ずっと伊勢神宮には行きたいと思っていたんだけど、でもなぜか行かないまま時は過ぎて、ふと、この状況って日本人として、日本人の総氏神である天照大御神を祀る伊勢(の)神宮に一度も行ってないのってまずいのでは…?とさすがにそろそろ行こうと決めた後に、でもこれだけ先延ばしにしていた”ある種の義務”を、普通に(飛行機や新幹線でびゅんと飛ばしてはい着きました、はいはじめましてアマテラスさん!ってな風に)済ませちゃっていいのだろうか…なんか違う気がするな…ととても個人的な疑問を抱いてしまって、どうしようかと悩んでいたときに、それとはまったく関係のないことで、八咫烏についてのあるアイデアが思い浮かんで、八咫烏といえば熊野、熊野といえば熊野古道という流れで、熊野古道について調べていたら、自然と伊勢路に目が留まって、伊勢神宮と熊野三山を結んでいる路があるのか…!と、降りてくるってのとはちょっと違うけど「あ、これだ。熊野古道を歩いて伊勢参りをしよう。最高だ!」となったのがこの旅を始めることになった理由。
かつては一生に一度はと言われたお伊勢参り(お蔭参り)も、交通機関がこれだけ発達した現代では行こうと思えばいくらでも行けるけど、初めての伊勢参りはなにか特別なものにしたくて、熊野古道にも魅力を感じていたし、この最高なアイデアは出来るだけ早く実行しようと、まあ思い立ってから出発までは少し時間が空いたんだけど、それは10月後半が忙しかったってことと、紅葉の季節に合わせられたらってな狙いで11月5日に熊野に到着するっていう方向で計画を練って、旅の出発を待ちわびてた。
そして、11月4日。
大阪行きの夜行バスに乗る為に、博多駅筑紫口の先の高速バス待合所でもあるBUS STOP CAFEに向かう前、夜の街を少し歩いてたんだけど、すれ違う人々を見ていたら、これから始まる巡礼の旅が、普段・日常の汚れ穢れを落としてくれそうな予感がして急に嬉しくなってたのを覚えてる。
バスストップカフェは悪くない雰囲気だった。知り合いが以前行ってて少し聞いてはいたんだけど、バス会社によっては無料で一杯付いてたりするのもいい(会社違ったから今回は無しだったけど)。とりあえずコンセントが至る所にあるのは助かる人多いはず。
まあそのカフェで特に何をするでもなく出発を待って、俗世から逃げるように夜行バスに乗り込んだと思ったら、前の列の大学生ぐらいの男の子がなんか窓の外(下)に向かって話してることに気付いて、話し相手の声も聞こえてたからなんとなく理解出来たんだけど、どうやらこれから遠距離になってしまうカップルのようで、もう聞いてるこっちが恥ずかしくなる感じで愛を囁き合ってたんだけど
彼女「泣いてる?」
彼氏「な、泣いてねーよ…」
みたいなやり取りしてるときには悪いけどもう吹き出しそうになるのを必死に堪えてました(照)
ってな感じで短くもスウィーティ―(笑)な空間の傍にいたら、21時15分頃にバスは関西へ向けて出発した。(その彼氏なんか彼女とのやり取り終わった後もその席に座ってたんだけど、実は間違えてて、途中僕の前の席に来たわけだけど、もういきなり座席下げてくれてとても嬉しかったです。本当にどうもありがとry)
バスは値段が安かったから仕方なかったんだけど、コンセントもスリッパもトイレも付いてなくて、密着した座席は埋まってるし、とても快適とは言えない感じだったけど、でも旅への楽しみが大きくなっていくのは感じてた。その楽しみだけで充分夜は越せた。
自分の席は窓際で、ちょうど横にあったカーテンに少し隙間があって、その隙間から月がずっと覗いてたのも覚えてる。眠れない時間や途切れ途切れの睡眠の合間にその月を見てた。
日付が変わって、11月5日。
誰よりも早く起きてしまってからは消灯されてるバスのカーテンの窓側に、肩から上だけもぐり込ませる感じで、朝が焼けていく関西の空を見てた。いい気分だった。窓際の席で良かったとも思ってた。
