熊野古道 伊勢路の旅 三日目

11月8日。
窓の外を見なくても音で雨だとわかる朝。
7時に朝食を食べた。
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出発前に布団を畳もうとしていたら、枕元に黒い粒みたいなものがあって、チョコでも溢したかなと思って拾ったらカメムシだった。
驚きながら捨てたけど手がいっとき臭かったよね。うん。窓開けてたときに入ったのかな。

雨はかなり激しくて、まさに土砂降り。
でも予定は詰まっているし、修行の旅()と銘打ってるわけだから、今日はやめとくかってのはもちろん無し。紺色のポンチョを着て出発。
ちなみに雨が降っている日と歩いている際はE-M5はほとんど出さず、iPhone5sでの写真撮影してたんだけど、ちゃんと停止せずに撮ってたりで申し訳ないくらいのブレまくり写真続きます。(写真は二の次だと思ってたけど、正直もったいないことしたと思う)

二木島峠・逢神坂峠へ。
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まずは逢神坂峠(おうかみざかとうげ)。
逢神ってのは伊勢の神と熊野の神が出逢う場所という意味。かつては狼が出没したという説もあるみたいだけど、個人的にこの峠は「カニ峠」と呼びたい。
一体何匹の蟹と出会っただろう。間違いなく百匹以上は見た。雨だから出てきてるのか、普段からいるのかは知らないけど、とりあえず石段の上にいるから踏まないよう踏まないよう用心しながら歩いた。
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逢神坂峠。確かに狼が出てきそうなくらい深い森だった。続く二木島峠も越えてゆく。
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この辺りで何か横切ったと思ったら鹿の群れだった。すぐに上の方へと消えて見えなくなったけど。
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山に入れば木が雨を受けてくれることが多いから、それは助かるんだけど、まったく濡れないわけではないし、苔生してるとこが濡れてるとめちゃくちゃ滑りやすいからなかなか大変だった。
いや、大変だったというか、まあ気を付けてたんだけど、下山間近で踏切の音が聞こえて気が緩んだのか、一度ずるっと転んでしまった。バックパックがクッションになってくれたから無傷で良かったけど、さすがに肝が冷える。でも誰にも転んだとこ見られてないから、こ、これも熊野古道だよな!とちょっと楽しくなってたのは覚えてる。
確かこの辺りで転んだ。
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古道沿いには行き倒れた人の供養碑がいくつもあるんだけど、昔の人はトレッキングシューズとかももちろんないし、栄養補給とかも現代とはまったく違っただろうし、比べ物にならないほどの苦労があったはず。
それでも熊野詣や西国三十三箇所に行ってたわけだから敬服せずにはいられない。ちなみに巡礼者の中には病を患っていた人も多かったらしい。
様々な想いを抱きながら先人達が歩いた道を、僕も自分なりの想いを抱きながら歩いた。

