6月26日。
5時に起きたがまだ寝ていたかったし、寒かった。外の音から察するに今日も風は強そうだ。
5時半にはお寺の方から鐘の音が聞こえる気がした。
早く一週間後の自分になりたい。今願うことはそれだけ。
賞味期限が近付いて値下げされていたランチパックや昨日残していたみたらし団子なんかを朝食に食べた。
朝食後に歯磨きをしている際、歯磨き粉を絞ろうとしていると破けてしまった。
出発直前に日焼け止めを塗った。今日は塗らないと大変なことになりそうだから。
鍵。予定よりは1時間遅れて7時に宿坊の受付に行ったが、誰もいなかったので指定されていた場所に置いた。
少しだけ善通寺をぶらり。
10分に正覚門を通過。深く頭を下げて善通寺を去った。
昨日の夕方感じがよかった駐車場のおっちゃんが今朝もいて
「おはようございます」と挨拶をしてくれて
「おはようございます」
「ご苦労様です」
「ありがとうございます」
「お気をつけてー」
「はーい」というやり取りをした。朝から爽やかだ。
昨日急いで来た道を戻る。痛みや荷物の重さだけでなく、今日は日差しとも戦わないといけない。
影法師。
めっちゃ吠える柴犬撮り。
野球場撮り。
寝袋の紐が外れて落ちてしまったので、歩きながらまた取り付けた。でもなかなか簡単には付かないくせに、荷物を地べたに下ろして付けるのも面倒だったので、数km寝袋を手に持ったまま歩いた。なかなかシュールな姿だったとは思うが、誰にも見られてはいない。
池で釣りをする人たちが何人かいた。
昨日打った曼荼羅寺。
お寺への坂道を登る途中休憩所があった。
参道。
7時50分到着。第73番札所我拝師山出釈迦寺。
境内に入ってすぐに下の案内板を見つけて、ああ、あれ(奥の院)が身を投げたとこかと感慨深かった。弘法大師が真魚(まお)という幼名の頃の伝説で、簡単に説明するなら、7才の子が「仏門に入って沢山の人を救いたいです。私の願いが叶うのならどうかお釈迦様、姿を現してください。もし叶わないならこの身を捧げますから」と断崖絶壁から飛び降りたら、紫色の雲が湧いて、その中から釈迦如来と天女が現れて、まお君を抱きとめて願いが叶ったという話。
まあ、尾ひれがムッキムキになっていて完全に嘘だろうけど、この伝説は出発前から知っていたので、なんだか聖地巡礼っぽくて嬉しかった。
奥の院の名前は捨身ヶ嶽禅定。毎月旧暦15日は法要があって、信者たちはお堂で宿泊するらしい。
かなり景色も良いらしいから行ってみたくはあった。
本堂。本尊はもちろん釈迦如来。
大師堂。
納経は少し待った。お寺の人が席を外していたというのもあるけど、やはり日曜は朝から多い。
本当に爽やかな声かどうかは実際に聞いてお確かめください。
紙パックからペットボトルに移していたオレンジジュースがなくなったので
時刻を確認すると8時をとっくに過ぎていた。74番へ行こう。今日はさくさく進まないと昨日の二の舞になる。
寝袋をまたぼとっと落としてしまった。場所によっては紛失してしまう。
もう左右のバランスは無視で真後ろに付けた。この旅の中でトラブルが起こるたび、気にしないようにするための魔法の呪文「まあ、死にはしないだろう」を唱えて。
幸福そうな笑顔と肉付きだ。
前を歩く人、後ろを歩く人、今ここを歩く人。誰かと歩いたり、一人で歩いたり。これもまた人生だなと格言めいたことを考えてみたり。
最近はもう車を先で止めている系のお接待はないなと思った。別にいいんだけども。
札所間の距離が長いから遍路への感心も薄く、高知は冷たいと言われるけどそうじゃないと気付いた。徳島が凄すぎるんだ。きっとギャップでそう感じるだけ。
次は甲山寺。
田んぼの中の遍路道。
