四国歩き遍路の旅 12日目

6月4日。
震えるような寒さも壁があるので寒くなかった。しかし人が来そうな場所だから焦る。
そして、まあ、寒いといえば寒かった。扉はいつ誰が来てもいいように、程無くして開けたし。

午前5時前の朝焼け。
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足裏にタコが広がっていることに驚きはないけど、血行が悪いのかなんなのか足の指先が真っ赤、いや、真っ黒になっていることに驚いた。

ちなみにここのトイレはやたらと高性能だった。ウォシュレットもついてるし、手洗い場ではお湯も出た。

この付近だけの問題ではないけど、なかなかゴミを捨てられる場所ってないなと度々困っていた。コンビニにはゴミ箱があるけどコンビニ自体少ないし、スーパーにはゴミ箱がないとこもある。ポイ捨てなんかするわけないわけで、しかしポイ捨てする人たちのゴミは拾うわけで、捨てられる場所があるまで手持ちのゴミを無限のように増やしつつ歩いた。

6時になるとキンコンカンコンと日本人には馴染みのありすぎるチャイムと爽やかなメロディの曲が流れた。
出発前にパックパックを背負った男の人と挨拶をした。確か自販機で飲み物を買うために少し離れているときで、僕より先に僕の荷物を見つけたようでそれから挨拶という流れになった。多分同じ方向に進んでいる歩き遍路の人。
寒いな…と体を震わせながら、6時14分に出発。

住宅街を抜けて、山の方へ進んでいく。
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先程の人とは違う遍路が前を歩いているのを見つけた。年齢は若くはなさそう。
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そして登り開始。まっ縦と言われる難所は多分まだ。

前の歩き遍路の人がやたらと後ろを気にしているのがわかった。でも気持ちはわかる。自分だって後ろにいる人が遅くはないペースで歩いていたら気になる。膝への負担を減らすためか、僕に抜かせるためか、その人はジグザグに歩いて登っていた。それから徐々に距離が縮まっていって、結局は抜いた。挨拶をしただけで顔はよく見てないけど多分おっちゃんだった。
舗装道が続いていたので、その先に家屋もいくつか建っていた。

7時にチャイムがまた鳴った。この町は珍しく6時にも7時にも鳴らすらしい。
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それなりに上がってきた先の黒猫。
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そして登山道。ここからがまっ縦だと思う。マムシ注意の看板が至る所にあって恐ろしいけど登っていく。
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写真で伝えるのは難しいけど、難所といわれるだけはあって、なかなかの傾斜で、なおかつ険しい登山道だった。
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しかし登山道がずっと続いているわけではなく、たまに舗装道に出て、それからまた登山道へ戻るといったことを数回繰り返した。現在も歩き遍路が歩くのは登山道の方が圧倒的に長いけど、昔は登山道しかなかったのだろう。
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登山道の途中でバランスを崩して転けかけた。崖というほどではないけど、登山道ではよくある勾配を軽減するために道がくねくねと作られていて、その下の地面への距離が空いている場所だったので、滑落しなくてよかった。

かなり登ってきたつもりでも、まだ906mもあるのか…という唖然とする現実。
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それからは写真を撮るのを控え、もう懸命に、ただひらすらに、登った。
他にしたことといえば、黒糖入り塩飴の袋を拾ったり、登山道から白い車が車道を上がっていくのを見たりしたぐらい。

こんなにも疲れるのはなぜかわからなかった。疲れが溜まっているからか、マメのせいか、ただ単に山道がキツいのか。

舗装道で下りてくる緑の車とすれ違った。助手席のおばちゃんは会釈をしてくれた。

また白い車が見えた。今度は近くだったからLEXUSのSUVというのがわかった。それがちょうど7時半。みんなお参りに来ているのだろう。土曜日だし。

駐車場にあったうどん屋、もしくはお土産屋。下りてきた際も開いていなかった。
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その駐車場付近で明徳寺で出会ったメガネの彼が下りてきて、思いがけない再会を果たした。
昨日は少し電車でワープをして、唐浜駅でテントを張ったらしい。今日はどこかの道の駅まで進むとのこと。今度はきちんと別れた。

