宇佐新道 筑紫の路 第二段 「博多北行」

日付は5月7日。天候は曇り。緊急事態宣言実施が迫る福岡・博多の街を北へと行きます。やはり僕が今祈ります。敵病降伏を。
(ちなみにGWは近所を散歩した一日以外全日ステイホームでした。その他の期間もこの祈りの旅以外で外出することはほぼ皆無です。買い物は仕方ないので行きますがまとめて済ませます。在宅ワークです。そういうことです。なにこれ

二日目、櫛田神社の南神門から。

正面にはキャナルシティへの通路。

右へと曲がり、川端通商店街を進む。

元祖ラーメン長浜家の前でアーケードから外れ、川沿いの道へ。


美しくない博多川を挟んで、左は夜の街で有名な中洲。神聖なものとは真逆の世界。
だが一つ先の橋で、ホストか何かは知らないが、安藤政信系の整った小顔で高身長の男性とすれ違い、外面的な人間美は感じた。

博多リバレインにあるアンパンマンとバイキンマンの像に夢中な子どもたち。こちらは神聖というか、純真な方。

ギラギラしたネオンサインではなく、昔ながらの灯籠や柳の木と花街はきっと合っていたと思う。風情や趣とも呼ぶ。着物やネイル等を挙げても伝わるかな。

通りもんに比べると知名度は負けるけど、同じくらい美味しい鶴乃子饅頭を販売している石村萬盛堂本店があった場所。今は建て替え中で現代的な建物へと変わっている。諸行無常、何もかも移り変わっていく。
ちなみにこの辺りが母方のルーツの場所。祖父やもっと上の先祖が見ていたのはどんな景色だっただろう。思いは馳せるが、正解の画は思い浮かんでこない。

Oh Camino… Buen Camino… for us, for them, for you.

昭和通りを北東へ。好きな芸能人誰?と聞かれたら、馬場ふみかと答えます。煩悩です。

前回巡った寺社から離れていく。博多小から届くリコーダーの音を聞いたり、街中では仕方ないが何度も信号待ちをしながら。

都市高の横や下を通り、御笠川を渡り、ひたすら真っすぐ。

川を渡って博多区の東の方、特にこの千代や堅粕辺りは古いお寺や建物が多い。故に古くて安い住宅も多く、返せば、ガラの悪い人も少なくないということになる。
福岡市内ではトップクラスに治安が悪い地域と呼ばれているが、そういった空気感は(予備知識がなくても)他の街や国でもなんとなく伝わってくる。そういったリアルも歩き旅ではひしひしと感じられる。貶めたいわけではないけどね。

福岡藩主黒田家の菩提寺、崇福寺へ。山門は旧福岡城から移築したもの。

黒田官兵衛のお墓は見たかったが、土日以外は入れないと事前に調べてはいたので、やむなし。

しかしそのまま去るのも寂しいので、地蔵堂へお参り。堂内は線香等の匂いが立ち込めていて、自分がお寺にいることを強く実感させられた。心も、服も。

写経が貼られているのかと思いきや、少し違う。左足の痛みがとれますように×28は切実な願いだ。

最近この手のお茶屋・お土産屋が閉まっているのが常となって寂しい。「甘党のさけて通れぬまんじゅう屋さん」のまんじゅうを食べてみたかった。

次は崇福寺のほぼ反対側にある、東公園の中へ。雨がぽつぽつと降ってきた。

十日恵比寿神社。正月大祭では商売繁盛を願い、狭い境内に狂気的なほど人がごった返すのは福岡の新春の風物詩だったが、普段はこんな感じ。コロナ前ともそこまで変化はない。

オロロロロ。手水舎も水がちろちろと落ちるこの様式に落ち着きましたね。

博多弁のめでたいみくじが気になったので引いてみた。

末吉…。何事にも貪欲に挑まないかんらしい。

神社を出て、東公園ば歩く。こういう石碑に漢詩か何か刻みたい。

福岡県庁。

県庁の大きな建物と対面するかのように立つのは巨大な亀山上皇銅像。元寇(蒙古襲来)時に伊勢神宮や熊野三山で「我が身をもって国難に代わらん」と敵国降伏を祈願した、ある意味神風を呼んだ第90代天皇。