三宮かどこかで一部の乗客が降りてから、6時半に梅田に着いたから降りて、とりあえず大阪駅に歩いて向かった。JR高速バスターミナルの待合室で横にあったファミマで買った朝食のサンドイッチ等を食べながらのんびりと時間を過ごし、7時50分発の紀伊田辺駅までのバス白浜エクスプレス大阪号に乗り込んだ。(終着地点はアドベンチャーワールドだったからそれ目的の乗客が多かった)
隣というより右斜め前(このバスは左右の座席が通路挟んで平行に並んでなかった)の女性が、パンダのノートカバーの中にイラスト描いてたのが見えて、それがかなり上手かったけど、あの人はいったい何者だったんだろう。
徐々に山の中に入ってきていよいよかと思ってたら、なんか眩しい海が見えてきてなんでやねんと思いながら、その海が車窓一面に広がってるもんだからえらい綺麗だった。
11時前に田辺駅に着いて、駅の横の観光センターで龍神バスの熊野本宮線のチケットを購入して、置いてあったパンフレットというか地図を貰ってバスを待ってた。(センターでは外国人相手に英語で対応しててさすが世界遺産…!と思ったよね)
2時間くらい揺られることになるんだけど、いわゆる中辺路を進むバスで、わりとすぐに山に囲まれたそれっぽい雰囲気に変わった。車窓からの景色がもう素敵すぎて、まだ一歩も歩いてないのにいつか中辺路も踏破しようと決めたくらい。
平日の昼間だからか自分以外は熊野古道歩きそうな人は途中まで全然いなくて、ある橋の前で突然ヤクルトレディっぽいお姉さんがバスの前に停まって、何か運転手と会話を交わしたと思ったら、乗り遅れたおばあちゃんを拾う為にバスが100m以上バックしたり、実にローカルなバスって感じで楽しかった。(その時の会話から和歌山弁ってなんか京都弁に近いような気がしたけど真相やいかに)
熊野古道な雰囲気が高まったところで1人の日本人ガイド+10人くらいの外国人という構成の集団が乗り込んできたんだけど、この団体とはこの先何度か出くわすことになるとはもちろんこの時はまだ知らなかった。(確か翌日確認したんだけど、ガイドのおばちゃんはOKU JAPANって書かれたウィンドブレーカーみたいなのを着てた)
それからバスは本宮大社に着くんだけど、そこで僕は降りずに終着地点の発心門王子でOKU JAPANの皆さんと一緒に降りた。
発心門王子は中辺路の終盤にある熊野本宮大社の神域の入口とされている場所で(王子っていうのは熊野古道沿いにある神社のことで、九十九王子として12世紀から13世紀に修験者達によって作られたらしい)、そこから中辺路を歩いて、本宮大社に向かった。出発は午後2時くらい。
熊野古道がどんな風になっているかほとんど知らなかったんだけど、こんな感じで道標があったりして(迷いそうなところにはだいたい道標置かれてた)
中には普通の民家が日没時間書かれたこんなボードを掲げてくれてたり、なんて親切なんだ…!といきなり感動してた。
山の中は山の中だから景色は壮大なのに、民家とかも結構沢山ある感じで、比較的道はゆるやかな歩きやすい道が続いてた。
そしてついに石畳が残る古の道へ。
蘇生の森 熊野古道 と書かれた石碑。
熊野は「よみがえりの地」と言われてきました。
古来より日本では、人々が生活を営む里に対し、山は神や祖先の霊が宿る神聖な場所である、という考え方があります。
中でも熊野は神々が籠る深山の霊場であり、訪れた方は心魂が甦り、新たな気持ちになります。
「人生、出発の地」と言われる所以です。
(熊野本宮大社HPより引用)
歩く前から熊野古道には魅力を感じていたけど、実際に歩き始めて、ついに僕の祈りの道(旅)も始まったんだなと心に沁み入ってた。
発心門王子で少し時間を掛けて靴紐結んだり写真撮ったりしてたから、外国人団体(もうこれからOKU JAPANって書こう…)は随分先を歩いてたし、他に歩いてる人もいなかったから、基本的に古道を一人で歩けた。山の中で聞こえるのは自然の音と自分の足音だけで、雰囲気を味わうには最高の環境で歩けたと思う。
気持ちいいとも違うし、心が洗われるってのともちょっと違う、なんとも言えない感情と雰囲気の中で、歩き始めてから1時間も経ってないのに、本当に来てよかったと感じてた。
まあ、ペース的にこうしてOKU JAPANに出くわすこともあったんですけどね。(結局伏拝王子の茶屋で抜いた)
