生きているから、仕方がない

きっと誰の中にも”誰かに言いたいこと”ってのは沢山あって、例に漏れず自分もそうだし、そういった言いたいこと・伝えたいことは日々増えていって、たまには発信しておかないと溜まり過ぎちゃうから、こうしてブログを書く。これはただの深夜の一人語りだけどね。

まずは、現代人の必須ツールとも言えるSNSを利用してるだけで思うことがいっぱいあるから、それについて。
なんていうか、処理しきれないな、と思うんだよね。
全員が発信源となれる時代だから、自分が今まで知らなかった様々な有益な情報を知れるわけだけど、とてもじゃないけどそのすべては処理しきれないなと。
生活に役立つノウハウ・ためになる知識だとか、オシャレな店や商品、絶景スポットや隠れ家みたいな宿、この情報は役立てたいな~、一度は行ってみたいな~と思うような魅力を沢山のものに対して感じるんだけど、すべては無理なんだ。
素敵な写真、イラストや漫画なんかも溢れていて、本当にこの世は才能がある人ばかりだなと驚くけど、でも数が多すぎて、追いきれない。
あれだったらネットに写真をアップしてる可愛い女の子でさえそんな感じ。いろんなことがあまりに多すぎる。

こういった情報が溢れる時代になったのはつい最近のことで、今生きる人々ってのは情報化社会の初期世代とも言える。まだまだ慣れてなくてそりゃ戸惑うこともあるかもしれない。
せっかく手に入れた情報を活かせずに実質無視するような形で、そのまま忘れていくのはもったいないし、心苦しい。
でも、この身一つで生きているから、それは仕方がないこと。全部覚えておくことなんて不可能なんだから。
気になる音楽も映画も本も、全部を鑑賞することはできない。時間は無限にはないのに、対象は毎日増えていくから。
だから、ほんの少しを選んでいくしかないんだよね。いろんなことを忘れながらも。その存在に気付きながらも触れないままで。

映画「イエスタデイ」を観て

映画「イエスタデイ」を観てきた。ネタバレせずに語るのは大変だけど、とても素敵な映画だったから書いてみる。
想像していたより何倍も良かった。時間が経つにつれて更に興奮が増して落ち着かないけど、書いてみようと思う。

まず、どんな映画かを簡単に説明すると…
主人公はまったく売れていないミュージシャンで、ある日自分以外の人たちがビートルズを知らなくなったもんだから、ビートルズの曲を使ってスターになっていくってな映画。
設定的には夢物語というか、うだつの上がらない男が突然スターになるなろう系映画とも言えるし、ビートルズの曲を使ったラブコメ要素もあったかな。

多くの人がスターになりたいだとか、有名人になってチヤホヤされたいだとか、そういったことを一度は憧れたことがあると思うけど、その憧れ・妄想を中心として、それに付随する現実も描かれている。
タイムマシーンに乗って未来の名曲をパクってきても売れそうだけど、既存の名曲を自分以外が忘れちゃったらそりゃまあ使いたくなるだろうね。ましてやあのビートルズの曲ならば。
主人公は真面目を越えて、いくじなしとも言えそうな気弱な性格。主人公の選択にもやもやする観客もいるだろうけど、元の人間性だけでなく、そういった経緯で急にスターになったなら、受け入れられるものもあれば、受け入れられないものも当然生まれるだろうし、劇中の心の葛藤はリアルなんだと思う。恋愛の部分はそれまでの関係的に仕方ない気がするけど。
うん、あまり映画の中のことを書くのはあれだな。ここらにしとこう。

キトリの音楽会#2 @福音ルーテル博多教会

秋の香りに誘われて、福音ルーテル博多教会で行われた「キトリの音楽会#2」に昨晩行ってきました。
2月に行われた#1以来だから約半年ぶりのKitriライブですね。

福音ルーテル博多教会は、文字通り博多にある、満席でも120人くらいの小さな教会。
教会でのライブってだけでもうオシャレなのに、そんな神聖な場所で、Kitriを生で聴けるなんてね、本当に幸せな時間でしたよ。
(めちゃくちゃ個人的な話になるけど、この教会がある須崎町・古門戸町ってまさに自分の母方のルーツで、たまに行く菩提寺もかなり近くにあったりと、馴染みありすぎる場所でってところも嬉しかった。道路混みまくりで入場ギリギリになって猛ダッシュしたけど

ミサ関連での生演奏・生合唱を教会で聴いた経験ならあるけど、こうした興行的な形でのライブは初かな。Kitriにとっても初めての教会での演奏だったらしい。
舞台照明などは特に設けず、開演時間になると奥に吊らさがっている2つの照明だけを灯してのライブで、その薄暗い雰囲気がとても良かった。

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