東公園は水と緑の自然が豊かで癒やされる。大濠公園より人が少ないのもポイント。お天気も回復した。

わかりづらいが、日蓮聖人像の頭の上に鳥が止まっていた。元寇を退けた立役者たちの像が立ち並んでいるようで、北条時宗像はないです。

公園内の小さな喫茶店もなくなっていた。飲食店に限った話ではないが、世界が移り変わる速度が一気に加速したようで、ただただ物寂しさを感じる。

馬出(まいだし)、吉塚を越え、箱崎へ。これは唐津街道旧郡境石といって、唐津藩や筑前藩が参勤交代で利用していた唐津街道の名残を伝える石碑。

全部を歩こうとしているわけではないが、道選びでは旧街道を少し意識している。新道とはいっても交通量の多い国道ばかり歩いても味気がないしね。
それに巡礼とはいえ自分一人がしていることだから、街歩きとしての側面でも多少は色付けしてくれるはず。残っている痕跡なんて僅かだけど。

道沿いでは古い建物に良さげなお店が入っていたりして惹かれた。ただ、歩きの最中なので(イートインも少なくなった今)美味しそうなものをふらっと寄って買う・食べるというのはちと難しい。プリンでも買おうものなら確実に悲惨なことになるし()

筥崎宮に到着。宇佐神宮、石清水八幡宮と共に三大八幡宮に数えられる。

神社でタッチパネル式の案内板は珍しいな。

箱崎浜のお潮井(真砂)を玄関に備えておいて、外出時に振りかけるのが博多の文化とのこと。どれくらいの人が実践しているのかはわからない。

こちらは湧出石。なんていうか、筥崎宮、結構観光ナイズドされている。

前回出発地点の近くに御胞衣ヶ浦という宇美八幡宮の奥宮があったが、胎中天皇とも言われ生まれる前から天皇に即位することが決まっていた誉田別皇子(応神天皇)が生まれた際の胞衣を「筥(はこ)」に入れてもう一箇所埋納したのがこの地とされている。
筥崎宮と、地名の箱崎で字が違うのは、筥の字を使うのは畏れ多いからという理由。

遠い昔から武神として崇敬されている八幡大神。今もソフトバンクホークスやアビスパなど地元のスポーツチームが毎年必勝祈願で参拝することで有名。神木「筥松」を囲むように選手たちがサインを書き込んだ絵馬が掲げられている。

楼門の上部にある「敵国降伏」の扁額は先程巨大な銅像があった亀山上皇が奉納した筆を模写拡大したもの。


残念ながら21世紀の現在も、日本を敵国認定している国がいくつかあって、明日戦争をしかけられても何もおかしくない現状、領土を不法占拠されていたり、拉致被害に遭っていたりと、悩ましいことばかりですが、願いましょう。遠くない未来でそうした問題がすべて解決することを。

そして今の最大の敵はコロナ。国ではないが、敵の病が一日でも早く降伏することを祈ります。現実的な部分を見れば、人類の叡智、科学の力で作られたワクチンによって徐々に終息に向かうのだろうけど、かつての日本人が疫病退散でそうしてきたように、小さな自分は同じやり方で、祈りを。
取り乱している人たちも、意見の相違による争いも、病気があるからこそ。憎むのは人ではなく、病なのです。まあ、意図的に作られた生物兵器とかだったりしたら話は変わってくるけど。どうなのプーさん?

ということで、筥松に寄せて、一首。

向かえうち筥松で巻き返す風神威に沈め敵なる小人


本殿裏の西末社と東末社にもお参り。

筆塚。


木造亀山上皇御神像。東公園の銅像の原型として明治時代に制作されたとのこと。
島国故に外敵から攻撃されることがほとんどなかった日本にとって、元寇がどれだけ衝撃的な出来事であったかを、その戦いの最前線だった福岡市東区では、700年後の今も感じ取ることができる。

ええ、鳩は八幡神の使いですので。八幡神社以外の場所でも沢山いらっしゃいますが。

元寇歌曲碑。

多分、蒙古軍船の碇石(宋の商船の可能性もあるらしい)

筥崎宮参拝終了。鳥居の先の海の方にもまた鳥居がある。(国道沿いにあった大鳥居は老朽化の為撤去された)
放生会の際はこの参道に1kmほど屋台が立ち並ぶ。あまりに人が多過ぎるので正直そこまで好きなお祭りではない。おはじきやちゃんぽんは可愛いけれど。

