岡山駅から山陽本線で和気駅へ。思いの外時間が経過して、学生たちの下校時間になってしまった。
和気駅。

岡山県和気郡和気町の人口は約1万3000人。

今の自分に片道徒歩4,50分は死の道だし、16時前だったのでモタモタしていると御守りとか買えなくなっちゃうなと、珍しくタクシーに乗った。

車窓では川遊びする子供たちや畑に立ちションするおじいさんが。

車内では運転手のおじいさんから宮司の家の人と勘違いされていて、話が最初噛み合わなかった。1200年ほど遡れば血も繋がっているのかもしれないけど。
この地域のことなど少し会話をして、その流れで自分の出身の大分宇佐にも和気という地域があることを話した。
そして、和気清麻呂が自分の先祖だと知る前から来たかった和気神社に到着。

でも知ってから来た故の高揚感なんだろうな、こんなにワクワクしながらの神社参拝なんていつぶりだろう、まるで歩き旅のゴール地点のようだと、日笠川を渡りながら感じていた。

高さ5m近くある清麻呂公銅像。荘厳。

和気清麻呂を簡単に説明すると、銅鏡という悪僧に乗っ取られそうになった天皇家を救い(日本の国体を護持し)、また平安京を建設した偉人。勤王の忠臣故にGHQに消された日本の英雄と呼ばれることもある。

正直、終始言葉がないというか、胸がいっぱいだった。和気清麻呂生誕地とはいえ、もう1200年近く前の祖先。でもそうした遥か昔の人物に想いを馳せる歴史のロマンのようなものも感じていたから。

清麻呂公御真筆碑、我独り天地に慙ず。
世の中がどうであれ、自分独りは天地に恥じることのないように正しくあろうという意味。

宇佐八幡宮神託事件で、八幡大神から清麻呂が受けた神託。

拝殿。

足腰を痛めた清麻呂を猪が救った伝説から、狛犬ではなく狛いのししがいた。京都の護王神社等でも同じ。


本殿。

こんな気持ちになれるのなら、もっと長くこの町に滞在したり、あれだったら泊まってもよかったなんて思っていたけど、来るべき場所に来られたという満足感で後悔はまったくなかった。
以前名字の記事で書いた桜の紋。

かつては歴史の教科書に載ったり、お札にもなった人物としては明らかに知名度が低い。今後注目される機会があるかもしれないけど。

姉の和気広虫は日本初の孤児院を開いたとされる奈良時代の女官。日本人のお手本とも言えるような素晴らしい姉弟がいたのさ。

一人の人間に縁のある場所なんてごく僅かだし、そういった限られた場所、この和気神社に来られて嬉しかった。

名所の藤公園は隣にある。藤の季節は人手がかなり多そう。その時期にも来たいような、来たくないような。とりあえず落ちてるゴミは拾った()

神社を出てからは、ここに電話をしてと渡されていたタクシー会社の番号にかけてみたけど30分は車が空かないとのことだったので、他にもタクシー会社はあったが、もう歩いてみることにした。
男子中学生の集団には気持ちよく挨拶をされ、良い町だな。和気町を歩いて感じてみたいなと思ったので。

どこか懐かしいは言い過ぎというか、日本の田舎町なんてどこも似たようなものだろうけど、ノスタルジックを感じていたのは事実。

まあ、良い気分で歩いてはいても、もう完全に足引きずってるし、地元の人からは霊験あらたか、足腰の神様への御利益を求めてきた人に映っていたはず。辛いね。痛いね。

鯉のぼり。

基本的には歩くと鈍い痛みを感じるってな状態だったけど、終盤に声が出るくらい激痛が走った瞬間があって、もうね、うん。仕方ない。どうしようもなかったんだ。

実はもう一箇所気になっていた場所は、和気氏とも繋がりのある實成寺。タクシーだともう駅と神社の往復になっちゃうから、歩いたが故に来られた場所。

まあ、仏像も何も見えないし、あっさり終わっちゃったけど。でもあの場所にも行きたかったのに…という想いを抱えることはこれでなくなった。

お寺から駅までもまだ距離があるので、このお寺の駐車場で別のタクシー会社に配車の電話をした。最近はQR決済も使えて便利。

レンタサイクルも検討してたんだけどね。17時までと思っていたら、15時半までだったので無理だった。でも良いさ。自転車も足死ぬし。

そして和気駅。岡山駅に戻るとしよう。

さよなら和気。

なんとなく、新幹線で食べた牛めしとおかやまロール。

なんだかんだでやっぱり歩いてしまって、更にダメージを蓄積させてしまったけど、先祖へのお墓参りのような目的は果たせた。
あんな感情を抱ける場所はもう無いのかもしれないと考えると寂しくはある。鹿児島にもまだ行ったことのない和気神社はあるし、例の金刀比羅神社も残してはいるけど。
とりあえず膝を治したい。いろんな障害が生まれてくるし、旅も楽しめたもんじゃないから。いや、まさかこんなに長引くとは。仕方ないけど。
まだまだ行きたいところは沢山あって、それが楽しみでもあり、憂うつでもある。そんな感じ。