駐車場からも上り道は続いていたので、ベンチにでも荷物置いてくればよかったなと思った。

左が神峯寺の仁王門で、右は天照大神等を祀る神峯神社の鳥居。
かつては合祀されていたものが神仏分離によって分けられたみたいだけど、こうして並んでいるのもまた威厳があってかっこいい。
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7時36分に到着。第27番札所竹林山神峯寺。
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岩崎弥太郎の母が息子の成功を祈願して、自宅からこのお寺までの片道20kmの道(+まっ縦)を21日間素足で通い続けたという逸話がある。そりゃ成功しますわ…。
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昨日の元々の目的地だった通夜堂。コンセントあって良いなーと思ったけど、流し台に洗顔禁止の張り紙がある理由はわからなかった。
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山の中腹にあるお寺の池。やはり予想通り、山のお寺の雰囲気は素晴らしい。
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階段祭り。本堂も大師堂も階段の上にあるから足腰弱い方の参拝は大変だろうけど、庭園も綺麗な良いお寺。
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本堂。本尊は十一面観世音菩薩。
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大師堂。
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空と海と山と。
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朝の8時前だったから家事で忙しいのかバタバタしていた美人の奥さんに納経をしてもらった。多分旦那さんであろうお坊さんもかっこよかったからここの子はきっと美男美女になるに違いないと思った。(下世話)

空を見上げると雨が降ってきそうだった。

登山の疲れを取るために、しばし休憩を取った。
遍路の格好はしていないけど若めの男性がいた。
倉敷からのご夫婦が話しかけてくれた。歩いて回ってるの?という質問の流れから野宿してますと話すと、奥さんから襲われるで!?と言われた。気さくで面白いご夫婦だった。この2人の前の人も言っていたけど、このお寺は2回目の参拝でも、こんなとこだったかな…?となるらしい。まあ、実際に以前と変わっている可能性もなくはないけど。
学生?と聞かれ、いや、学生ではないですと答えて、学生に見えると言われても、年齢は学生とほとんど変わらないというこのトラップ感。
若い女性もいた。遍路というよりはこのお寺で修行でもしているような感じで、お寺のおばあちゃん?に仲良く話しかけていた。

寒さも感じ始めたので8時20分に下山することにした。絶対下りてる間に降り出すよなと思うような雲行きだった。今日は大日寺まで行けるのが理想だが距離はかなりある。どうなるだろうか。

山門の下にいた黒猫のお尻。
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団体客とすれ違った。その中の一人のおっちゃんに、ご苦労様です頑張ってくださいと声をかけられた。大型バスは上れるような道ではないので駐車場まではマイクロバスで来たのだろう。
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予想通り、ぽつぽつと降ってきた。
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たまに寸断されている例の山道を、今度は、下りた。

若めのおばちゃんというぐらいの年齢の女性が途中の登り口の写真を撮った後、細い道だったので自分が下りてくるのを少し待っていてくれた。その女性はバックに白衣を着せていた。
1時間ぐらい?と聞かれて、もっと短いと思いますと返した。お気をつけてくださいと言われたから頑張ってくださいと返した。最後にマムシいなかった?と少し離れてから聞かれたので、全然いないです!と大きな声で伝えた。自分もそうだったけどやっぱり誰だって不安になる。良かった!と返ってきた。元気があって優しそうで爽やかな人だった。

下りは舗装道の方がキツかった。
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確実に二十代(大学生ぐらい?)の登山青年とすれ違った。休みの日に軽装でちょっと登山みたいな感じなのかな。用具がないとお遍路かどうかはわからない。

