6月25日。
朝から爪が痛い。こんなに歩く前から痛いのは初めてだ。というのは前にも書いた気がするが、確実に記録更新している。激痛を越えているからもうなんと表現していいのかわからない。ついでに歯と背中も痛い。あちこち痛すぎる。
足の日焼けしていた部分は皮剥けとして襲ってきた。でもこれは日焼け止めを塗らなかったら剥けて早く元通りになる自分の体質なので問題はない。その近くを昨晩気になっていた蚊に刺されていることの方が問題。
昨日の雲辺寺の通夜堂での会話を思い出していた。先生が一ヶ月半にしては髪も髭も伸びてないなと僕に言ったのを、ワイルドなお兄さんが髪とか一ヶ月半じゃ坊主がちょっと伸びるくらいですよと笑いながら突っ込んでいた。普通にその2人は面白かった。
ちなみに僕が前回髭を剃ったのは松山。その前は高知市で剃って、県庁所在地で剃る流れになっているが高松ではどうだろうか。
ふじやで一緒だった大阪の彼が、3日前に剃ってそんなんですか?僕とかここら辺まできちゃいますよ!と驚いていたので伸びるのは遅い方だと思う。
トイレが狭かったり、
二階のリビング(喫煙室)には誰が描いたのか絵が飾ってあった。
ここまで来るとどこが一番きつかったかというような質問が増えてきた。足や天気の状態は日々違うし、どこかを決めるのは難しい。
素泊まりだが料金は先払いではなかったので、誰かに会って支払わなければいけない。
荷造りをしているだけで汗が出た。そして靴下を履くのにも爪が痛んで苦労した。もちろん階段を下りるのも辛かった。まだまったく歩いていないのに大丈夫なのか。
6時40分過ぎに一階に下りたが、テレビの音は聞こえているのに、すみませーんという呼びかけには反応がなかった。
何度も呼びかけて、すぐそこからあくびをする音も聞こえるのに反応なし。絶対奥さんには聞こえてるはずなのに、無視するってどういうこと…ともう言葉が見つからなかった。
おっちゃんの対応は優しいのに、客を無視したり、無愛想な態度で接したりする奥さんがいるとこれはもう最低評価に近いなと思った。宿泊代を払えばもう去るというのになぜ出てきてくれないのだろう。わざと客の評価を下げて悪評を広め、誰も来ないようにしてるのかもと本気で考えた。
早く歩き始めたいのに仕方ないからもう少し待つことになった。外から鈴の音が聞こえて、昨日のおっちゃんが通ったような気がした。
待ち続けていたら、なんとこんなものを発見してしまった。このベルを鳴らせばわりとすぐに奥さんが出てきたけど、あまりに位置がわかりづらすぎた。机の上とかではなく、椅子の陰に隠れていたから。
でも意外なことに昨日より奥さんの機嫌は良かった。野宿してるんですか?どんなとこで?というような会話を少しして見送られた。呼びかける声が本気で聞こえていなかったんだろうか。それなら僕に落ち度がある。
朝7時前の白猫。
歩いてゆく。
ユニフォーム姿の野球少年から挨拶をされた。そうか、今日は休日か。
出発してすぐに7時になった。昨日は距離を抑えたつもりなのに爪はもう1日歩いた後のように痛い。
すぐにありそうな気がしていて、まあわりとすぐにあったベンチで、チェックアウトの際に
この痛みが旅を始める前にあったら絶対に来ていない。朝から激痛ってどういうことだ。朝食後に飲んだイブの効能も多少はこちらにも効いてるはずなのに。
昨日の順打ちのおっちゃんとの会話も思い出した。女体山という最後の山は標高800mくらいはあるみたいだけど、標高的にはもうこれ以上高い山はないということを話していた。
おっちゃんはキャリーバッグを転がして交通機関等も使いながら霊場を回っている女の人
仲間とならすぐ打ち解けられるという共通認識を持っていた。そして僕が、
