サンティアゴ巡礼 -フランス人の道- Day 3

4月14日。
寝袋は広げてこそいたがブランケットしか使わなかった。少し体を動かすだけでベッドが軋んで、それなりに大きな音が鳴るので寝返りを打つのが気になった。これはアレックスも予想外に違いない。
3時半に目が覚めてからそれからはもう眠れなかった。右足親指の側面(内側)にも少しマメができているのを見つけた。
洗濯物の完全には乾ききっていないものは外に出しておけばよかったと思った。部屋内に干しておくスペースはあまりないということもあり、ほとんど昨晩の荷造りで詰めてしまっていた。

混むのも嫌だし5時頃に1階の方のバスルームに行った。自動消灯はこちらも同じだが、2階よりも消える間隔が早い。バスルームの中にいる間に、センサー式のライトを再点灯させるのが上手くなってしまった。
やっぱり髭を剃っておこうと部屋を往復する際には、極限レベルにそーっと、泥棒よりも静かに移動した。それからまた化粧水等を取りに行っていたら、時間は6時になった。

朝食は6時からなのでダイニング(またはサロン)にはまだ誰もいなくて、とりあえず電気をつけて、喉が乾いていたので、コップを出して、冷蔵庫から取り出したオレンジジュースを1.5杯飲んだ。テーブルの上にはこのようにパンとリンゴが用意されていた。

冷蔵庫にはジャムやヨーグルトなど。

ケトルちゃん。聞いたことがないようなエグい音がしてきて慌てて止めたけど、まだ温め足りなかった。おかげで自分の入れた紅茶はぬるくて美味しくなかった。

なぜか撮っていた注意書き。ちなみにアレックスは朝は来ないらしい。(だから昨晩、朝食の支払いは今日の間にしといてねと頼まれていた)

パンやビスケット等。なんだかあれもこれも撮って品がないけど、興味ある人もいるかなってことでね。

正直この朝食スタイルなら自分で全部用意して進められるので、6時半に出発するのも無理じゃなかったなと思った。

マフィンかじり虫に遭遇して食べかけ写真で申し訳ないけど。フランスパンは当然硬かったが、確かトースターはなかったので仕方ない。

2階の部屋からはほとんど物音がしなかったけど、しばらくするとスウェーデン夫婦が同じように朝食を食べに来た。自分がテーブルに出していたオレンジジュースを飲んでいた。
自分が一人でいるときにジェニファーがリンゴを一つ返していたけど、多分あれは、誰もいないときにテーブルの上にリンゴ見つけちゃって貰ったものの、朝食の代金を支払ってないし、このリンゴを貰う資格がないのではと、良心の呵責に耐えられなくなったのではないかと予想した。真意はわからないが。

朝食を食べ終え2階に上がると、フロアの誰かがバスルームを使っている音がした。起きていたそのこちゃんは1階へと下りた。朝食を食べに行ったのかな。
でも他の2人はまだ起きていない。みんなに早く起きてほしい。荷物を弄りたいし。
ふとインスタを見たらリーが昨晩食べたであろう美味しそうな肉の写真をアップしていた。

6時半に戻ってきたそのこちゃんは目を合わすこともなくそのままベッドの上に戻った。その後、眼鏡が落ちてきたので拾って渡すと、死ぬほど腹が痛いから出発遅くするかもしれませんと言われた。チェックアウトは9時半までだから、体調が良くなるのをギリギリまで待つから、先に行っていてくださいと。宿を予約しているパンプローナまでは行けると思うとのことだった。
昨晩食べ過ぎたと言っていたし、実際に苦しそうで、大丈夫だろうかと心配になる。

これはロザンカから教えられたという今日の宿の情報をそのこちゃんがメモしたもの。ここで待っていれば彼女も来るだろう。念のためと連絡先も教えてもらった。

ゆっくり準備していたけど、やはりそのこちゃんの体調はすぐには良くなりそうにないみたいなので、先に行くことにした。ロザンカも心配そうにしていたが、既に出発した。
1階で水を汲んでいたときにはスパニッシュグループが朝食を取っていて挨拶をした。明るくて元気が出る。

バスルームの数自体はそれぞれの階に1つずつだし、バスもトイレも一緒だし、洗面台に物を置くスペースがなかったりするから評価は満点ではないけど、悪くはないアルベルゲだった。新しくて綺麗だし。

出発したのは8時50分。起きた時間から考えれば遅すぎるが、まあそんな日もあるだろう。

複数の大工がこの工事中の現場の中で既に働いていた。

なぜかはわからないが、この日の出発以降のメモが途中までほとんど消えてしまっているので、詳細には書けない。写真は生き残っているのでそれを中心に。

この地図を見ていたおっちゃんに挨拶したが、自分に気付かなかったのか無反応だった。

出会う巡礼者や地元の人と挨拶をしながら昨日渡った橋まで戻ってきた。この橋を昨日とは逆側に渡り、元の道へと戻る。

原付のお兄ちゃんとすれ違ったんだけど、橋の真ん中で多分エンストしていた。

今日も今日とてサンティアゴ巡礼。

22.8km。大した距離じゃない、頑張ろう。

まだ朝霧が残る町に別れを告げる。さよならZubiri。

The King Of Bushes.

餌に顔を突っ込んでるせいで何の動物かわかりづらい。

この白い花の木が並木道のように、道の両端に咲いている光景を何度も見た。すべてを貼ることはできないけれど、どれも美しかった。

豪華な橋だ。


地図上で見るとマグネサイトの文字がある場所だが、歩いている最中は鉱業の現場とはわからなかった。

要は工業用のエリアだから道を外れるなよ、という注意書き。

さよなら工場。

ホップ・ステップ・ジャンプでは危険なので慎重に渡ります。

多分乾かすためにバッグに吊らしながら歩いていたけど、落ちたのに気付かずそのまま放置されている靴下。まだ綺麗だから、死後そんなに経過していないと予想。

気温はそう暑くなくても、歩いていれば体は温まるから、腕捲りをすることもある。

野鳥について。

元のメモがない状態で書いてて感じたことだけど、一人で歩いている最中に書くことってそんなにない()