下山すると、こんなところに出るのかよ…!ってぐらい車道にとっても山道にとっても中途半端な場所に出た。
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次の曽根次郎坂・太郎坂へ。
幟があるとこから駅の辺りへ下りたけど、道はあるのに雑草が大量に生い茂っていて、歩くのにとても苦労した。誰も歩いていないのか、道を間違っていたのかはわからない。
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二木島駅近くに漁港があって、その漁港近くの少し煙草臭い東屋で一旦休憩。ポンチョを脱ぎ、バックパックを下ろして、シューズも脱ぐとかなりリラックス出来る。
そこにいるとき少し弱まっていた雨がまた大降りになったけど、その東屋から見る雨の降る港町の景色は悪くなかった。写真はないけど、振り返ると山の中のトンネルへと伸びる電車の高架橋とその橋の下の川の水面に雨で模様が付けられるの姿も。
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先程の写真で見えていたそのトンネルの右側に登り口があって、この旅の中で一、二を争うくらいワクワクした。
そこから伸びていた道を登って、バイパスを横切り、曽根次郎坂・太郎坂。
曽根次郎・太郎という峠の名前は、昔「志摩の国」と「紀伊の国」の国境だったから「自領・他領」がなまって「次郎・太郎」になったというのが由来らしい。なるほど。なるほど。
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栗と松ぼっくり。
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大きな葉っぱ。
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楯見ヶ丘のベンチで一休み。
ちょうど正午だったからあんぱんを食べた。もちろんこしあん。
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峠の名前は甫母峠。ほうじ茶屋跡や地蔵があった。
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それから峠を下り始めたけど、まかさの本日二度目の尻もち。今回は手を捻りそうだったから怖かった。(イケイケな気分でこの亀みたいな大きな岩の上を歩いたのが原因)
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山で水が飲めそうな場所があると手を使って飲むんだけど、その後手を見てみると、恐ろしい程すべすべになってるあの現象は何なんだろう。(二枚目の死人のような白さ)
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前半は殆どベンチなかったのに後半は沢山あるっていう峠だった。下りではあまり休憩しないからありがたくない。逆から登れっていう話なんだろうけど。
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鯨石。石とは関係ないけど、そういえば二木島には鯨の供養碑があった。オーストラリア人が見たら発狂しそう。
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曽根次郎坂・太郎坂制覇。
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何かのお祭りの幟があった飛鳥神社の先でプリウスのおじちゃんが「雨なのに大変ですね」といったような言葉を掛けてくれた。
そこから少し歩いて振り返ると熊野古道→…と書かれた看板。え…?と困惑してたけど、今考えたら伊勢道を進む人間にこの道がわかるわけがない。
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それから道なりに歩いて、羽後峠・三木峠へ。気付けば尾鷲市だった。
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まずは羽後峠。羽後峠・三木峠は近年地元の人によって発掘されたらしく、自然道が何か所か寸断されてたりする。寸断されているということはその分迷いやすいということで(峠を歩いているときは基本迷わない)、まあ、案の定迷わさせていただきました。(ここで迷ったのは自業自得感強いけど)
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今考えれば馬鹿すぎるミスなんだけど、この羽後峠の矢印は階段を指しているものだと思った。下にあるのは水路だし、この階段を登った。
猪垣とかもあったし、山の中へとそのまま進み続けたけど、徐々に道がわからなくなって、それでもあまり歩く人がいない道っていうパターンがあるかもしれないし…と歩いてた。でももう道が完全にわからなくなって、というか道がなくなって、雑草をかき分けても、虫の巣に突っ込んでも、どうにもならないから、これ遭難するパターン入ってるわ…と引き返した。(無理をし続けなかったのは過去にプチ遭難した経験から。その経験がなかったら進み続けてたかもしれない)
どうしていいかわからなくなった。でも先に進まないといけない。だから世界遺産部分ではないかもしれないけど、これが平成の伊勢路だ!と言い聞かせるように、農道を歩いてトンネルを抜けたりした。それからしばらくして鹿の鳴き声が聞こえる羽後峠と三木峠の繋ぎ目のような場所に出る。
そして羽後峠の登り口を見つける。もう「………」ってな気持ちに当然なる。なにこのわかりやすさ、なにこの違い…とショックも受ける。まあこれは引き返すしかないよな…と例のごとく逆走を始める。
そこには道なき道など存在せず、迷いたくても迷えないほど綺麗に整備された峠道があった。
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結局どこで自分が間違えていたかを確かめる為に全て歩き切って、そこでその答えを知る。
あの水路みたいなのを進めば良かったらしい。あれ歩行者も歩くやつだったのか…と唖然。これを書く記事のサブタイトルは「あたしって、ほんとバカ」にするしかないなと自分で自分を嘲笑しながら、改めて伊勢へ向かう羽後峠を初めて歩いた(道中の既視感ハンパなかったのは内緒だよ。内緒)
このお馬鹿な往復に多分一時間は費やした。3時過ぎてて、まだもう一つ峠残してるし、日没が怖かった。
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三木峠へ。
早く歩き切るということしか考えてなくて、早歩きしたり、時には走ったりして峠を越えた。
鹿が近くにいて、鳴き声がかなり大きかった。きっと鹿からしたら何かがいるぞ…!とかなり警戒して、怖かったと思う。ごめんねって伝えたかったけど、伝える方法がなかった。
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この実に人工的な橋の上にある坂はロープが横に設置されていて、この坂はロープなしじゃ絶対昇り降り出来ないほど滑って大変だった。下りる方だったからまだ良かったけど。