悪臭を感じた後に、多分肥料や家畜の匂いで、臭いなあ…と感じることがこの旅で何度もあったけど、それももうあとわずかだなと思った。
目安のサークルKが見えた。あれを右折だ。
だが曲がる前に店内に入り、レッドブルとチョコを買ってその場で飲んで食べた。もう無くなってしまった塩キャンも考えたけど、一週間雨だしなーと買わなかった。いや、明日は晴れみたいだけど、まあいいさ。
ひたすら歩く。
男性の年配者
薬局がちらほらあるけど、まだ営業時間ではないので開いていない。9時からが多いようだ。
お寺の標識。次の68番と69番は同じ場所にある。
それはモーニングじゃない。
悩ましげなポーズでこちらを見つめている方。
香川はベンチが多いと勝手に予想していたんだけど、意外と少なかったので、8時半にローソンで荷物を下ろして少し休憩をした。
四国の人は優しい人が多いが、大多数は無関心の人たちだ。各県を実際に歩いて(香川はまだ少しだけど)、やっぱり徳島のおもてなしが一番かなと考えた。お客様感があるとかよく聞くけど、でも本当に沢山もてなしてくれた。
小雨だ。面倒だ。0%でも降るとは旅の前から知っていたけど、ここまで降るとは思っていなかった。せめて10%にしといてほしい。
カルピスの色がよろしくない。これは長澤まさみも激おこ。
この薬局の前には掃除しているおっちゃんがいた。そして9時前なのに開いていた。
挨拶をしてから、ここにロキソニンありますか?と聞くと、ありますよと返ってきたので、そのおっちゃんと一緒に薬局の中に入った。頭痛いの?と聞かれて、注意事項を説明してくれた。
これで安心だ。もう怖いものはない。いや、爪があった…。
財布のお金が無くなってきたので郵便局があったらお金を下ろそうと決めた。
いや、薬局めっちゃあるやん…。こんな風にあるとこにはあるのか。観音寺は栄えている。
特に記述することはない。地図を時折確認しながら、ただ歩き続けた。
橋の向こうに鳥居が見える。
財田川を渡る。もちろん杖は突けない。
この道を進む。
左には琴弾八幡宮。神仏習合の時代はここが68番札所だったとのこと。
もうすぐだ。
着いた。
1箇所に2つのお寺。第68番札所七宝山神恵院と、第69番札所七宝山観音寺。
同じ場所にあるの…ややこしい…。
土曜日ということもあって境内は参拝客が多かった。
まずは68番のコンクリートで作られた本堂。本尊は阿弥陀如来。
からの68番の大師堂。
69番の本堂。本尊は聖観世音菩薩。
そして69番の大師堂。
参拝客が多いので納経も行列ができていた。他のお寺ではよくある団体の途中でも個人を先に書くといったことはなかったが、その分納経を書く人も多かった。
納経帳は閉じたままお出しくださいと張り紙があったが、開いて出すのがマナーとも聞くし、そのままでいいですよーと言われることもあるし、どちらが正しいのかわからない。
団体さんの納経帳を見ると、逆打ち専用の納経帳もあるんだなと知った。納経代は2カ寺分なのでもちろん600円。
境内にあったお店に入った。ところてんの黒蜜きな粉にしようかなー。うどんもありだなー。いや、うどんはまだ食べる機会いくらでもあるか。いや、冷たいものが食べたいな。かき氷は昨日食べたし、冷やしぜんざい500円はなんか高い気がするし、そもそもスイーツ堪能って気分でもないしなー。いや、でも抹茶サンデー食べたいなー。と散々悩んだ末に、香川には何の関係もないけどそれを注文した。
イェイ。
このお店でちょっと充電がてら、10km歩いたことの休憩として休んだ。
店内では遍路紹介ビデオを流れていて、そこで揃えるべき用具として、歩き遍路には軽登山靴を勧めていて笑った。ウォーキングシューズとかほんとありえない。