そうして黙々と歩いて新たな集落に着いた。

すべての巡礼者はまずこの馬たちを見ることになるだろう。

ストレッチをする男性。

休憩する場所も水場もあったけど、まだ疲れていないし、水も減っていないので、そのまま進んだ。


ひたすら歩く。


満開ではない木のこと。

ここを左折。


放牧された羊たち。のどかだ。

この村には10時前に到着した。

お、アヒルっぽいのがいると思っていたら、自分から近づいてきて可愛かった。

確かこのときは、村から離れても集落の犬の遠吠えが聞こえ続けていた。



バスク州へようこそ。日本語もあったなら「文化を体感してね」とでも書かれていただろうか。

4人くらいの人が立ち止まっている。何をしているんだろう。

カメラを回して撮影をしていた。以前にも会ったハーフパンツのおっちゃんがインタビューを受けていて、その横を素通りしたんだけど、カメラの方向的に写らない場所を選んで歩いていたのに、カメラを意図的に少し動かされて写されたような気がしなくもない。

でも気にすることじゃないので歩いて行く。

この辺りはとても美しい道だった。


でも水溜りは要らない…。


いや、怖いわ。

次の集落には城のような建物が見えた。

でも特に用事があるわけではないので、ここもそのまま過ぎ去って行く。



水が流れているのです実は。

11時ちょうどの写真。川沿いへと下りていく。


この光景から想像するに、川が増水して流木が歩道まで押し上げられたんだと思う。いったいどれだけの豪雨だったんだ。

上の写真だけでなく、いくつもの箇所でこうした流木が見られた。

なぜか自分はこのとき謎のパンプローナの歌を自作して口ずさんでいたけど。

華奢で可愛い石橋だ。

ようやく通常の道に戻った。

未だにこの水量なのはこの川が簡単に氾濫するような川だからなのかもしれないし、先日までの雨が驚異的だったのかもしれない。だが今の時期は山からの雪解け水なんかも影響するだろうから、水位が高くなりやすい時期ではあると思う。


この晴れの天気にふさわしい道になってきた。

あの案内を右だなと思っていたら、人の話し声が聞こえてきた。

巡礼者たちが集まっているのが橋から見えた。バーでもあるようだ。

これだけ人がいると寄りたくなっちゃう。休憩することにした。

猫。

かなり人馴れしてるというか、愛嬌良く振る舞っていたら何かくれるというのを知っているのかも。チェアに自分から乗っていたし。

とりあえず空いている席を見つけて、店内に入ったんだけど、カウンターには店員の姿がなかったのでトイレだけ借りた。何か頼むつもりだったんだけど、しゃーないよね。
そして謎の自撮り。帽子被ってたから髪がすごくアホっぽい。

空いている席があまりなくて、一番奥の木製のベンチに腰掛けた。眼の前にいるのは初日から見かけるアメリカ女子たち。
お昼だったし少し食べることにした。でもピントが合っていない。

この休憩時間で靴も靴下も脱いで足を乾かした。それからまたワセリンを塗った。

このマップだけでパンプローナが大きな街だというのがわかる。

そのパンプローナという街を見ていたら発見したヤマグチ公園。
行きはしなかったが、ナバラ州の守護聖人がフランシスコ・ザビエルで、ザビエルが山口でも宣教活動を行った縁から、パンプローナと山口市が姉妹都市提携を結んでいるらしく、この場所には日本庭園がある。東屋やサクラなども見ることができるみたい。

離れていてわかりづらいが、写真中央の男性は大道芸みたいなことをしていて周りの人から拍手されていた。名前はマイケルだったかな。そういうことをしながら旅を続けているのだろう。

猫だけでなくニワトリもうろついてるっていう。落ちた食べ物を探していた。猫のような愛嬌はない。

聞き覚えのある声が聞こえてきて、もしや…と思ったら、やはりベネズエラの彼だった。でも彼単独で歩いていて、グループはスプレッド(解散)したらしい。
「あの女の子の名前なんだっけ?」「そのこ?」「そう!そのこだ!彼女を抜いたよ」と言っていた。どのくらい前に抜いたのか等聞きたかったんだけど、(人を)待たせてるからごめんと話はそこで終わった。
積極的にいろんな人に話しかけているみたいなので仲間を見つけるのも早いのだろう。
バンダナを巻いていたり、ベストみたいなのを着ていたり、格好はいかにもオッチャンっぽいけど、いろいろとエネルギッシュで凄そうだ。40代だとは思うが若々しさに溢れている。

日向の席だったので強い日差しを受けていて、休憩時間も帽子を被ったりもしたけど、1時間半という長時間の休みでリフレッシュはできた。
でも小指裏と肩が痛む。今回は何の問題も起こらないと思っていたら、それは今日だった。
12時53分に再スタートした。雨の心配はもう無さそうなのでレインカバーは外した。

動物たちともお別れ。

どうにも眩しくて、この旅初めてサングラスをしたが、鮮明に景色が見えてテンションが上がった。実はこの旅に向けて新調した偏光サングラス。えへっ。

この道は自転車が多くて、その中でも寝そべったような姿勢で乗る自転車(リカンベント)がめちゃくちゃ早くて驚いた。

貝殻は鳴らないし、車はそれなりに通るけど、気持ちいい。心地よい風も吹いている。

ここで国道から左に逸れた。

美しい。


このグループはロッククライミングをしていた。

歩き続ける。


完全に晴れていたので暑かった。 


少年と犬。他には小さな娘そっちのけでキスをし続ける若い夫婦もいた。Holaは少年からもその夫婦からも返ってきた。

清掃でも終えたのか教会から出てきたおばちゃん2人に挨拶をしたが、聞こえなかった可能性もなくはないが、無視をされた。日本ならありえないよなと当然思った。神社やお寺から出る人なら特に。
西洋人にとってキリスト教とは何なのだろうと考えさせられた。正しくあるための教えというよりは、救いのためとか、結構自己本位なのかな。形式的にしょうがなく残っている感じなのかもしれない。
まあ、また韓国人かと思われている可能性もあるけど。

ゴミ箱。

右の道を進む。

元から使われていた道なのだろうが、人一人分がぎりぎり通れるような細さで、両端の木々も内側へと垂れていたりと歩きにくい道だった。

後に合流する保証はないが、下の方が歩きやすそう。この写真を撮ったのは珍しく公衆トイレを見つけたから。

自転車の後ろにベビーカーを繋いでいるのを初めて見た。そんな器具があるとは知らなかったし、そこまでしてやる必要があるのか…とも思わずにはいられなかったが。

娘がサッカーボールを持った5人家族もいて、父親からHolaが返ってきた。そうか今日は土曜日か。
道は泥々の細道になってしまって、下の道を通れば良かったと強く思った。ついさっきまでは靴もそんなに汚れていなかったのに。

