6月18日(日)
最終日の朝もいつも通りの数時間睡眠で迎えた。今日は始発なので仕方ない部分はあるが。
始発の電車は朝帰りの酔っ払った若者や夜勤明けの中年などで空いてはいなかった。楽しみというよりは今日で篠栗遍路が終わってしまう寂しさを感じる、でも悪くはない気分で移動していたのに、途中で隣に座ってきたおっさんがもう吐き気がするくらい煙草臭くて、もはやこれは痴漢や暴行と同レベルの迷惑行為では…?とか、人に迷惑を掛けてまで吸いたい気持ちが未だにまったくわからないな…だとか思いつつ、でもまあ、他者の気持ちが考えられない人間なんてこの世には腐るほどいるよなと諦めるような気持ちでもあった。
しかし篠栗に着けばそんな嫌気が差す日常からは少し距離を置けた。束の間の非現実だが最後の一日を楽しもう。
6時34分に筑前山手駅到着。駅舎内にポイ捨てされたゴミが散乱していて残念だったが、こんな世界に残された良心のような時間を歩き始める。
ゆきちゃんが準備をしている間、走って見てきたのは52番札所の十万人の名で描いたとされる御影。前回間近で見なかったことが気掛かりだったので来てみたが、本当に昔の人の名で埋め尽くされていて圧倒されるようだった。
さあ、行こう。まずは若杉山の奥の院を目指して、二日目も歩いた道をひたすら登っていく。
朝早い時刻だとまだ気温が高くなくていい。歩いていると蒸すような湿度は感じるが。
以前はお堂が撮れなかった42番札所付近で髭の濃い男性登山客と会ったので挨拶をした。間違いなく若杉山を目指しているだろう。
ウグイス等の鳴き声を聞きながら、たまに垂れ下がっている巨大な蜘蛛の巣に警戒しながら、既に歩いたへんろ道は基本的には通らず、舗装道路をぐねぐねと歩いていった。
ほほう!三角寺と千手院の間に繋がっていたのか。
オロナミンCポイントはまだ貯まっていなかったので素通り。
前回鍵が閉まっていて納経ができなかった64番は、ゆきちゃんが「絶対に他にも困っている人がいると思う」と篠栗町観光協会にメールをして、そこから霊場会事務局を経由して連絡がいったらしいので多分いつでも納経ができるように対応はされているはず。いや、さすがにされているでしょう。恐ろしいけど…。実際に行ってみないとまだわからないけど…。
荒田の集落に着いた。若杉屋のお父さんと挨拶をしてから例の場所へ。
はい。車は二台駐まっていましたが、前回と同じく鍵が掛かっており納経できませんでした。
いや…またか…いやいやいや…まじか…ってかいつまで忌中なんだ…。お堂でも軒下でもいいから外に出しておいてくれるだけでいいのに…。他は全部そうしてあるのに…。これじゃあ何も変わってないじゃないか…。もはや忌中の張り紙を常に貼り続けることで納経所としての義務を放棄しているんじゃないか…?とさえ疑ってしまうが、またもやどうしようもない状況。
インターホンを押すこともできたが午前8時前と早い時間ではあるので、一旦若杉山へ登って下山後のチャンスに賭けることにした。納経で賭けるってのがもうわけわかんなすぎるけど。
本当にこの64番だけなんだよな…自販機以上に稼げる可能性もある収入源だろうにもうちょっとちゃんとしてくれないかな…そんなに難しいことかな…とストレスを感じつつも、登山へと向かう。
そりゃ人間も猫も困り顔になっちゃうわ。
仕方ない。仕方ない。登ろう。
森林セラピー基地としてこの手の看板がいくつか設置されていた。
岩がなかなか大きくて容易ではなかった道。
ちゃんと沢にいたサワガニ。
鳴淵ダムが遥か下に見えるほど出発から登り続けてきたのでもちろん疲労はあったが、登れば登るほど景色の良さが増していくという嬉しい面も。
あれ、夫婦杉はどこだったんだろう…。見逃してしまったが、まあいいか。
途中に林道を少し挟むパターンかな、と予想していたが想像以上に続いていた。
でもへんろ道の道標はある。間違ってはいないらしい。
まだ続く。
まだまだ続く。
あれ…え…?