他に客はいなかったけど最後にお母さんと小学生くらいの娘がソフトクリームありますか?と聞きに来てそれを注文していた。
写真を見返してもやっぱり複雑すぎて何がどこにあったかはっきりと思い出せない。2つ一緒にあるとこなんてここだけだから別にいいけど。
次へ。
先程の行きの道もいた猫。
可愛い。
お寺の参道を出て、交差点に差し掛かる直前、横にぶら下げている袋の紐がガードレールに引っかかってちょっと恥ずかしかった。信号待ちしている車もいたし。
次は70番の本山寺。ついに70番台だ。
多分右の道が正しい。
辺りをぐるぐるとランニングしている男性が2人いた。格好や速度からマラソンをやっていたりするガチのランナーだと予想した。
後ろから自転車のおばあちゃんに追い抜かれた。後ろから来ていることに気付いてなくて、おきをつけてー、ご苦労様ですーという声に驚いてしまった。
車は右折だが、歩きは直進。
マージーサイド、いや、財田サイド。
橋を渡る。
肩が痛いという馴染みの悩みをこのときも感じていた。
人生もまた同じような悩みを抱えては忘れて、また抱えて生きているのかもなーなんて思った。人間関係や恋愛がうまくいかないとか、学校や仕事が嫌だとか、
6月25日の10時30分。僕はこの川沿いの道を歩いている。とメモにあった。そうメモに残したい気分だったのだろう。
写真はないが長い一本道だった。でも今日も強い風が吹いていて、それがとても心地良い道だった。
しかし今までで最も遠い5kmでもあった。長かった。
この写真を見れば、このときどんな風が吹いていたか今でも思い出せる。
もう少し。
あと100m。
そして11時前に到着した。第70番札所七宝山本山寺。
五重塔は解体修理中だが、境内には昨日のおっちゃんがいた。
国宝の本堂。本尊は馬頭観世音菩薩。
十王堂。大師堂の写真はピントが合ってなかった。
納経所の呼び出し鐘。最初気付かずこんにちはーと呼んだが出てこなくて、今朝の経験から、あ、ベルある系かなと探したら目の前にある鐘を鳴らすという仕組みだった。慣らしてもすぐには出てこなかったが、しばらくしてからおばさんが出てきた。
飴ちゃんありがたく頂きました。
五重塔の風鐸。
納経が終わるとおっちゃんと話した。前のお寺(?)は砂絵が良かったらしい。自分はまったくそれを見ていないので、名所ことごとく見逃すなあと。ほんとにお参りと納経だけ。今は展示中の銅鐸は見たが。
逆打ちの香川の女の子とすれ違わなかった?と聞かれた。でもすれ違ってはいない。
着々と終わっていくねとおっちゃんは言っていた。多分自分の納経を待っていてくれた感じで、先におっちゃんがお寺を出た。
境内のベンチで納経帳をバックパックの中に戻したりしていると、雨粒が大きくなり、強く降り出した。大降りは長くは続かなかったし、雨自体もほとんど気にならない程度のぽつぽつ降りになったので助かった。
先程頂いたカルピスキャンディを口に入れて、11時20分過ぎに出発した。来た際にも仁王門にいた托鉢はまだいた。でもきょろきょろしすぎだったので、どんと構えてないと!と伝えたかった。
どっち。
もちろん左に進んだけど。
次のお寺までの11kmを進めば、そこからはお寺がかなり詰まっている。頑張ろう。
岐阜のおっちゃん(さっきのおっちゃんのこと)は結構歩くのが早い気がする。直線でも全然前にその姿が見えない。
歩いていると突然、道沿いの墓地の中にある小屋にいた遍路の(ベテランっぽい)おっちゃんに呼び止められた。
きょう善通寺に行くかい?と聞かれ、今日ですか?はい、行きます。と答えた。そこから、初めて?学生?身元は確か?と質問が続き、住所とか書ける?という質問は手振り付きだった。