アーメン。

先程の教会前のことを思い出したあとに考えた。遍路を振り返っても、時間が経って美化されている部分もあるだろうと。
日本でだって大多数が無関心だった。だから一部のそっけないこの地域の人たち(もしくはこれからも状況は同じならばスペイン人)を高松市民と同じと思おうか。まあどちらにしろ、挨拶が返ってくるかなんて運だ。こっちが歩かせてもらってるんだから不満を抱えるのは違う。今なんて自分はサングラスをかけたアジア人なわけだし。


この古いベンチでパーカーを脱いで、水を飲むだけというショートショートブレイクを取った。

パンプローナまで8.1km。まだまだだ。そして今日は3日目で、先は驚くほど長い。

すれ違うおばあちゃんと挨拶。地元の人かな。


時々歩いてきた道を振り返る。もう二度と歩かないかもしれない異国の道が名残惜しくて。

今日はゴミ箱や公衆トイレをよく見かける。これからも同じようにあったら助かるな。   

この家族連れも挨拶は返ってこなかった。うん、世界中の人が素晴らしいと褒め称える日本人と比べるのは良くないな。

登り。

景色を楽しもう 。

丘の上から振り返ると、後ろを歩いて来ている人たちの姿が見える。

緑と白と青。

下りは貝殻の音が聞こえる。

写真にちらっと写っている年配の夫婦とこの先で少し会話をした。奥さんの方と美しい景色ですねと話していたら、旦那さんが天気もBeautifulだよと。時間を掛けて(この旅を)楽しんでるよとも言っていて、素敵な夫婦だなと思った。
残念ながら自分は日本語と英語しか話せないので、会話が基本通じない地元民より巡礼者と話すしかない。うん、やっぱり巡礼者だな。遍路には変なお遍路さんがいたけど。

宗教は置いておいて、自分は巡礼者なのだ。
でも教会を回るわけじゃないから宗教感が薄いなと感じる。宿回りでは信仰心は感じられない。コミニケーションの旅だ。

アメリカ女子たちを追い抜いた。Hiやブエンカミーノというお馴染みのやり取りをしたがどちらも笑顔だった。そして二人ともかなり薄着になっていた。暑いもんなあ。

建物が増えてきた。あの先だろうか。

突然おっちゃんが現れて、Holaと真っ先に挨拶された。露天でコーラ等の飲み物やオレンジを売っていたけど、どう考えても冷えていないので、お腹いっぱい…みたいなジェスチャーをしてそのまま去った。

どんだけ泥濘んでるんだ。

ロシア語っぽい言語を話す2人の男性がいた。

濡れずには通れないトンネル。この写真を見るとかなり汚いな。


イヤホンで音楽を聴きながら散歩をする美女がいて、すれ違うときに声無しHolaを交わした。犬を散歩する男性はHolaのあとに何か言っていた。さっきのおばあちゃんも同じことを言っていたはず。なんて言ってるんだろう。
…と疑問だったけど、Holaの後は多分、Buenos díasかBuenas tardesだったと今は思う。日本語でいうところの「どうも、おはようございます(こんにちは)」のどうもの部分がHolaで、その後に続く言葉を言ってくれていた気がする。

独立運動の匂いを感じさせる落書き。This Is NOT SPAINのNOTが消されて、その後にまたNOTが書き足されている。

また犬さん。リードをつけられていない方がお利口なのかな。

この日、帽子やバックパックに日の丸やNARUTOとか人気アニメの何かを貼っていたら反応ありそうだなーとふと思った。

巣箱。

荒んでいる。ちょっとした戦争だ。カタルーニャだけでは収まらないのかもな。

散歩美女が戻ってきた。条件は違うが、歩行速度が早い。
頭の中心がハゲてる中年男性も散歩していてすれ違ったが、前の白人巡礼者2人には反応していたのに、こちらは向こうとしないというか、わざとそっぽを向いていた気がする。でも美女はチャオ的なアクションをこっちにだけしてくれた。よくわからん。

その先にいた男女は女性がベリショで、男性はイタリアっぽかった。女性の方がサンダルで歩いていて、右手に持った靴は乾かしていたんだろうけど、勢いで大丈夫?と聞いちゃって、It’s OK. Thank youと。

石橋。

今振り返れば迷うような道ではないと思うが、このときはどちらにもカミーノマークがあるしわからない…と悩んでしまって、近くにいた地元少年に、こっちの道(真っ直ぐ)でパンプローナに行ける?って感じで聞いたら、た、た、多分…というような反応だった。


この案内板のパンプローナまで真っ直ぐという矢印を見て、直進することに決めた。

でも歩いていると、これ間違えているかも…自転車の道な気がする…と不安になってきた。でも野生のリスを見つけたからいいやと気を紛らわしつつ歩いた。

うーん、完全に間違っている。矢印が一個もないと思っていたら、橋の前でこのマークを見つけた。
アルベルゲを発見(石橋のとこでそう書かれていたから当然だけど)。

橋を渡った先のベンチに老夫婦巡礼者もいて、そちらを見ていたら旦那さんが手を上げてくれた。せっかくだから自分もベンチに座って、靴紐を緩めて休憩することにした。宿は確保しているし焦ることはない。スマホの電池もかなり減っているので充電しよう。

休憩が終わったら聖堂のような建物の方に行こうか。 多分正しい道はあちらだ。巡礼者の姿もたまに見える。

犬を散歩する人は多いが、糞を持ち帰る文化がないっぽくて、様々な場所に糞が放置されていてハエがいたりするのは残念。

こ、これは糞じゃないよ。

15時で17kmに届かないくらい。宿は予約しているにしても17時までには着きたいな。いや、もっと早くに着くべきか。

自分が来た橋からアメリカ女子たちも来た。アルベルゲに行ったのかもしれない。地図を見ながら歩いているおっちゃん巡礼者も来たし、他にも何人かこちら側から来ていた。結構間違うんだこの道は。
誰が通るかなと向こう側の聖堂側の道を見ていると、もののけ姫のシシ神のシーンみたいだなと思った。
アメリカ女子たちがぐるっと回ったのか、また戻ってきてこちら側の道から先へと進んだ。

ディエゴ・フォルラン似の地元の男性が自分の前を通り過ぎた頃に再出発することにした。自分はやはり奥の道を行こう。


教会に行きたかったけれど靴が汚いからやめた(そもそも開いてなかったかもしれないが)。

こちら側もこれといったマークはないけど前を歩いてる巡礼者はいる。

17度には感じられないのは日差しがとても強いから。

バス停の屋根下で前を歩いていた南米っぽいノリの夫婦が何かを食べていた。声を掛け合うと安心する。矢印もあった。

この街も面白いな。道を譲ってくれるドライバーさんグラシアス。挨拶もだいぶ返ってくる。無視は老人のが多いかな。黒人の若い男のグループとすれ違ったが、申し訳ないけど黒人は極少数しかいないので少し警戒した。