8時45分前、あっさり着いたなと思ったら橋の上に岐阜のおっちゃんがいた。もうお寺から出ていて、去る間際だったけど、また会ったねえと気付いてくれた。振り返ったらマットの赤い袋で気付いたらしい。そういえばひかる君も赤で気付いたと言ってたな。
あれからいくつか飛ばして善通寺の善根宿へ行ったという経緯を話した。この感じだとまた会うかもねと言っておっちゃんは善通寺へと歩いていった。
第74番札所医王山甲山寺。
本堂も大師堂も写真がきちんとピントが合ってなかったので貼れない。
この小さな門の先が本堂で、本尊は薬師如来。
納経台にはなぜかQooのシールが貼ってあった。いったい誰が貼ったんだ…と不思議だった。
臀部が痛いというか筋肉がぴりぴり痺れているような感じがする。昨日走っていて何かが当たるときも感じた痺れ。ずっと締め付けているからだろうか。
9時に次へと出発した。打戻り、逆打ち的な回り方はこれで終わり。善通寺はもう参ったので、次は76番の金倉寺。
歩くのは遍路道ではない。地図を見ながら進む。
歩き遍路が普通は歩かない道。でもその道でしか見られない景色がある。
お、郵便局だと発見したが、そうですよね。はい、日曜は取り扱いしておりませんよね。
とりあえず国道11号線に出た。
うどん屋があった。でも9時半前だから開いていない。国道沿いなら結構お店もありそうだ。100mもいかずに別のうどん屋もあった。セルフが多いのが特徴みたいだ。
金倉寺まで1km。
ガイドマップで見つけた日産プリンスの近くにあるローソンに寄ろうと思っていたのに、見落としたのか寄れなかった。いや、きちんと確認はしていたはず。でも日産プリンスはあったのにローソンはなかった。その一瞬ど忘れしていたのか、もしくは潰れたのか。
今度は県道33号線。
橋から見えているのは土讃線の線路。
ここを右折。
そして金倉寺まで200m。
9時45分頃に着いた。第一印象は、意外にも広いお寺。
第76番札所鶏足山金倉寺。ここは弘法大師の甥(もしくは姪の子)なのになぜか天台宗寺門宗開祖の智証大師誕生の地。また、乃木大将が客殿を仮住まいにしていたという歴史もある。
本堂。本尊は薬師如来。
金の小判。いや、大判。絵馬の形は小判。
大師堂。しかしここでの大師は智証大師を指す。88箇所で弘法大師が大師堂の中央に祀られていないのは金倉寺だけ。
駐車場には歩きっぽい団体。この団体を見て、最近は団体の人からあまり話しかけられないなーと思った。話しかけ辛いオーラが出ている気もしなくはないが、ただの縁かもしれない。わからない。
駐車場の自販機で飲み物を調達して、次へ。
歩き始めてわりとすぐに先程の団体が前を歩いているのが見えた。この道を歩いているということは順打ちか。珍しい。
葛原正八幡宮のところで追いついた。
追い抜く際におばちゃんに何か話しかけられたけど、
その先では自転車のおじいちゃんに元気やなあと言われた。ありがとうございますと返した。
信号待ちをしているとなかなか変わらないなーと不思議に思い、ふと見上げると歩車分離式信号だった。そりゃボタンを押さないと変わらない。押してからもいっときは変わらなかったので団体に追いつかれた。
そして怒涛の勢いで話しかけられた。まあ例によって定番の質問ばかりだから、僕が返す答えも何日目かの日数ぐらいしか変わらないんだけど、みんな興味津々なようだった。
ここの団体さんは自分たちも歩いているがゆえの言葉をくれた。 一人ですごいわあ。わたしたちはみんなで歩いてるからいいものの…とおじさん。
頑張ってという言葉を沢山くれた。次のお寺でまた会うだろうけど。
先程からサングラスをかけた原付遍路が、前へ行ったかと思ったら止まっては何かしていたり(基本お地蔵さんなどの遍路道の写真を撮っている)という姿が見える。後ろの団体の関係者だろうか。
