いやー、参りましたね。参りましたとも。ええ、30歳になりました。”三十路”と書くと更に参ります。
年上の方から見ればまだまだ若えだろ!ってな感じだろうし、人生の中のただの一日でしかないけど、富士山の山頂で迎えることのなかった誕生日はほぼ屋内で過ごしております。エアコンの有無で比べれば大勝利です。
それにしても外は暑いですね。うだるような暑さなんで、ついでにうだうだ書いときますかね。時間があって冗長で暗い何かを読みたい気分の人だけお付き合いください。
うん、振り返れば、長い時間が経ったなあと思う。本当に長い時間が経った。
能動的に行動したがゆえに、楽しめたり、珍しいこともいくつかは経験できた。基本的には旅で、巡礼路や全都道府県制覇といったところかな。良い出会いというのもまったくなかったわけではない。自分の支えになってくれている人達は確かに存在する。
でも、抜け出せなかったな、というのが本音の大部分を占める。泥沼というか、底辺というか、そんな場所から。
やっぱり一番大事なのは仕事かな。YouTubeを一度でも当てたということは喜ばしいことなんだろうけど、もう本気で駄目になってしまった。何度も何度も書いているけど、その度に底というのが更新されていく。昇りきれる糸ではなかったらしい。
立ち振舞いに失敗した。十数年前にGAFAの株を買っておけば!みたいなたらればになるけど、「最も順調だった頃に、後のことは考えず全力を出して、大手企業なり中華なりにチャンネルを売る」というのが正解だった。そうしていれば、まだ余裕のある今があったはず。
でも売れなかったんだよね。ずっと惨めな想いをしてきて、何もない自分が唯一成功したことだったから、手放せなかった。まあ、それすら後悔に変わるとは予想していなかったってだけなんだろうけど。
危機感が足りていなかったのかな。YouTubeに関係なく、十代の頃から、底辺から抜け出すためのスキルを習得すべきだったのは間違いない。
手に職という言葉があるように、いや、もっと余裕のない状況で、この世は生きづらいと感じていたり、心に傷を負った少年少女たちは、自分を表現する方法を身につけておくべきなんだ。改めてそう感じる。まともな道を歩めなかった人間が這い上がっていくために、何かスキルをね。音楽でも絵でも何でもいいからさ。
そういったスキルがないまま30歳を迎えると、こうして等身大以上になることは決してない拙文でしか自分を吐き出せない大人ができあがる。
そんな環境下にある10代の子で、この文章を読むのなんて居て数人だろうけど、それは伝えたいな。大抵の場合、生き地獄に落とされた人間は自分の力で這い上がるしかない。特に結婚や風俗といった道がほとんどない少年はね。
でもそんなことは自分自身、ずっと前から自覚していたと思う。だけど、打ちのめされたままで、壊れてしまった心が回復するきっかけがなかったから、こうなっているのかな。
いや、単に、失ったもの以上に望むものがなく、十代の頃からずっと悲しみと喪失感に包まれていたからのような気もする。
何も癒えていない状態の17歳で、2009年のU-17W杯で、かつてのチームメイトがネイマール等と戦っているのを観て、あの頃からずっと、諦めの境地というか、無気力な状態が続いているのかもしれない。
弱い自分を守るためでもあったんだろうけど、現実を受け入れることができなくて、現実を直視する度に、死んでしまった方がマシなのではないかと考えてしまい、でも周りの人達が悲しむからと思い留まったり、憎しみに支配されて誰かを傷付けるのも嫌だし、と苦しみ続けてきたのかな。
“逃げ”を繰り返してきた自分が悪いんだけど、立ち向かえるような状態ではなかった。情けなく惨めな現在を回避できる選択肢はいくらでもあったように思えて、まったくなかったようにも思える。
世界で自分一人だけが不幸なわけじゃないけど、一人の少年が立ち上がれなくなるには充分すぎるほど、あまりに悲しい出来事で溢れていた。