先程の夫婦の歩行速度が結構速くてなかなか離れない(すぐ後ろを誰かが歩いているのは好きじゃない)。どんだけ写真撮るんだと思われてそうだが、でも撮りたくなる。
落ち着かないから、写真をしっかり立ち止まって撮ったりして速度を緩めて抜かさせたが、彼らはスーパーに寄ったのでまた自分が先を歩く形になった。

巡礼路の途中で大きな街に入ると目印が少なくなる現象は間違いなくあると思うが、このブルラダという街は点字ブロックのように地面にカミーノマークがあるので助かる。パンプローナにもあるのだろうか。


街を抜けたかな。

ベンチで腰掛けていたおばあちゃんと話すことになった。オーストラリアから来た72歳で、64歳の時に2000kmは歩いてカミーノを制覇したらしい。今回は60日予定らしいが、素直に脱帽だ。お腹もぽっこりなのに。
あなたはどこまで行くの?と聞かれて、サンティアゴがゴールと答えたら、サンティアゴの先(多分地の果てと呼ばれている場所)にも行くべきよと言われた。とても美しい場所だからと。

おばあちゃんと話しながら一緒に歩いていたので、後ろの夫婦がすぐに合流した。彼らはギリシャ人夫婦で、底抜けに陽気で楽しかった。
この道は好きかい?と聞かれて、好きだよと答えるとハイタッチしたり。うん、やたらとハイタッチしてくる男性だった。彼は39歳で、奥さんはヴィクトリア・ベッカムみたいなクール系。年齢は25歳と答えると、じゃあ君は走らないと!!みたいな動きをするので笑った。ギリシャからは僕ら2人しかいないよとも言っていた。
何もかも良い感じだけど、1つ問題があるとすれば貝殻がないことだと彼が言っていたので、海で手に入れるの?と聞いたらYes!と。  

今度は橋を渡ります。

ギリシア男性はこのスパイシーなお菓子を、ほら取りな!といった感じでくれていたんだけど、最後は袋ごとくれた。エナジーだ!って。


橋を渡った先に分かれ道があり、左側の道の先に宿があるというおばあちゃんと別れた。ハグをして別れたんだけど、ギリシア夫婦のあとに最後自分に回ってきて、その際にハグのチュッってするやつ慣れてないことバレて、あなたが(ハグに)馴染みがないことは知ってるわよ!とおばあちゃんに笑われた。

ギリシャ夫婦と一緒に城への道を上がった。今日のゴールは目前だ。 

城門前にいた女の子と小声で挨拶。


城塞都市といった造りのパンプローナはもう衝撃クラスに人・人・人・人だらけで、賑やかとかを超えて、何が起こってるんだ…と戸惑いしかなかった。

自分は予約している宿があって、彼らはこれから宿を探すということで、この広場のような場所でギリシャ夫婦と別れた。 

それから今朝メモの写真を撮っていたアルベルゲを探そうとしたけど、カミーノマークを見て歩いても全然見当たらなかった。
街が広すぎるし、混雑しているし、どうしたもんか…と困っていたら、バーに集まってビールを飲んでいる20代の若者たちにヘイ!写真撮ろうか?といきなり話しかけられて、おふざけ番長みたいなのと、イケメンのサッカー選手(鹿島にいたレオナルド似)っぽい男子2人が前にいたので、写真はいいからここ探してるんだけどわかる?とメモを見せながら聞いたら、番長がグーグルマップを使って調べてくれた。
2人とも英語が得意じゃないから、英語がパーフェクトだという女の子も現れて(いやパーフェクトなんかじゃないし!みたいな反応だったけど)みんなで説明してくれた。そこの通りをずっと右に進めば良いと。
グラシアスとお礼を言ったら、番長が「バスクではグラシアスじゃなくて、エシケリク アシコ(あやふや)って言うんだぜ」と教えてくれたので、改めて言葉を変えてお礼を言って、握手をして別れた。
どこから?みたいなも話もしたけど、会話中はさっき食べたスパイシーなお菓子の匂いがしてないか気になっていた。
恩を仇で返すようで心苦しかったけど、道を曲がって彼らから自分の姿が見えなくなった後にすぐに荷物を確認した。本当にごめん。そのときは取り出しやすいように財布をバッグパックの上ポケットに入れていたから。

でもせっかく道を教えてもらったのに、入り組んだ分かれ道が多くて再び迷ってしまった。
うーん、どうしようとまた悩んでいたら、教会の前で自分を見ている10人くらいのグループがいて、もう一回確かめるかと近づくと、さっきよりずっと若い中学生くらいのグループで、更に英語での会話は困難になった。
おちゃらけ担当みたいな子が、ふざけて適当な道を教えているのか周りが笑っていて、これは良くないと思ったけど、そのグループの中で1番左端にいた少年が1人だけ真面目に、丁寧に、(拙い英語でも)一生懸命に教えてくれていて、その子の誠実そうな眼差し、喋り方から、絶対にこの子は嘘はついていないと確信して、その子の話ばかりを聞いた。

少年の説明通りに行くと探していたアルベルゲはあった。まさかの街の入り口付近で、先程素通りしていた場所に。

入り口の張り紙はフルになっているけど、まあ予約してるしと、インターホンを押した。

男性が出て、最初スペイン語で対応されたが、徐々に適当な英語で話してくれるようになって、しばらく待っていたら扉が開いておっちゃんが現れた。
驚く展開になった。なんと、もう泊まれないと言われた。え…、予約してたはずだよと言っても、でも時間がダメ、タイムオーバーだというようなジェスチャー。もう他の客を入れてしまったからベッドは残っていないと。え…、いやいやいや…4時半やんまだ…何のための予約だよ…。
宿の中にはあの韓国人家族がいた。3人以外の他の韓国人もいて、6,7人はいたかもしれない。おお!ってな感じで笑顔だった。でも自分は絶賛パニック中。
もうこの宿ではどうすることもできないようなので、他のアルベルゲを紹介してもらった。宿の名前だけを口頭で言われたけど、わけがわかんないから紙に書いてくれと頼んだら簡易的な地図も描いてくれた。
でもまさかこんな事態になるとは。自分だけでなく、後ろから来るそのこちゃんも泊まれないということだ。
中にいるであろうロザンカを呼んでくれと言ったら程なくして来た。とても申し訳なさそうな表情だった。後であなたたちのホテルに行くからと。

