宇佐新道 筑紫の路 第四段「光の道」

11月1日。
夏はさすがに負担が大きすぎる気がしたので、秋になって久しぶりのこのシリーズです。タイトルに「みち」が満ち満ちてますが、道道気にならなくなると思うので、えっと、その、すみません。

古賀市の熊野神社から再開。時刻は11時過ぎ。遅い。でも朝寒くなってきたし…。

鷺白橋交差点を左折。奥に見えているのは犬鳴連峰。

気温は20度程で、歩いていると少し暑いが、風が吹けば快適といった感じ。日焼け止めを塗り忘れていて、帽子だけでは日焼けは防げなかったけど。

旧筑前唐津街道の道標。街道は意識していないが、意識しているので、道標が現れると少し嬉しい。
左はエコロの森というゴミ処理場・清掃工場で、一度だけパソコンチェアを自己搬入しに来たことがある。


この辺りはスクラップ処理系の会社が立ち並んでいた。需要はある様子。

古賀サービスエリアへは高速に乗っていなくても一般道から入ることもできる。下り線のSAには全国で唯一フードコートに入っている一蘭がある。

この日は人の手が届いていない場所で繁茂した竹林の近くを何度か通り、その際に風に揺れてか自重でしなってか、コツコツコツとノックしているような音が聞こえてきて、こういうところから竹取物語の発想は来ているんだろうなと感じた。

旦野原井戸。唐津街道の遺構。

丘陵にあるため水が足りなかったので、大庄屋の屋敷に井戸を掘ったらしい。

ここからは福津市。右は標高157mの飯盛山。

車はたまに通るが、歩行者は無し。しかし、ここは山を切り開いて作った道だと思うが、そこまで集落が離れているわけではない。

旧唐津街道が残っていることを少しだけ調べていたので、車道から離れて左の竹を跨いで坂を上がった。

みかん畑。

舗装された道が消え、突然の別れ道。右に進んでみる。

古すぎない道標もあるし、多分ここが「玄望峠」か「楢ノ木坂」という場所なはずだが…

獣道と化す一歩手前のような荒れ具合…

いや…道終わった…

この先どう進めばいいのかがわからない…

なんか猪用のトラップみたいなものまであるし…。

藪をかき分けて何度かチャレンジ&断念を繰り返すも右側の道からは進める気がせず、戻って左側の道を歩いてみたもののこちらも行き止まりという結果に。

はい、チャレンジ失敗の引き返しで車道へと戻ってきました。時間も体力もロスした形ですが、これもまた経験・探検です。

坂の上にも聞こえていたチャイムは上西郷小学校のものだったらしい。


アビスパ福岡応援自販機でiMUSEを購入。降格ジンクス打破おめでとう募金ってことにしとこう。先日の試合でジョン・マリの品の無さには驚いたけど。

なまずの郷という総合運動公園が近くにあるからか、巨大なまずを発見。

本物は川の中には見えなかった。

ちかんはいるのかもしれない。

西郷川花園はほとんど咲いてる花がなかったが、あと数週間早ければコスモスが綺麗だったみたい。惜しかった。

寄る予定はなかったけど寄ることになった、宗像三女神に吸い寄せられた、神輿神社。15番。

宗像大社が近づいているので三女神や宗像氏関連が増えていきます。

神社境内に土俵あり。

福間東中学校。全国のどの学校にもいろんな卒業生がいて、いろんな物語があるんだろうな。

毎回工事、交通誘導員に出くわしてる気がする。

でも看板見えてないよ!雑草に覆われてるよ!

なぜか手袋をつけられたガードレールの視線誘導標。

片方のサンダルで歩くのは不便そうなのに。

通堂高架橋を渡る。

下を通るのは鹿児島本線。

絶対この郵便局、コンビニの居抜き物件。

福岡4区の当選者は宮内秀樹氏。おめでとうございます。

宮地嶽神社が近づいてきた。

さんぱつや、読みがな要るか…?