人のせいにするわけでもないけど、身内ですら誰も助けてくれなかったんだから、仕方ないように感じる。仕方ないって何だよ、って感じだけど。
年齢が一桁の頃から自分が暴力を受けているのは少なくない人達が知っていたと思うんだけどな。ってか児童虐待の分類でよくある、身体的虐待・心理的虐待・ネグレクト・性的虐待の4つ、あれだったらフルコースで経験してる気がする。後半の2つは軽めだけど。
まあ、誰だって面倒事には関わりたくないか。でも「大丈夫?」と一言声を掛けてくれる人がいたなら、きっと幼い自分は励まされたと思う。過去へと抱く願望なんて虚しさしかないけれど。
もうあれから何百年経つんだよってくらい果てしない時間が経ったのに、今でもトラウマ再現のような悪夢を見ることはあるし、そもそも寝ていなくたって、思い出せば一瞬で涙が零れてきたり、死んで完全に忘れ去ってしまいたくなることは多々ある。29歳でも腐るほどあったんだから、きっと30代でもあるんだろう。
現在の自分が何歳であろうと関係なく、10歳前後の自分が怯え続けている光景が、頭から永遠に消えてくれないから、心が回復する日なんてのも永遠に来ないんだろうな。
自暴自棄になって言うわけではなく、本気でそう思う。一度この状態になってしまえば、もう二度と抜け出せないんだろう。
シンプルに、ただただシンプルに、幸せになりたいと思う。沢山辛いことがあったんだから、その分幸せなことが起こってほしいと素直に思う。
でも、幸福な人生を歩む人間は、自分のような幼少期・少年期を過ごしていないんだよね。
家庭を築くってのはわかりやすい救いだと思うけど、底辺の人間が受け入れられることなんてほぼないし、仮に世界のどこかに自分と共に歩んでくれる人がいたとしても、子供をまともに養っていく父親としての稼ぎはない。中学も普通に卒業できなかったような人間だから。
かつての無気力と現在の無気力に違いがあるのなら、今の方は、どう足掻いてももう底辺からは抜け出せないだろう、という絶望感だと思う。
上の方にあるキラキラしたものなんて望まなくても、普通の暮らしすら不可能なのは、普通の人生を歩んでこなかった責任で、特大ハズレくじを引いた代償なんだろうな。
役に立たないプライドも混ざっているけど、自分を虐げてきた大人よりも、確実に自分と自分の子供が貧しい暮らしをしなければいけないというのも屈辱でしかない。
上手に、中途半端に諦めるということができれば生きやすくはなるんだろうけど、そんな器用なことができるならもっと前にしているって話かな。
いや、家庭を持つなんて夢のような話だ。自分一人生きていける自信がない。最初から取り返しがつかないような物語で、どうしたらいいのかがわからない。
なんで自分には普通の条件すら与えられなかったのかと嘆きたくなるけど、嘆いたところでどうにもならない。不幸になるために生まれてきたのかというくらい嬉しいことも少なく、もう早く楽になりたいと思う。でも、なんだかんだで、やっぱり死ぬのが怖いんだ。
余裕が失われていって、どんどん心が荒んでいくのを感じるし、ボロボロだった精神がもはや粉々になっていく感覚すらあるんだけど、やっぱり、首を吊ってお漏らしするのも、電車に飛び込んでバラバラの肉片になるのも怖い。
醜い言い訳も年々増すし、もう人生のほとんどを諦めて、希望を失ってガラスの中でぼんやりと浮かんでいるラットのようになっているのに、それでも死ぬのは怖い。
傷の舐め合いも難しい。自分と同じか、自分より劣悪な環境にいた人間って、もう子供の頃に虐待死してるか、トラウマで自殺してるか、あるいは逆に犯罪に走るかみたいな人生だろうから、出会わないんだよね。出会ったって同族嫌悪にならないとは限らないけど。
自分にとっても紙一重だったと思う。自殺も少年犯罪もね。2006年の奈良の放火殺人がなければどうなっていたか。ゴールデンレトリバーのミュウがいてくれなかったらどうなっていたか。暴力以外にも苦しいことが沢山あったから。