へんろ道の案内も消えたし、どこだここは…。
へんろ道を通ってそのまま若杉山奥ノ院へと着くはずが、米山の方へと近づいていた。案内に沿ってきたつもりだったがどこで間違えたんだろう…林道に入るところか…?
だがとりあえずは広い駐車場へ着くことはできた。営業はしていないが売店の場所だろう。
こちらからも行けるなら問題ないか。
奥の院へは歩いて20分らしい。そう遠くはない。
階段の上は若杉観音堂。これだけ大きな駐車場があるということは車で来る登山客にとってはこちらが定番のコースなのだろう。
見事な紫陽花。
あのまま山の中を通って奥の院へと進むのが理想だったが、こちらの道も悪くなさそうだ。
この道が荒田と繋がっているのか。巡拝図を適宜確認すべきではあったが、わかりやすい案内はなかったので仕方ない。
奥ノ院番へ。
いや…ちょっと…何この急勾配。
もうね、予想していなかった。ひたすらこんな味気のない坂が続いているなんて。登山道でよく見かけるつづら折りの道などは一切なく、車にとっては好都合なんだろうけど、この硬くて急な坂がただただ続いていた。
難所奥ノ院として簡単には登らせてくれないのは別にいいんだけど、登山の喜びもまったく感じられない現代的な道が待っているとは。朝からずっと硬い道を歩いているので足へのダメージも確実に溜まり続けていた。
ようやく登り終えたか。
奥之院は右だが、せっかくなので200m先にある若杉山山頂へ寄ってみることにした。
ん…?
まさかの見晴らし0の山頂だとは…。勝手に期待したのはこっちだけどガッカリだよ…!
あの髭のお兄さんとすれ違ったが、彼もこの見晴らしには戸惑ったに違いない。
奥ノ院へ向かいます。本来の目的地はそちらなのでね。
公衆便所はかなり年季が入っていそうだったが、電線は続いていたので電気は通っていて、自販機も置かれていた。あの坂があれば運搬も難しくはないだろう。
太祖宮上宮にも参ることにした。
三韓征伐にも縁を持つ由緒ある神社のようだ。さすが弘法大師修法の地でもある霊峰若杉。
鳥居下の階段は恐ろしいくらいの落差があった。もはや崖だ。
書いてないな、彫ってるな。奥之院まではもう少し。
くぐるしかなかった巨岩の道。
おお、素晴らしい眺望。こちらだったか。
悪人は通れないという言い伝えが残るはさみ岩。
この狭さだし、数え切れない人々から触れられ続けている岩肌がもうツルッツルで、紛うことなき難所だった。楽しかったけど。
始発から登り続けてようやく到着だ。
9時8分 / 番外霊場 若杉奥之院(弘法大師)
入唐求法を終え、806年に帰国してから数年大宰府に滞在していた空海がその期間で修行を行ったとされる地がここ霊山若杉。
篠栗霊場がただのご当地遍路に留まらない理由は弘法大師との直接の繋がりがあるからだろう。
奥之院ではあるが篠栗遍路を巡る人のほとんどが訪れる院を、自分たちも目指して来て、こうして辿り着くことができた。
可愛い休憩小屋。
弘法大師が独鈷で岩を掘ると湧いてきた水とされる独鈷水。
納経はインクが薄かったので書き置きされてあるものでもよかったなと押印後に思った。先程参った太祖宮の印もあったのでそちらも奥之院の横に押した。
奥之院の建物内には売店もあっておばちゃんが2人いた。どうアクセスしているのか気になったが尋ねはしなかった。
お接待ありがとうございます。
ゆきちゃんが小城羊羹をカステラでサンドしたシベリアという優勝なお菓子をくれたので、お接待の麦茶と一緒にいただいた。
力士があのはさみ岩をどうやって通ったんだ…?