ここからはもう嵐のように時が過ぎ去っていったので、写真もほとんどない。本当に混乱していた。

とりあえず描いて貰った地図を見ながら探してるいると、青い服をいつも着ているあの韓国のおっちゃんがいて、(SIMカード持ちでネットが使える)彼が一緒に探してくれることになった。なんて優しいんだ!
賑わいがすごいねと自分が言うと、この街は毎日がフェスティバルみたいなんだと彼は言っていた。来たことあるの?と聞いたら、来たことはなかったけど本で読んだって。
そろそろ目的の宿付近というところで、2人の男女がアルベルゲの名前を疑問系で叫んでいて、そこから大型のアルベルゲへと案内された。(先程の宿のおっちゃんが連絡してくれたのかもしれない)
韓国のおっちゃんは5ヶ月前に他の宿を予約したと話していた。準備がとても入念だ。とりあえず、本当にありがとう。カムサハムニダとお礼を言った。

フロントは英語なんて一切話す気のない太って早口のおばちゃんだったが、ベネズエラの彼もちょうど到着したところで、スペイン語の通訳をしてくれて非常に助かった。
事情を説明した。そして、ここもフルになってしまったらそのこちゃんはもっと困るだろうから、彼女の分も予約しようとしたが、それには前払いが必要だということで彼女の分も先に支払った。(大型の宿だからもしかしたら埋まらないのでは?という考えもあったが、ベネズエラの彼に推される形で2人分のベッドを確保した)
しかし通訳してくれる人がいたからいいが、スペイン語とか全然わかんないぞ、この先大丈夫だろうか。スペイン語を話せる巡礼者はそう多くないみたいだから、このような(言ってしまえばぶっきらぼうな)対応をするフロントがいるのは意外だった。

そのこちゃんの分の枕とベッドのシーツも持って、ベネズエラの彼と一緒にベッドがあるフロアまで上がることになったが、あまりに急いでいたのと、荷物を担ぐのを待たせるのが悪いから、(財布は持っているから)大きな荷物はフロント近くに置いていくよと言ったら「ここはビッグシティだ、持ってあがりな」と言われた。盗難のリスクも頭に浮かばないほど冷静じゃなかった。
途中また韓国のおっちゃんがいて、リーたちもここだよ!と教えてくれたけど、でもベネズエラの彼に着いて移動していたのであまり絡めなかった。

大型のアルベルゲらしく、簡易的に3つの2段ベッドごとに区切りこそあるが、実質吹き抜けのような場所だ。
ベッドの隣はベネズエラの彼で、奥にはスウェーデン夫婦がいた。奥さんは今朝までは冷たい感じだったのになんだか笑顔で再会を喜んでくれている感じだった(と思っていたが多分見た目が似ているだけで別の夫婦だった)

そのこちゃんと入れ違いになってしまうというのが最悪なパターンなので走るような形で移動した。途中数百メートルの大行進みたいな群衆に遭遇して、その流れに逆らいながら、無数の人をかき分けながら急いだ。
街の入り口付近に用意されていたバンドのステージ。機材をセッティングしているが、これから演奏が行われるのだろうか。もう終わった可能性もあるが。

先程自分も通ってきた城下の道であのフランス女性(名前はデリアン)に会った。四国の話をそのこから聞いたよと。You mean pilgrimage?と聞くと、Yesとのことだったので、要はそのこちゃんから自分が遍路を歩いたという話を聞いたのだろう。
カミーノに行って四国へ行く人もいれば、四国に行ってからカミーノに行く人もいるよと教えた。彼女は次は四国に行きたいわと言った。日本通だもんな。きっとあなたなら踏破できるよと伝えた。交流はカミーノほどできるとは思えないが、日本語を学びたいって言ってたし大丈夫だろう。
現在のドタバタの事情も説明した。デリアン曰く、彼女はこれから来ると思うけど、多分その宿にも泊まれないわと。いや、もう彼女の分も予約してるから、だから彼女を待たなきゃいけないんだ。橋の辺りで待つことにするよと教えた。

17時20分頃から待ち始めた。うん、助け合いだ。

オーストラリアのおばあちゃんと別れた場所で待つことにした。パンプローナに来る巡礼者は絶対にこの石橋を渡って来るはずだから。

5分後に、親子、もしくは祖母と孫というような2人組の女性の若い方に、(手を使いながら)このくらいの背の小さな日本人の女の子見た?と聞いたが、答えはノー。私たち道に迷ったの、この先どう行けばいい?と逆に質問されたので、要塞(砦)の中のあるような街への道を教えた。
何やってんだこいつと思われるだろうが、もう恥ずかしさを捨てて、なりふり構わず、日本人、いや、アジアンの小さな女の子を見なかったか?と尋ね続けるしかない。

橋を渡ってみた。老若男女が街の方へと行ったり帰ったりしている。テレビ電話中のスマホ画面に向かってキスをする女子など様々な人が。
ここに来る前にロザンカに声を掛けるべきだった。迷ったけれど入れ違いの方がもっと怖かったからこちら側を優先した。
橋を今度は逆側へと渡って元の場所に戻った。韓国人男子2人が来て聞いてみたが彼らもノーと(今思えばこの2人は後で知り合うことになる)。パンプローナへの道を迷ってるのかと思って、あっちだよと教えたら、いや、こっち側に行くということで、ただのお節介になってしまった。まあ、ここは分かれ道なので仕方ない。
他の人たちにも聞いたがみんな答えはノーだった。ってことから考えられる状況は…。いや、でも、質問した人たちの歩くペースがわからないから、追い抜いたけど存在に気付かなかったのか、前後でほぼ同じペースだったから出会うことなく進んで来たのかがわからない。
お互いにWi-Fi依存で連絡取りようがないので、やっぱり途中の村で止まりましたとなると詰んでしまう。でもその場合は連絡が来ているだろう。Wi-Fiは宿に戻れば使えるわけだからそこは問題なさそうだが、彼女がまだ歩いていたらまったく無意味だ。

とりあえずしばらく待ってみよう。
予約していたアルベルゲ自体は城の入り口付近にあるが、街のクスリとも笑えない状況だし、一度でも宿を通り過ぎてしまったら探すのは大変だ。

疲れてはいるけど、でも別に嫌な気分じゃない。みんなが自分を助けてくれるのに、自分だけ誰かを助けないというのはありえないだろう。
それにこの手の旅にはハプニングは付き物。同じ国から来ている背も小さな女の子が間違いなく困るわけだから、助けない以外の選択肢はない。特に今日なんて彼女の体調が悪いのはわかっているわけだから。