まあ、全部プライドが関係している気がする。グレたり犯罪を犯すのなんて薄っぺらだと思ったのはプライドだし、こんな状態で死ぬなんてあんまりじゃないかと自殺しないで生き延びてきたのもプライドだし、今こうして普通の条件さえあれば人並みの幸せくらい手に入れてたのにと嘆いているのもプライド。しょうもないけどね。もう何を捨てても美しくない年齢になっちゃったし。
将来のすべてに絶望するくらいなら今を楽しもうと、最近は貯金を切り崩しながら、たまに美味しいものを食べに行ったりしてます。
結構自分のメンタル的には頑張って生きているのです。支払いをする度に吐きそうになるけど、死なずに美味しいものを食べるというのも悪あがきの一つだと思ってます()
楽しいと思えることや笑ったりする機会は確実に減っているし、旅での楽しみも20代の頃のようにはあまり感じられないかもなと考えると恐ろしくなる。若いって素晴らしいよね。現実逃避にも若さは重要だ。
うん、いつまでもそれが続けられるわけではないから、より絶望の淵へと近づいているように感じる。忘れ去りたいことばっかりだね。
これからどうすればいいんだろう。
泣き出したくなるような、吐きそうになるような、古びつつも衰えを知らない悲しい記憶と常に戦いつつ、救いなんてこの先にもないだろうと悲観したまま、底辺としてしか生きられない人生を続けたら、何が待っているかな。
どれだけ辛さに耐えれば、救われる日は来るのかな。
幼かった自分の何が悪くて、こんな呪われたような人生を生きることになったのか、と似たような恨み節を並べつつ、でもまだできる悪あがきはやり尽くすべきだと涙をのんだり、何がしたいのかはもうよくわからない。
壊れた心のまま、大きくなってしまった元少年はこの先どうなっていくんだろう。30歳という年齢を多くの人と同じように(?)ポジティブな意味では捉えていない。いや、結構堪えるものがある。自分なりにね。
いつかは必死にもがき苦しみ続けることも諦めて、汚い水の底へと溺れ死んでいくんだと思うけど、でも、でも、今は生きてるんだよな。人生の半分以上というか、物心ついてからだともう、人生のほぼすべての時間を苦しみ続けているんだけど、でも、どう見ても、命はまだ続いてるってのがね、困ったもんだ。
全部悪夢だったらいいのにな。どこで覚めても同じだから、結局自分が自分としてその先を生きていくには、ひっくり返すしかないんだけど。
もうほとんど諦めているけど、でも全部諦めたわけではない。多分、だから生きている。
弱いまま、強くならないまま、ここまで来ちゃったけど、コンプレックスだらけでもあるけど、この道しかなかったんだから仕方ないじゃないかと自分に言い聞かせている。
他人から見れば言い訳であろうと、配られたカードで生き延びてきた。一時的でも、小さくても、金山を掘り当てて、いろんな場所へ旅をしたり何だりと、自分なりの人生を送ってきた。
どっから発言してんだよってなるだろうけど、正しく生きたいとはずっと思っている。人の道を外さず、出来る限り誰かを傷つけたくないし、嘘をついたりもしたくない。
まだ何も残せていないというのも気になる。ずっと気になっている。絶望しているけど、まだ完全な絶望ではないと信じたい。
はい、先日、飛行機に乗るわけでもないのに福岡空港の展望デッキへ行ったら、ちょうど天気雨に重なって、実質ウユニ塩湖やん!とテンション上がったので貼っておきます。
夏が終わる前にもう一度かき氷を食べに行きたいし、どこかへ綺麗な景色を見に行きたいな。島に行って、民宿なんかに泊まって、ぼんやりと海を眺め続けるってのもありかも。
やば、希望しかない。
誕生日おめでとう自分。そして祝ってくれる人達ありがとう。本当に、ありがとう。
その優しさに甘えて、なんだかんだ30歳を生きていきます。