12月6日。
神湊から再開。もう冬だが、できるだけ天気が良く、暖かい日を選んだ。
伊能忠敬も種田山頭火も通った場所なら、自分も歩かないわけにはいかない。
少しだけ昭和の香りが残る町並み。
寂光堂、空壇あります、とのこと。
実は行きのバスでも通った宗像大社を経た道を歩いて引き返している。
空、雲、山、田、畑、車、電、線。
もう古墳はいいかなと桜京古墳は素通りしたが、そもそも見学はできない模様(多分)
ぽかぽか陽気ではなくても、汗をかきづらい季節というのは歩くにはありだ。寒すぎると良くないが。日を追うごとに寒すぎる日ばかりになるが。
古代豪族宗像氏と末宗氏の繋がりはわからない。宗という字、九州北部の拠点、三女神と宇佐神宮といった共通点はあるが、関係あるのかもしれないし、ないのかもしれない。
宗像大社辺津宮到着。左の大鳥居から入っていく。右の建物は(旧)祈願殿。福岡を走る車の多くに宗像大社の交通安全ステッカーが貼られているが、こちらでは祈願をしてもらえる。
宗像サニックスブルースの試合は観に行けてないままだ。コロナで潰れた試合のチケットは持っていたけど。
それなりに有名な神社なので参拝客の数もそれなりに。七五三の女の子も。
22番、宗像大社辺津宮。これで宗像大社三宮をすべて詣でた。
たまにある本殿を末社が囲んでいるタイプ。
御神木の楢の木。
高宮参道へ。
第二宮と第三宮には島にいる女神たちが祀られている。社殿は伊勢神宮から移されたもの。
社殿のない高宮祭場は三女神の三女、市杵島姫神降臨の地とされている。自然崇拝の面影を感じられる場所を、運良く他に誰もいないタイミングで過ごせた。
片方はお守りとして大切にお持ちくださいという高宮割符。
この日は木の実が落ちてくる音を何度も聞いた。リアルどんぐりころころ。
今年竣工したばかりの新祈願殿兼社務所。この新しい殿についてのテレビ特集は見た。
食べちゃったよね。
焼だんごを。みたらしで。
上を半分食べたところで、裏側に焼印があることに気付いた。遅かった。
大鳥居を寄進した麻生太吉さんは、麻生太郎元総理のひいおじいさん。
釣川を渡って鎮国寺へ。
なんだかお遍路っぽい雰囲気の山門だと感じたが、それもそのはず、開山が弘法大師空海。
歩きの参拝者用の階段は無人。駐車場の方には人がいた。
秋も終わりだね。
いや、少し残っていた。
23番、屏風山鎮国寺。真言の秘法を授かり帰国した空海がまず礼参したのが宗像大社。そして鎮国寺はかつて宗像大社の神宮寺だった。
そうした経緯もあってか、九州八十八ヶ所霊場の八十八番だったりと、重要な意味を持つお寺のよう。
境内の雰囲気もどこかお遍路の時間を思い起こさせる。お遍路も懐かしくなったな。
池に鯉がいるのは珍しくないが、金魚は珍しい。
ぼけ封じいきいき観音。
鎮国寺名物のちんこく饅頭を買って奥の院へ。
ミニ四国霊場巡りもあるらしい。巡るだけで本家と同じご利益があります系のあれだ。
小さな仏像が番号順で道に沿うように。
どうしようもなかった人生においても、自分が悪かった、選択を間違えた部分は沢山あるな、とふと思ったりしていると、
あっさり奥の院に到着。お参りを済ませる頃に30代か40代前半の女性が一人来た。
開放的ですこと。
まだミニ四国巡りは続く。すれ違ったのはお賽銭を回収しているおばあさんと、1円ずつ置いてお参りをしていたおじいさん。
修行大師像。
昨日までは冬。今日だけは秋。
そして15分程で、ミニ結願。
さようならミニ四国霊場。
ぐるっと回るだけで、一通り巡れるようになっている親切コース設計だった。ありがたや。
WILD and YOUNG。
花の寺とも呼ばれているので、桜等満開の時期に重なればさぞ美しいことだろう。
真っ赤。すべてが同時に咲くのではなくてありがとう。
ひたすら歩き続け、北にある鐘崎漁港を目指す。
心の持ちようでは、すべての道が参道であり、生きる道であり、死への道なのかもしれないと思ったり。
無犬ドッグラン。
公民館撮りがち。
素通りできない時もある。
二番目の鳥居には織幡宮と刻されていたが、右はいわゆる機織り機やミシン台を模したものだったりするのかな。見当違いかな。
24番、伊麻神社。最強のお賽銭泥棒対策としてお賽銭箱を置いていないのかもしれない。
次回縦走する山々が見えているのかも。
“ご自由にお持ち返り下さい”とのことだったので担ぎながら歩きました。
ついこの間、お遍路なんて一度も行きたいと思ったことがないと言われたけど、初めてのお寺を巡って、毎日新しい場所で野宿して、人には親切にされて、楽しくないわけがないんだよな。
虫の息の虫。さようならトンボ。次は何に転生する。
練乳を持ち込んでいちご狩りがしたい。
左の白い建物はロイヤルホテル宗像。
山へと近づいている。
集落付近以外は歩行者0で、本格的な自転車乗りが数人いた程度。車は意外と通る。
ある民家から出てきたおばあさんはしっぽを振る柴犬に対して「何もないとよ、喜んだって」と言っていた。地元のお年寄りたちとは挨拶を交わせる日だった。
こんなところにローソン+ポプラという珍しさのコラボ。
映えてるよ、PAYAN PAYAN。ピザ食べたいよ。
玄海ゆりの樹幼稚園、玄海東小学校。
自転車向けのコースが整備されているので休憩所も点々と存在する。自転車旅はしたことがないけれど、きっと楽しいんだろうな。
左手に冷蔵庫、右手に洗濯機スタイルに。
左の建物の右端に喫茶店。良すぎるなと思った。こういう喫茶店、良すぎるなと。
上八の大サルスベリ。花が咲いていないのは仕方ないが、大きさも想像より小さかった。
次回は承福寺・湯川山登山口から宗像の4つの山を縦走する予定。ここのバス停で降りるだろう。
鐘崎貝塚があったので、近くまで寄ってみるかと思ったが、そこへの道が雑草生え放題で、やっぱりやめた!と断念した。一瞬で。
上八ロータリー。
攻めてるな、いろいろと。ビューティフル、美人いっぱい。
かーもめ…かーもめ…。
海面が眩しい!