更に北へ進みます。日常の風景と共に。

飛行機がこれだけ低空で飛ぶのもこの地域の人々にとっては日常。わりとひっきりなしに空港へ向かって降りてくる。

九州大学箱崎キャンパス跡地。現在は再開発中。

歩行者はまっすぐ進んでいいらしい。

広大な跡地に新たな街が形成されれば、この景色は過去の眺めとなる。殺風景だが、今しか見られない景色。

鹿児島本線と並走するように歩いていく。約7km分の疲れも一緒に。

こちらは地下鉄箱崎線と西鉄貝塚線の貝塚駅。

そこまで高くはない高架はJR貨物の線路。

名島橋を渡る。

バックパックのおっちゃんとすれ違った。多分宇佐から逆向きで歩いてきた人()

若干引き返すような進行方向にはなるが、多々良川の河川敷を歩くことにした。海がわりと近いからか、少しだけ磯の香りも。

細川幽斎が多々良潟について詠んでいたとは知らなかった。麒麟がくる、なかなか面白かったよ。

向かい風ではあったが風がとても気持ちよく、良い時間だと感じた。体感的には今日の目標地点はまだ遠く、結構あるな…まああっさり終わるのもあれだし、ちょうどいいかと。

河川敷さよなら。きっと誰かの思い出、青春の道。

なんてことはない普通の住宅や会社等がある場所を抜けていく。

わくろ石。「わくろ」は方言で「ヒキガエル」のこと。カエルとして雨乞いだけでなく、立ち帰り(交通安全)や疫病除けの神として崇敬を集めたらしい。カエルに見えるかな?

国道三号線の博多バイパスに出ると、日差しが強く、蒸し暑い日本の夏が着々と近付いているのを感じた。

平成30年に全線開通したまさに新道と言えるバイパス。しかし地図アプリを信用できなくなるくらいには新しいので、道の途中で下りられるのか不安を抱えていた。

目を瞑っていても歩けるくらいまっすぐに続く道。歩行者はまったくいなかったが、終わり際に数人とすれ違った。反対側にいた一人の男性は熱唱していた。

ちょうどいいところで下りられてよかった。右手にある香椎宮の気配も感じられる。

楠並木の参道(勅使道)。

鶯の一鳴きを聞き、香椎宮到着。


ちょっと疲れが溜まっていたので休憩所で少し休むことに。この時ログを取っているYAMAPを一時停止するの忘れちゃったけど、まあいいさ。

綾杉せんべいと不老水甘酒を購入。神社等で買う甘酒美味しい。というか神社でしか買わないけど。(甘酒のパッケージ良かったのに包装紙で見えない…)


では本殿へと参りましょう。

伝承の地も周辺に多数あって、香椎宮は神功皇后の存在感が強い。主祭神も応神天皇の父である仲哀天皇と、その后である神功皇后の夫婦二柱。

神木「綾杉」

珍しい鶏の神社。子供の夜泣きを防ぐご利益があるとか。

いや、めで鯛ここにもいるんかい…!

古宮と不老水方面へは行きたいが、その前に…

一旦戻って、亀の池に来てみた。

そしてまた本殿・幣殿前に。先程中門をくぐる際には風がふわっと吹いてきて、神様が迎えてくれたような気がした。定着はしてないと思うが「迎え風」という言葉もあるらしい。

ふなこしよしたか、応援してるぜ。

摂社の武内神社等を経て、先へ。

ヤマトタケルの子であり、応神天皇の父である、仲哀天皇の仮宮(橿日宮)の跡地であり、崩御の地でもある古宮。

玉垣の先には神木「香椎」

神の怒りに触れて急死した仲哀天皇の棺をこの椎の木に掛けていたところ、異香がしてきたので、「香椎」になったという伝承がある。いったいどんな香りだったのだろうか。
そうした経緯を発祥とするので、香椎宮はかつて神社ではなく、霊廟として扱われていたという特殊な性質を持つ。ちなみに九州には二社しかない勅祭社の一つでもある。もう一社はもちろん宇佐神宮。