これから登る山が見えている。

宮地嶽神社参道へ。ジャニーズの嵐出演のCMで話題になって、ここ何年かで参拝客もかなり増加したはず。久しぶりに来たら近辺にカフェ等も増えていた。

名物は松ヶ枝餅。太宰府の梅ヶ枝餅との違いは多分名前だけ。
10kmは歩いていたし、お昼も過ぎていたし、どこかのお店に入って、松ヶ枝餅でお茶をしたり、うどんだとかを食べてもいいなーと考えていたのに、なんだかどこの店にも入りづらくて、呼び込みでもあったら入りやすいし、もっとお客も来るのにな…とは思った。観光客が来るようになって観光地になったのは最近だから仕方がないのかもしれないけど。

階段を上がります。

階段を上り終えて振り返ると見える、海へと続くこの道を一直線に夕陽の光が照らす「光の道」が絶景として有名になった。
完璧な状態で見られるのは2月と10月だけで、その時期は人が殺到し、今では有料席まで設けられている。

昔から知っている神社なので、その嵐のJALのCMで一気に有名になってからの賑わいは正直驚きだった。西鉄の宮地岳線は廃線になったし、初詣以外で人が集まるのなんて見たことがないくらいだったのに。(JRのアクセスは悪いから、結果的に西鉄残しておいた方が儲かっただろうにね…)
福岡空港にも光の道の写真が大々的に貼られていたり、福岡を代表する場所になったとも言える。
もう一つ本音を言えば、完璧な状態の光の道は見たことがなく、今となっては全国から集う人々と競うことになったので、「有名になる前にちゃんと見ておけばよかった」

コロナ以降、どこの神社も手水舎は映え方面で手が込んでいる。ここもそうらしい。

こちらは実際に洗える方。簡素。

16番、宮地嶽神社。光の道が有名になる前は日本一の大きさの大注連縄が象徴だった。
主祭神は神功皇后。渡韓の際にこの地で祈願して船出したのが創建の由来らしい。


見えづらいが、五円硬貨が押し込まれている。


本殿横を抜けて、奥の宮方面へ。

記憶が正しければお茶屋があったはずだと行ってみたが、予想通り開いてはいなかった。コロナ以降この手のものはまだ期待できない。土日は開けるのかな。

ほぼ誰もいない広場で休憩することにした。これはこれで悪くない。だが世界新体操入場前に貰ったリポビタンゼリー for Sportsで栄養補給をするも、出発時刻が遅かったので気持ちは少し穏やかさに欠けている。

桃ジュースを購入してから更に奥へ。

奥の宮八社巡りは以前経験があるので今回はスルー。

横穴式石室古墳が社の不動神社だけお参りをして、

ここから登山開始。目立つ案内板はなかったが、いかにもトレッキングっぽい格好をしている人達とはすれ違うので問題はなさそう。

あった。こちらの自然歩道を進みます。

ルート上の問題か、ただの不注意か、実は宮地山古宮は見落としてしまったのでカウントせず。それでも宮地山を経由して、在自山(あらじやま)へ縦走。

特別険しい道ではないが、道幅が狭い崖道が多かったので、気は抜けなかった。

見かけた登山客は10人程かな。午前中なら平日でももっと多かっただろう。

振り返ると素晴らしい眺め。玄界灘一望だ。いくつかの島も見える。

Nice chair.

そして17番、在自山。

正面には相島。猫が沢山いる島。

在自山山頂の先にある金刀比羅神社の古宮に到着。

在自山に入る気もすれば、金刀比羅神社に含むようでもあって、カウントが難しい…。

そこから少し下った先に、

展望所。あまり知られていないが、この2つの鳥居が立つ風景は福岡県でも有数の景色だと思う。

ベンチ横に捨てられていたサンドイッチのゴミに蟻がびっしりついていて不快だったけど、無視することはできないので今日は今日とてゴミ拾い運動をして、しばらくベンチに座ってこの景色を眺めていた。
海、山、入り江、田園、トンビ。現代の住宅以外は2000年前でもさほど変わらないであろう景色。人はおらず、吹く風は気持ちよく、5時間はこのベンチに座っていられるなと感じた。

この道に端から光ありにけり人に知らるる時は何時ぞや

 

でも既に14時半なので下山しなければ。道はあるのでこの展望所からも下りられるだろう。

うん、トレッキングシューズじゃなくてランニングシューズだったからね、下山時のつま先にダメージを受け続けるよね。
平地も長いからどちらを選ぶかはいつも悩ましい。同じようなやらかしを繰り返すのもまた人生の一部だけども。