ここではネズミのような生き物が動くのを見た。
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もう一度、山と海と空。
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この家には犬と鶏がいた。でも犬の吠えっぷりが凶暴で少し怖かった。
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確かここは化石発掘体験場だったはず。
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その化石の場所にあった東屋からわりと若そうな男性が下りていくのが見えた。さっきお寺にいた人だ。僕より軽装だけど結構疲れているように見える。もしくは自分の体力がついているのかもしれない。
そこで休憩しようかとも考えたけどまだ歩くことにした。単純。

ピントは合ってないけど、ここがメガネの彼が泊まったという唐浜駅だ。
神峯寺はコースから完全に独立した場所にあるので、下の道と山を往復しなければいけない。だから順打ちも逆打ちもアプローチはあまり変わらないと思う。
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次のお寺である大日寺もまた遠くて、神峯寺からは37.5kmもある。この時の自分が何を考えていたかは忘れたけど、今日中に着くのはかなり厳しい。
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アイスクリンと書かれてある看板が気になった。アイスクリームとは違うのか…?と。(後に聞いて知るけど、違うもの。高知名物ではあるけど結構どこでも売っているという事実も知った。ええ、美味しいアイスです)
安芸市に入ると岩崎弥太郎の看板がすぐにあった。三菱創業者の出身地なら当然か。どうしても香川照之の顔が思い浮かぶ。
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車遍路にとっての歩き遍路とはどういう存在かを考えた。
車遍路というものはきっと単調になりがちなのだと思う。歩くわけではなく車で快適に次から次へと移動をするというのはなかなか自分が巡礼をしているという気分にはなれないだろう。
だから歩き遍路に話しかけるというのは彼らにとって「お遍路」というものを感じられる瞬間であって、また彼らからしてみれば遍路中に出会える人は歩き遍路に比べたらかなり限られているし、車遍路同士で交流するきっかけというのもなかなかないし、難しいだろう。
そう考えたら、歩きや野宿丸出しの格好の人間に、歩いてるの?と話しかけるのはきっと楽しいはず。だから話しかけやすい歩き遍路には多くの人が話しかける。
同じような質問をされることは確かに多いけれど、歩き遍路である僕にとっても話しかけてもらえるのは嬉しい瞬間であるのは間違いない。そこに交流が生まれ、頑張ってねという声をかけてもらえるのはキツい道中への励みとなるから。
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この少し道を外れたようで、正しいルートである波に削られたいくつもの巨岩が立つ場所にはトイレがあった。
そこでは、はまうづ医院と書かれた車におばちゃんが乗っていて、挨拶をしたらどこから来たの?と話しかけられて、住まいですか…?という素っ頓狂っぽいけど、きっと一部の人は共感できる言葉を返した。
実はその女性は88箇所を以前回っていて、高野山にも行ったことのある人だった。自分の願いや想いをお祈りしながら歩くのはいいことだよ。きっと君にはいいことがある。慌てることないき頑張りと応援してくれた。
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言葉で説明し辛い変わった雰囲気のある不思議な場所だった。
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この辺りはガイドマップには休憩所とトイレのマークがあるけど休憩所がない。喫茶店は3つ岩の上にあるけど営業している(潰れていない)のは1つだけみたいだ。
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歩くこと自体が目的であるなら願いもそれだろうかとか、一緒にいないから一緒にいるのかなと、考えた。