この実に趣きのある小屋の中ではいろいろと無人販売されてて、ここで100円のラムネを飲んだ。クーラーボックスに入ってて冷えてたからすっごい美味しかった。
歩いています、熊野古道。
この景色が見える伏拝王子(多分)には和泉式部と熊野権現の、平安時代には不浄なものとされていた月の障り(=生理)の人でも熊野への参拝は許される的な歌があった。
熊野権現は何人でも受け入れ、再生してくれるというとても寛大な神様。熊野詣が栄えた理由の一つかな。
ちなみに伏拝王子は、ここから本宮大社を一望して、その有難さのあまりに平伏して拝んだっていうのが名前の由来らしい。うん、でも僕の目ではよく見えなかったよね。うん。だって遠いもん。
こういう石の道もあった。
ワクワクしちゃう橋。
橋の先には三軒茶屋跡があって、ちょうどトイレを掃除している地元の人と会ったんだけど、車でここまでわざわざ来て掃除してたみたい。ここまでの道でゴミが一つも落ちてないことには驚いたけど、それは地元の人達の努力で実現してるんだなと強く実感した。(その後ゴミを見つけたけど、少しでも自分も貢献出来たらと拾ったよね。うん。時々我慢出来なくなってゴミ拾うことは意外とあるんだけどね。うん)
その地元の人は、こんにちはって挨拶したら、頑張ってねーと気持ちよく送り出してくれた。
本宮まではあと2.1km
歩いて、歩いて、そしてある地点で少し寄り道をして展望台へ行くと、日本最大の大鳥居が見えて、その巨大さにまさに息を呑むという状態に。
すげえ…今からあそこへ行くのか…と遠望なのに圧倒されてしまう期待感を抱かされた。
山を下りてからの道を間違った。しかしこのDOMO ARIGATOな看板。
本宮のすぐ近くにある祓戸王子。樹叢に囲まれたこの王子は他の王子とは違って潔斎所としての性格を持った王子だったらしい。
そしてついに、熊野本宮大社に到着。
(神門より中は撮影禁止だけど、許可があれば大丈夫らしい。でもなんか社殿は威厳がありすぎて撮ろうという気にならなかった。OKU JAPANは多分無許可でパシャパシャやっちゃってたけど)
それにしても幟の八咫烏が良い。
到着時間遅くて、程なくして幟が下ろされたり、もう社務所とかも閉まっちゃう寸前だったけど、なんとか間に合ってよかった。(元々ギリギリになるだろうと予想はしていたんだけど)
ここでは日の丸色の八咫烏の御守りと、一目惚れした御朱印帳を買った。
実はこのときカメラのレンズキャップをなくしてかなり焦ってたんだけど、御守りの効果か境内の八咫烏ポストの近くの玉砂利の上にあるのを見つけられて良かった。
正直今まで御朱印集めに興味はなかったんだけど、この本宮大社の御朱印帳がかっこよすぎてもう買わずにはいられなかった。購入と同時にその場で御朱印も書いてもらって、ここから人生初の御朱印集めが始まっちゃった。(事前にその御朱印帳については調べてたんだけど、実物は想像以上。黒と金ってずるいと思う)
日が傾く中、旧社地の大斎原へ移動。
大鳥居にはさすがの遠近法さんもお手上げ。迫力が凄まじい。こんなの今まで見たことがない!ってなるやつ。
ここ大斎原(旧社地)は熊野川の中州にあったんだけど、1889年の大洪水で流されたらしい。明治以後の伐採で、山林が保水力を保てなくなって洪水が起き、社殿が破壊されたみたいだけど、それは自然からの自然破壊への警鐘とも受け取れる気がする。元々熊野への信仰も自然崇拝から始まっているみたいだしとても考えさせられる。
背の高い杉並木の参道を進むと、小さな森の中に広場があるんだけど、さすが元々神殿等が置かれていた場所だけはあって雰囲気が違った。そこには自分以外誰もいなくて、上空を大量の烏が鳴きながら飛んでいるっていう状況で、石の祠が残されているだけなのに、現在の山の上にある社地以上に何か感じるものがあった。
大鳥居と烏の大群。
これで、熊野本宮大社への参拝は終了。
旅の昂揚感みたいなのがいつもはあるのに、このときそれを感じていなかったのは間違いなく空気が張り詰めるような雰囲気が原因だと思う。でも嫌な感じではなく、意識せずとも畏敬の念を自然と抱くようなそんな感覚。そういうときはなぜか自分の息遣いに意識が行く。