ベンチに座っていると、隣に犬を連れたおっちゃんが来て挨拶をした。ちょっと危ない人か…?と不安になるくらい犬に話しかけていた。

18時、日陰にいるのが寒くなって、おっちゃんと犬にバイバイして橋の真ん中へ行った。日向は暖かい。

でも既に1時間半以上は待っているのに、なかなか来ない。だから更に進んでカミーノの道を奥まで確認して、確実に追い越されないこと確認してからロザンカがいる元々予約していたアルベルゲへ向かった。彼女も絶対に心配してるはずだから。

早歩きで移動した。遍路ならこの手の行為はご利益が〜とかいやらしいことを無理やり考えてモチベーションにできるけど、これはね、ないよね。ただ自分の心に従い、すべきと思ったことをするだけ。
城を登っていくとバンドのリハーサル音が聞こえた。このときはまだ開始していないが、多分7時からライブスタートだった。

少し迷ったが、またインターホンを押した。向こうが勝手にキャンセルしたんだからいいだろうと。また同じオスピタレロのおっちゃんが出て、ロザンカを呼んでと言ったら、ロザンカ?と言った後にスペイン語で何かぶつぶつと呟いた後にガチャっと切られた。え…切られて、もう出てこないのか…?と思ったが、しばらくして扉が開いて、なんだまたお前かみたいな反応だった。(人によってはFワードを吐かれてそうな太ったおっさん主人)
ベッドまで案内されたが、しかし肝心のロザンカがいなかった。横向きのカプセルホテルみたいな作りだったんだけど、そのロザンカのベッドのカーテンは開いたままなのに、本人の姿はなし。それを見て、おっちゃんは多分シャワーだろうと。
入り口付近のソファやテーブルがあるエリアを指され、ここで待ってていいと言われた。多少の申し訳なさはあるのだろうか。

その場所には韓国グループがいたけど誰も英語ができない様子。最年少は30代か20代後半くらいの女性がいるんだけど、その人を含めても簡単な単語さえも無理そう。
先程自分が話していたブルガリア女性は外に出たか、まだこっちにいるか。という質問をしたいのだが、 ジェスチャーでも伝わらない。でもなんとか聞こうとはしてくれていて、翻訳アプリのマイクを使って喋ってと。でも翻訳アプリはやっぱり頭が悪くて、上手く通じなかった。
サンジャンからの3人家族が他と合流したのかな。最初はあんなに無愛想だった眼鏡娘もとびっきりの笑顔を向けてくれるようにはなった。この旅で社交的になっているのかも。

Wi-Fiも使っていいと宿のおっちゃんに言われて、スマホを渡すとパスワードを入力してくれた。でもロザンカの連絡先は知らないし、日本人同士ではWi-Fi環境じゃないと連絡はできない。つまりそのこちゃんが歩いている限り連絡の取りようがない。
うーん、ロザンカはうちの宿に行ったのかシャワー中なのかどっちだ。でもシャワーにしては長すぎる。女性のバスルームを見に行くわけにも行かないし。

街への入り口が出窓から見えるので頻繁に確認していたけど、一向に来ることはなく、ただ時間だけが過ぎて行った。
どうすべきか考えたくても、徐々に頭も心も余裕がなくなってきて、思考停止状態。

うーん、どちらも来ないから出よう。もしかして入れ違ってたりしてないかと不安になりながらもまた橋の付近へと移動した。そろそろ来ていいはずだ。

なぜかキックボードに乗った女の子のどアップが撮れた。シュール。

また石橋の上で待っていた。でも全然来ない。
サンティアゴ~と地元民の会話からよく聞こえる気がするが、でもコンポステーラではないと思う。何なのだろう。
予約してるんだからあのアルベルゲには絶対来るはずだ。絶対に。

ひたすら待ち続けているから気分も変わってくる。なんか明日歩きたくないなと思った。精神的にも肉体的にも疲れてしまった。でも歩かないといけないよな…。
もう予約したくない。信用ならない。ってか3人予約していて1人来てるのに、夜になったわけでもないのに、すぐにキャンセルってわけがわからない。うーん、別々の客として認識されていたのだろうか。ロザンカは後から2人が来ると伝えてくれなかったのか。

もう午後7時になる。どうすればいいんだ。いや、まだ来てないんだきっと。
今朝出発する前にWi-Fiを使って宿の位置をマップに入れとくべきだったと思った。この事態は変わらないけど。
先行っててくださいと朝言われたけど、こんなことになるのなら途中で待っておけば良かった。宿は確保されてると思ってるんだから、ゆっくり無理せず来る可能性もある。疲れも感じてると言っていたし、そもそも今朝彼女の体調は悪かった。
彼女は悪くない。じゃあ誰が悪い?宿も商売だから悪くないのかもしれない。と追い詰められた精神で自問自答なんかもしていた。
街から帰ってくる人たちには、こいつずっと待ってるなって思われてるだろうな。

ただ時間が過ぎる。自分ではどうすることもできない。来るのは地元民ばかり。この時間だから当然っちゃ当然だが、もう巡礼者も来ない。
もう一度ロザンカのとこへ行こうか。溜め息でも吐瀉物でもない何かを吐きたかった。
ん、いや、振り返るとなんか木の向こうでゆっくり歩いてる人いないか?とそれらしき人影を見つけて戻ってみたが違った。老人を連れて歩く人だった。日向すらも寒くなってきた。

ロザンカにこっちのアルベルゲには来なくていい、そのこと会ったらあなたの宿へ行くと伝えておけば良かった。あんな申し訳なさそうな表情だったし、もしかしたら辺りを探してるかもしれない。
今日の泊まれる方のアルベルゲにディナーがついてるのかどうかもわからない。多分ない。というか待ち続けていたら飲食店も閉まらないだろうか。
嘘でも良い気持ちとは言えない心理状態だったが、暗くなってないだけまだましだった。