トイレの近くにコンビニのおしぼりの袋が落ちていたので拾った。

とりあえず少し先にある道の駅を目指すことにした。小腹が空いている。

紺色のプレマシーの車内でおっちゃんが海を見ながら黄昏ていた。

休憩所は少し歩いた先にあった。天気が良ければとても気持ちよさそうな場所。水場はないけど近くにトイレはあるし、テントも張れそう。
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今となっては悲しき看板。でも洞窟の上に立つ喫茶店とだけ聞くと悪くないように感じる。オーシャンビューでもあるだろうし。いったいどんな喫茶店だったんだろう。
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そのすぐ先の家から70歳のおじいちゃんが近付いてきたので話した。
埼玉から来て、ここに家を買った理由は「ここに遍路小屋作ろうと思うんですよ」と。奥さんは今も埼玉にいるらしい。田んぼも安芸に買ったのでそこでさつまいもやかぼちゃを育てるとのこと。
遍路向けの宿?は今年中には完成するかもと話していた。いろいろとプランを聞かせて貰った。宿の横には休憩所を置いてコーヒー等無料で飲めるようにしておくと。
宿の方はシャワーを設置して、上には3つ部屋を作ると言っていたかな。
写真撮ってもいいですかと聞いたらどうぞ、ネットで宣伝しといてくださいみたいなことを言われたので、今宣伝しておきます。また来たら寄ってくださいねとも言ってくれた。
とてもイキイキとしたおじいちゃんだった。夢が溢れているから、きっと楽しくて仕方がなくて、そんなふうに感じるのだと思う。
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おじいちゃんと話している際に車で通った近所のおばちゃんからはバッジを頂いた。
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止んでいた雨が小雨に変わった。これから降り続けるのだろうか。

道の駅大山はきちんと営業していたけど、想像していた以上に小さい道の駅だった。何も買わずに出た。
逆打ちの二十代か三十代の髪の短い女性とすれ違った。初めて単独の若い女性遍路を見た。
駐車場でゴミ拾いをしていた道の駅の方に気をつけてと声をかけてもらって道の駅を去った。

堤防の道をゆく。
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もう少しペースが早ければ通夜堂から通夜堂へと行けるのになあと思いながらも、自分の歩けるペースでしか歩けないから、自分なりのペースで、自分なりの行程で進んでいく。

防波堤の道はやたらと長く続いていた。少し離れた鉄橋を1両の電車が走っていた。ああいう電車に乗るのもまた楽しそうだ。
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11時過ぎに、雨がかなり強くなったのでとりあえずザックカバーをした。前回の雨は悲劇でしかなかったから今回は荷物は無事であってほしい。
ずっと前を歩いていた地元のおじいちゃんが立ちションをしだして、ペースを微妙に緩めるという絶妙な仕事をこなした。

恵美須神社?の辺りでやっと堤防の道は終わった。この時点で今日の歩行距離は20kmを超えていた。

ここは伊尾木という町。高知県には多い津波タワーがここにもある。
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ローソンはあったけど素通りした。もうちょっと先のうどん屋に行くことにした。

50円自販機は惹かれるけど、車通りが多くて逆側へ渡るのは厳しかったので断念。
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コインランドリーもあったけど、今日じゃない。明日よろしく!とスルー。
伊尾木川橋の手前の休憩所で一休みして、ついでにレインウェアを着た。
国道55号線を歩いて行く。
案の定大降りだった雨が小雨に変わってサウナ状態になり、歩き拷問の始まり。レインウェアを着たら雨が止むという現象は度々起こる。
橋の上を走っていた電車のボディはなぜかタイガース仕様だった。

そして得々うどんに到着。何かとうどん食べまくってるなーと思ったり思わなかったり。この辺りはやたらとうどん屋が多かった印象。
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13時前の昼食、美味しかった。
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焼き茄子のアイス。ここまでぐっとこないアイスも珍しい。
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足が裏から裂けそうだった。痛みだけでなく疲労も尋常ではなかった。途中にあった東屋でちょっとした仮眠も取るくらい休憩したけど疲れは大して取れなかった。
靴の中は少し湿っていて、太ももの上や裏、臀部は痛痒いといった状態。
歩き慣れなんてしない。痛みや疲労とどう向き合っていくかという話。
熊野古道の日数が長くなるようなもんだろうと考えていたけど全然違う。環境も大きく違うというのも考慮して考えるべきなんだろうけど。