その最後の質問にはいと答えると、じゃあ3時以降に宿坊の受付のとこ行って、善根宿を紹介してくださいと頼みなさいと言われた。今日は君一人だと思うけど、女の子がいたら使えない。でも大丈夫だと思う。そして6時に大師堂で朝のお勤めに参加したらいいと教えてくれた。
善根宿を貸しているのは武本さんというおばあちゃんで、 弘法大師を信仰しているらしく、司馬遼太郎の空海を書いた本(空海の風景)を英訳した人らしい。普通の人だったけど(萩森リストには元教師とある)、今ではその武本さんが訳した本が世界で読まれているみたい。君は若いから武本さんも会いに来てくれるかもしれないと。
君はいい青年だ。君が無事結願まで辿り着くことを願ってるよと合掌してから言われた。
こちらを見てくる人には必ず挨拶をしているけど、それでも無視する人はいる。そういう人たちは多分お遍路どころか、あの挨拶祭りとして名高い早朝散歩なんかも一度もしたことない人なんだろうなと思う。
学校の音かもしれないが、ここの正午のメロディはとても切なかった。
煩悩書店。
歩き遍路だろうか、後ろから夫婦が来ている。白衣を着てないからわからなかったが、僕と同じように遍路道へ歩いて来たのが見えると確信に変わった。
散歩をする妊婦の母親と2人の小さな女の子とすれ違った。新たな命の誕生、素晴らしいことだ。
その次は、フロントボードに大量にぬいぐるみ等乗せた白い軽の若い女性がいた。運転席で
あと何kmなのか知りたいような知りたくないような気持ちで歩き続けていた。
風のせいで今日は菅笠を被る人間には辛い日だ。被ったり外したりしている。そして雨も降ったり止んだりしている。
住宅の塀に道標があって、まだ6.3kmも残っているということがわかった。キツいな。
旅館ほ志川の怪しいピエロ。
休憩所には行きたかったが道をそれてまで行く余裕はない。今のペースが上がることはないだろうし。
四国のみちの道標が沢山あるのでわかりやすい。ありがたい。
自販機でコーラを買っていると、後ろから来ていた夫婦に追い越された。奥さんの方は2つ並んでいるお寺で笑顔で会釈してくれたおばさんだった。彼らが良いペースというのもあるが、
そして岐阜のおっちゃんも来た。え、後ろから…?と驚いたが、サークルKでお昼を買っていたら歩いて行く自分を見つけたらしい。やっと追いつけたと言っていた。
そこからはそのおっちゃんと一緒に歩いた。
どこか座りたいねと話していたけど、なかなかベンチがなかった。でもこの小さなお堂にあった。
時刻は13時半前、ここで軽く昼食を取ることになった。おっちゃんからはチキンとおにぎりを貰った。おすそ分けにしては豪華すぎるから、いいんですか…?と躊躇ったが、いいんだよいいんだよ、余分に買っとけば宿に着いてから酒の肴になるし、こうやって分けることも出来るからねと。
ありがたく、美味しく、いただいた。釣り合ってはないけどお返しにお接待で貰ったはいいが苦手だから残っていた梅を渡した。
昼食タイムが終わってからも、歩きながらいろんな話をした。
実は遍路には一緒に行く予定だった腐れ縁の人がいて、でも直前にその相手が膝を痛めてしまって一人で来たらしい。その人のために、どこを何時に出発して何時に着いたというようなデータは取っていると。
宗派は曹洞宗で、お参りは般若心境だけ唱えていて、打戻りは嫌なので足摺岬からは月山神社経由のコースを歩いたらしい。いくつもある中でそのコースが最長なんだけど、浜辺の道が綺麗だったと話していた。
自分探しをする人は嫌いと話していた。それは職に就かない言い訳。そこに自分はいるの
なんか寂しくならない?と聞かれた。長かった旅も終わりが見えてきて、最近感じるようになった寂しさ。それは僕も同じく感じていた。
この旅が終わったら日曜木工をやりたいとおっちゃんは話していたが、終わったらどうなるかなと、終わった後に自分がどうなるかはお互いにわからなかった。