10時45分。15km。疲労を感じる。後ろの団体とあまり差がつかない。だが僕のペースが極端に悪いわけではない。今までのどんな人たちより後ろの歩行速度が早い。
自転車に乗った中国人青年が4人で移動していたんだけど、まあ横に広がって歩道を走行するもんだから、道を塞いでくれて謝謝ってな気分だった。
原付の男性がまた止まってるなと思ったら、今度は自分が被写体として撮られているような気がした。うーん、気にせず行こう。
逆打ちの歩きのおばさんがお接待を受けている。それを見て原付の男性も戻ってきて貰っていた。僕も貰った。息子が家で作ったという小さな地蔵の彫刻だった。
そして77番のお寺に着いたが、お寺の前でおうどんのお接待が行われていて、さあさあ食べて!!ということだったので一瞬迷ったがいただくことにした。
おかわりももらいなさい??とも言われていたんだけど、おかわりを貰う頃には車の参拝客が席に座れないくらい来ていて、さすがに遠慮した。
汁なし肉うどんがとても美味しくて、こんな美味しいうどんが無料で食べられるなんて…と幸せだった。正直あと5玉は食べたかった。
そろそろ行くかと歩き出して、お寺に近付くと、仁王門の先から鳩がとてつもない速さで飛んできて、瞬間的にかっこよくかわさなければ衝突していた気がする。危なかった。
そんな鳩と入れ替わるように入ったのが、第77番札所桑多山道隆寺。時刻は11時。
仁王門を抜けた瞬間に、歯が何本か無くて、多分軽くぶっ飛んだ系の男性に話しかけられた。テント大変やろ、俺もたまにテント持って歩くからわかるよ、わかる、俺もわかる、と。
彼は普通の普段着というか、このときは歩きそうもない服装だったけど、歩いたことがあるのだろういろいろと情報をくれた。被ることもあるけどね情報はと言いながら。
もう少しやねとも言ってくれた。逆打ちの人だっているのに、わかるのかなもう少しということが。もう何人かに言われたけど、涅槃感が漂ってるなこれは()
本堂。本尊は薬師如来。
大師堂。
多宝塔。
鳩と小さな子供。
自分が座っていたベンチは日陰から短時間で半分以上日向になってしまった。
次へ。
丸亀市。
寄りたかったコンビニにやっと来れた。クーリッシュだけ買って、ATMでお金を引き出した。これが最後の引き出しだろう。
タオルも濡らし直し、日差しの強い日曜日に戻っていった。
イートインにあった地図。71番から77番までは札所も密集していた(四国七福神霊場でもあった)がここからまた距離が出てくる。77から78までは7.3km。
歩いていく。
遍路小屋っぽいけど多分違った2階建ての東屋。
まだ5km近くもある。
なんだかめでたい町名。
なぜ撮ったのかわからないなんてこともない写真。
この頃騒動の渦中にいたベッキーさん。
寄らないお寺のある風景。
Bunny girl。
なぜ撮ったのかわからないなんてこともない写真その2。
12時30過ぎに丸亀城が見えた。歩きながらの横目と信号待ちの間天守を遠目に見ただけだが。
肩がおもてえええと叫びたかった。
そしてまだ3kmも残ってるううううとも叫びたかった。だがすぐに切り替えられた。問題ない。だからなんだ。3km歩いて次のお寺へ行くだけだと。
初めて見た車。
反対側の歩道からこちらを見ている男性(遍路だったかな?)がいて、会釈したら話しかけてきた。4車線ある道路を間に挟んでいて、車も多くて聞き取り辛かったけど、端的に言うと、次の信号で右に渡ったほうがいい。そしてコンビニが先にあるからそこで休憩でもしなと教えてくれた。道の向こう側からわざわざ教えてくれるなんてありがたい。
言われた通り右側に渡って、土器川を越えた。
渡った先のセブンイレブンに寄った。アイスコーラは試せないまま、レッドブルを飲んでちょっとだけ店先で休憩をした。