休憩している間に7,8人の登山者が来て、その中の数人はお遍路さんだった。年齢はみな60代前後に見えた。
あらま、行き止まりならはさみ岩の方に引き返すか。
いや、本当にどうやって力士がここを通ったんだ…?華奢な女の子でこれほど窮屈そうなのに。善人すぎて逆に岩が広がったとしか考えられない。
先程引き返した道は行き止まりではなく、普通に上で繋がっていたという。
下山の道へと移動中、ゆきちゃんがしまじろうのハッピージャムジャムを歌っていると、40代くらいの女性と50代くらいの男性のペアが来て「若杉山の山頂ってどっちですか?」と質問してきたので、「方向はあっちですけど見晴らしがまったくなくて、むしろすぐ先の奥の院方面からの景色の方が断然良かったです」と教えると奥の院の方へと向かっていた。
ああ、バブルボールにでも入って一気に下れたなら。頑張ってくれ膝。耐えてくれ膝。
時刻は10時。駅等がある下の町まで下りきるのがちょうどお昼頃になるだろう。
Googleマップには数年前に営業していたこちらの売店の写真があった。もう営業していないのだろうか。
駐車場には車が増えていたがほとんどすれ違ってきた人達だろう。奥の院には感動したが、若杉山登山自体は正直高い評価はつけられないかな。ほぼ急坂だし。
行きにも通った道で荒田へと戻る途中、気配を感じたので視線を向けると、鹿が鳴いて飛び跳ねて去っていく姿が見えた。(写真には収められず)
分岐は少しだけある。何が正解だったのかはわからないが、もう目的は果たしたので後悔はない。
これが夫婦杉だったか。特に案内もなかったので登りでは見落としていた。
霊峰若杉を構成する老杉なのは間違いない。もう若くはない巨木だ。
下山してます。64番に怯えながら。
日本原種のガクアジサイも今日はよく見かける。
あった……。置かれてた……。よかった…………。
でもこれ、女遍路さんが連絡してなかったら絶対外に出さないままで押印できなかったという確信がある。この納経所に限っては間違いない。彼女が送った問い合わせメールがこれから結構な数の巡礼者を救うことになるだろう。いや、よかった本当に。ようやく難所クリアだ。
まあ、なんていうか、一般の方が管理されているわけだし、改善されて納経ができたことはもちろん良いことだけど、前回の自分達もそうだったように、この場所で悔しい想いをしてきた人達の気持ちを想像するとモヤモヤは簡単には晴れてくれなかった。
今だって、バケツと同じ高さの小さな椅子に置いてあるだけだし、事務局から連絡が来たからいやいや対処したというのが透けて見える。今日最初に来た時の状況から考えても「(7時以降17時以前に)納経所に来たのに納経ができない」という事態はまだ普通に起こりそうだし、納経箱を出す時間は完全に気まぐれだろう。
他の札所も含めて、納経可能な時間を決めて篠栗側のHPで明記してくれるだけでもかなり助かるんだけどな。それは難しいことかな。基本的には納経箱は外に置かれているわけだからあまり時間を気にする必要はないんだけど。
うん、問題は複雑ではない。とても単純。防犯で鍵を閉めたい気持ちはもちろんわかる。だからこそ、納経箱は家の外側に置いておいてほしい、それだけ。それだけでこの場所を訪れる人々は悔しかったり悲しい気持ちを抱えることなく次の札所へと向かえる。
納経ができたというのに安堵というよりはどっと疲労が来たけれど、これで奥の院と64番が押せたわけだから、後は下って結願まで突き進むだけだ。
どこからどこまでが正確な区間かはわからないけど、あじさいコースというセラピー基地です多分。撮影にキリがないほど綺麗な紫陽花だらけだった。
お、これが噂のボウケンノモリか。子どもたちも親も楽しそうだ。
エミュー…?