本当にわからない。何か他のことに意欲が湧くのか、はたまた燃え尽きてしまうのか。この旅が終わって得られるであろう達成感に匹敵するものはそうそうないはずという認識は揃っていたけど。
トンネルを歩いているときの杖の音の気持ちよさについても話したし、今まで出会った人たちのこと、どんな人がいて、どんな風な時間を過ごしたか、そういったことも話した。
年齢差があっても、歩き遍路とならここまで簡単に打ち解けられる。遍路というのはやっぱり不思議な旅だ。
まだ距離はあるが、ここからが参道か。
本堂まで1.1kmになった。
足湯はあったけど残念ながら冷たかった。
登ってゆく。
道の駅ふれあいパークみの。おっちゃんは確かここの温泉宿泊施設に泊まったはず。僕はまだ先に進むから、でももう会えないねと言われた。せっかく会えた人ともこのようにいつかは別れが来る。それはとても切ない。
地図。まだ遠い。
まだまだ登ります。581m。
休憩所からは山上バスも出ている。弥谷寺があるのは標高382mの弥谷山の南麓。(余談だが、この休憩所はとても綺麗だった)
14時20分、石段の前に俳句茶屋というお茶屋さんがあり、そこの店員の宇多田ヒカルが何%か入ってるお姉ちゃんに、お兄さん荷物ここ置いていきなよと言われた。いいんですか?と聞くと、いいよいいよ!ということだったので、ここでバックパックを下ろし、必要なものだけ袋に入れて登ることに。
素晴らしい。
茶屋の近くには廃屋っぽい家があった。
バスがあるから参拝客はそれを使うのかと思っていたけど、
第71番札所剣五山弥谷寺。弘法大師が少年の頃ここで勉学に励んだと言われている。
石段、石段。
赤い階段が見えた。
百八階段らしい。煩悩の数ということで杖も突かず一段ずつ登った。
多宝塔を見上げる。
これ好き。
本堂への540段の階段も荷物が軽いので余裕だった。雲辺寺への登り口の最初のとこに比べたら平地だなとすら感じた。
大師堂へは靴を脱いで上がった。そして正座でお参りをしたが、諸事情で足が痛かった。おっちゃんは膝が痛そうだった。
納経もここでしてくれたんだけど、この建物の中は荘厳な雰囲気でとても良かった。
人が多いこと多いこと。
真言宗大本山の弥谷寺、本堂や大師堂以外も見所が沢山あった。案の定満喫はしていないけど。
おっちゃんと別れる際に時間を確認すると、正直マズいな…ゆっくりしすぎた…と焦った。
今日75番の善通寺へ行くには現在地が悪すぎる。札所間の距離は合計で5km近くあるし、何より移動やお参り等の時間がない。かなり急がないと絶対に間に合わない。
メモを取るのも、写真を撮るのも最小限に留めて進むことにした。普通に歩いていては間に合わないので、体力の続く限り走れるところは走った。
しかし遍路道は泥濘んでいるし、途中この場所で滑って転けた。
あれだったら74番飛ばすしかないな。ってかこの家、静かそうでいいな。
進む進む。
はい、ラブホテル。
正式な遍路道ではなく、ショートカットだったと思うけどこんな道も通った。
打ちっぱなしの裏を。
西行庵も気になるけどスルーだ。
あの山の間にある建物が札所だったら詰んだな。(
第72番札所我拝師山曼荼羅寺に到着したのは15時43分。
境内に入るとある中年男性に、歩き?宿は?と質問されて、まだ決まってないですと答えると、そろそろ決めないと…と言われた。善通寺で善根宿紹介してもらうつもりだったんですけど時間的に厳
うーん…この距離を行くのは不可能ではないが、お参りや納経の時間を考慮すると、もう無理かもしれないな。
とりあえずお参りをということで、本堂。本尊は大日如来。
大師堂。