下りてこられました。

登山口付近にある金刀比羅神社へ。

こちらが18番ということにしましょう。

漁港がある津屋崎には日本海海戦紀念碑や東郷神社があったりと、この辺りは日露戦争の面影を感じる場所でもある。
坂の上の雲に出てくる、沖ノ島から海戦を目撃することになった少年のことを思い出した。

どんな宝物があるのだろう。

想像以上に参道が続いているので、行くっきゃない。

美しい道だった。宮地嶽の方が光の道ならば、こちらは影の道といったところか。

参道が終わると田んぼに出た。

確かにホタルが生息していても不思議ではない。

山の方を振り返ると小さく鳥居が2つ見えた。素晴らしい。

ただ、どうやってこの後交通機関まで戻ろうかとは考え続けていた。福津ミニバスというコミュニティバスはあるらしいが、夕方すら走ってなさそうだし。

小さくて赤い鳥居って妙に怖いけど、ゴミの不法投棄防止で設置されるらしい。はたしてならず者たちは神を恐れるのか。

築60年程は経っていそうな民家が立ち並ぶ集落を抜ける。目指している古墳はまだ遠い。

対馬見通り。

今日は風があって涼しい一日で良かったな、ちゃんと秋を感じられる日だった、なんて思っていたら…
あああ!!!ふくつみにバス!!!

恐る恐る時刻表を確認。

今すれ違ったのが15時半の便で、17時台もあることはあるが駅までは行ってくれないので、実質本日の運行終了だ…。
何もない場所なので、どこか帰り道へと繋がる場所まで歩き続けるしかない…。まあ、なんとかなるだろうけど。

お地蔵さん?の裏になぜかソーラーパネル。夜になるとライトアップするのかも。

新原・奴山古墳群到着。

バスがないなら馬車出してくれてもいいよ…?

世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の一つでもある古墳群。
ガイドのおじさんと話をすると、最近は東京や山梨からも観光客が来たと教えてくれた。ちょうど同じタイミングで自分の前にガイドを受けていたのも、宗像大社(辺津宮)に寄ってからこちらにも来た埼玉の男性。
福岡に住む人なら”原”を”ばる”と呼ぶのに抵抗はないが、他の地域の人がカーナビで”しんばら”や”にいはら”と入れてしまって候補に出てこないというエピソードも聞いた。
でも”しんばら”は読めても、”ぬやま”は読めない可能性の方が高そうだ。やっこさんだよこれは、やっこさん。

野焼きをした後らしく、このような状態。緑ではない。

古墳群は5世紀~6世紀頃造営で、被葬者は玄界灘周辺地域を支配していた古代豪族宗像氏と推定されている。海人族らしく、当時の海に面した台地に古墳が立ち並んでいるのが特徴。


保存修理工事もしているので、今はメンテナンス時期ですね。

古墳は数えない方向性だったけれど、数えてもよかったなと思う。だが重要なのは数字ではない。

ご迷惑をおかけしますの古墳バージョンがこの世にあることを初めて知った。
でも考えてみれば、静岡の人にとっての富士山のように、宇佐出身の自分にとっては古墳は見慣れたものだけど、縁のない人にとってはまったく縁がないものだよね。

バス停がある場所だと再開しやすいかともう少し進んできた。

寄ろうかと思ったが入りづらくてやめたお寺。普段檀家しか来ないようなところは賽銭箱が見当たらないともう入れない。

そのお寺の先の神社へ。

19番、縫殿神社。デザイン・ファッション発祥の地とも言えるんだとか。

今日はここで終了で構わないんだけども、ふくつミニバスではなく、西鉄バスで帰るしかなさそうなので、次回に想定していたルートも変更して、日は暮れていくがまだ進むことに。


鴨が数百匹はいた積内池の横を通り、海の近くにある県道502号線を目指して。

余裕を持ちすぎたが故の誤算はあったが、おかげで夕陽が綺麗だ。

こんなとこにもLOVEはある。

奴山口バス停で本日の歩き終了。

ベンチもない、一日で何人がこのバス停から乗るんだ…?というような道路の途中すぎる場所だったので、五分遅れのバスを待っている間少し恥ずかしかった。車もたまに通る程度だったけれど。

乗っていた乗客は女子高生二人だけ。次回歩くであろう道をぐるっと回って、JR東郷駅から帰ることができた。

はい、先述の通り、少しルート変更をしたので、次回どうするかは迷っております。が、困ってはいません。
では、また。


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