そこで頭は悪そうだけどなんか憎めない男子高校生の会話を聞いていると、あの歩きの団体が通った。歩き慣れてる人は多そうだったけど、でもすごいなあ、負けてるわと感服した。
だが気にしても仕方ないので、いいや、他と比べない。条件が違いすぎる。と心の中で呟いた。僕は僕のことを。気にすべきは自分自身の状況、現在地と携帯の充電くらいだ。
13時前、さあ、また歩こうというときに菅笠が風で少し飛ばされた。駐車場が広かったのでよかった。これから強く結び直そうとしているところだった。
寂しいと誰かに出会いたくなる。出会ってしまって、一緒に行動するとなると良いことだけではなくて、気を遣ったり、苦しい想いをすることもあるのに。 どこにいたって一緒。遍路だけじゃない。こうなる。
今確認すればまったく遍路道でもなんでもないただの裏道を通っていた。そこはガイドマップにも乗ってないような道だったと思うが、でも楽しかった。
13時16分、残り1.1kmになった。ちゃんと歩いていけば近付くなあ。
あと1km。進み続ける。
狭い路地を抜ける。
民家の中からチューリップの歌を歌う小さな女の子の声が聴こえてきた。さっ いっ たー さっ いっ たーと若干スタッカート的な歌い方だった。
宇夫階神社の大きな鳥居。ちなみにここの地名は香川県綾歌郡宇多津町。綾歌郡というのがなんだか素敵だ。
良い通りだった。綺麗で、歩きやすくて。
お寺はすぐそこ。
着いた。13時半。第78番札所仏光山郷照寺。
本堂の前に来ると、あの歩き団体さんが記念撮影をしていた。本尊は阿弥陀如来。
地下の万体観音堂へと下りていく参拝客たち。行かなかったが楽しそうな場所な気がした。
大師堂。
また歩き団体の人たちと接することになった。あるおばちゃんからは、お兄さん、これで美味しいもの食べてと千円札のお接待をいただいた。
お手洗いの前にある台に荷物を置いていたら、今日は国分寺まで行くの?と他の人にも話しかけられた。
年配者もいるのに歩く速度がめちゃくちゃ早くて、それが不思議だったので、みなさんかなり歩き慣れてますよね?と聞いたら、定期的に歩いているお遍路グループらしい。今日は国分寺まで歩くと言っていた。早いだけじゃなく距離も凄い。
先程千円札をくれたおばちゃんが、今度はグループ皆で食べていたミニトマトを僕にも持ってきてくれた。ありがたい。本当にありがたい。その場で栄養補給した。
境内にはおみくじを楽しむ結婚適齢期くらいのカップルがいた。このお寺ではあまり見かけなかったが今日は家族連れも多い。素晴らしい日曜日だ。
眺めも悪くない。
さあ、次へ。
駄菓子屋の前と店内に子供たちの姿があった。みんな挨拶もちゃんと出来ていて微笑ましかった。
新町の古街。ここは昔ながらの家があって良かった。
原付の人は撮影係なんだと高架下で完全に理解した。そしてその先の少しわかり辛い分かれ道で意外な展開があった。あれ、今僕が来るのを待ってくれていた…?と。一言も交わしてはいないけど親切な人なんだと驚いた。団体はもう少し先にいるのに、わざわざ僕のために待ってくれていた。この無言の優しさに気付くまで、ちょっと怪しい人だな…と疑っていた自分を恥じた。
うどん県。
このモニュメントの辺りで信号待ちをしていた団体さんに追いついた。
子供たちで賑わう公園を抜ける。
ちょうど公園を抜けたところで、原付のおっちゃんに近付いたので、撮影係なんですか?と話しかけてみた。まあ、そんな感じかなと返ってきた。元は同じ歩き仲間なんだけど今は腰と膝を痛めているらしい。一緒に歩きたいだろうなと思った。自分だったら悔しかったり、残念だったり、そういう気持ちになる。でもちゃんとみんなと一緒に回って、記念になる写真を撮ってあげてるんだから立派な人だ。