ここ曼荼羅寺は四国の札所で最も古く596年の創建。元は世坂寺という寺だったのを唐から帰国した弘法大師が大日如来を安置し、母の菩提寺にし、改称したと伝えられている。
また西行もこの辺りに庵を建てて7年近く暮らしていたらしく、このお寺にもよく来たそうで、今も西行が昼寝をしていたという西行の昼寝石がある。
すぐそこに73番はあるのが、もう73番も74番も飛ばし、75番の善通寺へ向かうことにした。仕方ない。
しかし善通寺に着いてもどちらへ行けばいいかわかるだろうか。境内は2箇所あるみたいだし、お参りの時間等心配だ。どうか無事に済めば良いが。
サッカーをする少年少女たち。
他のお寺に(今日は)寄らないという判断は賢明だった。直通で来れば想像より短い時間でお寺が見えてきた。
駐車場にあった物産会館。
裏から入るような感じか。
16時27分に正覚門。第75番札所五岳山善通寺。院号は誕生院。
さすがに広いなと驚いた。それもそのはず、空海の父親で豪族でもあった佐伯善通から土地を貰い、807年にその父を開基とし、法名から名付けた「善通寺」と、鎌倉時代に空海生誕地として佐伯家邸宅跡に建立された「誕生院」という元々は別であったお寺を一つのお寺とした経緯があるから。総面積は約45000平方メートル。
まずは東院に行き、金堂(本堂)へ。本尊は薬師如来。大きな薬師如来像だった。
五重塔をはじめとする多くの伽藍が境内にはあった。もっと古いお寺はいくつもあるのに、威厳を感じるお寺だった。さすがは真言宗善通寺派総本山といったところか。
まあ広い。広すぎる。時間がないので焦りは募る。
仁王門を今度は正面から通り、西院(誕生院)へ。
御影堂(大師堂)。他のお寺の大師堂とは比べ物にならない大きさだった。
時間がないので境内も早歩きしながらお参りしなければいけなかったが、その急いだおかげでどちらにもお参りが出来てなんとなかった。
しかし以前の納札に続き、コインケースの小銭もなぜか消えた気がした。魔の小銭入れ、ブラックホールなんだろうか。落ちたら音がするはずなのに一気に無くなっている。絶対もっとあったはずなのにどうしてなんだと不思議だった。
最初このお寺に来た際に挨拶をした野宿してるであろう歩き遍路の人(20代後半か30代ぐらい)が、納経所で自分の前にいて、ここが結願って人多いんですかね?と納経所の方に質問していた。
75番と数字は中途半端ではあるが、弘法大師誕生のお寺ということもあり、彼もそうであるように結構多いらしい。
その彼はすれ違った際に本当に清々しい、達成感に満ちた良い顔をしていた。それなのに周りの人は自分を含めてまだ途中だし、終わったという達成感も、これから始まるという期待感も当然持っていない。だから誰も彼が結願したことを祝わないし、気付いてすらいなかった。
後になって、ああ、さっきの人におめでとうございますって言えばよかったと後悔した。なんでそれを知った自分が、あのとき挨拶だけで終わって、結願を祝う言葉を彼に言ってあげられなかったんだろうと、遍路旅の中で(靴の選択等間違えたこと以上に)最も後悔している。
時間がなくて余裕もなかったんだろうけど、終わったんですか?どうでしたか?というような話を彼としたかった。ちょっとご利益貰っとこうかな!?みたいなノリでいけばきっと楽しく話せただろうに。
それから自分の番になり、納経所のおじさんに善根宿について聞くと、
宿坊は、ちゃんとしてるなー、さすが善通寺だ。というような印象を受けた。
宿坊に宿泊する際にも使う用紙に名前や住所を書いて、受付の女性に説明を受けた。明日出る時間は?と聞かれ、うーん…6時くらいですかね…と答えると、ならみんなお勤めでいませんからここに鍵を置いておいてくださいと。あれ、なんかお勤め出られる感じじゃないな…。時間が悪いのか…?
