同情や哀れみを乞う意図はなく、きっと「パトラッシュ…僕もう疲れたよ…」ってだけなんだけど、
この前ショッピングモール内のスーパーで買い物をしているだけで、急に涙が止まらなくなって、もうなんかいよいよだな、と感じたので念の為書いておく。今更恥じることも、誇ることもないし。
ただ、似たような愚痴は以前にも書いてきて、誰を喜ばせるものでもないから、こういうのはこれで最後にしたい。
読むと暗い気分になるかもしれないので、一応閲覧注意で。あ、詐欺とは無関係です。
自分がずっと苦しみ続けている理由、その根底にあるもの、いや、常にど真ん中にあるものは、9歳から14歳まで虐待を受けていたという過去の悲しみだと思う。
父親が外面はいいが、中身は人間の屑そのものというような生き物だったので、自分に物心がつく前から、ほんの些細なことで機嫌を悪くすると、何も悪くない母親が殴る蹴るされ、それに泣きながら耐えている姿を何度も目にしてきて、ある意味自分にとっては原風景のような光景とも呼べる。
母親が家庭内暴力に耐えきれず離婚を決断し、妹を連れて家を出たのが、自分が小学4年生の頃。誰も予想していなかったとは思うが、すぐに暴力の対象が自分へと移った。まだ幼い子供ではあっても、常に父親の顔色を伺いながら怯えて暮らす生活が始まった。
あの時一緒に転居できていたなら、また違う人生が待っていたはず。だが自分だけが残された。取り残された。所属しているサッカーチームのコーチを父親がやっていたりと、親子の関係が深いと判断されたからだろう。他にも事情はあったようだが。
同級生たちはみんな遊んだりしているのに、自分は父親から毎日練習(+勉強)を強制されて、指導という名の暴力も受けて、サッカーをするのが好きと思ったことは一度もなかったけれど、
そうした努力の時間の結果、小学6年生の終わりに受けたプロチームの下部組織のセレクション・試験に合格できるほどの実力は身についていた。
好きではなくても、そればかりに打ち込んでいたので「プロサッカー選手になる」というのは自分の夢ではあった。
下部組織に入れたり、選抜に選ばれたりするのは、その夢へと着実に近づいていると実感させてくれた。
当時のU-15のコーチの一人が今ではトップチームの監督で、その人から貰ったのは「おまえが一番プロに近い」という言葉だった。
サッカーを続けられていたなら、自分がどこまでたどり着けたのか。悔しさしかない。
サッカーを辞めるしかなかったのは、悪化した家庭の環境に、自分が、自分の心が、耐えられなくなったから。
かつて父親の不倫相手だった女が「自分が下部組織に入ってお世話が必要だから」という理由で家に入ってきたことで、どこにも自分の居場所はなくなり、暴力も更にエスカレートしていった。
きっかけも内容も書けないような暴力・児童虐待を毎日のように受けることで、家にいるのに安らげる瞬間が一瞬たりともない、極度の精神的ストレスに常に曝され、自分の意思や力ではどうすることもできない生き地獄のような日々に、10代前半の子供が耐えられるわけがなかった。
もう何も考えられないような状態だったけれど、ある朝、学校に行くふりをして、駅で電車に乗り、自分が育った故郷を出たのが14歳になって数ヶ月のこと。
母親が暮らしていた福岡に越してきたが、でももう遅かった。その頃にはもう、完全に心が壊れてしまった14歳の少年になっていて、とてもじゃないがスポーツなどできる状態ではなかった。