このまま港の方に向かってもよかったが、さつき松原のベンチで少し休憩することにした。
海鮮料理でも食べたかったけれど、15時で閉まるのにもう30分ほどしかないし、団子のせいかそこまでお腹が減っているわけでもなかったので、食事は諦めた。ちょっと残念だけど、帰ってちんこく饅頭でも食べるとしよう。
左の島は前回行った大島。
上皇陛下の御製碑。揮毫は今は亡き、前福岡県知事の小川洋氏。
黒アワビとは関係ないが、この碑に寄せて、この日に寄せて、詠もう。
国や人祈れば陰も日を忘る独法師や粗衣の実相
おいでなっせ鐘崎。漁港を抜けた岬にある織幡神社へ。
漁業関係者の共同倉庫が立ち並んでいた。
右の立派な建物は地区のコミュニティセンターらしい。
あき缶捨てたらいかんバイ。
The 港町。猫は少なかったが。
写真には収めていないが、既に正月のしめ飾りを玄関に飾っている民家が少なくなかった。
神社が目に見えた瞬間に「ああ、ここか、来たことあった」と、地図上の神社名では思い出せなかった記憶がよみがえった。
御祭神は武内宿祢等七柱。~~として祈った時代もあったと思われますし、という自信なさげな文章が象徴するように、諸説はあるらしい。
各地に残る沈鐘伝説の伝承地で、地名の由来にもなっている。鐘ノ岬。
25番、織幡神社。
境内にはイヌマキ天然林も。
東を見れば芦屋町、その先には北九州が見える。いよいよ北九州が目に入る位置まで来たようだ。
海女の像。潜水の技術に優れた鐘崎海女は西日本の海女発祥地とのこと。西のあまちゃんだ。
鳥居をまたくぐり、織幡神社の境内から出ると歩きのログは切って、帰りの道へ。
今日は(それなりに)盛んなバス停が近くにあるので帰りの手段には困らない。近くといっても1kmは歩くが。
七田さんがどなたかは存じ上げないが、地元の有力者や貢献者の碑ってぼちぼちあるよね。
鐘崎車庫バス停に発車前5分のバスを発見。
だがマップを見て気になっていた菓子処さかしたへ寄った。間に合うかな…近くだし大丈夫だよね…と不安になりながらも、プリンやいちご大福等を買ったが、対応してくれたおばあさんの手付きがゆったりすぎて、かなり焦った。
正確に言えば、間に合わなかった。バスが扉を閉め、発車するタイミングだったから。でもダッシュをしながら手を挙げると運転手の男性が気付いてくれて、すみませーん!と言いながら一人だけの乗客として乗り込んだ。
しかし素晴らしかったのはここから。
玄海東小学校近くのバス停で小学生が3人乗り込んできたかと思ったら、
女子小学生「まってくださーーい!もうひとりきます!」
良い声のバス運転手「待てませんよ、他のお客様もいるからご迷惑になるでしょ?次のに乗って?」
JS「でも2年生がちかくにいますので!!!」
運転手「あの子?」
JS「あの子です!」
JS「いそいでー!!!!ほかのおきゃくさまもいるからー!!!!!!」
と大声で呼んでて、結局運転手は待ってあげたし、明日3人で一緒に後ろ乗ろ?しんたろうさんも乗りたい?とか会話してるし、定期の音ピヨピヨ鳴るし、降りたらバスに向かって手振るし、もうなんか最高だなと。
いつまでも待ってあげたいと思ったし、今まで歩いてきたのは今日のこの瞬間のためだったんじゃないかとさえ思えた。
時間がループするしかないならこのバスでの時間をループしたい、この子どもたちがライ麦畑から落ちそうになったならキャッチャーになってあげたいとも。(キャッチャーの和訳難しい)
ってな感じで6日目終了です。帰りはまた東郷駅を利用したが、東郷駅から帰るのも今回が最後。
次回は登山。いつ登るのか。今はまだわからない。決めてない。