お寺が鍵を管理している善根宿ではあるが、境内にはなく、こういった裏道を抜けて古民家へ行った。地図は貰っていたし、案内も丁寧にしてくれたので迷うことはなかった。
しかしその民家に着いても鍵が開かなかった。何をどう試しても開かなくて30分近く格闘していた。宿から鍵を貰ったのに開かないということ。なにか自分は試されているんじゃないかとか様々なことを考えた。
その家が善根宿として使われていることは近所の人たちは知っているだろうけど、扉を開けようとずっとカチャカチャと音を立て続けているのは完全に犯罪臭するし、小雨も降ってるっちゃ降ってるし、溜息と焦りが尋常じゃなかった。
でもどう頑張っても無理なので、結局開けることは諦めて、家に入ったら電話を掛けてくださいと指示されていた番号を渡されていたので、市外局番を調べてから、この家を貸し出している武本さん本人に携帯で電話をした。
武本さんが電話に出ると事情を説明して、解決法を聞いて、ようやく中に入れた。そして入ってからはこの黒電話でまた電話をかけた。
名前と住まいを聞かれると、地震の話になった。南海トラフを昔経験した(1944年の昭和東南海地震か45年の南海地震のことかな)ということから、避難経路等を説明してくれた。
最低限の説明を聞けば、それではごゆっくり~といった感じで、ここで終わる人もいるんだろうけど、今朝あの墓地にいたおっちゃんが教えてくれた司馬遼太郎の本のことなど聞いてみたら、そこからいろいろと話が広がった。
武本明子さん。とても80歳とは思えないユーモアのあるおばあちゃんだった。
沢山の話を聞いたけれど、一番聞いたのはやはり空海の風景(Kukai The Universal)という本についての話。
本の中には国宝である弘法大師坐像の写真(下の写真の彫刻のこと)があるのだが、それは実際の空海という人間の姿、実物に最も近い(空海の弟子であった真如が描いた肖像とほとんど同じ)とされていて、制作は運慶の子である康勝。
武本さんが京都の東寺に行った際に、お寺の人(中堅中の中堅みたいなお坊さん)から、写真の大師像について、これはどこのですか?と聞かれて、おたくの…と答えると、わたしは見たことがないと言われ、不思議に思ったそうだ。その大師像は東寺にあるのに。
東寺のお坊さんが東寺の(御影堂に安置されている)大師像について知らないというのはどう考えても謎。でもその謎の真相はわかっていて、要は日本にカメラが持ち込まれてから、国宝指定されて、厨子から顔だけ見える状態になる前、その間に、学者やその手の人たちが写真をいろいろ撮っていて、その中の1枚がこの写真だったのだろうと。(現在写真の角度から見ることは不可能)
この姿で空海さんは世界に出て行きたかったのではないでしょうか
写真自体は阪神淡路大震災が起こった際に、神戸の学者の人から、地震で散らかっててどこにあるかわからないけど探してみますと渡してもらったらしい。海外進出する際には今度はちょうど9.11が起こるなど、数々の災難を乗り越えて出版に至ったと教えてくれた。
英語のタイトルはThe Universal。なぜその題にしたと思いますか?と聞かれた。それは空海さんが日本人で最も世界に誇れる人だからと武本さんは言っていた。(司馬遼太郎も同じようなことを言っていた気がする)
武本さんは他にも翻訳をしていて、前田哲男さんの戦略爆撃への思想という本の売上金は重慶の被害者へ賠償として送金しているらしい。
この家は新築してる箇所(遍路たちの寝室)は十何年だが、それ以外は100年レベルだそうだ。
武本さんの祖父が岡山からお遍路中にここに来たときに、空いてる土地を見つけて良いなと思っていたら、
でもそのおじいさんが亡くなったのはどこか別のお寺。お経を上げる人がいなくなったお寺で朝晩上げていて、そこで亡くなったと。そのおじいさんの息子、つまり武本さんの父親は戦争で海外で戦死したと次に聞いた。
三代にわたり使ってきたが、違う家に引っ越して、ここが空き家になってしまったので、船や家は使わないと崩壊していくし、遍路さんに使ってもらおうとこうして貸し出しているという経緯も教えてもらった。
武本さんの母親も弘法大師、真言宗を信仰していたのか、幸せだったでしょうなあと話していた。空海さんのお膝元で、職場も近くてと。
