8月14日。
午前4時に起きれば5時半前に出発することも可能という証明。旅先の朝は爽やか。大変な一日にはなるだろうけど。
昨日はレンタサイクルで駆け抜けただけの紀州九度山の町並みをじっくり目にしながら、再び慈尊院へと向かう。
25度。この時間はまだ不快さはない。ただ気温は徐々に上がっていくことが確定している。
こちらは明治生まれの政治家の生家、松山常次郎記念館。
また九度山を訪れる日があるのなら今度は真田庵等にも行きたい。
世界遺産を歩いて世界遺産を目指す日。
8月14日。
午前4時に起きれば5時半前に出発することも可能という証明。旅先の朝は爽やか。大変な一日にはなるだろうけど。
昨日はレンタサイクルで駆け抜けただけの紀州九度山の町並みをじっくり目にしながら、再び慈尊院へと向かう。
25度。この時間はまだ不快さはない。ただ気温は徐々に上がっていくことが確定している。
こちらは明治生まれの政治家の生家、松山常次郎記念館。
また九度山を訪れる日があるのなら今度は真田庵等にも行きたい。
世界遺産を歩いて世界遺産を目指す日。
12月4日。
起床の4時半までに10回は寝て起きてを繰り返しても、まだ空も真っ暗で凍えるように寒いのに着替えている自分に「何を考えてるんだ?」とちょっと正気を疑いながらも、もしかしてスペ体質なのでは?と思うくらい右膝に加えて前回の左足付け根も仲間入りしたような不安を感じながらも、やっぱり出発するといつかの旅立ちを思い出させてくれるような気分になれて、泥沼の中の溺死体のような人間の泥まみれみたいな一日でも、今日は特別な日だと錯覚させてくれるのはありがたい。何に感謝すればいいのかはいつもわからないけど。
始発では日の出を迎えられなくなったのでギリギリを調整した鹿児島本線に乗り込んだ。車内で聴いていたのはシガー・ロスの胎児アルバム。いつまでもこの錯覚が続いてくれたらいいのにな。センチメンタルな爺さんも逆にエモいかもしれない。まあ、今日もなんとかなるだろう。
朝6時50分のJR黒崎駅。
バス乗り場は(おそらく)八幡高校の生徒で溢れていた。
53番に乗って前回の終了地点の小嶺車庫へ。
5月17日。
精神的不調が身体的症状として現れて(なぜかヒゲが)円形脱毛症になったりしても、
このままだとウィリアム・ブレイクの絵画「ニュートン」のようにパソコンチェアと同化していくんじゃないか…?というくらい運動不足でも、
暖かくなったし、そろそろあれを再開しなきゃな、ってことでリスタート。
朝起きたらiPhoneがちゃんと充電できてなかったり、電車を逃して急遽バスtoバスの移動になっても問題はなし。
タイツ+ショーパンで朝の通勤時間に被るのは恥ずかしかったけど、車内で勉強する高校生や圧倒的に美しい白人女性や、宗像市役所の前で自分以外全員降りる光景もなぜか良いなと思った。
そして車窓が農村地域へと変わるにつれ感じる非日常感も、幼稚園の送迎バスを待つ親子も、特別支援学校のバスも悪くないなと思った。
こんな風に、どうにかして非日常的な感覚を定期的に取り入れつつ、生きていくしかないのかなとかなんとかも。
初っ端からだらだらと書きすぎなような気もするけど、この日はもう徐々に書くことがなくなっていくのでね。宗像市と岡垣町にある4つの山を縦走するというハードな1日でしたので。
門前バス停で下車し、湯川山登山口のある承福寺へ。