ひと気のない杜で吹く風や、ゆっくりと流れる時を感じるのが一番好き。その瞬間の為に歩いているといっても過言ではない。

もしかするとこの旅で最も崇高な場所がここかもしれない。

続いて不老水へ。思いっきり住宅街の中。

(何人かで名前を継承していたんだろうけど…)300年以上生きたという伝説もあるくらい長寿で、5代の天皇に仕えた忠臣、武内宿禰の屋敷跡地にある井戸の水を、同じように長寿を願って求めに来る人は多い。
念のため煮沸してくださいと注意書きがあったものの、空きのペットボトルがなかったのでそのまま一口頂いたが、大丈夫でした。多分ちょっと寿命伸びてます。

同じ時間に居合わせた人たちが、この御朱印すごくないですか?みたいな話をしていたけど、よくわからなかった。

ここから今日の終着地点まではそこそこの登りで数kmあって、手前の程良い場所で区切ればよかった…とは進みながら正直思った。

女子サッカーチーム、福岡Jアンクラスの自販機なんて初めて見た。この世界に何台あるだろう。猶本光がいた頃が懐かしい。

終盤の坂道をひたすら上るのは当然楽ではない。しかし辛いことは全部修行、幸せな日以外全部鍛錬日という強引な解釈で。

坂を上り終えた先にあった雑草が生え放題の公園。

そして長谷ダム記念公園に到着。あ、でも着いたわ、今日はここで終了でもいいなと思えるくらいのプチ達成感。

おまけに、まさかセブンティーンアイスがあるとは予想していなかった。

まあ、山の麓みたいな場所ですので…。

木陰に腰掛けて…

優勝タイム。16km程歩いてのこれは最高としか言えない。アイスを開けてからゴミ袋を持っていないことに気付いたけど、香椎宮で購入していたせんべいの袋を開けて代用した。近くに捨てられていたいくつかのゴミも拾って功徳も積んじゃったし、買っといてよかった。

アメフトの練習をする若い男性二人や、ゲートボールの練習をするおじいさん、テントでくつろぐ人たちなどがいて、穏やかな時間が流れていた。自分もシートがあれば昼寝でもしたかったな。
うん、本当に最高だと思った。ここから帰る交通機関があればね。ないけど。

それからカメムシが飛んでくるまでしばらくのんびりと過ごしていた。自販機近くの溝に落ちそうなくらいはしゃいでいたゴールデンとラブラドールのレトリーバーズは可愛かったけど、飼い主が30代後半くらいの本気でいかついカップルで、なんていうか、近付けないし、殺されそうで怖かった。ゴールデンの名前がリリィなのはギャップがあったけど()

旅の性質上そうなるというか、今のところ、いわゆる縁のある場所、行ったことがある場所ばかりを巡る形となっているので、長谷ダムもまた来たことはあったんだけど、もう少し歩いてみることにした。

休憩って大事だよね。疲れの度合いで楽しめる余裕も違ってくる。妊婦を含んだ女性3人組以外は、ふれ愛ロードは散歩のおじいちゃんだらけだった。

でもここ一周(約5km)してたら同じところに戻ってくるわりには疲弊しすぎるぞ…と途中で引き返した。充分でしょう。

ダム公園の隣には三日月山霊園の駐車場があり、立花山・三日月山という二つの山への登山口もある。

要は次回予告ってことですね。次はこの登山口から登っていく予定。

はい、これにて二日目終了。

交通機関がまったくない山の方に来ていたので、アップダウンだったり曲がりくねっていたりと、終わってからも疲れる帰り道だった。
でも人々の暮らしの傍を通るのは好きなので問題なし。運動にもなっているわけだしね。地名の由来が予想できたりも面白い。
ただ、次回の再開も考慮すれば、できるだけ駅やバス停があるアクセスの良い場所で区切っていきたいのは本音。だが田舎になればなるほどそれは難しくなる。仕方ない。

普段から飲み会等は行かないし、コロナ禍での外出自粛もめちゃくちゃしていて、出会いは皆無な歩き旅なわけだから、別に歩いていいような気もするけど、緊急事態宣言となるとさすがに抵抗が生まれてくる。
難しいね。悩ましいね。どうなるだろうね。梅雨もすぐそこまで迫っているし、三日目、いつになるでしょうね。


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