八幡神社の参道を見て、お寺も神社も結構広いところ多いなあと気付いた。そしてどこも興味深い。
歩いている流れで団体の中に混ざり込むことになった。でも中にいるというのもあれだなと後ろに移動。あまりお喋りはなく、みんな黙々と歩いている。
ガッチガチに改造しているホンダのライフを見て、あそこまでやれるとはすげーメンタルだなと感心した。というかライフを外からもはっきりとわかる改造をしているの自体初めて見たかもしれない。
商店街のアーケードに入ったとこで、団体の一番後ろにいてピンクのシャツを着ているこの中では断トツで若い女性(30ちょっとくらい?)と話した。
実はお遍路というよりは、アウトドアショップ繋がりのグループらしい。1番札所から月に1回を数年掛けてここまで来たと。でもほとんどの人がこの辺りの人(1人だけ徳島)らしく、今日は何にも目新しくはないと笑っていた。年齢は基本的に60代で、70代も中にはいるらしい。
めちゃくちゃペースが良いから気になってましたと伝えた。これでスッキリした。
本当に良い感じのペースだったからペースメーカーを追うマラソンランナーのように、長いこと団体さんの後をついていった。道も迷わないし。
団体さんがイオンで10分休憩を取るとのことで、自分1人先に進んだけど、すれ違うおばちゃんに挨拶をすると、少し間を置いてから後ろから呼び止められた。
教えてくれたのは81番の白峯寺の近くの元かんぽの宿(現ニューサンピア坂出)へのバスが坂出駅から出てるよという情報で、ちょっと自分の都合とは合わないけど一応お礼を言った。結構長く説明してくれたので、団体にはまた追い越されることになった。別に
長々とごめんね~何か少しでも力になれたらと思って~と謝られたけど、こちらには感謝の気持ちしかなかった。
たとえ自分にはあまり有益ではない情報だとしても、その情報を教えてくれるという優しさでこれからの歩きを頑張れる。本当にありがたい。
原付のサングラスおっちゃんと公園の先で話した際、最後になんて言われたのかよくわからず、返事しにくかったんだけど、ここでようやく意味がわかった。がんばりまいというのは方言だったんだ。
がんばまでははっきりとわかったが、自分に対して「頑張って」と言ってくれてるのか、「頑張ろう」という二人称なのかがわからなかった。前者だ。
ペットショップではありません。
久しぶりに見たヘンロ小屋。
ピンクの服の女性と同じく後ろの方を歩いていた熊本出身のおばちゃんが話しかけてくれた。4年半掛けて、予定では今年11月に結願らしい。でもそのおばちゃんはその間結婚式等のどうしても外せない用事で抜けたりしてたから、松山の9ヶ寺は残っているので気掛かりと話していた。
美しい池がある八十蘇場の清水の横にあるところてん屋さんで団体さんはストップした。惹かれたけどここでも混ざるのはさすがに気が引けるので、一人お寺へ行こうとしていると、原付のおっちゃんがこの先の天皇寺までの行き方を教えてくれた。ここから上がっていって神社を抜けたらわかると。
まずは神社があった。
そして教えてもらった通り神社を抜けると、お寺もあった。第79番札所金華山高照院天皇寺。時刻は15時半頃。
本堂(本尊は十一面観世音菩薩)の写真はピント問題で無し。大師堂だけ。
お寺の名前が天皇寺なのは崇徳上皇を祀る白峰宮に隣接していて、その白峰宮が崇徳天皇社だった際の別当寺だったことに由来する。
この先にも白峰寺があるし、白峰いっぱいだなと思っていたが、崇徳上皇の配流先であり崩御した地でもあることを考えれば当然っちゃ当然か。
ちなみにさっき院号も書いたのはここが天皇寺だけではなく、高照院と呼ばれることも多いから。