さようなら熊野本宮大社。
送迎してくれる宿だったから、午後6時頃に宿に電話を掛けて世界遺産センターの前でその迎えを待ってた。
宿は川湯温泉にある「山水館 川湯まつや」っていう宿。山水館は3つ並べて旅館を建ててるんだけど、その中でも一番安い旅館。
おっちゃん運転手に本宮大社から旅館まで送ってもらって、そして適当にフロントで今度は新しいおっちゃんに説明を受けた後に部屋へ。
シングルサイズの部屋の畳ベッドの上に2つ布団が敷かれてあるという結構なカオスっぷり。
この宿自体にも温泉はあるんだけど、一番値段の高い「川湯みどりや」の温泉も入っていいとのことで(混浴の露天風呂もあるよってフロントのおっちゃんが教えてくれた)、ちょっと一休みしてから歩いてみどりやまで移動。そこでまあまずは屋内の温泉で一日の汚れを洗い流した後に、露天風呂行くか…と。うん。
でもまあ混浴といっても、女性の方は…どうせいてもおばちゃんばかりだろうし、その…なんていうか…別に期待はしてなかったよ…。うん…。本当だよ…。うん…。
露天風呂に行く為のドアを開けたら、男の人と入れ違いになって、まあ男ばっかりなんだろうなーと思いながら、転倒防止のスリッパを履いてまあ歩いて行くわけだけど、なんだろう…あれ…ってなって、まあその違和感の正体にはすぐ気付くわけだけど、まあ、「誰もいねーじゃねーかwwwww」と。
なんか男と女一緒の温泉に入るもんかと思いきや別々で、んで別にそれは構わないんだけど、そもそも男すら一人もいないし、一切の下心を持たず、というか誰もいないという動揺を抱えたまま、女性の方をチラッと見ても、まあ当然誰もいなくて、え…そういうもんなのか…と思ったけど、まあ寒いからとりあえずお湯に肩まで浸かろうとその露天風呂に入るわけだけど、なんかむずむずして、あれ…とまた思って、旅館の明かりの点いてる方見たら「これなんかレストラン?の方から丸見えじゃね?www」ってなって、いやいやいやwwwともう居た堪れなくなって一目散に露天風呂を出て、屋内に退却しました。ぺろぺろ。
自分が戻ってから、体型太めの男の人がその絶望の場所に行って戻ってきてから、お風呂から上って、僕の方をチラチラ見てたけど、多分あれは気持ちをシェアしたかったんだと思う。何か話しかければ良かったな。まあシュールな感じになっただろうけど()
これがまあ、人生初の混浴は誰に会うことなく大敗北を喫したというお話です。本当にありがとうございました。
川の中に露天風呂があるとか素敵なのに、誰もいないのはいいとしても、丸見えなのは個人的にいただけない。いや、いただけないというより耐えられない。恥ずかしい。お尻。恥ずかしい。お尻。
冬場の仙人風呂?は人沢山いるんだろうか。初戦完敗の身としてはもうどっちでもいいっちゃどっちでもいいんだけど…(号泣)
まあ愉快な温泉タイムが終わって、まつやに戻って、この近くに喫茶店があるからそこで夕食食べる予定だったんだけど、フロントのおっちゃん曰くなんかこの日休みらしくて、参ったなあって感じだったけどカップ麺の自販機あったからそれで済ませることにした。
でもカップヌードルはお湯が注がれて出てくるタイプではなく、包装されたやつがボトンと落ちてくるだけで、お湯は部屋にあった電気ケトルで対応出来たからいいけど、お箸がもうどこ探してもないからフロントに貰いに行ったらあったから助かった。(裸で渡されたけどもう歯ブラシで食べればいいの…?ええ…?とか考えてたから大感謝)
お湯をちょっと零して焦ったけど、無事晩餐終了。
足を見たら、多分靴に遊びを作りすぎたのが原因で左足の親指にマメが軽くできてて、明日からはちゃんとぎゅっと締めようと思った。
後は、写真撮ると時間食うけど、でも撮りたくなるような景色ばっかりだったから仕方ないよなとか思いつつ、知らない街で、知らない人とすれ違うとか、目が合うとか、そんな微かな出会いでも、やっぱりそういうのって嬉しいなーなんて思いながら、一人分の浴衣を着て、一人分の布団に入り、早めに眠りについて旅の初日を終えた。