第71番
大納言経信 (1016年-1097年)
夕されば 門田の稲葉 おとづれて
葦のまろやに 秋風ぞ吹く
現代語訳
夕方に 田を訪れる 秋の風
葦葺き屋根の 家吹き渡る
【解説・鑑賞】
門田は家の前にある田のこと。夕方になれば田んぼの稲の葉が音を立てて秋風に吹かれ、その風は葦葺屋根の質素な家(小屋)の方にもやって来て家中を吹き渡ると。
擬人法というか、どこかアニメチックな表現でもあるけど、実に日本らしい田園風景を詠んだ歌。
源経信は漢詩を詠む鬼と出会ったという逸話が残されていて、それが浮世絵の題材にもなっている。
第72番
祐子内親王家紀伊 (生没年不詳)
音にきく たかしの浜の あだ波は
かけじや袖の ぬれもこそすれ
現代語訳
名を馳せた 高師の浜の 波などに
袖を濡らされては困ります
【解説・鑑賞】
艶書合という男女が左右に別れ、男性から女性に恋歌を贈り、贈られた女性が今度は返歌をするといった歌合で詠まれた歌。
当時70歳だった紀伊に贈られたのは遊び人として知られる29歳の藤原俊忠(定家の祖父)からの「人知れずあなたを想っているので夜に話したいのですが…」という歌。
高師の浜は大阪府南部にある浜で、(浮気者だと名)高しと掛かっていて、袖が濡れるのはもちろん失恋で悲しい想いをするという意味。
俊忠は冗談で贈ったんだろうけど、おばあさんから上手く返されたな…と感服しただろうか。
第73番
前中納言匡房 (1041年-1111年)
高砂の をのへの桜 咲きにけり
外山のかすみ 立たずもあらなむ
現代語訳
遠き山の 頂に桜 咲いている
近き山の 霞よ立つな
【解説・鑑賞】
高砂=高く積もった砂で遠くの山で、外山は近くの山(外とつくと離れていそうだが、里の外の山という意味)。
遠くの山の峰の上に見える桜を眺めていたいから、近くの山に霞(春に立つ霧)を立てるのはやめてほしいという歌。桜は正義。
大江匡房は赤染衛門の曾孫。神童として菅原道真とも比較されていたらしい。
第74番
源俊頼朝臣 (1055年-1129年)
憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
はげしかれとは 祈らぬものを
現代語訳
あの人を 振り向かせてよ 初瀬の風
冷たくなれと 祈ってはない
【解説・鑑賞】
『祈れども逢わざる恋』という題で詠まれた歌。平安時代は観音信仰が盛んで、ここで願っているのも観音菩薩へ。そして初瀬は奈良県櫻井市の観音信仰で有名な長谷寺がある場所。
つれない相手を振り向かせてくれるよう観音様にお願いしたのに、初瀬の山おろし(山から吹き下ろす激しい風)のように、更に冷たい態度を取ってくるようになった…という失恋の歌。
百人一首完成の前に、定家は百人秀歌という歌集(プロトタイプ)を作っていたとされているが、歌人の変更ではなく、歌の変更があったのはこの源俊頼だけ。「やっぱりこっちの初瀬のやつの方が良いな…」と思ったに違いない。
第75番
藤原基俊 (1060年-1142年)
契りおきし させもが露を いのちにて
あはれ今年の 秋もいぬめり
現代語訳
約束の よもぎの露ほど ありがたい 言葉を頼りに していたが
嗚呼今年も秋 過ぎ去ってゆく
【解説・鑑賞】
歌だけでは意味不明だが、簡単に言えば親バカの歌。
藤原基俊の息子は興福寺の僧・光覚であり、その光覚が出世できるように藤原忠通に頼み、「任せておけ」と受け取れる返答も貰っていたのに、忠通がいつまでも約束を果たしてくれないのでこの歌を詠んだらしい。
させも草はヨモギのことで、露は恵みの露。要は基俊が忠通に頼んでいた約束を暗示している。「あなたが約束を守ってくれないまま、また冬が来ますよ…」という嘆き。
第76番
法性寺入道前関白太政大臣 (1097年-1164年)
わたの原 こぎ出でてみれば 久方の
雲ゐにまがふ 沖つ白波
現代語訳
海原に 浮かぶ舟から 見渡せば