ここでお昼を食べてしまうのもありかと考えたが、レストランオープンの11時半には30分早かったのでパスした。たっぷりと時間に余裕があるわけではないので30分はちょっと待てない。
だが賑やかな声が響く、とても楽しそうな施設だった。森の中のアスレチックで遊んで、バーベキューもできたり、宿泊までできるみたい。あまりこの類の施設には馴染みがないけど、楽しくないわけがないだろうなとは感じる。
「まだあるの…!?」と驚くくらいには奥の方までアクティビティが設けられていた。遍路中じゃなかったから寄ってたな()
想定よりも早く大きな疲労が来たが、登山を終えて、それからも長く硬い舗装道を歩き続けているわけだから当然っちゃ当然か。
過去に股関節を痛めた経験があるというゆきちゃんが自分以上に疲れているのでどうなるか。まだまだ先は長い。この疲労感が達成感に繋がるのなら悪い流れではないが。
以前歩いた道とできるだけ被らないようにと考慮していたりもするので、へんろ道の方がショートカットになりそうなところも舗装道を選んでしまっている。どちらが疲れるだろうか?何が正解かわからない。
鯖大師の札所の堂内では僧侶と女性の二人組がいて読経をしていた。どんな関係だったのだろう。
龍神の滝。
ここからは二日目とはまったく異なる新たな道。予想に反してアスファルト舗装ではなかった。
説得力ある注意。
既に打ち終わっているので、若杉登山後に下っていくこの区間、お参りや納経で時間や体力を消費しないでいいのは助かる。モデルコースから変更した末宗コースのおかげだ()
一日目や四日目のキツさを上手く三日目に振り分けられたなら完璧なんだけどな。奥の院が外せず、地理的に難しいからこの行程になっているんだろうけど。
以前歩いた道を違う角度からも眺められるというのは篠栗遍路の魅力の一つだろう。
下りてきた。約2時間の下山になった。
この先にある豆腐料理屋やうどん屋を候補にしていたが、早く座れるならどこでもいいとお疲れ状態の155cmが言うので、9番札所の隣にある「そば切り処 山王屋」でお昼を食べることにした。
山王屋旅館という遍路向けの宿が手打ちそば処も経営している。守堂者でもあるだろう。
掘りごたつという疲れた足にはベストな座席。
昔ながらの旅館はやっぱり良いな。泊まりたくなった。
千賀ノ浦のサイン等々。
そばの切れ端を揚げたかりんとう。
前菜のお漬物はご自宅で採れた野菜らしい。
おにぎり。高菜も美味しかったな。
そして地鶏そば。もうね、優勝以外の何でもなかった。完璧。
こういった静かな場所でゆっくり過ごせて、お料理が最高に美味しいだけでもう大満足なのに、おかみさんのおもてなしまで暖かすぎて心から感動した。
いろいろと話しかけてくれる中で、自分は四国の話をして、ゆきちゃんは「お漬物はぬか漬けですか?酸っぱくないぬか漬けが好みなのでとても美味しかったです」と伝えると、おかみさんから「私は数日漬けずに前の晩からで出しちゃうのよ」といった秘訣を教えてもらう会話をしたりしていた。
お蕎麦を(打って?)運んできてくれた息子さんも、若い歩き遍路は特に珍しいと言っていたようで、お接待にオロナミンCをいただいた。
ゆきちゃんはこのお接待を含んだおもてなしに「奥の院とか疲れたけど今泣きそう」とうるうるしていたけど、でもそうなるよね。
これこそがお遍路の体験であり、こういった見知らぬ人からの大きな優しさは普通に生活しているだけでは味わえないし、それを経験してみて初めて湧いてくる感情というのもある。
ええ、とても良い時間を過ごせました。結願へ向けて午後も頑張れそうだ。
お遍路さんに限らず、沢山の人に訪れてほしいと思えるそば処だった。福岡、いや、もう日本に住んでいる人は全員行ってあげてください。
少しログ再開を忘れていたがまた歩き始める。いつの間にか標高で富士山を描いていた。
この写真ではわかりづらいが、うどん屋「山王うどん」の駐車場は満車だった。国道沿いは混んで当然か。
12時55分 / 第七十七番札所 山王薬師堂(薬師如来)
姶良市は鹿児島県だ。薬師如来への病気平癒祈願か。今風の名前なので娘かあるいは孫だろうか。
残りはあと九箇所。いよいよ一桁だ。