納経所の場所が最高にわかりづらかった。駐車場から来ればわかりそうだったけど。
解説をしている人がいたので、歩き団体の中には先達さんもいるんだなと思っていたら、原付の(テレンス・リーに少し似てた)おっちゃんだった。
おっちゃんは白峰宮の鳥居のくぐり方教えます~とこれから説明しようとしていたのに、何やら団体さんが皆慌ただしく立ち去りだしたので、もういくの??と驚いていた。予定時間を30分か1時間ほどオーバーしているらしく、国分寺にたどり着かないと次の工程が大変なことになると焦っていたみたい。
僕はこれから80番の国分寺ではなく81番の白峯寺に先に行く(萩森さん等にも教えてもらっていたし、ガイドマップにも距離が書いてたりするので、わりと知られている打ち方だとは思う)。国分寺に行く団体とはここでお別れだが、原付のおっちゃんはこれからの道を少し教えてくれた。
ほとんど接していなかったおじいちゃんから、じゃあ頑張ってねと言われた。それが彼らとの最後の絡み。
珍しい三輪鳥居。
無人駅。
業務スーパーの自販機でアップルティーを買った。
その業務スーパーの先で信号待ちをしている30代くらいの夫婦?の車の横を通った際、窓を開けて、運転席の女性から頑張ってーと明るく声をかけてもらった。助手席の
そこから左折をして、小学校が右手に見えたので、これでよし。ここからまっすぐだなと。
どうせ次のお寺は間に合わないから、時間が16時過ぎと微妙だけど、
手打ちうどんてっちゃん。ガイドマップにも載っているお店。
自分の前に野球の団体がいたっぽいけど店内に入ると自分1人だった。後から来たのも女性二人組だけ。まあ時間が中途半端だからなんだろうけど。
かまたま肉ぶっかけを選んだ。大きさは中だったが中でもデカかった。今思い返すと遍路中に食べた食べ物の中で一番美味しかったかもしれない。また食べたい。
81番の手前に東屋があると道隆寺の仁王門の裏にいたあの人が言っていたから今日はそこで寝よう。お寺のとこならトイレはありそうだけど、トイレも
食べている間に太ももに、疲労が原因であろう痛みを感じた。延長戦だ。
16時40分頃に店を出て、なんとなくパノラマの写真を撮った。
なぜかこのとき工房の善根宿の鏡を見て、今日1日でだいぶ顏が焼けたなと感じていたことを思い出していた。
庭でバーベキューか何かをしていて、
挨拶はやはり香川か。すべての県を比べて一番多い気がする。これが奥田さんの言っていた終わりに近付くにつれ~という遍路への尊敬なのかな。
旅が終わろうとしている。残りのお寺の数もついに一桁になった。
どれがこれから登る山だろう。
軽トラから下りて自販機の前で飲み物を飲んでいた20代のお兄
あの山かな。わかんないや。
上の橋を渡った七本杉跡で、地図を広げていたらおばちゃんが2人乗った車が横に停まった。
窓が開いて、次はどこに?と聞かれて、白峰寺ですと答えると、じゃあこの道をまっすぐ行けばいいよと教えてくれた。
そして運転席の方がわざわざ車から下りてきてどら焼きをくれた。お供えに買っていた物らしいけど、お接待にあげると。
どこから?と質問されたので福岡と答えた。すると、わたし父が大分で〜と言うので、僕も出身は大分で、宇佐ですと伝えると、なんとその人のルーツも宇佐(松崎)だった。縁やねと言われた。縁だ。
その後、歩いていった先の交差点で、同乗者を送って行ったのか1人になった先程の女性とまた会った。
行ける?大丈夫?と乗せていってくれそうな空気を感じた。ありがたいし、
ファミマに寄った。飲み物はまだあるから(お寺近くなら自販機もあるだろうし)、ドラ焼きをパンとして数えて、他に必要なもの…と考えて、おにぎり一個、チオビタ、
レジ前でカゴを落としてヨーグルトがほんの少しこぼれたけど