雲と見紛う 沖の白波
【解説・鑑賞】
果てしなく広がる大海原に舟を漕ぎ出すと、目の前には青空に浮かぶ雲のような、沖の白波が見える。
写真も映像もない時代では当然見られる景色は限られてくる。陸から見ても壮大な景色だろうが、海上で見るとなおさら迫力を感じられる、そんなスケールの大きい歌。
同じわたの原で始まる小野篁の歌にあった孤独感はここにはない。作者が藤原忠通という権力闘争で勝ち続けた男だからかもしれない。
第77番
崇徳院 (1119年-1164年)
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ
現代語訳
川の瀬の 流れは早く 水は岩に せき止められて
二つに割れてしまっても いずれまた一つになるから
我々もまた 再会しよう
【解説・鑑賞】
川の水の例えは出てくるが、基本的にはわかりやすい歌ではないかな。恋人に向けての歌としても、恋人以外に詠まれた歌と捉えても素敵な歌。
瀬は浅瀬で、滝川は滝のような川=急流。「しばらく逢えなくはなるけど、どんな壁も乗り越えて、いつかまた逢おう」と誓っている。
父である鳥羽天皇が崩御して起きた保元の乱で敗れて以降は、爪や髪が伸びっぱなしで生きながら天狗になったと言われている崇徳天皇。
こんなに素晴らしい歌を詠んでいたのに、後世では怨霊として語られることが多いのがとても残念。
第78番
源兼昌 (生没年不詳)
淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に
幾夜ねざめぬ 須磨の関守
現代語訳
淡路島 渡る千鳥の 鳴く声に
幾夜目覚めた 須磨の関守
【解説・鑑賞】
地名も有名なので、元の形を可能な限り保ってみた。関守というのは関所の番人のこと。
千鳥は水辺に住み、群れで飛ぶ、冬の浜辺を象徴する鳥だったらしい。その鳴き声は妻や友人を想って鳴くとされていた。
冬の寒い夜に鳥の鳴き声で夜中に起こされるという状況をどう見るか。サカナクションのように()鳥も自分も寂しいのだと感じるか、毎晩毎晩うるせえ鳥だな!と腹を立てるか。
第79番
左京大夫顕輔 (1090年-1155年)
秋風に たなびく雲の たえ間より
もれ出づる月の かげのさやけさ
現代語訳
秋風に なびいた雲の 切れ間より
零れる月の 光の明るさ
【解説・鑑賞】
やたらとかっこよくて、声に出したくなる語感の良さもある月夜の歌を詠んだのは藤原顕輔。現代人にも伝わるかっこよさで順位を付ければ、百人一首の中で一番かもしれない。
たなびくというのは横に長く伸びることで、月の影は月の光。さやけさは清さや澄んでいること。
雲に多少隠れていようと、それでも明るい月光が地上へと伸びている秋の夜が思い浮かぶ。
第80番
待賢門院堀河 (生没年不詳)
長からむ 心も知らず 黒髪の
乱れてけさは 物をこそ思へ
現代語訳
いつまでも 心変わりは ないと言う あなたの本心 わからずに
今朝の乱れた 黒髪の ように心も 不安で乱れ 想いに沈む
【解説・鑑賞】
肌を重ねて情熱的な夜を過ごし、朝になって別れて、「この先もずっと君を愛す」という後朝の歌を贈られて、その返歌として贈ったのがこの歌。
黒髪が乱れている様子が寝癖というより事後っぽさがあって艶がある。そしてその黒髪の乱れと心の乱れを掛けて不安を上手く表現している。
その誓いが本当なのかはわからないので不安です…という内容の歌が少なくないが、共に暮らさない(妻問婚)時代ゆえのよくある心配事だったのだろう。他の相手と寝ることが容易すぎた。
鎌倉時代中期以降は嫁取婚が浸透して夫婦同居が当たり前となっていくが、そういった恋愛や結婚の形の変化は実に興味深い。数百年後、千年後はまた違う形へと変化しているだろうか。
正直前半は「これ終わるのか…?」と嫌になるくらいだったが、あと2つで終わりとなると物寂しくて、袖が濡れてしまう。