「地蔵とうふ」も満車では済まないくらい混んでいた。待たずに座れたとしても落ち着けはしなかっただろう。あの蕎麦屋を選んで大正解だったわけだ。
絶対素足で田んぼから上がってるわ。
国道沿いを歩くということはもはや静けさなど皆無。車だけでなく蝉の鳴き声まで少し聞こえていた。
延命寺横の「和み庵」について後で調べたら、令和に営業開始した新しい宿泊施設だった。
13時8分 / 第三十九番札所 篠栗山延命寺(薬師如来)
本堂より大師堂の方が豪華っていうね。
境内では複数の子供を連れた親子が二組お喋りをしていた。お寺の息子さんか親戚か、はたまた近所の子か、住職と親しそうな少年がとても元気に走り回っているのが印象的だった。
福岡で街歩きをしているとたまに見つける西鉄バスの巣。
札所の間隔が想像以上に短いな。
13時17分 / 第十九番札所 篠栗地蔵堂(地蔵菩薩)
納経帳の空白ページも少なくなってきたし、地名も篠栗になった。いよいよ終わりが見えてきた。
名前を聞いたことのある寺院だ。山門をくぐる前からお寺の大きさを感じる。
13時26分 / 第六十二番札所 石原山遍照院(十一面観世音菩薩)
明治時代に櫛田神社横からこの地へと移転したらしい。もしかすると母方の先祖がお世話になったかもしれない。
本堂では法要が行われていたので、インターホンを押すと奥から現れた女性二人に納経をしてもらうことになった。例のごとくしばらく時間が掛かるとのことだったので境内をぶらり。
修行大師のこの投上賽銭箱は良いアイデアだ。投げたい欲が湧く。
羅漢窟にも入ってみたが想像とは違い暗くなく、四国のお砂踏みになっていた。
納経を終えて次へ。ご覧の通り住宅街の中を行く。
先に納経所と御安心所を発見。
13時41分 / 第十八番札所 篠栗恩山寺(薬師如来)
堂内には入れない珍しいタイプのお堂だったが、何も問題はない。
残りは五箇所。
篠栗小学校の近くに住んでいた昔の知り合いを思い出す。連絡を取らなくなってから何年も経つがどうしているか。そんな人がいつの間にか沢山増えた。
ここが諏訪神社だったか。失礼ながら、予想外に立派そうだ。
しかし今向かうのは大日寺。
怪しい…。
股関節が悲鳴を上げているゆきちゃんにとって階段の上りは辛そうだったが、残りの道もあと僅かだ。
14時2分 / 第二十八番札所 篠栗公園大日寺(大日如来)
想像以上に篠栗市街に入ってからとてもスムーズに進んでいて、17時まで時間もかなり余裕があるし、おまけに日差しが出てきて気温も上がってきたので少しここで休憩を取った。
自分が生まれた平成四年に十九才で亡くなった長女の供養の為奉納されたという絵が閻魔大王の横に飾られていた。救いの光にも見えれば、何かを焼き尽くす業火にも見える。設置されている場所も含めて、この絵にどんな背景があるのだろうか。
閻魔大王の迫力よ。三鬼も怖いし、きっとこの辺りの子は「言うこと聞かないと閻魔様のとこに連れてくよ!」と脅されていることだろう。
お寺を出たところで金剛杖だけ持ったおじさん歩き遍路とすれ違った。同じ結願日を迎えるであろう同士だ。
せっかくなので諏訪神社へも参拝することに。
地元のおじさんが四人いて、その中の一人から「歩いて回られてるんですか?登山ですか?」と聞かれたので、「歩き遍路です」と答えると、「偉いですなあ!」「頑張ってください!」とそのおじさんグループに褒められ、応援してもらった。
彼らが若い頃はもっと巡礼者が多かっただろう。今の若者も歩いてみればいいのさ。特別な経験は案外簡単に味わえるんだから。
小学生たちは特に挨拶してくれるわけではなかった。四国でも感じたことだけど、要は地域柄と学校の教育よね。篠栗の大人たちの挨拶の返りは良かったけど。
14時28分 / 第八十四番札所 中町屋島寺(千手観世音菩薩)
暑い。暑すぎる。でも残りは三箇所。
家の外壁にへんろの道案内。素敵です。
外観から惹かれる小さな美術館も良いな。
アーチ的というか、駐輪場的というか、ここに来てまた新たな形。最後まで楽しませてくれる。
14時40分 / 第五十四番札所 中町延命寺(不動明王)
そうか、回っているんだな。どうかこの子の病が治りますように。いや、病気で苦しむすべての人が救われてほしい。そう薬師如来に願おう。おんころころせんだりまとうぎそわか。