日は傾いてきたが寝床を目指して歩き続ける。
雨の日ではない日は地図を見ながら歩けるからほんとに楽だ。
前を見て。
左を見て。
右を見た。
17時半を過ぎて、山6kmはマズいような…と焦りが生まれた。まあ、ヘッドライトもあるし、死にはしないだろうと進んだ。
ここから登りが始まる。
工事現場系休憩所に泊まるというのもありなのかなーとドアノブに手をかけたが、時間が時間なのでさすがに鍵が掛けられていた。
ここから登りがキツくなった。(血の宮というのは崇徳天皇の棺を白峯に運ぶ途中、棺から血が流れ落ちたということから。崇徳天皇っぽい話だけど普通に怖い)
血の宮やこの墓地もそうであるように、寝れそうなところはあるっちゃある。(今考えるとどちらも怖い場所だが)
でもまあ登ろう。屋根付きじゃないと心配だ。多分明日雨だし。
あの橋はもしや…と気になっていたが、瀬戸大橋だった。橋の先は本州だ。
こういった道だが下りてくる車はわりとあった。だが車道でも街灯は一つもない。嫌だなあと思っていた。
追い越す車の窓からチワワが顔を出して僕に吠えていた。まるで獣のような顔で、犬もあんな風に見てくるんだなと軽く驚いた。
もう1.6kmは絶対嘘。(これは歩きの残り距離で、先程の6kmは車の距離ってだけだった。距離感が掴めていなかったというオチ)
カニがいて、ありえないくらい速いカニ歩きを披露してくれた。いや、あれは歩きじゃない。走りだ。カニ走り。
チワワが戻ってきた。今度は吠えなかった。可愛い。
険しそうだ。そして道では何か工事している様子。
町が見下ろせた。山に囲まれている。
工事現場。今日はもう終わっているみたい。
そしてカーブのところで、ん、なんか道があるぞと思ったら、東屋もここにあった。そうか、ここのことか。
お寺まではあと1km。車とこんなに違うとは。
ここにしようと決めた。トイレも工事現場の仮設のものが少し手前にあるし。
歌碑があって、東屋の近くには西行の桜の花の下で死にたいという僕が最も好きな和歌の一つが刻まれていた。
ベンチで一休みしていると地元のおっちゃんが階段から上ってきて、僕が来た坂道を下っていった。
18時15分前、どこに置くかは難しいが、テントを設営することにした。
天気予報を確認すると、明日は夕方以降が雨とのことだったので、今夜は雨が降らないことに懸けて、テントは屋根からはみ出す場所に立てた。(机があるので屋根下は無理だった)
東屋はてっきりお寺の近くにあるものと考えていたので、一晩過ごして、お寺までの間、飲み物は補給出来ないだろうから上手くやらないといけない。滝の音では喉は潤わないし。
どら焼きはつぶあんだけど4個に小分けにされていた。小分けというのがありがたい。
夕飯をベンチで食べている間にだいぶ蚊に刺されてしまった。ちくしょう。お出かけアースノーマットもちくしょうだ。全然効果がない。
ウグイスの鳴き声が聞こえていたが、どうもホーホケキョではなく、爽健美茶にしか聞こえなかった。
歯磨きをして、歯磨き粉が壊れていた歯磨きセットはゴミ袋の中に捨てた。
節水の為に明日の朝食はチオビタで食べよう。残っている水は1kmの登りで飲む。ほんとに持っておいてよかった。
テントの底がマットを敷いていてもかなりデコボコだったので、人は来なさそうだし、もう東屋からは離れて平らな場所に移動した。
それは正解だった。かなり快適になったから。後は車が少しでも来ないことを願うのみ。
明日はあの先へ。
明日は高松のゲストハウスにでも泊まろうか。上手くいけば明後日には88番の大窪寺に着くかもしれない。嘘みたいだ。いや、雨だと明後日はキツいか。
空気が抜けていく枕で就寝へ。耳栓も片方無いから残っている方も付けなかった。みんな頑張ってくれた。まだ終わってないけれど。