予約していたアルベルゲに戻ったがロザンカはいなかった。
韓国グループから辛ラーメンいる?とジェスチャーで聞かれた。優しい。最初食べる?って聞かれているのではなく、これ知ってる?って聞かれているのだと思い、Wi-Fiを使って翻訳して、これ好きですと伝えた。お腹は減っていたしありがたかったけど、食べていたらその場から動けないから断った。本当にありがとうという感謝の気持ちを込めてカムサハムニダと精一杯のジェスチャーと笑顔でお礼をした。届いていたらいいけど。
水が飲みたい。キッチンの水道水を飲んでいいだろうか。いや、貰っていいだろう。近くにいた白人2人のグループが使ってるようなコップを少し探したがなくて、手で器を作って飲んだ。コップはディナーで使用したものかもしれない。
っていうか、ロザンカはマジでどこだ。ここからそのこちゃんを連れて行かないと、あの太ったスパニッシュおばちゃん受付じゃベッドまでたどり着くのは難しいはずだ。

19時40分。もう本当にどうしていいのか。何度も窓の外を眺めているけど来ない。ロザンカも帰ってこない。
街の喧騒ももはや何も感じない。楽しそうだとか、騒がしいだとか、それらも何も感じない。今の自分にとってはただの雑音でしかない。それ以外の何でも。
それにしても何のための予約だ、と改めて思った。我慢をしていても溜め息が出てしまう。

出窓に腰掛けていた。デスボイスで歌うデスメタル系バンドが演奏していて、近くのソファには2人の白人女性がいた。ソファに靴を乗せていて文化の違いを感じた。
明日の準備とかも、もう嫌だなと思った。いったい何時にできるんだろう。
道に迷ってたりするのだろうか、体調が悪化したりしたのだろうか。
別に恋人ではないけど秒速5センチメートルみたいな状況下だなと思うと笑えないけど笑えた。でもここは異国で、ありえないくらい騒がしい街で、人の数も尋常じゃない。

もう20時になる。ロザンカは本当に何をしているんだ。普通にご飯でも食べてるのだろうか。
また外に出ても来ると思えない。もう吐ける溜め息も残ってない。伝言もロザンカがいないからできない。本当にどこだ。

韓国人グループの辛ラーメンの匂いが凄まじくて、白人たちが驚いていた。Good smellとは言っていたけど、皮肉だったような気もする。ディナー後にラーメンを食べていた感じ。

ずっと窓際にいる自分に、踊らないの?と白人おばあちゃんが話しかけてきて、あなたと踊りましょうか?と返して、笑い合った。本当に気持ちは沈む一方だったから、話しかけてくれてとても嬉しかった。彼女が何かノートにペンで書き込んでいたから、日記を書いているの?と聞いた。ノー、覚えられないわという返事が返ってきたが。
実はこの宿に予約していたんだけど、追い出されたんだってな感じの話もした。気の毒がってくれるだけでありがたかった。
ソファにいたオーストリア?の2人の女性はそのコロラドから来たおばあちゃん相手に、聞き取りづらい小声で話し続けていて感じが悪かった。街の音もうるさいんだからもっと大きな声で喋ってあげればいいのに。

先の見えない状況で待ち続けて、精神的にかなり参って、書き置きすることももはや面倒だった。英文で何か残したらより伝わるけど、もうそれを書く気も起きなくて、ロザンカが把握できて、そのこちゃんに渡せるように、アルベルゲの名前とベッドナンバーだけを書いて、ロザンカのベッドの上に置いた。もっと良い方法はあったと思うが、もうすべてに疲れていて、それしかできなかった。

韓国人たちがいなくなった後、ワインを買ってきた他の白人夫婦が宿へと戻ってきて、みんなで飲まないかい?と4人の白人たちによるワインタイムが始まった。
まだ残っているラーメンの匂いやデカい声で会話をする韓国人がよほど嫌だったのか、みんな韓国人たちに苦言を呈していた。コロラドのおばあちゃんは日本と韓国は近いけど全然違うわと語っていた。
あの韓国グループは、言葉は伝わらなくてもなんだか笑顔でいてくれて印象は悪くないが、彼らの言動を冷静に見て考えれば、一般的にはそうだよなと納得した。自分もそう思う部分はある(この旅で韓国人のイメージはかなり良くなってはいるけど)。

21時前に出た。一旦自分の宿に戻ろう。見ていたから知ってるけど、アルベルゲの前は洒落にならないほど人混みだ。フェスのような状態で、ステージ前からずっとライブハウスのように人間で埋まっている状態が続いていて、もういろいろと無理だと諦めた。アルベルゲの前だけじゃない。本当に街中が人だらけで、またかき分けながら進んだ。

そんな状況でそのこちゃんに会った。もう信じられないほどに驚いた。
道を間違えて進んできたらしい。コロンビアの男性にオススメの教会を教えてもらった前後で道を間違えて、まあ別の道を来たと。つまり、自分が絶対に来るはずだと待っていた石橋は通らなかったんだ。
そしてさっきロザンカに会ったと。ロザンカはどこにいた?何してた?と聞くと、普通にそこらで食事してて、なんかこれ美味しいから食べなって食べかけの何かをくれたらしい。
もう宿も見つけたとのこと。予約していたアルベルゲに行ったらフルだったから、他のとこ(結果同じ宿)に泊まることにしたと。自分が代わりに予約していたのも意味なく、別のベッドでもう支払ったとのこと。

こっちがどんな風に待っていたかなんて知らないわけだから、めちゃくちゃあっけらかんとしてるというか、なんか楽しそうだなと感じた。この街を楽しめているようだった。ロザンカもまあ、うん。
とにかく無事に着いて良かったと伝えた。たどり着けないのではないかという不安はなくなったわけだから。
フランス女性に自分が待っている場所を教えてもらったけど、どこかわかんなかったからと。まあ、つまり、特には探してないらしい。そりゃ探す義務もないけど。
自分は急いで出たから知らなかったけど、新しいアルベルゲにはWi-Fiがないらしい。連絡取れないわ。
ちなみにここに18時になる前には着いていたらしい。今の時刻は21時。

すみません、何か奢りますよとは言われたけど、断った。
本当に予期せぬ展開だったから、再会した瞬間から気が動転し続けてて、言葉もうまく出なかった。喧騒の中で会話もしづらかった。
決して彼女を責めるわけではないけど、楽しそうな彼女を見ていると、心配して待ち続けていたこととか、先程までの自分が、ほんとに馬鹿みたいだなと思って、もう帰りたいな…というような気分になった。(帰るという選択肢はないから、よりうんざりしながら)

2人で宿に戻った。途中に大聖堂はあったけれど、何の感動もなかった。

謝られても、別に大丈夫だよ、としか返せない。自分1人が馬鹿だっただけ。
自分がやりすぎただけだからと言うと、そうですよーやりすぎですよーと言われた。自分本位でもっと行動すれば良かった。ほんとに馬鹿みたいだ。