残り二つの札所は隣り合わせというくらい近そうなので、もう目指す場所は一つだ。
着いた。
14時54分 / 第五十一番札所 下町薬師堂(薬師如来)
最後のセルフ納経なので、有終の美を飾ろうと深呼吸をして心を込めて押したのに、初手でガクンッ!とズレていきなりダブるという自分らしさ。もう笑っちゃったけどね。でもそうさ、自分らしささ。上手くいかないことだらけでもきっと上手くやってるのさ。
15時0分 / 第七十九番札所 補陀洛寺(十一面観世音菩薩)
そして打ち納め札所。これで篠栗遍路結願だ。
距離はそうでもないが、高低差のある簡単ではない最終日だった。
納経箱は置かれていたので再び自分で押印することもできたが、先程最後の気持ちを込めて押したし、打ち納めなのでインターホンを押して住職さんに目の前で書いてもらった。
歩いた日数は四日間ではあったけど、そう期間を空けない区切り打ちだったので、どこか三週間の旅が終わったような気分でもあった。
達成感は十二分に感じられた。ただ歩き続けたわけではなく、自ら押印しながら納経帳を埋めていった時間もそれに貢献してくれているだろう。
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納経後に住職さんは住宅の方へ(?)戻っていったが、せっかくなので結願証を貰うことにしたのでまた呼び出す形になった。
この封筒の裏面に住所や結願日等を書き込み、二千円を入れて渡しておけば、後日結願証明書が自宅へと届くらしい。
篠栗駅周辺にはゴスロリや日本人女性と結婚した韓国人男性の家族などがいて一気に現実に戻されたが、達成感や幸せな余韻は続いていた。篠栗の人達から受け取った優しさでまだ心が暖かったからだろう。
身だしなみを整えて、駅前のローソンに良い感じのアイスは売っていなかったので、代わりに頼んだアイス抹茶ラテを飲んでから、福北ゆたか線で篠栗を去った。
四日間すべてでとても満足のいく時間が過ごせたと思う。
懸念材料だった膝も特に悪化することなく、また最初から最後まで誰かと一緒に巡礼するというのは初めての経験だったけれど、その同行者のゆきちゃんも疲労を溜めながらも無事に結願することができたし、彼女も心から楽しめてなおかつ感動できたようで良かった。
山あり谷あり川あり滝ありと、自然の中にいる時間が長く、現存するへんろ道もほとんどの区間が綺麗に保存されていたので、トレッキング要素も大いに楽しめた。
でもやはり遍路だったので、人との触れ合いが一番だったかな。日数が日数だし、巡礼者の数も交流した地元民の数も多くはなかったけれど、四国を凝縮したような時間が過ごせたと感じている。
素敵な町だった。歩いてよかった。巡ってよかった。
心残りがあるとすれば宿泊をしなかったことだ。篠栗の町から出ずに寝泊まりし、歩きを継続していれば、より篠栗遍路に浸れたまま結願することができただろう。
だが後悔はない。何事にも代え難い想い出をまた一つ増やすことができた。
この経験を一人でも多くの人に味わってもらいたいが、自分の書いてきた文章や撮った写真が、篠栗へと向かう足掛かりになってくれたなら素直に嬉しい。
【追記】
最終日から15日後に結願証が届きました。ワクワク開封タイム。
ちょっとこれね、苦言を呈するけども、この筒、見た目からあまりにチープすぎることを置いといても、中身がギッチギチに詰まりすぎていて、(ゆきちゃんが実際に失敗して落ち込んでたように)取り出す際にシワができてしまう人が続出してると思うから、絶対に変えた方がいい。
2000円も取るんだからとは言わないけど、せっかく篠栗霊場という魅力的なコンテンツがあって、きっとその環境を維持することに努力している方が沢山いるのに、ほんの一握りが評価を下げているのは本当にもったいない。
やっぱり失望させる要素はなくした方がいいと思う。暖かい人達がいるからこそ、ほんの一部に心がこもっていないことが目立ってしまう。
クレーマーのように感じるかもしれないけど、篠栗がこれから先もっと賑わうための提言。愛しているのさ篠栗を。
結願証自体は完歩したことを改めて実感できて感動したけどね。カミーノでは貰ったけど、他の地域でも貰っておけばよかったなと思った。
感謝、合掌。