かなり長電話をした。人によっては本当に短かったりするんだろうけど、雨でこちらへ来られない分、電話でいろいろ話してくれたんじゃないかなと思う。
最後に感謝の気持ちを伝えると、こちらこそありがとうと言ってくれて、結願を願ってくれた。そして電話を切った。
善根宿に入った瞬間は家感が凄いなと思ったけどそりゃ当然。家だし。
室内の写真はほぼ翌朝撮影だけどこんな感じ。礼儀として仏壇には来てからと去る際に手を合わせた。
右下の二冊。
もっと和な、民家な、雰囲気が感じられる写真も撮れたはずなのに撮っていないという失態。冷蔵庫の張り紙は撮ったのに。
こちらが新設された寝室。縦長の部屋の半分くらいの位置から写真を撮ったので、実際はまだ長い。
残念ながらこの近くにはうどん屋もないんです(こちらから聞いてはいない)という流れから、教えてもらったスーパーへ向かった。雨が降っていたので傘を差して。
店内には若者が多い気がしたが、後で地図を見てみたら大学が近くにあったのでそこの学生だろう。
家に電子レンジがあったかどうか確認していなかったから、買い物後にお弁当を温めた。
帰り道は雨上がりの夕焼けだった。限られた遍路旅の中でこんな光景が見られるなんてと感動していたけど、実はこれはまだ序章に過ぎなかった。
沢山食べて回復に回すという名目で多めに購入した。冷蔵庫もあるので飲み物も。
この夕飯を済ませる頃、すりガラスを見ると、外がピンク色になっていることがわかった。
これは絶対に夕焼け空が凄いはずだとすぐさま宿を飛び出して、食べたばかりだし、足は痛むのに、善通寺へと走った。
外に出た瞬間の空。これは…!と足の痛みも忘れるくらい胸が躍った。
善通寺に着くとまるで嘘みたいな、現実とは思えないような夕焼け空が広がっていた。
息を呑む光景というのはこういう瞬間のためにある言葉なんだと理解した。
まさか弘法大師三大霊場の善通寺(他は高野山と東寺)でこれを見せてくれるとは…と、弘法大師がこの美しい夕焼け空を僕のために用意してくれたようにすら思えた。
広い境内なのに僕以外の人は誰もおらず、一人でこの光景を眺めていたら、あまりに綺麗すぎて瞳には涙が溜まった。まだ結願じゃないというのに。
一生忘れらない景色という表現があるけど、この夕焼け空は僕にとって、たとえ忘れたとしてもずっと心に残り続けている景色だと思う。それくらいの感動があったから。
これだけ綺麗だと善通寺から見てみたいと思う人も当然いて、その後観光客っぽい夫婦が来た。奥さんはすごーいと歓声を上げていて、旦那さんはスマホじゃあれだなあ、目に焼き付けとくかと言っていた。僕もそうしようと思った。
スマホで撮ってこれだけ綺麗だということ。一眼レフなら更に綺麗に撮れただろうけど、でもやはり一番は、実際に自分がその場所で、自分の目で見た光景だ。
一応パノラマも撮ってみた。空のグラデーション。
ついでなのでこの間に、いろいろと辺りを歩き回ってみた。
あっという間に日は沈んでしまったけど、胸がいっぱいになった感動の余韻は長く続いていた。善根宿へと帰る道でも。
お風呂に溜めていたお湯は途中から水になっていたみたい。ほどよいタイミングで止めてたらもっと温かったんだと思うが、汗を流せるだけでもありがたかった。風邪を引いても困るから念のためシャンプーはやめておいた。
まあ、水温問題は太陽熱温水器らしいから仕方ない。武本さんも今日みたいな天気なら水よりマシ程度でしょうと言っていたし。(
お風呂から上がると、なんちゃって洗濯をして干した。爪はいつものように消毒してから薬を塗った。まったくと言っていいほど効果は出てないけど、更に悪化させないように。
その後はスイカバーを食べたり、 バレンシアオレンジを食べたりしてくつろいだ。チェアの座り心地も良かった。
73番と74番を後ろに残しているので計画は少し立てづらかった。そして多分明日も最初から足は痛いだろうし、いつも通りどうなるかはわからない。
眠気を感じていたが、メモをまとめたいからまだ眠れなかった。準備は明日の朝に行おう。
歯は痛くないから痛め止めは飲んでいない。痛くないのは結構だがこれからどうなるか。優等生の爪はしっかり痛い。今日も膿が出ていたので、おとなしくいつものように絆創膏を貼られている。
22時になった。時間が欲しい。でもいい加減に寝ないといけない。
お風呂で温まらなかったからか、半袖半ズボンじゃ寒いから毛布にくるまった。明日の天気予報は晴れ。