三木峠あっという間に終了。景色を楽しむ余裕もなく、焦ってたから忍者のように走り抜けてしまった。忍者。
でもこの先も実は三木峠続いていたみたい。国道を歩き始めてからなんか山の方にまだ道がある気がしてたけど、ここにも幟はあったし、もうわけがわからない。わからない。(寸断されてて気づかなかったけどやはりまだ峠道は残っていたというオチだった)
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気付かなかったからもう残りの三木峠を歩かずに、国道を歩くことになって、そこで覆道(ロックシェッド)を通ったけど、ここはゴミの量がまあひどかった。
トンネルみたいになってるからポイ捨ての罪悪感が減るんだろうか。綺麗な道を歩いた後に見たから余計に辟易させられた。これが現実なんだけど。
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三木峠の(最初の)登り口を発見。
ここに限ったことではないんだけど、道標の伊勢まで~kmってのは、山を登ってもそんなに距離は減らない。そりゃ山だから仕方ないけど、2時間半掛けて4kmしか進んでないーwwwみたいな状況が普通にありえるから、モチベーションになりうる数字に、精神的攻撃を受けるというなかなかシュールな場面がいくつかあった。
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今日の宿がある三木里までの間にはヨコネ道という地元の方が作った「熊野新道」的な道があるんだけど、正直疲れてたしどうしようかと悩んだ。
でもせっかく作ってくれてるんだから歩くことにした。峠道とかも綺麗にしてくれてるし、キツい方が修行っぽいしという理由で。(今現実にいる自分からすると修行修行って臭すぎるだろうって感じだけど、でもこの理由があるおかげで余分に頑張れたというのは間違いない)

ヨコネ道の登り口でいきなり蜘蛛の巣にぶつかって、ここ人歩いてるよね…?と不安になるスタートだったけど、道は綺麗だった。数十分楽しませてもらった。
ただ再度鹿に申し訳ないことをした。熊野古道の鹿は屋久島の鹿とかと違って餌を人間から貰ってないから(あるべき姿だけど)、近くに人が来たらもう逃げるしかなくて、別に大きな音とか出したりはしてないんだけど、でもやっぱり驚かせちゃって胸が痛んだ。ヨコネ道で出逢った鹿は4匹くらいいて、ちょうど皆上に逃げるっていう流れが多分1匹だけ逃げるタイミングを失って、その場所を抜ける間ずっと上から下から鳴き続けてたから可哀想で仕方がなかった。
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そして三木里へ到着。憂慮していたけど日没前で良かった。宿は「民宿 油屋」
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この旅を通して最も好きになった宿の一つだった。
入った瞬間にもうめちゃくちゃ感じが良いおばあちゃん(若かったけど)が出迎えてくれた。雨合羽をかける為に物干し竿を玄関の所に設置してくれていて、お風呂もすぐに入れるようちょうど用意してくれていた。おまけに洗濯物あるだろうからカゴの中に入れといてくれたら洗って干しておくねと。
少し時間が遅れたことに、電話の声は若かったけど心配してたんですよって暖かい言葉も掛けてくれた。何から何まで親切に対応してくれた。
宿の中は古き良き日本って雰囲気。落ち着いて撮れよとぶん殴りたいぐらいぶれてて悲しいけど、いろいろと懐かしさに溢れていた。写真もっと貼りたいのに貼れないからもう泊まった人だけが味わえるよ!と伊勢路か海水浴かで三木里に泊まる人にこの宿をおすすめすることにしよう。(最初はHPがある近くの宿をチェックしてたんだけど、一人分だと割増で料金取られるからやめてここにした。良い判断だったとそのときの自分を褒めたい)
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お風呂で温まって、午後6時に夕食。はい、またブレぶっこみます。
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ご飯も本当に美味しかった。
普段少食で好き嫌いの多い自分にとっては胃袋も強制的に鍛えることになる旅だったけど、美味しいご飯を食べれるのはとても嬉しい。

ちなみに、翌日通常方向(熊野方面)に進む人にはおにぎりを握ってくれるらしい。僕はどうするかと聞かれたけど、伊勢へ進む僕は八鬼山下りたら尾鷲市街だし大丈夫です。と伝えた。頼めば握ってくれる感じだったけど、洗濯物沢山洗ってもらってたりしてたから遠慮した。
いつまでも元気でいて、ずっとこの宿が残ってほしいと心から思うようなそんな宿だった。

部屋に置いてあったみかんを食べて、歯磨きをして、最難関と言われている明日の八鬼山に備えて、三日目をおやすみ。


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