宿のドアにガラスはないのに(開いているのに)、開けようとしていたくらい気が動転していた。
フロントは変わっていて英語が多少話せる人だったのがいいが、なかなか理解してもらえず(もしくは返金を許可してもらえず)、説明・説得に長い時間が掛かってしまった。お金は帰ってきたけれど、もう言葉が出てこなかった。

まだシーツも敷いていないベッドに戻ってきて、それから財布もパスポートも置きっぱなしでトイレに行っていた。まだ気が動転している。いや、動転じゃない。あまりに馬鹿らしすぎて泣けてきそうだった。何やってんだ自分はと。
もし先程のあの場所でそのこちゃんと会ってなかったらどうしてたんだろう。彼女が来たかどうかを知り合いにも確認できなければ。

トイレから戻るとなんだか見覚えのある(午前中に確か会った)若い男性がいて、シャワールームどこかわかる?と聞いたらあまり英語が得意ではないのか、近くまで連れて行って教えてくれた。とりあえずシャワーを浴びよう。

道徳的にだとかそういう点で考えれば、自分が間違った行動は取ってないと思うし、もし自分にとって大切な人たちにこのことを話せば、きっと間違ってないよと言ってくれるだろうこととか、困っていた自分を助けてくれた人たち、ベネズエラの男性、韓国のおっちゃんとグループ、コロラドのおばあちゃんなどがいてくれたことだとか、そういったことを考えていたら、皆とっくに浴び終えていて誰もいないシャワールームの中の壁にもたれて、泣きそうなくらいに茫然としていた。

22時前にシャワールーム(&トイレ)の電気が消えて焦ったけど、誰かが間違えて消しただけで、そのうちまた点灯した。
服はお湯洗いにもなっていないが、適当にお湯で濡らして絞った。
シャワーブースから出たらおばちゃんがおばちゃんに腰に湿布を貼っていて、なんかね。

戻るとベネズエラの彼や夫婦がいて少し話した。やはり会話は救いだ。
ベネズエラの彼から、会えたかい?と聞かれた。会えたは会えた。でも結果を伝えた。すると謝られたけど、彼が謝らなければいけない理由なんて一つもないし、実際に自分はまったく気にしていなかったので、There’s no ploblem. I really really thank youと伝えてがっちり握手した。ちなみにこの宿に最初に着いたときのフロントではI love youと言ったけど(照)

遅い時間なのにバックパックを担いだ30代前半くらいの女性が空いていたベッドに来た。あのぉ…みたいな申し訳なさそうな感じで。
それはきっと誰かが来るとはまったく予想していなくて、自分が普通に洗濯物を近くに干していたから。それを下ろして、濡れていないタオルでその干していた部分を拭いた。
ごめんね、2つベッドを予約してたんだけど1つはキャンセルになったんだよとわけのわからなすぎる説明をした。
ベッド番号は79と80を取っていて、んで先程取り消してもらった番号は彼女の番号の80番で、まさかの下のベッドだった。下が好きってのもあるし、既にシーツ等広げていたので、困ったなと思ったが、でも私は上でも気にしないよということだったので、感謝を伝えた。

彼女はハンガリーのブタペストからで(外国人相手ならブタペストではなくても、ある程度近くなら、わかりやすい首都のブタペストと答えるだろう。それは他の国でも同じはず)、こういうベッドで寝るのは久しぶりと話していた。
寝るのかなーと思っていたら途中で降りてきたから、大丈夫?と聞いたら、ママに電話しないといけないの…と照れながら話していた。
実は彼女はここパンプローナがスタートで、明日が初日。そうなんだね!ブエンカミーノ!と言ったら、へ?(どういう意味?)ってなっていたので、スペイン語でHave a nice tripみたいな意味で、みんな合言葉のように言ってるんだよと教えて笑った。彼女とベネズエラの彼が自己紹介がてら話す際に、ブエンカミーノと言われていて、そのとき彼女は自分を見て、あ、これね(笑)ってな感じで微笑んでいた。
荷物の置き場がないわ…と困っていたのでこっちに置けるよだとか、シャワーの場所を教えたりだとか、数日分先輩で先にこの宿に来た自分が教えた。

彼女がシャワーを浴び終えて戻ってくると、3人でまた話をした。彼女は日本とベネズエラどちらも美しい国だわと言っていた。
昨日ブタペストからのベロニカという女性と会ったよというのも話した。ベネズエラの彼とは何度も会ってることも。
ベネズエラの彼は自分のことを「彼は俺よりシャープさ!」だとかいろいろと褒めてくれるから、自分はYou’re the greatest man in Camino!と言ってハイタッチした。ウケる。その後I’ve got a feelingとも言われた。ちなみに彼の英語はネイティブ並で、何より最高に良い声。クリスペプラーにも勝てる。

これがフロアの写真。一般的なホテルしか泊まったことがない人から見れば、もはや野戦病院。

寝ている巡礼者へ一切配慮のなしに中央でテレビ電話をしている職員を含め大きめの声で話す人が多少いた。ドアを閉めずにトイレでハンドドライヤーを使う人もいて、様々な音が途切れることなく聞こえていた。

部屋ではないわけだから音を遮るものはなくて、23時になっても話し声や何かを落とす音などは聞こえていた。

今までの顔馴染みの巡礼者がこのアルベルゲにもいるように、中には毎日全力で長い道のり進む人もいるだろうが、みんなあまりガンガン進んでいるわけじゃない。だから再会も多い。男性の人も距離的にそんなには進んでいない。

朝はやたらと早くに目が覚めて、25km歩いた3日目の昼食がカロリーメイトと1本満足バー。夕食はソイジョイだけという食事事情。
もう来るだろう、もう来るだろうと待ち続けていたらこんなことになってしまった。
でも冷静になって考えれば、(最初使っていいとは言われなかったけど)事前に予約していたアルベルゲで待つべきだったというだけ。そのこちゃんが宿の場所を探す苦労を考えた結果が裏目に出てしまった。
ひどく落ち込んでいたけど、誰かと話すことで少し気は紛れた。すべての心情を説明することはなくても、心の中には感謝しかない。

毎朝起きてから、外れてどこかに落ちている耳栓を探すことと同じように、毎晩起こる事態がメモの整理問題。疲れているから眠いけどメモが大量に残っていて追いついていない。混乱の1日だったので書き残していないが、書いておきたいことは沢山あった。
少し進めたが寝よう。朝に時間が作れたらいいな。隣のベネズエラの彼も長いことスマホを触っていた。


今日の歩み
Zubiri – Pamplona / 21.7km


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