マップ上は合ってるけど…と少し不安になりながら、歩行者も歩けるサイクリングロードを征く。
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紫陽花が見たいと長いこと思っていたからよかった。旅の間いくつもの紫陽花を見た。この日がちょうど四国の梅雨入り。
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長い時間を掛けて、前を歩いていた一人の男性を追い抜いた。顔がホークスの本田に似ている30歳ぐらいの男性。この時ははっきりとはわからなかったけど、前のお寺から見かけていた人だった。
少し先にあった赤野休憩所で一緒になったので話をした。高知を区切り打ちしているらしい。本人も言っていたけどかなり疲れている様子だった。徳島を歩いてから期間が空いてまた体力を作り直している段階だから、通しのほうがいいと思うと言っていた。
眺めの良い小洒落たベンチで楽しく話した。東屋で寝ているのを見られていたらしい。朝のバス停で会ったのもこの人。
自分は汚れていたレインウェアの裾を洗ったりしていたので、お先に〜と彼は先に出発した。また追い抜かれるだろうけどと言い残して。今日はこの浜の先に見えているホテルに泊まるとのこと。
そういえば僕から話しかけたのは多分初めてだ。遍路ですか?と。
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雨が止んだのでレインウェアは脱いで再出発した。

単線の線路が海に沿うように伸びている景色。
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痛い痛いと思っていても、休憩をある程度取れば、そこそこの速度で歩けるようになるから、結局歩くことになる。

2つあるマットの固定紐の1つが歩いている途中に外れて、先程の彼を追い抜いた先で確認したけど無くなっているわけではなくてよかった。きちんとぶら下がっていた。

サイクリングロードは電車の高架橋のほぼ真下にあり、その道の横には家が立ち並んでいた。どういう人たちが住んでいるのかは確かめていないけど、うん。何でもない。

奇妙な置き物がいくつもあった。狂気。
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鶏小屋が多いけど、こんな風にかなりストレスが掛かりそうな狭い小屋が多かった。
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人と会うと、話すと、パワーが出る気がする。一人で黙々と歩いて溜めた疲れを吹き飛ばしてくれる。誰かと完全に行動を共にするといろいろと大変だけど、定期的に話したい。もっといろんな人の出会いが、会話がほしいなと思った。

ストレッチをしていた歯がボロボロのおっちゃんに、今日の目的地にした善根宿の場所を教えてもらった。萩森さんのとこやねと。
確か、川を渡ってから500メートルほど行って右側にあると教えてくれた。行ってお世話になりなさいみたいなことを言われた。
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善根宿に行く前にローソンで食料を調達した。
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車が途切れないから国道から宿へと行けないかな…、こっちからも行けるといいけど…としばらく歩いていたけど、なかなか見つからず、善根宿に泊まった人のブログを見て、違うっぽいな…こっちからは行けない…と、結局信号を渡って ぐるっと回りサイクリングロードへと戻った。
初めての善根宿だからどんな場所かはわからない。コンセントあるといいなあ。プロお遍路ばっかだといやだなあ。まさかシャワーはないよなあ。とまったく知らないゆえにいろんなことを考えながら向かった。まあでも期待しすぎるのもあれだから、小屋っぽいとこに布団とか置いてあるのだろうと最終的にはそう予想して歩いた。
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高架橋下でタバコ吸いながら電話しているさっき話した彼に出会って、また追い抜いた。

しばらく歩いているのに、なかなかありませんが…?となるのは仕方ないと思う。
そろそろあるだろうという気持ちになってから、一向に目的地が現れないとね、人間はね、うん。

犬がめっちゃ吠えていて怖かった。こんな荒れた場所にいる犬に噛み付かれるのは怖い。
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5時のメロディが鳴ったけど、もう足が痛すぎて、足いてえええー!!!とずっと心の中で叫び続けていた。
しかし宿はまったく見当たらない。500メートルはもうとっくに歩いているはずなのに…。

