球磨川音楽祭と人吉旅行

先日のデュオリサイタルに続きお誘いをいただいたので、
第10回という節目を迎える球磨川音楽祭に行ってきました。
会場になってる人吉市周辺もついでに観光しちゃおう的な2泊3日なノリで。ノリで。

まだ4日分残ってる18切符を使って26日金曜日に人吉へ。福岡から行くと熊本、八代で乗り換え。
IMG_4647
八代からの肥薩線の車窓は日本三大車窓と言われるだけはあってとても美しかった。人吉から先の矢岳越えは更に絶景らしいけど、人吉まででも充分に素晴らしい景観。
車窓から見えるのは主に渓谷で、ラフティングや川下りが人気な理由も頷ける球磨川の有り様。
これだけ良い景色なら歩いたりしてもかなり楽しそうだなと感じた。三脚を持ったおっちゃんが乗ってきたり、隣にいた男性も窓の外にコンデジ構えていたりと、写真好きにとってもきっと同じ。
ちなみに肥薩線は世界遺産登録を目指しているらしく、駅舎やホーム等綺麗に整備されていてそれもまた良かった。
IMG_4654
最も印象的だったのは20年以上前に休校になっている海路小学校辺り。車窓から見えたものを事細かく説明してもいいだけど、あえて書くのは止めておこう。素晴らしい光景だった。

古い集落や、そこに住んでいる人々が大切に守り続けているであろう小さな神社を見ていると、様々な物語が想像できて、正直堪らなかった。もちろん良い意味で。

四国歩き遍路の旅 9日目

6月1日。
新しい月の朝は4時10分過ぎに来た。朝になれば体の痛みは、微々たるものだとしても少しは回復しているから、気分も少しは晴れる。
太陽が水平線から現れる姿が見れるかもと期待していたけど、その願いは叶わなかった。気付いたらもう空に浮かんでいた。
海から直接届く風は冷たかった。今日はあまり急ぐ必要もないし、例の箇所も痛むから、寝袋の中で座って、ただ海を眺めていた。
IMG_0286
時間が経つにつれ、徐々に車中泊していた人達も起き始めているのがわかった。キャンピングカーの中からは中年の夫婦が出てきた。キャンピングカーの旅はいつもロマンを感じる。
IMG_0287
コンビニに行った。サーファー向けの安宿等もあるから、やはりサーファーが多い。
問題の箇所をかばって歩いているからか、他のとこまで無駄に痛くなっている気がした。
安全ピンはすぐには手に入らないから、代用品として歯間フロスの先で溜まっている水を抜こうと試みたけど、そううまくはいかず。

午前6時を回った。太陽が昇っている。今日も暑くなりそうだ。
IMG_0288

四国歩き遍路の旅 8日目

5月31日。
今までの睡眠環境とのギャップが最大の理由だろうけど、驚くほどぐっすり眠れて、アラームで起きた。自分にとっては奇跡のような出来事。
浴衣から着替えた。スパッツはまだ履いていなかったけどほとんど歩き遍路の格好で朝のお勤めへ向かう。
階段を上がると掃除をしているお寺の方がいて、お勤めですか?と聞かれた。はいそうですと答えると、では本堂の方へお上がりくださいと。
スリッパは無礼だろうと靴で行ったけど、結局本堂に上がる際に脱いだ。

You bring light in…You bring light in…
IMG_0229
お寺へはかなり余裕を持って早めに向かったけど、自分が到着したときにはもう先客が2人いた。 
恰幅のいいお坊さんに本堂の中へと案内されて座った。他の宿坊宿泊客も着いた人から続々と中へ、とはいっても十人前後だったけど。

先程のお坊さんも含めて袈裟を着た若い僧(皆30代以下だと思う)が3人で本尊に対して凹の形で読経を始めた。お坊さんの中にもやはり読経の上手下手があり、中央にいた恰幅のいい人が太い声で伸びもあって一番上手だった。コーラスのように他の僧の声も重なるから、こういったお勤めは初めての体験だったので、静かに始まって徐々に迫力を増していくその神秘的な空間に完全に引き込まれた。
自分の位置からはよく見えなかったんだけど、途中から入ってきた4人目の方(この人は3人に比べると年を重ねていた。住職かもしれない)が奥で護摩焚きを始めた。
和太鼓や鈴、シンバルみたいな楽器(それぞれ妙鉢だとか正式な名前があるんだけど割愛)も加わりながらお経は読まれた。ライヴといったら一気に軽く感じてしまうけど、それでも目の前で鳴らされる楽器と三人の声で重なるお経はその場の空気を震わすような厳かな雰囲気があり本当に圧倒された。
 
読経の終盤で参加者はそれではお焼香をどうぞと勧められた。真言宗は3回焼香をすると調べたんだけど、3回したのは自分だけで、え…調べたのに…?となったけど、それぞれ宗派によって回数は違うし、人が多い際は1回に短縮することもあるらしいから、どうだったんだろう。皆知らなかったのか、知っていてそうしていたのか。
とりあえずは、自分がくべた抹香がその空間で煙として上がっていく様を見ているとなんだか感動した。
読経の最後の現代日本語?の部分では参加者の道中の安全等を祈願していただいた。
読経が終わるとずっと取り仕切っていたあの恰幅のいいお坊さんから法話があった。色々と説得力のある話をしてくださったけど、弘法大師がそうしたように、お願い事をする際は自分や自分の周りのことだけでなく、視野を広げ、世界平和等、全体的なこと(つまり宇宙そのものである大日如来を意識し)もお願いしてほしいという言葉が印象的だった。
その法話が終わると、最後に本尊の目の前でもう一度お焼香の機会があった。本当に間近で拝むことになった。貴重なことでありがたかったけれど、畏れ多かったというのが正直な感想。
本当に素晴らしい体験だった。30分だったけど何事にも代え難い30分になった。
お寺に行って大仏を見た。等では到底経験することのできない、仏教という宗教の儀式的で聖なる部分に触れることができた。参加して良かった。

Scroll to top