目を感じるかもしれないし、不妊に苦しむことになるかもしれない。子供ができたってこちらでも我が子が道を踏み外す可能性はあるし、選んだパートナーに失望することになるかもしれない。

選択や行動が早い人を否定するわけでもないし、遅い人を肯定するわけでもないのは、やはり何が正解なのかはわからないから。20代や30代がどうだとか、そういった年齢のことも多分ほとんど関係ない。
結婚以外でもそう。完璧だと思っていた彼女に売春をしていた過去があるかもしれない。良い大学を出て、一流企業に就職しても、実はその会社がブラック企業で過労死や自殺まで追い込まれるかもしれない。
確かに後悔は先に立たないが、正解がわかるのも先ではない。事前に答えがわかっていたら誰も失敗しないし、正解の意味が時を経て変わることもある。
これから何が起こるかもわからない。究極を言えば、震災に巻き込まれるかもしれないとか、幸せの定義だとか、そういう話にもなる。
きっと、安心するにはずっと早すぎるし、絶望するにもずっと早すぎる。劣等感も後から拾って抱いたっていくらでも間に合う。

何事にも100%満足する人なんてめったにいないから、多分、何歳になっても人は比べたがる。悩みも死ぬまで尽きることはなさそうだ。
結婚生活に何の不満もなくても、子供のこと、孫のことが気になるようになるかもしれない。老人ホームで孫が来てくれるかどうかでマウントを取る人も実際にいるらしいし。

後で答え合わせはできても、迷い・悩んでしまう人生の局面局面において、何が正解なのか誰にもわからないのなら、深く考え過ぎるべきではないだろう。
置いてけぼりにされたような気持ちになったとしても、そこでまだ終わりじゃない。それがすべてじゃない。
正解が何かわからない上に、それぞれ歩んでいく速度も違うんだから、比べたって仕方ない。意味がない。

自分のことを自分以外の人からも比べられるなら、一般的に皆が欲しがるようなものは手に入れといた方が吉なんだろう。自分にとっての満足にも繋がるだろうし、周りからとやかく言われる機会も減るはずだから。
でもその手のものはいつだって相手が必要で、そう簡単には手に入れられないから、重要になってくるのは「芯を持つこと」だと思う。
“芯”が何を指すかは人によるけど、ぶれない、折れない芯を持っていれば、どんな嵐が来てもそれにしがみついておくことができる。嵐が過ぎ去るまでの自分の支えになってくれる。
見つけるのが困難なら、今近くにある何かに意味や価値を与えたっていい。(他者に求めすぎると依存度が高くなって失ってしまったときの反動が大きいので、自分の中に見出せるのが理想だけど)
きっと何かは見つかるはずだ。

まあ、独り身だろうとそうでなかろうと、いろいろと思い通りにいかないことばかりで、傷つくこともあるだろうけど、人生は長いから、歩いているときくらいは前を向いていたいよね。
何かが足りないと悩んだり、何も得られないと苦しんだりしても、最終的には、幸せになりたいと願う人にはどうか幸せになってほしい。
何かを得るために手を伸ばすことは無駄ではないと思う。落ち込むことがあっても、すぐには報われなくても、その先で必ず何かが待っているのは嘘じゃない。


他のタイトルにするなら「塞翁が馬」や「Tomorrow Never Knows」「命短しそれなりの速度では歩いとけよ乙女」になるような、まあ、そこまで気にすんなよ。でもまったく焦らないのも違うよな。といった慰めであり、脅しのような記事でした。
周囲からの期待や圧力に耐えきれず爆発してしまったり、何かに敗れ続けたりで、同世代の女の子が男・子供嫌いのヒステリーおばさん、偏執的フェミニストになるのは見たくないので、みんなが幸せになれますようにと願っている。
近くにはいない相手に、自分が言えること、書けることはこんなことくらいしかないし。


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