いや、あった。ここだ。開けようとしたけど鍵が掛かっている。扉に書いてある番号に電話をした。おっちゃんが出た。
こっち(萩森さんの自宅)で風呂入って泊まるなら千円だけど?と聞かれたけど善根宿に泊まることにした。ご飯は?とも聞かれた、もう用意してある。そっちも200円だけど構わん?とも。まあこっちで大丈夫だろう。コンセントはなさそうだけど。
今から行くわと電話が切れた。待っている間に先程の彼に追い抜かれて、へーここに泊まるんだといった会話を少ししてから別れた。
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萩森さんは原付で来た。ヘルメットとジーパンが印象的なおっちゃんって感じのおっちゃん。
もっと早くに電話した方がよかったみたいだ。善根宿の勝手がわからないから行けばそのまま泊まれるものと思っていたけど、普通の宿と同じ感覚でいるべきだったらしい。

宿の中に入るとガイドマップ出しなと言われ、怒涛の勢いでペンで書き込みながらこれからの野宿できる場所を教えてくれた。
情報量が多すぎて圧倒されながら聞いた。もう終わった箇所、つまり2周目の事情まで教えてくれた。絶対覚えられないわ…と思いながらも萩森さんの話は止まらなかったから、さっき温めたコンビニのご飯は完全に冷えるな…と覚悟した。でもありがたかったから時折相槌(というか自慢みたいなこともたまに言っていたので、本当ですか!?すごいっすね!!といった囃し立てに近いもの…?)を挟みながら聞き続けた。後に彼の教えてくれる情報はテンプレート化していて、皆教えてもらう内容は一緒だと知るんだけど、でも本当に沢山教えてくれた。
実は彼が製作した「萩森リスト」というのは野宿で遍路をする人には有名で、ネット上にも更新されながら公表されている。この時自分はその印刷した紙を貰ったんだけど(スマホでも開かされた)、この先の宿等でもそのリストの紙は置いてあるところがあった。というのも、野宿場所以外の格安宿も記載されているので、そういった協力関係にある人たちもそのリスト製作や流布に関わっているということ。
自分は萩森リストではなくネット上にあった他の人が製作した野宿場所リストを見ていたけど、情報量がまったく違うので翌日以降は萩森リストを使った。そういえばひかる君が持っていたリストは萩森リストをプリントしたものだったかもしれない。

野宿の情報以外は用心しろといった忠告をもらった。
「四国は甘くないぞ。今までも変なやつとかおったやろ」
「いつでも、必ず水と食料持っとけ」
といった類のお言葉を。

明日は30番の善楽寺からは電車に乗って高知駅まで行って、ゲストハウス土佐に泊まって、それからちょうど日曜だから日曜市に行け、そしてかつおのたたきを食うていけ!とも言われた。うまいぞー!と。

キャラが濃いので好き嫌い別れそうなおっちゃんだったけど、でもその情報には感謝しかない。
野宿遍路へのスペシャルアドバイザーとも、ヘルメットとジーンズを身に着けた神とも言えるそんなおっちゃん。
確実に野宿組を助けてくれる情報は沢山持っているので、これから歩く人はこの善根宿に寄るのはありだと思う。

途中萩森さんの携帯に電話がかかって、若そうな女の子の声がした。女性は善根宿ではなく萩森さんの自宅の方に泊まることになっている。その女性は逆打ちらしい。少し話してみたかった。

萩森さんが帰ったのは空も暗くなった頃だった。プレハブ小屋の中で夕食を食べた。電気はないけど街灯があるので真っ暗というわけではない。
今日はここに他に泊まる人はいないらしい。こういった場所で寝るときは気を遣わずに過ごせる一人の方が絶対に良い。

情報は沢山得ることができたけど、同時にこれからの旅の奥行き(果てしなさ)をとことん感じることになり、痛みや疲れのある状態では途方に暮れるしかなかった。
辛い。逃げ出したい。そんな気分になった。
でもみんな応援してくれる。出会いもある。楽しい会話もある。
相反する気持ちを抱きながら、疲れた体のまま、布団の上で眠った。


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